大地から生まれるものはみな
午前中は窓から雨が霙にかわり、その霙がまた雨にかわるさまを眺めていた。庭の雪は日陰の部分をのこして解け去った。午後の晴れ間には枯葉や木くずをクマデでかき集める。現れた土にはチューッリップや水仙の芽が出ている。踏みつぶさないように除けながら花壇の中を動き回る。待ちに待った春はめぐり来ている。この春もつかの間人の間に歩みを止めて眺めさせてくれるが、直ぐに夏が来、秋が来、冬となる。春の花を、夏の花をいつも咲かせておきたい。秋の紅葉も散らさずに止めておきたい。しかしそれらは季節ごとに人の前からすがたを消してしまう。去年の花は去年だけの花、去年の紅葉の一葉、一葉は去年に輝いて散りゆく。今年咲くどの花の一つも、枝葉の一枚も去年とおなじものはない。どれもみな眩しく新しい。大地から生まれるものはみなこのように眩しく新しく美しいのだ。雲がわき、霧がたちこめ、或いは小雨となり、雷鳴が轟き、にわか雨、或いは豪雨となり、そして冬が来れば雪となり或いは氷とも。しかしまた春はおとずれ木々はさざめき、黒々とした地にはありとあらゆる命が脈々と動きだす。
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