きょうのことばー『信じて、いのちを得るために』ーヨハネ伝連講(117)ーその1
きょうであの3・11から半年。そして9・11からは10年。この日曜日の筆記が、どなたかの心の復興のお役にたつことを願って、きょうも聖書からのメッセージを書かせていただきます。
インマヌエル盛岡キリスト教会(電話019-646-2924)國光勝美牧師の日曜礼拝説教です。
説教題 『信じて、いのちを得るために』ーヨハネ伝連講(117)
聖書箇所 ヨハネ伝20章30、31節(太字は聖書からの引用です)
30 この書には書かれていないが、まだほかの多くのしるしをも、イエスは弟子たちの前で行われた。
31 しかし、これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるため、また、あなたがたが信じて、イエスの御名によっていのちを得るためである。
ヨハネの連続講開もいよいよ締めくくりへと近づいております。前回も復活のイエスさまとトマスとのできごとを通して、「見ないで信じる者の幸い」ということを中心にお話し致しました。これを承けて、きょうの聖書箇所であるヨハネ伝30、31節を見ますと、これでもうヨハネの福音書は締め括られたと理解してもよい書き方であると思います。しかし21章が付け加えられています。追伸といった形でエピソードがあるとすれば、これはペテロや弟子たちとよみがえりのイエスさまとの出会いでございますから、これだけはヨハネは書いておきたい。これは抜かすことなどできないということでございましょう。そしてそれを書きますと、ああ、そうか、このこともあのこともあったとヨハネ自身が思い起こしながら書きたくなるでしょう。21章の25節。
25 イエスが行われたことは、ほかにもたくさんあるが、もしそれらをいちいち書きしるすなら、世界も、書かれた書物を入れることができまい、と私は思う。
あのことこのことといっぱいあるけれども、取りあえずここで筆をおきましょうということで、ようやくヨハネの福音書が終わっている。繰り返すようですが、ほんとうは20章までで締め括られてよかったのですが、この21章のエピソードだけはということで書き加わった、そういう構成になっていると思います。
したがって、ヨハネが一旦筆を置こうとしたこの30、31節の部分、ここにヨハネ伝の書かれた目的が著者自身によって記されていますので、これに意識を向けることは大切だろうと思います。
30節、この書には書かれていないが、まだほかの多くのしるしをも、イエスは弟子たちの前で行われた。
この書には書かれていないけれども、当時はマタイの福音書ができておりました。順番でいいますと、たぶんマルコの福音書がいちばん最初です。それから、使徒の働きを記したルカという人物がいます。彼の立場からイエスさまのご生涯をまとめてテオピロという人物に向かって書き記したのがルカによる福音書です。イエスさまのご生涯ですので、イエスさまのご生涯に於いて成された様々なできごとは、すでに、これ以外の書物に記されてあったわけです。しかし、このヨハネの福音書というのが、先ほど申しました三つの福音書と明らかに角度が違っている。つまり、ほかのマタイ、マルコ、ルカ伝には、同じような記事が同じように書かれているところが少なからずございます。あれ、どっちに書いてあったかなと思うほど似ている。ある意味同じ角度からイエスさまのご生涯を書いている三つの福音書に対して、ヨハネは全く異なった角度から、つまり、先に書かれている三つの福音書に記されていない、ヨハネが、どうしても書き留めておきたかったこと、それは、書き記すことによって、イエスさまが神の御子キリストであると読者に知って貰いたいというまったく独自の立場から福音書を記しておりますので、その意味でユニークなのです。よほど大きな出来事は別として、他の3福音書と共通している部分が少ない。ヨハネ伝だけは視点、角度が違うということなのです。
さて、それを踏まえたうえで、31節
しかし、これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるため、
これが、ヨハネの福音書を書いた先ず第一の理由です。イエスが神の子キリストであることをあなた方が信じるために、わたしは書いたのですよ。また、あなたがたが信じて、イエスの御名によっていのちを得るためなのです。つまり、永遠の命、神の国に入ることのできる命を持つために、わたしはこのことを記した。その目的のために、わたしはこれを書いたのです。もっと一般的に言います。私たちは聖書というものを通して、これはヨハネ伝、ヨハネが記した目的と言うことだけではなく、聖書が何のために記されたかの回答でもあるのです。
ーつづくー
※きょうは15時から松園墓園の教会墓地において納骨式がありました。くもり空の下で、聖書からのおすすめを聞き、讃美歌をご遺族、教会員とともに歌いながら故人を偲び納骨をみなで見守らせていただきました。
礼拝説教の続きは明日書かせていただきます。
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