祈りって?
きょう息子を盛岡駅まで送る。歩いていくからいいというのだが親ばかぶりを。
車から降りドアを閉めようとするときに決まって言うせりふ。
「お陰で楽しかった! 気をつけてね」
「ありがとう!!」
振り向きながら手を振って駅舎に消えてゆく。
きょうで8月も終わる。
薬局に立ち寄り、虫さされの軟膏を買って急いで帰宅すると、二男が帰っていた。
「疲れたでしょう、お風呂はいった?」
「ああ」
「ご飯食べてね」
「うん」
「仕事、あしたも同じ時間?」
「うん。よろしく」
あすからは9月。
猛暑の夏を乗り切った二男だ。
午前中はバイクで教会の祈り会。
祈りって何なの? 祈ってどうかなった?
よし、行くからには何かを確実に掴んで帰ってこよう。
こんなそんなを考えていたが事故は起きなかった。
この春からよくも事故を起こさずにバイパスを往復したものだ。
行ってみると、
きょうは聖書の黙示録だった。
度肝を抜かれる。
とにかくもの凄いことが書いてある。
16章1節、「行って、神の激しい怒りの七つの鉢を、地に向けてぶちまけよ。」
そしてまた次からがいよいよもの凄い。東日本大震災の何倍規模といったらいいのだろう。
だが、そして神は祈れと。
わたしにはわかった。
祈りは神への信頼の証し、神とのパイプライン。
8月に書きおとした、というよりも書かないでしまったことは、
8月26日はマザー・テレサの誕生日![]()
彼女はカトリックということでいまはすこし躊躇いがあるが、その行いの尊さは変わらない。神に仕える身ということで善事善行はあたりまえのように思われがちだが、一般の人々であるなら、たった一人に無償の愛を注ぐことすら並大抵のことではない。できるものではないのだ。清貧を貫くことも然り。わたし自信、足りないところをキリストの十字架に肩代わりして貰って生きているものに過ぎないと思っている。
さあ、カルロ・マリア・ジュリーニ指揮&バイエルン放送交響楽団&合唱団の「ミサ曲ロ短調」のグローリアも終わりに近づいた。いまアーメンで終わった。DISC1のみできょうは閉じよう。
ちょうど雨が激しくなった。
土砂災害などが起きなければいいが。
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