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2011年8月

祈りって?

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きょう息子を盛岡駅まで送る。歩いていくからいいというのだが親ばかぶりを。
車から降りドアを閉めようとするときに決まって言うせりふ。
「お陰で楽しかった! 気をつけてね」
「ありがとう!!」
振り向きながら手を振って駅舎に消えてゆく。
きょうで8月も終わる。
薬局に立ち寄り、虫さされの軟膏を買って急いで帰宅すると、二男が帰っていた。
「疲れたでしょう、お風呂はいった?」
「ああ」
「ご飯食べてね」
「うん」
「仕事、あしたも同じ時間?」
「うん。よろしく」
あすからは9月。
猛暑の夏を乗り切った二男だ。

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午前中はバイクで教会の祈り会。
祈りって何なの? 祈ってどうかなった?
よし、行くからには何かを確実に掴んで帰ってこよう。
こんなそんなを考えていたが事故は起きなかった。
この春からよくも事故を起こさずにバイパスを往復したものだ。
行ってみると、
きょうは聖書の黙示録だった。
度肝を抜かれる。
とにかくもの凄いことが書いてある。
16章1節、「行って、神の激しい怒りの七つの鉢を、地に向けてぶちまけよ。」
そしてまた次からがいよいよもの凄い。東日本大震災の何倍規模といったらいいのだろう。
だが、そして神は祈れと。
わたしにはわかった。
祈りは神への信頼の証し、神とのパイプライン。

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8月に書きおとした、というよりも書かないでしまったことは、
8月26日はマザー・テレサの誕生日cake
彼女はカトリックということでいまはすこし躊躇いがあるが、その行いの尊さは変わらない。神に仕える身ということで善事善行はあたりまえのように思われがちだが、一般の人々であるなら、たった一人に無償の愛を注ぐことすら並大抵のことではない。できるものではないのだ。清貧を貫くことも然り。わたし自信、足りないところをキリストの十字架に肩代わりして貰って生きているものに過ぎないと思っている。

さあ、カルロ・マリア・ジュリーニ指揮&バイエルン放送交響楽団&合唱団の「ミサ曲ロ短調」のグローリアも終わりに近づいた。いまアーメンで終わった。DISC1のみできょうは閉じよう。
ちょうど雨が激しくなった。
土砂災害などが起きなければいいが。

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息子の帰省ーつかの間の休日ー

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 土曜日の夜に帰省した息子と主人とともに御所湖広域公園を経由し、おもいっきり鄙びたふるい温泉がいいという要望を容れ、国見温泉にいってきました。こじんまりとしている、涼しい、湯が温泉らしいという点が大いに気に入ったようす。わたしも筋肉が伸びきってしまい、できるならこのままのんびり泊まっていたいとおもったのですが、そうそう家を空けてはいられません。

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 あるいていても、仕事があるため一緒に来られなかった二男が浮かびます。まあ子どもじゃないから彼は彼でエンジョイするでしょ、とは思うものの、ちょっとさびしいような申し訳ないような気持に。

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 中学校のとき、この温泉に泊まりキャンプファイヤーをし、翌日ガスに煙る登山道をひたすら駒ヶ岳へとのぼったことを懐かしくおもいだしました。

 足のすくむような峡谷を橋からのぞきこみながら、旧道は閉鎖されていましたが、よくこの峻厳な山峡に道をとおしたものと感心しました。

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きょうのことばー『復活の主とトマスー2』ーヨハネ伝連講(115)ーその2

※前ページのつづきとなっております。

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 イエスさまに、「私の主。わたしの神。」とこたえたトマス。
 「私の主。わたしの神。」、これを、ある注解者は、旧約聖書に於けるあのユダヤ人たちが、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神を主と呼んだと同じ呼び方であるとします。トマスはこのとき、ほんとうにあのアブラハムの神、そしてダビデの神、その主としてイエスキリストを告白したのです。聖霊を受けて初めてイエスを主と告白できるのですが、このときに初めてトマスのうちにその業が成されたように思うのです。真実に悔い改めて、そしてイエスさまに扱っていただくとき、改めてもういちど、深い意味で、「ああ、やっぱり、あなたはあなたでした。」と頷きがくるものでしょう。

 話は飛びますが、8月の東北聖会北聖会で、竿代忠一先生がヨブ記からお話しくださいました。ヨブほど神をおそれ神に仕えていたものはなかった。にも関わらずヨブには想像もできなかった言いがかりのような罠に落とされ、災いが次つぎと襲いかかってきました。
 私が神学生時代、ヨブ記を教えてくださったのは竿代忠一先生でした。その講義の中でいまでも忘れることができないのは、先生が、「ヨブの質問に対して神さまは答えておられない」と仰ったことです。けれどもヨブは心底から我が主、我が神という神さまの捉え方ができた。そのことを思うのです。
 私たちが思わない課題に直面するとき、もういちど神さまに扱われて、「我が主。我が神。」と告白できる者でありたい。いったいどうしてこんなことが起きるんですか? という質問には、神さまは答えてはおられない。しかし、神さまはそんなときに、「ほら、わたしだよ、わたしがここにいるよ」といってヨブは神さま御自身の顕現に触れて、「もう私は神さまの御前に口をつぐみます。やっぱり、あなたはあなただったんですね」。これで十分。これがヨブ記なのだというように仰いました。
 どうか私たちの信仰生活の中で、信仰がわからなくなるときがあるかもしれない。そして恵まれた仲間の中にいることや、仲間の励まし諭しさえも素直に受け取れなくなることがある。しかしイエスさまは、そのトマスをしっかりと受けとめて、発した言葉も思いもぜんぶ扱ってくださる。
あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。

 これはイエスさまのおことばですが、ある人は、このトマスの質問があったがゆえに、このトマスの存在のゆえに、イエスさまからこのようなすばらしいおことばが引き出されたといっています。
 「
見ずに信じる者は幸いです。」というこのことばは、お弟子さんたちの時代から営々続いて今日、私たちクリスチャンに語られる珠玉の祝福のことばであるという注解があります。幸いです。私たちは直接このお方を見ているわけではありません。しかしイエスさまは、トマスに言われたように、或いは私たちに、「見ずに信じる者は幸いです。」こう語りかけていてくださるのです。

※昨夜のうちに大方はレコーダーから起こしたのですが、パソコンの不具合により、最初から起こしなおした事と、また今日になり誤って28日のページを消してしまったために、なかなかすっきりとした形で作成できなかったことをお詫び申し上げます。
編集の都合上、前回の復習の部分は削りました。またお話しを文章にしますので、編集してあります。ご了解ください。
文責:中ぶんな

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きょうのことばー『復活の主とトマスー2』ーヨハネ伝連講(115)ーその1

 日曜日はその日に聞いた教会の説教を書かせていただいております。

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 さて、きょうのインマヌエル盛岡キリスト教会(電話019-646-2924)國光勝美牧師のメッセージは、
説教題 『復活の主とトマスー2』ーヨハネ伝連講(115)ー
聖書箇所 ヨハネ伝20:19~29
(太字は聖書からの引用です)
19 その日、すなわち週の初めの日の夕方のことであった。弟子たちがいた所では、ユダヤ人を恐れて戸がしめてあったが、イエスが来られ、彼らの中に立って言われた。「平安があなたがたにあるように。」20 こう言ってイエスは、その手とわき腹を彼らに示された。弟子たちは、主を見て喜んだ。21 イエスはもう一度、彼らに言われた。「平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします。」22 そして、こう言われると、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。23 あなたがたがだれかの罪を赦すなら、その人の罪は赦され、あなたがたがだれかの罪をそのまま残すなら、それはそのまま残ります。」24 十二弟子のひとりで、デドモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたときに、彼らといっしょにいなかった。25 それで、ほかの弟子たちが彼に「私たちは主を見た」と言った。しかし、トマスは彼らに「私は、その手の釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ、また私の手をそのわきに差し込んでみなければ、決して信じません」と言った。26 八日後に、弟子たちはまた室内におり、トマスも彼らといっしょにいた。戸が閉じられていたが、イエスが来て、彼らの中に立って、「平安があなたがたにあるように」と言われた。27 それからトマスに言われた。「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。信じない者にならないで、信じるものになりなさい。」28 トマスは答えてイエスに言った。「私の主。私の神。」29 イエスは彼に言われた。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。」

 前回に引き続きまして、復活の主イエスさまとトマスに焦点を合わせて、神さまからの語りかけと恵みをいただきたく願って居るところでございます。

 きょう中心となりますのは、この24節からの部分であります。
 12弟子のひとりでデドモと呼ばれるトマスが、イエスさまが聖霊を受けなさいと弟子たちに現れなさったあの日曜日の夜に、どういうわけか弟子たちといっしょにいなかった。トマスがいなかったときに、聖霊を受けなさいというよみがえった主イエスさまの語りかけがあった。弟子たちはよろこびに溢れました。そのあとで、トマスが弟子たちのところにやって来た。弟子たちは、トマスに口々によみがえりを伝えようとしたでしょう。「トマスくん、わたしたちはこの目で復活したイエスさまを見たんだよ」。トマスも12弟子のひとりですから、これまでずっと彼らと行動を共にしてきている。しかし、どういう理由かはわかりませんが、イエスさまが現れなさったときにトマスはそこにいなかった。仲間から話を聞いても、トマスは、25節にあるように、実際に確かめなければ信じられない
とこたえている。
 手元の注解書によると25節のほかの弟子たちが彼に「私たちは主を見た」と言ったというこの「言った」ということばには、「幾度も繰り返して言った」という意味があるようです。弟子たちは奇想天外な凄い経験をしたわけです。ところがそこにはいなかったトマスには、そう簡単には信じられなかったでしょう。そのトマスに、弟子たちは何とかして分かって欲しくて言葉を尽くした。しかしやはり残念ながらトマスは、「信じられない」と他のお弟子さんたちを否定してしまった。

 蔦田二雄先生がヨハネの連続講開で、トマスがそのときどういう状態であったかに触れられたことがあります。聖書には書かれていませんが、これをもとに類推してみました。 ヨハネ伝14:5で、トマスはイエスさまにこう言ったことがあります。5 「主よ。どこへいらっしゃるのか、私たちにはわかりません。どうして、その道が私たちにわかりましょう。」。このトマスの質問に対して、6 イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。このように、トマスの質問は、イエスさまのすばらしい応答を引き出しています。トマスは決して不信仰な人物ではなく、自分が思ったことを率直に主に申し上げる愛すべき人物です。簡単に懐疑主義者であるというレッテルを貼ることはできないでしょう。このトマスが十字架刑を目の当たりにして落ち込んでしまった。人は落ち込むと、孤独になり自分の殻に閉じこもってしまうことがあります。誰にも会いたくない。ですから、もしかすれば、このトマスが、弟子がみなが集まっているときに、そこに行かなかったのは、恐らく失望と落胆で落ち込みどこにも行きたくなかったからとも考えられます。これを私たちの信仰生活にあて嵌めてみましょう。クリスチャン信仰生活を誠実に送っているのに、時としてトマスが経験したような絶望的なできごとに直面することがあります。かつては、ともに励まし合った仲間たちとも顔を合わせたくなくなる。落ち込み、身を引いてしまうことがあり得る。トマスの状態をこのように想像しますと、私たちとそう変わらない近しさを感じます。

 しかしトマスは結局弟子たちのところに戻ります。事情はどうあれやはり自分の身を置くところは弟子たちがいるここ以外にはない。そしてもどった彼を、仲間たちはあたたかく歓び迎えます。「トマスくん、僕たちイエスさまに会ったんだよ!」、こんな恰好だった、こんなようすでとまだトマスが見ていないよみがえりのイエスさまを詳しく説明したでしょう。しかし自分が落ち込んでいるときに、幸せそうな人を見たりそんな話を聞いたりすると、往々にして人は反発するものです。これはわかる気がします。「そんなことあるもんか、僕は信じない、信じてなんかやるもんか」 いう心境にもなる。勿論蔦田先生の注解にこのような書き方はしていませんが、トマスがどういう気持でこのとき仲間たちのあいだに居たかを想像するのには十分な光が与えられたと思いました。

 トマスの中には相矛盾した心が同居しているようです。ひとりでいたい。仲間のところへは行きたくない。けれどもとてもひとりではいられない。やはりいるべきところはあそこだと仲間たちのところに行く。けれども活き活きしている仲間たち野中で疎外感を感じてしまう。なかなか素直になれないトマス。そこで「私は、その手の釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ、また私の手をそのわきに差し込んでみなければ、決して信じません」と虚勢を張ったのかも知れない。しかし彼はわかっている。3年半もイエスさまにともに仕えたお弟子さんたちが自分を騙すはずがない。ほんとうのことを自分に伝えようとしている。わかっている。わかっているけれども素直に信じきれない。こうしてみると私たちのすがたを代弁するようなトマスのようすです。

 さてそれから8日経ってから、「弟子たちはまた室内におり、トマスも彼らといっしょにいた」。ここではトマスもみんなといっしょにいます。自分の居場所がある。たとえ心境は最悪でも仲間たちのところに身を寄せている。おそらくこのときトマスは、ペテロ、ヨハネ、その他の弟子たちに言ってしまった数々を反省したでしょう。それでもトマスは思ったでしょう。「僕に現れてくれたなら信じるよ」と。仲間のいうことにウソはないだろう。だけど実際に見て確かめないことには。そしてやはり一方では自分の取っている態度を何度も神さまのまえに詫びて、自問自答しながら8日間を過ごしたのではないでしょうか。

 トマスは懐疑主義者であるとよくいわれます。一般の方々に福音をお伝えしようとすると、「復活がわからない」、「奇蹟が信じられない」とおっしゃいます。これがあるから信じられないと世の中の多くの方々は言います。ほんとうにそうでしょうか。わたしは、トマスのように触ってみなければ信じない、信じたい、信じたいけれどもわからない部分があってイエスさまを受け入れることができない。心のどこかでこのままの自分ではいけないという部分がわかっていて、わかっているんだけれどもわからない。多くの人たちは分かったら信じるといいますが、わかっても信じたくない、わかっても信じないのです。信じたくないのです。理屈では処女降誕が、復活が信じられないといいますが、ほんとうのその人のあり方とか罪という問題を触られたくないのです。

 トマスの場合は8日のあいだ、25節に書かれてある自分の言ったことばが絶えず心の中に繰り返されていたでしょう。何ということを言ってしまったのだろう。弟子たちにも素直になれない不信仰、頑なな自分というものに光が当てられていたのではないでしょうか。ただ単純に26 八日後にとあるのではないでしょう。

 8日後にトマスが仲間たちのところにいたときにも、やはり前とおなじように戸が閉じられていたのです。ところが、

イエスが来て、彼らの中に立って、「平安があなたがたにあるように」と言われた。27 それからトマスに言われた。「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。信じない者にならないで、信じるものになりなさい。」

 このように仰った。これは何を意味するのでしょうか。私たちがトマスのようにある問題に躓き、神さまなんかいるもんか、神さまいるならどうしてこんなめにあうんだ、そんなときに発したあの言葉この言葉を、イエスさまはよく御存知であられる。決してトマスが反逆的に信じないといっているわけではない。信じたいんだけれども信じることができない。それをイエスさまは「わかるよ」、こう仰って扱ってくださる。現実の信仰生活で、どうして! というとき、神さまがわからなくなって発することば、態度をイエスさまはよく見ておられる。そしてクリスチャンなのに神さまを信じているのにどうしてあんな言葉を言ってしまったのか、と悔い改めるときに、イエスさまはちゃんと「平安があなたがたにあるように」こういってくださるのです。トマスはそんなイエスさまに言いました。「私の主。私の神」。これは旧約聖書の経緯からいえば、「やっぱりあなたはあなたでした」という意味です。

                         -つづくー

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「北の文学 弟62号」合評会

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 「北の文学 弟62号」が刊行され、きょう27日午後1時から盛岡市にあるエスポワールいわてで合評会が開かれ参加してきました。出席者は27人。
 佐藤純公さんの「御山守小左衛門」が特別優秀作となりました。これは東日本大震災で被災した大槌町が舞台。大槌を愛され大槌の身近な史実をもとに作品を書き続けてこられた佐藤さんも津波で犠牲となられました。合評会には佐藤純公さんに代って奥様の勝代さまがご出席。故人の執筆のようすなどを伺うことができました。
 お買い求めいただきまして、絶筆となりました作品を読んでいただきたく思います。

 写真を巧く撮りかねましたが、

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正面左が佐藤勝代さま。右お二人が選考委員の先生方。

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左側の列の写真は巧く撮りかねました。残念です。

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左から浅沼誠子さん、佐藤純公夫人勝代さま、菊池尋子さん。



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晴れ

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 久方ぶりに青空を仰ぎました。買い物がてら上の橋から。午前中は広く青空がありましたが、午後4時近くにはこのように立体感のある雲がそちこちに。

 大きすぎる課題、抱えきれない課題に世の中が懸命に立ち向かっている。胸中に脳裡にぶわりと浮かんでは圧しつぶそうとする怪獣と格闘している。
 途方にくれるとき、何が何だかわからないときには私は祈る。


    
主の祈り

天にまします我らの父よ、
ねがわくは御名(みな)をあがめさせ給(たま)え、
御国(みくに)を来らせ給え、
御心(みこころ)の天になるごとく地にもなさせ給え、
我らの日用の糧(かて)を今日も与え給え、
我らに罪を犯す者を我らがゆるすごとく我らの罪をもゆるし給え、
我らを試みにあわせず悪より救い出し給え、
国と力と栄えとは限りなく汝(なんじ)のものなればなり、
アーメン


 

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「12の贈り物 東日本大震災支援 岩手県在住作家自選短編集」(道又力編)刊行

 けっして読書家とはいえないこのブログの筆者。従って、ここにプロ作家の著書を載せるのは、載せられた著作に失礼であろうという思いから、本の紹介は自分が所属する同人誌に限っておりましたが、このたび、県下在住の作家有志(でしょうか?)が東日本大震災のチャリティーとして、「12の贈り物 東日本大震災支援 岩手県在住作家自選短編集」を刊行しました。本書の印税は岩手県の東日本大震災被災地支援のために使われます。是非お買い求めください。

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 きょうは午後6時半からホテル東日本盛岡3階鳳凰の間における出版パーティーに参加してきました。出席者は約200人。岩手の文化を担っている方々、或いは支援している方々でした。美味しそうなお料理はありましたが、血糖値の関係で極力クレソン、ブロッコリー、トマトを選んでいただいてまいりました。
 ステージでは挨拶やら抽選やらありましたが、ほとんどは耳に入っては来ず、けっきょくは日頃顔を合わせる北の文学、もりおか童話の会の方々の話に耳を傾け、またもう一つの岩手児童文学の会の方々にご挨拶をしたのみに留まりました。
 パーティーの雰囲気をすこしでもお伝えしようとすれば、

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岩手在住のプロ作家諸氏。27日に立川ゆかりさんからこの写真を頂戴し、25日に掲載した写真と差し替えました。

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このホテルは中華が美味しい。これがもう一列右側に設けられておりました。
勿論、立食です。

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 北の文学、もりおか童話の会の仲間達と。たまたまそこに居合わせた方々と撮りました。
前列中央が立川ゆかりさん、その右が野中康行さん。後列左から菅原裕紀さん、久能惠さん、やえがしこうぞうさん。庭仕事で腕が真っ黒に日焼けしているのが私。この腕が炎天下にも稼いでおりますという無言のメッセージ。敢て長袖は着ません。汗水流し稼ぐこと労働することに親近感を覚えるこの頃です。稼ぐよりも書け! といわれそうですが。

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まるせい呉服店

 午後ぶらりと立ち寄ったのがまるせい呉服店さん。むかしは着物には興味がなかったが、たまにこちらのブログにお邪魔しているうちに、着物がけっこうおもしろい文化であるとわかってきた。盛岡の老舗であるお店の昔の写真が懐かしいです。


 こんなにゆったりとした時間が流れていた時代もあったのです。
 着付け教室も開いています。おもしろい先生が優しく教えてくださいます。
 
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 これが現在のまるせい呉服店さん。ことしの初売りに撮りました。

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 これはお店の前の道路。雪深いお正月でした。この長い冬が終わったところに、あの大震災。しかしこんな歴史、風雨にもどんと地域に根をおろし、多くの老舗が消えてゆく中で、地元に確かな貢献をしつつ、着物文化を楽しく発信しながら、質のよい着物を取り扱っていてくださるまるせい呉服店さんです。

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ドンマイ、ドンマイ

  きょうは何を書いたらよいか…とにかく一日中むら気な雨がぱらついていた。すこしばかりの晴れ間に塀の外回りのグラジオラスをぜんぶ引き抜いた。土の中に残っていた小さな球根から出た葉が、大雨に打ち叩かれ路上にへたっている。球根をすこしでも大きくしようと抜かないでおいたのだが見るに堪えない。またどこかに強制移住だ。増えすぎて横柄になったホタルブクロ、バーベナなど4種類の株も減らした。すっきりとした土にサルビアを植え込んだ。咲かないかも知れない。咲くかも知れない。何れ咲かないへそ曲がりがあるとしても、必ずどれかは素直に陽気に咲くだろう。spade

 体重が4キロ減った。いや減らした。
 一ヶ月前、血糖が高いと注意を受ける。義父のお葬儀のときにいただいた菓子折の殆どは差し上げてしまったが、お客様に出したバラの菓子を、恐ろしいことに無意識のうちに口に納めてしまっていた。当然の成り行きである。そこでこのひと月、一切菓子を食べなかった。例外は結婚式で新郎新婦が切ってくれたケーキ。これがとても美味しかったのだけれども。
 三食の食事以外にはおやつは無し。果物少々。そして始めたのが玄米食。コーヒーにはミルクだけ。3日前からは麦茶の代わりにウーロン茶。
 そしてきょうの体重は…ひと月前より4キロ減っていた。勝利!!と喜んではみたものの、さてこの飲食スタイルを、いつまでどこまで徹底できるかの先読みはない。何かの弾みでいっぺんにリバウンドするかも。それは兎も角、いまは、ちょっと侘びしい食生活。しかしかなりまともな食生活となっている。banana2分の1本。apple4分の1個cake誕生日だけ。いちばん不足しているのはrunかもしれない。club

 虫の音。秋の声だ。notes あすは暑さがもどるようだが、いまは涼しい秋の風。そういえばサルスベリの開花が遅い。11年前義母が亡くなった年には、ほんとうに撓わに賑やかに咲き、ついに枝が折れてしまったのだった。翌年からは必ず剪定をし、花がドンマイドンマイと咲こうとも折れないように手を打っている。命日は8月22日だから、やはり遅れている。ま、そのうち、おっと大変だ、いま咲かなくちゃ、と慌てて咲いてくれるかも。heart

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姑の命日

 朝起きて主人にいわれるまで、きょうが姑の命日であることを忘れていた。11年になる。雨中、新庄墓園のお墓参りとなった。浄水場付近が気温20度。真夏日の国見峠が20度だった。盛岡市動物園付近が16度。ずいぶんと涼しくなったものだ。

 雨があがった夕方に草取りをした。そろそろ原稿書きをしたほうがいいかなと思いつつ。同人誌に載せていただくのだが、書き始めるとどんなに庭が草ぼうぼうでも気にならなくなる。流石にお三度と洗濯だけは省略するわけにはいかないのだが。プロであればいざ知らず、そこまでしてやることではないと思われないでもない。さあて今年はどんなふうに。まあ、書いているうちには出てくるだろう。そして今朝ひろ子牧師にメールをしたお返事が頂けているかが気になりだし家の中へ。

 玄関先に置いたマダガスカルジャスミンが咲いている。

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 輪郭がすっきりと撮れなかったが取りあえずアップ。
玄関によい香りが満ちている。

 T子さんにいただいたカラスアゲハの子どもたちは、グレープフルーツの葉っぱから、強制的に葡萄棚の下に生えているちっちゃなサンショウの木に
移住させられ、はじめは大いに戸惑っていたようだが、4匹ともみな元気。葉っぱの縁がぎざぎざに食いちぎられているところを見ると、蛹になる直前までは何とかここに定着するもよう。特にネットは被せず自然のなりゆきに任せようと思う。何れすくすくと育っている。この木が食い尽くされたなら、こんどはまた次のサンショウの木に転居させるつもりでいる。

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きょうのことばー『復活の主とトマス』ヨハネ伝連講(114)ー

 日曜日は自分の復習も兼ねて、キリスト教会のメッセージをICレコーダーから起こし掲載させていただいております。

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 さて、きょうのインマヌエル盛岡キリスト教会(019-646-2924)國光勝美牧師のメッセージは、

説教題 『復活の主とトマス』ーヨハネ伝連講(114)ー
聖書箇所 ヨハネ伝20:19~29(太字は聖書からの引用です)

19 その日、すなわち週の初めの日の夕方のことであった。弟子たちがいた所では、ユダヤ人を恐れて戸がしめてあったが、イエスが来られ、彼らの中に立って言われた。「平安があなたがたにあるように。」
20 こう言ってイエスは、その手とわき腹を彼らに示された。弟子たちは、主を見て喜んだ。
21 イエスはもう一度、彼らに言われた。「平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします。」
22 そして、こう言われると、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。
23 あなたがたがだれかの罪を赦すなら、その人の罪は赦され、あなたがたがだれかの罪をそのまま残すなら、それはそのまま残ります。」
24 十二弟子のひとりで、デドモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたときに、彼らといっしょにいなかった。
25 それで、ほかの弟子たちが彼に「私たちは主を見た」と言った。しかし、トマスは彼らに「私は、その手の釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ、また私の手をそのわきに差し込んでみなければ、決して信じません」と言った。
26 八日後に、弟子たちはまた室内におり、トマスも彼らといっしょにいた。戸が閉じられていたが、イエスが来て、彼らの中に立って、「平安があなたがたにあるように」と言われた。
27 それからトマスに言われた。「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。信じない者にならないで、信じるものになりなさい。」
28 トマスは答えてイエスに言った。「私の主。私の神。」
29 イエスは彼に言われた。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。」


 先週は教会員のみなさま方のお祈りとご協力を頂戴しまして、予定しておりました結婚式を無事に執り行うことが赦され、また感謝会も御前に歓びのうちに開くことができました。主にあって心から感謝、御礼を申し上げます。
 前回はヨハネの連続講開を措いて、カナの婚宴からお話しましたが、きょうは、またヨハネの連続講開を続けます。

 19節に
「その日、すなわち週の初めの日」とありますが、これは日曜日のことです。イエスさまは真っ先に遊女であったといわれるマグダラのマリヤに復活した御自分を現わしましたが、これが日曜日の朝であった。これで福音のすばらしさがわかります。福音が、先ず、社会に認められず、蔑視されているような人たちに提供されている。あのクリスマスに、よき訪れは、先ず、羊飼たちに知らされたことを思い起こします。よみがえりも、先ずは、マグダラのマリヤにだったのです。そしてまたルカ伝を見ますと、主は、エマオ途上のお弟子さんたちにもよみがえりの御自身を現わしています。しかし弟子たちはその不思議な人物がイエスさまだとは気づかずに、墓に葬られたイエスさまのご遺体が消えたことなど耳に入った情報を話して聞かせている。マリヤにしても最初はわからなかった。このようにイエスさまというお方は、私たちがまだ気がつかないうちに、既に御臨在を示していてくださる。私たちの方が、それに気づかなかったり目が開かれていなかったりする。ひとたび目が開かれれば、この不思議なお方は、試練のまっただ中こ近づき、「私だよ恐れることはない」と語りかけてくださるのだと思うことであります。
 
19節「その日、すなわち週の初めの日」、弟子たちが一つ所に集まっておりました。そしてその中によみがえりの主が現れてくださいました。週の初め日に私たちは教会に集まっております。いつ頃からこのようになされたのか。そもそもユダヤ教の人たちの安息日は日曜日ではなく土曜日でした。クリスチャンたちが、日曜日に集まるようになったきっかけは、よみがえりのイエスさまにお会いしたのが日曜日であったことでした。マグダラのマリヤがそうでした。私たちは日曜日にただ習慣的に教会に集っているのではない、その契機は、日曜日の朝に復活のイエスさまにお会いしたという出来事であったことを心に留めておきたく願うものです。

 19節に「平安があなたがたにあるように。」とイエスさまが挨拶をされている。シャローム。これはユダヤの人たちの間では、「おはようございます」、「こんにはは」、「おやすみなさい」といった日常的な挨拶のことばです。ですから聖書にも、「平安があなたがたにありますように」と訳してあります。まったく自由な立場での個人訳も、「こんにちは」、「こんばんは」というように訳してある。しかし多くの注解者はそれを正しい翻訳と認めてはおりません。たしかにそれは一般的な挨拶の言葉ではあるのですが、ここでは明らかにそれ以上の内容を持っている。決して、「こんばんは」とか「こんには」という気分でイエスさまが弟子たちの前に立ったのではない。
 「平安があなた方にあるように。」という意味は、 
 参考にヨハネ伝27章27節にはどうあるか。

27 わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしててはなりません。恐れてはなりません。
 
ここのところは、イエスさまが、「やがてあなた方から離れていくときが来る、だけれども、わたしはあなたがたに平安を与えるのだ。だからだいじょうぶ。わたしはわたしの平安を与えるのだよ。だからだいじょうぶ」とでもいうように不安に戦いているお弟子さんたちに幾度も繰り返してイエスさまが「平安を残す」、「平安を残す」と約束してくださっている箇所なのであります。

 そうです。20章19節にあるとおり、お弟子さんたちは恐れおののき、失意落胆のどん底にありました。こんどはユダヤ人たちが自分たちを捕え、酷い仕打ちをするに違いない。戸を固く閉じ鍵をかけていた。そんな心境にあった弟子たちに、イエスさまは、「こんばんは」と現れるはずがない。「シャローム」、「平安があなたがたにあるように」。ほら、わたしでしょう。わたしはあなた方に平安を与える、平安を残すといったでしょう。平安があなたがたにあるように。そして20節、「こういってイエスはその手と脇腹を彼らに示された。弟子たちは主を見て喜んだ」。「ああ、イエスさまだ、よみがえられたお方だ」という喜びをもう一歩深めますと、イエスさまはその手と脇腹を彼らに示されたという事実です。つまり十字架の贖いという大きなイエスさまの試練、十字架の意味をイエスさまが格別にここで示されている。、確かに「イエスさまはよみがえられたのですね」というただそれだけでも大きな恵みではあるのですが、しかし、それを一歩超えて、ここで弟子たちは、このイエスさまの十字架の意味、世の罪のために、神の小羊として神の裁きを受ける十字架の贖いをなすために御苦しみを受け、それがまさしく全うされたイエスさまのお体を見て、「弟子たちは主を見てよろこんだ」のです。
 そして、21節に「イエスはもういちど彼らにいわれた」と続くのです。「平安があなたがたにあるように」。これだけ改めて「あなたがたに平安があるように」と二回も、しかも十字架の贖いのしるしを弟子たちに敢てもういちど確認をさせて、「平安があなたがたにあるように」といわれたのは、諄いようですけれども、ただユダヤの人たちの挨拶のことばではない。
 イエスさまは彼らにもういちど「平安があなた方にあるように」と、ヨハネ伝14章にある十字架に赴く直前にイエスさまが語られた数々を確認をさせてくださったと見るべきでありましょう。

 さてそしてもうひとつ大切なことは21~23節のイエスさまのおことばです。
「父が私を遣わしたように、わたしもあなた方を遣わします」

 これは意味のあることばです。私たちクリスチャンは、ひとりひとりがイエス様から派遣されているものである。父なる神さまがイエスさまをこの世に遣わされたように。その使命を私たちに託してくださっている。父から遣わされたイエスさまは、「使命を無事に果たして成しおえました」と40日後に天にお帰りになり御座に着座されたお方です。その証しとしてのペンテコステでした。聖霊が弟子たちに与えられてキリスト教会は誕生していった。あの聖霊が天からくだされて教会が誕生し、そして福音が教会を通してのべ伝えられていく。そこに当然のことながら、教会の権威というものが付随してくるわけですが。何かこの21~23節がペンテコステのできごとに似て、或いはそのミニチュア版なのか。ミニチュアというと、本物ではない、模型のようなという意味を持つのですが。
 使徒の働き2章に書かれているあのペンテコステの出来事。世界各地から集ってきた人々が、「われらがこの大いなる見物を見た」という、これはいったいどういうことか、世界中の国がイエスさまの御業をそれぞれの国の言葉で聞く、そして人々は悔い改めてその日に弟子に加わったもの3000人あったというような大きな出来事、これはミニチュア版といっていいのだろうか、それとも、本質的にあのときとまったく同じことがすでに成されたと見ていいのでしょうか。わたしは、この21~23節のおことばは、使徒の働き2章のあの出来事の予告編と見るにはあまりに大きなこと、これはペンテコステの出来事そのものであるというように受けとめてもいいのではないか。今日の私たちにとって、むしろそのように理解したほうが多くの祝福をいただけるように思うのです。つまり私たちはみな使徒の働きの2章のような出来事を経験するのが聖霊に満たされるということであり、よく言われるきよめの経験、ペンテコステ聖霊に満たされるということはあの使徒の働き2章の経験なのだとすぐに直結してみるよりも、むしろこれは極めて小規模な限定的な、個人的なそういう扱い方。ああそうか、もしこれがペンテコステの出来事と本質的に同じなのだと見るなら、これはいま私たちにも適応できる事柄ではないか、そのようにこの22節からをあじわって見ますと、「こういわれると彼らに息を吹きかけて言われた。聖霊を受けなさい」、これは、あの創世記の2章において、地の塵から神の形に似せて造られ、そこに命の息が吹き込まれ、そのとき人は生きるものとなった、それと同じように、イエスさま御自身が私たちに、新しい命を吹き入れて「聖霊を受けなさい」と仰る。これも前回申しましたが、受けなさいということばの意味が、ただ受け身的に、雨が降ってくるのを地面が受けるように受けなさいではなくして、むしろ意志的にそれを受け取るのです。「あなた方は力を受けるまでは都に留まっていなさい。あなた方は間もなく聖霊を受けます」。そうです。まさにそのとき、弟子たちにさあ、あなた方はそれを積極的に意志的に受けなさい、こういわれたのです。

 ヨハネ伝20章23節「あなた方が誰かの罪を赦すならその人の罪は赦され、あなた方が誰かの罪をそのままのこすなら、それはそのままのこります」。これは非常に厳粛な、畏れ多いイエスさまのおことばです。私たちが誰かの罪を赦すなどということができるのでしょうか。或いは誰かの罪をそのまま残すことなど私たちにはできるのでしょうか。戸惑います。しかし聖書の、イエスさまのおことばですから、これはいったいどういうことを意味するのだろうか、これはまさに福音の真理です。イエスさまは私たちに罪の許しをそして悔い改めを人々に教えるところの福音をわたしたちに委ねてくださった。それはイエスさまが、父なる神さまから負わしめられた御目的でもありました。その福音を私たちは受けて、その同じ権威をもって、つまり教会の権威というのはこのことだと思うのです。これをたとえば、誤った教会の権威というものを理解してしまいますと、たとえばペテロの、私はあなたに天国の鍵を与える、あなたがこれを閉じるのなら、またこれを開けるのならという、マタイの16章はしばしば心に留めるところですが、果たして教会の権威というものは何なのだろうか。汝はペテロなり。ペテロに天の鍵が与えられる。そのペテロの後継者はローマ教皇であった、そして、その使徒的権威が代々ローマ法王に受け継がれ、教会の権威であると理解されるなら。実際に歴史上に於いてもローマ法王に破門されるということは、即ち永遠の滅びを意味しており、破門を恐れてその権力者に従わざるを得ない時代もありました。果たしてそういう権威をいっているのだろうか。そうではない。マタイ16章18~
18 ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。
19 わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。何でもあなたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたが地上で解くなら、それは天でも解かれています。」
 このペテロに与えられたおことばが、ヨハネ伝19章を見ますと、これが決してペテロにだけ与えられたのではないということがわかります。
 ですからこの一事をみてもローマカトリックが天国の鍵をペテロが持っていると主張するのは、これは聖書の全体的な理解から見て誤りだと言わざるを得ません。なぜならヨハネの19章のところにペテロとは書かれていない。「教会に与えられている」と書かれている。教会にというよりは弟子たちにと。では弟子たちのこれは何なのか。それは聖霊を受けよとイエスさまがあのお弟子さんたちの中に立って言われたその人たち、つまり福音の真理ということこそ権威である。誰かが、或いはこれが教会という一つの地上組織が何か権威というものを負わしめられているというように理解するのではなくして、「あなた方が誰かの罪を赦すならその人の罪は赦される」というこのおことばは、聖霊を受けて福音の真理というものが、つまり、イエスさまの十字架の御手と御腋のあの贖いの事実というものを、そしてこれ以外に救いはない、神の御子が命をかけて贖いをなしてくださったこれを信じる意外に道はないというこの福音の真理こそ権威を持っている。真理こそ権威を持っているものであって、それを私たちはしっかりと保持していかねばならない。そして保持をしているからこそ、「あなた方が誰かの罪を赦すならその人の罪は赦され、あなた方がだれかの罪をそのまま残すなら、それはそのまま残ります」。真理をしっかりとへりくだって神さまの前に受けている、贖いの恵みの真理をしっかりと保持しているところこそ、まさにそれこそが教会である。それこそ教会の権威であるということを私どもは心に留めたいと思うのであります。
 きょうはおもに前回の復習のようになりましたが、次の機会にまた24節のところに入ってゆきたく願っておりますけれども、このトマスという人物がイエスさまの復活の場所にいなかった、何の理由であったかはわからない、しかしここは説教者のさまざまな空想を掻きたてるところでもあります。サムエル・チャドウィックというメソジストのジョン・ウェスレーの流れを汲む名説教者が欠席者という説教をそんなところからしております。週の初めの日にみんなが集まっているときに、そこにどんな理由があったとしても、そこに集まることができなかったトマスという人物。またこのトマスという人物が非常な懐疑者であった。わたしがその疵の中に指を入れるまで信じないと言った。しかし彼がいたからこそイエス・キリストの復活というものが、ほんとうであったという証拠となったと見ることができるでしょう。いずれにせよこのトマスという人物にこの次は焦点を合わせて見ていきたく願っております。

※編集上、短くするために省略した部分がございます。
 文
責:中ぶんな

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あすは日曜日ーバッハー

 土曜日になるとこの人を思い出す。

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 J.S.バッハ。誰でもが知っているこの方。音盤にも顔写真は少ない。ほとんどが演奏者の、楽器の、聖堂の、聖画の、或いはキリストの写真が使われている。これはレオンハルトのCDに使われている写真。

 バッハはカトリックだと思いこんでいた時期があった。しかし彼はプロテスタント。教会では、毎週日曜日に讃美歌をうたい、聖書からの説教を聞き、お祈りをしている。バッハは、毎日曜の礼拝に間に合わせて作曲していた。というわけでその作曲数は膨大な数にのぼった。2007年に完成した「バッハ全集」には1100収められており、整理はまだ続いているらしい。もしかすると散逸してしまったものもあるかもしれない。

 毎週日曜日に向けて牧師が説教を準備するのと、作曲をするのとでは、いったいどちらが大変だろうか。質的には作曲も神に献げるのであれば説教と同じくらいの位置づけをしてもよいのではないかなどと私は思ってしまう。それで土曜日のいま時間になると、真剣に五線譜に向かっているバッハを、なぜか現代の作曲家が音符を入れ替えたり、一オクターブあげてみたり、調を変えたりしているすがたに重ね合わせて想像してしまうのだ。そんなときには、おそらく妻は、子どもたちを父親の仕事場に行かせないように、うっかり話しかけないようにそれは神経を使っていたのではないかと勝手に想像する。1685~1750に防音壁はあったろうか。特に土曜日ともなると、曲想がすんなりと浮かぶときにはバッハのご機嫌はこの上なし。しかし真夜中ははや過ぎ、白々と夜が明け、それでも音符の一つも浮かばない、こんなことがあったかどうかはわからないが、そんなときにはやはりかなりの焦燥感に見舞われもしたのではないか。そんなことは無かったかもしれないが。それはともかく、彼は礼拝が始まる直前には間に合わせたらしい。毎週毎週である。

 曲が出来上がったときには、彼は必ず神に感謝しただろう。そしてまた新たに神への信頼を増し加えたに違いない。次から次へと溢れ出てくる音楽は、神という井戸につるべをおろし汲み上げていたからこそ涸れなかった、そんな気がする。そして聖霊によって宇宙全体と透過性のある関係があったのではないかとも思われるのだ。

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カラスアゲハ

 きのう近所のT子さんの庭のヘブンリーブルーのアサガオを見せていただく予定が雨天順延となり、晴れ上がったきょうに。
 アサガオは道路からちょうど目に入る高さのところに。たくさんのアサガオが青空色の衣装を身につけ青空に呼応しているかに咲いていました。それにしても我が家は苗を植え込みすぎ。
 そしてT子さんの玄関までの湾曲する石畳の両側にはとりどりの花が新鮮さを保って競って咲いている。猛暑のあとでもあり枯れた花もあるだろうと思いきや、そんな日にはダンボールを被せるなどして花を護ってあげたらしい。それでいまも活き活き。庭に置かれたテーブルでお茶。そこにひらひらと飛んできたのがカラスアゲハ。いくども近づきはなれ、また近づいている。飛来している樹木はグレープフルーツだという。種から育てたものらしい。見ている目の前でカラスアゲハが再び産卵。初めての目撃である。カラスアゲハが飛び立つと、1㎜ばかりのイエローグリーンの球状の卵が一つ葉っぱに残されていた。この葉っぱは枝に斜についている。この急傾斜に産卵しても落ちないこの不思議。球状の表面は何か滑りにくい皮膜で保護されているのだろう。T子さんによると、卵はけっこう固くて潰れにくいという。巧くできているものだ。
 見ていると連続的に産卵するというよりも、一つ産むとそこから離れ、またひらひらしてからまた一つ産み付けるという行動を繰り返している。恐らくこれにも驚くような理由が隠されている気がする。

 T子さんが取ってくれた卵。これは産卵後何日か経っているだろう。いただいたばかりのときは、まだイエローグリーン一色のきれいな球だったが、11時頃に持ち帰り、22時のいま、午前のうちに見えていた黒い斑点がすこし大きくなっている。写真では全体黒く見えるが、黒っぽいのは球の上部一点のみ。 

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下は一令幼虫かと思われるが、まだ調べてはいない。

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 成虫が間近に何度も飛来した。やはりカメラを取りに戻るべきだったと後悔した。あれぐらいの見事な蝶はなかなかお目にはかかれない。

 成虫がどのような立派なすがたであるかここにご紹介できないのが無念なので、カラスアゲハの写真が載っているブログにつながせていただきました。こちらの6枚目の写真がそうです。カラスアゲハの写真をたどるうちに見つけましました。カラスアゲハにもさまざまあることにまたまたびっくり。天はよくもこのように蝶の翅の形と色とを細かに幾通りにも創り分けたものとただただ驚くばかり、よほど才能のあるデザイナーを抱えているとしか思えません。

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「六段の調べ」

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 これは教会の聖会の会場となったホテルのラウンジからの眺め。ほっとする窓。切り取っておいた。
 改めていま取り出して眺めるうちに、箏曲「六段の調べ」が胸中に鳴った。背後の樹林が靄がかっている。テンポが速くなるあの部分からが、この樹林の奥深くまでどこまでも大きく小さく響きながら駆けめぐる。邦楽は私には悠長で間延びし過ぎると思われることがままある。しかしこの「六段の調べ」はそれを感じさせない。間が長くともその間に歴とした意味が成立している。格調の高い名曲であると思う。

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雑感

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 マダガスカルジャスミンの蕾。蕾ができたからといってこれが完全に花開くとは限らない。さまざまな条件が加わることによって蕾が簡単に落ちてしまうこともある。月下美人ははじめに花芽が5つついていたのだ。まだ2センチほどだった。それが数日経ってみると1つだけになっていた。鉢植の中をのぞくと落下していた。2センチ大のままで。気づいたのは残りの一つが10センチ大になってからだ。それがもう1日2日で咲くというとき。しかし最後の一つが咲いてくれた。落下した蕾には管理不行き届きで可哀想なことをしてしまった。しかし一つだけは残してくれた。ぜんぶは取り去られなかった。それで十分ではある。
 マダガスカルジャスミンも果たして幾つ花開き良い芳香を放ってくれるだろうか。

 風が強くなっている。開けはなった窓から雨が吹き込んでくる。スキャナに水滴が。いそいで窓を閉め水滴を拭った。屋根を打つ雨音。

 花の話ばかりで、人はどうなったということにもなるだろう。
 盆休み中、二男は海岸で一泊のキャンプ。主人は来客に備え自宅待機。

 わたしは結婚式出席があった。これがすばらしい結婚式。新郎新婦がほんとうに幸せそうだった。そして教会のお一人お一人が心をこめて役目を果たしたこと。トーンチャイム、奏楽、司会、男性合唱、祝辞、デザート作り、フラワーシャワー作り、そしてひろ子牧師が製作したフラワーアレンジメントはパーティーの華やかさを演出。新郎新婦のテーブルに一基、客席に四基。新郎新婦のプロフィール写真をスクリーンにプロジェクターで映しだしてくださった方、写真を集めて制作してくださった方、受付、あとは書き落としてはいないか、カメラマン役、素敵なプログラム製作。その他その他。こんな心のこもった結婚式はそうあるものではないと思う。わたしも端役を受け持たせていただいた。それが何かは?

 つい結婚式の話が長くなってしまったが、こんどは家族の、兄弟のはなしに。15日朝5時に関東を出発、北上してきた姉夫婦(高速は渋滞もなく走行。知人が関係していたという釜石を経由、大変な衝撃をうけたという。盛岡近郊に宿を取っての宿泊。勿論私は自宅泊)と弟家族とともに16日行動、昼食、歓談。こうしてみると初盆のさ中、いちばん楽しく過ごしたのは私かも知れない。長男は仕事で帰省はなし。もっとも義父の葬儀の時に長く休暇を取ってしまっている。

 そしてきょうは10分ばかり、T子さんが庭先に。我が家のアサガオは苗を多く植え込みすぎたらしい。明日の朝彼女の家のアサガオを見にいくことになっている。また花の話、と、長引く前に、
 きょうの一日に感謝しつつ、PCの電源を切るとしよう。

 

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月下美人

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木立の下に置いておいた月下美人をひるまのうちに家の中に運び入れる。
蕾が「こんばん咲きます」と言っていたからだ。
18時、22時と撮った。
いま外を見ると空には雲がかかり、月も星も出ていない。
もし外に置いたままであったなら、咲くところを見ている者は誰もいない。
家の中に置かれてはじめて見る者もいる。
しかし外に出したままであったなら。
このように咲いているところを見るものはないのだ。
それでも真っ暗闇の中で咲くだろう。
見る者がいようといまいと
頑張って咲いている。

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終戦記念日か大震災追悼か

 タイトルを「終戦記念日ー戦後66年ー」とすることも浮かんだが、今年は3・11の後遺症が重すぎて、なかなか終戦記念日には照準が合わない。
 岩手の内陸部に住み、あの津波から4ヶ月経ったときに、やっと宮古市、山田町を訪れている。大震災を潜ったいまに終戦記念日を迎えて思うことは、どこか一隅を担って、すこしでも人としてまともに生きようと自分なりの努力をすることかもしれない。

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 義父はキリスト教に理解をしめしながらも、義母が仏教で葬られたことでやはり仏式での葬儀となった。初盆ということで、きのうわたしが家を空けた午後にも来客があったらしい。きょうも「仏壇にお線香を」の方々が。しかし不思議だと思う。実際にはもういなくなった人を訪れてくれるのだ。あすはわたしの弟と姉夫婦が、亡き義父に礼を尽くそうとやってくる。仏教の教義からいえば、盆中は霊が帰っているといった歴とした理由があるのだろう。わたしはイエス・キリストが神であると信じている。しかしまた伝来の宗教信条を決して蔑ろにしてはならないとも思っている。

 室温28度。窓から風が吹き込んでいるので、それよりは涼しく感じられる。今夜はめずらしく救急車の音がしない。昼間の
暑さもいまは遠のいて、静かな夏の夜だ。 

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きょうのことばー『主の栄光のあらわれた宴』

 日曜日には、心の糧となるものをお届けしたく願い、キリスト教会の聖書からのメッセージをお送りしています。
 きょうこの教会では午後に結婚式がありました。東京在住の若いおふたりが来盛。この教会で結婚式を挙げたのです。私はきょうは家の事情で午前の礼拝はICレコーダーに録っていただき、午後からの結婚式に出席いたしました。神さまの見まもりによる幸いをお祈りしたことでした。

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 さてきょうのインマヌエル盛岡キリスト教会(電話019-646-2924)の國光勝美牧師のメッセージは、
説教題 『主の栄光のあらわれた宴』
聖書箇所 ヨハネ伝2章1~11節

1 それから三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があって、そこにイエスの母がいた。
2 イエスも、また弟子たちも、その婚礼に招かれた。
3 ぶどう酒がなくなったとき、母がイエスに向かって「ぶどう酒がありません」と言った。
4 すると、イエスは母に言われた。「あなたはわたしと何の関係があるのでしょう。女の方。わたしの時はまだ来ていません。」
5 母は手伝いの人たちに言った。「あの方が言われることを、何でもしてあげてください。」
6 さて、そこには、ユダヤ人のきよめのしきたりによって、それぞれ八十リットルから百二十リットル入りの石の水がめが六つ置いてあった。
7 イエスは彼らに言われた。「水がめに水を満たしなさい。」彼らは水がめを縁までいっぱいにした。
8 イエスは彼らに言われた。「さあ、今くみなさい。そして宴会の世話役のところに持って行きなさい。」彼らは持って行った。
9 宴会の世話役はぶどう酒になったその水を味わってみた。それがどこから来たのか、知らなかったので、―しかし、水をくんだ手伝いの者たちは知っていた―彼は、花婿を呼んで
10 言った。「だれでも初めに良いぶどう酒を出し、人々が十分飲んだころになると、悪いのを出すものだが、あなたは良いぶどう酒をよくも今まで取っておきました。」
11 イエスはこのことを最初のしるしとしてガリラヤのカナで行い、ご自分の栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた。


 先週までの講壇はヨハネ伝の連続講開でした。しかしきょうはご覧の通りの準備もできておりまが、午後から結婚式がございます。そこで、一旦連講を措きまして、それに相応しい聖書の箇所、ヨハネ伝2章のガリラヤのカナでの婚礼のお話しをいたします。午後の結婚式に、また、イエスさまがこの場所にお集いになっていることを心に留めながら恵みをいただきたいと思っているところでございます。

 イエスさまは多くの奇蹟を行われたことを皆さまはご存じです。それではイエスさまが初めて奇蹟を行ったのはと言えば、このカナの婚礼のとき、水を葡萄酒に変えたことでした。もっとも大きな奇蹟は復活です。数ある奇蹟のうちの初めがカナの婚礼だったのです。ややもするとクリスチャン生活
、教会生活というと、喜ばしい楽しいというよりも寧ろ厳格で堅苦しいと思われがちです。楽しみ喜びとは対極のイメージを持たれる場合が多い。しかし、イエスさまの奇蹟のいちばん初めは喜びの場所であったことを心に留め、福音というものは、イエスさまの慶びの奇蹟から始まったのだ、こう覚えることは大切な意味のあることだと思います。

 そして11節、イエスはこのことを最初のしるしとしてガリラヤのカナで行い、ご自分の栄光を現わされた。それで弟子たちはイエスを信じた。
 この最初のしるしが、ご自分の栄光を現わされた奇蹟であった。さあ、これはどんなことなのか。出来事はとても単純なおもしろい事件です。婚礼に招かれたと2節にございます。イエスも弟子達もその婚礼に招かれた。1節を見ますと、「イエスの母がいた。」とあります。ガリラヤのカナの婚礼では、イエスさまのお母様マリヤさんは迎える側にいた。そしてイエスさまとお弟子さんたちは、そこに招かれていた。ですからよほどイエスさまと近しい関係の方々が、これには色々な説があるようですが、それはそれといたしまして、非常に近しい人の喜ばしい婚礼の場所が舞台であるとわかります。しかしここで大変なことが起きたわけです。それは、ふる舞いのための葡萄酒がなくなってしまった。当時の社会では、今の日本でも結婚式が何日にも亘るということがあるのかもしれませんが、この当時で、婚礼はだいたい1週間続いたようです。7日がふつうですが、14日間つまり2週間祝宴が続くということもあったようです。

 いずれにせよ、喜ばしい婚宴でみなが楽しんでいるときに、葡萄酒がなくなったのです。まだまだ祝宴がつづくというのに。さあ主催者側としては大変なことになってしまった。「母がいた」とありますから、マリアさんは宴の主催者側にいたわけです。それがこの緊急事態。さあ困った、どうしましょう。そこにイエスさまがいたわけですから、マリヤさんは、イエスなら何とかできるだろうとこのピンチをイエスに告げます。ところが4節を見ると
イエスは母に言われた。私は「あなたはわたしと何の関係があるのでしょう。女の方。わたしの時はまだ来ていません。」。こうおっしゃっている。捉えようによっては、随分冷淡であるとおもわれますが、きょうは詳しくは省略しますが、これは決して冷たく突き放したのではありません。それは心に留めておきましょう。その証拠に5節で、お母さんのマリアはこういっています。
「あの方が言われることを、何でもしてあげてください。」
 お母さんのマリヤは、このイエスさまのおことばの背後に、必ず大きなわざを起こすに違いないと確信していた。だから舞台裏で手伝っている人たちに、「イエスが言われることを何でもしてやってくださいね」と頼んでおいている。
そして6節以降
そこには、ユダヤ人のきよめのしきたりによって、それぞれ八十リットルから百二十リットル入りの石の水がめが六つ置いてあった。
 これはきよめの儀式に使う水であり、婚宴に集われる方々の足を洗ったり、またこれは汚れている足を洗うというだけではなく、むしろそれが一つのしきたりであって、足を洗ってから宴席に入るという慣わしに使う水でもあったのです。
そこでその水瓶が6つ置いてあった。7節でイエスは仰る。
「水がめに水を満たしなさい。」と。彼らは「言われた通りに水瓶の縁までいっぱいにした」。水を入れたのです。そのことを彼らはよく知っているのです。

 その次にイエスさまは彼らにこう言われました。8節「さあ、今くみなさい。そして宴会の世話役のところに持って行きなさい。」さあどうでしょう。汲んでいく僕はこれが水であることを知っているわけです。しかしあの方が言われることは何でもその通りにしてあげてくださいと言われて、その僕は宴会の世話役のところにそれを持っていったのです。さあ、9節、「9 宴会の世話役はぶどう酒になったその水を味わってみた。それがどこから来たのか、知らなかったので、―しかし、水をくんだ手伝いの者たちは知っていた―彼は、花婿を呼んで
10 言った。「だれでも初めに良いぶどう酒を出し、人々が十分飲んだころになると、悪いのを出すものだが、あなたは良いぶどう酒をよくも今まで取っておきました。」
」これは吃驚した。もう十分にのんだそのあとに極上の葡萄酒を用意しておくとは、なんというすばらしいことか。ピンチが逆転満塁ホームランのような素晴らしい勝利のそれになったわけでございます。

11節、「 イエスはこのことを最初のしるしとしてガリラヤのカナで行い、ご自分の栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた。

 私はきょう、ただ一つのことをお話しをさせていただいて、メッセージを締め括らせていただこうと思っております。それは、その新家庭にイエスさまが招かれている家庭である。これは何と幸いなことでありましょうか。その家庭にイエスさまが招かれているときに、いえその家庭にイエスさまがおられるときに、たとえ思わない困難や試みがやってきたとしても、必ずイエスさまはそこにおいて栄光を現してくださる。もしこのピンチといわれるときに、この危機に際して、どうしてもっと準備しておかなかったんだ、こうなることはわかってたじゃないか、誰の責任だなどというように、普通ならば、そのような裏に於いてああでもない、こうでもない、というようなことばが交されても当然かもしれない。しかし、その家庭に、イエスさまが招かれてイエスさまがおられるときに、たとい不測の事態が起ったとしても、実はそれこそ神さまの栄光の現れるその源となる。この一つのことを、私はきょうみなさま方に、既に家庭を築いておられる方、或いはこれから築こうとしておられる方々、その家庭にイエスさまが招かれているかどうか、それが鍵です。イエスさまがおられるときに、たとえどんなことがあったとしても、実はそれこそ主の栄光が現れるその始まりとなる。そのことを心に留めさせていただきたいと思います。

※編集の都合上、若干割愛してございます。文責:中ぶんな

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墓参り

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 朝4時半に起きて煮染めと赤飯をつくる。曇っているうちは幾分涼しかったが、7時15分、まるでステージのライトを切り替えたかのように強烈な日差しに変わり、カリッとした暑さとなる。 
 花、そしてこの墓地の規則で供えても直ぐに持ち帰らなければならない供物などを車に積み込み、新庄墓園めざして出発。岩山の登り口交差点付近の池にピンクの蓮が見事に咲いている。カメラを忘れてきたことに気づく。浄水場付近の気温24度、岩山動物園付近23度。
 墓園に着くともう車が40台ばかり、山懐を造成した広い墓園に駐車されている。

 ことし5月に亡くなった義父、そして義母に礼を尽くし、被災地の多くの方々のお盆に思いを馳せた。

 この墓園は市営。広さは凡そ63万4000㎡。普通墓地と芝生墓地とがある。わが家は普通墓地なのだが、祖父母が準備した墓地にもの申すつもりはないが、実はわたしは、芝生墓地のほうにより安らぎを覚える。芝生墓地の区画は凡そ3200。墓石の規格は決められている。3200基のお墓に花が供えられたときの何とも言えないイースターを連想させる美しさ。実際には花がないところもあるのだけれども。そのようなわけでお盆中が年中でもっとも美しい。ここにはキリスト教会会員だった方々、そして無宗教だった主人の友だちも眠っている。中央には道路が通り、白樺が植え込まれ、遠くには北上山地の山々が稜線を連ねる。
 お参りをし帰る8時頃には車がひっきりなしに到着。縁石から乗り上げて芝生に駐車する車が相継いだ。
 まわりには山野草、山菜が多く生えている。カモシカが出没したこともある。管理事務所が置かれいつもきれいに管理されている。

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花々を海の彼方に

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  あすからはお盆。
 私の姉夫婦は混雑のピークを避けて北上するらしい。
 あすの活力を温存すべくはやいめにきょうという日を閉じようと思う。

 行方不明の方々に献げる花はいったいどこに置けばよいのだろう。
 

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弟46回音楽の夕べ」ー宮古ジュニア弦楽合奏団 主幹ー

 2011/08/07(日)「音楽の夕べ」の写真撮影でミスをしでかしたと思っていたところ、ミスをしでかしたと思いこんでいたことがミスであることが判明。画像はカメラに納められておりました。画像がパソコンに流れ込んできたときは嬉しかった!!

さて、宮古ジュニア弦楽合奏団には、海外から多くのお見舞い、激励メッセージが寄せられましたが、これがその一つ。この方々の善意に、必ずや屈せずに楽器の弓を引き歌う宮古ジュニア、立ち上がり立ち直った宮古市、そして東日本を報告できる日が。

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開演前のチューニング。これもまた演奏前の楽しい音の一とき。 

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下は7日の宮古湾。遠くに迫り出した岬と岬のあいだから、あの獰猛な餓鬼と化した津波が陸をひと呑みに叩きつぶさんと押し寄せたことなど想像もできない静けさ。

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子どもたちは懸命に。ほほえみも。一途に。無心に。和らいだ瞳、輝くすがた。

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3・11から5ヶ月を経て。片付けられた市街地。そして瓦礫の山。

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前列右から梅村圭一先生(指揮)、小松(旧姓梅村)智佳子先生、梅村真美先生、梅村隆一先生(コンサートマスター)。最後列背後の幕の中央からすぐ左に梅村妙子夫人。夫人はいつも控えめな位置に。そして天の観客席には梅村保氏、梅村功二氏が。
 
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瓦礫の撤去作業に終日動く重機。

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最後は合唱団も登場。主人とわたしも歌ってきました。宮古市民歌。宮古に住んでいたときには歌ったこともなかった宮古市民歌。こんなにいい歌だったなんて! 遅ればせながらの発見でした。
工藤和久作詞、石若雅弥作曲
一、大海のぞむ陸中の 朝日に港明けてゆく
  浄土ヶ浜の大空に うみねこ歌う平和郷
  森・川・海きらめいて
  森・川・海うるわしく
  自然と人との未来を創る
  みんなが やすらぐ このまち みやこ 



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〈出演〉
弦楽:宮古ジュニア弦楽合奏団/梅村ヴァイオリン音楽教室/カワン・バグスストリングオーケストラ有志/Stem String Ensemble有志
ピアノ:松原佳代子音楽教室
合唱:幼・小・中学生/一般/宮古女性コーラス/コールふじ/コーラス「ブリランテ」/新里コーラス/宮古木曜会合唱団・ひばり/ひまわり有志
合唱指導:小松智佳子
主催:宮古市で交響曲を演奏する会/宮古市芸術文化振興に資する会
主幹:宮古ジュニア弦楽合奏団
後援:宮古市教育委員会/宮古市音楽団体連絡協議会/宮古民友社/岩手日報社/朝日新聞盛岡総局/読売新聞盛岡支局/月刊みやこわが町/河北新報社盛岡総局/毎日新聞盛岡支局/めんこいテレビ/NHK盛岡放送局/IBC岩手放送/岩手朝日テレビ/テレビ岩手

 

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黒森展望台より望む

  「音楽の夕べ」の続編を書こうと思っていましたが、きょうは早い目にやすむことに。
 秋田県の田沢湖の聖会に行ったときの写真を掲載します。
 豊かな緑がくれる潤いは何にも代え難いと思うこの頃です。

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はた織工房 ー宮古市根市 伊藤教室ー

 7日、宮古市に行った折りに、根市にある「はた織工房」に立ち寄らせていただきました。というよりも、主人のかつての同僚だった伊藤先生を訪問してみると、何と先生は、こんどは、はた織の先生をしておられたのです。お弟子さんは4人。工房には、はた織機が四台設置されていました。
 教室は、国道106号線を並行に走る山田線の根市の踏切を渡って道なりに行くとすぐにわかります。庭に立っているミニチュアの赤い屋根のキャビンが目印です。

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伊藤先生をご紹介します。あたたかいお人柄。細やかな気遣い。はた織だけではなく教えていただくことがたくさんある先生です。

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先生の作品の数々。ご覧になっていただければ、もうわたしの説明は要りませんね。

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このほかにも素敵な作品がいっぱい!! 是非立ち寄ってみてください。

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被災地を慰め励ます楽の音ー宮古ジュニア弦楽合奏団 弟46回「音楽の夕べ」

 2011/03/11の東日本大震災で、磯鶏西にある方の梅村ヴァイオリン教室は、玄関の間近にまで津波が押し寄せたようですが、すんでのところで浸水を免れたと妙子夫人よりお聞きしました。当初は宮古市の知人から被災はしていないと聞いておりましたが、波は足元にまで迫ったといいます。また教室にも家を流され、ご家族を失った方々がいらっしゃることを知りました。しかしながら国内外から多くの支援があり、恒例の「音楽の夕べ」が2011/08/07(日)に実現。音楽の灯はこの苦難、慟哭の年にも絶えることなく被災の地に人の心に静かな篝火のように響きとおり心に染みこみました。

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 自分のカメラで写真を撮ったはずでしたが、これまでにはなかったことですが、操作ミス。きょうの岩手日報新聞からお借りしました。弟4部【ストリングオーケストラと歌おう】の一場面です。


〈出演〉
弦楽:宮古ジュニア弦楽合奏団/梅村ヴァイオリン音楽教室/カワン・バグスストリングオーケストラ有志/Stem String Ensemble有志
ピアノ:松原佳代子音楽教室
合唱:幼・小・中学生/一般/宮古女性コーラス/コールふじ/コーラス「ブリランテ」/新里コーラス/宮古木曜会合唱団・ひばり/ひまわり有志
合唱指導:小松智佳子
主催:宮古市で交響曲を演奏する会/宮古市芸術文化振興に資する会
主幹:宮古ジュニア弦楽合奏団
後援:宮古市教育委員会/宮古市音楽団体連絡協議会/宮古民友社/岩手日報社/朝日新聞盛岡総局/読売新聞盛岡支局/月刊みやこわが町/河北新報社盛岡総局/毎日新聞盛岡支局/めんこいテレビ/NHK盛岡放送局/IBC岩手放送/岩手朝日テレビ/テレビ岩手


〈プログラム〉
【弟一部】
1、キラキラ星変奏曲
 フランス民謡 板谷英紀編曲
2、さくらさくら
 日本古謡 金沢正明編曲
3、荒城の月
 滝廉太郎作曲 金沢正明編曲

【弟二部】
4、アイネ クライネ ナハトムジーク 第一楽章
 モーツァルト作曲 東京かわん・バグスストリングオーケストラ
5、アヴェ・ヴェルム・コルプス
 モーツァルト作曲
ー4、5の曲目が入れ代わりましたー

〈10分休憩〉

【第三部】
6、ジブリメドレー
 映画『となりのととろ』 となりのトトロ
 映画『ハウルの動く城』 世界の約束~人生のメリーゴーランド
 映画『千と千尋の神隠し』 いつも何度でも
 映画『天空の城ラピュタ』 君をのせて
7、日本の曲メドレー
 浜辺の歌
 ふるさと
 見上げてごらん夜の星を
8、カノン
 パッヘルベル作曲

【弟四部】
【ストリングオーケストラと歌おう】
9、宮古市民歌
作詞:工藤和久 作曲:石若雅弥 編曲:金沢正明
10、TOMORROW
作詞:岡本真夜 真名杏樹 作曲:岡本真夜 編曲:金沢正明
11、負けないで
作詞:坂井泉水 作曲:織田哲郎 編曲:金沢正明
リアス少年少女合唱団・リアス合唱団 

 「音楽の夕べ」は、毎年、宮古市民文化会館で開かれていましたが、被災したため、このたびは陸中ビル3階大会議室での開催となりました。ステージと聴衆席のあいだに音楽ホールのような高さの違いがないことで、演奏する方々を間近に拝見しながら聴くことができました。2011/08/08(月)の岩手日報紙によると聴衆は約300人。総勢80人の演奏でした。

 「キラキラ星変奏曲」、これは宮古ジュニア弦楽合奏団の顔ともいうべきステージ。これまでに見た場面が年度別に思い出され、たしかにこの年も開かれたのだという感慨がありました。並ぶ子どもたちのさまざまを受け入れ落ち着いた或いはこのひとときに集中し自然体で弓を運ぶすがた。小4のSくんは大震災でおばあちゃんを亡くし家を失いました。「ちか子先生とりゅういち先生を通してドイツの音楽家のひとがぼくのためにとおくってたいせつな楽器」(プログラムより)でSくんは心をこめてヴァイオリンを弾いてくれました。「これからこのヴァイオリンといっしょにがんばっていきたいです」とSくんは記しています。

 指揮は圭一先生、隆一先生。司会は真美先生、そして第三部では智佳子先生が、オランダ、ドイツの関係者を通して支援があったこと、また曲目のエピソードをお話しくださいました。その一部ですが、「実は震災のまえ、私たちは3月27に浄土ヶ浜パークホテルでお楽しみ演奏会を開く予定でした。演奏いたしますパッフェルベルの『カノン』は、生徒さんのご家族が大好きで聴くのを楽しみにしていたのですが津波で天国に旅立ってしまわれました」。このご家族とはSくんのお祖母さまです。またパッフェルベルの『カノン』は、故梅村功二先生のお葬儀のとき、弟子たちが追悼演奏した曲でもあります。アンコールにもこの曲が心をこめて、しめやかに、と申し上げたらいいでしょうか、終始繊細で美しい弦の響きに満たされ旋律が、会場のお一人お一人の心を慰め、いまは穏やかに波立つ海原に、そして亡くなられた方々の魂に届けられていると聞こえました。                 

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被災地を慰め励ますー被災地の被災地による

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きょうのことばー『聖霊を受けなさい』ーヨハネ伝連講(113)ー

 このブログでは、日曜日には、いまのような社会にあって心の糧ともなるものをお送りしたく願い、また自分自身の反省や建て直しのためにも自分が聴いたキリスト教会の牧師の説教を書かせていただいております。

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 さてきょうのインマヌエル盛岡キリスト教会(電話019-646-2924)國光勝美牧師のメッセージは
説教題 『聖霊を受けなさい』ーヨハネ伝連講(113)ー
聖書箇所 ヨハネ伝20:19~23(以下の太字は聖書からの引用です)

19 その日、すなわち週の初めの日の夕方のことであった。弟子たちがいた所では、ユダヤ人を恐れて戸がしめてあったが、イエスが来られ、彼らの中に立って言われた。「平安があなたがたにあるように。」
20 こう言ってイエスは、その手とわき腹を彼らに示された。弟子たちは、主を見て喜んだ。
21 イエスはもう一度、彼らに言われた。「平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします。」
22 そして、こう言われると、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。
23 あなたがたがだれかの罪を赦すなら、その人の罪は赦され、あなたがたがだれかの罪をそのまま残すなら、それはそのまま残ります。」

 この夏の東北北聖会も無事に護られ、また同日山形でも南聖会が行われ祝されたと連絡を受け、心から感謝しております。
 会堂の外に出ますと、むんと蒸し暑い。こういう日には条件反射のように東京の丸の内教会を思い出します。丸の内教会は新国際ビルの9階にありました。全館閉館となる日曜日に9階だけを特別に開けて貰っていたのです。守衛を通過するにはIGM(インマヌエル綜合伝道団)の誰それと氏名記入をいたしました。休館ですから冷房も入りません。はめ殺しの窓です。むんとする暑い一室で礼拝をまもったのです。平日を避けて作業をする窓ふきの方々が屋上から吊されたゴンドラで降りてくるのが窓に見えました。こちらがびっくりし、あちらも想定外の者たちに驚きながらも仕事をつづける、そんな場面がありました。
 夏も寒い日も神学生たちが礼拝の1時間前にやってきてマイクをセットしたり椅子を並べたり床拭きをします。神学生と同じ時間にやってくる山崎さんというおじいちゃんがいました。神学生と一緒に会場設置を手伝います。山崎さんは、讃美の練習をしている先生に近づき、「永井さん、きょうはいいねぇ~」といいながらまた雑巾掛などを手伝います。
「山崎さん、もう私たちがやりますから」と神学生が言いますと、山崎さんは言いました。
「これが楽しみなんだ。神の家を掃除するのはいちばんの喜びなんだから」
このようなことなども懐かしく思い出されます。
 蒸し暑い日には蔦田総理(当時の代表の名称)の説教が短かからんことを願うわけですが、総理の説教は、11時頃から始まり12時15分まで、或いは12時半、或いは1時を過ぎたこともありました。
 蒸し暑いきょうです。わたしも皆さまの期待に応えますならば、メッセージはできるだけ短く、且つ恵みのあるメッセージがよかろうかと思われますが。

 先回はマグダラのマリヤのところを2回お話いたしました。特にイエスさまが、アラムのことばで「マリヤ」と呼びかけなさった。そしてマリヤが神さまに対する呼びかけにふさわしい「ラボニ」と最大の尊敬を払ったことばでイエスさまにこたえている。またヨハネ20章17節でイエスさまが「わたしにすがりついていてはいけません」と仰った意味をお話させていただきました。「触ってはいけない」と訳されてものもございます。しかし「すがりついていてはいけない」というのは非常に意味のあることばでございまして、イエスさまが復活をされて天にお帰りになり神さまにその託された御業を成し遂げましたという凱旋の報告をする途上にあるわけです。それを敢て妨げるように「すがりついていてはいけない」という意味であり、決して触ってはいけないという意味と取るのではなく、しがみついてもう行かせない、いつでもここにいてくださいというようなマリヤの思いというものに対してのおことばであるというように前回語らせていただきました。 ーつづく(以下に書き足しとなります)ー

  ヨハネ伝20章18節「マグダラのマリヤは、行って、「私は主にお目にかかりました」と言い、また、主が彼女にこれらのことを話されたと弟子たちに告げた。

 「わたしは主にお目にかかりました」。ほんとうによみがえられた主と、私たちが出会ったなら、それを自分の心にだけ留めておくことは到底できないでしょう。この福音を誰かに伝えずにはいられない。もし伝えずに平気でいられるとすれば、福音をほんとうに把握しているのかを考えねばならない。人類史上最大のこのメッセージを自分の胸にだけおさめて、平気でいられるはずがないのです。それが福音の持っている本質だと思うとき、今日のヨハネ伝20章19節からは、まさにそれと深く関わっていることなのであります。

 「19 その日、すなわち週の初めの日の夕方のことであった」。その日とは、マグダラのマリヤが朝に復活されたイエスさまのお墓にいった日なのですが、この日曜日の夕方に、19節以下に書かれていることがあった。弟子たちがいた所では「ユダヤ人を恐れて戸がしめてあった」。欄外の注釈は「かぎをかけられていた」。ユダヤ人を恐れて扉にはかぎがかけられていた。失意、恐怖のどん底にいたのです。一方、ルカ伝のエマオ途上のお弟子さんたちはといえば、道々ともに歩いた誰かもわからない人物から聖書の話を聞いているうちに日が暮れ、強いて一緒に泊まってもらう。この人物が食卓でパンを裂いたときに、目の前にいる人物がイエスさま御自身であることにやっと気づいたのでした。ふたりの弟子はエルサレムにとって返した。「弟子たちがいた所に」。エマオ途上あの復活されたイエスさまにお会いした弟子たちはここに帰っていったわけです。ふたりが帰るまえは、ペテロ、ヨハネたちは、墓が空っぽだったのを見ている。けれどもそれがイエスさまの復活であるというところまでは思いが至っていない。だからお弟子さんたちは落胆と恐怖のなかにあった。これは11使徒たちだけではありませんね。つまりその仲間たち、さらに拡大解釈すれば、これは決して使徒たちだけのところにイエスさまが19節以下のできごとを現わしたのではなく、私たちひとりひとりもある意味で含まれていると考えていい。よみがえったイエスさまは音をたてて扉を開けたとは書いてない。恐れて戸が閉めてあった部屋の中に何とイエスさまが立って御自身を示されたんですね。これが復活のからだです。そして「平安があなたがたにあるように」、これからまた後で触れるところですがこのときに弟子のトマスはいない。どういう理由でかいなかった。

 イエスさまが仰った「平安があなたがたにあるように」。不安、恐怖そんなまっただ中にある弟子たち、或いはさjきほど申しましたように広くこれを解釈するなら、そんな逆境、試練にある私たちに、イエスさまは、「平安があなたがたにあるように。」こういって御自身を現わしてくださる真理を私たちに教えてくださっている。如何でしょうか、そういうときはないでしょうか。どうしようか。もうどうすることもできない。そんな中に、イエスさまは御自身を現わしてくださる。しかも、20節には「その手とわき腹を彼らに示された」とあります。十字架の疵です。私たちを愛して私たちのために命を捨ててくださったそのイエスさま御自身が私たちに示してくださるのはこれなのです。嵐に、困難に直面している私たちによみがえったこのお方は、「わたしはあなたを愛しているよ。その証拠を見てご覧」と御自身を示してくださって、そして「平安があなたがたにあるように。」「わたしは平安をあなた方に与えます。わたしの平安をあなた方にの残します」。こう語ってくださっているのです。弟子たちが主を見て喜んだとありますけれども、そういうときこそ主を見て喜ぶことができる。

 またしても同じ例話でおゆるしください。深い井戸に身をおくとき、その真っ暗な深い井戸の下から上を見るとき、星が見えると聞きました。他の人たちが他の場所にいたのならば、昼間星を見ることはできませんが、しかし私たちがひとり困難な中に残されたときに上をみるとき、ほら変わらずに見てご覧、ほら手のきずを見てご覧、あなたのためのこの十字架の脇腹のきずを見てご覧。ほら。弟子たちはこの主を見て喜ぶことができるのです。

21節「イエスはもう一度、彼らに言われた。「平安があなたがたにあるように。」、そういってよみがえられたお方は、22節「彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。

「息を吹きかける」、「聖霊を受けなさい」、これは創世記で神さまが地の塵から人を造られたとき、人が生けるものとなった。そのときに神さまが命の息を与えてくださった、それと同じようなできごとを私たちに思い起こさせます。キリストにあるところの新創造です。息を吹きかけられ、聖霊を受け、新しく変えられるのです。これはまさにペンテコステの出来事と同じです。大いなる風の響き、そして炎の舌のようなものが分れてひとりひとりのうえに留まった。これはまさしくペンテコステのできごとです。イエスさまは私たちをこの証し人として派遣される。遣わされるのであるというこのことを自らに銘記しましょう。

 「聖霊を受けなさい」。ある注解者はこの「受けなさい」というところ、これを日本語の感覚でいいますと、神さまは待っているところに聖霊を満たしてくださるというのです。この「受けなさい」ということばは、聖霊を「受け取りなさい」というように理解するべきなのだ、こう指摘している注解があり頷いたことです。「受け取る」というのはこちら側の意志です。神さまのきよめてくださる業というのはすでに準備されている。それを有難うございますといって受け取ることは私たちの業です。イエスさまが「聖霊を受け取りなさい」、こう仰って、そして「父が私を遣わしたようにわたしもあなた方を遣わす」と仰った。聖霊を受けたとき、私たちは父なる神さまがイエスさまをお遣わしになったと同じように私たちの世界に遣わされるという大きな使命を受けている。マリヤはお弟子さんたちに「私は主を見た」と告げ、それを伝えざるを得なかったように、私たちもそうさせていただきたいと願うことでございます。

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被災地の被災地による被災地のためのコンサートー宮古ジュニア弦楽合奏団 弟46回「音楽の夕べ」ー2011/8/7(日)15:30開演 陸中ビル3Fホール 

宮古ジュニア弦楽合奏団は生きている。
弟46回「音楽の夕べ」は明日!!

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田沢湖残影

田沢湖散策。もしかして舟越保武先生が天からご覧になっているかも。
「先生、辰子像を金で塗ったのは先生でらっしゃいましたか? 不勉強なものでお尋ねしております」


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田沢湖畔に憩う婦人方。ここに来ているのは、自由時間に田沢湖散策を選んだ方々です。

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来県の先生方

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 自分の写真を撮るつもりはなかったのですが、たまたま近くにいらした盛岡の会員の方がシャッターを押してくださいました。幸い顔がはっきり写ってはいないので、辰子姫の引き立て役というお役目でアップすることに。それでも舟越保武先生の作品の足元に立ち、作品と同じ画面に収められたことに感謝しつつ。

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リフレッシュ!

 行ってきました、東北聖会北聖会。それって何? はい、クリスチャンたちの合宿です。聖書の学びや親交を深めます。どのくらい? そうですね、田沢湖の湖の深さぐらいでしょうか。マリアナ海溝といいたいところですけれども。

 秋田県の田沢湖高原温泉のハイランドホテル山荘に一泊。私は一日遅れの参加。11時頃に盛岡を出発。12時半ごろに到着し、すぐに申し込んでおいた昼食をいただく。もうほとんどの方々が終わってお茶となっていた。被災者の方々も宿泊しておられるということだった。
 325号室。同室になったのは十和田、青森、秋田教会の会員の姉妹方でした。年齢は若い方から80歳までとさまざま。みなリラックス。近況などを話し合いながら玄米茶でお菓子をぽりぽり。そしてすぐに午後の女性部会に。これが3時に終了。夕食の6時までは自由時間となる。車に分乗し田沢湖畔散策に。

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 写っているのは牧師先生がたと信徒たち。私はこれまで知らずに日頃十分楽しんでいる方々に「楽しんでください」などといってしまったように思う。しかし、いまは牧師先生方の忙しさからいえば、このような先生方、とくに日本人牧師は働き過ぎ。このような方々にこそ、海外の宣教師のように十分な休暇を取って楽しんでいただきたいと思うようになった。どの方々も自分がどんなに犠牲的に人に尽くしてきたかを仰らない。またそれをキリストのゆえに犠牲とも思ってはいない。しかし規模は違うかも知れないが、質的にはマザーテレサ並みの働きをしている。これを誰かがもっと世の中に伝えてもよいのではないかと近頃思うようになった。

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 湖畔に立つ今回の講師の竿代忠一先生(左)とその教会の長老である信徒夫妻。

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 2日は夜7時~9時聖会。3日は6時半早天祈祷会。9時半聖別会。そして私は、集会としては2時女性部会から参加。夕食6時。聖会7~9時。4日は6時半早天祈祷会。9時半宣教会。続いて閉会礼拝。昼食12時。解散。371号線沿いにあるガソリンスタンドに寄り、雫石の産直に寄り、松寿荘の友人を訪問し、午後3時帰宅となりました。

 宣教会で竿代先生が語られた聖書箇所はヨナ書4章。これがいまの自分にはほんとうに聞くべき内容だった。不服従と、自己中心とは、愛のない心とは、この3点が語られ、神の愛、イエスさまは社会的にハンディを負っている弱い人々を愛された、すべての動機は偏見などを超えた愛によることが語られました。ほんとうにイエスさまの御愛というものを聞かせられ、また先生のお姿から見ることのできた、論より証拠を示してくださったお話しのひとときでした。もしかすればわたしのような者が牧師職にある方々を書かせていただく自体が役不足であるかもしれません。しかし今現在は主にある自らであることで主にお許しいただくことで如何なものでしょう。

 これらもレコーダーに取りましたが静岡には起こしてホームページに載せる方がおられるということで、これは日曜礼拝の分だけかどうかはわかりませんが、取りあえずはきょうはこの辺で区切りをつけたいと思います。


 

 

 

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弟37回東北聖会北聖会に行ってきます!!

 さあて会場の田沢湖畔、といってもすこし離れているかな、田沢湖スキー場近くのハイランドホテル山荘(0187-46-2121)、路を間違わずに行けるかな。インマヌエル綜合伝道団の東北ブロックとしては年に一度の大きな聖会。どんなメッセージが語られるか、他教会の姉妹方との交流も楽しみ。しばしきよき流れのほとりに身を置いてきます。もっとも、きよき流れはいつもいまも自分のすぐ目の前に、いまこの自分とともにあるのですが。さらにそれを刷新してきます。
 昨年の聖会では、神さまに一生をささげ、お一人で牧会をしつつ齢を重ねられた婦人牧師が、散歩のときに吊り橋をわたってこられました。足元を確かめながらゆっくりと一歩一歩をあゆまれているその姿には、理屈無しに心打たれたことを思い出します。今年は今年の感動が待っているでしょう。

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アサガオ

  涼しい。へやの寒暖計はいま24度。
けさはやくに起きだしてみるとアサガオがきれいに咲いていた。
今晩のさんさ踊りはどうだったろうか。
この界隈、帰ってくる人のさざめきも今夜は聞こえない。

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 明日は教会のキャンプに出かける。
きょうも静かな一日が終わった。
何事もなく平凡な一日が。
感謝!!

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笑顔になろうなろう! 岩手 ー盛岡さんさ踊りー

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 夕方6時、市中に響くのろしで幕を開けた盛岡さんさ、中央通り、沿道に詰めかけた人垣。
「笑顔になろう! 岩手」の横断幕に、被災地の方々のおもい、このような祭はどのように。思わずこみあげるものが。
 轟け! さんさ太鼓。 踊りまくれ! 老いも若きも男も女も。外国の人も大歓迎。きょうの車椅子の人ひとりだけ? なぜなぜもっと出てこない? パフォーマンスOK! 伝統チャンス! 広告ゴーゴー! 即興ならばなお結構!! ひょっとこ、着ぐるみ、ぬいぐるみ、浴衣にドレス、羽織袴で威風堂々。前進岩手! 前進東北! 東の憂さを吹き飛ばせ!! あすにどんどこ前進だ!!!

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