きょうのことばー『わたしの霊によって』
2012年1月22日(日)のインマヌエル盛岡キリスト教会(電話019-646-2924)國光牧師の説教をお届けいたします。この日は聖餐式があり、年に一度の教会総会が開かれましたので説教時間は約15分間でした。
説教題 『わたしの霊によって』
聖書引証 ゼカリヤ書4章6節
6 すると彼は、私に答えてこう言った。「これは、ゼルバベルへの主のことばだ。『権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって』と万軍の主は仰せられる。
【説教】
このゼカリヤ書は、いかにも預言書らしい預言書という響きのするものでございます。特に神殿の再建築を使命としてゼルバベルとヨシュアというふたりの指導者が神によって立てられているのですが、そのときに神さまがかけられた恵みの御聖言(みことば)を一箇節だけ抽出し語らせていただきます。
これはゼカリヤ4章6節の文語訳「是は權勢(いきおい)に由らず能力(ちから)に由(よ)らず我靈に由るなり」をインマヌエル綜合伝道団の初代総理蔦田二雄牧師が昭和四十年夏に書にしたものでございます。教団創立20周年の記念アルバムに載っております。
この御聖言は折りあるごとに私たちに励ましと挑戦を与えてくれます。
「権勢に由らず」、この意味するところは、何か事を為そうとするときに、たとえば効率のよい富、或いはそれが戦いであるなら軍隊、先ず念頭に置かれるのはこのような力、権力です。権勢とはそういう意味合いを持つ言葉であるようです。それから「能力に由らず」、これは、良くも悪しくも兎も角人間的な一生懸命さで成し遂げようとする。しかし、神さまの働きをするときには、そのような能力でもない。よりよい働きをするために経済力を人材を備えての組織を整えることによるのでもないし、また一生懸命にやるのだという人間的な頑張りにもよらず、わたしの霊による。神さまはこう仰っている。
「霊」というこの言葉を調べて見ると、息、風、霊という意味があります。
イエスさまは、いよいよご自分が天に帰られるときに、大がかりな霊的な御業としてはペンテコステがありました。「天から大いなる風の吹きたるごとき音がして」というそれです。またヨハネの福音書を見ますと、イエスさまがよみがえられたあと息を吹きかけて「聖霊を受けよ」と仰っているところがあります。
息、風、霊。これを見ますと、ああそうか、私たちはこれから教会総会に臨まんとしているが、私たちは今から決して効率的な軍隊、或いは体制といったものを整えようとしているのではない。さあこれから一生懸命頑張りましょうというのではなく、頑張りではなく、私たちがいま関わっている教会の活動というものは、わたしの霊、神さまの霊によって企画され成し遂げさせていただくものであるのだ。
ゼカリヤ書4章をイラストにいたしましたものです。ユダヤの背景を知りませんとなかなか理解しにくいのですが、これでゼカリヤ書の4章で言っているところがおわかりになるかと思うのです。
神さまが大切な働きをするときに、わが霊によるなりという油そそぎを指導者達に与えてくださった。この「権力に由らず」とありますときに、ざっとこの背景を見ますと、ユダヤの人々は当時の世界の超大国ペルシャの王様から許されて或いは好意を得てといったらいいのでしょうか、「自分たちの国に帰って自分の国を再建しなさい」という非常に憐れみ深い庇護のもとに帰っていった。これを見ますとゼルバベルたち或いはヨシュアという指導者或いは更にそれに代表される彼らにとって、ペルシャという国の援助を受けようとする誘惑、もっと援助を引き出せるのではという思いが、ゼカリヤ書の中には書いてありませんけれども、そんな思いもあったかもしれない。しかし神さまは世の中のそういった援助、その権力といったものを期待してあなた方は神殿の再建という大きな神様のプロジェクトに関わるべきではないと仰る。そうではない。これを敷衍いたしますと、私たちが神に関わることを為そうとするときには、何か世の中の力、庇護、援助、そういったものをどこか期待してやってしまうとすれば、そうではない。それからもう一つ、「能力由らず」、彼らは一生懸命でしたから自分たちならばできる、いや、やるんだと頑張っていましたけれども、これは非常な危険を伴っているものなのです。つまり、うまくいくと、ほうらこれは私がやったことだという誇りにも直結してしまいます。また自分の力に頼っておりますと、それが巧くいかないと、ああ自分はもうダメだ、自分のような者は何にも出来ない、こういって落ち込んでしまう。立ち上がれなくなってしまう。これは、ほんとうにゼルバベルやヨシュアたちが直面していた課題だと思うのです。それに対しゼカリヤはこれは世の中の大きな力を背景としてやる仕事ではない、またあなた自身の頑張り、能力、権勢というものによるのでもない、これはわたしの霊によることなのだ。由らず由らず由る。わたしの霊に由る。そうだ神さまが私たちの味方であってくださるなら、いったい誰がわたしに敵対することができるだろうか。神もしわれらの味方ならば、たれか我らに敵せんや。そうだ、「わたしの霊に」というこのお方の働きに本当に期待して、「権勢によらず、能力によらず、わたしの霊による」というこのところにしっかりと心を留めて、年に一度の教会総会の議事に入っていくことができたならば、何と幸いでしょうか。わたしの霊による。神もしわれらの味方ならば、誰か我らに敵せんや。これらのことのなかにありて圧倒的な勝利者である。わたしの霊による。どうぞこれを心に留めさせていただきたいと存じます。
文責:中ぶんな
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