被災地に神の光

抜けるような空の青さ。きょうインマヌエル盛岡キリスト教会の牧師夫妻は、心と援助物資を積んで山田方面に出かけた。教会のみなさんが被災地に向けて供出くださった品々。この一枚が、この一つ がどなたかのお役に立つことができるなら、そんな気持がこめられている。
宮古コミュニーティーチャーチの岩塚牧師も先週まで連日避難所を訪れ、関係者の支援、片付けなどに当たっていたという。宮古市居住時代にお世話になった先生だ。
またきょうの岩手日報の朝刊で被災地にある教会が礼拝の壇を変わらずに築いている記事が目に入ったときには感動した。教会の名を見ると新生釜石教会だった。柳谷牧師。何があろうともその中には神の光がある。これはほんとうのことだ。累々とうち続く災禍のあとになぜ? 不思議なことだが真理だ。
自分は心がきよいものであるとは言わない。ただイエス・キリストの血によって洗われることによってのみ赦されているもの、ただそれだけだと思っている。しかしわたしがこれはほんとうにほんとうだと思っていることは、心のきよくないものには神がわからない。わたしはこれは真理だと思っている。聖書のいっているこのことに、私は「何が!」とおもったこともあったのだ。とんでもないことだが、そんなことは詭弁だと思っていたのだ。しかしこれは詭弁ではない。いまのこの時代に「きよい」だなんて。なにそれ? 時代錯誤じゃないの? しかし心がきよくなければ神はわからない。これはほんとうのことだ。
ちょっと脱線してしまったかもしれないが、神の光ということから、つい生意気に書いてしまった。私がいうのは生意気で赦せない方々もあるかもしれないが、これはやはり真理だという以外にはない。
それはそれとして、いま被災地に何人の方々が入っておられるか、またこれまで入られたかまで見てはいないけれども、ほんとうに多くの方々が現地で救援のために誠心誠意注ぎ込んでおられる。
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