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アメージング・グレイス

 早寝早起き励行はなかなか守れそうにもない。あっという間に21時、22時を回っている。きょうも就寝時間をすこしだけ延長して書こうかと思う。
 「コンサートが退屈な私って変?」クリスティアーネ・テヴィンケル著(春秋社)に以下のような箇所があった。

「コンサートで感じるどこか場違いな印象、それは退屈と混同されがちだけれど、こんな違和感が生まれる最大の原因は、作品が本来ならふさわしくない枠の中に押し込まれていることにある。たとえば宴会のための音楽や、娯楽向けの軽い音楽をコンサートで演奏しても、飲み食いは禁止だし、おしゃべりもできない。室内楽にしても、もともとは自分で音楽をやるような、ひとにぎりの「通」のために書かれたものだ。特定の標題(たとえば自然、恋、シェイクスピアの作品など)にもとづく作品なのに、、その詳しい内容が今ではわからなくなっていることもある。それに教会音楽の演奏会で、曲の中味に対する宗教的な共感から、ぜひ一度聴いてみようという熱心な聴衆が集まったのに、会場が宗教とはぜんぜん縁のない場所だったなんてことは、けっこう多いんじゃないだろうか?」

 これに続いて

「バッハの時代にはマタイ受難曲の上演は聖金曜日の晩課の一部で、途中に長い説教が挟まれていた。イエスの十字架の道行きに自分も加わり、痛みと苦しみをともにすることが大きな目的だった。アリアはどれも、深く黙想に浸るためのもので、……歌詞が何を歌ったものか、聴衆はみなわかっていた。……」
 
 こうなると、たとえばバッハを最も相応しい場所で、最も相応しい環境で味わうにはやはり礼拝堂でコンサートを開き、最低一箇所に司祭か牧師の説教をもうけ、聖書の中味をすこしでも知り、祈り心を持ちながら耳を傾けるのがよい、こういうことなのだろう。
 また室内楽は本来大ホールで聴くべきものではないということになる。箏や三味線はお座敷でということにもなろうか。

 ただ、どんな場所で、どんな時間に、どんな心境のときに聴いても胸に染みいってくる音楽というものもある。これは人によって違うかも知れない。或る方にとっては演歌が、シャンソンが、ジャズが、また或る方にとってはドイツリードがとさまざまだろう。私の場合には讃美歌、「アメージング・グレイス」である。道ばたでどこの誰とも知られぬ方のバックの中から携帯の着信音として聞こえてきたとき、病院の待ち時間に流れてきたとき、ラジオから、テレビから、そのどのアメージング・グレイスにも私の心には、限りない優しさ、これは神の愛であるかもしれない、それが心にじわりと湧き出る。これは神が人類に与えた慰めの曲の一つであると私は思っている。

 

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