残された時間
きょうという一日も決して無意味ではないはずで、それが自分の意向に添おうが添うまいが、それは意味のある理由のある一日であるように思う。
午前中はガラス拭きと作業、つまりは何らかを書くこと、文字を連ねることに費やす。炊事、洗濯などは勿論書くまでもない。
午後1時、ちょうどすこし疲れを覚えていたところに友だちからの電話。そうだ文芸誌を届けるといいながらまだ届けていなかった。風はすこし冷たいが久方ぶりの青天。歩こう、歩かなくちゃ、と思いつつもある区間はバス。徒歩&バス。しかし上田にある友人宅に着くころにはぽかぽかと陽が射してきた。友人宅の庭の日だまりにチューリップが芽を出していた。シャクナゲやカラミンサも見事に咲く気配で陽に向かい居ずまいを正している。
チャイムを押すと「開いてます」と声。彼女の部屋もぽかぽかと暖かだった。ペットの猫の姿が見えない。お茶をいただいているうちにパソコンの陰から現れた。ここがいつもの隠れ家になっているようだ。彼女が空の紙袋を持ち出して床に置くと中に何が入っているかを確かめにやってきた。紙袋に顔を突っ込んで動かしている。
明日からはまた天気はよくないということで一緒に歩くことに。私の帰宅方向に散歩。そしてコーヒー店で一休み。いま彼女が読んでいる本の内容に耳を傾ける。そして彼女お勧めの鶏料理を今晩作ることにした。途中スーパーに立ち寄り買い物を終えて出ると、こんどは宮古市のときに同じアパートに暮したYさんとばったり出会い立ち話。去年会ったときに宮古時代の人たちを誘って温泉に行こうと提案した彼女。実現するとは思っていなかったのだが、年が明けると彼女は参加者を誘い手際よく鶯宿温泉の偕楽園を予約し4人で宿泊、宮古時代の話しに花を咲かせることになったのだった。それが今度は秋田へ行こうという。こんどは何人集まることになるのか、果たしてそのとき私の都合がつくものかどうか。何れにしろパワフルなYさんだ。別れてすぐにまた新しいパン屋さんができたことに気づく。これもチャレンジ、ただじっとしているよりも、黙っているよりも自分の技術、才を生かしてみようというチャレンジなのだろう。
富士見橋から川面を見る。白鳥はもう大方帰ったようだ。この冬の居心地はどうだったろう。ベンチで帽子を目深にかぶったご婦人が景色を眺めている。傍らを通り過ぎてまた帰路に着く。一歩踏み出すごとに地上の時が一歩消えてゆくような気もする。許された残された時間をまた踏みしめる。
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