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3・11でふるわれたもの

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       被災した山田町の瓦礫の山

 自分のなかにあったさまざまなものが大震災でふるいにかけられ、いまは網の上に残ったものが内に格納されているようだ。4ヶ月経った宮古市、山田町で見たのは、ほぼ瓦礫が片付けられた家屋、店舗、社屋などの土台。そしていまから取り壊されようしている全壊、半壊の建物。自分のなかにあるものも全壊、半壊とさまざまだ。

 立ち上がりが難しいのは農業への想い。津波でさらわれ破壊された被害の甚大さは筆舌に尽くしがたい。そしてまた原発事故以来の人への農家への被害もまた深刻である。畜産でいえば、2010年4月に発生した口蹄疫で約29万頭の家畜が殺処分、同年8月末頃に終息宣言だった。やれやれこれでと思いきや、つづく鳥インフルエンザで鶏136万羽が殺処分された。そしていま、放射能被害は拡大の一途にある。実態は知らされているよりも深刻だろう。

 このようなときに何が確かであるのか。家族か、友人か、金か、預貯金か、土地か、仕事か。しかしこれらは何れもいつ何時も災難に遭遇する事があり得る。勿論自分には金、貴金属などはない。老後の暮しを支えてくれる幾ばくかという程度である。確かなものが見えにくくなっている。いよいよ見出しにくくなっている。

 しかし確かなものはある。いまはそれに支えられ生かされている。こちらからは如何とも成しがたくとも、向こうからは如何ようなこともなし得る存在。自分を殺すことも生かすこともできる存在。ふるいに幾度もかけられて、最後まで網の上に残るものはそれだろう。それが恐れや脅えからいま自分を救っている。それが神だ。

 沿道にも街中にも印刷物にも、「頑張ろう!」「立ち上がれ!」の文字。以前はこういった言葉には反応しなかったが、いまはそんなことばに出会うたびに胸にこみあげるものがある。じんとくる。そうだ、頑張らなくちゃ、そう言い聞かせる自分がある。

 

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