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2011年10月

きょうのことばー『聖書の示す幸福の道』その3ーウェスレアン牧師相原雄二先生

※前ページのつづきとなっております。

パウロという人はコリントの教会にこんなお手紙を書きました。コリント人への手紙第一 122122節、
21
そこで、目が手に向かって、「私はあなたを必要としない」と言うことはできないし、頭が足に向かって、「私はあなたを必要としない」と言うこともできません。
22
それどころか、からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、かえってなくてはならないものなのです。

私たちは総理大臣は偉い仕事をしている、トイレの掃除をしているおばさんは偉くないという思いがちです。しかしパウロは、みんなからだの一部で、ぜんぶ貴いことをしている。しかもぜんぶなければならないものなのだということを説き明かしているのです。からだのなかによく目立つ器官もあるしまったく見えないところにあるものもある。あっても無くてもどうということがないというものもある。しかしパウロは「体の中で比較的弱いと見られる器官が、かえってなくてはならないものなのです。」といっているのです。これを広げて解釈するとあなたは今世の中に必要な人なのです。あなたの親戚の中で、あなたの家庭の中で、あなたを必要としている家族がいるのです。あなたが教会に来られたとしたならば、或いはその中におられるとするならば、あなたは必要な人なのです。

この万物を緻密な知恵をもってお造りになった神は無駄なものをお造りになっていない。ですからあなたは必要な人、貴い人、あなたが為している仕事がたとえテレビが映しにこないような仕事であったとしても、あなたが愛をもってしているならば、感謝をもってしているならば、あなたは貴い奉仕に当たっている人なのです。

使徒パウロという人はかつて無目的で生きていました。しかし、あるとき、復活したキリストに対面して、自分がなすべき使命を授かった。あなたはわたしについて、あらゆる国びとに、また王たちにまでも証言する、証しをする役目を与えられた、と神は仰った。その後、使徒の働きの2619、20

19 こういうわけで、アグリッパ王よ、私は、この天からの啓示にそむかず、
20
ダマスコにいる人々をはじめエルサレムにいる人々に、またユダヤの全地方に、さらに異邦人にまで、悔い改めて神に立ち返り、悔い改めにふさわしい行いをするようにと宣べ伝えて来たのです。

この日から、キリストを信じた日から彼の人生はがらりと変わりました。

私には使命がある。私にでなければできない使命が。

彼はその後、一生、迫害され殉教者として首を切られるまで毎日をこのために送りました。みなさん、あなたの人生はすばらしい使命のある人生なのです。あなたを通して慰められるべき人がある。あなたを通して真理のことばを聞く必要のある人がある。あなたを通して教会に誘われなければならない人がある。あなたの祈りを必要としている人がある。あなたの慰めの電話を必要としている人がある。この世の中で神を信じ、神を愛している人に為すべきことが何もないという人は誰もいません。私たちこの世に生きている限り為すべき大切な使命が与えられているのです。自分が生きている必要がある。わたしは牧師のように宣教師のように人々に直接福音を語ったり教えたりはできないし、しないけれども、私はこれを通して神に仕え、人に仕えるのだというその使命感はすべての人が持つことができるのです。そういう人生を送りはじめることはできます。そのためには、先ず、先ず神がおられる、万物の創造者である神というお方が存在する。そして、その人が人間とコミュニケーションしたがっている、持ちたいと思っているその神が、私とコミュニケートしたいと思っていることを知り、この神に心を開くということが始めです。教会が存在していること自体が、また教会に何かの方法で導かれたということ自体が、これは神があなたと語り合いたい、あなたの心が欲しいと願っていらっしゃることの現れなのです。

先ずこの神を知ること、崇めることです。ご一緒にこのローマ人への手紙120節を読みましょう。

20 神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。

これは今も昔も同じです。

神は聖書を通して語っておられますが、その前から造られた万物を通して、造られた一部である人間に、わたしがいるんだよ、わたしには力があり、知恵があり、目的があるんだよ、ということを無言のうちに語っておられるのです。実は自然界に、この木に、あの花に、口があったらみんなしゃべり始めます、うたい出します。神さまが知恵をもってこんなにきれいに造ってくださった、神さまに感謝とうたい始めるに違いない。パウロはそのことを言っています。神というお方は目に見えるような簡単な軽い存在ではないのです。ですから、人間の小さな目の玉で神を見て、だからいない、と決めることができないのです。この宇宙物理学が進んでいったならば、ますますいままで無いと思っていたものがあると分かってきたことを皆さんはご存じでしょう。最近宇宙が何でできているかという本を読みましたが、びっくりしました。小学生、中学生のころに習った宇宙観と随分ちがうんだなあと。空間って何もない、と思っていた。ところが、実はそこに黒い物質、ダークマターというものが満ちているんだそうです。またダークエナジーという黒いものが満ち満ちてる。いままでは宇宙が縮んでいく、縮んでいくと思っていたら、ところがいまは逆にすごい勢いで膨張してるということがわかった。そのエネルギーはどこからくるのか。ですから世界の科学者たちは、すごい装置を地下に作ってニュートロンという宇宙で動いているこのものをあらゆるものを突き抜ける捉えられない、でも存在するニュートロンというものを捉えようとして色々な実験機械を作っている。ですから神の本性はそれよりももっと根本のところにあるものですから、私たちの目で見えるからある、見えないからあるという軽いものではない。神はおられるのです。そして人間に分かる方法で語ってらっしゃる。その一つが大自然、二番目は聖書。神は人類を捨てておかれないで、迷子になってしまった、宗教的に迷子になってしまった人類に、いやわたしがいるよということを紹介してくださった、自己紹介の書が聖書。聖書のテモテ人への手紙3章1516節、これは聖書について聖書がいっているところですが、

15聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。
16
聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。

ここに聖書のオリジンが書いてあります。これは神の霊によって記されたという。書いた人は人間でも、その背後に神の霊が働いて、神について、イエス・キリストについて、人間は知るべき事を、神は聖書を通して語ってくださったということが書いてあるのです。ですから皆さん、幸せになりたいと思ったら、先ず聖書をどこかでお求めになって読み始めてください。神は聖書を通してあなたに、わたしがいるんだよ、ここにいるよ、こうしたらわたしはもっとあなたに近づけるよ、と教えてくださる。

そしてその聖書は記録し、聖書は予告し、聖書が記録しているのは、イエス・キリストというお方なのです。このお方は歴史上の人物。このキリストが来られたので尚更私たちは父なる神がおられるということが分かったのです。自然界と聖書を通し、こんどは神ご自身が肉体を持って現れてくださったのです。ですから神がおられるということと、神はこういうお方だということは、人間みなに、あらゆる人種にはっきりと分かったのです。これはキリスト御自身が仰ったことは、十字架に架かるまえの夜に仰ったことは、ヨハネの福音書146節、

6 イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。

イエス・キリストは、人間がたしかに神を知ることができる道です。神じて決してだまされない、うっちゃりを食らわない、無駄な遠回りをしない、その道です。そしてこのお方は私たちを、この世の命が尽きても、神の持ってらっしゃる命と繋いでくださる命であります。ほんとうの道、真理、永遠の命です。   (了)

 進化論の詳細など割愛させていただきました。IGレコーダーに取り起こしておりますが、それでも尚聞き間違いがある場合もございますので、その際はご指摘いただきたく思います。文責:中ぶんな

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きょうのことばー『聖書の示す幸福の道』その2ーウェスレアン牧師相原雄二先生

 前ページのつづきとなっております。 

あなたが今どういう境遇におられる人であっても、置かれているところが明るくても暗くても、今までどんな人生を生きられた人であっても、心配なことがある方であったとしても、あなたは必ず幸福な人になれます。なります。これはある恵まれた者しか幸福になれないという道ではありません。誰であってももう遅すぎるということはないのです。何歳でも。今からなれます。こういう境遇の人は無理だということはない。どんな境遇にある人でも、あなたも、ほんとうに幸せな人になることができます。神は愛なるお方だからです。

私たちは神を目で見たり触ったり耳でその声を聞いたりすることはできません。でも実は神の存在というのは、今私たちがここに座っていることが事実である以上に実存的な事実なのです。私たちの体は心臓が止まって腐敗が始まるか始まらない頃に火葬にされて煙と僅かな灰になってしまいます。何回も火葬場に行って経験しました。いまから17年ぐらい前に一緒に暮して一緒に伝道していた妻が、燃やされて出てきたとき、もうほんとうに、ちょっぴりの灰。何処へ行ってしまったのでしょう。煙になってしまったわけです。親の時も、教会の指導者の時もそうでした。ところが、この家も地球も無くなるときがあるかもしれない。そんなことは滅多にないでしょうが、しかし神の実在というものは変わらないのです。ですから人生というものは、私の人生は何かの気まぐれで偶然の積み重ねでできたのではない。私の命というものは、万物をお造りになった目に見えない神のお心の故にきょう、わたしは生きているのだということを知ることが必要なのです。そうすると人生の意味ががらりと変わって来る。もしも偶然の産物で、偶然に死んでいって終わり、僅か80年か90年この世に生きて、また偶然のように消えていってしまうとしたら、人生って無意味だとしたらどんなにさびしいことでしょう。何だろう一体人生ってということになる。でも違うのです。あなたの人生はただ偶然の積み重ねではない。徒にできた無目的な無意味な無価値なものではないのです。ですから私たち、自分の命を先ず大切にしましょう。そしてあの全知全能の神に心のなかで感謝するところから始めましょう。ですから聖書はこういっているのです。第一テサロニケ弟518節、

すべてのことについて感謝しなさい。これがキリストイエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。

これは使徒パウロという人が初代のクリスチャンになったばかりの人たちに2000年前に書き送った手紙なのです。テサロニケという今でもあるギリシャの一部ですが、そこにある町に送って、いまはテサロニッキといっているようですが、そこに送られたのでそう呼びますが、ここに二つの手紙が送られ、それが聖書に含まれている大事な手紙です。

テサロニケ弟一の手紙518節。

give thanks in all circumstances;for this is the will of God in Jesus for you.

どんな状況にあっても、どんな環境にあっても、感謝しなさいということなのです。あの大震災のときに、また津波の時に、アメリカでもこれは実に詳細に報道されていました。その前後だけですけれども、NHKがニュース、この東日本大震災関係のニュースだけを、インターネットで無料で流したのです。ですから、あるインターネットのサイトに入ると、ふだんは見られない日本のニュースがいつでも見ることができました。それから、NHK  worldが英語で或いは、さまざまな国の言葉で放送されているのですが、その津波の日には、私も聞いていたのですが、NHKで国際でしょうかワールドでしょうか、そこに雇われている色々な外国の人たちが自分の国の言葉で、海岸の人は高台に逃れろということをもう日本語、英語、韓国語、中国語、フィリピン語、フランス語、ドイツ語、あらゆる国の言葉で次から次へと同じことを言っているのです。でも地名は日本名ですからよくわかる。もう岩手県の一つ一つのこの港の町、都市、日本海側の人についてまで、その頃はそっちにもこっちにも、来るという恐れがあったのでしょう。山に逃れよ、高地に逃れよ、高地に上ってください。あれは日本に住んでいる人のためにしたのでしょうけれども、世界でも聞くことはできたのです。大変なショックでした。涙がとまりませんでした。何週間も経った後に、あの陸前高田でしたか、そこの避難所に寝泊まりしている人たちのところに、そこの高校生たちが、自分たちの力でポスターを作ったのです。頑張れ!陸前高田。その土地の名前をつけて。頑張れ!何々。生きていることを感謝しよう。その高校生達はたぶんクリスチャンではなかったと思う。でも、あの苦しみの中で、今まで自分が所有していると思っていたものを全部奪われた。家もない。町もない。テレビもない。金庫もない。今ある、いま私のものだと思うものは何ですか。自分の命だけでした。人間はすべてを剥ぎ取られると、人生の本当の意味が分かってくるのです。あまりに無駄なもの、あっても無くてもいいものがついているために、目つぶしを食らって人生のいちばん必要でいちばん大切なことに気づかないで無駄にしているのです。でも自然を通しても神がときどき、私たちに心の目を開いてくださる。こんどのこの災害がどうして東北で起きたのか。どうして岩手県、宮城県がいちばん、福島もこの被害にあったのか。私たちにはわからない。東京都知事が、日本人が我欲に捕われているから天罰だといって非難を浴びました。後日撤回しましたが。ほんとうのところ、回答はわからないのでありますけれども、正しい態度でこの中を生きるということは無駄無意味ではない。東京の方の主婦、若い奥さんたちでも、このごろは無駄な買い物が無くなった。買い込みが人生で意味あることじゃないと気づいた。それは良いことだとわたしは思うのです。それからある人はこう気づいた。人生というのは今日生きているということを十分に認識して感謝して今日精一杯に生きるということが大切だと分かったと言っていました。試練は辛い謎。しかし試練はほんとうに大切なことに自分を向けるチャンスになるのだなと覚えたのです。ですから、幸せになるためには、きょう、神から天から与えられている自分の命を先ず肯定的に受けとめて感謝する人になる必要がある。捨て鉢になってはなりません。絶望してはなりません。不安になる必要もありません。自分の命を大切にしない人たちは落ちこぼれの青少年ですね。自分たちの命はどうなったっていいと思っている。ですからすぐに事件起こしている。アメリカでは諸中ピストルで打ち合いをしている。ロサンゼルスのダウンタウンの方に行くとピストルの音が聞こえない日はない。それぐらいギャングに入った青少年達は簡単に人の命を取ったり取られたりしている。自分の命を軽く見ているのです。私たち自分の命を軽く見て決して充実した人生を生きることはできません。ある人はこう考えている。私は、1億2千5百万人のうちの一人で、私みたいな者は居たって居なくたって構わない。そうではないのです。あなたと同じ人間は世界に一人もいません。ほんとうに私は幸せな人だ、価値ある人だと自覚した人生に入るためには、自分は世界で唯一のユニークな人間であると自覚する必要がある。そして人との比較を止める必要がある。落ちこぼれの青年達は、人との比較で落ち零れてしまう。もう幼稚園のうちからよその子と比べて評価されていくので、自分がよくできると思う子はいよいよ鼻が高くなって、誰も教えなくても高ぶっていくわけです。いつも下の方だと思う子はいつも自己卑下してひがんでしまうわけです。そして軽い自己評価をしてしまう。

みなさん、大人になってもそういうことがあります。私たち、自分と人との家の大きさを比べたり、預金があるとかないとか、或いは外側の見かけがどうだとかこうだとか背が高い低いとか、そういうことばかり気にして生きていきますと、心の安まるとき、感謝なときはありません。あなたと同じ人を神はこの世にただ一人もお造りにならなかったのです。世界にあなたのようなユニークな特性を持っている人はあなたしかいません。ですから、感謝を持って、高ぶる必要はないのです。自己卑下したり、ひがんだり、さびしくなったりする必要は全然ないのです。あなたはユニークな価値ある存在。小学校でも中年でも、若くなくても同じです。あなたに、使命があるから。あなたが生きている必要があるから神はあなたをこの世に置いていらっしゃる。

パウロという人はコリントの教会にこんなお手紙を書きました。コリント人への手紙第一 122122節、
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そこで、目が手に向かって、「私はあなたを必要としない」と言うことはできないし、頭が足に向かって、「私はあなたを必要としない」と言うこともできません。
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それどころか、からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、かえってなくてはならないものなのです。

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きょうのことばー『聖書の示す幸福の道』その1ーウェスレアン牧師相原雄二先生

 毎週日曜日には、インマヌエル盛岡キリスト教会(0196462924)で語られた説教をお伝えしています。20111023日はアメリカのウェスレアン教会の相原雄二先生をお迎えして、初めての方々のためのメッセージが取り次がれました。

Scan10021_2 説教題『聖書の示す幸福の道』

聖書箇所 第一テサロニケ弟51618

16 いつも喜んでいなさい。
17
絶えず祈りなさい。
18
すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。

 

 おはようございます。

去年に続いてまた皆さまにお会いすることが出来、殊に福音を語らせていただけることは本当に感謝であり大きな特権です。大きな心、広い心でこのようなチャンスをお与え下さった國光先生ご夫妻には心から感謝をいたします。

きょうは先生が迎えに来てくださったのですが、途中、迂回をして厨川小学校の傍らを通ってくださいました。実は私は、小学校1年生の一学期のうち23ヶ月、厨川小学校の小学1年生でした。その頃、戦災で東京からこの盛岡に疎開しておりました。印象に強く残っているのは二宮金次郎の銅像です。

私の家族はまもなく東京にもどりました。色々なことがありましたが、家には仏様も聖書もありませんでした。教会というのは、余所の人が行くもので、変わった人が行くところ、我々の行くところではないと思っていたので、教会にも行ったことがない。神も神仏もない家で生まれ育ったのが私であるます。それが今日、皆さまの前に教師として立って、聖書のお話しをさせていただいている訳なのです。今はアメリカに暮しておりまして、アメリカに住んでおります日本の人たち、またその他の人たちにこの聖書のことばを語らせていただいている訳なのです。どうしてわたしがそのような生立ちをしたのに、それからずっとキリスト教の牧師とか宣教師と呼ばれる者になったかということですが、

実は中学の3年ごろから、いったい人間ってどうして生まれてきたんだろうと考え始めたのです。勿論親が結婚したから子どもが生まれたわけですが、私が考えていたのは、もっと究極的に何故人間というものがこの世に生まれ出て、そしてその一人に私というものが生まれたのか、究極的な理由、根本的な原因は何なのだろうと考え始めたのです。勿論進化論も習いました。宗教は一切習いませんでした。進化論によると、自然に宇宙が存在を開始して、進化を遂げて、そしてその進化の拍子にこの地球が出来て人間ができた。でも、それでも回答にならない。ではなぜそのような中から体ができたのか知らないけれども、なぜこの自然というものがあって進化を開始したのか。なぜ人間というこの高度な生き物ができたのか。ほかの動物を見ると、お墓も作らなければ、ロケットも飛ばさない。いくら犬やネコが人間に近くて可愛いといっても、礼拝をし、お祈りをしている姿は見たことがない。宗教を持つのは人間だけ。どうしてこういうものができたのか、そして火をコントロールし、力をコントロールして物をつくり飛ぶようなことにまでなったか。私にはこれはもう不思議で不思議でたまらない謎でした。ちょうどそのようなことを考えていたときに、友だちが、この頃クリスチャンになったんだ、教会に行かないかと誘ってくれた、その教会が東京のど真ん中の有楽町の丸の内にあったインマヌエル丸の内中央教会に導かれたわけであります。高校2年生になって間もなく、私はそのとき、まだもう一つ大きな疑問があったのは、一体クリスチャンという人たちがいるが、ほんとうに神があるのかないのかということを考えていたんですね。クリスチャンの人に会ったことはあった。でもどうして神があると信じられるのと聞いても、よく説明してくださるのですが、私がいままで聴いた話とはどうも違うので、受け入れ理解することができない。でも、反面、心に大きな人生の謎を抱えている。何なのだろう、人生って。しかし、小さな頭の中で、少しは分かったことがあったのです。それは、もし神というものがいてそしてその神が万物の創造者だとしたなら、創造者の知恵と力でこの宇宙というものが創造を開始したとしたなら、たとえ進化があったとしても無かったとしても、その一部としての自分だから、あ、そうだ、神が有る故の自然であり、その一部の自分だという回答があるなあと思っていた、あるなあと思っていたけれども、神があるかないかどうしたら神がいるかいないか確信できるかそれがよく分からない。教会にも行かないで、聖書も読まないで、一回も集会にいったこともなく考えているのですから、分かろう筈がありません。先日クリスチャンではない親戚の家に泊まっていて、そして朝、ご飯食べるときに、家内と食事の感謝のお祈りをしていた。手を合わせて声をだして祈った。そのときに、泊まっていた家の子は祈っている人は見たことも聞いた事もない。びっくりして何が起ったかというような顔をしていましたが、ほんとうに、私は祈りというものを聞いた事もないし見たこともない状態でいたのですけれども、初めて教会というところに行った。そうしたら、こういった伝道集会とか礼拝ではなく、新年聖会という信仰に燃えるひとたちが、もう年頭集まってきてそれも幾つもの教会の人たちが集まってきて歌ったりお祈りをしたり、聖書の解説を聞いたりするのですから、すごい熱気でした。ご一緒にお祈りしましょう、というと一人一人が大声でお祈りしますから会場全体が、わーっという熱気に包まれて、わたしはもう、ただ驚き圧倒されるばかりというような世界でした。けれども神は、私が続けてそこに行くように、私の心を捉えていてくださった。何回か行くうちに、これだ!!ここに神がおられるとわかった。「あなた方は神の御霊に依って生きる神の宮になる」と聖書にある通りです。クリスチャンの集まったところに神は最もはっきりと臨在しておられる。ですから、神を知ろうと思ったなら、聖書を知ろうと思ったなら、教会の集会に行くのがいちばんです。どんな本を読んで考えるよりも、テレビを見るのもいいですけれども、何と言ってもクリスチャンが集まっているところにいてお祈りを聞いたり聖書のお話しを聞いたりするのがいちばんいいのです。なぜなら、そこは、キリストが私が教会を作るとおっしゃったところ、教会の中にわたしはいつも一緒にいると仰ってくださった。その教会を造ると仰ったのは、立派な大きな建物の会堂をつくるとか、そういうことではなく、クリスチャンの集まりをつくる。そして私はその中に一緒にいると仰ってくださった。だから、クリスチャンの集まりに、即ち教会に行くことはいちばんの近道なのです。わたしはそこで分かりましたね、教えられましたね。神がおられるのだ!今まで自分はそれがわからないから人生は謎なのだ。それ以来クリスチャンとして感激をしてきました。実はクリスチャンになったとき、これから神を信じてクリスチャンになろうと決意したとたんに、もう自分は牧師になろう、宣教師になろうと、もう殆ど同時に決めてしまったのです。ですからもうそれからあと、何学部に行こうかとか、何になろうかとか、どこに就職しようかと一回も悩んだことがない。もうそのときに決まっちゃったのです。一生何をするかもう定年も退職もない、とにかく生きているかぎり、それをすればいいんだと決まってしまった。ですから私は、日本の標準からいえば、とうの昔にもう定年を過ぎている歳なのですけれども、きょうも元気で神の言葉を皆さんに語らせていただいている。感謝なことです。

私は自分の経験を通しても、この旧約時代新約時代の教会の歴史上の4000年間のこの神を信じてこの道を歩んだ人たちが体験した平安に満ちた人生、この世界のあらゆる民俗によってもう試されたこの道なのです。何かに凝った人がカルトに入って試してみたというのとは違うのです。私はアメリカに移るまえにはパプア・ニューギニアにこのインマヌエルの群れから派遣されて行っておりました。足かけ18年。そこはもう、石器時代から一歩足出たばかりのほんとうに、日本人が行ったのならば、ああ、いまどきこんなところがあるのかとびっくりするようなところだったのです。去年も申し上げたとおもいますけれども、タイムマシーンに載ってずっと2000年間昔に戻ったような気がしたのです。なぜなら、勿論宣教師館に住んでいればちょっとは電気がモーッターで動いて自家発電ありますけれども、一歩出てその人達の住んでらっしゃる家とか、家とは言えないような小屋ですが、ほんとうに何もない。台所もなければベッドルームもない。ただ草葺きで6畳くらいと思われるところがあって、真ん中に薪が燃えていて回りはただの地べたで、そこに人々はお母さんも子どももみなごろんと寝ている。蒲団なんかありません。痛いです。我々はとても寝られません。もう蒲団、ベッドで寝る癖がついていますから。ガス、水道電気があるわけではない。もう自然の一部として生きるだけです。滅多におふろになんか入らない。全然入らない。シャワーもありません、ただせいぜい汚れたらその辺の小川で手脚を洗う程度ですから。炊事をするといっても、小屋の真ん中の火の灰の中にイモを入れておくだけなのです。明け方に起きてまた寝ちゃう。そうすると灰の熱で23時間経つとこんがりと美味しい焼き芋ができるわけです。朝になったら灰をぱんぱんと落として、それを食べて朝ご飯。それだけ。そして水はかなり遠いところの泉から竹筒に汲んできて入れておく。今時は外国人が持ってきたペットボトルを使ったりしてますが。ですから朝ご飯は基本的においもとお水だけ。お昼も夕もサツマイモと水だけ。ですからニューギニアにはたくさんのサツマイモの種類があります。東北大学の人がサツマイモの研究論文を書くために来ていた話しを訊いたことがありました。因みにアメリカではサツマイモを売っていません。。ヤムイモというのを売っています。普通のお店ではサツマイモはない。ですからアジア系のスーパーマーケットに行けば時々売っていますが、ニューギニアのサツマイモは何種類もあって美味しい。

ニューギニアの人たちも、本当に真実に旧来の諸霊を恐れる所謂アミニズムと言われる聖霊、諸霊を恐れる宗教ですけれども、それを捨てて聖書の真理を、神のことばを受け入れるようになったのです。ですから、もうアフリカに行っても南米に行っても、南太平洋の諸島に行っても。実は、共産主義でこの頃経済的に躍進した中国で凄い勢いでクリスチャンの数が増えています。少なく見積もっても6000万いる。多く見積もれば、1億人クリスチャンンになっている。それはもう色々な角度から実証されている。共産主義の政府はいつもそれを警戒の目で見ている。しかし下手に迫害して世界から非難されたら困るということで、用心深く教会をいま見ているわけです。6000万人というと日本人の半分近い数がクリスチャンになっている。ですからみなさん、日本で生きていると、教会に行くとかクリスチャンになるということは特殊なことで、特別な人だけ行くところ、私たち日本人には関係ないところ、ほとんどの人はそう思ってますが、日本を一歩出たらぜんぜん違うのです。だから他の人たちが、日本の宗教、しきたり、日本教のなかにどっぷりと浸かって生きておられるこれが世界に通じると思ったらとんでもない大間違いです。日本でアンケートを取ると全知全能、万物を作られた救い主なる神がいると思うかに8割、9割の人はそんなのはいない、子どもたちまで進化でできたんだよ、こういうでしょう。食事に孫と一緒に行ったときに、何かの話で、人が死んだらどこへいくんだ? で私は天国だということばを期待していたら、非科学的と孫が偉そうに答えるんですよ。ああ、何て言うことだ。もう小学校5年生なのに、非科学的なんてことばを使って、宗教というものを軽く見るというか無視するというか迷信扱いするというか悲しいことです。同じ事をアメリカで訊くと、巷で訊くと8人から9人までは、イエス。私は万物を造られた神の愛を信じていると答える。その信じていることに相応しく生きている人はそう多くはない。でも世界観として神がいると信じている人は、いっぱい、もう殆どの人がそうです。ですから来年の大統領戦に向けていま6人ぐらいの人たちが、反対党の野党の方で競ってる。次はオバマさんの対抗馬になるかということでね。そこでトップになった人は次の大統領になる。オバマさんの人気は48パーセントからどんどん下がりつつあります。

討論を聞いているとみんな言う。アメリカは神によって造られた世界、神を信じて生きている。神でできてる国だと、どの候補者も、一人はモルモン教だ、一人はカトリックだ、一人は…とまあ色々ですが、みんな神が存在していて神が造られ、そしてこの信仰でアメリカはスタートしたということを討論会でもいってるんですね。アメリカのリーダーの決定というのは全米の人がひと言洩らさず聞いている討論、何回も国民の前で重ねる。最後は国民が全員投票するわけです。誰にするか。ですから一回選ばれた大統領がよっぽどのことがなければ、4年間、全期間任期を全うするわけです。日本はみなさんご存じです。5年間で6人も変わってしまいました。その理由は何ですか。国民全部で選ばないで政党の中で派閥の中でその力関係の中で我々の聞こえないところで相談が成され決まってしまう。だから、ほんとうに実力のある人相応しい人が選ばれているかどうかよくわからない。殊に親の七光り、二世三世でまた政治家の家系で評伝になった人は根性が強くないですね。それでまあ、変わってしまう。そう言うわけですから皆さん、これはテスト済みの教えなのです。  

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ありがとう!!シンフォニエッタ・盛岡 「エンジョイ・アンサンブル(演奏会)」を聴く

 エンジョイ・アンサンブル、実は昨年もあったのです。ところが、積極的な宣伝、広告も見受けられなかったので、もしかすれば内輪の研修会だろうと思いこんでいました。案外そう思っておられる方が多いのでは。しかし今回で、一般の誰もが聴きに入ってもよいと知り、主人と共に出かけたわけでした。

♪プログラム第一部♪
☆60歳からピアノを習ったという方の独奏。シャミナード作曲「ほのかな恋」、バダルジェフスカ作曲「乙女の祈り」成田宏子☆ヴァイオリンの親子合奏(小4&)バッハ作曲「ガヴォット(弟3番より)」、☆ヴァイオリン独奏(中2)ドヴォルザーク作曲「ユモレスク」、☆ピアノ伴奏は高2の方といった方々の丹念な演奏の後には
☆oboe独奏テレマン作曲「12のファンタジーより」菊池人嗣
☆viola独奏ベートーヴェン作曲「チェロソナタ弟3番イ長調3楽章(ビオラ版)」  中安貴子 p伴奏菊池人嗣
☆Duoモーツァルト作曲「ソナタk.292-1楽章」西舘ゆかり(fg)・畑村保裕(vc)
☆Duoタンゴ「ジェラシー」中村邦子(vn)、高橋美奈子(pf)
☆Duo/vnで「猫ふんじゃった」お~にゃんこ倶楽部
☆弦trioリスト作曲「愛の夢」女神たち?
☆木管五重奏「魔女の宅急便より3曲」
村松香奈子(fl)、西川翼(cl)、谷地田直子(cl)、井上尚子(sax)、西舘ゆかり(fg)
☆vc独奏バッハ作曲
「無伴奏チェロ組曲1番ト長調プレリュード、アルマンド、サラバンド」
 畑村保裕


              ー15分間休憩 ドリンクサービスー

♪プログラム弟二部♪

☆Duoイベール作曲「間奏曲」、シオリス作曲「カルメメント」DUO RIAS
☆ギター独奏Dilermando Rei作曲「もし彼女が尋ねたら…」
F.Sar作曲「魔笛の主題による変奏曲」他 吉田英人
☆Duoモーツァルト作曲「魔笛~Das Klingt 、Ein Madchen」
佐藤雅宏(Fg)、西舘ゆかり(Fg)
☆木管trioモーツァルト作曲「ディベルティメント弟1番変ロ長調から」
くら・くら・ゆかちゃん
☆木管四重奏ロッシーニ作曲「木管四重奏曲 弟4番」
佐々木宏(fl)、森亜矢子(cl)、西舘ゆかり(fg)、畑澤巧(hr)
☆ビオラカルテットJSバッハ作曲
「主よ、人の望みよ、喜びを」
小原学、橋本、佐藤俊樹、成田浩
☆弦楽合奏バッハ作曲「管弦楽組曲弟3番より アリア」
チャイコフスキー作曲「弦楽セレナーデ 作品48 弟3楽章」
           指揮: 畑村保裕
SFM&freiends strings 
Vn相川直子、大森久仁、大森彩加、武田浩、中村邦子
姫野千世子、宮野ゆかり
va小原学、佐藤俊樹、中安貴子、橋本則行
vc安保尊、佐々木松子、松尾真里、民部田里美
cb高橋友佳子


 今回はやはり木管の良さを教えていただいたこと。


 木管楽器のうちフルートは昔は木で作られていたので木管の仲間になっていますが、今は金、銀、プラチナが用いられるよう。
バロック木管となると、
 ・梨(ペア pear) オーボエ
 ・楓(メープル maple) リコーダー/ファゴット
 ・黄楊(ボックス boxwood) リコーダー/トラベルソ/オーボエ/クラリネット
 ・黒檀(エボニー ebony) リコーダー/オーボエ/トラベルソ
 ・コーカス(cocus wood) トラベルソ
 ・グレナディラ(African blackwood) リコーダー/オーボエ/クラリネット
すべて硬材(ハードウッド hard wood)と呼ばれる広葉樹。 緻密で細密加工にすぐれ、比重の高いものは明瞭な音色を生み出します。
梨(ペア)、楓(メープル)、
ー材の説明は上記のURLからの転載ですー


ちょどいま以上のようなことに興味を持っていたので、これらの木立を想像しながら聴きました。このすべての樹木がどのような木であるか検索しているのですが、なかなかすがたをあらわしてくれない木もあります。
 余談を挟みましたが、
今回のコンサートに体調が悪く出席できない小6(ヴァイオリン)のお子さんがいらっしゃいました。休憩で紅茶をいただきながら、やはり聴きにいらしたご婦人に聞いたところによると、去年のエンジョイ・アンサンブルのときに非常に印象に残る演奏をしたお子さんだったということで、とても残念がっておられました。
 またこの時間帯の空白を埋めるために急遽演奏されたのがバッハの無伴奏チェロ組曲であり、チェロという楽器の奥深さというものを今回も聞かせていただきました。
 猫の耳を頭につけての「猫ふんじゃった」。衣装で華やぎをくれたタンゴ「ジェラシー」。
心に染みた「主よ、人の望みを…」。そして最後の弦楽合奏は威厳を持って重厚にせまってきました。カメラを携帯せず、この場面を撮ることができなかったのが残念です。きょうのこの幸いを感謝し、成田先生の奥様とたくさんお話しできたことにも感謝し、明るい気持でフェザン地下で買い物、再びでんでん虫で帰宅しました。
 もしかすれば自分の好きな曲を中心に書いているかもしれません。しかし聞き逃した曲は一つもなく、コンサートから遠ざかっていた心に、直接に楽器が奏でる滴を落としていただき、みな心を養う糧となったことには疑いがありません。ありがとうございました。

 いつもは9時か10時にPCを切り上げるのですが、きょうはいつもより時間オーバーしての一日の締めくくりとなりました。
      


 

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音楽の支援活動ー「朝日新聞に寺崎巌さんが載ってたよ」

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 もうそちこちで報道されていることなので、二番煎じ三番煎じとなりそうだが、昨日だったろうか、主人が、「朝日新聞に寺崎巌さんが載ってたよ」。わが家は朝日新聞ではない。図書館で読んできたものらしい。
 記事を読んでいない段階で書くというのもどんなものかと思うが、〈ひと〉欄だったようだ。寺崎先生は宮古市の故梅村功二先生にヴァイオリンを習っていた時期がある。或いはそのような伝統を受け継いでおられるものか、ここのところを単純な憶測で書くことは許されないだろうとも思う。
 震災後ずっと、被災地の演奏或いは楽器、ホールの修復などの支援を指揮しておられた。ご自分の教室、また数々の音楽活動をこなしながらの支援活動。岩手の音楽の復興のために駆動輪となって動いておられる。

 最近お付き合いさせて頂いている被災された方に20枚ばかりのCDをお貸ししたところ、たちどころに聴いてしまわれ、聴いているあいだだけでも心が慰められると、こんどはアルバムをご自分でお求めになった。私はこの方から音楽の持つ力を再認識する機会を得た。
 音楽の復興も急がれるべきと思う。疲れ切って活字を読むのは大変だというときでも、音楽はこのような言い方が許されるかどうか分からないが、疲れ切り、また病で労することが困難なときでも、容易に耳に届いてくれる。
 すこしばかりの義援金だけで、被災地に何かしたような顔はしていられないだろうと思い、被災地に瓦礫の撤去に行こうと思っていたところ、若干健康に不安要因を抱えてしまった。ならば炊飯にと思い申し込んでいたが、まだ声が掛かっていない。大したことはしていないなと申し訳なく思う次第である。

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「エンジョイ・アンサンブル(演奏会)」 シンフォニエッタ・盛岡ー20111027(土)マリオス小ホール13:~(終演16時半予定)

      ♪エンジョイ・アンサンブル♪
       シンフォニエッタ・盛岡
      (複数ユニットによる演奏会)
        マリオス小ホール
      2011/10/29(土)13:00 開演
        (終演16:30予定)
         入場 無料


   ということは、今週の土曜、しかも明後日なのです。

20111018_009 シンフォニエッタ・盛岡は、通常は室内オケとしてクラシッ
ク~ポップスなどを演奏していますが、年一回、団員+αで
様々なユニットを結成しアンサンブル発表を行っています。
途中休憩時にはお茶の提供もホワイエにて用意してくださ
います。お時間のあるときはどうぞいらしてみてください。

        【曲目】
      子供たちによる発表
「ほのかな恋」、「乙女の祈りり」、ヴァイオリン独奏
「ガヴォット(無伴奏チェロソナタより)」
親子合奏/「ガヴォット(組曲第3番より)」
ヴァイオリン独奏/ドヴォルザーク作曲「ユモレスク」

 
      大人の部
viola独奏/ベートーヴェン作曲
     「チェロソナタ第3番イ長調 3楽章」
oboe独奏/テレマン作曲「12のファンタジーより」
Duo/モーツァルト作曲「ソナタ k.292-1楽章」 
Duo/タンゴ「ジェラシー」 
Duo/「猫ふんじゃった」  
弦trio/リスト作曲「愛の夢」 
木管五重奏/「魔女の宅急便より ~晴れた日に
      旅立ち・仕事はじめ」

 
   ***休憩***お茶提供あり

Duo/イベール作曲「間奏曲」
   シオリス作曲「カルメメント」 
ギター独奏/Dilermando Rei作曲
       「Se Ela Perguntar」、他 
Duo/モーツァルト作曲
      「魔笛~Das Klingt、Ein Madchen」 
木管trio/モーツアルト作曲
   「ディベルティメント第1番変ロ長調から」
木管四重奏/ロッシーニ作曲「木管四重奏曲 第4番」 
ビオラカルテット/J.S.Bach作曲
   「主よ、人の望みよ、喜びを」
弦楽合奏/バッハ作曲「アリア」
 チャイコフスキー作曲
   「弦楽セレナーデ 作品48 第3楽章」


※このご案内はシンフォニアッタ・盛岡さんからコメント欄に頂戴
 したものを若干編
集させていただき、掲載してございます。

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私を見ている眼ざし

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  塀の樹木の枝が繁っているあいだに、教会の十字架が見える。わたしが所属している教会ではない。しかしわたしは自分の家の玄関に立ち、ふと見上げたときにそこに十字架が立っていることにほっとする。しばらく眺めることもある。
 いま中国では少なく見積もっても6000万人のクリスチャンがいるらしい。多くは1億とも言われているようだ。それはそれとして、たとえその人口が多かろうが少なかろうが、この十字架ほど不思議なものはない。

 私はいつかは十字架からは離れるのではないかと思っていた。離れかけたこともある。しかしついに離れなかった。怒ったり恨んだり嘆いたりもしたが、とうとう離れなかった。これはわたしの意志が強いわけではない。欠点も多くある。失言、やり過ぎ、逆にやるべきことを実行しないでしまったこともある。有言不実行だ。知恵、力に富んでいるわけでもない。

 他に先に書くべき事は多々あるのだが、なぜか写真をみているうちに、このように書いてしまった。

 私はいつも前方に十字架を眺めていたけれど、神は、十字架を眺めているその私を真上からご覧になっていた、そんな気がする。
 

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雑感ー何か書かねば。一回書かねば。ー

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  あれやこれやとやるべき事はたくさんあるのだが、やはり自分で自分に義務づけたことだけは、よほどの事情が無い限りはやらなければと思う。その一つに、日曜説教を起こすことがある。その次はお三度と洗濯。そして忘れてはならないのは家族の誕生日。この月には主人の誕生日があった。その次からの序列はその時々の都合で先になったり後になったりという具合。そんなわけで庭の草は伸び放題になっていたが、こんどはそれが立ち枯れてきている。たまには鎌や植木鋏で刈り取ったりもしたのだが、とうとう草の勢いに負けてしまった。

 小説の原稿は締め切りがないとなかなかエンジンがかからない。今年は東日本大震災があり、5月には舅が他界し、遠隔地に住む義姉の家が台風12号のとき、隣家の瓦が飛んできたために大きな被害を被ってしまった。葬儀ばかりではなく、やはり災害による経済的な、心理的な影響を強く受けている。実際小説に本格的に取り組むという心境にはなかなかなれなかった。出来の良い同人ではないが、どうやらことしも除籍になってはいないようだ。従って締め切りはやはりある。

 ブログは夏頃までは夜の10~12時のあいだに書いていた。ずっとそうだった。しかしここのところ夜更かしは禁物となった。健康を維持するためには早寝早起きが良い。実行している。
といったところで22時9分。ということは最早ここまで。尻切れとんぼでも最早ここまで。

 

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きょうのことばー『インマヌエル教会とは』ー教団創立記念礼拝ーその2

※前ページのつづきとなっております。

残るしばらくのとき、ではなぜこのような働きを新たに始める必要があったのか、このイムマヌエル綜合伝道団にいるものとして考えさせられました。

一つは、紛れもない一つの大きな動機は、蔦田二雄先生が、とてつもない試練に遭ったということです。治安維持法違反で検挙され、家族と離れ、教会と離れて独房生活を強いられた2年間があった。やはり私たちも人生に於いて、理不尽で不可解な試練に直面することがある。直面したときに、どういう生き方でそれに出遭い、それを越えていくか、そこに大きな意味があると思うことです。

最近よくマスコミなどで取上げられている日野原重明先生は100歳。現在も聖路加病院に勤務するすばらしいクリスチャンです。この先生は、1970年に共産主義者同盟赤軍派がハイジャックした日本航空便よど号の人質の中におられた。無事生還してから先生は仰いました。「あのときで私の命は終わっていても不思議ではなかった。でも、今こうして生かされている。こんどはほんとうに今までとは違った生き方をしなければばならない」と。そして今日のように、大きな意味のある働きをしておられます。

また聖書に舞台をもどしますが、聖書の中にもそういう理不尽な苦しみの中にあい、神さまに泣きながらなぜかと食らいついている人のすがたがある。ハバククという預言者がそうです。「たしかに我が同族は神さまのまえに不忠実であった。だから神様からお叱りを受けることは頷くけれども、しかし、分からないのは、なぜ私の民が、私たちよりも遙かに悪辣な異教の国に蹂躙されなければならないのか」、彼はこのことが納得できなかった。。そのとき、神様はハバククに、「正しい人はその信仰によって生きる」(ハバクク2:4)「もしおそくなっても、それを待て。それは必ず来る。遅れることはない」(ハバクク2:3)と仰いました。実はこの御聖言こそ時代を超えて、宗教改革の先駆マルチン・ルターに、或いはメソジスト運動の先駆ジョン・ウェスレーに働いた御聖言であったのです。

私たちも311という途轍もない試練を経験しました。ほんとうに理不尽です。では私たちはこれにどのように向き合い乗り越えていったらいいのか。どのように越えるべきなのか。一人ひとりに、311という事実が突きつけられ、また膨大な記録が残されております。それはそれなりに意味のあることですが、問題は、私がそれをどう越えるかということなのです。社会全体がというよりも、その理不尽な出来事に直面した私がそれをどう越えていくか。ハバククもそうでした。そして広島の原爆に直面した長谷川先生方もそうでした。震源地の近くにいながら助かった自分が、じゃ、これからどう生きればいいのか。あの迫害と戦後の混乱の中で直面したときに、自分がこれをどのように越えて受けとめていったらいいのか、これはもう、ほんとうにハイジャックで人質となった日野原先生もそうです。何故かはわからない理不尽さに直面しながらも越えていく。

 

蔦田先生が拘置所で先ず行ったのは反省でした。これまでのキリスト教会の在り方は一体何だったのか。独房の中で非常に大きな反省を強いられたのでした。それは従来の日本の教会には、福音における対等性と私は敢て申し上げますが、それが無かった。このことを簡単にお話しして締め括りたいと思うのですが。

福音に於ける対等性。つまり、図式的に簡単に言えば、当時は、先進国と言われている欧米の宣教師たちが、後進国の日本に福音を携えてきた。そして貧しい者たちに豊かな物を与え、またミッションスクールの建設をするなど、そういった福祉的なこともしながら伝道を行った。それはいいことです。いいことですけれども、しかし非常に微妙な表現ですが、事実として、先進国から後進国に宣教師がやってきて日本に福音を伝えた。だからいつの間にか日本のキリスト教会は欧米、アメリカ、ドイツ、ノルウェイといった国々から支援を受けるのは当然、向こうが宣教してきたのだから、財政面でも人材的な面でも支援を受けるのが当たり前のように違和感もなくそれを受けていた。明治以来被宣教国であった教会の脆弱性です。それに対して、非常に深刻な反省をもってスタートしたのがイムマヌエル教団であることを申し上げたい。蔦田先生はイムマヌエルの働きを始めるときにそれを強く感じておられた。福音に於いてわれらは全く対等だ。欧米の方が進んでいて我らが遅れているということはない。福音というものはすべての人類に対してまったく同等でなければならない。ただ、私たちが忘れてはならないことは、どれほど欧米の宣教師たちに多くの斯業を受けているか、財的な犠牲を受けているか、もうこのことは謙ってよく心に留め感謝の思いを持つこと、それは当然です。そのことさえも、否定するような傲慢なありかたは決してあってはならない。

イムマヌエルがアメリカのウェスレアン教会と連盟関係をもったときに、さきほどの例でいうなら、アメリカのウェスレアン教会は日本のイムマヌエル教会をウェスレアンの世界の働きの中の日本の宣教の一つの結果としてイムマヌエル綜合伝道団を位置づけようといった意識を持ってしまう。そのときに我々が見識として持っていたのは、私たちはそういう連盟には絶対に加盟しない。日本に於ける福音の働きのために連携するとすれば、アメリカのウェスレアン教会、日本のウェスレアン教会、日本のイムマヌエル綜合伝道団のあいだは、全くフィフティ・フィフティの関係で日本に於ける活動を展開していきたい。そういう理解のもとに、イムマヌエル、ウェスレアン連盟を発足させるのならば、これは、大賛成だというのが蔦田先生の意識だった。当時のアメリカのウェスレアンのニコルソン博士は、「それそれ、それなんだ。私たちが他の国と連携していくときに、こちらが与えてやる側、向こうが受ける側というような形であるのは、それはほんとうではない。だが、日本のイムマヌエルは、そういう形で私たちと向き合ってくれた」とこのように語っている。アメリカのウェスレアンは体の大きさで言うなら象かもしれない。私たちは犬ぐらいだろうか。しかし連盟としての立場はフィフティ・フィフティなのだ。日本の教会に欠けていたのはこれである。イムマヌエルの歴史を見ましたときに、ここに、この教団の特色が有ると思いました。そして、これを私たちがしっかりと理解をしていきましたなら、たとえばテヌウェク病院への支援も、させていただくと言うことができると思うのです。  

向こうが貧しいから、こちらが優位だからしてあげるのではない。ほんとうに福音のために私たちが協力をさせていただく、そのために私たちの心は世界に開かれていく。来週はパプア・ニューギニアに日本から宣教師としてイムマヌエルから送られた初めての器である相原先生がいらっしゃいます。今朝ほどメールが届きました。「いま名古屋に来ています。家内は金曜日に羽田に着きます。そして土曜日には盛岡に行きます。こんどの23日皆さま方にお会いできるのを楽しみにしています」というメールが届きました。私も、お待ちしています。祈っていますとお返事をさせていただきました。

このようにイムマヌエルから宣教師が送られることが何を意味するのか。今まで日本は宣教師を受け入れていたのです。しかしいつまでもそうであってはならない。日本から宣教師を送り出すようにならなくてはいけない。どうぞその意味あいを持っていただきたいと思うのです。

きょうは聖書の講開という形ではない礼拝となってしまいましたがお許しください。さいごに、第二テモテ417節、これは、パウロが殉教を目前にしているときに、彼が書いた最期のことばですが、みなさんでお読みしましょう。

17 しかし、主は、私とともに立ち、私に力を与えてくださいました。それは、私を通してみことばが余すところなく宣べ伝えられ、すべての国の人々がみことばを聞くようになるためでした。私は獅子の口から助け出されました。

「神我らとともに在す」

このお方によって、どうぞ一人一人が、なぜと思うようなところに直面したときに、この御聖言によって乗り越えさせていただき、意味のある人生としていただきたいと心から願うことであります。

文責:中ぶんな  1時間の説教を簡略に編集してございます。

 

 

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きょうのことばー『インマヌエル教会とは』ー教団創立記念礼拝ーその1

2011年10月16日(日)のインマヌエル盛岡キリスト教会(電話019-646-2924)國光勝美牧師の説教をお伝えいたします。

              

 創立者 蔦田二雄 牧師

説教題 『インマヌエル教会とは』ー教団創立記念礼拝

聖書箇所 弟二テモテ4章17 

17 しかし、主は、私とともに立ち、私に力を与えてくださいました。それは、私を通してみことばが余すところなく宣べ伝えられ、すべての国の人々がみことばを聞くようになるためでした。私は獅子の口から助け出されました。

 きのうはバザーが行われました。アフリカのテヌウェック病院に包帯を送るために去年から始まり、今年はその弟2回目でした。皆さん方の祈りの中に準備が進められて、当初の目的が果たされたように思います。近所の方々のご協力もいただき、また初めての方々も含めましてたくさんの方々においでいただきました。感謝に存じます。

きょうこの教会では教団創立記念礼拝を持たせていただいております。全国のインマヌエルの教会(全国に120の教会があります)は、きょうの日曜か或いは次の日曜のどちらかの日曜日を教団創立記念礼拝として守ることになっております。

先週の月曜、火曜日、この教団の東北教区から10の教会が集まり、秋からクリスマス、来年の4月までのひと冬を越えるプランを語り祈り合う会議がありました。連携したわけではありませんが、どうもほとんどの教会が23日の日曜日に特別集会を持つことになっているようです。青森教会は大滝昭子先生を、大湊教会は河村襄先生を、秋田教会は河村従彦先生を、郡山教会は須郷裕介先生を、そしてこの盛岡教会はアメリカから相原雄二先生ご夫妻をお招きしての特別集会を予定しております。そこで東北教区のほとんどの教会は、きょう教団創立記念日を持っておられるのではないかと、このように思っております。

 

イムマヌエル綜合伝道団の創立記念日は1021日と記されております。私なりに、教団の創立を何時にするのか、何をもって教団創立とするのか興味あるところです。

それでは、昭和201021日に何があったのかということからお話しします。

昭和20年8月広島長崎に原爆が投下され、日本は敗戦しました。広島には双子のクリスチャンである長谷川正子、元子両姉妹がおりました。正子は婦人科医師。元子は伝道師でした。爆心地近くにおりましたが不思議なことに守られ、岡山県新見市の野馳に住む、遠縁にあたる横田宅に疎開しました。真珠湾攻撃に参加したあの横田艦長の実家であるといいます。   

蔦田先生は、戦時中、治安維持法違反で2年を留置所に過ごし、裁判の書類が大空襲で焼失したため未決囚のまま釈放されました。新しい教団創設のビジョンに燃えながらも、拘置所内で口をきくことを禁じられなどし、声もうまくだせないほどに衰弱がひどく、周囲から療養を強く勧められ、この横田家に身を寄せています。

蔦田先生は独房で、このようなところにも神が確かに共にいてくださることを確信し、もし出獄することができたときには、「神我らと共にいます」、これは聖書ではインマヌエル即ちイエスさまのお名前なのですが、この「イムマヌエル」という名前を頂戴して教団を建てようと決心していたのです。このビジョンを持ちながら、水害で交通機関もままならず切符の入手も困難であった中を、東京から4日をかけて野馳という田舎にたどり着きました。そこに身を寄せていた長谷川さん方も、この助かった命、これからの人生をすべて主に捧げて、これからは福音のために生きようとの思いと蔦田先生の思いが一つとなり、201021日の深夜にまで亘って祈りのときが持たれました。その祈りの中で「このときだ」という促しがあったといいます。正確に言うと21日の日曜日の夜から祈り始めて22日の月曜日の未明に一つの決断がなされたのでした。

総軍日誌を見ますと、どうもイムマヌエルという名前は心に秘めて行っている。その祈りの中で、長谷川先生方の病院の働きを関東、東京方面で行うという方針を立てました。人一人が移動するのも困難だったときに、いったい荷物をどんな方法で運ぶのか。日誌によると、マッカーサーの秘書をしている方の関係の荷物と一緒に長谷川先生方の荷物も東京の船橋に送ることになったとあります。それも非常に不思議な神様の摂理であると記されておりました。神様の御心は一体どういう事なのかと思うときに、閉ざされていたものが不思議なように開かれるということで、導きがなされることをよく私たちは経験するのですが、恐らく長谷川先生方にとっても、不可能と思えた荷物の搬送に便宜を得たことで導きを得心したでしょうし、また蔦田先生としても、祈りの中に、いま立つべしと言う思いでしたでしょう。そしてその名を「イムマヌエル」と付させていただきたいという思いが一致したのもこのときであると創設者は日誌に回顧しております。ですから、イムマヌエル綜合伝道団という働きが始まったのは何時かというならば、昭和201021日をもってそのときとするのは非常に意味のあることです。

船橋における、翌年の313日未明のことをお話しします。

昭和21年の正月に、蔦田先生が決意表明文を関係する方々に出しております。そしてこれまでの他教会とのいきさつをすべて離れて、この祖国のために新たな働きを進めていく上での賛同者を募り、その思いを一つにする方は、このところに連絡をお願いしますという、謂わば決起文を送っている。それが1月です。そしてそれに応じた大橋武雄、村松導男、山本岩次郎、川口始、朝比奈寛といった有志の器方が船橋に集い、3月に連続した祈りを持ち、医務部に加えて新たに伝道部を発足させている。綜合という名前にしたのは、そういった歴史的な背景があります。

船橋に長谷川先生方が産婦人科であるインマヌエル医院を開いたのが始まりであり、蔦田先生のビジョンの中には、何もないこのときに、医療の面に於いても、農耕という面においても、自給自足で何とかやっていかなければならないということがあった。農耕部には先生を慕って来られた渡辺倉造勧士或いは八木薫先生という方々が入植されたりしました。そのころの蔦田先生のビジョンには、教育の事も病院のことも含め、農耕も含め総合的に日本に貢献する働きをしたいという思いがあったようです。それで名前とすればイムマヌエル綜合伝道団という名前になりました。勿論その後もイムマヌエル医院は続いていたのですが、中心となるのは伝道部、313日に発足した伝道部が母体となっていたのです。

             ―次ページにつづくー

 

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「聖書の教える幸福」講師 相原雄二先生 ー2011/10/23(日)10:30~インマヌエル盛岡キリスト教会ー

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 インマヌエル綜合伝道団から初の宣教師としてパプア・ニューギニアに派遣された先生です。
艱難辛苦の中を通りながら18年間奉仕を続け、ついに現地教会を自給、自治の教会へと導きました。

 昼食会もございます。お気軽にご参加ください。

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飛翔

  アゲハチョウの脱皮、羽化などはめずらしくもない。そんなことは知ってる。もう小学校で卒業だ。そう思っていた。ところが、ところが。

 このクロアゲハが我家にやってきたのは9月8日、体がまだ黒と白の斑の3齢幼虫ほどのときだった。それが9月13日に緑色の終齢幼虫に脱皮。9月21日に前蛹(まだ体は緑色)となり9月24日茶色の蛹となり、羽化は冬になる前か来春かと思っていたところ、昨日、今日の陽気に生命力が大いに活性化、躍動し、本日朝のうちに羽化。それは実に不思議な光景でした。

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 来客があり、残念ながら蛹から出る瞬間を観ることはできませんでしたが、上の写真のような小さな蛹から下のようなクロアゲハが出現。大きな羽はいったいどのように折りたたまれ、或いは縮められて内蔵されていたものでしょうか。空をとびかけることのできる魔法の羽がこの小さな体の中にじっとじっと羽ばたけるその日を待っていたのです。

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 脱皮して2時間ぐらいは箱の中にいたでしょうか、蓋をしていた網を除けると、上の方に上ってきました。旅立とうとしています。

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 何度かウォーミングアップしていましたが、次の瞬間には、信じられないほどのスピードで5㍍高さの木の枝に舞い上がり停まりました。なかなか動かないと観ているうちに

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 さっと消えたクロアゲハ。しばらくしてから塀の外に出てみると、膝丈ほどに咲く花に下りたって、花の蜜を、まるで命そのものが全身で吸っているかに、それこそ風に煽られ大きく揺れながらもしっかりと花の蜜を吸っておりました。

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 そして再び舞い上がり、高く高く、それこそ25メートルは晴天に広がる空中をとびかけ、視界から速やかに消えてゆきました。

 グレープフルーツの木に産み付けられてから、その葉っぱや、途中ではサンショウの葉っぱをふんだんに食べつづけ、そして、まるで黙想、座禅のような蛹となり、約ひと月で、大空に舞い上がっていったのです。不思議でなりません。軽いチリならば、すこし風が吹けば浮上もするでしょう。あの蛹には、タービンが回転する音はしなかったのです。まったく音もたてずに、節目節目に体の形を変えて、そしてついには音もたてずに、実に速やかに鮮やかに空中に飛び立ってゆく。青空の下を縦横に駆けている。これはほんとうに不思議です。

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紫式部が実は小紫

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 わたしは長いあいだ、これを紫式部(実紫)だと思いこんでいた。この実がなるたびに、人さまにもそう伝えたことがあったような気がする。しかし、いま念のためにと検索してみると、小紫であることが分かった。いまもし検索してみなかったなら、私はこれを一生のあいだ紫式部だと思い続けたに違いない。
 こんなことがもっとたくさんあるような気がしてきた。動植物の名前に限らず、誤った認識による思い込みということも含めて。花や蝶の名ならば、図鑑が教えてくれる。検索で出てくる。しかし認識違い、それが人柄などの思い違いであったならこれは大変に失礼なことになってしまう場合もあるだろう。このようなことで確信がもてないことも幾つかはある。できるだけ良い解釈をするようにすれば間違いが少なくて済むかも知れない。

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夕焼け

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 あの日の夕焼けも、ちょうどこんなふうだった。私は写真を撮ろうとして外に走り出て、近所の子どもたちと、「きれいだね」「きれいだね」とことばを交しながらさかんにシャッターを切っていた。そこに出てこられたのがあの方だった。その方も「きれいですね」と傍に立って一緒に共感してくださった。「きのうはもっときれいでしたよ」とも仰った。ことば数は少なかったけれども、あたたかい人柄が感じられた。
 東日本大震災。多くの方々が津波の犠牲となられたとき、その惨状には胸を抉られた。誰もが涙したときだった。後になって、この方も津波に浚われ犠牲となられた事を知り、顔を存じ上げている方では初めてだったので、私は欝のような心境に見舞われていた。
 縁あっていまその方のお母さんとお付き合いさせていただいている。「今時の娘のようではなかった。ほんとうに思い遣りのある娘だった」と仰っている。たしかにそのようにお見受けした。こんないい方がなぜ? それは分からない。ほんとうに分からない。このパラドックスは、この世にあるあいだは永遠に謎と思うしかないのかもしれない。
 

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フォトー秋晴れの庭ー

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「聖書の教える幸福」講師 相原雄二先生 ー2011/10/23(日)10:30~インマヌエル盛岡キリスト教会ー

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相原雄二師は、インマヌエル教団の任命により、大阪、水戸、名古屋、仙台で14年間にわたり奉仕をされ、1976年4月、パプアニューギニアに日本より初めての宣教師として(3幼児を伴った五人家族で)派遣された。
その後18年間にわたり、同国で奉仕。第一期には、未開の高地で、ウエスレアン教会の現地人牧師の教育や、巡回説教に当たる。
第二期以降は、同国第二の町であるラエ市で、ニューギニア人の教会の開拓伝道。教会が、土地、会堂を獲得し、現地人信仰者による「自給・自治の教会」と成長した段階で、次の奉仕地として、現在地のカルフォルニアのオレンジ郡に導かれ、現在に至る。(「SCCR創始者:相原雄二牧師」より転載)

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きょうのことばー『イエス・キリストのご生涯』ー伝道月間ー その2

※前ページからのつづきとなっております。

イエスさまは、バプテスマのヨハネから洗礼を受けるためにガリラヤからヨルダンにお着きになりました。バプテスマのヨハネはそうさせまいとして、私こそあなたさまから洗礼を授けていただかねばならないものですと言ったのです。しかしイエスさまは、バプテスマのヨハネよ、あなたの使命を果たすためには、あなたは私に洗礼を授けねばならないし、私もあなたから洗礼を受けねばならないと仰った。これは、イエスさまのご生涯を私たちが理解するうえに、とても大切な鍵なのです。つまり、乙女マリアから罪のないお方としてこの地上に来られたイエスさまが、罪人が罪をきよめるために受ける洗礼を受ける意味、それはイエスさま御自身が公に罪あるものとしての立場をお取りになったということ、私たち罪人の身代わりとして立つべき大切なステップをこのときにお取りくださったということなのです。これはとても大切なことです。十字架の贖いに向かっての一歩を踏み出してくださった。イエスさまが、ヨハネから洗礼を受けられたときに天が開けたとマタイ3章16節にあります。これがどれほどに大きな意味があることかがわかります。天が開け神の御霊が鳩のようにくだって、ご自分の上に来られるのをご覧になった、また天からこう告げる声が聞こえた。「これはわたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。」

イエスさまがいま悪魔の業をこぼつための一歩を踏みだされたことを、悪魔は身震いするほどよくわかったのです。悪魔も引いてはおりません。このまま捨て置かじとばかりにイエスさまを荒野で誘惑しましたところが、マタイ伝弟4章になるわけです。悪魔は何とかこの十字架をイエスさまの目的から外そうとします。神の子なら、人々がいちばん願っているのは、富の平等、また貧困のない世界だろう、神の子なら今その力を発揮したらどうだ、石をパンに変えてご覧。みんながあなたを王としてくれる。人々が願うところは、巨大な支配者ローマからの解放だろう、奇蹟をみんなの前で見せてご覧。あなたはアブラハム以来の神に選ばれた民が斯く貶められているところからの見事な救い主、今のモーセとしてまさにローマのくびきから解放してくれるメシヤとしてあなたはいま立つべきなのだ。さあ、その力を使いたまえ。このように悪魔がもっとも恐れている十字架の使命からイエスさまを外そうと全力を尽くして誘惑をします。しかし、イエスさまは、御聖言には神を試すというようなことは書いていない、悪魔よ退けと撃退。しかし悪魔はそれでも手を替え品を替えてやってくる。これがイエスさまの誘惑という大きな出来事でありました。

それから後私たちは、十字架の出来事に至りますまで聖書に多くの奇蹟が書かれていることを見ます。死人のよみがえりは最たるものですし、ガリラヤの湖の嵐をしずめ、或いはその湖の上を歩きたもうところの奇蹟、それこそ5000人の施食などなど、そして何よりもマタイのところを見ますと、「幸いなるかな心のきよき人、その人は神を見る」というように、神の国の教えについて主はねんごろに、権威あるものとして語られました。つまり、それから十字架にいたるまでのあいだに奇蹟を行って、自らがまさに旧約聖書が預言しているところのメシアであることを人々の前に証しされたこと。それから人々に神の国について権威をもって語られた事、それからもう一つは後継者であるお弟子さんたちを選んで訓練されたということも、それから後のイエスさまのご生涯を見るとき、私たちは心に留めるべきことでありましょう。その奇蹟を取っても、教えを一つ取っても、弟子たちの訓練一つを取っても、それはみんな大きな意味のあるイエスさまのご生涯のできごとであるからこそ聖書の中に記されていることでございます。

イエスさまのご生涯をざっくりと捉えようとするときに、私たちが忘れてはならないこと、決して抜かしてはならないのはあの変貌山のできごとです。そしてその変貌山の大切な準備のように、ペテロの信仰告白がございます。つまりイエスさまは弟子たちを訓練しますが、ここでイエスさまは弟子の訓練としての一つの試験をします。何処まで分かっているのかな、この弟子たちは。人々は私のことを何というのか。バプテスマのヨハネが甦っただとか或いはエリヤだとか、色々言っているけれども、あなたはどういうのかと質したときに、ペテロが、「あなたはキリスト活ける神の子である」、このように告白しそしてイエスさまが、それを良しとし、そしてそれをしっかり弟子たちに捉えさせる。それから、お弟子さんたちをヘルモン山に連れて行き、そこでイエスさまは弟子たちの見ている前で姿がわりをされた。そのときに、モーセとエリヤが栄光の雲の中から現れてイエスさまと語り合った。モーセは律法を象徴する人物でありますし、エリヤというのは、旧約の預言者を代表する人物と見ることができるでしょう。つまり、モーセとエリヤが雲のうちに現れ、変貌のイエスさまをご覧になったとき、そしてこれからエルサレムで遂げようとする聖書のことについて語られたのです。つまり、旧約聖書はあげてイエスさまのご生涯の目的は十字架なのだということを意味している。弟子たちはそのとき残念ながら異常な眠気に襲われ、とんちんかんなことも言ったのですけれども、しかし、それはペテロにとっては生涯忘れることのない出来事として自分のお手紙の中に、わたしはそれを目の当たりにしたのだと書いています。それから後イエスさまは、御顔をエルサレムに向けてひたすらに十字架の道を進んでいかれました。その中に最後の晩餐があったり、ゲッセマネがあっらり、色々なことがありますけれども、ざっくりとイエスさまのご生涯を見るとき、まさにイエスさまの生涯は十字架に向かっての生涯であったということを私たちは決して忘れてはなりません。そしてその十字架の後、イエスさまはご自分がよみがえられたこと、しかもこれは、聖書が言っているとおりに三日後に主は決して罪の中に、死に征服されている方ではなく、むしろ死を征服し、「我生くれば汝等も生くべければなり」と、イエスさまはよみがえりの証しを私たちにはっきりと見せてくださった。決してこれは単なるお話しではない。まさにクリスマスとして人の世界に肉体をもっておいでくださったお方。肉体をもってよみがえってくださった。そして、イエスさまの十字架の贖いのほんとうの完成は、主は王の王、主の主として、もういちどこの世においでくださったときに、キリストにあって眠れる死人が先ずよみがえる。栄光のからだによみがえる。神の御子はこのように大きな恵みを、力を、救いを私たちにあらわしてくださるときに、私たちも信じている福音、救いというのは、そこまですべてのことが成し遂げられているのだ、これがイエスさまの福音、十字架なのだということを覚えていただきたいのです。

さきほど司会者にお読みいただいたのは使徒の働きの10章でございました。もうこれは締めくくりのときでございますが、ローマの百人隊長であるコルネリオというひとりの人物が主要な役割を果たします。彼は異邦人でありましたけれども、ユダヤの教えに深く感動し、彼なりの光の中に忠実に歩んでおりましたときに、夢の中に、「ペテロという人物を呼びなさい。そうすればあなたが聞かねばならないことを教えてくれるから」という導きを得ました。ペテロはペテロで、祈りの時にうとうとしておりました。ちょうどそのとき夢の中に、旧約聖書の中で食べると汚れるといわれている動物が出てきました。それまでペテロが口にしたことがないようなものです。神さまはそれを食べなさいと仰る。とんでもありません。神さまが禁じているものをとても食べることはできませんとペテロ。食べなさい、神がきよめた物をきよくないと言ってはならないと神さま。そんなことがあった。おかしい何の夢なのだろうと思っているときに、コルネリオの使いの者がやってきて、私の主人があなたさまのお話を是非聞くようにとわたしを遣わしましたという。ペテロは不審に思いながら出かけました。これが使徒の働きの101節からの概略ですが、ここで32節からをご覧ください。

32 それで、ヨッパに人をやってシモンを招きなさい。彼の名はペテロとも呼ばれている。この人は海べにある、皮なめしのシモンの家に泊まっている。』
33
それで、私はすぐあなたのところへ人を送ったのですが、よくおいでくださいました。いま私たちは、主があなたにお命じになったすべてのことを伺おうとして、みな神の御前に出ております。」
34
そこでペテロは、口を開いてこう言った。「これで私は、はっきりわかりました。神はかたよったことをなさらず、
35
どの国の人であっても、神を恐れかしこみ、正義を行う人なら、神に受け入れられるのです。
36
神はイエス・キリストによって、平和を宣べ伝え、イスラエルの子孫にみことばをお送りになりました。このイエス・キリストはすべての人の主です。
37
あなたがたは、ヨハネが宣べ伝えたバプテスマの後、ガリラヤから始まって、ユダヤ全土に起こった事がらを、よくご存じです。
38
それは、ナザレのイエスのことです。神はこの方に聖霊と力を注がれました。このイエスは、神がともにおられたので、巡り歩いて良いわざをなし、また悪魔に制せられているすべての者をいやされました。
39
私たちは、イエスがユダヤ人の地とエルサレムとで行われたすべてのことの証人です。人々はこの方を木にかけて殺しました。
40
しかし、神はこのイエスを三日目によみがえらせ、現れさせてくださいました。
41
しかし、それはすべての人々にではなく、神によって前もって選ばれた証人である私たちにです。私たちは、イエスが死者の中からよみがえられて後、ごいっしょに食事をしました。」

10月の伝道月間にことしも入りました。私たちは、このイエスさまのことを知っているものたちです。コルネリオのようにかつてはアブラハムの祝福に遠く離れていた輩でありましたけれども、総ての人に平等に与えられる福音の恵みを私たちは受け、このような救いの中に入れられております。いま私たちが成すべき事はなんでしょうか。それはまだこのお方を知らない方方にお伝えすることではないでしょうか。この前も、屋根裏部屋のことをお話ししました。一枚のチラシ、やはり私は捨てられない人間なのかもしれませんで、残っていました。ダビッド・マーチン先生のあのときのチラシです。ああこれによって私はキリストとの出会いをさせていただいた、このお方との出会いをさせていただいた、そう思いを新たにしたことです。どうかチラシが用いられますように、これがイエスさまとの出会いのきっかけとなりますように。

あの初代総理が、あの三本木にほんとうに夜行に乗り寒いところにというように書いてありましたが、何回も何回も行っているのです。それはいつにかかって、この福音をのべ伝える使命に押されてのことだったのです。

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きょうのことばー『イエス・キリストのご生涯』ー伝道月間ー その1

 2011年10月9日、インマヌエル盛岡キリスト教会(019-646-2924)國光勝美牧師の説教をお伝えいたします。

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バザーでテヌウェク病院支援を来場の方々に紹介(週報掲載写真より)

説教 『イエス・キリストのご生涯』

 

聖書箇所 使徒の働き103443

34 そこでペテロは、口を開いてこう言った。『これで私は、はっきりわかりました。神はかたよったことをなさらず、35 どの国の人であっても、神を恐れかしこみ、正義を行う人なら、神に受け入れられるのです。36 神はイエス・キリストによって、平和を宣べ伝え、イスラエルの子孫にみことばをお送りになりました。このイエス・キリストはすべての人の主です。37 あなたがたは、ヨハネが宣べ伝えたバプテスマの後、ガリラヤから始まって、ユダヤ全土に起こった事がらを、よくご存じです。38 それは、ナザレのイエスのことです。神はこの方に聖霊と力を注がれました。このイエスは、神がともにおられたので、巡り歩いて良いわざをなし、また悪魔に制せられているすべての者をいやされました。39 私たちは、イエスがユダヤ人の地とエルサレムとで行われたすべてのことの証人です。人々はこの方を木にかけて殺しました。40 しかし、神はこのイエスを三日目によみがえらせ、現れさせてくださいました。41 しかし、それはすべての人々にではなく、神によって前もって選ばれた証人である私たちにです。私たちは、イエスが死者の中からよみがえられて後、ごいっしょに食事をしました。42 イエスは私たちに命じて、このイエスこそ生きている者と死んだ者とのさばき主として、神によって定められた方であることを人々に宣べ伝え、そのあかしをするように、言われたのです。43 イエスについては、預言者たちもみな、この方を信じる者はだれでも、その名によって罪の赦しが受けられる、とあかししています。』

 

先週は十和田教会の御用で不在のため、ひろ子牧師がご用をいたしましたが、主が豊かに恵んでくださり、弟一週によい時が持たれたことを知りまして、心から感謝をしているところでございます。

 10月は伝道月間であることを心に留め、この月の営みを主のみ前に展望してみますと、先ず今週の15日(土)には、昨年に引き続きチャリティーバザーが開かれることになっております。先ほども教会学校の時間に、有志の女性の方々がこの近くに案内を配ってくださっておりましたし、またご近所からも多くの品々をご協力いただいております。バザーの目的であるケニアのテヌウェク病院の支援、またご近所の方々とのよきコミュニケーションを持ちたいという願いにさまざまなお力添えがあり、この業がみな主から出た営みであることを思っております。

バザーの翌日の16日の聖日に、(全国のインマヌエルの教会でこのあたりの聖日にインマヌエル綜合伝道団の創立記念礼拝を守ることになっておりますが、)盛岡教会では教団創立記念礼拝を持ちます。

この礼拝のご用のために、初代代表である蔦田二雄先生が書き残した「総軍日誌」を読みました。教団創立前後から天に召されるまでが、全67巻の全集に纏められ刊行されております。2日に十和田教会に行ってまいりましたが、その日誌の中には十和田教会、当時は三本木教会と呼ばれておりましたが、その記述がございます。先生がこの地に持っておられたビジョンには、ほんとうに頭が下がりました。当時、本部は船橋でございました。上野駅で満員の夜行列車に乗ったこと、当時はSLの時代です。大変な旅であったでしょう。興味深いことは、その沿線の中に、花巻が、盛岡が、奥中山が、三沢が出てきます。三沢駅は、昔の古間木駅が改称されたものですが。三沢から十和田電鉄で三本木に行ったようですが、他に足を伸ばす余地は無かったとあります。それから帰りのことでは、新潟県長岡市のことも出てきました。蔦田先生という一人の器を通してこの群れの世界宣教、また祖国にたいする伝道が実現されていったことを目の当たりにした思いでした。こんどの創立記念礼拝が、そういった群れの始まりであることをしっかりと心に留めて、この伝道月間が実りあるときとなりますようにと思います。

その次の23日の聖日は相原雄二先生ご夫妻をお招きしての特別集会が予定されております。また11月の弟一週が昇天者記念礼拝ですので、相原先生の特集のご案内を加えて、昇天者された方々の関係者にご案内したいと思っております。

 またすこし余談にもなりますが、一昨日、マシェリの案内を見てバザーに行きたいという女性の方の問い合わせがありました。どうかこれらのすべてが10月の伝道月間に集約されて、ご一緒にこの月を走らせていただきたい、そんな思いを持っております。

私たちはイエスさまのご生涯というものにつて聖書から知っているものたちです。しかし、聖書は初めてだという方々にお話しをする場合に、そのポイントを知っておくことは必要です。イエスさまの一部分を詳しく学ぶことも大切なことですが、もっとざっくりとご生涯を捉えることができたならと思います。そうしますと、先ずイエスさまの誕生ということになります。聖書の預言通りに乙女マリヤからお生まれになりました。これは世の中の所謂偉人の誕生とは本質的にまったく違います。誕生についてはクリスマス毎に語られておりますので、きょうは割愛させていただきます。

さて、イエスさまが公の生涯に立たれるまで、どのような生立ちだったのでしょうか。実は、聖書の中にはこれに関する記述がほとんど無いのです。唯一ルカの福音書弟23章だけに少年時代のイエスさまが記されている。ルカ239節からをみますと、イエスさまがお宮に詣でて、シメオン、アンナの祝福を受けたことが書かれています。ルカ239

39 さて、彼らは主の律法による定めをすべて果たしたので、ガリラヤの自分たちの町ナザレに帰った。」

 とあります。ですから、イエスさまはベツレヘムで誕生なさいましたけれども、お育ちになったのは、都からはるかに離れたガリラヤ地方にあるナザレです。ここは決して鄙びた寒村というのではなく、当時のローマ帝国の軍隊が移動する道が交差しているといった要衝でした。何もない貧しい田舎であるというイメージとはようすが異なっていますが、しかし明らかに地方都市、当時のエルサレムから見ればはるかに田舎の方というのが正解でありましょう。そのナザレでイエスさまは成長なさいました。ルカ伝240

40 幼子は成長し、強くなり、知恵に満ちていった。神の恵みがその上にあった。41 さて、イエスの両親は、過越の祭りには毎年エルサレムに行った。42 イエスが十二歳になられたときも、両親は祭りの慣習に従って都へ上り、」

このときイエスさまは12歳。この少年時代のエピソードを51節から以下に見ますと、

「ナザレに帰って、両親に仕えられた。母はこれらのことをみな、心に留めておいた。
52
イエスはますます知恵が進み、背たけも大きくなり、神と人とに愛された。」

これが唯一イエスさまが、公生涯に立たれる前のエピソードとして聖書に記されている部分であることをひとつ心に留めておいてよろしいでしょう。

また、イエスさまの父ヨセフの記述がありません。イエスさまが誕生された後にもマリヤとヨセフの間に子どもが生まれているのですが、父親の死後、長男であるイエスさまがナザレで大工ヨセフの後を継いだのでしょう。「我がくびきは負いやすく」というイエスさまの御聖言があります。くびきは牛馬を操ために首の後ろに附けて自由を束縛する道具です。それで畑仕事などをしました。大工が得意なイエスさまは、もしかするとそれを動物が嫌がるようなくびきではなく、牛によくフィットし、牛が楽に歩けるようなくびきをお作りになったのかなといった想像もできますが、腕のいい大工として家計をマリヤを助けていたすがたを、この成長なさったイエスさまのおすがたに見ることができます。

イエスさまのご生涯をざっくりと見るときに、誕生、そしていよいよ聖書の中心的な部分である人々の前に伝道活動を始める公生涯として私たちの前に現れなさいます。これは、マタイ31節からにございますが簡略に致しますと、

「そのころ、バプテスマのヨハネという人物がヨルダン川で人々に悔い改めを迫り洗礼、バプテスマを授けていた。バプテスマのヨハネは言った。あなたたちはパリサイ人であろう、アブラハムの末であるなどといっているが、それは神の前に何ら価値のあるものではない。神に受け入れられるには、あなた方の罪を悔い改めなければならない。」

これは実はバプテスマのヨハネの大切な使命でありました。このバプテスマのヨハネが洗礼を授けていたときにイエスさまが現れなさいます。

13 さて、イエスは、ヨハネからバプテスマを受けるために、ガリラヤからヨルダンにお着きになり、ヨハネのところに来られた。14 しかし、ヨハネはイエスにそうさせまいとして、言った。「私こそ、あなたからバプテスマを受けるはずですのに、あなたが、私のところにおいでになるのですか。」15 ところが、イエスは答えて言われた。「今はそうさせてもらいたい。このようにして、すべての正しいことを実行するのは、わたしたちにふさわしいのです。」そこで、ヨハネは承知した。16 こうして、イエスはバプテスマを受けて、すぐに水から上がられた。すると、天が開け、神の御霊が鳩のように下って、自分の上に来られるのをご覧になった。

                            つづく

 

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チャリティーバザーに来場の方々に感謝

 アメージング・グレイス の尺八演奏が見つかった。即興で演奏しているという。これを聴きながらきょうのブログ書きを。

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 チラシでご紹介したアフリカのテヌウェク病院支援のチャリティバザーは成功に終わった。来ていただいた方々に快くご協力いただくことができた。
 ほとんどお手伝いできなかった私が透かさずに写真を撮るのも憚られる。それで写真はないけれども。しかし今となっては、やはりここにご紹介できないのが残念。牧師夫妻、姉妹方のアイデア・工夫、飾り付けの素晴らしさ。特にテヌウェク病院の紹介コーナーでは、現地での奉仕のようすが分かりやすい写真と説明付で紹介された。準備の全期間に亘って私が手伝うことが出来たのは昨日午後の2時間程度、そしてきょうの午前11時頃からだけだった。
 野菜・果物、パン、プリン、お団子、婦人服、子供服、日用雑貨、食器、鍋、電気ポット、タオル・寝具、CD、クリスマスリース。珍しいものとしては小型手動洗濯機までが登場。無料のコーヒーとカステラ。そして子どものコーナーも。午後3時に終了。全員で後片付けをし、夕方6時帰宅。
 ご近所から、また遠くからも来てくださった方々に心から感謝いたしました。お陰さまで、ほんとうに楽しく嬉しい1日となりました。

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第二回チャリティーバザー ーケニアのテヌウェク病院支援ー10/15〈土〉午後1:00~3:00 インマヌエル盛岡キリスト教会

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友だちの最新作ー大信田時子さん「青い帽子」ー

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書かなくなる習慣を恐れて

 いま三つのことがらを同時進行でやっている。15日前には終えなければならない。このうちの二つが終わらないうちは、今懸案の“創作”には入れない。こちらは間に合わない可能性もある。その場合のことも考えておかねばならない。何れこの二つに加え、これは天からの委託と思われる事柄も一つ並行してある。
 もう23時だが、あすは7時起きでもよい日となったので1時間延長。齢重ねるごとに忙しくなる。というよりも自分で忙しさを増殖させている。そんなわけで日々気にしながらも秋じまいや掃除が手薄に。近頃ほぼまともにこなしているのは食事の支度ぐらいのもの。友だちにもすっかり失礼してしまっている。ただ友だちには他にも友だちがいるので私が失礼しているあいだにも何ら困ることはないはずとは思っている。
 こう駄弁を連ねることに意味があるのかないのか。ただ何か、それこそ何でもひと言でも書かないでいると、自分はほんとうに何も書かないことが習慣化してしまうだろう。そんな危惧からキーの幾つかを打っている。

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天沼三津子 七宝ジュエリー展 XXⅣ11/1〈火〉~6(日)MORIKYU GALLERYー

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納得

  バッテリーのあがった車にキーを差しこみ回したときのように、何をブログに書こうかと発想の鍵穴にキーを差し回してみたのだが、一向にエンジンがかからない。こういった日には、ま、きょうはゆっくりお休みなさいよ、ということなのでしょうが、しかし、しかし、きょうお会いした婦人牧師方のおはなし、お顔がまだ心から消えない。それは、先生方が、ミッションを全うする途上でのこと。日野原重明先生がご自分に課せられたミッションを果たしつつ100歳の現在を歩んでおられるが、婦人牧師方もそれと同じく歩まれている。たとえそれを日野原先生のように大々的に報じられることがないとしても、日々淡々としかし日々熱く、日々熱心に歩んでおられる。

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 また深刻めいたはなし? 
いえいえ、たまたまスマップの中国公演がTV画面に踊ってましたから、こういったエンタティメントを成功させる舞台裏というのは、う~ん、なるほど、とそんな一コマも目にしたばかりで、そうそうしかつめらしくおるわけではないのですが。そんな場面を見た後にも尚消えないのが婦人牧師方のこと。目も頭も疲れ気味でも、核心部分がそのことによって寛ぎ、納得している。何を納得しているのか。見えないけれども在る。無いけれども有る。そんなパラドックスを納得。そんなわけで、少々疲れてはいるけれども、心は安んじている。具体的には言わないまでも、これも確かに天からの癒しのひとつ

 秋の気配が足音もなくきょうも庭先に。日増しに濃くなる樹影。しかしその影をつくる日差しはまだじゅうぶんに暖かい。燻銀の空をみあげる。

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きょうのことばー『私の耳を開かれる主』

日曜日には、日々の暮しの中で心の支えとなる、或いは物事を考えるうえで、ちょっとしたヒントともなればと願い、キリスト教会で毎週日曜日に行われる礼拝の説教を書かせていただいております。

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では、201110月2日のインマヌエル盛岡キリスト教会(電話019-646-2924)國光ひろ子牧師のメッセージです。

説教題『私の耳を開かれる主』

聖書箇所 詩篇40篇1~6(以下太文字は聖書からの引証です)

1 私は切なる思いで主を待ち望んだ。主は私の方に身を傾け、私の叫びを聞き、
2
私を滅びの穴から、泥沼から、引き上げてくださった。そして私の足を巌の上に置き、私の歩みを確かにされた。
3
主は、私の口に、新しい歌、われらの神への賛美を授けられた。多くの者は見、そして恐れ、主に信頼しよう。
4
幸いなことよ。主に信頼し、高ぶる者や、偽りに陥る者たちのほうに向かなかった、その人は。
5
わが神、主よ。あなたがなさった奇しいわざと、私たちへの御計りは、数も知れず、あなたに並ぶ者はありません。私が告げても、また語っても、それは多くて述べ尽くせません。
6
あなたは、いけにえや穀物のささげ物をお喜びにはなりませんでした。あなたは私の耳を開いてくださいました。あなたは、全焼のいけにえも、罪のためのいけにえも、お求めになりませんでした。

〈説教〉

きょうは主任牧師が十和田教会に行っておりますので、代って私が講壇に立たせていただいております。主牧の他出を、今回はいつもよりも差し迫ってから知りましたので、私が代理を務めることには戸惑いもございました。しかし、お祈りするうちに、神さまは私に一つの恵みを下さいましたので、それをお分かちしたく願っております。私は説教題を『私の耳を開いてください』としていたのですが、週報には、『私の耳を開かれる主』となっておりました。説教題として相応しいのは果たしてどちらでしょうか。  

題のことはさておき、「私の耳を開いてください」という御聖言(みことば)に相応しい聖書箇所を2つ与えられております。今日はどちらをと思い巡らしましたところ詩篇40篇にという示唆を受けました。詩篇408節は、今年、この教会に掲げられている御聖言でもあり、それだけにこの章は皆様により親しまれている筈です。

詩篇406節には「あなたは私の耳を開いてくださいました」とあります。「私の耳を開いてください」というお祈りの中でこの箇所を示され、神さまから一つの回答をいただいたように思いました。ならば、もう一つの御聖言は、と興味をお持ちの方があるかもしれません。それはイザヤ書5045節です。

4 神である主は、私に弟子の舌を与え、疲れた者をことばで励ますことを教え、朝ごとに、私を呼びさまし、私の耳を開かせて、私が弟子のように聞くようにされる。5 神である主は、私の耳を開かれた。私は逆らわず、うしろに退きもせず、

というこの箇所です。最初はこちらの方をと思っておりましたが、解りにくいところですし、それほど親しまれている箇所でもないので、詩篇40篇の方に致しました。

なぜ「私の耳を開いてください」という御聖言が与えられたかを証しとともに語らせていただきます。

最近、『後ろから語られることば』というメッセージを聞く機会がありました。これはいったいどういう事なのだろうという思いの中に、先ほどお読みしたイザヤ書5045節が思い出されたわけです。そのメッセージでは、私たちは厳しい試練に直面し、そのまっただ中を通ることがある。目の前にある状況にばかり気を取られているようなときに、神さまは後ろから声をかけ導いてくださると語られました。神の世界は私たちには見えない、私たちの後ろにあるとそのメッセンジャーは仰いました。たしかに神の世界は私たちには見えない。それと同じように私たちには後ろのことは分からない。後ろに対して如何に無防備であることか。私たちは往々にして、目の前にある状況に左右され、困ったり混乱したり慌てたりする。どうして良いか分からなくなる。けれども、そんなときにこそ神さまのお声を後ろに聞くことができる。神さまは後ろから語りかけて下さるお方であるというメッセージでした。そして、その時にイザヤ書3021節の

21 あなたが右に行くにも左に行くにも、あなたの耳はうしろから『これが道だ。これに歩め』と言うことばを聞く

この御聖言が開かれたのです。私はこの時、その後ろから聞こえることばを捉える者、それに気づく者、それを聞くことができる者にならせていただきたいと切に願ったことでした。またそのときに、神さまの導きというのは、時には後ろからではなく真っ正面から、もう誰にでも分かるようにどんどん導かれることがあることにも思い当たりました。エジプトを脱出したイスラエルの民が荒野を彷徨っているときには、いつも、昼は雲の柱が、そして夜は火の柱が彼らの前を進んだと出エジプト記13章に書かれております。イスラエルの民たちは旅にあるあいだ、いつも、雲が幕屋から上がったときに旅立った。雲が上がらないと上がるまで旅立たなかった。出発すべきときが一目瞭然だったわけです。そしてイスラエルの民たちは、それに忠実に従って進んでいきました。

私たちも、このように導かれたならどんなにいいでしょう。これは進めなのだ。これは留まれだな、これはこっちの道を行けということ。このように誰にでも分かったならどんなにいいだろうかと思いました。しかし、このように神さまがお導きになったのは、聖書でもこの部分にしかありません。また神さまは、イスラエルの民をいつまでもそのようにお導きになったわけではない。いつから雲の柱、火の柱が見えなくなったかは書いていませんが、イスラエルの民が旅を終えてカナンの地に入ったときには、もうありませんでした。その代わりに、預言者が立てられ、王様が立てられ指導がなされていきました。雲の柱、火の柱に導かれるような導かれ方に与りたいと思うのですが、いまの私たちにそれは当てはまらないと思っておりましたときに、イエスさまのあるたとえ話を思い起こしました。有名なヨハネ伝10章の羊のたとえ話です。

3 門番は彼のために開き、羊はその声を聞き分けます。彼は自分の羊をその名で呼んで連れ出します。4 彼は、自分の羊をみな引き出すと、その先頭に立って行きます。すると羊は、彼の声を知っているので、彼について行きます。

ここには声での神さまの導きが書かれています。羊は羊飼の声を聞き分ける。羊は他の人が声を掛けてもついて行きません。でも自分の主人である羊飼の声がするときには、そちらの方向にその跡をついていく。自分の牧者にだけついていくのです。そして、その羊がその羊の羊飼について行くならば、その先は必ず命、祝福につながっている。羊は羊飼の声を知っており、いつも関心をもって、すこしでも声がしたら、そちらの方に首尾を向ける。耳を傍立てて聞く。羊飼の側でも、その羊をよく知っていて、その羊がいちばんいいように導く。イエスさまはそのように仰っている。そのイエスさまのお声を、羊のように聞き分けることができたならどんなに幸いでしょうか。またここで注意すべきことは、声が聞こえるといって神秘的になることは、私たちは警戒しなければなりません。

声を聞き分けるということで、私は、いま一人の聖書中の人物を思い起こしました。それはパウロです。パウロは近くからステパノの凄惨な殉教を目撃しながら、その後も狂気のようにクリスチャンを迫害しますが、ダマスコに行く途中でイエスさまの声を聞いたことが使徒の働きの中の二箇所に書かれています。

一つは使徒の働き917

1 さてサウロは、なおも主の弟子たちに対する脅かしと殺害の意に燃えて、大祭司のところに行き、2 ダマスコの諸会堂あての手紙を書いてくれるよう頼んだ。それは、この道の者であれば男でも女でも、見つけ次第縛り上げてエルサレムに引いて来るためであった。3 ところが、道を進んで行って、ダマスコの近くまで来たとき、突然、天からの光が彼を巡り照らした。4 彼は地に倒れて、『サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか』という声を聞いた。5 彼が、『主よ。あなたはどなたですか』と言うと、お答えがあった。『わたしは、あなたが迫害しているイエスである。6 立ち上がって、町に入りなさい。そうすれば、あなたのしなければならないことが告げられるはずです。』7 同行していた人たちは、声は聞こえても、だれも見えないので、ものも言えずに立っていた。

サウロとはパウロのことです。これは、パウロが初めてイエスさまの声を聞いたときの事です。しかし同行していた人たちには声は聞こえたが姿は見えなかったとあります。

もう一箇所は、同じ出来事でパウロ自身の言葉で書かれています。それは使徒の働きの22章6~9節。

6 ところが、旅を続けて、真昼ごろダマスコに近づいたとき、突然、天からまばゆい光が私の回りを照らしたのです。7 私は地に倒れ、『サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか』という声を聞きました。8 そこで私が答えて、『主よ。あなたはどなたですか』と言うと、その方は、『わたしは、あなたが迫害しているナザレのイエスだ』と言われました。
9
私といっしょにいた者たちは、その光は見たのですが、私に語っている方の声は聞き分けられませんでした

一つめには、まわりの人たちには声は聞こえたが、見えなかったと書かれています。一方、22章には、一緒にいたものたちは光を見たが声は聞き分けられなかったと書いてあります。微妙に違っています。

この二箇所を読みながら、何れ声はみんなに聞こえている。ここで神さまの導き、御意を知るためには、聞き分けられるかどうかなのです。羊が羊飼の声を聞き分けたように。

ただの音声としか聞こえなかった人たちの中で、なぜパウロだけが聞き分けることが出来たのでしょう。それはたぶん、イエスさまがパウロにどうしても伝えたいことがあられたから耳を開いて下さったのだと思います。また、パウロはステパノの殉教のすがたにイエスさまのすがたを見たのではないかと私は思っています。そうでなければ、果たして、イエスさまの言葉を聞き分けることが出来たでしょうか。

パウロはイエスさまの声を聞き分けることが出来た。それはたぶん大きな声ではなかったと思います。先ほど、「21 あなたが右に行くにも左に行くにも、あなたの耳はうしろから『これが道だ。これに歩め』と言うことばを聞く」と読ませていただきました。このうしろから聞こえる声というのは、どんな声なのでしょうか。大きな声であるとは思えません。私も後ろから子どもに声をかけたことがあります。たとえば子どもがご挨拶するときに、腰を折ってお辞儀しなさい、もっと丁寧に言いなさいなどと言うときに、大声では言いません。本人にだけ聞こえるように少なくとも大きくはない声で言います。後ろから言うときには、たぶんそうだろうなと思うのです。静かな小さな声、それはその人にだけ聞こえればいいことで、他の人にはただの音声であって構わないわけです。そして、本人に後ろから言うというときには、どうしても伝えなければならない大事な内容なのではないかと思います。

最近よく主牧が、震災の後の片付けで見つかったものを皆さんに紹介しているようですけれども、ついでに私の物も見つけてくれました。それは神学院の時に書いたメモです。3年間、聞いたメッセージを、新約と旧約に分けて聖書の順番に並べておいたのでした。その中に、もしやこのメッセージに参考になることはないかと見てみました。詩篇の40篇に関してはありませんでした。しかし、イザヤ書50章の「朝毎にわたしを呼び覚まし私の耳を開かせて私が弟子のように聞くようにされる。神である主は私の耳を開かれた」というこの箇所のメモはありました。それには、開かれた耳を持つために必要なことが5つ書かれてありました。

1、 徹底した献身。

2、 常に絶えず聖書に学ぶ。聖書に聞く。聖書を黙想する。神は御聖言を通して語りなさるから。黙想は霊的生活を深める。

3、 聖霊を期待する事。聖霊を待ち望む事。聖霊を信頼する事。聖霊によって御聖言は与えられるから。御聖言によって神さまは語られるから。

4、 日常の出来事に無関心でいない事。現実的な出来事を通して神は語られることがあるから。

5、 人の意見に対して謙遜に聞き、人の意見を謙遜に聞かせていただく事。人の言葉を通して神は語られることがあるから。

これは神学生向けのメッセージではありますが、私たちは静かな心で歩まなければならない、物事に無関心でいたり、ぼんやりしていてはいけないのだと思いました。徹底した献身も、聖書を学ぶことも、聖霊を期待することも、また目の前に起こり来る出来事に対して無関心でいないことも、人の言葉を聞かせていただく謙遜なこころを持つことも、開かれた耳を持つためには大事なことなのだと改めて教えられました。そして更に、あるチャペルの一ときを思い出しました。神学校では、毎日、授業と授業の合間にチャペルといって先生方が次ぎつぎに立って、1520分程度のメッセージをしてくださるのですが、あるとき、宣教師だったか海外からのお客様だったか、その方の奥様がチャペルに立たれました。そしてイザヤ書504節を語られました。
4 神である主は、私に弟子の舌を与え、疲れた者をことばで励ますことを教え、朝ごとに、私を呼びさまし、私の耳を開かせて、私が弟子のように聞くようにされる

お話しの内容は覚えていませんが、その時に蔦田二雄院長が、そのご婦人がイザヤ504節を語ったことに、「この不思議な御聖言を開いた」といって大いに感じ入っておられた姿を思い出すのです。

ほんとうに私たちは、耳を開かれなければ神さまのお声を聞くことができない。

先ほど、そんなときの神さまのお声は恐らく大きな声ではないと申しました。それは、エリヤがカルメル山でバールの神と戦ったあと、精神的にひどく落ち込んでしまって、洞穴の中に逃げ込み、もう私を殺してくださいと神さまに訴えたことがありました。そのときに神さまの声が聞こえた。嵐の中からも雷の中からも、風の中からも神さまの声はなく、しかし、そのあとに、静かな細い声があったと書かれています。ここから、大切なときにかけてくださる神さまのお声は細くて小さいのだという印象を持ったのでした。その細い声をよく聞き分ける者でありたい。チャペルに於いて蔦田先生が、「この不思議な御聖言を開いた」と言ってしきりに感心しておられたとき、私はまだ、先生がそれほどまでに感じ入ったのだからこれは大切なのだと気づくといった段階の者でありました。しかしこれからの日毎の私の祈りが、「神の御声、神の導きの声を聞くために私の耳を開いてください」という祈りであることを切に願い、また皆さんにもその恵みをともに味わっていただけたならほんとうに感謝だと思います。 

 語られた説教を文章に起こし編集してございます。

文責:中ぶんな

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愛は律法の完全なり

 今夜のテレビに紹介された日野原先生、末期ガンの方々に向けられるあたたかさ。先生はミッションだと仰った。

      愛は律法の完全なり

 こんな聖書のことばが浮かんだ。

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第二回チャリティーバザー ーケニアのテヌウェク病院支援ー10/15〈土〉午後1:00~3:00 インマヌエル盛岡キリスト教会

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昨年は、

「清潔感のあるバザーでした」
「餅米、なかなか良かった。もうちょっと欲しかったな」
「お袋の冬の服があった」
「益金でアフリカの病院に包帯送ってるんだね」


来場された方々のこのような声がありました。
皆様のお役に立つこと請け合いです。
どうぞお気軽にお買い物にお出かけ下さい。
無料のお飲み物、茶菓もございます。

あなたの善意ある買い物がアフリカを助ける!!

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吉田隆保氏ご逝去ー太田カルテット、赤沢長五郎の弟子ー

  太田カルテットのヴァイオリニスト赤沢長五郎氏の晩年の弟子であられた吉田隆保氏(86歳)が昨日亡くなられた。奥様からお電話を頂戴した。

仮通夜  10月6日(木)午後5時半 ブロセミー(立花葬儀社)
火葬    10月7日(金)午後2時半 盛岡市火葬場
本通夜  10月8日(土)午後5時半 ブロセミー(立花葬儀社)
葬儀    10月9日(日)午前11時 願教寺

 穏やかな温顔をもって旅立たれた氏。いまは奥様のお心が、御家族のお心が癒されますようにと祈るのみです。この大震災の年にまたしても。

 

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アシナガバチ

  もうことしは蜂も来ないなと思っていたところ、あらかた摘み終えた、それでもまだ15、6房は残っている葡萄棚に、ある日突然これもまた15、6匹のアシナガバチがブンブン羽音を唸らせやってきた。彼らのグルメは幼虫だけかと思いきや、ジェット機並みのエンジン搭載か、がんがんがんがんやってきて、数日をかけ葡萄に、かぶりつく音を聞いたわけではないけれど、ガリガリガジガジと食らいつき、ほんのすこし、ほんのすこしだけでいいから残して欲しい願いもバッサリと斬り刻み、物の見事に食べ尽くし、これもまた見事に速やかにどこぞへと引き上げてしまった。蔓に無惨に下がるのはミイラみたいな真っ黒ぶちぶち。凄い輩がいるものです。

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雑感ー遠藤郁子さんのショパン・鮭ー

 きょう遠藤郁子さんの「ショパン序破急」を聴いてみた。能が前面に押し出されている影響もあるかと思うが、ちょうどショパンのノクターンやバラードが、このような言い方が許されるかどうかわからないが、顔に能面をつけてその奧にさまざまな楽曲を響かせ、その楽曲を率い進み退き舞い悲しみ声なく笑い、これも音楽を聴いていながら矛盾した言い方になるが、音もなく踊る、そんな風に感じられた。孤独さが震えつたわってくるような、これはもしかすれば作曲者の魂の本音の吐露であるかもしれないが、そのような本質が演奏者の本音と気脈を通じている。そのように聞こえた。さまざまなピアニストのショパンを聴いたけれども、その中でも遠藤さんのショパンは仮面の奧の奧から引き出されてきた特異な音楽世界と思われた。

 中津川に鮭が帰ってきているらしい。今年はまだ見てはいない。やはりmaruseiさんのブログで知った。ずたずたになった河口をよくも忘れずに帰ってきてくれたものと思う。宮古市に居住していた頃、津軽石川の川縁にブナ鮭を買いに行ったことがある。同じアパート住まいだった方に荒巻の作り方を教わったのがきっかけだった。いちばん難儀なのは鰓のくりぬき。これには結構な力とコツが要る。とにかく鮭の表面が真っ白になるまで塩を分厚く塗す。これを漬け込み数日後に洗い流し、口に紐を通して吊すのだ。それはさておき、大津波のあったこの年に帰ってきてくれたとは! 鮭よ、おまえは何て賢く強く優しいんだ。ことしばかりは、ただの魚に見えはしない。元気を出せよと、活を入れるために遣わされてきたんだね。

 

 

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ピアニスト遠藤郁子

 よくmaruseiさんのブログにお邪魔し着物について教えていただいている。反物の種別から帯、足袋、草履、小物にいたるまで解説してある。お陰で着物がまさしく文化であること、これは織、染色、手描きにいたるまで日本の文化そのものなのだと知らされた。以来音楽家の方々にももっと着物をステージ衣装として活用していただけたならと思うようになった。
 それが、たまたまこのようなCDを頂戴した。有り難い。ピアニストの着物姿にお目に掛かることが出来た。

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 ピアニスト遠藤郁子。 初めて知る名前、さてどのようなピアニストかなと検索してみると、弟7回ショパン国際コンクールで特別銀賞を受賞している。1994年ヴラド・ペルルミュ テルは、「90年の人生で初めて、霊感で弾かれたショパンを聴いた」と評している。またポーランド大使ヘンリク・リブシッツは「ピアノの一つ一つの音が強 い磁力を放ち、演奏者と聴衆の心を一体にさせている」と評した。
興味深い一枚である。


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「きょうのことば」の掲載は一週間後に変更いたします

 毎週日曜日にはキリスト教会の説教を掲載しておりますが、より正確を期するために一週間のお時間を頂戴しそれなりの時間をかけて書かせていただくことにいたします。
 きょうは國光ひろ子牧師の説教でしたが、引証聖句のみご紹介もうしあげ、詳しくは来週9日に掲載いたします。

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詩篇40篇1~6節
1 私は切なる思いで主を待ち望んだ。主は私の方に身を傾け、私の叫びを聞き、
2 私を滅びの穴から、泥沼から、引き上げてくださった。そして私の足を巌の上に置き、私の歩みを確かにされた。
3 主は、私の口に、新しい歌、われらの神への賛美を授けられた。多くの者は見、そして恐れ、
主に信頼しよう。
4 幸いなことよ。
主に信頼し、高ぶる者や、偽りに陥る者たちのほうに向かなかった、その人は。
5 わが神、
主よ。あなたがなさった奇しいわざと、私たちへの御計りは、数も知れず、あなたに並ぶ者はありません。私が告げても、また語っても、それは多くて述べ尽くせません。
6 あなたは、いけにえや穀物のささげ物をお喜びにはなりませんでした。あなたは私の耳を開いてくださいました。あなたは、全焼のいけにえも、罪のためのいけにえも、お求めになりませんでした。

 
きょう、教会では、おにぎりと芋のこ汁の昼食をかこみながら、今月の予定、そしてみなさまの近況などが報告され、楽しい一時を持ちました。
 バザーのチラシも姉妹方が作ってくださいました。10月15日です。どうぞおでかけください。

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10月スタート

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 起きがけに夢をみていた。岩手山だった。うるうるとした緑色が美しかった。先だって太田の産直に行ったときに見た岩手山が脳内のどこかにプリントされていたのだろう。それと澄明なソプラノを聴いていた。目をさましてからも続けて歌ったのだけれども、いま旋律が浮かばない。また記憶の箱にしまわれてしまったようだ。

 午前中は梅村ヴァイオリン音楽教室の小松智佳子先生のおはなしをお聞きすることができた。そして午後はみたけにある書店に行ってみた。それこそ開店のときに行ったきりだ。東日本大震災の写真集、ほんとうは図書館に行けばあるということで買わないつもりだったのだ。買った理由は、手元に置かないと自分は忘れる。自分はそういう者だ。多くの方々がどれほど無念と慟哭、痛み苦しみのうちに亡くなられたかを忘れてしまう、それを恐れた。それから音楽の友社のヴァイオリン教則本。おかしなはなしだが、弾くためではなく読むために購入。小澤征爾の文庫本。農業関係の最新版一冊。
 本は極力買わない方針だった。しかしどうしても必要なものは最低限買わなければ循環が生まれない、そう気づいて幾ばくかを投じた。読書用のソファも友人宅から頂くこととなり、これでこれまでよりは昼寝付き読書環境が整ったわけである。

 そして夕刻には、拙書「光炎に響く」(新風舎刊)をさしあげたお礼にとショコラを頂戴した。これはもう読んでいただくだけで、お礼などは過分であり恐縮してしまったのだが。

 しかし起きがけのすばらしい夢を思い出し、ああ、きょうの一日のあれこれは、天からのプレゼントだったと気づいたことでした。 

 

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