« ゴールデン・ウィークだけれど | トップページ | 危険でも方策なくて20ミリ »

テェルノブイリからの使者ーナターシャ・グジーー

ナターシャ・グジー

 いまから22年前、チェルノブイリ原発が爆発しました。当時私は6歳でしたが、私のお父さんが原発で働いていたので、私たち家族は原発から3.5kmのところに住んでいました。事故があったのは夜中だったので、ほとんどの人が事故のことを知りませんでした。

そのため、次の日は普通に生活していました。子どもたちは学校へ行き、お母さんたちは小さな子どもを連れて一日中外で過ごしていました。そうして、目に見えない放射能を浴びつづけていたのです。私たちが事故のことを知らされたのはその次の日でした。大したことは起きていませんが、念のために3日間だけ避難してください。3日経ったら必ず帰ってきますから、荷物を持たずに避難してください。そう言われて私たちは荷物を持たずに街を出てしまいました。でも、3日経っても、1ヶ月経っても、そして20年経っても、その街に戻ることはありませんでした。毎日遊んでいた美しい森も、思い出がたくさん詰まった家も、みんな壊されて土の中に埋められてしまいました。いまそこには何も残っていません。生命が輝いていた街は死の街になってしまいました。

しかし、私たちが失ったのはふるさとだけではありませんでした。たくさんの人たちが亡くなっています。私たちの子どもが何人も亡くなっています。でもそれだけではありません。事故から20年経って、当時子どもだった私たちの世代が大人になり、結婚をして、子どもを産むようになりました。そして、新しいこの世界に生まれてくる赤ちゃんたちの健康にも異常があります。20年以上前に起こったチェルノブイリの悲劇はまだ終っていません。人間は忘れることで同じ過ちを繰り返してしまいます。悲劇を忘れないで下さい。同じ過ちを繰り返さないで下さい。そう願って、私は歌を歌っています。

|

« ゴールデン・ウィークだけれど | トップページ | 危険でも方策なくて20ミリ »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: テェルノブイリからの使者ーナターシャ・グジーー:

« ゴールデン・ウィークだけれど | トップページ | 危険でも方策なくて20ミリ »