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富士見橋より

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 すこしまえにはここに杜若が咲いていた。ことしは中ノ橋からいちど見たきりだ。久しぶりに晴れ間を縫って中津川むこうのジョイスまで行ってみた。河川敷が水と緑でまぶしい。近頃はこんな景色を見てさえも、まさかこの緑にも放射能が……と思ってしまう。すると目の前の景色がいきなり反転する。そういえば、昔こんな詩を書いたことがある。題は『五月の沙漠』

五月の廣野に踊りでてみれば/一面を敷きつめる灰色の草花/梢をとび交い啼く鳥の耳元に鳴る不協和音/透明な確信をまたたくまに走る幾条もの亀裂/止めようともがく両の手は枯枝と宙にただよい/ただ空を掴む

 このあとにさらに10行つづくのだが省略する。このときは文学的な表現であったけれども、原発のニュースが思い出されるたびにこれが現実となって心を暗くする。しかしこの黄色秋桜の一輪、このたった一輪がまだ健気に頑張っているのだ。この辺りを通りかかる人々の心を明るくしようと。

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 息子が高校生だったときには、毎日下の写真に小さく見える橋を渡って通学していた。勿論自転車で。この橋には毎朝、そして夕方にも通勤の、営業の、運搬の、工事の車輌があふれる。橋が重たそうに悲鳴をあげていてもお構いなし。けれども、そんないつもの風景が大切なのだ。そんな平凡な日常がありがたいのだ。

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コメント

aostaさん
写真に目を留めてくださって嬉しく思います。
中津川といって盛岡市の中心部を流れ、河川敷がよく整備され、きららかな流れを見ながらの散策にはとてもよいところです。
7月半ばには、鮎が、これが宮城産なのですが、4600尾放流されました。舅も夏は毎日鮎釣りにでかけたものです。
9月~12月には鮭が遡上します。北上川河口から200キロも、この盛岡を忘れずに帰ってきてくれるのです。
鴨が浮かび白鳥が飛来します。
おそらく松本市にある女鳥羽川に相当する川であるかと思います。
そうですか、aostaさんはこのような環境で良い子育てのときをすごされたのですね。お子様の手を引かれながら河川敷散策し、橋をわたってゆかれるすがたが美しいシルエットとなって浮かんでまいります。
>平凡に徹すると言う事は時に非凡なことでもある
特にいまの時代はそんなふうに感じられます。みなが非凡を追いかけているような、それで非凡が平凡になってしまったような。もしaostaさんのお考えと異なっていたならおゆるしください。わたしの届かないお考えのあったひと時代を過ごされていたのかもしれません。
中津川の橋のURLを添えます。
http://junsoft.jp/other/bridge/01/
お忙しいところ訪問有難うございました。

投稿: 中ぶんな | 2011年8月 1日 (月) 22時05分

橋のある風景が好きです。
この川は、なんという川なのでしょう。
昔、松本に住んでいた頃、マンションの近くを女鳥羽川が流れていました。
広い河川敷は、お写真の川と同じく一面の緑に覆われていました。
子供と散歩をしたり、水遊びをしたりしたものです。
小さな橋を渡っては、スーパーに買い物に出かけ、たそがれてゆく空を気にしながら帰った夕方。みんな大切な思い出です。
平凡の日常のありがたさ。当たり前、と言う事は決して当たり前ではなく、平凡に徹すると言う事は時に非凡なことでもあるのだと、感じていた日々でした。

投稿: aosta | 2011年8月 1日 (月) 18時22分

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