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雑感

2011720_001
 さてそろそろコーヒーを淹れようかなとコーヒーフィルターを取り出したところに電話が鳴った。
「蛹が蝶になってます」
というわけで、またもや“蝶々夫人”宅に近くだというのに自転車で急行。
鴨居に止まりなにかつんとおすまし状態。
そして気づいたことは、夫人が話しかけると必ず羽を閉じたり広げたりを繰り返したこと。
夫人は、アゲハが幼虫のときからほんとうに子どもに話しかけるように話しかけつづけている。たしかに夫人の声に反応している。そうとしか思われなかった。
 幼虫が一旦、蛹になったならもう羽化するまではじっとして動かないと思っていた。ところが夫人がいうには、「蛹になっていても話しかけると角のところがピクピクと動くの」だという。すぐに私が話しかけてみたが反応は無かった。夫人の声を聞き分けているとしか思えない。

 午後にTVでマザー・テレサの映画を見た。
マザーが路上に倒れた瀕死の男性に近づくと、その人はいう「わたしは渇く」。十字架に架けられたイエス・キリストのことばだ。マザーには、その男性、そのように貧しく傷つき病に倒れ寄る辺ない人はみなイエス・キリストであるのだ。それはマザー以外の他の人々にとってもそうであると示されており、マザーを通してそれが世界に証明されている、そう思った。

 てっきりきょうは降るだろうと予測していた。それが青空にまばらに雲が浮かび、心地よい風がそちこちの梢の緑を躍動させる。ほんとうに過ごしやすい一日となった。まもなくやすもうとするいまも、窓から風が吹き込んでくる。涼しいというよりはひんやりとしてもいるが、37度の猛暑を潜った身にはどこまでもありがたく思われる。快眠となるだろう。そしてきょうの一日にまたしても感謝。大豆、小麦などの急騰、台風被害、原発、被災地とさまざまな渦中にあっても、このようにさして理屈のない感謝の思いが溢れていることに感謝。

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