« きょうのことばー『信仰と希望の基礎』ー召天者記念礼拝ー | トップページ | 讃美歌 『移りゆく時の間も』 »

わが恵汝に足れり

 ふとPCの時刻に目を凝らすと22時22分。「2」が4つも並んでいた。そろそろ切り上げの時間だ。

20111018_014_2

 唐突だが、いま心に話しかける声をきいた。それは「利口になる、必ず」ということばだ。これはどうも精進していまよりはまともになるだろうという意味では無さそう。普通に真面目にやったってたかが知れてる。だから“目覚めて”世の常に妥協するだろう、そういう意味に近い響きだった。これは幻聴ではない。
 しかししかし轆轤さん、サタンさん、サタンにこんなに近しく呼びかけてはいけないのだろうが、私はね、もともと利口なんかじゃありゃしない。だからね、今更“利口になろう”なんて思わない。利口になろうと思ったことも無いではない。正直に言うとね。だけどなれなかった。もしそれをおバカさんというなら、私は一生真面目にお馬鹿さんをやろうかな。お墨付きのおバカさんにね。今更お利口さんになって、すこしばかりのものを手に入れたとしても、それは何だか悲しい感じ。おバカさんやってたほうが心が軽い。いまがいちばんいいのかな。喜怒哀楽もほどほどにある。つましくすれば3食が。昨年度の年末年始の大雪でそれが溶けて固まって二階の屋根からドカンと落ちて轟音がして、一階の屋根に窪みができて、資財や人手不足のために修理は遅れているけれど、それでもまだ雨漏りはしていない。眠っているあいだに顔に雨粒が落ちてくることも無いわけだ。こんなに有り難いことはない。

 20111018_003

 だいぶ眠くはあるけれど、こうして写真の一枚、いえ二枚を引っ張り出して、ブログだって書かせていただける。わたしはね、こんなおバカさんで十分。たまに誤字ですよ~、脱字ですよ~、これちょと違いませんか~などという善意のお声もききながら、ともかくもこうして、文字を連ねることもできるのです。
 

|

« きょうのことばー『信仰と希望の基礎』ー召天者記念礼拝ー | トップページ | 讃美歌 『移りゆく時の間も』 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: わが恵汝に足れり:

« きょうのことばー『信仰と希望の基礎』ー召天者記念礼拝ー | トップページ | 讃美歌 『移りゆく時の間も』 »