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きょうのことばー『聖書の示す幸福の道』その1ーウェスレアン牧師相原雄二先生

 毎週日曜日には、インマヌエル盛岡キリスト教会(0196462924)で語られた説教をお伝えしています。20111023日はアメリカのウェスレアン教会の相原雄二先生をお迎えして、初めての方々のためのメッセージが取り次がれました。

Scan10021_2 説教題『聖書の示す幸福の道』

聖書箇所 第一テサロニケ弟51618

16 いつも喜んでいなさい。
17
絶えず祈りなさい。
18
すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。

 

 おはようございます。

去年に続いてまた皆さまにお会いすることが出来、殊に福音を語らせていただけることは本当に感謝であり大きな特権です。大きな心、広い心でこのようなチャンスをお与え下さった國光先生ご夫妻には心から感謝をいたします。

きょうは先生が迎えに来てくださったのですが、途中、迂回をして厨川小学校の傍らを通ってくださいました。実は私は、小学校1年生の一学期のうち23ヶ月、厨川小学校の小学1年生でした。その頃、戦災で東京からこの盛岡に疎開しておりました。印象に強く残っているのは二宮金次郎の銅像です。

私の家族はまもなく東京にもどりました。色々なことがありましたが、家には仏様も聖書もありませんでした。教会というのは、余所の人が行くもので、変わった人が行くところ、我々の行くところではないと思っていたので、教会にも行ったことがない。神も神仏もない家で生まれ育ったのが私であるます。それが今日、皆さまの前に教師として立って、聖書のお話しをさせていただいている訳なのです。今はアメリカに暮しておりまして、アメリカに住んでおります日本の人たち、またその他の人たちにこの聖書のことばを語らせていただいている訳なのです。どうしてわたしがそのような生立ちをしたのに、それからずっとキリスト教の牧師とか宣教師と呼ばれる者になったかということですが、

実は中学の3年ごろから、いったい人間ってどうして生まれてきたんだろうと考え始めたのです。勿論親が結婚したから子どもが生まれたわけですが、私が考えていたのは、もっと究極的に何故人間というものがこの世に生まれ出て、そしてその一人に私というものが生まれたのか、究極的な理由、根本的な原因は何なのだろうと考え始めたのです。勿論進化論も習いました。宗教は一切習いませんでした。進化論によると、自然に宇宙が存在を開始して、進化を遂げて、そしてその進化の拍子にこの地球が出来て人間ができた。でも、それでも回答にならない。ではなぜそのような中から体ができたのか知らないけれども、なぜこの自然というものがあって進化を開始したのか。なぜ人間というこの高度な生き物ができたのか。ほかの動物を見ると、お墓も作らなければ、ロケットも飛ばさない。いくら犬やネコが人間に近くて可愛いといっても、礼拝をし、お祈りをしている姿は見たことがない。宗教を持つのは人間だけ。どうしてこういうものができたのか、そして火をコントロールし、力をコントロールして物をつくり飛ぶようなことにまでなったか。私にはこれはもう不思議で不思議でたまらない謎でした。ちょうどそのようなことを考えていたときに、友だちが、この頃クリスチャンになったんだ、教会に行かないかと誘ってくれた、その教会が東京のど真ん中の有楽町の丸の内にあったインマヌエル丸の内中央教会に導かれたわけであります。高校2年生になって間もなく、私はそのとき、まだもう一つ大きな疑問があったのは、一体クリスチャンという人たちがいるが、ほんとうに神があるのかないのかということを考えていたんですね。クリスチャンの人に会ったことはあった。でもどうして神があると信じられるのと聞いても、よく説明してくださるのですが、私がいままで聴いた話とはどうも違うので、受け入れ理解することができない。でも、反面、心に大きな人生の謎を抱えている。何なのだろう、人生って。しかし、小さな頭の中で、少しは分かったことがあったのです。それは、もし神というものがいてそしてその神が万物の創造者だとしたなら、創造者の知恵と力でこの宇宙というものが創造を開始したとしたなら、たとえ進化があったとしても無かったとしても、その一部としての自分だから、あ、そうだ、神が有る故の自然であり、その一部の自分だという回答があるなあと思っていた、あるなあと思っていたけれども、神があるかないかどうしたら神がいるかいないか確信できるかそれがよく分からない。教会にも行かないで、聖書も読まないで、一回も集会にいったこともなく考えているのですから、分かろう筈がありません。先日クリスチャンではない親戚の家に泊まっていて、そして朝、ご飯食べるときに、家内と食事の感謝のお祈りをしていた。手を合わせて声をだして祈った。そのときに、泊まっていた家の子は祈っている人は見たことも聞いた事もない。びっくりして何が起ったかというような顔をしていましたが、ほんとうに、私は祈りというものを聞いた事もないし見たこともない状態でいたのですけれども、初めて教会というところに行った。そうしたら、こういった伝道集会とか礼拝ではなく、新年聖会という信仰に燃えるひとたちが、もう年頭集まってきてそれも幾つもの教会の人たちが集まってきて歌ったりお祈りをしたり、聖書の解説を聞いたりするのですから、すごい熱気でした。ご一緒にお祈りしましょう、というと一人一人が大声でお祈りしますから会場全体が、わーっという熱気に包まれて、わたしはもう、ただ驚き圧倒されるばかりというような世界でした。けれども神は、私が続けてそこに行くように、私の心を捉えていてくださった。何回か行くうちに、これだ!!ここに神がおられるとわかった。「あなた方は神の御霊に依って生きる神の宮になる」と聖書にある通りです。クリスチャンの集まったところに神は最もはっきりと臨在しておられる。ですから、神を知ろうと思ったなら、聖書を知ろうと思ったなら、教会の集会に行くのがいちばんです。どんな本を読んで考えるよりも、テレビを見るのもいいですけれども、何と言ってもクリスチャンが集まっているところにいてお祈りを聞いたり聖書のお話しを聞いたりするのがいちばんいいのです。なぜなら、そこは、キリストが私が教会を作るとおっしゃったところ、教会の中にわたしはいつも一緒にいると仰ってくださった。その教会を造ると仰ったのは、立派な大きな建物の会堂をつくるとか、そういうことではなく、クリスチャンの集まりをつくる。そして私はその中に一緒にいると仰ってくださった。だから、クリスチャンの集まりに、即ち教会に行くことはいちばんの近道なのです。わたしはそこで分かりましたね、教えられましたね。神がおられるのだ!今まで自分はそれがわからないから人生は謎なのだ。それ以来クリスチャンとして感激をしてきました。実はクリスチャンになったとき、これから神を信じてクリスチャンになろうと決意したとたんに、もう自分は牧師になろう、宣教師になろうと、もう殆ど同時に決めてしまったのです。ですからもうそれからあと、何学部に行こうかとか、何になろうかとか、どこに就職しようかと一回も悩んだことがない。もうそのときに決まっちゃったのです。一生何をするかもう定年も退職もない、とにかく生きているかぎり、それをすればいいんだと決まってしまった。ですから私は、日本の標準からいえば、とうの昔にもう定年を過ぎている歳なのですけれども、きょうも元気で神の言葉を皆さんに語らせていただいている。感謝なことです。

私は自分の経験を通しても、この旧約時代新約時代の教会の歴史上の4000年間のこの神を信じてこの道を歩んだ人たちが体験した平安に満ちた人生、この世界のあらゆる民俗によってもう試されたこの道なのです。何かに凝った人がカルトに入って試してみたというのとは違うのです。私はアメリカに移るまえにはパプア・ニューギニアにこのインマヌエルの群れから派遣されて行っておりました。足かけ18年。そこはもう、石器時代から一歩足出たばかりのほんとうに、日本人が行ったのならば、ああ、いまどきこんなところがあるのかとびっくりするようなところだったのです。去年も申し上げたとおもいますけれども、タイムマシーンに載ってずっと2000年間昔に戻ったような気がしたのです。なぜなら、勿論宣教師館に住んでいればちょっとは電気がモーッターで動いて自家発電ありますけれども、一歩出てその人達の住んでらっしゃる家とか、家とは言えないような小屋ですが、ほんとうに何もない。台所もなければベッドルームもない。ただ草葺きで6畳くらいと思われるところがあって、真ん中に薪が燃えていて回りはただの地べたで、そこに人々はお母さんも子どももみなごろんと寝ている。蒲団なんかありません。痛いです。我々はとても寝られません。もう蒲団、ベッドで寝る癖がついていますから。ガス、水道電気があるわけではない。もう自然の一部として生きるだけです。滅多におふろになんか入らない。全然入らない。シャワーもありません、ただせいぜい汚れたらその辺の小川で手脚を洗う程度ですから。炊事をするといっても、小屋の真ん中の火の灰の中にイモを入れておくだけなのです。明け方に起きてまた寝ちゃう。そうすると灰の熱で23時間経つとこんがりと美味しい焼き芋ができるわけです。朝になったら灰をぱんぱんと落として、それを食べて朝ご飯。それだけ。そして水はかなり遠いところの泉から竹筒に汲んできて入れておく。今時は外国人が持ってきたペットボトルを使ったりしてますが。ですから朝ご飯は基本的においもとお水だけ。お昼も夕もサツマイモと水だけ。ですからニューギニアにはたくさんのサツマイモの種類があります。東北大学の人がサツマイモの研究論文を書くために来ていた話しを訊いたことがありました。因みにアメリカではサツマイモを売っていません。。ヤムイモというのを売っています。普通のお店ではサツマイモはない。ですからアジア系のスーパーマーケットに行けば時々売っていますが、ニューギニアのサツマイモは何種類もあって美味しい。

ニューギニアの人たちも、本当に真実に旧来の諸霊を恐れる所謂アミニズムと言われる聖霊、諸霊を恐れる宗教ですけれども、それを捨てて聖書の真理を、神のことばを受け入れるようになったのです。ですから、もうアフリカに行っても南米に行っても、南太平洋の諸島に行っても。実は、共産主義でこの頃経済的に躍進した中国で凄い勢いでクリスチャンの数が増えています。少なく見積もっても6000万いる。多く見積もれば、1億人クリスチャンンになっている。それはもう色々な角度から実証されている。共産主義の政府はいつもそれを警戒の目で見ている。しかし下手に迫害して世界から非難されたら困るということで、用心深く教会をいま見ているわけです。6000万人というと日本人の半分近い数がクリスチャンになっている。ですからみなさん、日本で生きていると、教会に行くとかクリスチャンになるということは特殊なことで、特別な人だけ行くところ、私たち日本人には関係ないところ、ほとんどの人はそう思ってますが、日本を一歩出たらぜんぜん違うのです。だから他の人たちが、日本の宗教、しきたり、日本教のなかにどっぷりと浸かって生きておられるこれが世界に通じると思ったらとんでもない大間違いです。日本でアンケートを取ると全知全能、万物を作られた救い主なる神がいると思うかに8割、9割の人はそんなのはいない、子どもたちまで進化でできたんだよ、こういうでしょう。食事に孫と一緒に行ったときに、何かの話で、人が死んだらどこへいくんだ? で私は天国だということばを期待していたら、非科学的と孫が偉そうに答えるんですよ。ああ、何て言うことだ。もう小学校5年生なのに、非科学的なんてことばを使って、宗教というものを軽く見るというか無視するというか迷信扱いするというか悲しいことです。同じ事をアメリカで訊くと、巷で訊くと8人から9人までは、イエス。私は万物を造られた神の愛を信じていると答える。その信じていることに相応しく生きている人はそう多くはない。でも世界観として神がいると信じている人は、いっぱい、もう殆どの人がそうです。ですから来年の大統領戦に向けていま6人ぐらいの人たちが、反対党の野党の方で競ってる。次はオバマさんの対抗馬になるかということでね。そこでトップになった人は次の大統領になる。オバマさんの人気は48パーセントからどんどん下がりつつあります。

討論を聞いているとみんな言う。アメリカは神によって造られた世界、神を信じて生きている。神でできてる国だと、どの候補者も、一人はモルモン教だ、一人はカトリックだ、一人は…とまあ色々ですが、みんな神が存在していて神が造られ、そしてこの信仰でアメリカはスタートしたということを討論会でもいってるんですね。アメリカのリーダーの決定というのは全米の人がひと言洩らさず聞いている討論、何回も国民の前で重ねる。最後は国民が全員投票するわけです。誰にするか。ですから一回選ばれた大統領がよっぽどのことがなければ、4年間、全期間任期を全うするわけです。日本はみなさんご存じです。5年間で6人も変わってしまいました。その理由は何ですか。国民全部で選ばないで政党の中で派閥の中でその力関係の中で我々の聞こえないところで相談が成され決まってしまう。だから、ほんとうに実力のある人相応しい人が選ばれているかどうかよくわからない。殊に親の七光り、二世三世でまた政治家の家系で評伝になった人は根性が強くないですね。それでまあ、変わってしまう。そう言うわけですから皆さん、これはテスト済みの教えなのです。  

        ―次ページにつづくー

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