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きょうのことばー『厳かな教会の使命』

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(ライブ中継盛岡会場は日本基督教団の内丸教会です)

以下に、2012年2月19日(日)インマヌエル盛岡キリスト教会(℡019-646-2924)國光勝美牧師の礼拝説教をお届けします。説教題 『厳かな教会の使命』

聖書引証 テモテへの手紙第二 4章1~8節

1 神の御前で、また、生きている人と死んだ人とをさばかれるキリスト・イエスの御前で、その現れとその御国を思って、私はおごそかに命じます。
2 みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。
3 というのは、人々が健全な教えに耳を貸そうとせず、自分につごうの良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々に教師たちを自分たちのために寄せ集め、
4 真理から耳をそむけ、空想話にそれて行くような時代になるからです。
5 しかし、あなたは、どのような場合にも慎み、困難に耐え、伝道者として働き、自分の務めを十分に果たしなさい。
6 私は今や注ぎの供え物となります。私が世を去る時はすでに来ました。
7 私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。
8 今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです。私だけでなく、主の現れを慕っている者には、だれにでも授けてくださるのです。

 「東北・希望の祭典」がいよいよ近づきましたが、御聖言(みことば)から恵と整えをいただきたく導かれていることでございます。

 きょうはテモテへの手紙第二の4章を開きました。パウロによって書かれた手紙は新約聖書の多くの部分を占めております。ローマ、コリント、ガラテヤなどといた教会宛の書簡と個人宛の書簡とがありますが、テモテへの手紙はテモテという個人宛の書簡です。殊にもこのテモテへの手紙は、後継者に対する遺言的な内容となっています。これを書いたときには軟禁状態ではなく地下牢に投げ込まれていました。「6 私は今や注ぎの供え物となります。私が世を去る時はすでに来ました。」と最期がきていることを自覚し、そして11節では、「マルコを伴って、いっしょに来てください。」と言っています。また13節では上着と書物と羊皮紙を持って着て欲しいと頼んでいます。苛酷な状況の中で何としても書き遺さねばならないと彼はペンを取ったのです。

この手紙の冒頭には、「1私はおごそかに命じます。」とございます。私たちが今神からおごそかに命じられていることは何か、それを学ぶためにきょうはこのテモテへの手紙をお開きいたしました。

 「神の御前で」そして「生きている人と死んだ人とをさばかれるキリスト・イエスの御前で」命じるとあります。パウロが殉教を目前にして命がけで言い置きたかったこと、それは2節にある「みことばを宣べ伝えなさい」、このことです。そして伝道するにも困難な世の中になることを35節で述べています。

 3 というのは、人々が健全な教えに耳を貸そうとせず、自分につごうの良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々に教師たちを自分たちのために寄せ集め、4 真理から耳をそむけ、空想話にそれて行くような時代になるからです。
5
しかし、あなたは、どのような場合にも慎み、困難に耐え、伝道者として働き、自分の務めを十分に果たしなさい。

 それでも「2 みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。」とパウロは言っています。この盛岡にもエホバの証人、統一協会、ロデムといった危険な新興宗教の進出が見られます。これらは聖書的ではなくむしろ福音伝道の妨げとなっています。この時代の危機に乗じて勢力を拡大しています。人々が真理から耳を背けてしまう、このような時代に、このような時代だからこそ、私たちは、おごそかに命じられているのです。

 テモテへの手紙第二の315節には「聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。」とございます。間近に迫りました「東北・希望の祭典」も、ここに焦点を合わせて臨みたいと思います。

 よみがえられたイエスさまも宣教を命じておられます。マルコの福音書1615節「それから、イエスは彼らにこう言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。」

またマタイの福音書28章でも命じておられます。

19 それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、20 また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」

 自分たちだけが福音の恵の中にあっていいはずがないのです。

 12月には松本にいる私の両親がイエスさまを信じ洗礼を受けました。90過ぎた父が度々電話をかけてきて、「ありがとう、ありがとう」と繰り返します。先週はI兄弟姉妹のお母様に福音をお伝えしたところ信仰に立たれました。

 「東北・希望の祭典」で、私たち一人一人が関係者にみことばをお伝えし、イエスさまを知っていただく機会となすことができますように、私たちにはそれが託され命じられている。これを命じる相手が威儀を正し、「1 神の御前で、また、生きている人と死んだ人とをさばかれるキリスト・イエスの御前で、その現れとその御国を思って、私はおごそかに命じます。」とまでいっているとき、私たちはこれを真剣に受け止めてしっかりとみことばをのべ伝えるべきではないのか、私はそのように導かれております。

 最後に使徒の働き189節を確認いたしましょう。

9 ある夜、主は幻によってパウロに、「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。
10
わたしがあなたとともにいるのだ。だれもあなたを襲って、危害を加える者はない。この町には、わたしの民がたくさんいるから」と言われた。

あのパウロにして恐れることがあったのです。私たちも、もし人にこんなことを言ったらどう思われるか、どんな仕打ちをうけるかと恐れることがあり得ます。

ここに一人の若い牧師の証しがございます。彼は開拓伝道を始めたばかりのところで阪神大震災に遭いました。家族は助かりましたが会堂も潰れてしまいました。それから2年間多くのボランティアの方々とともに必死に炊きだしなどの被災支援をし、礼拝も天幕を張って行っておりました。仮設の方々からも多くの感謝の言葉をいただきました。やがて多くの方々が仮設を出てそれぞれの生活を築かれていきました。多くのクリスチャンからの献金でやっと教会も再建され、期待を持って2年間関係した方々にご案内をし集会を開いたところが外からは誰一人来なかった。彼の受けたショックは並大抵のものではありませんでした。私は確かに2年間精一杯ボランティアをしていたけれども、あの方々にイエス・キリストを伝えていただろうか。大きな反省を強いられたといいます。彼は言っています。

「福音の話さえしなければいい牧師さんで通る。人間関係が崩れることを危惧するゆえにキリストの証しを控えた向きがある。しかしどうだろう、キリストを証しせずに崩れる人間関係というものがあり、一方、キリストを証ししたがために崩れる人間関係があるとするならば、私はむしろ後者を選ぶべきだった。人間関係が崩れてもキリストを伝えなければ私は必ず後悔するだろう。」

「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。」

確かに今多くの方々が心をこめて被災者の方々のためにボランィアをしておられる。しかし今教会が為すべきこと為し得ること為さねばならないこと、イエスさまからおごそかに命じられていることは、「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。」、このことです。今だからこそさせていただきたい。よみがえられたイエスさまのご命令に心から応答させていただきたいと存じます。

 例話などの省略がございます。

文責:中ぶんな

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