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2011年7月

きょうのことばー『復活の主との出会いー2』ーヨハネ伝連講(112)ー

 日曜日は、この厳しい社会に生きる上で、心の支えとなるメッセージをお送りしております。これによって自らが聖書から元気をもらっております。

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 さてインマヌエル盛岡キリスト教会(019ー646ー2924)のきょうの國光勝美牧師のメッセージは、

説教題 『復活の主との出会いー2』ーヨハネ伝連講(112)ー
聖書箇所 ヨハネ伝20:1~18

1 さて、週の初めの日に、マグダラのマリヤは、朝早くまだ暗いうちに墓に来た。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。
2 それで、走って、シモン・ペテロと、イエスが愛された、もうひとりの弟子とのところに来て、言った。「だれかが墓から主を取って行きました。主をどこに置いたのか、私たちにはわかりません。」
3 そこでペテロともうひとりの弟子は外に出て来て、墓のほうへ行った。
4 ふたりはいっしょに走ったが、もうひとりの弟子がペテロよりも速かったので、先に墓に着いた。
5 そして、からだをかがめてのぞき込み、亜麻布が置いてあるのを見たが、中に入らなかった。
6 シモン・ペテロも彼に続いて来て、墓に入り、亜麻布が置いてあって、
7 イエスの頭に巻かれていた布切れは、亜麻布といっしょにはなく、離れた所に巻かれたままになっているのを見た。
8 そのとき、先に着いたもうひとりの弟子も入って来た。そして、見て、信じた。
9 彼らは、イエスが死人の中からよみがえらなければならないという聖書を、まだ理解していなかったのである。
10 それで、弟子たちはまた自分のところに帰って行った。
11 しかし、マリヤは外で墓のところにたたずんで泣いていた。そして、泣きながら、からだをかがめて墓の中をのぞき込んだ。
12 すると、ふたりの御使いが、イエスのからだが置かれていた場所に、ひとりは頭のところに、ひとりは足のところに、白い衣をまとってすわっているのが見えた。

13 彼らは彼女に言った。「なぜ泣いているのですか。」彼女は言った。「だれかが私の主を取って行きました。どこに置いたのか、私にはわからないのです。」
14 彼女はこう言ってから、うしろを振り向いた。すると、イエスが立っておられるのを見た。しかし、彼女にはイエスであることがわからなかった。
15 イエスは彼女に言われた。「なぜ泣いているのですか。だれを捜しているのですか。」彼女は、それを園の管理者だと思って言った。「あなたが、あの方を運んだのでしたら、どこに置いたのか言ってください。そうすれば私が引き取ります。」
16 イエスは彼女に言われた。「マリヤ。」彼女は振り向いて、ヘブル語で「ラボニ(すなわち、先生)」とイエスに言った。
17 イエスは彼女に言われた。「わたしにすがりついてはいけません。わたしはまだ父のもとに上っていないからです。わたしの兄弟たちのところに行って、彼らに『わたしは、わたしの父またあなたがたの父、わたしの神またあなたがたの神のもとに上る』と告げなさい。」
18 マグダラのマリヤは、行って、「私は主にお目にかかりました」と言い、また、主が彼女にこれらのことを話されたと弟子たちに告げた。

 
私たちはいま、よみがえりのイエスさまに心を向けているところでございます。恵みをもう一度振り返りながらきょうのみことばの学びを進めてゆきたいと思います。
ーここからは前回の復習となりますが、復習の中にも新たな補足もありましたが、時間の都合で、前回きちんとお伝えできなかったところのみの復習部分を記載いたします。ー
 前回の締めくくりでお話ししましたが、イエスさまのよみがえりのからだは大変特異なもののようです。
 エマオ途上のお弟子さんたちに、よみがえりのイエスさまが現れたとき、彼らは直ぐにはわからなかった。あれほどイエスさまを慕っていたマグダラのマリアにして、現れたよみがえりのイエスさまを園の管理人だと勘違いしていた。なぜ直ぐにわからないのか。イエスさまのよみがえりのからだとは不思議なものだなと思います。
 ガリラヤ湖で、岸辺に立っていたよみがえりのイエスさまを、弟子たちはやはり誰であるのかわからなかった。しかしその何者かが朝食を準備して、弟子たちと一緒に食事をしてくださった。ということは、よみがりのからだは食事ができるのです。イエスさまの復活は、私たちの復活の初穂、私たちの復活の見本ですので興味は尽きません。一例を知るごとに、なるほどそういうものなのかと頷きます。お弟子さんたちが追っ手を恐れて扉をしっかりと閉めて家の中にいたときにも、よみがえりのイエスさまは、幽霊のようにというと差し障りがありますが、イエスさまはドアをノックし開けてもらい入ったのではなく、そのように部屋の中に現れてくださった。そしてさらにトマスに腋の傷を見せ触らせている。よみがえりのイエスさまにはやはり疵がある。どういうことなのでしょう。決して不勉強を弁護するのではなく、わからないことはやはりわからないのです。ですから、よみがえりのからだがどんなものかを理解できる日が来るのを楽しみに致しましょう。常識では整合性がとれない部分も、別な角度から見るとき、ああそうかと納得し理解できる。そんなときを待ちたいと思います。信仰者ではない一般の方々にすれば、だから信じられないとなるのでしょう。しかし信じている私たちは、わからないだけに次に期待し、それを知ることが楽しみとなります。

 さてきょうは、もうすこしマリヤとイエスさまとの出会いに注目してみましょう。ヨハネ伝20章16節

16 イエスは彼女に言われた。「マリヤ。」彼女は振り向いて、ヘブル語で「ラボニ(すなわち、先生)」とイエスに言った。
 ここには劇的に眼が開かれる場面が展開しています。「マリヤ」というこの声で、マグダラのマリヤはイエスさまだと気がついた。この呼びかけで彼女ははっと気づいた。資料を調べますと、このイエスさまが呼びかけた「マリヤ」
というのは「マリア」ということばで記されていることばです。旧約聖書に出てくるモーセの姉はミリアムといいますが、「ミリアム」は「マリア」と同義語です。イエスさまはアラム語で呼びかけています。イエスさまがマリヤと出会ったときにはいつも「マリア」と話しかけていた。それでマリヤははっとし気づいたわけです。一つ思い出しますと、イエスさまは私たちを一人ひとり名前で呼んでくださいます。わたしたちがイエスさまと具体手的に出会うとはどういうことかと言いますと、これはニコデモを通して聖書を通してイエスさまと出会う。「聖書を通して」イエスさまと出会うのでなければそれは神秘主義になってしまいます。みことば抜きにイエスさまと出会ったというのなら、それは異教に傾いていくことにほかなりません。脱線をしてしまう。イエスさまはいつも聖書を通してみことばを通して語りかけてくださるのです。また私たちは聖書を通してお返事をします。そのことを捉えておきたいと思うことです。

 イエスさまが「マリア」と呼びかけたとき、マリヤはイエスさまに「ラボニ」とこたえています。聖書の中に「ラボニ」という呼び方は二回しか使われていません。
 一箇所はマルコ伝10:51。

51 そこでイエスは、さらにこう言われた。「わたしに何をしてほしいのか。」すると、盲人は言った。「先生。目が見えるようになることです。」
 新改訳聖書の注を見ますと「言語『ラボニ』直訳『私の先生』」とあります。
 先生という呼び方には三つのランクがあります。
 一、ラブ   ふつうの先生
 二、ラビ   ラブよりも敬意を払った呼び方
 三、ラボニ  最上級の呼び方で大先生といった意味合い
更に興味深いのは、「ラボニ」はほとんど神に対するがごとき呼びかけであるとする注釈もあります。とすると、マルコ伝10:51で、目の見えないバルテマイがイエスさまを見て「どうか助けてください」と呼びかけている。マルコ伝10:50から読んでみますと

50 すると、盲人は上着を脱ぎ捨て、すぐに立ち上がって、イエスのところに来た。
51 そこでイエスは、さらにこう言われた。「わたしに何をしてほしいのか。」すると、盲人は言った。「先生。目が見えるようになることです。」

 ここでのラボニという呼び方は神さまに対する敬意を表したラボニという呼び方でありますから、イエスさまはこれを大いに喜ばれたのでした。というのは自分がこれからエルサレムに行って、学者長老達にたちに排斥され、同族のものたちにこそ自分がメシヤであることを受け入れてもらいたいのに拒絶され十字架につけられるエルサレムに向かう、その途上に於いて乞食をしている目の見えない人物が大声で「イエスさま!」とやってきた。「何をして欲しいのか」と問われ、「ラボニ。目が見えるようになることです」と訴える。

52 するとイエスは、彼に言われた。「さあ、行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです。」すると、すぐさま彼は見えるようになり、イエスの行かれる所について行った。

 ラボニという呼びかけが、どれほどイエスさまを喜ばせたことでしょうか。そしてヨハネ伝20章のマリヤの呼びかけが「ラボニ」でした。これはまさに信仰の告白です。私たちがイエスさまに出会いイエスさまに目が開かれるとき、「ラボニ」と呼びかけてイエスさまにお答えしたいものです。それがほんとうにイエスさまとの出会いになるのではないでしょうか。

 またヨハネ伝20章17節はいつも気になるところです。「すがりついてはいけない」とイエスさまが仰った部分です。
17 イエスは彼女に言われた。「わたしにすがりついてはいけません。わたしはまだ父のもとに上っていないからです。わたしの兄弟たちのところに行って、彼らに『わたしは、わたしの父またあなたがたの父、わたしの神またあなたがたの神のもとに上る』と告げなさい。」
 トマスには「わたしの疵にさわってみなさい」と仰ったイエスさまが、ここでは「わたしにすがりついてはいけない」と仰る。これはどういう意味なのか。幾つかの資料の解釈を見ますと、「肉におけるイエスを知りたいというのは不信仰を示している」と考える立場がありますが、私には頷けません。同意できたのは、「すがりついてはいけません」という訳が適切ではない、「すがりついていてはいけない」と訳すべきという解釈でした。つまり、触ってもいいのだが、すがりついて行かせないようにしてはいけない。これならイエスさまがトマスに言ったこととマリヤに言ったことに矛盾はありません。もう行かせない、ずっとこのままいてくださいとすがりついてはいけないというものでした。
 イエスさまは贖いの後、40日後には昇天し父なる神の右の座に座して、という大切な使命があり、その途中にあるわけですから、「もう行かせない、ずっとこのままいてくださいとすがりついてはいけない」 という訳がいちばん自然であると思われます。
 
 きょう一つだけ覚えていていただきたいのは、私たちが、よみがえりのイエスさまに出会うときには、「ラボニ」、あのバルテマイが「ラボニ」と叫んだようなよみがえりのイエスさまとの出会いをすることができたら、それはほんとうに大きな祝福となる。どうぞみことばを通して「ラボニ」、このお方とお会いしまじわることを切に願うことです。

※先週の復習の部分など
簡略にするために割愛してございます。文責:中ぶんな

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再生だ! 復活だ!!

 ユリが咲いている。これを教会のあすの生け花にしよう!club

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  昼過ぎに皮膚科に行ってきた。食器洗い洗剤に負けてしまった。痒い。数年前T子さんがゴム手袋をするといいとわざわざ下さったことがある。以来買い換えては使っていたのだが、いつの間にか怠るようになっていた。サイカチを使ってみたことがある。これは皮膚にも環境にもいいと思った。ところがいつの間にか市販の洗剤の簡便さを選んでしまっていた。手袋も消耗品である。またサイカチに戻ってみようか。去年集めたサイカチがまだ沢山のこっている。eyesweat01

 宮古ジュニア弦楽合奏団を聴きに行こう!!
 8月7日15時半開演。主人に一緒に行ってはもらえまいかと頼んでみた。ここのところ忙しそうであり遠慮していたがもうひと押ししてみると、漸う考えてくれる気配。ナイス! ガッツ!! あとは天気だけ。happy01

 きょう気がついた。これはたしかにたしかに花芽。月下美人(5つ)&マダガスカルジャスミン(多数)。不思議にどちらも九死に一生を得ている。月下美人はアガバンサスをくださった方のところで古色蒼然、瀕死の状態を貰い受けてきたもの。マダガスカルジャスミンはやはり一度は根元が枯れてしまいもう応急手当も無駄と思いつつ鉢で一冬家の中で手厚く看護。そしてプチッと新芽が出たのは母の日だった。もうぐんぐんと伸びると安心しきっていたところ、20センチ伸びたところで成長不良に。もう花は咲かないかもしれないと思いつつ鉢を木陰に置いていたところ、きょうたしかに花芽が。再生だ! 復活だ!!
spade

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実が次つぎに

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 家の中や小屋の片付けが続いている。主人が先陣切ってさまざまな物を判定し、外に出したりきちんと納め直したりしている。
 庭の草はぼうぼう。庭番が他の仕事に没頭しているまに、いまぞとばかりにのびのびと背丈を伸ばして、どうも口笛さえ吹いている気配だ。それでも畑ではトマトが次々に赤くなり、ゴーヤには2センチばかりの実の赤ん坊たちがそちこちでゆうらりゆうらりしながらすくすくと育っている。heart

 この月もまるで音を消して高速で飛ばすかのように、あと2日で2011、7というホームを離れようとしている。
 書き残してしまったと思うのは、夏の選抜の花巻東高校の勝利。雄星くんがいないと勝てないなんて言わせないで!! そんな思いでずっと応援していた。それがついに2年ぶりの甲子園。理屈抜きに嬉しかった。甲子園で存分に闘い、また校旗掲揚、校歌斉唱を見せて欲しい!!spade

 

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富士見橋より

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 すこしまえにはここに杜若が咲いていた。ことしは中ノ橋からいちど見たきりだ。久しぶりに晴れ間を縫って中津川むこうのジョイスまで行ってみた。河川敷が水と緑でまぶしい。近頃はこんな景色を見てさえも、まさかこの緑にも放射能が……と思ってしまう。すると目の前の景色がいきなり反転する。そういえば、昔こんな詩を書いたことがある。題は『五月の沙漠』

五月の廣野に踊りでてみれば/一面を敷きつめる灰色の草花/梢をとび交い啼く鳥の耳元に鳴る不協和音/透明な確信をまたたくまに走る幾条もの亀裂/止めようともがく両の手は枯枝と宙にただよい/ただ空を掴む

 このあとにさらに10行つづくのだが省略する。このときは文学的な表現であったけれども、原発のニュースが思い出されるたびにこれが現実となって心を暗くする。しかしこの黄色秋桜の一輪、このたった一輪がまだ健気に頑張っているのだ。この辺りを通りかかる人々の心を明るくしようと。

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 息子が高校生だったときには、毎日下の写真に小さく見える橋を渡って通学していた。勿論自転車で。この橋には毎朝、そして夕方にも通勤の、営業の、運搬の、工事の車輌があふれる。橋が重たそうに悲鳴をあげていてもお構いなし。けれども、そんないつもの風景が大切なのだ。そんな平凡な日常がありがたいのだ。

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大正に発し、今に輝くー宮古ジュニア弦楽合奏団ー

 宮古ジュニア弦楽合奏団は、3・11東日本大震災による甚大な被害と闘い、2011年8月7日(日)に弟46回「音楽の夕べ」を開催いたします。昨年は創立50周年であり、宮古市民文化会館大ホールでの弟45回「音楽の夕べ」でした。そのときのプログラムに梅村ヴァイオリン教室の軌跡を短くご紹介申し上げました。2010年現在で書いてあります。それをそのまま以下に掲載させていただきます。写真は「月刊みやこわが町」ですが、梅村ヴァイオリン教室の歴史、存在意義をおもうとき、この合奏団は、何があろうとも存在し続けなければなりませんし、存在し続けるであろうと信じるものです。 

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 宮古ジュニア弦楽合奏団創立五十周年というと梅村ヴァイオリン教室のスタートは昭和年代かなと思われるかもしれません。実は、梅村〝教室〟は、大正四年にはもう存在しました。盛岡市郊外旧太田村にあった弦楽四重奏団太田カルテットの主宰者梅村保氏がその租です。このカルテットは、幾多のコンサート及び文化事業をも企画した文化団体的特質を持っていました。驚くべきことに、当時、東京から音楽教授たちを一夏も招き、直接指導を受けていたのです。岩手はこのカルテットに多大な恩恵を蒙っているのです。

梅村保氏は、平成十九年、浦田敬三、藤井茂共著『岩手人名辞典』に、大正時代の音楽家として明記されました。氏は戸田一心流免許皆伝の剣豪であり、盛岡で、満州で、セロ、ヴァイオリンを教授し、どんな人々をも分け隔てなく慈しみ、人格者として慕われましたが、これが梅村精神なのです。終戦で帰国。音楽のバトンは宮古市に居を構えた梅村保氏の二男梅村功二先生に引き継がれました。どうしても子どもたちに教えて欲しいと再三願う親達に応えて昭和二十三年に今の教室がスタートしたのです。

後年、保先生の愛弟子であった村井正一先生が、梅村ヴァイオリン教室にヴァイオリン指導では定評のある板谷栄紀先生を繋ぎました。板谷先生にご縁のあった桐朋学園大学音楽部教授故久保田良作先生が宮古市に弟子達を引き連れて合宿し音楽交流を果たしたことがあります。これは実に、大正時代の太田カルテットが東京の音楽家達と交流があったという事跡に感銘されてのことでした。以降毎年、久保田先生は当時門下生だった川崎雅夫、安良岡ゆう、そして中島幸子、市橋哲哉、堀米ゆず子、加藤知子、長沼百合子、進藤義武、長谷部雅子、吉野薫の各氏を「音楽の夕べ」に送って下さったのでした。宮古ジュニアは、他に類例のない音楽的な刺激と雰囲気にあったのです。功二先生が幅広く発掘した多くの子ども達。そして不退転の決意をもってこの音楽の火を灯し続ける三代目梅村圭一先生の御指導と、板谷先生の応援の下に、伊藤奏子、古館由佳子、原田智子、久保良治の各氏らを輩出。平成にも尚音楽の楽しみに与る多くの方々が育っています。梅村家の四代目もみな音楽に関与しておられます。ご存じの通り、長女真美さん、二女智佳子さんは国立音楽大学御卒業。智佳子さんが教室を引き継いでいます。長男隆一さんは、ドイツのクレーフェルド・メンヒェングランドバッハ市立歌劇場のヴァイオリニストであり、デュッセルドルフにある日本人コミュニティのオーケストラの指揮者兼トレーナーです。

私は、およそ二十年前に二人の息子とともに功二先生からヴァイオリンを習いました。功二先生が余談に語る梅村保氏に興味を抱き、調べ、ついに保先生周辺を纏め一冊の著書『光炎に響く』(新風舎刊)を出版したわけでした。希有な出会いでした。いまだに温かな功二先生のお人柄、夕陽に煌めく閉伊川の河口が、教室の楽の音とともに懐かしく蘇ります。また「音楽の夕べ」に参加させて頂いた思い出は大切な宝です。

梅村家の音楽活動は、大正四年(大正六年という説もあります)に太田村に発してより実に九十六年の歳月が流れました。この間、どれほどに多くの方々が音楽の楽しみに与ったことでしょう。感慨深いことです。この喜びとともに五十周年記念「音楽の夕べ」に耳を傾けたく思います。

 

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被災地の被災地による被災地のためのコンサートー宮古ジュニア弦楽合奏団 弟46回「音楽の夕べ」ー2011/8/7(日)15:30開演 陸中ビル3Fホール 

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 「いくら何でも今年はできない。千・一(千年に一度)の大震災じゃないか。いつも使ってた宮古市民文化会館もまだ使えない」とぐずぐず考えていたのはどうもこの小心者ひとりであったらしい。

 驚くなかれ、8月恒例のあの「音楽の夕べ」が、甚大な被災を潜り復興途上を歩む沿岸、この宮古市に楽の音を響かせる。これは被災地のためにと遠隔から歌手や楽団が音楽提供にくるのではない。被災地のただ中にありながら立ち上がっての、被災地の被災地による被災地のためのコンサートです。薄明に掲げられた松明の文字は「愛と絆」。千・一の奇蹟です。

 今回の開催は、何としても音楽を絶やしたくない、こんなときにこそ音楽で多くの方々が癒され元気になっていただきたいとの梅村ヴァイオリン教室の熱意に賛同された方々の貴いご協力、陸中ビルへのピアノの寄贈、或いは、ドイツ在住の梅村隆一先生ラインからの楽器、チャリティーコンサートの収益金の提供、その他多くの方々の支援によって実現すると聞いております。


 
 

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地域行事

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きょうは地域行事である子ども御輿がありました。

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写ってはいませんが、前後に長い行列が

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御輿、ただいま教会を通過

暑い暑い昼下がり、子どもたちの元気な掛け声が町内を練り歩きました。


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きょうのことばー『復活の主との出会い』ーヨハネ伝連講(111)ーその2

※前ページからのつづきとなっております。

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 さて10節を見ると「弟子たちはまた自分のところに帰っていった」。弟子たちはこの出来事を目撃して再び仲間の弟子たちの行ったところに帰っていきました。ところが、11節を見ると、「マリヤが外で墓のところに佇んで泣いていた」とあります。さてこのマリヤというのは1節にあります「週のはじめの日、マグダラのマリヤは」というこのマリヤに違いありません。つまりこのマリヤは最初に他の仲間たちといっしょに墓に行った。墓がまろばされているのを見てびっくりして2節、お弟子さんたちのところに行った。その話を聞いてそんなばかなと思いながらもとにかくペテロとヨハネは走っていった。これもごく自然です。告げたマグダラのマリヤは当然のことながらもう一度その墓のところに帰っていくわけです。聞いた男ふたりが走っていったわけですから、ペテロよりヨハネが速かったと前回いいましたけれども、マグダラのマリヤはこの男性のお弟子さんたちよりも遅く、或いはすれ違ったかもしれません。何れマリヤは再び墓の外にたたずんでからだをかがめて泣きながら墓の中をのぞきこんでいた。
「するとふたりの御使いが、(天使です。)イエスのからだが置かれた場所に、ひとりは頭のところに、ひとりは足のところに白い衣をまとってすわっているのが見えた」
 御使いが見えるかたちにおいて姿をあらわして、「なぜ泣いているのですか」と問いかけている。13節で彼女は「誰かがわたしの主を取っていきました。どこに置いたのか私にはわからないのです」という。2節には、「主をどこに置いたのか私たちにはわかりません」と複数形が使われています。13節には「私にはわからないのです」とある。つまりここで彼女は「私たち」ではない「私」といっている。

 マリヤがこういって後ろを振り向いたところ何とイエスさまが立っておられるのですが、彼女にはイエスであることがわからない。ここでエマオ途上のお弟子さんを思い出します。エルサレムで起ったあの事この事を話ながらあるいていると、不思議な男の人が近づいて来る。「あなたエルサレムにいてこんなことを知らないのですか、私たちはあの人こそ」などと話していながらそれがイエスさまだとわからない。このマグダラのマリヤも、主の亡骸が誰かによってどこかに持っていかれたと思っていた。誰かが持っている。おそらくいちばん可能性があるのは園の管理人だろうなどと考えていた。ですから彼女はイエスさまの亡骸がどこに置かれているのかを知りたかった。決してよみがえったなどとはまだ思ってはいない。誰かがどこかに持って行ってしまった。ですから15節を見ると、「
あなたが、あの方を運んだのでしたら、どこに置いたのか言ってください。そうすれば私が引き取ります。」とアリマタヤのヨセフやニコデモが勇気をもって言ったように、このときのマリヤには、他の人からどんなことを言われたっていい、私が引き取るのだというイエスさまに対して迸りでるような真実な心がここにあります。このマグダラのマリヤには非常に教えられます。

 このマリヤという人物がどういう人であるのか、ルカ伝8章2~3節
また、悪霊や病気を直していただいた女たち、すなわち、七つの悪霊を追い出していただいたマグダラの女と呼ばれるマリヤ、 自分の財産をもって彼らに仕えているヘロデの執事クーザの妻ヨハンナ、スザンナ、そのほか大ぜいの女たちもいっしょであった。」
 このようにイエスさまを慕ってついて行き支えていったその女性の一人が
七つの悪霊を追い出していただいたマグダラのマリヤだった。またマルコ16章9節、これはよみがえりをマルコが記しているところですが、
〔さて、週の初めの日の朝早くによみがえったイエスは、まずマグダラのマリヤにご自分を現された。イエスは、以前に、この女から七つの悪霊を追い出されたのであった。
 とあり、イエスさまは先ずマグダラのマリヤにご自分を現わされた。このマグダラのマリヤについては色々いわれております。しかし聖書ではこのように
「七つの悪霊を追い出された」とあります。一つ、二つと数えて七つというのか或いは聖書でいう7の持つ意味である、圧倒的に、完全に悪魔に支配されていたようなこの女をイエスさまは癒してくださったという完全を表す意味で七という数字が使われたものか、何れにしろそのようなどん底から救われることがマリアにとってどれほどに感謝なことであったか、マリアはその感謝をもって主にお仕えしたものでしょう。マリヤは恐らく遊女であったという指摘をする人もおります。或いはそうであったのかもしれない。何れにせよ世の中からは相手にされない軽蔑されているような女性であったろうことは見てとれることです。

 さてマルコ伝でイエスさまは、よみがえられたご自分を最初にマグダラのマリアに現わしてくださった。私はこれが非常に意味のあることだと思うのです。いちばんはじめにこの女性にご自分の復活の姿を現わされた。ペテロではなく、ヨハネではなく、です。社会からのけ者にされ軽蔑されており、無きもののごとくに扱われていたその人にイエスさまはいちばんはじめに、「ほら、私だよ」と現れてくださった。これがクリスマスの出来事と似ていると思いませんか。すばらしい救いの訪れがはじめに伝えられたのは、あのベツレヘムの野原で野宿をしていた羊飼たちだったのです。クリスマスのときにしばしば指摘させていただくのですが、羊飼は当時のユダヤ人社会からは安息日を守ることのできない仕事として疎外されていた人たちでした。ところが羊飼たちのところに、天使の軍勢が現れて「いと高きところに栄光が神にあるように。地の上に平和が、御心にかなう人々にあるように」「きょうあなた方のために救い主がお生まれになる」。そして羊飼たちは飼い葉桶におられる主イエスさまとおあいしたのです。御使いが現れ、羊飼たちが、いちばんはじめにこの救い主とおあいした。こんどはよみがえられたイエスさまが、世の中からいちばん軽蔑されているようなあのマグダラのマリヤに。そのときにも御使いが現れています。よみがえるとは思ってもいませんでしたから、後ろにいる人がイエスさまであることがわからなかった。
彼女は、それを園の管理者だと思って言った。「あなたが、あの方を運んだのでしたら、どこに置いたのか言ってください。そうすれば私が引き取ります。」
 そのとき16節

イエスは彼女に言われた。「マリヤ。」彼女は振り向いて、ヘブル語で「ラボニ(すなわち、先生)」とイエスに言った。
 はじめてマリヤはイエスさまがよみがえったということを知ったわけです。復活を否定しようとする聖書研究者たちが、よく、よみがえりというのは願望を繰り返しているうちに、ほんとうによみがえりがあったと思いこんでしまったのであって、事実はよみがえりなどはなかったといいます。しかしどうでしょう。願望からの思いこみなら、彼らはよみがえるはずだと思っていたはずです。しかしマリヤも弟子たちも、よみがえったらいいななどとは思っていない。マグダラのマリヤは、空虚な墓を見て、イエスさまが復活したと思うどころか、遺体がどこか別なところに持ち去られたと思っている。それを探さなければ大変だと思っていたのです。そこに、よみがえったと知って、かえってびっくり仰天したのです。決して単なる願望があたかも事実と成り代わったのではありません。そして、それは聖書がいうところの意味ではない。

 お弟子さんたちもよみがえるとは思っていなかった。
 マリヤも、「マリヤ。」とイエスさまに声をかけられ、反射的に「ラボニ(先生)」と応じて主のよみがえりを知る。「わが羊はわが声をきく」です。そうです。イエスさまのおことばをその羊たちは聞き分けることができる。あのエマオ途上では、道々聖書の話をしてくださったイエスさま。漸う日も落ちて暗くなったので、いっしょにお泊まりくださいと弟子たちは願い、そして彼らがいっしょに食卓を囲んだときに、そのときイエスさまのお祈りがなされたのでしょう。そのときに彼らの目がはじめてひらかれる。

 イエスさまがマリヤにかけたことば、これをマリヤだけにかけられたことばとして見るのではなく、ここにふくまれている大切な真理は、よみがえられたイエスさまは、いまもマリアだから声をかけておられるのではない。真実に神さまの前に従っていこうとするイエスさまの羊である私たち一人ひとりに声をかけ、名前を呼んで導いてくださるお方なのです。それを期待してはいけないのでしょうか。このときだけ呼ばれたのではなく今も、「知ってるよ、私はあなたを知ってるよ」とよみがえりのイエスさまは、すべてをご存じで名前を呼んでくださる。そのお方に私たちは「主よ」といって幸いな交わりを持たせていただきたいと思うのであります。

 それにしても、なぜマリヤや弟子たちに、よみがえりのイエスさまがわからなかったのでしょうか。それが不思議といえば不思議です。エマオ途上のお弟子さんたちもわからなかった。あのマリヤにもあのイエスさまのことばがわからなかった。やはりよみがえりのからだというのは御再生のままのイエスさまのからだとどこか違っている、でも同じ。連続している。そういう要素がきっとあるのでしょう。それだけを指摘してきょうは閉じたいと思いますが、第二コリント15章39~44節
を開きましょう。
39 すべての肉が同じではなく、人間の肉もあり、獣の肉もあり、鳥の肉もあり、魚の肉もあります。
40 また、天上のからだもあり、地上のからだもあり、天上のからだの栄光と地上のからだの栄光とは異なっており
41 太陽の栄光もあり、月の栄光もあり、星の栄光もあります。個々の星によって栄光が違います。
42 死者の復活もこれと同じです。朽ちるもので蒔かれ、朽ちないものによみがえらされ、

43 卑しいもので蒔かれ、栄光あるものによみがえらされ、弱いもので蒔かれ、強いものによみがえらされ、
44 血肉のからだで蒔かれ、御霊に属するからだによみがえらされるのです。血肉のからだがあるのですから、御霊のからだもあるのです。

 このところは大いに期待しながら、いったいよみがえりのからだはどうなんでしょうねえ、といいながら、楽しみを持ちながら行きたいと思います。なぜマリヤがわからなかったのか、なぜエマオの途上のお弟子さんたちがわからなかったのか、やはりわからなかった。それを素直にそのまま受け取って、しかしイエスさまというお方には連続性があるということだけを確認してきょうは締め括らせていただきます。


文責:中ぶんな

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きょうのことばー『復活の主との出会い』ーヨハネ伝連講(111)ー

 このブログでは、毎週日曜日、心の糧と、或いは日々の道しるべとして自分が励まされるキリスト教会のメッセージをお届けしております。

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 さて、きょうのインマヌエル盛岡キリスト教会(電話019-646-2924)國光勝美牧師のメッセージは、

説教 『復活の主との出会い』ーヨハネ伝連講(111)ー
聖書箇所 ヨハネ伝20:1~18

1 さて、週の初めの日に、マグダラのマリヤは、朝早くまだ暗いうちに墓に来た。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。
2 それで、走って、シモン・ペテロと、イエスが愛された、もうひとりの弟子とのところに来て、言った。「だれかが墓から主を取って行きました。主をどこに置いたのか、私たちにはわかりません。」
3 そこでペテロともうひとりの弟子は外に出て来て、墓のほうへ行った。
4 ふたりはいっしょに走ったが、もうひとりの弟子がペテロよりも速かったので、先に墓に着いた。
5 そして、からだをかがめてのぞき込み、亜麻布が置いてあるのを見たが、中に入らなかった。
6 シモン・ペテロも彼に続いて来て、墓に入り、亜麻布が置いてあって、
7 イエスの頭に巻かれていた布切れは、亜麻布といっしょにはなく、離れた所に巻かれたままになっているのを見た。
8 そのとき、先に着いたもうひとりの弟子も入って来た。そして、見て、信じた。
9 彼らは、イエスが死人の中からよみがえらなければならないという聖書を、まだ理解していなかったのである。
10 それで、弟子たちはまた自分のところに帰って行った。
11 しかし、マリヤは外で墓のところにたたずんで泣いていた。そして、泣きながら、からだをかがめて墓の中をのぞき込んだ。
12 すると、ふたりの御使いが、イエスのからだが置かれていた場所に、ひとりは頭のところに、ひとりは足のところに、白い衣をまとってすわっているのが見えた。
13 彼らは彼女に言った。「なぜ泣いているのですか。」彼女は言った。「だれかが私の主を取って行きました。どこに置いたのか、私にはわからないのです。」
14 彼女はこう言ってから、うしろを振り向いた。すると、イエスが立っておられるのを見た。しかし、彼女にはイエスであることがわからなかった。
15 イエスは彼女に言われた。「なぜ泣いているのですか。だれを捜しているのですか。」彼女は、それを園の管理者だと思って言った。「あなたが、あの方を運んだのでしたら、どこに置いたのか言ってください。そうすれば私が引き取ります。」
16 イエスは彼女に言われた。「マリヤ。」彼女は振り向いて、ヘブル語で「ラボニ(すなわち、先生)」とイエスに言った。
17 イエスは彼女に言われた。「わたしにすがりついてはいけません。わたしはまだ父のもとに上っていないからです。わたしの兄弟たちのところに行って、彼らに『わたしは、わたしの父またあなたがたの父、わたしの神またあなたがたの神のもとに上る』と告げなさい。」
18 マグダラのマリヤは、行って、「私は主にお目にかかりました」と言い、また、主が彼女にこれらのことを話されたと弟子たちに告げた。


 先週は心配になるほど秋のような涼しい日が続きましたが、昨日の午後から暑くなり、そしてきょうもこの暑さ。予報では一週間は続くようです。8月2~4日はいよいよ東北聖会が、今年は秋田で開かれます。いま夏の厳しいところを通っておりますが、皆さま方の健康が支えられますように、そして一回ごとの集会に豊かな実りがございますようにお祈りと共にこれに当たりたく思っております。

 前回からヨハネの連続講開に戻りました。講開のはじめから復習、そしてその続きというように進めております。
きょうは前回の復習となる、また重複する部分から入ってゆきたく願っております。
 ヨハネとペテロが走ってイエスさまの葬られているお墓にやって参りました。しかしそこにご遺体はなく、ご遺体に巻かれていた布きれ、亜麻布がそこに残されていた。そして8節と9節に目を向けたのでした。先に墓に着いたのはヨハネの福音書を記したヨハネでした。恐る恐る空虚な墓に入ってゆくと確かにイエスさまのお体がなくなっている。しかし、包まれていた亜麻布は置かれている。「そして、見て、信じた。」のでした。そのあと、9節のことばに、彼らは「イエスが死人の中からよみがえられなければならないという聖書を理解していなかったので」、こう続いている。この部分に非常に意味があるように思われたのであります。「信じた」と8節に書かれておりますヨハネ。何を見て信じたのか。またこれは何を意味するのか。これは解釈の仕方で若干違いがあるようです。9節との関わりなどから見て、この「見て、信じた」というのは、イエスさまを信じたことではなく、この客観的な事実、そうなっているのも信じたというようにある方々は理解しております。それも頷くことができます。

 しかし、一方、興味深い解釈ができるとすれば、信じたというのはイエスさまというお方をまことの神ご自身とし信仰するべきお方として信じたというようにこれを理解する人たちもおります。ただその場合には、9節のことばがそれをどう補足するのか。「彼らはイエスが死人の中からよみがえられなければならないよいう聖書をまだ理解していなかったのである」。聖書を理解していない彼らがイエスさまを信じたというすこしちぐはぐな感じ、これをどう解釈するべきなのかという問題であります。しかし私は、このちぐはぐさこそ、私たちひとりひとりの信仰生活のはじめに極めて酷似している出来事ではないだろうか、そう思うのです。まさにこのちぐはぐな記述は私たちが信仰に入ったときの様子に似ているのです。つまり、イエスが死人の中からよみがえられなければならないという聖書をまだ理解していない。

 私は、自分自身が、はじめて福音に接してイエスさまを信じた当時のことを振り返ってみました。私はイエスさまの十字架が預言の成就である、或いはそれが贖いというもののまさに聖書の実体であるというようなことをどれほど理解していただろうか。と申しますからには、当時、私には思い出す出来事があるのです。お茶の水会館に行きますと、ある時には、先生は、イエスさまはあなたがたの罪のために十字架にお架かりになったのですと福音を語ってくださる。次に行くと、ある先生は、イエスさまはユダヤ人たちの妬みと敵対する者たちによって十字架につけられたのですと話される。あれ、前回は罪の身代わりだった、ところがきょうはユダヤ人の妬みからか、いったいどっちなんだろう。落ち着いて考えてみると、なるほど一つのことが表と裏のように両方とも調和して理解されることなのだとわかるのですが、その当時の私は、あれっ、あれっ、と何度も思ったものですし、そのことを今でも思い出すことができるほどなのです。つまり私はわかっていなかった。その意味において聖書がわかっていなかった。それでは、わかっていないからそのときはクリスチャンではなかったのか。そんなことはありません。8節にあるように、「見て信じた」。私が8節にあるように「見て信じた」というのは、何なのかといえば、私は聖書の教えというものが何であるのかを自分なりに捉えようとしてお茶の水会館で開かれたキリスト教講演会に、チラシを握って入っていった。そして、そのお話を聞きました。そのときに、あの講師の先生が額から流れるような汗を流しながら全身全霊で、「皆さんあなた方はいまイエスさまを信じなければ永遠の滅びに行ってしまうんです」。こういって極めて明瞭にイエス・キリストの十字架とその救いを語ってくださったとき、私は講師であるダビット・マーチン先生を見たのです。そして信じたのです。勿論誤解は無いと思いますが、マーチン先生を信じたのではない、マーチン先生が語っておられる福音というものを信じたのです。けれども私が見たのは、そしてはじめて福音教会的な集会で見たことは、まさにそれがはじめてといっても誤りではないほどの経験でした。どうでしょうか。多くの方々が、「見て、信じる」とはそういうことではないでしょうか。

 十字架の預言というものが、旧約聖書のイザヤ書53章にあって或いはイエスさまの誕生というものがミカ書に記してあって、或いは、創世記に、出エジプト記に、過ぎ越しの祭にも出ているなどといったいどれだけ知って、イエスさまを指し示すそういった福音というものの聖書をどれだけ知って信じた人がいるでしょうかと私は敢て開き直って訊きたい。多くの人たちは、勿論クリスチャンホームでそういうことをずっと知っていた知っていた知っていてあるときにああ、そうだったとわかって聖書の真理に火がついたというジョン・ウェスレーのような人もいるでしょうし、そういう人たちがいることはそれは羨ましいことですけれども、しかしそれはそれであっていいので、むしろそれらの人たちは例外的ではないでしょうか。私たちは、亡骸がなくなってイエスさまがいたところに包帯、亜麻布が置かれてあったという客観的な出来事を知ったとき、ああ、そうか。それと類似したようにチラシを見て或いは何かのきっかけで教会に来てああ、そうか。それで信じていいのです。前に出て行って、そして「おめでとう、今日からあなたはクリスチャンですよ」と言われて、それが、まだ何もわからないような者であったとしても、信じるというのはそれなんです。そこで確かに自分の生き方が変わった。それでいい。聖書の理解というのはそこから始まっていい。わたしはかえってこの8節9節の一見ちぐはぐなところにこそ私たちの信仰の姿を、また恵みを裏書きしていただけるような思いがいたします。

 これでいいのだ。ヨハネもこれで信じたのだ、そんなように思ったのでございます。         ーつづくー 

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被災樹木 ー山田町船越ー

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 この写真を見ながら、自然も大きく破壊されたことを思っていた。ほんとうにこの倒れた樹木がまるで……。こんなときに遊蕩をしたり、人を欺いたり、悪意を抱いたり、もしそんなことができるとしたら、復興に懸命に取り組んでいる人たちを茶番だといえる輩がいるとしたら、……その人はあの日、日本にいたとしても、東日本大震災はその人だけに目隠しをしたとしか思えない。さまざまな考え方が世の中にあるとしても。人の心が離れていきそうなそんなときこそ目を向けなければ、そう自分に言い聞かせている。

 きょうも盛岡震度4、遠野は震度5強と聞いた。おさまるだろうと思ったがおさまらず、外に避難した。無事。きょうも無事。なぜか無事。

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3・11でふるわれたもの

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       被災した山田町の瓦礫の山

 自分のなかにあったさまざまなものが大震災でふるいにかけられ、いまは網の上に残ったものが内に格納されているようだ。4ヶ月経った宮古市、山田町で見たのは、ほぼ瓦礫が片付けられた家屋、店舗、社屋などの土台。そしていまから取り壊されようしている全壊、半壊の建物。自分のなかにあるものも全壊、半壊とさまざまだ。

 立ち上がりが難しいのは農業への想い。津波でさらわれ破壊された被害の甚大さは筆舌に尽くしがたい。そしてまた原発事故以来の人への農家への被害もまた深刻である。畜産でいえば、2010年4月に発生した口蹄疫で約29万頭の家畜が殺処分、同年8月末頃に終息宣言だった。やれやれこれでと思いきや、つづく鳥インフルエンザで鶏136万羽が殺処分された。そしていま、放射能被害は拡大の一途にある。実態は知らされているよりも深刻だろう。

 このようなときに何が確かであるのか。家族か、友人か、金か、預貯金か、土地か、仕事か。しかしこれらは何れもいつ何時も災難に遭遇する事があり得る。勿論自分には金、貴金属などはない。老後の暮しを支えてくれる幾ばくかという程度である。確かなものが見えにくくなっている。いよいよ見出しにくくなっている。

 しかし確かなものはある。いまはそれに支えられ生かされている。こちらからは如何とも成しがたくとも、向こうからは如何ようなこともなし得る存在。自分を殺すことも生かすこともできる存在。ふるいに幾度もかけられて、最後まで網の上に残るものはそれだろう。それが恐れや脅えからいま自分を救っている。それが神だ。

 沿道にも街中にも印刷物にも、「頑張ろう!」「立ち上がれ!」の文字。以前はこういった言葉には反応しなかったが、いまはそんなことばに出会うたびに胸にこみあげるものがある。じんとくる。そうだ、頑張らなくちゃ、そう言い聞かせる自分がある。

 

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大いなる不思議を行われる方

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 主に感謝せよ。
主はまことにいつくしみ深い。
その恵みはとこしえまで。
神の神であられる方に感謝せよ。
その恵みはとこしえまで。
主の主であられる方に感謝せよ。
その恵みはとこしえまで。
ただひとり、大いなる不思議を行われる方に。
その恵みはとこしえまで。

       ー詩篇136篇より

 

 きょうは家族の誕生日

 いつもよりちょっとだけ美味しい料理を作って、
 庭にはない花をちょっとだけ花束にして、
 いつもよりちょっとだけきれいに掃除して、
 喜ばれるものをちょっとだけ準備した。
 どれもほんとうにちょっとずつ。
 けれども神さまは、
 ど~んと大きなプレゼントをくださった。
 理屈のない理由で
 大きな喜びが心にあふれるというプレゼントを。

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雑感

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 さてそろそろコーヒーを淹れようかなとコーヒーフィルターを取り出したところに電話が鳴った。
「蛹が蝶になってます」
というわけで、またもや“蝶々夫人”宅に近くだというのに自転車で急行。
鴨居に止まりなにかつんとおすまし状態。
そして気づいたことは、夫人が話しかけると必ず羽を閉じたり広げたりを繰り返したこと。
夫人は、アゲハが幼虫のときからほんとうに子どもに話しかけるように話しかけつづけている。たしかに夫人の声に反応している。そうとしか思われなかった。
 幼虫が一旦、蛹になったならもう羽化するまではじっとして動かないと思っていた。ところが夫人がいうには、「蛹になっていても話しかけると角のところがピクピクと動くの」だという。すぐに私が話しかけてみたが反応は無かった。夫人の声を聞き分けているとしか思えない。spade

 午後にTVでマザー・テレサの映画を見た。
マザーが路上に倒れた瀕死の男性に近づくと、その人はいう「わたしは渇く」。十字架に架けられたイエス・キリストのことばだ。マザーには、その男性、そのように貧しく傷つき病に倒れ寄る辺ない人はみなイエス・キリストであるのだ。それはマザー以外の他の人々にとってもそうであると示されており、マザーを通してそれが世界に証明されている、そう思った。
club

 てっきりきょうは降るだろうと予測していた。それが青空にまばらに雲が浮かび、心地よい風がそちこちの梢の緑を躍動させる。ほんとうに過ごしやすい一日となった。まもなくやすもうとするいまも、窓から風が吹き込んでくる。涼しいというよりはひんやりとしてもいるが、37度の猛暑を潜った身にはどこまでもありがたく思われる。快眠となるだろう。そしてきょうの一日にまたしても感謝。大豆、小麦などの急騰、台風被害、原発、被災地とさまざまな渦中にあっても、このようにさして理屈のない感謝の思いが溢れていることに感謝。night

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玉蜀黍はぶかぶかのハーモニカ

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でんと居すわる入道雲。

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玉蜀黍はぶかぶかと鳴るハーモニカ。

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こぎゆく膝に葉叢。かき分ける両の手に梢。仰ぎ見る彼方にも樹木。緑色のグラデーション。

※先週、紫波町での写真。

きょうはことし初めて玉蜀黍を茹でて食べました。

弾けない、玉蜀黍は弾けない。笑わない。玉蜀黍は笑わない。
ポップコーンいつもポンポコにぎやかに。

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ブログ界も「なでしこ」ラッシュ

 決勝戦は勝利の10分前からの観戦という怪しからぬ応援ぶり。とにかく猛烈に眠かった。眠いときに無理をすると、プレートに力を加えたときのように後になってギュッと体のどこかにしわ寄せがくるのを近頃感じている。無理は禁物。けっこう脆くもなっているわけで、そこそこにしないと何処かがバックリと傷口をあけかねない。
 それはともかく、自分はそれほど行儀がよいわけでもないのに、どうも女子がプロレス、柔道、空手、レスリングをすることには抵抗があった。美しくない。可愛くない。何よりも女らしくない。ならば女らしさとは何? と問われても明確な答は出せそうにもない。足で蹴る、頭突きをする、投げ飛ばす、……。何とも凄まじい。見てはいられない。それが世界一になったのだ。仰天である。
 ほんとうにひっくり返るほどの仰天で、ほんとうに意識がひっくり返ってしまった。この困難なときに、ほんとうによくやってくれた! よくぞ勝ってくれた!! まったく呆れた娘たちだ!!! いまこの国でとびきり新鮮でパワフルなニュースだ。

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 気温37度のきょうの午後、図書館にでも逃げ込もうかと戸締まりなどして出かける準備をしたが、車でいけば駐車場にいれるのが面倒。バイクは出払ってしまった。自転車は汗だくになりそう。いつもなら、何これくらい、と思うのだが、やはり体の何処かがすこしゆったりせよ、と警告している。何をするともなく家で冷たいものを飲んだり、ちっちゃな畑を巡回、野菜のなりぐあいを確かめる。トマトは葉陰でVサイン。いまからなでしこみたいにぐんぐん立派な実になる気配。

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 ピーマンはまだほっそり。自信なさそうに俯いている。元気出してね。

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 いつの間にか家の中にシオカラトンボ。いたんですね~。子どものときに見たきり、もういなくなったのかとばかり。それがまあ掃除を省略していた部屋のサッシに止まるんですから、写真を撮るのもひやひやものです。でもこの際そんなことは措いておきましょう。千載一遇のチャンスがいまここにあるのですから。羽の長さは4センチでした。立派なシオカラトンボです。

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 ヤゴがどこで育ったかは謎。赤とんぼもずいぶんと少なくなったこの頃です。
 夕やけこやけの赤とんぼ~note と歌ったのはもっと自然が豊かだったころのこと。

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きょうのことばー『空虚な墓が意味するもの』ーヨハネ伝連講(110)ー

 

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  さてきょうのインマヌエル盛岡キリスト教会(電話019ー646ー2924)の國光勝美牧師のメッセージは
説教題 『空虚な墓が意味するもの』ーヨハネ伝連講(110)ー
聖書箇所 ヨハネ伝20:1~10

1 さて、週の初めの日に、マグダラのマリヤは、朝早くまだ暗いうちに墓に来た。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。
2 それで、走って、シモン・ペテロと、イエスが愛された、もうひとりの弟子とのところに来て、言った。「だれかが墓から主を取って行きました。主をどこに置いたのか、私たちにはわかりません。」
3 そこでペテロともうひとりの弟子は外に出て来て、墓のほうへ行った。
4 ふたりはいっしょに走ったが、もうひとりの弟子がペテロよりも速かったので、先に墓に着いた。
5 そして、からだをかがめてのぞき込み、亜麻布が置いてあるのを見たが、中に入らなかった。
6 シモン・ペテロも彼に続いて来て、墓に入り、亜麻布が置いてあって、
7 イエスの頭に巻かれていた布切れは、亜麻布といっしょにはなく、離れた所に巻かれたままになっているのを見た。
8 そのとき、先に着いたもうひとりの弟子も入って来た。そして、見て、信じた。
9 彼らは、イエスが死人の中からよみがえらなければならないという聖書を、まだ理解していなかったのである。
10 それで、弟子たちはまた自分のところに帰って行った。


 連日猛暑が続いております。きょうがピークかと思いますが、どうか健康が支えられますように共に祈りながらこの夏を過ごしていきたく願っております。きょうは教会学校のお泊まり会があります。このようなことも合わせまして、いよいよ夏が来たなという思いでございます。

 きょうのメッセージに入ります前に、7月11、12日に和賀郡西和賀町の錦秋湖で開かれました東北教役者会に部分参加したときに、心に残りましたことをお分かち致します。
 今回の講演は湊晶子先生でした。前東京女子大学学長でらっしゃいます。先生がこの現職にあったとき、教授の120人中、クリスチャンは5名でした。こういった中にありクリスチャンとしての証しを立てることに積極的に取り組まれた証しをなさいました。
 ある日、湊先生のもとに、「教授会の前に祈祷会をするのは中止してもらいたい」という連名の嘆願書が出されました。建学の精神からいっても祈祷会を止めることはできません。教授会の10分前弁明のときをもらい、なぜ祈祷会を開いて教授会を始めるかをお話ししたそうです。そのとき、会議に出向くとき自分はいつも、ピリピ4:13「
私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。」というおことばを繰り返している、これは私のモットーですと仰いました。
 
ちょうどその当時、東京女子大学の理事長が日銀の早見優(まさる)総裁でした。早見氏がこれを引退し引き継ぎのために湊先生のところに見えたそうです。早見氏は、「総裁といった役職は、右といえば、どうして右に?といわれ、左にといえば、どうして左にといわれる。真ん中といえば、どうして何もいわないかといわれる肝を据えてかからなければならない孤独な大変な立場です」と仰ったそうです。日銀の総裁室には聖書の三つの言葉が掲げられていました。
 一つ、主われを愛す
 二つ、主われともにいます。
 三つ、主すべて知りたもう
 早見氏は、たとえば国会の答弁に立つときなども、このおことばを支えにしていたといいます。これを伺った湊先生は、私はピリピ4:13ですと、大いに意気投合されたということでした。
 大多数が反対であるところに、このようにおことばに立ち、立場を鮮明にして出てゆく、これはまさしくアリマタヤのヨセフとニコデモのすがたであり、おことばを掲げて進みゆくことは決して小さなことではない、そう思うのであります。

 さて、ヨハネ伝20章に入りましょう。イエスさまの復活、イースターの箇所としてよく開かれますが、きょうはヨハネ伝の連続講開の続きとしてお開きしております。
 ユダヤ人の人々にとって、安息日は土曜日です。ですから「週の始めの日」とは日曜日です。イエスさまの御復活は日曜日の朝であることがここでわかります。
 まだ暗いうちにマグダラのマリヤが墓にやってきた。聖書中には何人かのマリヤという女性が出て来ますが、このマグダラのマリヤは、イエスさまによって破滅的な境涯から救われ、深く主を慕い仕えるようになったマリヤのことです。
 イエスさまが葬られたのは土曜日の安息日。しかし安息日には細かな行動規制があり思うように動くこともできない。とにかく夜が明けるのを待ってマリヤは墓に駆け付ける。入り口を塞いだ
石にはローマ皇帝の封印が為され、番兵が見張りに立っているはずが、何と石が取りのけられていたのです。
 この聖書箇所だけを見ますと、このときに駆け付けたのはマグダラのマリヤ一人だったと思いやすいのですが、実は他にも何人かの女性が行っていたのです。ヨハネ伝20:2に「私たちにはわかりません」とあります。ここが「私」ではなく「私たち」と複数になっています。
 私たちは、イエスさまが復活したことを知っていますから戸惑うことはありません。しかしこのときの女性たちに、イエスさまが復活するとは思っていなかった。ヨハネ20:13で、
「だれかが私の主を取って行きました。どこに置いたのか、私にはわからないのです。」
こう言っているくらいです。さらに20:14にあるように、復活したイエスさまがマリヤの後ろに立ったときでさえ、マリヤはそれが園の管理人だと思っていたのです。あとでイエスさまに「マリヤよ」と声を掛けられたところではじめてマリヤはそれがイエスだと気づくのです。
 マリヤはこのできごとを伝えようとシモン・ペテロとヨハネのところに走って行く。しかし弟子たちさえも復活があったとは思っていない。駆け付け、からだをかがめてのぞき込み亜麻布が置かれているのを見る。ここでは「置いてあった」とありますが、別訳では「きれいにたたんで置いてあった」というようにあります。インマヌエルの初代総理、当時は代表者を総理と呼んでいましたが、総理は「きちんとたたんで……」の方を取っておられ、「イエスさまはちゃんと後始末をなさるお方だ」と話されたといいます。イメージとすれば、体が蒸発したかに消えるなら布は巻かれたまま残るでしょう。新改訳では、イエスの頭に巻かれた布切れは巻かれたままになっていた、とあります。もし墓どろぼうの仕業だとしたなら、遺体は放っておいて金目のものだけを奪い去るでしょう。為政者、祭司長、長老たちは、イエスの復活が事実であるとまずいと手を打ったことがマタイ伝28:12、13に
は書かれています。12 そこで、祭司長たちは民の長老たちとともに集まって協議し、兵士たちに多額の金を与えて、13 こう言った。「『夜、私たちが眠っている間に、弟子たちがやって来て、イエスを盗んで行った』と言うのだ。」。

 さてヨハネ伝20:8「そのとき、先に着いたもうひとりの弟子も入って来た。そして、見て、信じた。」、同じく20:9「彼らは、イエスが死人の中からよみがえらなければならないという聖書を、まだ理解していなかったのである。

 これをどう理解したらいいでしょうか。もうひとりの弟子とはヨハネです。「見て、信じた」とは何を信じたのか。イエスさまがよみがえられたことを信じた。ところが9節にあるように、「イエスが死人の中からよみがえらなければならないという聖書」をまだ理解してはいなかったのです。私が信仰の決心をしたときもそうでした。まだ聖書をよく知らないけれども、特別集会の最後の日に手をあげて信じる意志表示をし、会衆の前に出て行きお祈りをしました。まだ聖書をほとんど知りませんでした。決心したあとで、学びが進むにつれて、いよいよ納得し、その決心がいかに貴いものであったかが解ってきたのです。

 ではあなたの信仰はどうでしょうか。小さい頃から聖書に通じている人がようやく聖書を信じることができるのでしょうか。それとも聖書をまったく知らない人が聖書を信じることに、優劣があるのでしょうか。ここに何と言っているでしょう。ヨハネは墓に入っていってイエスさまを信じた。それでいい。イエスさまも復活ということも、或いは聖書に預言されているさまざまな罪の赦し、永遠の命、それらの聖書のさまざまな出来事は、これからゆっくり知っていけばいい、いくらでもゆっくり、そしてもっともっと深く、そして一生涯かけて私たちはそれを深めていく特権があるのでしょう。大切なことは、「見て、信じる」こと。このヨハネのように、イエスさまのこの出来事を信じる。いまここでヨハネはまだ復活のイエスさまに会ってはいないのです。それは私たちと同じです。私たちもよみがえりのイエスさまに、トマスのように手を触れて信じているわけではありません。私たちは見ずして信じている。それでいいのです。

 来週はこのところからもう一度、11節に踏み入りながら、イエスさまのよみがえりとマグダラのマリヤとの出来事にふれていきたいと思います。

※先週の復習、また例話のいくつかを編集の都合で割愛しました。また誤記もあり得ることがありますが、お気づきのときはご指摘ください。文責:中ぶんな

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被災車両

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 山田町の仮設スーパー前にあった軽自動車。
岩手県の被災車両は4万台を超えるとされているが、この軽自動車もその中の一台。
クラッシュ! クラッシュ! クラッシュ!!
津波の凄まじい激流に、岸壁に岩に家屋に車両に樹木に幾度も打ち付けられ翻弄されたすがただ。多くの方々がこのように。多くの方々が苦しみ悶え息絶えた。そして命を繋いだ方々があった。20分のあいだに徹底的な壊滅をもたらした津波。

 潰れた1台の車両。潰れた人の心。しかし人の心は物体ではない。

聖書のエゼキエル書37章1~14節にはこんなことが書かれています。
 主の手がわたしの上に臨んだ。わたしは主の霊によって連れ出され、ある谷の真ん中に降ろされた。そこは骨でいっぱいであった。主はわたしに、その周囲を行き巡らせた。見ると、谷の上には非常に多くの骨があり、また見ると、それらは甚だしく枯れていた。そのとき、主はわたしに言われた。「人の子よ、これらの骨は生き返ることができるか。」わたしは答えた。「主なる神よ、あなたのみがご存じです。」そこで、主はわたしに言われた。「これらの骨に向かって預言し、彼らに言いなさい。枯れた骨よ、主の言葉を聞け。これらの骨に向かって、主なる神はこう言われる。見よ、わたしはお前たちの中に霊を吹き込む。すると、お前たちは生き返る。わたしは、お前たちの上に筋をおき、肉を付け、皮膚で覆い、霊を吹き込む。すると、お前たちは生き返る。そして、お前たちはわたしが主であることを知るようになる。」

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光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。ヨハネ1:5

きのうはお願いして、インマヌエル盛岡キリスト教会國光牧師夫妻の被災地訪問に便乗させていただきました。国道106号線から山田町に直行。しんがりについて一巡。仮設のスーパーで買った弁当を腹の隙間に詰め込み、四十八坂でトイレ休憩。

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 地に嘆きを置きざりに、記憶のすべてを拭い去ったかの海。静けさを美しく恨めしく眺め、あとは一路北に。

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午後3時少し前に宮古コミュニティー・チャーチに到着。宮古コミュニティー・チャーチはインマヌエル綜合伝道団の系列ではなく、岩塚和男・啄子牧師夫妻と信徒方の協力で建てられた単立の教会です。東日本大震災から、この教会が田老、宮古、山田の支援拠点となっています。震災直後は会堂にぎっしりと世界から国内からの支援物資が積まれました。海外からの40、50人といったクリスチャンボランティアを受け入れ当初はほとんど不眠不休で被災地を巡り歩き支援し続けてきました。

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 はや4ヶ月経った宮古コミュニティー・チャーチの活動の断片を切り取ってみますと、
・キッズチーム
 7日(木)午後 田老学童(カヴェナント)
 8日(金)午後 津軽石学童
 9日(土)午前~午後 宮古小学校
・炊き出しチーム
 6日(水)午後 赤前仮設
・物資配給
 山田町大沢、田老仮設、赤前仮設、愛宕仮設、清寿荘仮設、豊間根仮設、山田中学校仮設、田老、田老北高付近など

 以上のように毎週スケジュールが組まれての支援活動です。岩塚牧師によると、支援物資が届きにくいところを重点的に訪問している、また、よく衣類が余っているかに伝わっているが、仮設にいらっしゃる方の中には、一日中一枚きりの衣服で過ごしている方々がいらっしゃる、一人住まいということで寧ろ他人を自宅にあげることができず話し相手もおらず孤独な状況にある方々がおられるということでした。
当面は下着類、夏物衣類、そして間もなく秋物衣類が必要とのことです。

インマヌエル綜合伝道団からの盛岡分の義援金の扱いに関してはその席上で話し合われ決められました。また車に満載の援助物資はすべて宮古コミュニティー・チャーチに託されました。

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被災地はや4ヶ月を経て ー山田町 留められた形に見る惨劇ー

 3・11から4ヶ月を経て、やっと宮古市、山田町を訪問させていただきました。
 インマヌエル盛岡キリスト教会の國光勝美・ひろ子牧師夫妻がインマヌエル綜合伝道団の全国の教会から寄せられた支援物資を届け、また集まった義援金をどのような形で被災地の方々にお届けするかを決めるための訪問に便乗させていただきました。牧師夫妻の被災地訪問は4回目です。私は勿論初めてです。
 被災した住宅地などは随分と撤去作業が進み、幾多の曝された土台が被災地の青空の下に広がっておりました。
 岩手県立陸中海岸青少年の家を訪問。牧師夫妻の来意に対し、代表者が、「ユニクロが避難所の皆様に新品の夏服を送ってくださったばかり」だということで、主に新しい下着類を牧師夫妻から受け取っていただきました。
 気温30度のきょうの山田町で瓦礫の撤去作業をしていたのは「滝沢社協」と入ったオレンジ色のベストを着けた1団体。これならわたしもできるかもしれないと見ました。
 次は山田町立船越小学校に向かいました。

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時計が夕方4時すこし過ぎたところで止まっています。

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体育館の床は波間のように上下に波打ち無数の剣のように鉄杭が床に突き抜け、鉄扉は外れ斜めに中折れています。襲いなだれ込んだ津波に、この体育館の内部がまるで巨大な洗濯機を回したときのように、瓦礫、物品そして人が……このようにひろ子牧師が話してくださいました。

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廊下の天井は剥落、渡された鉄棒も歪み或いは落下。これはかなり瓦礫がかたづけられた後のようすです。

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アルミサッシは飛び出し、ぐにゃぐにゃに歪んでおりました。

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電柱は幾本もの太い鉄線が根元に露わとなり、根元の方が輪切りのように分断され転倒。

ご遺体がどのお顔も、大人の顔も、子どもの顔も苦痛に歪んでいたとは、実際に奥様のお身内を捜しに遺体安置所を訪れたT兄弟の証言です。

ご冥福を衷心よりお祈り申し上げます。

あすは宮古コミュニーティーチャーチの岩塚牧師夫妻から伺ったことを書かせていただきます。

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降らないみたい

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  きのうの続きですが。お昼は石鳥谷町の「芽吹き屋」でした。
庭を見ながら食事ができる。これがなかなかに豊かな気持にしてくれます。
ここに立ち寄ったのは10年も前。庭はまだ産声をあげたばかりで、花も樹木も育ってはおらず、おそらくこの先はハーブ庭園にでもするのだろうと思っておりましたが。

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 食事をするあいだに鋭い雷鳴が。まもなく土砂降りの雨。会計を済ませて外にでようとしたとき一時停電となり、店員さんが自動ドアを手動で開けてくれました。
 大変!洗濯物を出したまま…

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国道4号線は土砂降り。ワイパーは必死に右左。雷鳴、飛沫、雷鳴、飛沫、飛沫……

盛岡南インター入り口付近で止む。しかし北上する路にはところどころに水たまり。さらに行くも側溝には濡れたあとが。

しかし、しかし南大橋にさしかかるころには、ぎらつく積雲。はるか北方面には乾いた路が。まさか、え~、まさか、わが居住区には一滴の雨も落ちてはいなかった。かくして大量の洗濯物はカラカラに乾ききって家人の帰りを待っていた。

敷地に滑り込むなり、用事でやってきた町内のF夫人に訊く。
「盛岡、降りませんでした?」
「さっき凄い雷がしたから、ほら、傘を持って出かけてきたんだけど、降らないみたい」

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プチドライブ

 朝早くにたくさんの可燃ゴミを集積所に出し、朝食後はアフリカのテヌウェック病院に送るための包帯作り。これはインマヌエル盛岡キリスト教会の婦人会の 皆さんで取り組んでいるもので、皆さんがそれぞれに引き受けています。わたしはそのほんの一部に過ぎなく申し訳なく思っているわけですが。
 11時頃突然主人が「ドライブに行こうか」。
 というわけで糸くずなどを片付け、直ぐさま出発。
 行き先は紫波町でした。行き着いた先は観光葡萄園。規模などまだ調べてはおりませんが、山々の起伏を上下しながら右、左に見事な葡萄棚が広がっています。かなりの規模です。

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見事に発達した積乱雲。大空の屏風のように立ちはだかっています。

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入り口で車を降り、わたしは写真を撮りまくり、主人はたまのサービスを自認し、穏やかに待ちの体勢。左に見えるのは葡萄棚を覆うマルチというのでしょうか、延々と被せてあります。これ一つとっても大変な作業と思われます。

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平地に延々とあるのではなく、いくつもの山の斜面を利用しているために非常に景観がよい。
勿論、実はまだ熟してはいません。

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所々にはこんな花々も。

 
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出荷のシーズンが到来したとき、ここで働くたくさんの方々のすがた、葡萄を摘む人、箱に詰める人、運ぶ人、堆く積まれたトラックの荷台……豊かさがこの丘陵地に溢れ流れる。よい光景です。観光といわず一緒に汗水流すのもいい、そんな気持になったことでした。

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緑したたる大地。豊饒の海。

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 このあとはとにかく路を進行方向気ままな方向に取りぶつかったのが国道4号線、石鳥谷町。最寄りのレストランが芽吹き屋。久方ぶりの外食となりました。
 

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アゲハチョウ

  虫はとても苦手、もうダメ~、という方々には、このページはすぐに閉じていただくとして、

 朝早くに“蝶々夫人”から、「アゲハが羽化しました」というお電話。慌ててカメラを掴んで直行。到着したときにはもはやアゲハの成虫の姿はありませんでしたが、幾つかの不思議はそのままでした。

 手前の鉢に植え込まれたサンショウがアゲハチョウの幼虫時代の住処でした。ここで“蝶々夫人”の弟三子、弟四子ともいうべきアゲハチョウが、そう、そう言えるほどに夫人のチョウへの思い入れは深い。その子たち二頭が食べ頃の水分をよく含み柔らかな新芽もしくは新芽に近い葉っぱ、要するに葉っぱのグルメだけを日々夢中で食べ続けて、ついに劇的な変身を遂げたのでした。

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 葉っぱに産み付けられた卵は、先ず黒っぽい幼虫となる。そして緑の幼虫に変態し、蛹になるために糸かけをし、

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 右の美しい緑色の蛹となり、この蛹が茶色となり、ついにある日、羽化して左のような抜け殻を残して旅立ってゆく。

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 この変態には不思議がいっぱいだ。ブログ「消えがてのうた」のコメント欄でaostaさんが仰るに、
「「羽化」という神秘的で特別な瞬間。それはまさに一つの命が花開くときだと言う感じがします。蛹の中の蝶は羽化の直前まで、神経や呼吸器系を除く他の組織は、完全な液体の状態なのだそうです。それまでの幼虫の形が、一度液化し、羽化の直前に再び固体化して蝶の形を成すのだとか。これって、神秘以外の何ものでもありませんよね。」
 蛹をみるたびに、アゲハをみるたびにこの解説を思い出します。

 それともう一つこれから解明できるものならしたいとさえ思う不思議があります。
 蝶々夫人は毎日のように幼虫や蛹に話しかけてそれは温かく育てています。夫人に育てられた幼虫は敵意、不快感を示すときに出す黄色い二本の角を夫人に対しては出しません。ふつうはこうはいかないものです。そしてチョウとなって旅立つときには、決まって名残惜しそうに夫人の周りをひらひらと旋回するなど、いかにも感謝を表してでもいるかに飛んでから旅立っていくのです。これはほんとうに神秘です。

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きょうのことばー『主イエスの埋葬』ー

 このブログでは、困難なときにあって、支えとなる、励ましとなる、また自らが強められる何かをお送りしたいとの意図から、日曜日にはインマヌエル盛岡キリスト教会(℡019ー646ー2924)で語られるメッセージを書かせていただいております。

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実りつつある葡萄。粒がしだいに大きくなり実と実との隙間がなくなり、しっかりとした一房の葡萄となります。

 さてインマヌエル盛岡キリスト教会のきょうの國光勝美牧師のメッセージは
説教題 『主イエスの埋葬』ーヨハネ伝連講(109)ー
聖書箇所 ヨハネ伝19:38~42

38 そのあとで、イエスの弟子ではあったがユダヤ人を恐れてそのことを隠していたアリマタヤのヨセフが、イエスのからだを取りかたづけたいとピラトに願った。それで、ピラトは許可を与えた。そこで彼は来て、イエスのからだを取り降ろした。
39 前に、夜イエスのところに来たニコデモも、没薬とアロエを混ぜ合わせたものをおよそ三十キログラムばかり持って、やって来た。
40 そこえ、彼らはイエスのからだを取り、ユダヤ人の埋葬の習慣に従って、それを香料といっしょに亜麻布で巻いた。
41 イエスが十字架につけられた場所に園があって、そのこには、まだだれも葬られたことのない新しい墓があった。
42 その日がユダヤ人の備え日であったため、墓が近かったので、彼らはイエスをそこに納めた。


 この朝、ヨハネの連続講開の方へと、もう一度私たちの講壇の歩みをリセッとさせていただきました。思えば去年の9月にヨハネ伝の連続講開108回目がございました。きょうはその復習をしながら、再びヨハネ伝に心を備えたく思うことです。

 その前に、先ほど10時近くに大きな地震がございました。みなさま、びっくりなさったでしょう。私は会堂におりました。これはい大きいぞと思い、会堂はしっかりしておりますので、二階の書斎に駆け上がりましたが、物の落下などはありませんでした。震源地が気になり直ぐにラジオを点けました、丁度第一放送は政治討論会であったかと思います。たぶん生放送でしょう。いま東京のスタジオが揺れていますと聞き、一瞬震源地は東京かと緊張したのですが、すぐに岩手の県北方面が震度4。どうも震源は海のほうらしく、津波注意報が出ました。地震があるたびに津波注意報がでます。そして結局は数十センチであったパターンが数年来続いている。しかし3・11以降はどうせ何々という意識は覆りました。50センチの津波が予想され到達時間は20分で、10時20分かと言われておりましたので、25分にごろにどうなったか見ましたところ、まだ津波は到達していない。結局津波はなかったのか、それともその後小さなものがあったのか分かりませんが、何れ先頃のような大事ではなかったようです。余震がしばらくは続くでしょう。祈りながら行動していただきたいですし、また、みなさま方が守られますように私どもも祈っている事でございます。

 前回の週報にもお知らせしましたが、所用も兼ね、私の郷里である松本市に行ってきました。5日(火)はインマヌエル教団本部での公務を果たし、その日のうちに盛岡に帰ってきたわけですが、ちょうど一週間前、松本市で震度5強の地震がございました。松本市域を含む本州の中央部を、フォッサマグナと呼ばれる大地溝帯が南北に走っています。松本滞在中に良きお交わりをいただき、お証しのときを持ったある方が、松本の中央に位置するマンションの5階に住んでおられますが、勤務を終え、帰宅してみると、家中がひっくり返っていたそうです。その方は、多賀城市で撤去作業のボランティアにも参加しているので、「僕の部屋が被害だと言ったら被災地の皆さんに申し訳ない」と淡々と話しておられました。松本市を貫流する女鳥羽川の真ん中辺りから、川の向こうとこちらでは随分揺れ方が違っていたようです。実家のある方は被害がありませんでした。その方の話で、塩尻方面には結構な被害があったことを知りました。紛れもなく震度5強の揺れとその被害でありました。日本中どこに行っても揺れる、そう感じたことでした。

 それではヨハネ伝の連続講開に移ります。
 聖書箇所は掲げましたヨハネ伝19:38~42です。
 ポイントはアリマタヤのヨセフ、そしてニコデモという二人の人物です。この場面はイエスさまが十字架上で息絶えられたあと、イエスさまを十字架から引き下ろす場面へと続いております。イエスさまの十字架は福音の中心となる出来事でございます。きょうは、前回のその時もそうでしたが、それに続く埋葬に学び進もうとしております。
 人々の嫌悪と憎しみがイエスを十字架につけました。イエスさまのお弟子さんたちさえ、あの人と自分とは関係がないと退いてしまいました。誰も関わりたくない。そこで目立つ行動を取ろうものなら透かさずローマ兵に捕えられ、イエスさまを十字架に追いやった勢力から手ひどい仕打ちを受けるのです。このような状況の最中で、代表的なお弟子さんではない二人の人物、アリマタヤのヨセフとニコデモが危険をも顧みずに名乗りを上げ、イエスさまの葬りを願い出たのでした。
 いまは名乗りをあげたアリマタヤのヨセフですが、38節には

38 そのあとで、イエスの弟子ではあったがユダヤ人を恐れてそのことを隠していたアリマタヤのヨセフ
 とあります。彼にもイエスの弟子であることを隠していたときがあった。私たちは、この人たちの立場が解るような気がします。大多数がノンクリスチャンであるという社会に生きているお互いです。いいえ、多くの人たちから見るならば、私たちの方が変わり者と見える生き方をしている。そのような意識の方々が圧倒的である中に、自分がイエスの弟子であると告白し証しし続けるのは大きな戦いです。ですから心ならずもクリスチャンであるということをそれとなく明かさずに社会生活をしている場合がある。アリマタヤのヨセフを見るとそういった意味で親近感を覚えるかもしれません。
 イエスの弟子であり、ほんとうに主を愛している。だけれども、ユダヤ人を恐れてそのことを隠していたのです。このようなアリマタヤのヨセフの信仰をどのように評価するでしょうか。私は天晴れだと思います。隠していたことをではありません。弟子たちが恐れて関わりたくないと思っていたときに、みんなが注視している中で、
総督ピラトに申し出て「イエスさまの亡骸をどうか私に引き取らせてください」と申し出る決断と勇気。いままでは躊躇していたけれども、最後にイエスさまをこのまま見捨てることができない。私がこれまで出来なかった、本当はしたかった、だけど出来なかった、勇気がなかった、しかし彼は最後にはついに決断しピラトにイエスさまの亡骸を丁重に葬りたいと下げ渡しを願い出る。この彼の決断には心打たれます。もうそこには打算はありません。損得勘定を超えて、このお方の亡骸をさらしておいてはいけない。わたしならできる。わたしは自分の墓を持っている。国会議員のステータスに足る、岩をくり抜いた立派な墓を自分のために用意している。これをこのお方のために使わずしていったいどうしよう。その想いが彼の心を衝き動かしている。「どうぞわたしのお墓にこのお方の亡骸を葬らせてください」。これに私はほんとうに心打たれるのです。

 ここでペルシャの王妃エステルを思い出します。その時代、権力者ハマンがユダヤ人の皆殺し計画をたてました。ときの権力者ハマンという人物によって進められようとしていた。王の命令がなければ回避できません。そこにペルシャ王の寵愛を受けていた王妃エステルが登場します。彼女は出自を隠していましたがユダヤ人だったのです。おじのモルデカイから固く口止めされていました。しかしそのとき、エステルは王の前に出ようと決めたのです。そのとき、もし王の許しがなければそれは死を意味します。
 このエステルもアリマタヤのヨセフに似ていると思いませんか。ほんとうの勇気。いざというときに、たとえ命に関わるとしても、その立場を明確にお証しをする。ここで私は、果たして自分がアリマタヤのヨセフたり得るであろうか。果たしてエステルたり得るだろうか。自問自答しました。人を恐れて、それまで十分に証しをすることができなかったアリマタヤのヨセフ。しかし、いまだ、というときに、明確に意思表示しはっきりとこのお方の名前に立つ、その決断をさせていただくという、それと同じ事が39節のところにあります。

39 前に、夜イエスのところに来たニコデモ
 そうです。以前にイエスさまが伝道生涯を始めるときに、若い教師が神の国のことについて素晴らしい教えを垂れている、それを知ったとき、アリマタヤのヨセフと同じようにニコデモも、当時のユダヤの社会の指導者であり、同じく国会議員のひとりであった彼は自分がこの若き教師に真っ昼間から教えを請いに行ったとなると、ちょっとこれは国会対策上よろしくない、野党に追及されたらどうするか。それでもやはり真実に耳を傾けたい、、このお方の教えを受けたいというので、彼は夜こっそりとイエスさまのもとに出向きました。そして神の国については、「人もし新しく生まれなければ神の国に入ることはできない」と教えられる。彼はそれまで国会の議決の中で、イエスさまについて不利になると、彼はいつもイエスさまを弁護する方に回っていたのですが、しかし立場上彼はやはり明確な意志は示せなかった。しかしこのニコデモも最後にはアリマタヤのヨセフとともに、はっきりと

ニコデモも、没薬とアロエを混ぜ合わせたものをおよそ三十キログラムばかり持って、やって来た これは、イエスさまの葬りのための没薬30キログラム、それを香料と一緒にとありますけれども、これは王族に近い人々を葬るのに匹敵する丁重な葬り方だといいます。この二人は自分たちのできる最大限の愛の業をイエスさまの埋葬という大きな出来事の時に行った。王族と匹敵するような丁重さで行ったのです。
 イエスさまが葬られたお墓、即ちアリマタヤのヨセフが持っていた墓のことですが、41節、
41 イエスが十字架につけられた場所に園があって、そこには、まだだれも葬られたことのない新しい墓があった。
 
これがアリマタヤのヨセフの墓であったことは言うまでもありません。
 正しい聖書解釈であるかどうかは別として非常に心に残った解説を読みました。それは、「十字架につけられた場所に園があって」とあるこの「園」という言葉を解説者は取上げ、人間が罪を犯しエデンの園から追放されたが、人間の罪の贖いを全うされたお方、その背景があった。埋葬されたという意味ですね。それと、対比して文章から進められていたのを見ながら、ほんとうに心に残ることでありました。聖書解釈としてこの園というところをエデンの園というものと対比するその解釈法がいいかどうか、それは別問題だと思います。ただ思い巡らしのなかで私は赦されることだろうと思ったのです。罪を犯した人間はエデンの園から追放された。しかし、それを贖いを見事に成し遂げたお方は人のまだ葬られたことのないそのところに葬られた、そして全うされたのだという何か符合する恵みをそこに感じたのであります。、
 
お話しをここで締め括らせていただきます。二人の人物にきょうは注目いたしました。アリマタヤのヨセフ、そしてニコデモです。二人とも決定的な場面を見て旗幟鮮明にし自分の愛を惜しむことなく注ぎだし主に従っていった人物であります。私たちも願わくはこの二人のような在り方をさせていただきたいと思うのです。
 励ましとして最後に第二テモテ1章、パウロの後継者としてパウロに従っていった人物、どちらかというと繊細でそして内気なある意味パウロとは対称的な人物であったテモテ、そのテモテに書き送った最後の手紙の中で、パウロはこのように言っています。1章6~8節

6 それですから、私はあなたに注意したいのです。私の按手をもってあなたのうちに与えられた神の賜物を、再び燃え立たせてください。
7 神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。
8 ですから、あなたは、私たちの主をあかしすることや、私が主の囚人であることを恥じてはいけません。むしろ、神の力によって、福音のために私と苦しみをともにしてください。

 どうかこのパウロのテモテに対する祈りが、きょう私たちにも祈られているということを捉え、アリマタヤのヨセフとニコデモに似る者とさせていただきましょう。

※短くするために編集してございます。筆者の聞き違いまた誤記がある場合があります。その際はご指摘くださるようお願い申し上げます。文責:中ぶんな

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平平平平凡凡凡凡

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 上の写真はユリの蕾。もうすぐ真っ白な香り高い花が咲きます。

 下はアジサイです。アジサイの右に垂れているシダのような葉っぱは合歓木。な~んだアジサイの話じゃないんだ。はい。写真を撮るときにはアジサイの話をするつもりだった。しかし午前中に低木の剪定をして回り、実はこの合歓も伐ってしまった。写真に写ってはいるけれども今はない。それで取りあえずは、追悼に合歓の話をして偲ぼうというわけです。
 この合歓は10年ばかり前に径20センチほどだったものを切り倒し、太い根っこも地中を5、60センチ以上も掘り進めて汗水流しやっと取り除いたのでした。ところがもう翌年には出てきた。どうも残っていた細い根から復活したらしい。ことしは後ろのセイヨウスグリが見えないほどに葉を繁らせていました。皐をおおい、後ろの木々を隠してしまうので、思い切ってバッサリ。しかし来年にはまたひょっこりと出てくるでしょう。この諦めない生への“執着”、強さにたじたじ。それと同時に畏敬の念も。伐った本人が賞めるのも何ですが大した根性です。ご都合主義で伐るには伐りましたが、ほんとうは合歓木は繁らせておきたいのです。優しげな桃色の花をいっぱいに咲かせてくれる。ただ合歓を繁らせるにはこの庭では狭すぎる、それだけのことです。
 追悼と言いましたが、実はやはり合歓木は生きている。地中で。根っこがある限り決して死なない。虐げられても根が生きていれば必ずまた枝葉を繁らせることができる。しっかりと根を張る、これが肝心なようです。

 わが家のアジサイは昔ながらのスタンダード。平
凡と咲いています。それでどこまでも平和なのであります。

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アマリリス

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アマリリス
    岩佐東一郎作詞・ギース作曲


みんなで聞こう
楽しい オルゴールを
ラリラリラリラ
しらべは アマリリス

月の光
花園を あおく照らして
ああ 夢を見てる
花々の眠りよ

フランスみやげ
やさしい その音色(ねいろ)よ
ラリラリラリラ
しらべは アマリリス

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 球根を山のように売っていた。たくさんの花々の中から選んだのがアマリリス。大きなアマリリスの球根もあったけれど、その半分ぐらいの球根を手に取った。5月にはもうそちこちのアマリリスが開花していた。「まだ芽が出ない、もしかしたら咲かないのかも」、こう何度も繰り返して迎えた7月。巨大な緑の爪の形をした芽がついにすがたを現わす。アマリリスの発芽はいつも感動的だ。それからはもう見る見るうちに丈がまっすぐに伸びて膨らむ蕾。そして昨日咲いたのです。
「あらあら、何をそんなに心配していたの? わたしは大丈夫、ほらね」
そういいながら素直に一途に優しげに咲いている。

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咲くと同時に、暗い緞帳をさっとひらき、魔法のしずくを心に滴らせ、素直であたたかな想いにしてくれる。アマリリスはそんな不思議な花です。

是非歌の題字「アマリリス」をクリックしてみてください。澄んだオルゴールの響きが流れます。

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ただいま上演中

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あれれ、車が波立つ海に浮かんでいるの? いいえ。けっして大震災をイメージして撮った写真ではありません。たまたまスーパーの駐車場で、車のガラスに写っていた景色があまりにきれいなので撮っておいたもの。

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 ガラスに写った景色はほんとうはガラスの向こうにはない。ないものなんだけど、あるものとして空想で遊んでみる。雲がわく真っ青な空をドライブ、たとえばそんなふうに。これは厭世だ、空想避だろ、子どもじみてると見方はさまざま。
 だけどね、重たいニュースに気が滅入るときなんかは、こんな空想をするのもいい。心が豊かになる。垂れこめた雲が開けて心に爽やかな風が吹き込んでくる。こんなちょっとしたことで心をリラックスさせ頑張れることもある。

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 これはクレマチス。実物。いま地上のステージで精一杯花を咲かせている。おっと、そういえば、わたしも地上のステージに出演中だった。観客席の中央にはいつもあの方がいらっしゃる。いま目には見えないけれども、やがては天でお目に掛かるあのお方が。

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われらドクダミ

 ここの庭番は、ほかの見目麗しい花たちには、ずいぶんと水や肥料をやったり、こまめに草を取ってやったりしてるみたいだけど、我われドクダミへの扱いときたら、そりゃもう酷いもんさ。はじめのうちは手で引っこ抜いていたけど、つぎは鎌を持ち出して2、3センチは土を起こして引っ張った。それでも足りないと見たか、こんどはスコップで15センチも掘り下げ根こそぎ取っている。この世でいちばん怖いのは人間だ。だけど、どうだい、このとおり。ほかのところを引っこ抜いているうちに、大事そうにしてるブルーベリーの根元にびっしりと生えてやった。どんなに痛めつけられたって怯むもんか。だって我われはドクダミだよ。天下に誇る意地っ張り。不屈の根性でどこまでも生き抜くんだ。

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 人間の大方はただの厄介な雑草としか思ってない。
 でもさ、我われにだってマドンナはいるよ。紹介しておこう。ほんとうによく見てほしい。この庭の管理人もいつか勘違いしたようだけど、この4枚の白い花びらみたいなのは花弁じゃないんだよ。総苞というんだ。花は棒状の花序に咲く。小花が密生してるからちょっとわかりにくいんだ。ほら淡黄色の部分があるだろう。それが花なんだ。
 勝手に毒溜め、魚腥草、地獄蕎麦なんていう別名までつけられちゃって迷惑千万さ。我われのすばらしさも知らずに毎日毎日引っこ抜く。ほかの可愛いちゃんを脅かす、強かに増えすぎる、臭いっていう理由だけでね。

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 悔しいから皐や紫陽花の下にもびっしりと根を延ばしちゃった。また抜きにくるぞ~。くわばらくわばら。

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 我われを臭いなんていってるけど、こっちから言わせれば、そっちの方がよっぽど胡散臭いや。
 
 だけどね、きょうになってね、この庭の管理人のようすがすこし変わった。我われという存在がどんなにすごいか、やっと気づいたようなんだ。ついに脱帽したってわけさ。引っこ抜くのをやめたんだ。そしてね、まるで感動したみたいに突っ立ったままじっと我われを眺めていたよ。今頃はドクダミとは何ぞやとネットのそちこちを検索しまくってるだろうよ。そしてやっと、我われも立派に薬用として人間さまのお役に立っていることに気づいているだろうさ。勝利、勝利、我が勝利!!

ーWikipediaよりー
薬用

生薬として、開花期の地上部を乾燥させたものは生薬名十薬(じゅうやく、重薬とも書く)とされ、日本薬局方にも収録されている。十薬の煎液には利尿作用、動脈硬化の予防作用などがある。なお臭気はほとんど無い。 また、湿疹、かぶれなどには、生葉をすり潰したものを貼り付けるとよい。

漢方では解毒剤として用いられ、魚腥草桔梗湯(ぎょせいそうききょうとう)、五物解毒散(ごもつげどくさん)などに処方される。しかし、ドクダミ(魚腥草、十薬)は単独で用いることが多く、漢方方剤として他の生薬とともに用いることはあまりない。

薬理成分

  • デカノイルアセトアルデヒド - 生のドクダミに特有の臭気成分。抗菌作用があるが乾燥させると酸化されて抗菌効果は失われる。
  • ラウリルアルデヒド - デカノイルアセトアルデヒドと同様にドクダミ特有の臭気成分で、抗菌作用がある。
  • クエルシトリン - 利尿作用、動脈硬化の予防作用
  • カリウム塩 - 利尿作用

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カラタチ

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                               アマリリスの蕾

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志家町にあるカラタチ。生垣のように刈られることもなく、のびやかに輝いている。

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              カラタチの青い実

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              ベルケア
 
 これもきのうの買い物がてら写真です。見事なカラタチがあるのを思い出し、いつもとは違った道を通りました。隆々、しゃきっとしたたくさんの棘の中に見事な球形の実がついている。春に葉が出る前に5弁の白い花が咲き、この青い実は秋には熟して黄色になる。

 からたちの花という歌がある。ふるくさ~い! という方がいらっしゃるかもしれない。しかしこの歌が廃れることは決してないだろう。山田耕筰作曲、北原白秋作詞。

からたちの花が咲いたよ。
白い白い花が咲いたよ。
からたちのとげはいたいよ。
靑い靑い針のとげだよ。
からたちは畑の垣根よ。
いつもいつもとほる道だよ。
からたちも秋はみのるよ。
まろいまろい金のたまだよ。
からたちのそばで泣いたよ。
みんなみんなやさしかつたよ。
からたちの花が咲いたよ。
白い白い花が咲いたよ。

 カラタチの花が咲いているときに通りながら、写真を撮らないでしまった。青い実のカラタチだけれど、これはこれでおもしろい。カラタチを見ていると、ツンツン、ケンケンとした姦しい多くの鋭いことばのあいだあいだに、決して人と争わない円満な、柔和な、或いは平和な心の持ち主がまん丸い形で笑顔でそこにあるようなそんな連想が過ぎる。棘が多いからこそまん丸であって摩擦を起こさない存在がそこにある、そんな感じがする。

 カラタチの緑ばかりでは見下ろしている空が退屈しそうなので、アマリリスの蕾とベルケアに共演してもらいました。

 きょうも同じ界隈を通り、帰りにはこんな空が買い物帰りを見下ろしておりました。すこし暗いめに写っていますが、眩しい夕暮れの雲が浮かんでおりました。


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岩手県立盛岡短期大学旧校舎に咲く紫陽花

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岩手県立短期大学の旧校舎に張り巡らされたフェンスの向こうに豊かに並び咲く紫陽花。

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最寄りのスーパーに行く近道となっている。

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いま校舎は使われていない。

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建物の陰ではあるが毎年立派な花を咲かせている。

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きょうのことばー『神は我らの避け所』 

 いまの厳しい世情にあって心の支えとなるメッセージをお送りしたい、そして私自身が、もうすこしはまともな暮しをしようじゃないかと願い、自分を顧み自分を励ます機会ともなすために、日曜日は聖書から語られる牧師のメッセージを書かせて頂いております。

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さて、きょうのインマヌエル盛岡キリスト教会(019-646ー2924)國光勝美牧師のメッセージは、(以下は牧師の説教となります)

説教題 『神は我らの避け所』
聖書箇所 詩篇46:1~11

 いよいよ下半期に入りました。1年の半分以上がすでに過ぎ去ったわけです。下半期に入り一月たてば東北聖会です。ことしは竿代忠一先生を迎え、田沢湖高原温泉ハイランドホテル山荘で開かれます。それらのことを思いながら、下半期の神さまの祝福を心から願うことでございます。前半、私たちは例外無しに3・11の大震災をとおりました。これをよく咀嚼し、このところをとおって初めてわかった、また、とおったからこそこのように、という在り方、信仰生活を持たせていただきたいと願うことでございます。

 その意味で今朝、詩篇46篇をお開きいたしました。震災後、私は、教団からの問い合わせのような公的なお返事に、また私的なお手紙のお返事に、決まってこの詩篇46篇のおことばを記してまいりました。それをいま改めて捉え直そうとしております。

 みなさん聖書の中で地震、或いは津波について言及されているところに或いはお気づきかも知れません。また世の末には方々に地震があるというイエスさまのお話しがございます。聖書をみますと、イスラエルの民にとっても“あの地震”と呼べるような大地震がやはりあったようです。私たちが3・11より前に、“あの地震”といえば阪神淡路大震災、或いは関東大震災でした。しかしいまは真っ先に2011年3月11日の東日本大震災が出ます。それでは、聖書でいう“あの地震“といわれているのは? 知っておきたいですね。旧約聖書のアモス書1:1をお開きください。
1 テコアの牧者のひとりであったアモスのことば。これはユダの王ウジヤの時代、イスラエルの王、ヨアシュの子ヤロブアムの時代、地震の二年前に、イスラエルについて彼が見たものである。
 これを書いたアモスが「あの地震の二年前」といっただけで人々がああ、あの地震かと理解できた。もう一つ、ゼカリヤ書14:1、4
には
1 見よ。主の日が来る。その日、あなたから分捕った物が、あなたの中で分けられる。
4 その日、主の足は、エルサレムの東に面するオリーブ山の上に立つ。

 イエスさまがよみがえりのあと、弟子たちの見ている前で天に帰っていかれたそのとおりに、イエスさまがもう一度、その日オリーブ山にいらっしゃる。これは主の再臨の預言でございますが、ゼカリヤ14:5には

5 山々の谷がアツァルにまで達するので、あなたがたは、わたしの山々の谷に逃げよう。ユダの王ウジヤの時、地震を避けて逃げたように、あなたがたは逃げよう。私の神、主が来られる。すべての聖徒たちも主とともに来る。
 主の再臨の預言です。「ユダの王ウジヤの時、地震を避けて逃げたように」とある。ウジヤの時代はイザヤが活躍した時代です。この時代にも
“あの地震”というほどの大きな地震があった。アモス書1:1に「地震の二年前」とありましたが、これは同じくアモス5:8にある
8 すばる座やオリオン座を造り、暗黒を朝に変え、昼を暗い夜にし、海の水を呼んで、それを地の面に注ぐ方、その名は主。
9 主は強い者を踏みにじり、要塞を破壊する。
 というこのところでございます。私はこれまでは通読などでアモス書を読んでも、
直ぐに津波を思い浮かべることもなく、このような表現なのだろうとさらっと理解していました。しかし「海の水を呼んで、それを地の面に注ぐ方、その名は」には考えさせられてしまいます。ここで津波を意識すべきなのでしょうか。またアモス9:5、6
5 万軍の神、主が、地に触れると、それは溶け、そこに住むすべての者は泣き悲しみ、地のすべてのものはナイル川のようにわき上がり、エジプト川のように沈む。
6 天に高殿を建て、地の上に丸天井を据え、海の水を呼んで、地の面に注がれる方で、その名は
主。
 改めて3・11を経験し、もう一度聖書を見るときに、我々ばかりではない、イスラエルの民も、何年経っても民族的に忘れがたいウジヤのときの“あの地震”があった。そして「ナイル川のようにわき上がり」と書かれてあるところは、私たちが映像で見た津波で川が数キロ先まで流されわき上がったという場面に重なる。聖書の記述が一種の詩的表現ではなく現実そのもの。「海の水を呼んで地の表に注がれる方」。3・11を経験し聖書を読むときに、これをやはり意識しますし、またするべきと言うべきなのか。このようなことを念頭に、詩篇46篇をみていただきましょう。

1 神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け。
2 それゆえ、われらは恐れない。たとい、地は変わり山々が海のまなかに移ろうとも。
3 たとい、その水が立ち騒ぎ、あわだっても、その水かさが増して山々が揺れ動いても。セラ

 この詩篇の記者が3・11を想定して書いたといったなら、それは深読みに過ぎるでしょう。事実46篇の4節には

4 川がある。その流れは、いと高き方の聖なる住まい、神の都を喜ばせる。
 とあり、これはエルサレムを指している。たしかにエルサレムにはヒゼキヤの水路が整備されていた。しかし
ここで言われている「川がある。その流れは、いと高き方の聖なる住まい、神の都を喜ばせる」というこの川とは恐らく聖霊の聖なる川のことでしょう。エゼキエル書には、「神殿から水が流れ出て、やがてそれが大河となり死海に流れ込む。その水が流れ込むところはみな生きる」とある。このように霊的な意味を持つところですから、この詩篇46篇はその角度からあじわうべきものであります。

 いま2011の後半に踏みだそうとするとき、あの3・11をとおった者として、この詩篇46篇をもう一度捉え直してみたいと先ほど申しました。
 私は決して皆さま方に躓きを与えるつもりはありません。わかっていただけると思うので正直に申しますが、甚大な被害を直接目の当たりにしたとき、私はこの詩篇を、「違う、このことばは違う」と叫びたくなりました。詩篇46篇1節
1 神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け。
 これはほんとうにこの通りだと思います。しかし

2 、それゆえ、われらは恐れない。たとい地は変わり山々が海のまなかに移ろうとも。
 このことばに対し、「いいえ、そんなことはありませんでした」と心底叫んだ。皆さん方もそうだったでしょう。信仰者は神を信じているからどんなことがあっても恐れない、平安だ、アーメンと必ずしもそうはいかない。私は「
それゆえ、われらは恐れない。というおことばを俄には頷けなかった。災禍のとき、悲しみ、恐怖がどれほど圧倒的に襲ってきたか。これはもはや机上の問題ではない。現実です。そして私たちが信仰生活を送っているときには、まさしくそういう中をとおっているわけです。
「たとい地は変わり山々が海のまなかに移ろうとも」、これを詩的な表現とも理解し今まではさらりと読んでいたのですが、「水が立ち騒ぎ、あわだって」「水かさが増して」壊滅してしまった現地を他人事でなく知っているとき、「恐れない」というおことばをどう受けとめるべきか真剣に考えました。「主よなぜですか、主よ」。荒廃の中に立ちつくしながら、「主よ、あなたの存在を否定することは到底できない、それをしようとも思わない、主はおられる」。しかしこの現実に、ほんとうに粛然とした思いになる。それを厳粛に受けとめました。「おことばに異議あり」といったままでここを乗り越えてしまってはいけない。いったいどういうことなのか。そのとき、私はこのことの持つ大切な霊的な心境、これを皆さま方とこの朝一緒にアーメンと頷くことができたのならば、あのことを経験しそしてこれから下半期に入るとき、大切な意味があるように思うのです。

 それは何でしょうか。よく想定外の津波、地震だといわれました。しかしあの地震は99パーセント必ずくると知っておりました。99パーセントの確率で必ず来ると言われていたものがついに来たのです。私は厳粛な思いでした。

 主の日が来る。聖書にはそう書かれています。これは99パーセントの確率ではない、私たちは必ず100パーセントの確率で神の裁きの座に立つ、やがてはそれを経験する者たちなのです。これは想定外というものではありません。
 釜石の方々は世界一深い堤防がある、津波はあれを超えることはないと防波堤を拠り所としていた。しかし無惨に破壊されてしまったのです。神さまの裁きには例外がない。立派な堤防が、お金が、健康があるから大丈夫というものではない。人間が神さまの前に出るときには、どれほどに良心的にベストを尽くして避け所を作ったとしても、それは何の役にも立たない。
 必ず来る大いなる主の裁きの日、神の前に立たねばならない私たちは、どんな避け所を持っているでしょうか。
1 神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け
 そう、私たちにはイエス・キリストという神ご自身が貴い血潮をもって備えてくださった十字架の贖い、これがあるのです。ですから私たちの人生の最後に襲い来る神さまの裁きの座に立つとき、イスラエルの神を己の神とするものは、ヤコブの神を我らの避け所とする者は幸いです。これがあるからこそ私たちは御前に立つことができます。この詩篇46篇はそのようにあじわってこそ初めて、アーメン、そうです、そのとおりですと告白することができる。神は我らの避け所、イエス・キリストの十字架こそわが避け所、主の十字架と復活、この事実こそわれらの罪が赦され神の前に義と認められ主に受け入れられる揺るぎない避け所なのです。そして主イエスさまがいま、力強く私のためにとりなしていてくださる。これこそ我らの避け所であり力であり苦しむときそこにある助けなのです。それゆえ我らは恐れない、アーメン。こう頷くことができます。
2 それゆえ、われらは恐れない。たとい、地は変わり山々が海のまなかに移ろうとも。
3 たとい、その水が立ち騒ぎ、あわだっても、その水かさが増して山々が揺れ動いても。セラ

 人の備えたものが悉く灰燼に帰してしまうときにも、「神こそわが岩わが高き櫓」とこのように告白することができる。

 3・11を経験し、津波の光景を見、そして、そこに身を置いたとき、まさしく詩篇46:2、3を実体験しました。そこに恐れがあり、悲しみがありました。しかし私たちは、実はこれ以上の大きな“津波”に必ず直面するのです。ヘブル9章26節
26 もしそうでなかったら、世の初めから幾度も苦難を受けなければならなかったでしょう。しかしキリストは、ただ一度、今の世の終わりに、ご自身をいけにえとして罪を取り除くために、来られたのです。
 そしてその次に100パーセントの確率で聖書はいいます。

27 そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、
28 キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが、二度目は、罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人々の救いのために来られるのです。
 世の中の人には、主の日は裁きの日となるでしょう。しかし、神を避け所とする私たちには、大いなる救いの完成の日、待ち望む希望の日である。どうぞそのことを思いながら、私たちがこの下半期に踏み入るとき、私たちは想定外のものに襲われるのではない。その
「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように」とあるそれをしっかりと受けとめて
1 神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け。
 この大いなるシェルター、神が備えてくださったまことのシェルターの中に身を置こうではありませんか。その備えがいつでもできている、そのような在り方をもってこの年の後半に踏み入らせていただきたいと願うことでございます。

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岩手の風

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  窓から涼しい風が吹き込んでいる。きょうもごくろうさん。労いのことばが風のなかに聞こえる。暑い一日だった。
 朝8時ごろからはこの地区の公園での作業があった。クマデで一週間前に有志が刈った草を、出てくださった方々とともに片付けた。婦人部の方がお茶、カルピス、紅茶とパンを出してくださった。作業を終えてこんどは自宅の植木の剪定に取りかかった。去年いかに簡略にしていたか、実際に立木に寄ってみると、これが並びの樹木を脅かす勢いで伸びている。きょうはアオキ、モクレン、低いモミジ、皐の順に刈り込んでいった。刈り込んだあとに枝を分けて中に入ってしまった小枝や葉っぱを揺らして落とし、余計な小枝をこまめに切り取りそれもぜんぶ落としてすっきりとさせた。かなり風通しがよくなったろう。この夜風にここちよく涼んでいるに違いない。ほんとうに気持をこめて手入れをするには一本に1時間は必要かもしれない。
 2メートルを超える樹木はどうしてもプロにお願いしなければならない。7月はもう予約でいっぱいだという。それもそのはずで料金格安。わが家でも安心して頼める。どうもお盆のころになるらしい。電動バリカンも考えたが、怪我をしたはなしをよく聞くので購入は見合わせに。

 これはほんとうに労いの風だ。湿気を含んでいる分ひんやりと心地よい。

 3時半頃に久方ぶりに大型スーパーに出かけてみた。ケーズ電気、サンデー、イオン。イオンの駐車場はほぼ満車。わー、こんなに来てる! やれやれ大震災ですこしでも地元に活力となる利潤が欲しいところが、これではみな中央に持って行かれてしまう。農産物など地元をいれるようにしているらしいが、総売上げの割合は大したことはないのだろう。
 イオン。古典ギリシャ語アイオーンに由来するラテン語で「永遠」という意味らしい。地方に永遠に君臨されては地元の小売り店、スーパーは圧迫される一方だろう。。
 なんで私はここに来たんだっけ、一瞬考えていた。まとめ買いだ。電気店で電池、部品を、日曜雑貨園芸品の大型スーパーでネットを買い物をし、すぐに食料も買えるところと此処に直行したのだった。レジの長蛇で時間を喰い、帰りは車の渋滞で時間を潰してしまった。自宅に近づくにつれて閑散としている。

 風がカーテンを持ち上げる。元気出せよ! しょぼくれてんじゃないよ!! みんな頑張ってるじゃないか。そうだ、これが岩手の風だ。

 近いうちに被災地に炊き出しに行こう!! もう友だちは行っている。
 

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嵐の中の平和

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 お隣の藤にキジバトが巣作りをし卵を二つ護っているという。番らしい2羽が交替で世話をしているらしい。例年今頃お願いしている庭師さんがいるが、ことしはキジバトのために剪定をひと月待ってもらうことにしたという。

 夕べの恐ろしげな雷鳴を鳥たちも聴いていただろう。二つの卵をまもる鳥の静かな表情が浮かんだ。嵐の中にも平和がある。

「汝ら静まりて我の神たるを知れ」(詩篇46:10)

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