きょうのことばー『栄光、小羊にあれ』 受難週を前にーその1
3月11日の大震災より一ヶ月が過ぎました。更にご遺体として発見された方々に哀悼の思いを持ちますとともに、今尚災禍の中にいらっしゃる多くの方々にお見舞いを申し上げます。世界中の教会、或いは世界中の方々の祈りがこの日も献げられております。
今日も十字架は立ち続け、インマヌエル盛岡キリスト教会(電話019ー646ー2924)でも変わらずに礼拝が守られ、國光勝美牧師の説教が取り次がれました。
説教題 『栄光、小羊にあれ』 受難週を前に
聖書箇所 ヨハネ黙示録5:1~14
受難週を迎えておりますが、この年私たちは、決して忘れることの出来ない3・11という大きな出来事を経験いたしました。この教会でも、陸前高田市に関係者がおられるT兄弟が被災地を訪問、写真と原稿を文集に寄せてくださいました。現場を直にご覧になった兄弟です。またS兄弟も、被災地で厳しい職務を執られ、きょうはここにおられます。殉職された仲間もいらっしゃると伺いました。ほんとうによくやってくれましたと頭の下がる思いでおります。私たちは大災害をいま現在進行形で通っております。それ故に一層、私たちの持っている信仰が何なのかを明確に捉え、クリスチャン信仰の恵みを知る絶好の機会とも思われます。
受難週はイエスさまの十字架を心に留めるときでございますが、敢てわたしはイエスさまの十字架、屠られたまいし小羊なるお方に、私たちの救いを成してくださったお方に心からの感謝と讃美を献げるのが相応しいのではないかと思い、黙示録5章1~14節をお開きいたしました。
黙示録5章9節、
9 彼らは、新しい歌を歌って言った。「あなたは、巻き物を受け取って、その封印を解くのにふさわしい方です。
これは前後のことがありますから、その次の御言葉に心を向けたいのですが、
あなたは、ほふられて、その血により、あらゆる部族、国語、民族、国民の中から、神のために人々を贖い、10 私たちの神のために、この人々を王国とし、祭司とされました。彼らは地上を治めるのです。」
「屠られて」、また「小羊」という言葉を考えますとき、この12節にも一緒に目を留めましょう。
12 彼らは大声で言った。「ほふられた小羊は、力と、富と、知恵と、勢いと、誉れと、栄光と、賛美を受けるにふさわしい方です。」
13 また私は、天と地と、地の下と、海の上のあらゆる造られたもの、およびその中にある生き物がこう言うのを聞いた。「御座にすわる方と、小羊とに、賛美と誉れと栄光と力が永遠にありますように。」
屠られた小羊、これは救い主イエス・キリストご自身です。二千年の昔エルサレムに於いて十字架のお苦しみを受け、私たちの身代わりに神の裁き、罪の刑罰を余すところなく受けられたお方なのです。そしてそのお方は、「私があなたの身代わりとしてこの苦しみを余すところ無く受けました、ですから、もうあなたの罪は赦されているのです。あなたの裁きはもうすでに終わっているのです。さあ、わたしを救い主として信じなさい。」と仰っている。この神さまの救いのわざが、9節に、「その血により、あらゆる部族、あらゆる国語、あらゆる民族、あらゆる国民、世界中の人々の為にイエス・キリストは十字架の救いを成し遂げてくださった。このお方に讃美と栄光と誉がとこしえまでもありますように。」と書かれているわけです。3・11のあの一瞬に多くの方々が地上の命を締めくくりましたが、イエス・キリストを救い主として信じる人たちは、永遠の命の約束をいただいて神さまの御前に立つことができる。「わたしを信じる者は永遠の命を持つ」という約束を抱いて天に移された人たちがいるわけであります。ですから尚一層、私たちはこの福音を他の方々にも伝えなければなりません。
きょうはイエスさまのこの十字架を、二つの角度から取上げてみます。
一つは、2千年前のこの十字架の出来事が、実は聖書に始めから預言されていたことです。これをポイントとして押さえることは、私たちの信仰の大先輩である使徒たちから受け継がれてきたものであります。ですからいま私たちがこの講壇でともに確信しようとしているこの事柄は、初代クリスチャンと同じポイントでもある。イエス・キリストの十字架は、キリストが地上に誕生されたずっと以前から預言されており、その預言の成就であることを先ず第一に捉えておきたく思います。
それから二番目のポイントとして、これは聖書がこの十字架というものに集約されるために、幾つかの雛形或いは模型といった、イエス様の十字架そのものではないけれども、やがて現れる本物はこういう意味を持つという内容を、聖書はずっと古くから教えていた、謂わばタイプ、実際ではない一つの形として十字架というものがある。
この二つの角度から、今日は預言の十字架、それからタイプとしての十字架を見ていきたいと思います。
最初の預言の十字架ということを見ておきましょう。
いま黙示録が開かれておりますけれども、新約聖書のルカの福音書24章、これは失望落胆の真っ暗闇の人生を歩んでおりました人にイエスさまが何と語っておられたのか。ルカ24章26節から
26 キリストは、必ず、そのような苦しみを受けて、それから、彼の栄光に入るはずではなかったのですか。」
27 それから、イエスは、モーセおよびすべての預言者から始めて、聖書全体の中で、ご自分について書いてある事がらを彼らに解き明かされた。
イエスさまが何のために十字架に架かられたのかは聖書が預言していると、イエスさまご自身が聖書を通して解き明かされている。ルカの福音書24章32節
32 そこでふたりは話し合った。「道々お話しになっている間も、聖書を説明してくださった間も、私たちの心はうちに燃えていたではないか。」
こんどは使徒の働き3章18節、これはイエスの弟子であるペテロという人物がこのように語っている一部分です。
18 しかし、神は、すべての預言者たちの口を通して、キリストの受難をあらかじめ語っておられたことを、このように実現されました。
19 そういうわけですから、あなたがたの罪をぬぐい去っていただくために、悔い改めて、神に立ち返りなさい。
これがペテロという人物が、始めに信仰を持った人たちに語ったメッセ-ジの内容です。聖書が言っているとおり、キリストの十字架はあの預言が成就されたものなのです。だからあなた方は悔い改めて信じなさい。そうです。イエス・キリストの十字架はただ偶然に悲劇的な出来事として起きたのではない、聖書が予め預言していた通りのものであります。同じく使徒の働き17章、こんどは、パウロという人が言います。
使徒の働き17章2節
2 パウロはいつもしているように、会堂に入って行って、三つの安息日にわたり、聖書に基づいて彼らと論じた。
3 そして、キリストは苦しみを受け、死者の中からよみがえらなければならないことを説明して、「私があなたがたに伝えているこのイエスこそ、キリストなのです」と言った。
そうです。いちばん始めのクリスチャンたちは、主の十字架は聖書に預言されていることが成就したことであって、このお方こそ神の救い主なのだということを信じた人たちなのです。そして永遠の命を持った人たちなのです。さらにもう一つ、使徒の働きの26章22節、パウロがある然るべき人の前に立って、私はどのようにしてクリスチャンになったのかを滔々と弁明しているところがあります。
22 こうして、私はこの日に至るまで神の助けを受け、堅く立って、小さい者にもあかしをしているのです。そして、預言者たちやモーセが後に起こるはずだと語ったこと以外は何も話しませんでした。
23 すなわち、キリストは苦しみを受けること、また、死者の中から復活によって、この民と異邦人とに最初に光を宣べ伝える、ということです。」
パウロやペテロの語るところにも見るとおり、最初にクリスチャンになった人たちは、キリストの十字架は預言の成就であったと受け入れ信じた人々であったのです。
ーつづくー
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