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きょうのことばー『回復の希望なる復活』 イースター講壇ーその1

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       イースターおめでとうございます!!
         
  きょうはイエスさまの復活を記念する聖日礼拝でした。わたしはわたしの居住する地域の会合があり、そちらに出席しました。そこで例によってインマヌエル盛岡キリスト教会(電話019-646-2924)に録音をお願いし、それを起こしてここに書かせていただきます。國光勝美牧師のメッセージを2回に分けて掲載します。
 午後からは昇天された方々の墓参がありました。きょうはわたしはこの墓参のほうに参加いたしました。

説教題 『回復の希望なる復活』
<聖書箇所 ルカ伝24:13~35>
13 ちょうどこの日、ふたりの弟子が、エルサレムから十一キロメートル余り離れたエオマという村に行く途中であった。
14 そして、ふたりでこのいっさいの出来事について話し合っていた。
15 話し合ったり、論じ合ったりしているうちに、イエスご自身が近づいて、彼らとともに道を歩いておられた。
16 しかしふたりの目はさえぎられていて、イエスだとはわからなかった。
17 イエスは彼らに言われた。「歩きながらふたりで話し合っているその話は、何のことですか。」すると、ふたりは暗い顔つきになって、立ち止まった。
18 クレオパというほうが答えて言った。「エルサレムにいながら、近ごろそこで起こった事を、あなただけがしらなかったのですか。」
19 イエスが、「どんな事ですか」と聞かれると、ふたりは答えた。「ナザレ人イエスのことです。この方は、神とすべての民の前で、行いにもことばにも力のある預言者でした。
20 それなのに、私たちの祭司長や指導者たちは、この方を引き渡して、死刑に定め、十字架につけたのです。
21 しかし私たちは、この方こそイスラエルを贖ってくださるはずだ、と望みをかけていました。事実、そればかりでなく、その事があってから三日目になりますが、
22 また仲間の女たちが私たちを驚かせました。その女たちは朝早く墓に行ってみましたが、
23 イエスのからだが見当たらないので、戻って来ました。そして御使いたちの幻を見たが、御使いたちがイエスは生きておられると告げた、と言うのです。
24 それで、仲間の何人かが墓に行ってみたのですが、はたして女たちの言ったとおりで、イエスさまは見当たらなかった、というのです。
25 するとイエスは言われた。「ああ、愚かな人たち。預言者たちの言ったすべてを信じない、心の鈍い人たち。
26 キリストは、必ず、そのような苦しみを受けて、それから、彼の栄光に入るはずではなかったのですか。」
27 それから、イエスは、モーセおよびすべての預言者から始めて、聖書全体の中で、ご自分について書いてある事がらを彼らに解き明かされた。
28 彼らは目的の村に近づいたが、イエスはまだ先へ行きそうなご様子であった。
29 それで、彼らが、「いっしょにお泊りください。そろそろ夕刻になりますし、日もおおかた傾きましたから」と言って無理に願ったので、イエスは彼らといっしょに泊まるために中に入られた。
30 彼らとともに食卓に着かれると、イエスはパンを取って祝福し、裂いて彼らに渡された。
31 それで、彼らの目が開かれ、イエスだとわかった。するとイエスは、彼らには見えなくなった。
32 そこでふたりは話し合った。「道々お話しになっている間も、聖書を説明してくださった間も、私たちの心はうちに燃えていたではないか。」
33 すぐさまふたりは立って、エルサレムに戻ってみると、十一使徒とその仲間が集まって、
34 「ほんとうに主はよみがえって、シモンにお姿を現された」と言っていた。
35 彼らも、道であったいろいろなことや、パンを裂かれたときにイエスだとわかった次第を話した。

<お話し>
 いまみなさま方にもお祈りに和していただきましたが、去年までとは違った意味あいで、私たちはこのイースターを迎えているのではないでしょうか。この瞬間にも避難所などで不自由な生活を強いられている多くの方々がいっらっしゃることを覚えます。私たち盛岡におります者は、3月11日の地震では、2日程度の停電或いはガス、水道の不自由さでした。沿岸の方々から見れば被害としては少なかったことではありますが、しかしあの停電のあいだの不便さは堪えました。もうそう大きな余震は来ないかと警戒心がすこし緩んでいましたところ4月7日に盛岡震度5の余震があり再び停電しました。あのときの暮しの不自由さを思いながら多くの被災された方々を覚えるとき、それが一体いつまで続くものなのか予測し難い中にいらっしゃる現実に、主の憐れみを心から願うことであります。そして私たちも、何とかしてこの支援の思いを届けたく思います。
 この礼拝の後に、役員会で御連絡をさせていただきますが、全国の主にある教会から盛岡教会に支援のお心遣いを頂いております。私たちは、それを必要としている沿岸の方々に的確に届けることができるような道筋を確立しておきたく思います。
 皆様の後ろの方にもきれいなカードが貼られていますが、インマヌエル大阪伝法教会の教会学校の皆さんが寄せ書きをし、歌のCDとともに送ってくださり励ましてくださいました。何という感謝なことでしょう。また、いま皆様方のお手もとにある週報にも2枚の栞を挟んでおきました。これは東京におります娘と従姉妹が盛岡の方々にと作ってくれました。たくさんありますので、これも沿岸を支援するときに持って行きます。一週間前には、いのちのことば社の支援のスタッフの方々が「聖書、絵本、トラクトなどを遠慮無く申し込んでください」と言ってくださいました。わたしはすこし遠慮したのですが、「いいですよ、是非沿岸の方々に届けるために」とのことでしたので、それにも添えて栞を使うことができたならと思っております。
 多くの方々の祈りが、世界中の祈りが、この東日本のために、或いは岩手のために献げられていることを確認させていただきたいと思います。そのような意味でもイースターの朝が祝福されるようにと祈りおります。    ー次ページにつづくー

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