きょうのことばー『三つの涙』 その1
さて、きょうのインマヌエル盛岡キリスト教会(℡019-622-6304)の國光勝美牧師のメッセージは
説教題 『三つの涙』
聖書箇所 ルカ伝23:32~49
32 ほかにもふたりの犯罪人が、イエスとともに死刑にされるために、引かれて行った。
33 「どくろ」と呼ばれている所に来ると、そこで彼らは、イエスと犯罪人とを十字架につけた。犯罪人のひとりは右に、ひとりは左に。
34 そのとき、イエスはこう言われた。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」彼らは、くじを引いて、イエスの着物を分けた。
35 民衆はそばに立ってながめていた。指導者たちもあざ笑って言った。「あれは他人を救った。もし、神のキリストで、選ばれた者なら、自分を救ってみろ。」
36 兵士たちもイエスをあざけり、そばに寄って来て、酸いぶどう酒を差し出し、
37 「ユダヤ人の王なら、自分を救え」と言った。
38 「これはユダヤ人の王」と書いた札もイエスの頭上に掲げてあった。
39 十字架にかけられていた犯罪人のひとりはイエスに悪口を言い、「あなたはキリストではないか。自分と私たちを救え」と言った。
40 ところが、もうひとりのほうが答えて、彼をたしなめて言った。「おまえは神をも恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではないか。
41 われわれは、自分のしたことの報いを受けているのだからあたりまえだ。だがこの方は、悪いことは何もしなかったのだ。」
42 そして言った。「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」
43 イエスは、彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」
44 そのときすでに十二時ごろになっていたが、全地が暗くなって、三時まで続いた。
45 太陽が光を失っていた。また、神殿の幕は真っ二つに裂けた。
46 イエスは大声で叫んで、言われた。「父よ。わが霊を御手にゆだねます。」こう言って、息を引き取られた。
47 この出来事を見た百人隊長は、神をほめたたえ、「ほんとうに、この人は正しい方であった」と言った。
48 また、この光景を見に集まっていた群衆もみな、こういういろいろの出来事を見たので、胸をたたいて悲しみながら帰った。
49 しかし、イエスの知人たちと、ガリラヤからイエスについて来ていた女たちとはみな、遠く離れて立ち、これらのことを見ていた。
昨晩この教会で行われた岩淵まことさんのコンサートの余韻がまだここに残っているような気がいたします。会員の方々がお誘いくださった方々、またチラシを見ていらっしゃった方々とともに、たくさんの恵みを岩淵さんから頂戴しました。
今回のきっかけは、この教会のS兄姉方が、去年のクリスマスに秋田教会で行われた岩淵さんの集会に出席され、大変恵みをいただき、何とか盛岡教会でもと提案され、今回の運びとなったのでした。
何しろこのようなコンサートを開くのは初めてのこと。秋田教会の神谷先生の助言、またこの教会で音響に詳しいO兄弟がスピーカーの設置、ミキシングなどを担当し、岩淵さんとともに音合わせをしてくださいました。
私たちにとって、非常に恵みの集会でございました。岩淵さんの代表的な歌は『父の涙』。これに纏わる証しもありました。昨日の集会のもようはCD化して皆さまにお分かちいたしますのでご利用くださいませ。
岩淵さんの証しが載っている大きなトラクトがございます。だいたいここに書かれてあるとおりに語ってくださいました。仙台を出ていったきっかけ、東京でデビューをして、それからもう一度仙台に帰ってきて小坂忠というクリスチャンのミュージシャンに出会ったことなど一連の中に、ご長女の亜希子ちゃんの証しがあります。「亜希子ちゃんはイエスさまを見ていた」という副題がついてございますが、すこしご紹介いたしましょう。
1986年長女亜希子ちゃんが小学1年生の夏休みが終わったころ、左の脳に腫瘍が見つかり、すでに手遅れだと言われ日本でも屈指の専門医により27時間に及ぶ大手術を受けたが、成功の確率は1パーセントと宣告されてしまう。担当医師がこういった「岩淵さんたちはクリスチャンだそうですね。祈っていてください」。人間の力の及ばないところで働く神さまの力をこの名医は何度も体験してきたのだろう。壮絶な手術だったのに、亜希子ちゃんのベッドサイドは台風の目の中にいるような平安に包まれていた。術後何度も危篤に陥りながらその都度持ち直した。その持ち直し方はドラマチックで「私たち医師の力ではありません」と担当医は驚きを隠さなかった。言語をつかさどる脳の部分を切除したにもかかわらず言葉はすこしは話せた。病床にずっと付き添っていてやりたかった。でも演奏の予定が入っています。心が引き裂かれる思いで祈っていると、神さまは私の心にこう語りかけてきました。「君がこれから出かける教会には悩みを抱えた人が待っているんだよ。亜希子ちゃんのことは私が責任を持つけど、君はどうする?」。僕は迷わず、娘のことは神に委ねて出かける決心がつきました。年齢よりもおとなびていた亜希子ちゃんが、通っていたキリスト教系保育園のクリスマスの降誕劇で2年続けてマリヤの役を演じたことがある。
「あっこ、クリスマス劇で2回もマリアさまの役をやったね」
由美子さんがこう話しかけると亜希子ちゃんはマリヤの台詞を突然語りだした。
「ほんとうにわたしは主のはしためです。どうぞおことばのとおりにこの身になりますように」
あのおことばはあの子の神さまへの信仰の表れでしたと由美子さんは回想する。
翌年2度目の手術後意識も薄れがちで失語状態に陥っていた亜希子ちゃんに岩淵さんは声をかけた。
「あっこイエスさまが見えるか?」
亜希子ちゃんはこっくりと頷いた。それが親子の最後の対話だった。
1987年10月27日、亜希子ちゃんは1年2ヶ月の闘病生活を終え、8年という地上生活を終えて天に帰っていった。
こういうことが昨日のお話の背後にあったのだなと一層わかると思います。途中をすこし省略しまして、「父の涙」の背景を紹介しますが、
闘病生活の中で岩淵さんは苛酷な病気を負わされた我が子に対する父親としての思いと、罪人を赦すために、ひとりごイエスさまを十字架につけた父なる神さまの思いと二重写しになって心に迫ってきた。苦しむ我が子に注がれる神の眼差しをありありと感じ、その目に溢れる涙を目の当たりにしたと思った。それが瞬間的に「父の涙」という言葉となった。岩淵さんは父なる神の払ってくださった計り知れなさを思って泣いた。代表作ともいえる「父の涙」はこうして生まれた。この曲は亜希子が作らせてくれたようなものだ。これを歌う度にあの子と一緒に働いているような気がします。岩淵さんは、愛娘を亡くして以来他人の悲しみや痛みに以前にも増して敏感になった。慰めや励ましの言葉すら当事者には重荷になることだってあるんだ。ただ黙って傍にいてほしい。神に祈ることすらできない、そんなどん底の経験をした。しかしイエスさまはそんなよれよれになった貧しい心をそのまま受け入れて寄り添ってくださる。そのために、天から降りてこられ、むさくるしい家畜小屋にお生まれになったのだ。その実感が岩淵さんに新しい歌を与えた。
このように紹介されております。
ーつづくー
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