きょうのことばー『神はわたしたちとともにおられる』その2
※前ページからのつづきとなっております。
聖書引証 詩篇18:1~3
1 彼はこう言った。主、わが力。私は、あなたを慕います。
2 主はわが巌、わがとりで、わが救い主、身を避けるわが岩、わが神。わが盾、わが救いの角、わがやぐら。
3 ほめたたえられる方、この主を呼び求めると、私は、敵から救われる。
きょうの礼拝の御言葉を準備しようとするときに、やはりこの大地震のときにも震われないもの、しっかりとした人生の土台はということにみなさまも思いを深くしておられることでしょう。
ことし高校を卒業して新しく踏み出される3人の兄弟がたそれぞれに神さまの導きが豊かでありますように、記念品として板に「巌」と焼文字を印した壁掛けを贈りたいと思っております。詩篇18:2にございます「巌」の一文字です。この巌という字は岩手、盛岡の方々ならもう一つ岩手山の別名である巌鷲山が思い浮かぶでしょう。まもなく雪の鷲形が現れます。これが田植え時となっています。私のような松本出身の者には常念岳が心のふるさとの山ですが、おそらく盛岡で育った方々は岩手山がやはり心の山でしょう。ですのでこの「巌」という一文字は、その方がどこにいたとしても、ああふるさと岩手山だなと思い出すとともに、この詩篇18篇の2節「主はわが巌」これを思いおこしていただきたいという願いを持っているのであります。
この3月11日が私たち一人ひとりにとって生涯忘れることのできない日になりました。大きな地震と沿岸地方を容赦なく襲った津波。自然の猛威のまえに、人間の依り頼んでいたものが何と儚く一瞬のうちにのみ込まれ灰燼に帰してしまうかを、私たちは嫌という程目の当たりにしました。しかし私たちには「主はわが巌、わがとりで、わが救い主、身を避けるわが岩、わが神。わが盾、わが救いの角、わがやぐら。」があるのです。決して揺るぐことのない巌なるお方をこの3人の高校を卒業された方々に送るというだけでなくして、その方々とともに、そうだ私の人生の土台はどんなことがあっても揺るぐことのないあの巌なるお方、しっかりとこの巌なるお方の上に土台を据えて歩むことなのだ。このことにしっかりと心を留めたいものです。
この難しいほうの巌は、ごつごつした大地にしっかり根を生やしたかに存在する岩というイメージがあります。これは神さまがそうであるということは具体的には別の表現を使えば何をもってそういうことができるんだろうか。一つは、神さまのお約束は変わらないという意味で、主はわが巌ということができるのではないでしょうか。主の約束の不変。神さまが語られたことは決して変わらない。だから主は「巌」なのです。
新約聖書マタイの福音書24章35節。
「この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることはありません。」
これはイエスさまの御言葉です。
マタイ24章はイエスさまがこの世の終末、締めくくりについて語っておられます。ある意味で特異な箇所です。この24章の1節
「1 イエスが宮を(いよいよ十字架を直前にしておられるときエルサレムの神殿を背後にして振り返り)出て行かれるとき、弟子たちが近寄って来て、イエスに宮の建物(ヘロデのつくっている神殿、たぶん夕陽に絢爛と輝いて存在を示していた、ある意味で揺るがないそういうものに見えたのではないでしょうか)をさし示した。
2 そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「このすべての物に目をみはっているのでしょう。まことに、あなたがたに告げます。ここでは、石がくずされずに、積まれたまま残ることは決してありません。」
弟子たちがいつまでも続くと思っていたものをイエスさまはこの石がきもぜんぶ崩れ去ると言ったのです。弟子たちはそんなrとんでもない、そんなことがいつあるのですかお話ください、世の終わりにはどんな前兆があるのでしょうか。
いまこのようなことを言うと背筋が寒くなるでしょうが、大地震があったときが金曜日で、わたしはその前の水曜日にこの箇所を開き説教をしたのでしたが。次のようなことが書かれてあります。
5 わたしの名を名のる者が大ぜい現れ、『私こそキリストだ』と言って、多くの人を惑わすでしょう。
6 また、戦争のことや、戦争のうわさを聞くでしょうが、気をつけて、あわてないようにしなさい。これらは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。
7 民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります
この終わりのとき、みなさん弟子たちが誇り高く振り返っていたその神殿が、崩されていまただ一つ残っているのは嘆きの壁といわれている部分でユダヤ人たちがエルサレムで祈っているところの石がきです。でもそれさえも一つの予兆であって、ほんとうにイエスさまがおいでになるとき、私たちほんとうに落ち着いて私たちがしなければならないのですが、いまのマタイ24:32~
32 いちじくの木から、たとえを学びなさい。枝が柔らかになって、葉が出て来ると、夏の近いことがわかります。
33 そのように、これらのことのすべてを見たら、あなたがたは、人の子が戸口まで近づいていると知りなさい。
34 まことに、あなたがたに告げます。これらのことが全部起こってしまうまでは、この時代は過ぎ去りません。
35 この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることはありません。
聖書のほかの預言を見ますと、いにしえ神さまは水においてこの世界を滅ぼしなさった。みなさんご存じの通りの洪水のことです。だけれども世の中の一たちはそれに敢て目を閉じて、神さまが森羅万象をお造りになってからこの方何一つ変わってないじゃないか、しかしそう言い張る彼らはこの地が神の言葉によって水によって滅びることを忘れている。しかし神さまはこのような火によって滅ぼされることを預言している。わたしはむやみに恐怖心を煽ろうとして言うのではありません。しかし少なくとも聖書に目が開かれている者たちとして、敢てこの事実に触れないわけにはいかない。だからこそ一層心をしっかりともって、いまの福島の原発の問題もわたしはこれはプロローグに過ぎないと思うのです。これがどういう解決を見るにせよ、これはプロローグです。黙示録を見るとき、どんなことが、火によって焼かれるために神さまがこの世を保っておられるということが何を意味するのか、私たちはほんとうにその前に示威解き明かすような、そしておそらく悪魔もこのようなことを知っているでしょうから人々の恐怖を煽りたてて終末が近いぞと人々の恐怖心を煽り誤った方向に行ってしまう、そういうことが間もなく或いは既に起きているのかもしれない、それぐらいいま危険な時代だというように思います。そのときに何が土台であるのかということなのです。そのときにいちばん信仰が問われるのはそれなんです。終末の恐怖心に不安に駆られて間違った方向に突き進むならこの世の神がほくそ笑むでしょう。しかしこのときにわたしは聖書に言っているインマヌエルで良かったと思うのです。これは自画自賛で言っているのではありません。あの蔦田二雄先生が太平洋戦争という、またあのリバイバルを経験しながらそのときに教会の大きな分裂も経験しながら、そして戦後色々な人たちが聖書に立脚して群れをつくっていくなかにあって、あの先生が、徹底的に福音とは何かを、主の再臨が近い、イスラエルのためにさあみんなで祈ろうといって、さあ終末、イスラエルの救いというように行ってしまった中田監督派の行き方。そうではない。福音というのはその中心は「我聖なれば汝等も聖なるべし」、神さまは罪人である私たちをイエスさまの十字架の贖いによって罪の中から救い出してくださって、ただそればかりではなく、神の前に立つことができるきよい者として私たちにまったき愛の満たし、聖霊の満たしを与えてくださる、それはまさに神のきよき、そしてそこに見るところの健全な神学的なバランス。聖書は神癒ということも勿論教えているし私たちが気をつけねばならないのは、聖書の言っていることがらに対して、それを極端に否定したり批判したりするのではない、そのこともしっかりと心に留めながら、神さまの恵みということを真理をうけるのですが、再臨ということも世の終末ということもしっかりと受けとめますけれども、その聖書の間違いなく主張しているところの真理のどこにポイントを調和を保つかといったときに、ホーリネスそしてそこから来る人格的なバランス、これこそ福音なのだといって試されて試されて試されて、神われらとともにいます。これ我にとりて最もよき事なり、というここにしっかりとポイントを置いて旗を掲げていった、これだなあと思ったのです。
始めから聖書から脱線しようと異端ができてきているのではありません。聖書の真理、自分たちこそと思って進んでいくんです。そのときに、何が聖書の言っているいちばんの根本なのかということ。イエス・キリストの御言葉に聖書。
もう一つヘブルの13:7、8をお読みしてしめくくりましょう。
「7 神のみことばをあなたがたに離した指導者たちのことを、思い出しなさい。彼らの生活の結末をよく見て、その信仰にならいなさい。
8 イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。」
変わりたもうことなし。
詩篇18:2
「主はわが巌、わがとりで、わが救い主、身を避けるわが岩、わが神。わが盾、わが救いの角、わがやぐら。」
お祈りいたしましょう。
※ICレコーダーに基づいて起こしていますが、それでも若干聞き違いなどある場合があります。ご容赦ください。文責:中ぶんな
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