きょうのことばー『信仰の実践的祝福』
2012年2月5日のインマヌエル盛岡キリスト教会(電話019-646-2924)國光勝美牧師の礼拝説教をお届けいたします。
説教題 『信仰の実践的祝福』
聖書引証 マルコの福音書 4章35~41節
【説教その1―主に「東北・希望の祭典」開催に先だっての経過報告】
この冬の最も寒い2月の第一聖日も変わりなく守ることができ感謝です。先週は、私は十和田に行っておりましたので、ひろ子先生に講壇を委ねました。礼拝の様子を伺いまして感謝を覚えたことです。そして今週10、11日にはお茶の水のOCCビルのインマヌエル綜合伝道団本部に於きまして、3年に1度の第19次総会が開かれます。盛岡教会としての総会は1月22日でしたが、今度は教団としての総会です。教団の条例によりますと、代表の任期は3年で2期まで。現在の代表竿代照夫師は2期満了、そこで新しい代表が選出されることになっております。このことのためにどうか格別にお祈り頂きたいと思います。
それからもう一つ、神さまから大きな信仰のチャレンジを頂いております。「東北・希望の祭典」がございます。あの3・11からこの1年近くに亘って、行政、民間、宗教界、これはキリスト教会をも含めてのことですが、みなが同じ想いで復興に尽力してきております。
アメリカのクリスチャンたちはこのような場合の対応は実に迅速です。キリスト教支援団体サマリタン・パースなどは、100トンの支援物資を専用機で空輸し3月19日には被災地に届けました。支援チームはこの時既に仙台に到着していたのです。阪神・淡路大震災のときもそうでした。私はたまたま教団の会議で伊豆・伊東におりました。ちょうど早天祈祷会に行こうとしたとき、どうも神戸の方で大きな震災があったらしいと聞きました。早天の担当の先生が急遽神戸に帰られたことで、これは容易ならざる事態が起きたと思いました。そのすぐ後の分科会のとき、アメリカの若い宣教師がおられたのですが、地震の話しを聞くやいなや、今すぐにでも支援に動くべきだ、日本の教会はこういう点が立ち後れていると、まだまったく確認情報が入っていない段階で直ぐさま行動に移った姿には驚いたことでした。
今回の「東北・希望の祭典」に関しても、アメリカのビリー・グラハム伝道団が母体となっている支援団体が動きました。被災地がまもなく大震災から1年を迎えようとしている今こそ、真の希望であるこの福音を伝えるときであると、仙台を拠点に教会に働きかけてきたのです。費用はすべてグラハムサイドで持つということです。この話しは、12月のクリスマスの頃に具体化しました。そしてその主旨に賛同する諸教会があり、今回インマヌエル仙台教会の田中敬康先生を実行責任者とし、日本キリスト教団の青葉荘教会の島隆三先生が事務局となって諸教会とともに動いております。いまは救援物資などが重要な段階であり救霊の集会を開くときではないというお考えの方もいらっしゃいます。けれども私たちは今だからこそキリスト教会にしか成しえない救霊という支援をすべきと「東北・希望の祭典」を、3月2、3、4日の3日間、仙台市のグランディ・21セキスイハイムスーパーアリーナに於いて開催することに致しました。
さらに、これが仙台のみに止まらず、インターネットを通じて東北の青森、秋田、山形、福島、岩手の各拠点からも恵みを提供したいとのグラハムサイドからの申し入れがありました。私は祈りの中に、これを神さまからのチャレンジと受け止めました。神さまは、これを通して教会が一歩前進することを期待しておられると思います。その後のスタッフの協議で、青森だけは2か所青森市と三沢で持たれることになりました。
盛岡での責任はインマヌエル盛岡キリスト教会にあります。そして諸教会の先生方のご意見をうかがいながら、会場は中原眞澄先生の快諾をいただき内丸教会の会堂で、3月3日(金)16:00~、4日(土)16:00~の2日日「東北・希望の祭典」のインターネットライブ中継を行うことに決定いたしました。
【説教その2―聖書からのメッセージー】
聖書引証 マルコの福音書4章35~41節
35 さて、その日のこと、夕方になって、イエスは弟子たちに、「さあ、向こう岸へ渡ろう」と言われた。
36 そこで弟子たちは、群集をあとに残し、舟に乗っておられるままで、イエスをお連れした。他の舟もイエスについて行った。
37 すると、激しい突風が起こり、舟は波をかぶって、水でいっぱいになった。
38 ところがイエスだけは、とものほうで、枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして言った。「先生。私たちがおぼれて死にそうでも、何とも思わないのですか。」
39 イエスは起き上がって、風をしかりつけ、湖に「黙れ、静まれ」と言われた。すると風はやみ、大なぎになった。
40 イエスは彼らに言われた。「どうしてそんなにこわがるのです。信仰がないのは、どうしたことです。」
41 彼らは大きな恐怖に包まれて、互いに言った。「風や湖までが言うことをきくとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。」
このお話しはこのマルコ、そしてマタイ、ルカの三つの福音書にも書かれております。同じように書かれてはいるのですが、少しずつ違っているところがあります。「夕方になって」と書いてあるのはマルコ伝(の福音書)だけでした。そしてイエスは弟子たちと舟に乗り、「さあ、向こう岸へ渡ろう」と言われた。この舟を出すそもそものきっかけはイエスさまが「渡ろう」と仰ったことにありました。「東北・希望の祭典」もイエスさまが私たちに命じておられるのではないでしょうか。
さて、この3つの福音書に共通していることがあります。マタイ伝8章には「イエスは眠っておられた。」とあり、マルコ伝4章には「イエスだけは、とものほうで、枕をして眠っておられた。」とあり、ルカ伝8章には「イエスはぐっすり眠ってしまわれた」とある。何れぐっすり眠っておられた。ここでふと、ほんとうにイエスさまはぐっすりと眠っておられたのだろうかという聖なる疑問がわきました。もしかすれば弟子たちがどうするかを薄目をあいてご覧になっていたのではないか。眠っていたと書いてあるのですから、そうに違いないのですが、ここですこし話しを膨らませて、弟子たちがイエスさまを抜きに自分たちの力だけで困難に立ち向かわなければならないときに、果たしてどんな行動を取るものかを実は見ておられたとしたら。今回の「東北・希望の祭典」のことも、このようなときに、受け止める諸教会、運営のスタッフ、或いは盛岡の教会の人たちはどのように行動するのか、イエスさまがそれを薄目でご覧になっているとしたらどうだろう、私はこのようにさえ考えました。
私はマルコの率直さが好きですが、「先生。私たちがおぼれて死にそうでも、何とも思わないのですか。」とマルコは書いています。そしてマタイ伝8章25節の方には「主よ。助けてください。私たちはおぼれそうです。」と書かれています。マルコの方は、私たちが溺れそうなのにイエスさまは何とも思わないんですか、という悲鳴が聞こえてきそうです。ここには私たちの飾らないありのままの心の動きが表れているように思います。信仰生活を送っていくときに、予期せぬ出来事が襲い来ることがあります。また良かれと思って為したことが裏目に出ることもあります。この聖書の場面も、弟子たちは大暴風雨で命が危ない状況です。「イエスさまは何とも思わないんですか」、私たちが課題、困難に直面したとき、ついこのような言葉を発してはいないでしょうか。「どうして私たちは、こんな苦しい目にあわなくちゃならないんですか」と。イエスさまはここで「黙れ、静まれ」と仰る。ここでは風を叱りつけているのですが、イエスさまは私たちの不信仰な心の動きを叱っておられる。そして「どうしてそんなにこわがるのです。信仰がないのは、どうしたことです。」と言われる。実は、私は今回の祭典に携わるに当たって、東北の伝道の厳しさ、準備期間の短さ、気象条件、夕刻という時間帯などに危惧を覚えるところがございました。しかし、これを読みながら、「イエスさま有難うございます」という心境になりました。イエスさまから叱られる。これは私たちへの神の愛の表れであります。私は叱られるうれしさをも覚えたことでした。本気でイエスさまとともに行かなければ、このような問題には直面しません。本気でイエスさまとともに行くからこそ直面するのです。イエスさまは「行こう」と仰る。行きましょう。神さまは私たち全体に、教会に大きな恵みに浴する機会を与えたく願っておられる。
41節にあります。
彼らは大きな恐怖に包まれて、互いに言った。「風や湖までが言うことをきくとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。」
ここで弟子たちが恐怖に包まれたほどの神さまの大いなる御業を、今こそ期待し進み行くことを神さまは願っておられるのではないでしょうか。このお方のおことばとご干渉があるならば、私たちが今回神さまから与えられている営みは、大きな祝福となるでしょう。イエスさまから「信仰が薄い」、「信仰がどこにあるのか」、「信仰がないのはどうしたのか」と言われるのは、結局は信頼しきっていないからなのです。
「我らは真実ならねども、彼は絶えず真実にましませり」ということばがあります。私たちの側がどのようであっても、イエスさまはいつも真実でいらっしゃいます。私たちはこのお方に信仰を持ち進み行けばいいのです。イエスさまは今、一人一人がどのようにするのかをご覧になっている。「東北・希望の祭典」に於いても、主は私たちを愛するがゆえにムチ打ち訓練してくださる。幸いなことです。私たちの疑いという波、私たちの恐れ、不安という嵐、これを「黙れ、静まれ」と自ら叱りながら運営に当たらせていただきたく思うことです。
※CDを起こして書かせていただいております。編集上割愛した部分がございます。
文責:中ぶんな
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