きょうのことばー『福音の手と足』
きょうで三日間にわたる「東北・希望の祭典」はおわりました。アクティブで熱い信仰とイエスさまを信じる人々の流れを静かに感謝した三日間でした。きょうの日曜日はいつものように、一週間まえの礼拝講壇のメッセージをお伝えしておりますのでご了解ください。
2012年2月26日(日)のインマヌエル盛岡キリスト教会(℡019-646-2924)國光勝美牧師の説教をお届けします。
説教題 『福音の手と足』
聖書引証 ローマ人への手紙10章11~15節
11 聖書はこう言っています。「彼に信頼する者は、失望させられることがない。」
12 ユダヤ人とギリシヤ人との区別はありません。同じ主が、すべての人の主であり、主を呼び求めるすべての人に対して恵み深くあられるからです。
13 「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる」のです。
14 しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。
15 遣わされなくては、どうして宣べ伝えることができるでしょう。次のように書かれているとおりです。「良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう。」
前回はパウロの遺言ともいえるテモテ個人に宛てた手紙をお開きしましたが、今回のこのローマ人への手紙は、パウロによってローマにある教会宛に書かれたものです。きょうは福音伝道というテーマでメッセージを導かれております。
いよいよ「東北・希望の祭典」、今掲示されておりますのは、ライブ中継盛岡のチラシですので3月3日(土)、4日(日)の2日間となっております。この本会場は3月2日(金)、3日(土)、4日(日)と三日に亘り、仙台のグランディ21を会場にして行われます。たまもの豊かなゴスペルシンガーの方々の音楽と、そしてフランクリン・グラハム氏の聖書からのメッセージがあります。3・11の東日本大震災を想いながら仙台に集まろうと東北の人々に呼び掛け、神の御前にもういちど新たに壇を築き出発の時としようと企画されました。そしてこれを仙台だけではなく、東北の各地にお伝えしたいと、各県7ヶ所にライブ中継会場が設けられました。青森、三沢、八戸、秋田、酒田、福島、盛岡です。
盛岡会場は、インターネット中継の設備、音響、プロジェクターを備えた日本基督教団の内丸教会が快く提供くださいました。さっそく中尾敬一兄弟が、使用にはまったく支障がないことをチェックいたしました。会場の許容人数は通常100人。補助椅子も足せば150~200人までは可能だということです。そしてデービット・松本先生によるスタッフの研修会が持たれました。先生はグラハムのスタッフになる以前はアメリカの軍人であり然るべき地位にあったようです。初めてお会いした盛岡駅での小一時間のミーティングのなかで、先生と中尾兄弟とのてきぱきとした段取りの確認でそれを感じたことでした。この段階で、私は盛岡教会の可能な集会の規模は30、40人と想定しておりました。ところが先生は200人規模を考えておられたのです。
この教会での研修会には18人の方々が集まってくださいました。仙北町のバプテスト教会の角谷先生。また田園ホール近くの盛岡チャペルにいらっしゃる水田先生ご夫妻で、九州の佐賀のインマヌエルの臼井先生と親交があられます。それから北上の伊藤先生。また東松園教会におられるルーテル同胞の姉妹。それから内丸の先生は休暇中ですが代りに一人の姉妹がおいでくださっています。私たちにとっては非常に新鮮な研鑽のときでした。それを受けまして、きょうのメッセージの導きを得ました。
ここにデービット・松本先生が、仮設住宅を回られたときに作られた作詞があります。「故郷」のメロディーで歌ってみましょう。
1.イエスの愛はいまでも
私を日々引き上げ
心の傷を優しくいやす
とわの命主の愛
2.この命は主のもの
われらともに生きよう
悩む魂に伝えてゆこう
とわの命主の愛
デービッド先生の研修会を受けて、「希望の祭典」において、私たちが福音をもっと単純にストレートにお伝えすることを神さまは期待しておられる。世間的な会話を交えず15分で福音を人さまに伝えることができるか、これではないかと思いました。
みなさんは握力がどれぐらいおありですか。私は30年以上前になりますが、開拓伝道で盛岡に来て初めて花粉症に罹りました。激しい頭痛、手足のしびれといった症状がでました。脳神経外科に行き、診て貰っている最中にその症状が出、吃驚した看護師さんが先ず私に握力計を握らせたのです。そして「プロ野球のピッチャー並みです」と言われました。スポーツ選手の握力を調べてみますと、ハンマー投げの室伏が120。引退した海王が110。プロ野球を引退した新庄92。ハマの大魔神こと佐々木主浩ピッチャー80。朝青龍75。私は80ぐらいありました。今は50もいきませんが。ただ使っていれば握力は出てくる。 「福音の手」があります。これをしっかりと握って繰り返すことによって、クリスチャンの持つ信仰というものがはっきりしてきます。親指「神は愛」…第一ヨハネ4:8「神は愛だからです」。人差し指「私は罪人」…ローマ3:10「義人はいない。ひとりもいない」。中指「キリストの十字架」…第二コリント5:21「神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました」。薬指「信仰」…ローマ10:13「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる」。小指「御言の約束」…ローマ10:11「彼に信頼する者は、失望させられることがない」
ダイエットのためには自転車こぎがいいらしい。どこのジムにも自転車マシンが置いてあります。ただ或る方は勘違いをして負荷を重くしてしまう。これは筋肉が付くがダイエットにはならない。むしろギアを軽くして何回もこぐほうが効果がある。小さなことでもそれを繰り返しやることが、私たち信仰生活の大きな力になるのだと思います。握力もそうでしょう。
親指「神は愛」。人差し指「私は罪人です」。これは目的から外れている生き方のことです。よく紙を切ろうとしてカッターマットに以前つけてしまったキズの方に引き寄せられ、切りたい方向と違ってしまうことがあります。本当は真っ直ぐいきたいのに曲がってしまう。私たちが本来歩むべきところから離れてしまう。それからもう一つ罪人というときに、失われている状態であること。たとえばこの時計、私にとっては大切なものですが、この時計をもしどこかに置き忘れてしまったとき、時計事態の性能に変化はなくとも、もはやこの時計は何物でもなくなる、私たちは神さまにとって大切な存在なのですが、しかし神さまから離れてしまった状態では、本来の意味を持たなくなる、それは人間のあるべきところではない。このように言えるでしょう。ローマ人への手紙3章10節には「義人はいない。ひとりもいない。」と書かれています。中指「キリストの十字架」。いちばん中心にあり高く聳えているもの、これがキリストの十字架です。十字架こそ福音の中心中の中心です。薬指「信仰」。イエス・キリストの十字架を信じること。小指「御言葉の約束」。たとえていうならパッキン。水道の蛇口のパッキンもあれば固体ロケットブースターに使われるOリングというパッキンまであります。機械などの生命的部分が完璧であったとしても、その漏れを防ぐこのような部品に氷点下でヒビが入っただけでも爆発事故が起ったりする。スペースシャトルの事故がそうでした。人が救われるというとき、このパッキン、聖書の約束のことばというパッキンをしっかりと嵌めておけば、信仰の脱落を防ぐことができます。
聖書の神のことば、これを知っているだけで、新しい方が求めていらしたときに、神さまは愛なのです。神さまは私たちをほんとうに愛していてくださる。私たちは神さまの愛を受けることができないほど罪人なのです。一人一人置かれている人生の局面は違っているでしょうけれども、皆このところを例外なく通っている。ぜひこの「福音の手」を覚えていただきたい。今回のデーヴィット先生が語ってくださったことは、まさにこれなのです。これを何回も繰り返しているうちに強い握力になるでしょう。
さて福音の手と足といいました。これを伝えること。ローマ人への手紙10章15節には「良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう。」とございます。せっかく自分の受けている福音を、どうか多くの方々にお伝えしようではありませんか。良いことを伝える足として教会が、そしてお一人お一人が用いられますならばほんとうに幸いなことでございます。
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