きょうのことばー『インマヌエル教会とは』ー教団創立記念礼拝ーその1
2011年10月16日(日)のインマヌエル盛岡キリスト教会(電話019-646-2924)國光勝美牧師の説教をお伝えいたします。
創立者 蔦田二雄 牧師
説教題 『インマヌエル教会とは』ー教団創立記念礼拝
聖書箇所 弟二テモテ4章17節
17 しかし、主は、私とともに立ち、私に力を与えてくださいました。それは、私を通してみことばが余すところなく宣べ伝えられ、すべての国の人々がみことばを聞くようになるためでした。私は獅子の口から助け出されました。
きのうはバザーが行われました。アフリカのテヌウェック病院に包帯を送るために去年から始まり、今年はその弟2回目でした。皆さん方の祈りの中に準備が進められて、当初の目的が果たされたように思います。近所の方々のご協力もいただき、また初めての方々も含めましてたくさんの方々においでいただきました。感謝に存じます。
きょうこの教会では教団創立記念礼拝を持たせていただいております。全国のインマヌエルの教会(全国に120の教会があります)は、きょうの日曜か或いは次の日曜のどちらかの日曜日を教団創立記念礼拝として守ることになっております。
先週の月曜、火曜日、この教団の東北教区から10の教会が集まり、秋からクリスマス、来年の4月までのひと冬を越えるプランを語り祈り合う会議がありました。連携したわけではありませんが、どうもほとんどの教会が23日の日曜日に特別集会を持つことになっているようです。青森教会は大滝昭子先生を、大湊教会は河村襄先生を、秋田教会は河村従彦先生を、郡山教会は須郷裕介先生を、そしてこの盛岡教会はアメリカから相原雄二先生ご夫妻をお招きしての特別集会を予定しております。そこで東北教区のほとんどの教会は、きょう教団創立記念日を持っておられるのではないかと、このように思っております。
イムマヌエル綜合伝道団の創立記念日は10月21日と記されております。私なりに、教団の創立を何時にするのか、何をもって教団創立とするのか興味あるところです。
それでは、昭和20年10月21日に何があったのかということからお話しします。
昭和20年8月広島長崎に原爆が投下され、日本は敗戦しました。広島には双子のクリスチャンである長谷川正子、元子両姉妹がおりました。正子は婦人科医師。元子は伝道師でした。爆心地近くにおりましたが不思議なことに守られ、岡山県新見市の野馳に住む、遠縁にあたる横田宅に疎開しました。真珠湾攻撃に参加したあの横田艦長の実家であるといいます。
蔦田先生は、戦時中、治安維持法違反で2年を留置所に過ごし、裁判の書類が大空襲で焼失したため未決囚のまま釈放されました。新しい教団創設のビジョンに燃えながらも、拘置所内で口をきくことを禁じられなどし、声もうまくだせないほどに衰弱がひどく、周囲から療養を強く勧められ、この横田家に身を寄せています。
蔦田先生は独房で、このようなところにも神が確かに共にいてくださることを確信し、もし出獄することができたときには、「神我らと共にいます」、これは聖書ではインマヌエル即ちイエスさまのお名前なのですが、この「イムマヌエル」という名前を頂戴して教団を建てようと決心していたのです。このビジョンを持ちながら、水害で交通機関もままならず切符の入手も困難であった中を、東京から4日をかけて野馳という田舎にたどり着きました。そこに身を寄せていた長谷川さん方も、この助かった命、これからの人生をすべて主に捧げて、これからは福音のために生きようとの思いと蔦田先生の思いが一つとなり、20年10月21日の深夜にまで亘って祈りのときが持たれました。その祈りの中で「このときだ」という促しがあったといいます。正確に言うと21日の日曜日の夜から祈り始めて22日の月曜日の未明に一つの決断がなされたのでした。
総軍日誌を見ますと、どうもイムマヌエルという名前は心に秘めて行っている。その祈りの中で、長谷川先生方の病院の働きを関東、東京方面で行うという方針を立てました。人一人が移動するのも困難だったときに、いったい荷物をどんな方法で運ぶのか。日誌によると、マッカーサーの秘書をしている方の関係の荷物と一緒に長谷川先生方の荷物も東京の船橋に送ることになったとあります。それも非常に不思議な神様の摂理であると記されておりました。神様の御心は一体どういう事なのかと思うときに、閉ざされていたものが不思議なように開かれるということで、導きがなされることをよく私たちは経験するのですが、恐らく長谷川先生方にとっても、不可能と思えた荷物の搬送に便宜を得たことで導きを得心したでしょうし、また蔦田先生としても、祈りの中に、いま立つべしと言う思いでしたでしょう。そしてその名を「イムマヌエル」と付させていただきたいという思いが一致したのもこのときであると創設者は日誌に回顧しております。ですから、イムマヌエル綜合伝道団という働きが始まったのは何時かというならば、昭和20年10月21日をもってそのときとするのは非常に意味のあることです。
船橋における、翌年の3月13日未明のことをお話しします。
昭和21年の正月に、蔦田先生が決意表明文を関係する方々に出しております。そしてこれまでの他教会とのいきさつをすべて離れて、この祖国のために新たな働きを進めていく上での賛同者を募り、その思いを一つにする方は、このところに連絡をお願いしますという、謂わば決起文を送っている。それが1月です。そしてそれに応じた大橋武雄、村松導男、山本岩次郎、川口始、朝比奈寛といった有志の器方が船橋に集い、3月に連続した祈りを持ち、医務部に加えて新たに伝道部を発足させている。綜合という名前にしたのは、そういった歴史的な背景があります。
船橋に長谷川先生方が産婦人科であるインマヌエル医院を開いたのが始まりであり、蔦田先生のビジョンの中には、何もないこのときに、医療の面に於いても、農耕という面においても、自給自足で何とかやっていかなければならないということがあった。農耕部には先生を慕って来られた渡辺倉造勧士或いは八木薫先生という方々が入植されたりしました。そのころの蔦田先生のビジョンには、教育の事も病院のことも含め、農耕も含め総合的に日本に貢献する働きをしたいという思いがあったようです。それで名前とすればイムマヌエル綜合伝道団という名前になりました。勿論その後もイムマヌエル医院は続いていたのですが、中心となるのは伝道部、3月13日に発足した伝道部が母体となっていたのです。
―次ページにつづくー
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