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きょうのことばー『主イエスの昇天』その1

 日曜日は特別な事情がないかぎりは、教会のメッセージを掲載しております。これは教会の依頼で載せているのではなく、自らの意志により、一応の許可をいただいて、ICレコーダーをもとに起こしています。

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 インマヌエル盛岡キリスト教会(019ー646ー2924)國光勝美牧師の説教です。2回に分けてお届けいたします。

説教題 『主イエスの昇天』
聖書箇所 使徒の働き1:1~11

1 テオピロよ。私は前の書で、イエスが行い始め、教え始められたすべてのことについて書き、
2 お選びになった使徒たちに聖霊によって命じてから、天に上げられた日のことにまで及びました。
3 イエスは苦しみを受けた後、四十日の間、彼らに現れて、神の国のことを語り、数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを使徒たちに示された。
4 彼らといっしょにいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。」
5 ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」
6 そこで、彼らは、いっしょに集まったとき、イエスにこう尋ねた。「主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか。」
7 イエスは言われた。「いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたは知らなくてもよいのです。それは、父がご自分の権威をもってお定めになっています。
8 しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」
9 こう言ってから、イエスは彼らが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられた。
10 イエスが上って行かれるとき、弟子たちは天を見つめていた。すると、見よ、白い衣を着た人がふたり、彼らのそばに立っていた。
11 そして、こう言った。「ガリラヤの人たち。なぜ天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります。」

 
イエスさまが十字架に架かられ、復活し、40日間折々に弟子たちのまえにすがたをあらわし、そして多くの教えをなさいましてから、イエスさまは、12節をご覧頂きますと、「彼らはオリーブ山という山からエルサレムに帰った」とありますので、これを逆にたどりますと、つまりオリーブ山からイエスさまは弟子たちが見ているうちに天にあげられていった。これがイエスさまの昇天というできごとです。さらに白い衣を着た人がふたりとありますが、これは御使をあらわしていますが、きょうは触れる主題ではございません。きょうはイエスさまの昇天というところに焦点を合わせて神さまからの恵みを待ち望んでいるところでございます。
 

 「昇天」ということばにみなさんはどんな漢字を当て嵌められるでしょうか。よくクリスチャンたちがお葬儀をいたしますときに、地上における生涯を全うされて天に召されなさいましたという表現をつかいます。その場合には「召天」という漢字を使う場合があります。けれども9節にあるようなイエスさまの場合であれば「昇天」の方を当て嵌めます。教会によっては、クリスチャンの場合を、イエスさまの昇天との混同を避けて「帰天」という場合も少なからずあります。イエスさまの場合には「昇天」であることを心に留めておきましょう。

 さて先頃、
英ガーディアン紙が、ホーキング博士のインタビューを報じました。宇宙に関する論文を多数発表しているイギリスの理論物理学者です。ホーキング博士は、筋萎縮性側索硬化症のため車椅子に乗っていらっしゃいます。紹介しますと、
「脳は、諸部品が壊れれば動かなくなるコンピューターのようなものだと考えている」。そして、「壊れたコンピューターにとっては、天国も来世もない。それは闇を恐れる人々のおとぎ(架空の)話だ」と続けた。】
 
記事によると、記者が博士が健康不安のため2009年に入院したことを指摘し、死に関して何を恐れるかという質問に対しての答えでした。
 これは、すべて物質だけで世界が成り立っているという立場の方にとってはある意味当然のことかなとも思いました。ですからきょう扱おうとしている問題はまったくそれとは立場を異にしていることはおわかりいただけるものと思います。

 もうひとつ、わたしはこれを読みましたときに、1943年に人類初の宇宙飛行を成功させたソビエト連邦の宇宙飛行士であるガガーリンの言葉を思い出しました。レセプションにロシア正教の最高の地位にある司教が招かれており、「あなたは神をみましたか?」とガガーリンに訊いた。ガガーリンは「神はいませんでした」と答える。すると司祭は、「どうかこのことは是非あなたの胸にだけ留めておいて貰いたい」と言ったといいます。ジョークか小咄かはわかりませんが。こんどは、ガガーリンがフルシチョフ首相に訊かれた。「ガガーリン同志、あなたは宇宙に行ったときに神を見ましたか?」。ガガーリンは、さっきの司教との約束がありますから、「神は見ました」と言ったそうです。するとフルシチョフが、「同志よ、これはあなたの胸にだけ留めておいてくれ」、こういったというのです。ジョークなのだろうなと思います。

 さてきょうの大切なお話、イエスさまの昇天について語りたく思います。まず天ということを聖書はどのように位置づけているのか。これは聖書は明らかに幾つかの側面、用い方をしていることを認めざるを得ません。物質世界所謂眼で見たりする物質宇宙。これに関わる宇宙空間に於ける天ということを明らかに聖書はのべている。初めに、神が天と地を創造した。という聖書の書き出しにもあります。私たちが生きているこの世界に於ける天地という、そういう区別を用いております。
マタイ24:35

35 この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることはありません。
イエスさまが、この天地は滅び去ります、といったとき、物質世界の天地をさしています。これと類似して
ペテロ弟二の手紙3:10

10 しかし、主の日は、盗人のようにやって来ます。その日には、天は大きな響きをたてて消えうせ、天の万象は焼けてくずれ去り、地と地のいろいろなわざは焼き尽くされます。
と記されているときに、やはりマタイ24に見たとおり、物質世界、物質宇宙に関して天という表現を用いていると見ることができます。しかしながら聖書はもう一つの意味合いに於いて天という言葉を使っております。
第一コリント15:24、これも所謂世の中の終末について書かれているところです。

24 それから終わりが来ます。そのとき、キリストはあらゆる支配と、あらゆる権威、権力を滅ぼし、国を父なる神にお渡しになります。
25 キリストの支配は、すべての敵をその足の下に置くまで、と定められているからです。
26 最後の敵である死も滅ぼされます。

 これは明らかにさきほどの物質宇宙の天という領域とは異質な次元、領域のことについて聖書が語っています。その意味でもう一つ、第二コリント5章

1 私たちの住まいである地上の幕屋がこわれても、神の下さる建物があることを、私たちは知っています。それは、人の手によらない、天にある永遠の家です。
 私たちは物質宇宙にあるこの地上に、こういう体を持ち、これは地上の幕屋という表現が使われています、私たちの大切なものが入っている地上の幕屋が、これが壊れても神の下さる人の手によらない天にある永遠の家、これは人の手によらないまったく異質のもの。ガガーリンが言っている見ることができるような意味合いの世界ではないということを見ていただけると思います。

 ーつづくー
 

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