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きょうのことばー『十字架を負うこと』

 きょうは良いお天気でした。きのう花屋さんでは、桃、雪やなぎ、菜の花が春を告げていました。しかし講壇にはきょう献げられたすばらしい薔薇の花束が飾られました。ひろ子牧師のフラワーアレンジメントの素敵な花、玄関にも、母子室にもきれいな花が置かれています。 きょうは楽しい例会で屈託のないみなさんの日常を伺いました。ほんとうにあたたかく和やかです。午後はコイノニヤ。こどもたちは小岩井の雪祭りへ。子ども達の写真を撮りたかったのですが、エネルギー温存のためもうこれだけでも十分とも思われ帰宅しました。

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 さて、きょうのインマヌエル盛岡キリスト教会(國光勝美・ひろ子牧師)で語られたメッセージは。きょうは國光勝美先生のお話です。

説教題 『十字架を負うこと』
聖書引用箇所 マルコ伝15:21

 そこへ、アレキサンデルとルポスとの父で、シモンというクレネ人が、いなかから出て来て通りかかったので、彼らはイエスの十字架を、むりやりに彼に背負わせた。
 先週は十和田教会の方に行っておりましたので、ひろ子先生が講壇を務めました。この年に一度のご奉仕に主の豊かな見護りを覚えました。ここのところ私も慌ただしい中におりましたが、このメッセージ「求めなさい、捜しなさい、たたきなさい」から恵みをいただきましたのは感謝でした。
 教会総会を終えますと、こんどはすぐに教団の年会が控えています。その準備のために上京してきました。年会は3月15日(火)~17日(木)で全体のテーマは「ホーリネスの実践」です。任命式は17日です。お祈りください。

 きょうの聖日は、私としては、総会を超え、盛岡で初めての講壇のご用ということになります。そのときにもう一度主が語りかけてくださったこの詩篇40篇の8節の御言葉に心を向け、「わか神。私はみこころを行うことを喜びとします。あなたのおしえは私の心のうちにあります。」。「我はみこころに従うことを楽しむ。汝の法はわがこころのうちにあり」から神様はクレネのシモンという人物に心を向けさせてくださいました。きょうは引用しましたマルコ15:21をもって「みこころに従うことを楽しむ」に心に留めさせていただきましょう。

 この15章21節を見ますと、イエスさまを罪人とし、イエスさまに無理矢理十字架を背負わせてゴルゴダ(訳してどくろ)の丘への道を歩かせるのですが、その途中におこった出来事が書かれています。当時のしきたりとして、死刑囚は自分が架けられる十字架を自分が背負わされました。辱めを増幅させるために横木を背負わせたのです。このときすでにピラトから有罪判決を受けたイエス様が、ゴルゴダの十字架刑の場所へと引かれていくわけでございます。この十字架の場所が間違いなくこの地点であるというように判っているわけではありません。プロテスタント側、カトリック側とそれぞれの解釈があるようですが、いずれこの辺であるとされ、それほどに距離が違っているわけでもありません。

 イエス様が十字架を背負って歩いた距離を縮小地図で見ますと、およそこの教会がある大館町12ー26の地点から国道46号線の天昌寺交差点までの距離といえます。これで実感を持っていただけたでしょうか。そしてあの過越しの祭に、「十字架につけろ! 十字架につけろ!」と叫んだ人々がぎっしりとこの道を取り囲んでいる様子が想像されます。

 クレネ人シモンのことですが、「シモンというクレネ人が、いなかから出て来て」とあります。いまエジプトやチュニジアで反政府行動が起きていますが、実はこの辺りにクレネがあります。そこが彼の出身地です。この場所がローマであれば別ですが、エルサレムのほうなので、エジプトを地図を想起していただいて、その沿岸のところから彼がどんなコースを利用したのか、たぶん陸沿いにエルサレムの街にやってきたのだろうと思います。そして、このイエスさまの十字架の出来事が、過越しの祭りというユダヤ人にとっては、七週の祭り、仮庵の祭りとともに三大祭りの一つであり、それもその中でメインの過越しの祭りがあり、ここではエルサレムに巡礼しようとする人々で溢れかえっていた。この時代でいう世界とは地中海世界のことをいいますが。たとえユダヤ人たちがさまざまなところに散っていたとしても、過越しの祭にはエルサレムに巡礼する。ですからクレネ人シモンも巡礼者の一人であることはまず間違いないでしょう。

 そこでさらに心に留めたいことは、マルコという人物がこれを記すときにわざわざ個人名でアレキサンデルとルポスとの父で、シモンというクレネ人」という書き方をしている。ということは、読者たちに、あのアレキサンデル、あのルポスの、実は、お父さんはこういうことを経験したんだよ、と話すような響きがありますね。当時、マルコの福音書を読むクリスチャンたちには、良い意味で名が知れ渡っていて、ああ、あの方のお父さん、そうだったんですかと頷いたことでしょう。クレネのシモンがイエスさまの十字架を背負ったことは、その子どもであるアレキサンデル、ルポスさんにとって誇りであり、わたしの実のお父さんは、あのイエスさまの十字架を背負ったんだよ、ときっと感動に胸を震わせながら行く先々で語らずにはおられない。死んで甦ってくださったあのイエスさま、その福音を伝えている私たちだけれども、イエスさまの十字架をわたしの父親は、と繰り返し繰り返し証しをしただろう、こう思うのであります。

 もうすこしここのところを注目していきましょう。僅かこの教会から天昌寺交差点までの距離を、ふつうの男の人ならどんなに重たくとも、十字架の横木を背負って歩けないはずがない。しかしそれが出来ないほどにイエスさまは憔悴しておられた。ゲッセマネの園、不当な裁き等々思いますと、イエスさまこの距離さえも十字架を背負って歩くことが限界だったと理解できます。ローマの兵隊は強制的に使役を提供させる権力を持っていました。代わりに刑場まで十字架を背負う者はいないか沿道の人々を見たときに、これは違っている可能性もあるかもしれませんが、アフリカの、もしかすると黒人の方だったかもしれませんが屈強そうな男が目に入った。それがクレネ人シモンだった。人種に関わらず、まことの神様を礼拝する人々は地中海世界には大勢いたわけですから、クレネ人シモンがエルサレム巡礼に来ていたと考えるのは決して的外れな創造ではないでしょう。きっと目立つ人物だったでしょう。槍なり剣なりローマの兵隊が差し向け命じられたならば、それを拒むことはできなかった。強制力、権威があった。クレネ人シモンはまさかと思いつつ駆りだされることになってしまった。
 人々の好奇の眼差しは十字架を担がせられている姿に注がれる。馬鹿なヤツだといった人々の嘲りもあったに違いないと思います。 

 それとともに皆さん方ヨハネの19章をご覧下さい。同じ場面です。
ヨハネ19:17「
彼らはイエスを受け取った。そして、イエスはご自分で十字架を負って、「どくろの地」という場所(ヘブル語でゴルゴタと言われる)に出て行かれた。」
 ここに「ご自分で十字架を負って」とございます。
マルコ15:21を見ますと、クレネのシモンが無理矢理に背負わせられたと、これははっきりしておりますが、ヨハネの方は、イエスが自分で十字架を運んだと記してございます。興味深いことは、ルカ:23:26にも同じ場面があります。

 
彼らは、イエスを引いて行く途中、いなかから出て来たシモンというクレネ人をつかまえ、この人に十字架を負わせてイエスのうしろから運ばせた。
 わたしはこのところの注解書を読み、今回新たに、ああそうか、と得心したことがありました。イエスさまは十字架を背負って前を行かれた。クレネのシモンはその十字架の一部を一緒に担い、先頭はイエスさまが歩かれた。だからケレネ人シモンはイエスさまと一緒に担いだと注解しております。そうするとたしかに、イエス自身が十字架を背負っていく。また死刑囚はそうしなければならないというそれにも合致するでしょう。しかしもう歩けなくなったときに、クレネ人シモンがその十字架の大部分を背負ったでしょう。体格のいいクレネ人シモンが後ろの方をぐっと持ち上げると前の方は大変になるのではないかと余計な心配をしました。それをどうすれば一番軽減できるだろうか。イエス様が先頭に歩いたと前提して横木を担いだときに、イエスさまにいちばん近い、イエスさまのすぐ後ろにシモンが担ぎ、形だけイエスさまが担ぐということであったのか、何れにせよ、多くの部分は彼が背負ったように思いました。してみると、彼ほどイエス様の心臓の鼓動、呼吸を間近に感じた人はいなかった。また十字架の横木が刑の執行があるたびに新しく準備されるとは限らない。創造ではあるけれども、これまでの何人もの罪人に使われたものでしょう。それを引っ張り出して使われたとすれば、それには死刑囚の血糊がべっとりついている。血糊で汚れた横木をクレネ人シモンは背負った。こんな場面を描くことができたのです。

 この場面から私は短く3つのポイントをお話して締め括りたいと思います。一つは、彼は傍観者から当事者に変ったということです。「誰でもわたしに従いたいと思うなら己を捨て十字架を背負って私に従ってきなさい」と主イエスさまは語られましたが、私たちがイエスさまを信じクリスチャンとして信仰生活を歩むとき、決して傍観者であってはいけない。クレネのシモンの場合にはローマの兵隊が槍を置きましたけれども、神様はわたしたちに、聖霊の促しを与えてくださる。あなたは一緒にイエスさまの十字架を負ってくれないか。聖霊様は私と一緒にこの十字架を担ってくださる。十字架というのはまさに十字架なのです。誰も負いたくない、頼むからこれだけはやめて、止めさせて貰いたい。前の者の血糊がこびりついている、釘の跡が生々しく残っている、それよりも何よりもこれは死刑執行の道具、それを背負っていかねばならない。何でわたしが? どうしてわたしなんですか? しかし逃げられない、逃げてはいけない。十字架というのはそういうものです。ただ頭の中に描かれている十字架ならば、「そうだなあ、負わなくちゃならないなあ」、「どうして負わないんだろうね」などと言える。しかし、あなたが当事者として、といったとき、もの凄く大きな犠牲を或いは恥辱、誤解をもともに私たちは背負わされることがある。

 逃げちゃいけない。クレネ人シモンはどうであったか。イエスさまのいちばん間近に十字架を担いだ。そのときにイエスさまの喘ぐ息づかい、激しく打つ心臓の音も直に聞いたのです。十字架がわかるのはそのときです。頭の中で十字架がわかるんじゃない。ああイエスさまの十字架ってこういうことなのかということを、ほんのすこしかもしれませんけれども、知ることができるのはそういうときなんです。どうしてわたしが背負わなくちゃいけないの? 負わねばならない理由がない。けれどもイエスさまはなぜ十字架を負われたのか。なぜわたしのために負われたのだろう。イエスさまには負わなければならない義務も理由も無かった。ところがそのお方がわたしのために背負ってくださった十字架。それをどうしてわたしは「いいえできません」と言えるのだろう。

 わたしは3つのことと言いましたが、どうやら一つに纏めてしまったようです。それは当事者になるということ、そして二つめは、ほんとうに担うべき十字架というものはまことに辛いものである、避けたいものであること。それが十字架だということです。イエスさまさえ「この杯をわたしから取りのけてください」と仰った十字架です。しかしイエスさまはこうも仰いました。「しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください」。イエス様は喜んで十字架を背負ってくださったのです。

 「わが神。私はみこころを行うことを喜びとします」

 これは十字架を背負った者のみが知ることができる、イエスさまとともに歩く恵み歩む祝福です。十字架を経てでなければ決して味わうことのできないイースターの勝利、それを思うのでございます。どうでしょうか。わたしたち一人一人がクレネのシモンのように、イエスさまのいちばん近くで、イエスさまのすぐ後から、イエスさまと一緒に十字架を背負わせていただこうではありませんか。そのとき、祝福が、アレキサンデル、ルポス家族に及んだのです。もしこのときクレネ人シモンがそれをしなかったのならば彼の家族に祝福は及ばなかったでしょう。しかしシモンが斯く十字架を背負ったが故に、アレキサンデルとルポスとの父という祝福が及んだことを覚えたいと思います。

※若干割愛してあります。文責:中ぶんな

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