見えぬ手
編年体大正文学全集第九巻に入っている賀川豊彦の「死線を越えて(抄)」改造社刊を一読した。この小説の主人公栄一が貧しい方々が多く住んでいる町に身を投じて伝道するあいだ予め予測されたさまざまな状況に遭遇する。そして彼は「神は愛では無い、暗黒と、絶望と、死と貧乏の創造主だと罵りたかった」とまで絶望的な悲鳴をあげる。
しかしこの現実に身を置く決心をしたあたりの栄一の心境というか宗教的なスピリチャルな体験は興味深い。
「そして彼は父なる神の手にしっかり握られていること、……否……神は父と呼ぶ可きものよりか更に接近したものであって、彼自身にすら住み給ふものであって神自身に彼が漬かって居るという実感の喜びを感じた。」
神との合一、一体感というにはさらに宇宙的なる感覚、これが内に充当され確信を与えられ大いなる決意を抱くことを可能にするのだろうなどと思い巡らした。「神われらとともに在す」という状態の一つのケースであると思われた。
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