ただただ眠い
写真をアップしたまでは良かったが、はっと気がつくとどうもうたた寝をしていた。夢の中で左手に持っていたのは桃。いまむくところだった。眠いということは眠れるということでもあり、これはありがたいこと。眠りたいのに眠れないとなったらこれはすこし要注意となる。
ロ短調のキリエが脳内のどこかで歌われている。きょうはこのまま休むとしよう。荘厳な曲、悲しい曲、楽しい曲などなどさまざまあるけれども、敬虔な演奏となるとどうだろうか。その点カルロ・マリア・ジュリーニの盤は定評があるらしい。それにしても盛岡で聴いたロ短調のあのでだしは忘れられない。そのあとどの盤を聴いてもあの盛岡バッハ・カンタータの冒頭を思い出す。
きょうは関東大震災の日だ。大正12年。音楽家たちが慈善演奏に動きだしたのは11月ごろだった。やはり2ヶ月は経ってからだ。当時の天才ヴァイオリニストヤッシャ・ハイフェッツが訪れたのも11月。これをきょう詳しく書けば当を得ているのだが。
岩手の音楽家の方々も東日本大震災のチャリティーのためにほんとうにすばらしい動きを取られている。聴きたくとも時間などにゆとりがなく行きかねた音楽会も多くある。いわてフィルハーモニーもとてもよい演奏活動を展開している。ほんとうにほんとうに限られたものしか聴いていない。思えば残念なことだった。
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