きょうのことばー『聖書の示す幸福の道』その3ーウェスレアン牧師相原雄二先生
※前ページのつづきとなっております。
パウロという人はコリントの教会にこんなお手紙を書きました。コリント人への手紙第一 12章21、22節、
21 そこで、目が手に向かって、「私はあなたを必要としない」と言うことはできないし、頭が足に向かって、「私はあなたを必要としない」と言うこともできません。
22 それどころか、からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、かえってなくてはならないものなのです。
私たちは総理大臣は偉い仕事をしている、トイレの掃除をしているおばさんは偉くないという思いがちです。しかしパウロは、みんなからだの一部で、ぜんぶ貴いことをしている。しかもぜんぶなければならないものなのだということを説き明かしているのです。からだのなかによく目立つ器官もあるしまったく見えないところにあるものもある。あっても無くてもどうということがないというものもある。しかしパウロは「体の中で比較的弱いと見られる器官が、かえってなくてはならないものなのです。」といっているのです。これを広げて解釈するとあなたは今世の中に必要な人なのです。あなたの親戚の中で、あなたの家庭の中で、あなたを必要としている家族がいるのです。あなたが教会に来られたとしたならば、或いはその中におられるとするならば、あなたは必要な人なのです。
この万物を緻密な知恵をもってお造りになった神は無駄なものをお造りになっていない。ですからあなたは必要な人、貴い人、あなたが為している仕事がたとえテレビが映しにこないような仕事であったとしても、あなたが愛をもってしているならば、感謝をもってしているならば、あなたは貴い奉仕に当たっている人なのです。
使徒パウロという人はかつて無目的で生きていました。しかし、あるとき、復活したキリストに対面して、自分がなすべき使命を授かった。あなたはわたしについて、あらゆる国びとに、また王たちにまでも証言する、証しをする役目を与えられた、と神は仰った。その後、使徒の働きの26章19、20節
19 こういうわけで、アグリッパ王よ、私は、この天からの啓示にそむかず、
20 ダマスコにいる人々をはじめエルサレムにいる人々に、またユダヤの全地方に、さらに異邦人にまで、悔い改めて神に立ち返り、悔い改めにふさわしい行いをするようにと宣べ伝えて来たのです。
この日から、キリストを信じた日から彼の人生はがらりと変わりました。
私には使命がある。私にでなければできない使命が。
彼はその後、一生、迫害され殉教者として首を切られるまで毎日をこのために送りました。みなさん、あなたの人生はすばらしい使命のある人生なのです。あなたを通して慰められるべき人がある。あなたを通して真理のことばを聞く必要のある人がある。あなたを通して教会に誘われなければならない人がある。あなたの祈りを必要としている人がある。あなたの慰めの電話を必要としている人がある。この世の中で神を信じ、神を愛している人に為すべきことが何もないという人は誰もいません。私たちこの世に生きている限り為すべき大切な使命が与えられているのです。自分が生きている必要がある。わたしは牧師のように宣教師のように人々に直接福音を語ったり教えたりはできないし、しないけれども、私はこれを通して神に仕え、人に仕えるのだというその使命感はすべての人が持つことができるのです。そういう人生を送りはじめることはできます。そのためには、先ず、先ず神がおられる、万物の創造者である神というお方が存在する。そして、その人が人間とコミュニケーションしたがっている、持ちたいと思っているその神が、私とコミュニケートしたいと思っていることを知り、この神に心を開くということが始めです。教会が存在していること自体が、また教会に何かの方法で導かれたということ自体が、これは神があなたと語り合いたい、あなたの心が欲しいと願っていらっしゃることの現れなのです。
先ずこの神を知ること、崇めることです。ご一緒にこのローマ人への手紙1章20節を読みましょう。
20 神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。
これは今も昔も同じです。
神は聖書を通して語っておられますが、その前から造られた万物を通して、造られた一部である人間に、わたしがいるんだよ、わたしには力があり、知恵があり、目的があるんだよ、ということを無言のうちに語っておられるのです。実は自然界に、この木に、あの花に、口があったらみんなしゃべり始めます、うたい出します。神さまが知恵をもってこんなにきれいに造ってくださった、神さまに感謝とうたい始めるに違いない。パウロはそのことを言っています。神というお方は目に見えるような簡単な軽い存在ではないのです。ですから、人間の小さな目の玉で神を見て、だからいない、と決めることができないのです。この宇宙物理学が進んでいったならば、ますますいままで無いと思っていたものがあると分かってきたことを皆さんはご存じでしょう。最近宇宙が何でできているかという本を読みましたが、びっくりしました。小学生、中学生のころに習った宇宙観と随分ちがうんだなあと。空間って何もない、と思っていた。ところが、実はそこに黒い物質、ダークマターというものが満ちているんだそうです。またダークエナジーという黒いものが満ち満ちてる。いままでは宇宙が縮んでいく、縮んでいくと思っていたら、ところがいまは逆にすごい勢いで膨張してるということがわかった。そのエネルギーはどこからくるのか。ですから世界の科学者たちは、すごい装置を地下に作ってニュートロンという宇宙で動いているこのものをあらゆるものを突き抜ける捉えられない、でも存在するニュートロンというものを捉えようとして色々な実験機械を作っている。ですから神の本性はそれよりももっと根本のところにあるものですから、私たちの目で見えるからある、見えないからあるという軽いものではない。神はおられるのです。そして人間に分かる方法で語ってらっしゃる。その一つが大自然、二番目は聖書。神は人類を捨てておかれないで、迷子になってしまった、宗教的に迷子になってしまった人類に、いやわたしがいるよということを紹介してくださった、自己紹介の書が聖書。聖書のテモテ人への手紙3章15、16節、これは聖書について聖書がいっているところですが、
15聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。
16 聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。
ここに聖書のオリジンが書いてあります。これは神の霊によって記されたという。書いた人は人間でも、その背後に神の霊が働いて、神について、イエス・キリストについて、人間は知るべき事を、神は聖書を通して語ってくださったということが書いてあるのです。ですから皆さん、幸せになりたいと思ったら、先ず聖書をどこかでお求めになって読み始めてください。神は聖書を通してあなたに、わたしがいるんだよ、ここにいるよ、こうしたらわたしはもっとあなたに近づけるよ、と教えてくださる。
そしてその聖書は記録し、聖書は予告し、聖書が記録しているのは、イエス・キリストというお方なのです。このお方は歴史上の人物。このキリストが来られたので尚更私たちは父なる神がおられるということが分かったのです。自然界と聖書を通し、こんどは神ご自身が肉体を持って現れてくださったのです。ですから神がおられるということと、神はこういうお方だということは、人間みなに、あらゆる人種にはっきりと分かったのです。これはキリスト御自身が仰ったことは、十字架に架かるまえの夜に仰ったことは、ヨハネの福音書14章6節、
6 イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。
イエス・キリストは、人間がたしかに神を知ることができる道です。神じて決してだまされない、うっちゃりを食らわない、無駄な遠回りをしない、その道です。そしてこのお方は私たちを、この世の命が尽きても、神の持ってらっしゃる命と繋いでくださる命であります。ほんとうの道、真理、永遠の命です。 (了)
※ 進化論の詳細など割愛させていただきました。IGレコーダーに取り起こしておりますが、それでも尚聞き間違いがある場合もございますので、その際はご指摘いただきたく思います。文責:中ぶんな
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