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きょうのことばー『岸辺に立たれる復活の主』2ーヨハネ伝連講(119)ーその2

※前ページの國光勝美牧師の説教のつづきとなっております。 

さて、これから語らせていただきますことは、ある意味でこの聖書の講開というのではなく、私の体験であります。

3・11の大震災がありました。教会には屋根裏部屋があります。すこし屈むと立って歩ける。ここに外の物置には置きたくない、記念誌、週報などといった教会の出版物、印刷物を保管しています。ところがあの日の地震で、二階の牧師の書斎とともに、この屋根裏部屋に置いてあるものが、まるで大男がダンボールをお手玉にして投げあったかのような悲惨な状態になってしまいました。片付けなければと思うものの、なかなかそこまで手が回らない。夏の猛暑に中はサウナ状態。ちょっと顔を入れただけでもだらだらと汗が吹き流れます。そのようなこともあり、なかなか片付けができずにおりました。やっとだいぶ涼しくなり、子どもたちの結婚式も終わって、さて片付けるのは今かと意を決して書類の整理をしておりました。さまざまな印刷物のバックナンバーを整理していくうちに、スクラップブックが出てきました。そういえばだいぶ前にこれに色々整理していたが何だったかと捲ってみました。面白い資料が貼られていました。私が牧師として献身しようと決心した頃に勤めていた会社の給与明細書でした。

私は昭和4311月、大学4年のとき、お茶の水キリスト教会館で信仰に導かれました。ちょうど大学紛争でお茶の水あたりは市街戦のような有様でした。舗道の石は学生等によって剥ぎ取られそれを機動隊に投げる、放水はされる、近くにお茶の水の駅があるわけですが、線路に敷かれている石が投石される等々。私はそのようなときに信仰に導かれましたが、それから大学がバリケードで封鎖されてしまい、何時授業が再開となるか分からない。私のような地方出身者は東京にいても授業がないというわけで、仕方なく郷里の松本に帰ることにしました。そのときは11月に信仰を持ったばかりだったので、お茶の水の先生に相談しますと、郷里の方にある教会の住所、電話番号を教えてくださいました。

こんなときに信仰の危機というのがやってきました。11月ごろには恵まれて乾ききったスポンジが水を吸うように恵みの中にあったのですが、ひとり松本に帰ると、悪い意味でふっと冷静になるのです。私はほんとうに一時的な感情で信仰の決断をしたのではなかろうか。もしほんとうに生まれ変わってクリスチャンになっているなら、きっと私は、紹介された教会に行くだろう。しかし、ここはひとつ行かないでおこうと決断をしました。ほんとうに救われているなら自分は行くだろう。その思いが来るまで待てばよい。行かない、と決めました。クリスマスが来ました。クリスチャンであるという自覚はあるのですが、そういう思いがあったものですから、クリスマスにも教会には行きませんでした。

私の実家はごく一般的な日本の家庭でしたから、年の暮れに紅白歌合戦が終わると神社に初詣というパターンです。父が「行くぞ」といったとき、流石に私はそこには行くまいと思ったのです。「留守番してるから行ってきて。僕は行かない。このまえ東京でクリスチャンになったから」というと、父は「そうか、じゃ」と自分たちだけで出かけていきました。いよいよ元旦になって、クリスチャンの良心が疼くのです。これはいけない。わたしは紹介された教会に電話し、そして教会に行きました。それからストライキが解除される2月のはじめまで、ですから1月いっぱい。聖日でいうと、その松本の教会にはたぶん、45回ほど行くことになったのでした。そこで、奇蹟のこと。復活のこと。処女降誕のことを質問しました。いよいよ信仰を明確にするためでした。行くたびに佐藤先生に質問し、指導していただきました。松本の教会にはそういった懐かしい思い出があります。

スクラップを見ていたところ、その佐藤先生から葉書が来ていたのです。宛先は、私が当時勤めていたビクターの寮です。

「あなたが献身することを聞きとても嬉しく思っております。」そのあとに、「献身の道は困難な決して容易な事ではないと思いますが、それはまた栄光に富んだ道です。祈っています。」という文面。この葉書がスクラップされておりました。私はそれまで佐藤という名前をうっすらと覚えていたのです。その程度でした。早速インターネットで、その先生のフルネームを調べました。すると、牧師とあり、1970何年かに天に召されていました。その教会のホームページから、検索すると、55歳で召されています。ああそうだったのか。

スクラップの別のところを見ました。当時、会社で昼休みのとき、私は昼食を終えていつも倉庫で祈るのが習慣となっておりました。お祈りをしているときに、本当にあなたはここでいいのか、「港町ブルース」「長崎は今日も雨だった」、これはビクターで当時最も売れていたレコードでしたが、あなたはここで残業していてもいいのか、これは自分への問いかけのほんの一部ではありますが、生涯を考えたときに、本当にこれでいいのを自問し考えているうちに、これは献身するべきではないだろうかというところにたどり着いた日がちょうど木曜日でした。丸の内教会の祈祷会は木曜日です。会社が終わってすぐに教会の集会に出、その後、先生に、「私はこのまま今の会社にいてはいけないと思うけれども、ただよくあるように、会社に入ってさしたる辛抱、忍耐もせずに、ここが合わないから辞めるというようなそういう辞め方であってはならない。辛いからやめるというのではなく、ほんとうにここでいいのかどうか私は牧師職に召されているような気がするが、救われて日も浅い。神学院の入学規定にも満たない。果たしてそれでいいのでしょうか」と先生に相談すると、先生が、「わかりました。たぶん、あなたがきょう、ビクターの寮に帰ったらたぶん私が出した葉書が届いていると思います。その葉書に何を書いたか忘れてしまいましたが、大変大切な言葉を書いたような気がしますから、帰ってそれを読んでください。」、そう言われて帰宅しました。京浜東北の新子安駅のあたりにビクターの寮があるのですが、第一清和寮。葉書では横浜市神奈川区入江町1-4-。いま検索で入江町はでませんが、清和寮はでてきました。歴史的建造物だそうです。それは兎も角、葉書がスクラップブックから出てきた。消印は昭和4572日。1218に投函したという消印が押してあります。曜日を検索すると火曜日。丸の内の祈祷会に行ったのは74日木曜日でした。その葉書を見たところ、創世記の12章の12節が書かれていました。

1 はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。
2
そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。

神さまが一歩一歩導いておられるかにおもわれます。お祈り申しております。

このことばだ。間違いない。これはわたしにとってちょうどペテロたちお弟子さんたちが、ガリラヤに行ってイエスさまにお会いするようなものです。恐らく私は3・11というあの大きなことがなく、屋根裏がそのままだったなら、たぶんそのままスクラップブックがどこにあるかも分からなかったでしょう。しかし、今回それを見たとき、そしてちょうどヨハネ伝の連講がヨハネ伝20章、21章というところにたどりつき、テベリヤの湖畔に、もう一度彼らがイエスさまに初めて召されたときのことを思い起こさせたように、イエスさまが、私に、どうだ、とお声をかけてくださるような気がしてならないのです。

スクラップブックを通して、私自身に神さまがいまなしていてくださるお取り扱い、それをお証しすることが、きょうのおことばのお取り次ぎになりかもしれない。イエスさまは岸辺に立っておられる。イエスさまはちゃんと見て居られる。そして、おことばをもって、あのとき、あなたの父の家を出て、私の示す地に行きなさいというおことばが与えられて、ああ、これはもう決まった。そこでもしあのとき私が踏み出さなかったら、私は恐らく献身はしていなかっただろうし、いや、それどころか、クリスチャンンの信仰からも離れてしまった生活をしただろうな。そう思いました。神さまのおことば、ですので、前回と同じ結論をきょうもう一度私はさせていただくかもしれません。どうぞ皆さん方を召してくださったお方、信仰の原点に一人ひとりもういちど帰ろうじゃありませんか。そして、ペテロたちが俄にはイエスさまだとは気づかなかった、しかしイエスさまは立っておられた。イエスさまはいまの私たちの信仰生活の日々の中に岸辺に立っておられる。要は私たちがそれを認めることができるかどうかなのです。私たちがそれを認めて、そしてあのお方は主だ、この217節に
7
そこで、イエスの愛されたあの弟子がペテロに言った。「主です。」

とある。このところは、3年前網張の東北聖会で、黒木先生と仰る方が講開してくださいましたが、この、主です、という告白はまさに信仰告白のことばとして受け取ることができる。どうか私たちがイエスさまを見まつることができなかったお弟子さんたちのようではなくして、獲物がありませんね。はい、ありません。舟の右側に網を下ろしてご覧。はい。と、そのようにそのお方の或いは聖書のおことばに素直に従って行ったとき、私たちは、主です。ああ、イエスさまだ、ということをはっきり見まつることができるはずです。そしてそのお方は、朝餉を備えていてくださるお方。一晩労したけれども、徒労に報いてくださる。人生が終わった、疲れている、そういう人に対しても、豊かな備えをもって迎えてくださるお方が主であるということ、これをこんどもういちど心に留めながら進んでいきたいと思います。

この小さき者が、あのガリラヤに帰ったお弟子さんたちのような経験をさせていただきましたことを多くの時間を割いて語らせていただきました。これが、みなさんがたにとっても、同じ扱いをしてくださるお方であることを信じ祈るものです。

文責:中ぶんな

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