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2011年2月

きょうのことばー『信仰と不信仰の狭間で』ーその2

※2011年2月27日のインマヌエル盛岡キリスト教会の説教を二回に分けて掲載しています。前ページのつづきとなっております。

 今回このメッセージを備えさせていただきながら19節の
ああ、不信仰な世だ。いつまであなたがたといっしょにいなければならないのでしょう。いつまであなたがたにがまんしていなければならないのでしょう。
 このイエスさまの御言葉の深さを思いました。
 イエスさまが人としてこの世に生きていちばん不可解なのは、人々が父なる神への単純な信頼、信仰をどうして持たないのかということだったでしょう。父なる神に疑いをもつことなどイエスさまには考えられないことでした。ところが私たちは生まれながらにしてアダムの裔、神への全幅的な信頼ができず、神を拒否する性質を持って存在を始めている。イエスさまにしてみれば、どうして自分が父なる神を信じるように人々が父なる神を信じないのか、これを嘆かれているのがこの19節なのです。

 私たちはイエスさまの救いに与り、罪赦されクリスチャンとなって、神さまを信じるという新しい性質、命が与えられたのは勿論ですが、神さまを喜ぶ性質をも与えられたのです。さらには、生まれながら神に背いてしまう原罪、罪の性質も除かれるきよめの恵みを受け、イエスさまが持っておられた神の平安を与えられている。
 ならば、きよめの信仰をもったものは、現実的な大きな問題に立ち至ったときに、神さまに応えていただけるものなのか。きよめの信仰を持ち一生懸命まじめに歩んでいるなら、大きな課題に直面したときにすぐさま神さまを信頼し全面的に飛び込んでいくことができるのか。個別的にさまざまなケースがありましょうけれども、それができるのか。ほんとうに神さまはこれを助けてくださると確信がもてるのか。それとも、「もしおできになるなるのなら助けてください」というように、信じきれていない部分があるのだろうか。こういった問題を取上げさせていただくうちに、私は、これまであまり区別しなかったところ、そして区別できなかったところに気づきを与えられました。それを今日お分かちできたらと思うのです。
 一つの例として、バンジージャンプをご存じでしょう。一本のロープにすべてを委ねて崖や或いは橋のようなところから川に飛び込む。あれは信仰を言い表すのによい実例でしょう。だいじょうぶこの綱は切れないし助かるようになっていると信じる人は飛び込んでいく。それが出来ないのは信頼しきれないからです。信仰でいえば信頼しきれないから飛び込むことができない。それが不信仰だというようにこれまでは理解していました。それはそれなりに間違ってはいない。しかし今回与えられた光は、そうとばかり言いきれないだろうということでした。飛び込むことができないのは不信仰なのか、罪なのか罪ではないのか。そしてわたしは、飛び込むことができないのはイコール不信仰という結論は、ある真理をいってはいるけれども、それがすべてではないことに光が与えられたのです。もっと言いましょう。つまりバンジージャンプの例でいうなら、飛び降りるこの地点は、その人にとって初めての高さなんです。初めてのことを経験するときには緊張し不安を覚える。これは誰にでもあり得る。30階の屋上に連れていかれたとしましょう。眼下には車や人が豆粒のように見える。「さあこの迫り出した鉄板を歩いてご覧、絶対に落ちないから」と言われ、仮にそこを歩くことが出来なかったとしても、それを不信仰といえるのか。そうじゃない。それは慣れないからなのです。地上30センチの高さから鉄板を出して「歩いてご覧」といえばできる。ならば50センチは。ちょっと緊張するでしょうが何回か繰り返せばできる。こんどは1メートル。それを繰り返して慣れていけばいいのです。
 ペテロがガリラヤ湖で湖の波の上を歩いたことがありました。大嵐です。まだ暗かったでしょう。イエスさまが向こうから歩いてくるのを弟子たちは見ました。屈強な漁師だった弟子たちがイエスさまだと分かって大騒ぎします。ペテロが「波の上を歩いてあなたのところに行かせてください」と願ったとき、「きなさい」とイエスさまは仰った。ペテロは歩いていったのです。ところが沈んでしまった。そのときイエスさまはすぐにペテロを引き上げて、「ああ信仰が薄いものだ」と仰る。でもイエスさまはそれを引き上げてくださった。このお話と、きょうの、父親が「
信じます。不信仰なわたしをお助けください」といったところがクロスしています。もしペテロが他のお弟子さんたちのように何にもしなかったなら、嵐はしずまったでしょうが、ただそれだけだったでしょう。けれどもペテロは一歩踏み出した。そこで見事に失敗しましたけれども、イエスさまはぐっと捕まえて引き上げ救ってくださった。このペテロの失敗のほうが、舟の中に留まって何もしないお弟子さんたちよりもよほどすごいとおもうのです。
 ペテロは信仰をもって「もしあなただったら行かせてください」と願った。それが波風を見てしまいイエスさまから目を逸らしたときに沈みましたけれども、イエスさまはそれを駄目だな、もうすこしそこで苦しんでいなさいとは言っていない。イエスさまはすぐにペテロを引き上げてくださった。

 大きな課題があったときに助けてくださるか助けてくださらないかと躊躇するよりも、ほんとうに私は信仰を持っているのかいないのかというようなことをあれこれ頭の中で議論するよりも、イエスさまというお方を信じて、それなりに信じてその大きな問題を主の前に持ち出して波のうえを歩く。或いはここにいうようにイエスさま、不信仰なわたしを助けてくださいと言ったときに、イエスさまは必ずそれを何もしないで舟の中にいる人たちに対してよりも、イエスさまは御業をなしてくださる。わたしは信仰をもっているんだろうか、不信仰なんだろうかと議論するよりも、ほんとうに大きな課題に直面するときに、もうそのまま、「主よ助けてください」と言いましょう。そのときに、繰り返すようですが、イエスさまから目をはなし嵐の方に目がいってしまうのは当然なんです。慣れていないのですから。慣れないから失敗するのは当たり前なんです。失敗したっていいじゃないですか。きょうのわたしの説教の中で、「喜んで失敗するペテロになろう。」、このメッセージが伝われば良いと思っています。どうしたら失敗しないかではないのです。どうしたら失敗しないのか信仰とは何なのかということを考えるのではなく、もの凄く大きなこの現実的な課題が今自分にはある。もうこれはきょうを今を生きる存在そのものが問われるというそのときに、主の前に全幅的な信頼を持って飛び込んでいく勇気。波を見て風を見て失敗したっていい。踏み出さずに舟の中にいたところで何にもならない。よし失敗するとしても「イエスさま助けてください」と踏み出す。これは罪ではない。不信仰の罪というのは、ほんとうにイエスさまは私が踏み出すことを喜ばれるだろうか。そうじゃないかもしれないと、イエスさまの善を疑い踏み出さない、これを罪というのです。しかし慣れないことに躊躇を感じてなかなかできない。たしかにイエスさまは為してくださると信じてはいるがなかなか踏み出せずにいる。これは罪ではないのです。慣れないからなのです。だから「不信仰なわたしを憐れんでください」と率直にいって、イエスさまの懐に飛び込んでいけばいい。あとはイエスさまが責任をもってくださる。あとはイエスさまがほんとうに責任をとってくださる。もしそうでなかったならこの信仰はウソになります。飛び込んでいきましょう。

 小さな例ですがこれをお話しして締め括らせていただきます。
 私がまもなく神学校を卒業だというときのこと。届いているという荷物を受け取りに行かなければなりませんでした。外出日が決まっているので、その日しかありません。数百円の預かり料を支払わなければならないのですが、その数百円が全くなかった。ほんとうに困りました。 そのとき、私が神学校に入学するときに非常にお世話になった先生の教会に送ろうと、封筒に千円を入れて封をし、切手を貼って出すばかりにしていたものがありました。これは神さまのものと聖別したお金です。絶対に手を着けてはならないと決めていました。しかし先ほどのことでどうしても数百円必要でした。窓口に行って請求されたのでほんとうに封を破ったんです。そして千円を取り出そうとしたときでした。窓口の方が「ちょっと待ってください。こちらの保管ミスでお荷物が汚れてしまいました。隣の荷物染みだした油が、あなたの荷物に染みこんでしまったので、これはこちらのミスですから保管料いただくわけにはいきません。」。こういって私は荷物を引き取ることができました。ほんとうに感謝しました。私は神学院に帰るあいだ踊るような喜びでした。神さまがお祈りに答えてくださった。こんな乏しい者でも神さまを信頼していくのならば、神さま必ず答えてくださる。それを神学校を卒業する間際に、これがあなたの信じている神さまなんだよ、と教えていただいたのです。みなさん、そんなことがあり得ると思いますか。でも神さまはそういうことをしてくださるお方なのです。ですから本気になってペテロのように踏みだし飛び出していきましょう。本気になってこの父親のように、「信じます。不信仰な私を憐れんでください」と言いましょう。この不信仰は罪ではありません。飛び出すことができないのは慣れていないのであって、しかし、それでも踏み出していくのなら必ず神さまは勝利を与えてくださる。どうぞこのことを心に留めてこの生ける神さまを信じていこうではありませんか。

※文責:中ぶんな
 聞き落としなど若干あることをお許し下さい。

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きょうのことばー『信仰と不信仰の狭間で』ーその1

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 きょうは個人的にはたいへん忙しい日でした。しかし教会にいくことができ、ほっと一息ついてイエスさまを讃美し、きょうの神さまからのメッセージに耳を傾けました。これを二回に分けてお届けします。
 礼拝がはじまる直前に教会の玄関先まで私に会いにきてくれた友だちがいたことも私を大いに幸せにしてくれました。神さまは一日の中には必ず何かよいことを一つ準備してくださる、そんなふうに思いました。
 さてきょうのインマヌエル盛岡キリスト教会國光勝美牧師のメッセージは、


説教題 『信仰と不信仰の狭間で』
聖書引証箇所 マルコ9:14~29

14 さて、彼らが、弟子たちのところに帰って来て、見ると、その回りに大ぜいの人の群れがおり、また、律法学者たちが弟子たちと論じ合っていた。
15 そしてすぐ、群集はみな、イエスを見ると驚き、走り寄って来て、あいさつをした。
16 イエスは彼らに、「あなたがたは弟子たちと何を議論しているのですか」と聞かれた。
17 すると群集のひとりが、イエスに答えて言った。「先生。口をきけなくする霊につかれた私の息子を、先生のところに連れて来ました。
18 その霊が息子にとりつくと、所かまわず彼を押し倒します。そして彼はあわを吹き、歯ぎしりして、からだをこわばらせます。それでお弟子たちに、霊を追い出すように願ったのですが、できませんでした。」
19 イエスは答えて言われた。「ああ、不信仰な世だ。いつまであなたがたといっしょにいなければならないのでしょう。いつまであなたがたにがまんしていなければならないのでしょう。その子をわたしのところに連れて来なさい。」
20 そこで、人々はイエスのところにその子を連れて来た。その子がイエスを見ると、霊はすぐに彼をひきつけさせたので、彼は地面に倒れ、あわを吹きながら、ころげ回った。
21 イエスはその子の父親に尋ねられた。「この子がこんなになってから、どのくらいになりますか。」父親は言った。「幼い時からです。
22 この霊は、彼を滅ぼそうとして、何度も火の中や水の中に投げ込みました。ただ、もし、おできになるものなら、私たちをあわれんで、お助けください。」
23 するとイエスは言われた。「できるものなら、と言うのか。信じる者には、どんなことでもできるのです。」
24 するとすぐに、その子の父は叫んで言った。「信じます。不信仰な私をお助けください。」
25 イエスは、群集が駆けつけるのをご覧になると、汚れた霊をしかって言われた。「口をきけなくし、耳を聞こえなくする霊。わたしがおまえに命じる。この子から出て行け。二度とこの子に入るな。」
26 するとその霊は、叫び声をあげ、その子を激しくひきつけさせて、出て行った。するとその子が死人のようになったので、多くの人々は、「この子は死んでしまった」と言った。
27 しかし、イエスは、彼の手を取って起こされた。するとその子は立ち上がった。
28 イエスが家に入られると、弟子たちがそっとイエスに尋ねた。「どうしてでしょう。私たちには追い出せなかったのですが。」
29 すると、イエスは言われた。「この種のものは、祈りによらなければ、何によっても追い出せるものではありません。」


 年会をまもなく迎えようとしておりますこのとき、その時その時にこの年神さまが私たちに指さしてくださる御言葉を中心に開いてまいりました。きょうはマルコの福音書9章でございますが特に9章24節
の「不信仰なわたしをお助けください」を中心にメッセージをお分かちしたく願っております。皆さんはこの数週間それぞれの環境のなかでそれぞれの過ごし方をなさったと思いますが、わたし自身は、格別に「信仰ということをあなたはどのように捉えているのか」と神さまから突きつけられた思いでおりました。そういう意味で非常に信仰が扱われたときであったといま振り返っています。そしてこのような神さまのお取り扱いをもし聖書から一言でいうならと思い巡らしたところ、「信じます、不信仰なわたしをお助け下さい」という父親の叫びがまさに神さまがわたしを扱ってくださったその集約ではないかと思いました。

 この出来事自体は、父親と大きな苦しみを体に抱えている子供のことです。子供を何とか助けたいお父さんが子供を連れてイエスさまのところにやってきたところです。あいにくイエスさまはペテロやヤコブ、ヨハネという3人のお弟子さんを供にして変貌の山ともいわれるヘルモン山の麓にいたのです。留守のところにこのお父さんと子供がやってきた。ところがお弟子さん達にはとても手に負えない。弟子達が困り果てているところに山から下りてこられたイエスさまがいらっしゃる。「
口をきけなくする霊につかれた私の息子を、先生のところに連れて来ました。」と申し出る父親。
18 その霊が息子にとりつくと、所かまわず彼を押し倒します。そして彼はあわを吹き、歯ぎしりして、からだをこわばらせます。それでお弟子たちに、霊を追い出すように願ったのですが、できませんでした。
19 イエスがこれに答えられる。
「ああ、不信仰な世だ。いつまであなたがたといっしょにいなければならないのでしょう。いつまであなたがたにがまんしていなければならないのでしょう。その子をわたしのところに連れて来なさい。」
 
この御言葉が大きな意味を持っている。この御言葉がイエスさまから真っ先に出てきたのです。そしてその子供がイエスさまのところに連れて来られるやいなやその霊の症状が起きたわけです。
22節「
この霊は、彼を滅ぼそうとして、何度も火の中や水の中に投げ込みました。
イエスさまが父親にいつからか尋ねると、もう小さいときからだった。親としてこれがどれほど辛いことであるか。父親はできるものならこの子を癒して貰いたいと願った。するとイエスは言われた。「できるものならというのか、信じる者にはどんなことでもできるのです。」と。父親は「信じます。不信仰な私をお助け下さい。と叫ぶ。すると驚いたことにこれが無事解決をみたのでした。
 きょう私たちが心に留めたいことは、「ああ、不信仰な世だ。いつまであなたがたに我慢しなければならないのか」というこのところです。
 子供を助けて欲しいという訴えには何の不自然さもありません。しかしこの父親の訴えを取り上げて、できるのならというのか、信じるものにはどんなことでもできるんだよと仰るイエスさま。「もしおできになるのなら。」と「信じるなら何でもできる。」のあいだには信仰上の微妙なずれがあります。これがイエス様の言葉で、ぴたりと調整されます。嵌るべき所にこの父親の思いがかちっと嵌って、父親が「信じます。不信仰なわたしをお助けください。」と願っている。
 わたしたちは大きな課題に直面したときにこそ、ほんとうに神さまを信じきれるかを問い詰められます。クリスチャンだからこそ言われたとき、そこに光が与えられ見えなかったことがよく見えてくる。信じきってはいなかったと扱われ、そこにきちっと嵌るときに主が見事な御業をなしてくださることを知るのです。
 ーつづくー

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バッハ「誰でも私ぐらい働けば」 & ちいさな箱に

 バッハを知っていると思いこんでいたが、ほとんど知ってはいなかった。プロテスタントであるバッハをカトリックだとさえ思いこんでいたことがある。それにしても彼は倦まず弛まず常に何かを為しつづけ働きつづけていたらしい。

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  バッハは厳格で強い意志の持ち主だった。当時のベネツィア風の軽妙な音楽を認めなかった。妥協を許さない性格だった。彼はプロテスタントの立場をあくまでも守った。その厳格さが彼を孤立させていく。ミュールハウゼン教会で辞表を出したとき、周囲は冷たかった。
“辞意が固いのなら仕方ない”~ミュールハウゼン教会1707年~

バッハはいった。
“私は懸命に働いた。私と同じくらい働けば、誰でも私くらいは成功する。”~1742年~

    ビクターDVD「バッハ物語」よりー岩手県立美術館蔵ー

  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆

 バッハとは関係ありませんが、きょうのこと

 晴天のもと“橋をわたった”叔父。この同じ橋を母が先にわたったのだった。

  一生がちいさな箱におさめらる

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バッハ、オルガンを補修、管理 & 母の弟逝く

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わたしが初めて聴いたバッハは、いま書きながら聴いている「トッカータとフーガ 二短調BWV.565」だった。中学生のときだ。今頃になってバッハと向き合おうとは思いもしなかった。

 バッハが初めてオルガン奏者になったのはアルンシュタットの教会だった。彼はオルガンの補修や管理の名人でもあった。楽器の管理方法を教えるためあちこち旅をしている。
“夏は窓にカーテンをつけたほうがいい”
彼はこの仕事を愛した。
“オーボエの音色を出すには良質の錫(すず)が必要だ”
~1706年~

彼があまりに演奏に熱中するので教会の関係者がこぼしている。
“あの調子で弾きつづけたらオルガンは2年でダメになる”
村のオルガン奏者も驚いた。
“あんな演奏は悪魔かバッハにしかできない”

   ビクターDVD「バッハ物語」よりー岩手県立図書館蔵ー

  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆

 ここからは個人的なことになるが、今朝7時に電話があり、亡き母の弟が昨夜11時半ごろに亡くなったという知らせがあった。この叔父夫婦には、子供時代、学生時代と世話になってきている。高校のときには通学途上にあったためによく中継地にしていた。シベリアに抑留されたこともある叔父だ。弟が迎えに来てくれた車で駆け付け最期のお別れをした。穏やかな笑みを浮かべていた。苦しまずに逝ったという。いま母が生きていれば91歳だが、この家の玄関にはいるときに母の顔が脳裡に浮かんだ。明日は火葬、明後日が葬儀となっている。

叔父夫婦とは、わたしが嫁いでからは一時期遠くなっていたが、母を介護するようになってから、母が会いたいというので私が連れていきまたお邪魔するようになっていた。母にとってはたったひとりの弟だった。彼の地で再会しているものと信じる。

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樹木と建物

 きょう一日ネットが繋がらなかった。やはり大雪の日に半日ばかり繋がらないときがあったがいつのまにか復活した。きょうは夕方に元のほうの電源を単純に切ってまた入れただけで復活。しかしこの繋がらないあいだが不安だった。料理から地図から音楽からちょっと知りたいと思う事項、天気、ゴミ収集日、ニュース、図書館の蔵書の検索までがいつの間にかネットに依存。もし復旧しない場合にはどうなるか。らくな方らくな方と選んできたツケがどんとくるだろう。

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 実は書きながらすこし不安だった。というのは写真をアップしたものの、カーソルがうまく思った位置についてくれない。ズームを使ってからだ。それでなかなか本題とならない。

 樹木。そう、きょう書きたいことはPCのことではなくこの樹木と建物のこと。
 カメラを持って街の風景を見てあるくうちに、建物が樹木の高さを越えるのは不自然なことではないかと思った。この辺りでは樹高30メートルであれば高い木のうちかと思う。そうなればビルも30メートル以上にすべきではない。これには建築上の法規などの理屈はまったくない。世界でもっとも高い木は米西部カリフォルニア州北部の山林で発見された115.5メートルのセコイアだという。とすれば世界一高いビルの高さは115メートル以内が理想ではないかと思う。
 樹木の恩恵というものを考えるときに、人間は樹木よりもすこし低いめの位置に居を構えるべきではないかと思った。足元には草や花や畑の野菜。そして頭上には栗や団栗や橡や通草。木は林檎や葡萄、梨、桃のような果実は人がもぎ取ることのできる位置に実を生らせてくれる。バナナもどうにか穫ることができる高さだ。セコイアがどうして115メートルもあるのかは知らないがこれも生物を覆い護ろうという慈愛に溢れているように思う。
 人は樹木の恩恵を、自然の恩恵を謙虚に承けるべく、ともに存在をみとめあって存在するためにやたらに高層建築物を建てるべきではないとそんな気がした。
 世界一高いビルは「ブルジュ・ドバイ」819メートル。世界で二番目の「台北101」より310メートル高いらしい。次は1000メートルに挑戦となるのだろうか。
 わたしもまえは高いビルが好きだった。高いところは見晴らしも良く気分がいい。高層ビルの灯りは誇らしく文明を聳えさせる。しかしきのうカメラ散歩をしながら、わたしはたとえ経済性、利便性に優れ、建築家を満足させ、企業の権力の誇示を満足させ、技術力に驚嘆させ、人々に親しまれ好まれるとしても、樹木よりも高いビルを建てるべきではない、そう思った。

 

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デジカメ散歩 -盛岡市中ノ橋界隈ー

 去年からの大雪で機動力までが圧雪の支配下にある心地がしていたが、きょうは初めて自転車で眼の“メンテナンス”ついでに中ノ橋界隈にカメラを向けてみた。青空に心が解放される。歩く人々、中津川の白鳥、河川工事のクレーン車、鳩、樹木に向かいシャッターを押したはずが、アップはこの2枚だけ。

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 この写真も決して完成度が高いとはいえない。というよりも完成度低いんじゃない? とは内なる声。どうもこの先も未完成をつねに抱えながらのアンダンテとなりそう。

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 だけどね、天のマエストロがね、完全じゃなくたっていいよ、たまに調子っぱずれだっていいんだ、ただこの指揮から眼をはなさずにね、こういってくれている。

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もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。

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人生を生きぬき
すでに天の御国に旅立った方がいらっしゃる。
そこがどのようなところであるか
わたしは見たことがない。
しかし聖書にはこう書いてある。

「また私は、新しい天と新しい地とを見た。以前の天と以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとを出て、天から下って来るのを見た。そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。『見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。』」(ヨハネの黙示録21:1~4)。
わたしはこれを信じる。

【試聴】 主よ御許に近づかん Nearer, my God, to Thee

Nearer, my God, to thee, nearer to thee!
E'en though it be a cross that raiseth me,
still all my song shall be, nearer, my God, to thee.

主よ御許に近づかん
いかなる苦難が待ち受けようとも
汝の為に我が歌を捧げん
主よ御許に近づかん

Nearer, my God, to thee, nearer to thee!

主よ御許に近づかん 主よ御許に近づかん

Though like the wanderer, the sun gone down,
darkness be over me, my rest a stone.
yet in my dreams I'd be nearer, my God to thee

放浪の中 日は暮れゆき
闇の中 石の上で体を休める
ただ夢見るは 主よ御許に近づかん

Nearer, my God, to thee, nearer to thee!

主よ御許に近づかん 主よ御許に近づかん

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きょうのことばー『砕かれた者の幸い』ーその2

 2011220日の礼拝説教を二回に分けて書かせて頂いております。前ページの続きとなっております。 約1時間の説教を短く編集しています。

私(國光牧師のことです)が学生時代に初めて教会に行き、信仰に導かれたときのことですが、さきほどの竿代先生の体験とはまったく違っています。初めて聖書を手にし、初めて讃美歌を歌い、初めて聖書のメッセージを聞いて、「これは私に必要だ、そうだ今だ」と思ってクリスチャンになる決心をしたのでした。そのときどの程度教理に頷き、ライフスタイルを身につけていたかはいうまでもありません。聖書もまだ買っていない。しかし、その時にそのメッセ^ジを取次いでくださった先生はほんとうに命をかけて語っていた。わたしは「そうだ、この先生の語るものを自分は持っていない、そうだ、いまだ、わたしはこれに自分を懸けよう」と一歩踏み出した、それが私が救いの経験をしたときでした。そして信仰生活を送っているうちに、ほんとうに私はあの時を私の悔い改めとして認めていいのだろうかと何回も何回も想ったことでした。竿代照夫先生が「わたしはいままでクリスチャンのように生きてきたけれどもほんとうにクリスチャンではなかった。でもわたしはあの高校生のときにほんとうにクリスチャンになりました」というような経験を私はしているだろうかと恵まれた信仰の体験談を聞けば聞くほどそういう想いが去来したことを告白いたします。

恐らくみなさんも自分がクリスチャンになったときのことを、恵まれた信仰の体験談を聞けば聞くほどはっきりさせたいという思いになったのなら、それはそれで幸いなことです。謂わんとすることは、まだ救われていないのではないかと自身に揺さぶりをかけることではなくして、揺さぶりをされることによって「ああそうだ、そういうことだったんだ」とより一層はっきり分かるようになる。つまりこの揺さぶりをかけられる幾つか幾つかを経験することによってより一層自分の信仰が根付いてくる、確かなものとなることを経験するものだろうと思うのです。

 この34篇をうたったダビデは旧約聖書における代表的な人物です。私たちが模範とすべきこの人物が、一体どういう揺さぶりをかけられて確かなものになっていったか。更にいうならダビデは何回も何回も揺さぶられ、その度に悔い改めて立ち上がる経験をしている。たからこそ私たちに教訓を与える信仰の器となり得ました。

では、このダビデがどういうところで揺さぶられたかを簡単に申します。ダビデはイスラエルの第一代目の王サウルの家来でした。はじめは羊飼の少年でしたが見出されてサウル王に仕えたのです。ところがダビデはやがてサウルの及びも付かない国民的人気の的となります。戦場でサウルの軍隊であるイスラエル軍が、ガテ出身の巨人ゴリアテを前に戦々恐々進退窮まっていたときに、ダビデはたまたま兄に弁当を届けにきていたのでした。見かねたダビデは羊飼の時代に羊を守るために獣たちと戦った石投げ器で、石を放ち見事ゴリアテの眉間に命中させました。そして倒れたゴリアテの剣を奪い、ダビデはゴリアテにとどめを刺しました。それからはもう人気が沸騰しました。こうした圧倒的な人気に、サウルは王位が奪われるのではないかと猜疑心をもつようになり、ついにダビデ殺害を決意します。ところがサウル王の息子ヨナタンはダビデがいかに優れているかを認め、ダビデこそが王位を継ぐべきであると認めていました。ヨナタンとダビデは親友でした。父がダビデを殺そうとしていることを知らせ逃げるように勧めます。国内にダビデの安全な場所はなく、ダビデはゴリアテから奪った剣を身に帯びて、大胆にも敵方のアビメレクの陣に匿われようとします。恐れたのはアビメレクの家来たち。自分たちを苦しめたあの有名なダビデが転がり込んできたのです。敵の敵は味方とはならず、不穏な気配を察したダビデは一転、アビメレクの前で涎を垂らしながら戯言を言い放ちきちがいを演じて見せます。アビメレクは家来に命じてダビデを放り出してしまいました。こうして九死に一生を得たダビデがうたったのがこの詩篇34篇だったのです。

4 私が主を求めると、主は答えてくださった。私をすべての恐怖から救い出してくださった。
6
この悩む者が呼ばわったとき、主は聞かれた。こうして、主はすべての苦しみから彼を救われた。
7
の使いは主を恐れる者の回りに陣を張り、彼らを助け出される。
8
のすばらしさを味わい、これを見つめよ。幸いなことよ。彼に身を避ける者は。
17
彼らが叫ぶと、主は聞いてくださる。そして、彼らをそのすべての苦しみから救い出される。
18
は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、霊の砕かれた者を救われる。

19 正しい者の悩みは多い。しかし、主はそのすべてから彼を救い出される。

 これは紛れもなくダビデ自身が実際に経験したことなのです。7節の「主の使いは」というこの「使い」には英語で「エンジェル」が使われています。8節の言葉の中で、ダビデは王様が自分を亡きものにしようとしているときにアビメレクのところに頼っていった。しかしほんとうに身を避けるべきはアビメレクのところではなく主のところだったのです。「さいわいなことよ。彼に身を避ける者は」であります。17節は実戦の最中でのことなのです。

わたしたちは信仰生活を行っているときに、まさに実戦の現場に放り出されているのです。これは模擬試験ではありません。生きるか死ぬかという現場の中に身を置いたとき、いったい私たちはどういうありかたをするか。そこでは揺さぶられます。そのときです。神様ごめんなさい。わたしは恐れのあまり人に頼ってしまった。そうして心砕かれてほんとうに主の前にお詫びをする。そのとき自分の信仰生活が揺さぶられます。

ほんとうにあなたは神の前に悔い改めの経験を持っているのか、そしてほんとうにあなたは赦されたという経験を持っているのか。

 徹底的に神様に揺さぶられる。それは滅ぼそうとするための揺さぶりではない。主の前にほんとうに扱われるためのものです。ごめんなさい。あなたの前に私は正しい行いをしていませんでした。お許し下さい。心から悔い改めて主の前に出るとき、実は19節にある正しい者とはそのことなのです。決して非の打ち所がない品行方正さなどではない、聖書のいっている正しいものとはそうじゃない。神様の前に自らの正しさをかなぐり捨てて砕かれて神様ごめんなさいと真実にありのままの姿で出て行く者を正しい者、或いは心の貧しい者、というのです。

詩篇51篇があります。これもダビデの詩篇ですが、34編のアビメレクのときとは違う、ダビデの生涯の中でも大きな過ちを犯したときに神様に扱われたことが率直にうたわれています。詩篇5117、ここにダビデは言います。

17 神へのいけにえは、砕かれた霊。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。

素晴らしいことですね。神の前に砕かれる。どういうことでしょうか。17節には「砕かれた霊、砕かれた、悔いた心。」とあります。34編にも18節にあります。心というのは人間の感情、情緒的な面を表わすとすれば、霊というのはそれよりももっと深い心の最深奥部、神と交わるところの自身の本質でしょう。得てして自分を正当化する。現状に直面したときに、あれが悪かった、或いはこういうことがあったから、などと自分を正当化しようとする.そういった思惑などがぜんぶ取り除かれて神様の前に心砕かれて自分の一番深いところが神様に取り扱われて主よ許してくださいと出て行く。「そのときあなた()は決してそれをさげすまれない」そのように記してございます。

クリスチャンとはどういう者をいうのでしょうか。それは主の前にほんとうに心の打ち砕かれた経験を持っている人、主の前にほんとうに扱われ、霊が砕かれる、神様はそのことを私たちにはっきりとさせるために、現実の信仰生活の中で、生きるか死ぬかというまさに現実の中を通させなさるのではないでしょうか。

※文責:中ぶんな


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きょうのことばー『砕かれた者の幸い』ーその1

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 毎週日曜日はインマヌエル盛岡キリスト教会(電話019ー646ー2924)のメッセージをお伝えしています。この教会は國光勝美牧師、ひろ子牧師が牧会しています。
 きょうはメッセージを2回に分けてお届けいたします。

説教題 『砕かれた者の幸い』
聖書引証箇所 詩篇34:1~22

ダビデによる。彼がアビメレクの前で気が違ったかのようにふるまい、彼に追われて去ったとき
1 私はあらゆる時にをほめたたえる。私の口には、いつも、主への賛美がある。
2 私のたましいはを誇る。貧しい者はそれを聞いて喜ぶ。
3 私とともにをほめよ。共に、御名をあがめよう。
4 私がを求めると、主は答えてくださった。私をすべての恐怖から救い出してくださった。
5 彼らが主を仰ぎ見ると、彼らは輝いた。「彼らの顔をはずかしめないでください。」
6 この悩む者が呼ばわったとき、は聞かれた。こうして、主はすべての苦しみから彼を救われた。7 の使いは主を恐れる者の回りに陣を張り、彼らを助け出される。
8 のすばらしさを味わい、これを見つめよ。幸いなことよ。彼に身を避ける者は。
9 を恐れよ。その聖徒たちよ。彼を恐れる者には乏しいことはないからだ。
10 若い獅子も乏しくなって飢える。しかし、を尋ね求める者は、良いものに何一つ欠けることはない。
11 来なさい。子たちよ。私に聞きなさい。を恐れることを教えよう。
12 いのちを喜びとし、しあわせを見ようと、日数の多いのを愛する人は、だれか。
13 あなたの舌に悪口を言わせず、くちびるに欺きを語らせるな。
14 悪を離れ、善を行え。平和を求め、それを追い求めよ。
15 の目は正しい者に向き、その耳は彼らの叫びに傾けられる。
16 の御顔は悪をなす者からそむけられ、彼らの記憶を地から消される。
17 彼らが叫ぶと、は聞いてくださる。そして、彼らをそのすべての苦しみから救い出される。
18 主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、霊の砕かれた者を救われる。
19 正しい者の悩みは多い。しかし、はそのすべてから彼を救い出される。
20 主は、彼の骨をことごとく守り、その一つさえ、砕かれることはない。
21 悪は悪者を殺し、正しい者を憎む者は罪に定められる。
22 はそのしもべのたましいを贖い出される。主に身を避ける者は、だれも罪に定められない。


 きょうは特にこの詩篇34篇18節を中心に御言葉を取次がせていただきたいと導かれております。
 さてクリスチャンと私たちは呼ばれています。ではクリスチャンとはいったいどういう人たちなのでしょうか。他の人たちと何が違うのでしょうか。
 先ずは聖書を受け入れている、或いはキリスト教の教理を頷いて受け入れているものということができるでしょう。一般の世の中の人が神様を礼拝するというときには、鳥居をくぐり拝殿のまえで手をたたき拝礼をする。神社仏閣で鐘を鳴らし香を焚きその前で恭しく手を合わせお参りをする。
しかしこれは明らかに私たちの礼拝とは違っています。私たちはそういったことはしません。偶像といった目に見える像に向かって礼拝を捧げたりはしません。私たちが神様というとき、それは聖書の教えているすべてをお造りになられた神様、或いは三位一体即ち父なる神・子なるキリスト・聖霊という三にしてひとりであられるお方、わたしのほかに神はいない偶像を作ってはならないと仰る神様の聖書の教えに従って神様を礼拝している、その意味でキリスト教の教理を頷いて受け入れている輩がクリスチャンだということができます。
 きょう敢てそのことを語るのは、クリスチャンとはそういうことをする人なのだということが、逆も真であるのか、何々をしないで聖書を頷いているのがクリスチャンであるのかというそのところにきょうはポイントを合わせたいと思っています。そこで心砕かれた者、魂を砕かれた者というところにどうぞ焦点を合わせていただきたいと思います。

 それでは前に戻りまして、ほかの人たちとクリスチャンとの違い、それは別の表現をするとクリスチャンらしいライフスタイルを持っている、これもたしかにクリスチャンと言われる目に見える形かもしれません。何を言わんとするかと言いますと先ず聖書をみんな持っておられると思います。聖書を離れて私たちはクリスチャンであるということは到底言えません。聖書に親しんでいる。これは尊いことです。そしてさらに顕著ならしめているのは何かというと日曜日教会に行くということです。これはわたしたちには当然のライフスタイルなのですが、当然過ぎてしまっていることもありがちです。

 クリスチャンになってから私は日曜日のこの時間教会の礼拝を守らなかった日は一度もありません。それほど健康的にも憐れみのゆえに恵まれて、クリスチャンになった学生時代からいまに至るまで皆出席。ちょっと遅れたことはあります。十数年前、海外にいったとき、日曜日に帰国しました。成田からインマヌエルの東京にある教会に礼拝に間に合おうということで、すぐに渋谷の教会に行きました。すでに礼拝は始まっていたのですが聖日を守ることはできました。その途中の街にはいっぱいに人が溢れショッピングを楽しんでいるのです。いま教会では礼拝を守っている時間でしょうとつい思ってしまう。あの場面はそれほどに強烈に映りました。それほどショックでした。しかし、ああ、この人達から見ると私の方が明らかに例外なんだなとも思いましたが。それは兎も角、クリスチャンにとって日曜日の朝神様の前に礼拝を捧げるというライフスタイルはほんとうに尊いことだなと思うのです。

 それではそういったライフスタイルさえできていればクリスチャンなんでしょうか。違います。聖書を持ち日曜日には教会に行き、教理に頷くことがクリスチャンなのではない。わたしたちが他の方々と生き方が大きく違うのは、この詩篇34:18によれば、心の打ち砕かれた人、霊の打ち砕かれた経験のあるものが主に叫び主に祈り主を土台として歩み続けている、それがクリスチャンなのです。心の砕かれた者、霊の砕かれた者、この経験をはっきりと自分の生涯の中ではっきりと、あるとき、あのとき私はこの経験をしましたというその事柄をどうぞ確認をしていただきたいのです。

 いま申しました事柄をさらに分かりやすい一つの例としてお話をしますと、いまこの教団の責任を持っておられる竿代照夫先生が、ご自分がクリスチャンになったときの体験をある集会で語ってくださいました。
 竿代先生のご両親は船橋教会で信仰生活を模範的に歩んでおられ、先生はその中で教会学校にも励み、長じて青年会など教会活動でも励み、期待され自分もそれに身を当て嵌めた生き方をしておられた。高校生のとき聖別会ーきょうの午後はこの教会でも聖別会がありますがより深い信仰生活を扱うのが聖別会なのですがーがあった。講壇に立ったメッセンジャーが、集会の締めくくりの時にこう語ったという。
「自分がほんとうにクリスチャンになっているといういちばん始めの生まれ変わりの経験、心砕かれる霊が砕かれるという経験をしていなければ、どんなに聖潔のメッセージを聞いたとしても心には届かない。もしこの中に自分がまだクリスチャン経験をしていない人がいるなら、いまその機会をあげますから前に出ていらっしゃい」 
 そのときに竿代照夫先生は出ていきました。
「他の人がどう思おうと関係ない、わたしはそのような環境に育ってクリスチャンであるのが当たり前という生活のなかで学生時代のいまにいたるまでやってきたけれども、聖書のいっているこのほんとうの神様の恵みが自分にはないことが集会に出れば出るほど分かってきて苦しかった。救われて天国に行けるということ、イエス様が十字架に架かり贖いをなし信じれば救われるという教義はもうぜんぶわかっている。わかっているからこそ教会学校で教えもした。しかし私はまだ生まれ変わりの経験を持っていなかった。わたしは正直に前に出ていって神様の前に悔い改めのお祈りをしました。これがわたしがクリスチャンになったときです。」
 先生はこのような尊い体験をお分かちくださいました。
 まさにこれです。わたしたちクリスチャン信仰生活を送っている者達が他の方々と何が違うか。教義に頷いている、ライフスタイルを持っている、たしかにそうでしょう。しかしそれだけではない。いちばんの中核を成しているのは、心が打ち砕かれた経験を持っている人。霊が打ち砕かれた経験を持っている者。            ーつづくー

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(わたしが)知っているようでよくは知らないバッハ

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バッハは教会の礼拝のために急いで作曲をすることが多かった。バッハが総譜を書くとすぐに弟子や家族がパート譜を写した。完成が礼拝日の早朝ということもしばしばだった。

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            ーVictor DVD「バッハ物語」よりー

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ヒルデガルドの歌が響けば

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 根元にはまだ雪が堆くありますが、樹液は脈々として、枝先には磁気力。よしこの空が雲に隔てられていても、あのラピスラズリの歌声が響くならば、潜り行けぬ壁はなく錠の開かぬ扉もない。ヒルデガルドの祈りの歌が響けば。そんな気がする。

  ◆  ◆  ◆ ◆  ◆

 昨夜は雨。沿道の雪の壁は見るからに低くなり、アスファルトは黒い生き物のように現れる。二階の屋根の氷が、大音響をたてて一気に落下しました。さきほどからは風が。何かをはこび去り何かを持ちきたるかのように、窓をかすかに揺らしながら吹いています。もう22時です。

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祈りのうたーヒルデガルト・フォン・ビンゲンー作曲「天空の光」女声アンサンブルタペストリー

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 ここには自分が購入した音盤はほとんどない。しかしこれはどうしても聴いてみたく思い、久方ぶりにネットで注文。15日に届いた。はやく聴きたいと思いつつ今晩になってしまった。

 ヒルデガルト・フォン・ビンゲン(1098ー1179)
「中世を生きる女性たち」(アンドレア・ホプキンズ著/森本英夫監修/原書房)には幻視者・音楽家・科学者と紹介されている。わたしが特に興味を持ったのは音楽。彼女は77曲もの宗教音楽を作曲している。この宗教音楽集は『シンフォニア』として知られているようだ。以下はその抜粋です。

 「彼女はいくつかの特徴あるイメージー夜明けと日の出、生命を与える陽の光、澄んだ水の流れ、生命を吹き込むしずく、芽吹いたばかりの新緑、開きかけた花のつぼみ、水晶ときらめく宝石、甘い香り、神の翼にのり飛翔するようすなどを繰り返し使っている。…これらの楽曲はグレゴリオ聖歌より自由で創意工夫にとんでいる。…できうるかぎりの美しい音楽で神を讃美しようと情熱に燃えて、変奏可能な箇所を捉えて、そこに『ネウマ』と『メリスマ』という手法を劇的につかった。『ネウマ』は一つの単語を、連続して上昇下降する複数の音調にあわせて歌う手法であり、『メリスマ』は一つの音節を連続する多くの音階にかけて引き伸ばす手法だった。」
 

 無心に神に語りかける魂に出会えたと出だしを聴いて思った。この楽曲にこもった祈りがまもなく自分自身の祈りとなる。神を求めとどくことを願い、その想いに癒される。中世を通して神が現代に未来にプレゼントしてくれた聖なる調べだ。

 この一人の女性修道女作曲の音楽の存在を知ったのはaostaさんのブログ「消えがてのうた」でした。こちらにより詳しい解説があります。

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梅村保氏の孫T子さんにお話を聞く

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  きのうの写真です。背景の樹木は不鮮明ですが、狙った池に映った樹木の陰はまずまずです。青い空が映っていれば申し分なかったのですが。

 かねてから梅村保氏の孫であるT子さんを訪問したいと思っていました。きのうは舅がディーサービスの日。そこで主人と一緒にでかけました。農林中金が撤退し社屋が寂しげでしたが、その前を通ってついでにお堀の写真を撮り、それからT子さんのところにお邪魔しました。

 おもに梅村保氏の満州時代をお聴きしました。吉林で、保氏は満鉄厚生会館に夫妻で住み込みで管理をしておられました。ご子息重光さん、功二先生、お嬢さんの郁子さんは満鉄の社宅住まい。敗戦となり次つぎに日本人が殺害されていく状況下で、保氏も警察に連行されたが、中国人の何人かが「この人はいい人だ」と証言したので直ぐに釈放されています。また重光さんは中国人並みに中国語が堪能であったので難を逃れました。内地に引き上げるときには、中国人が保氏に靴と一ヶ月分の食料を届けてくれました。このような例は極めて稀でした。保氏は帰国せずに現地で死ぬ覚悟をしていたのが、セツ夫人の説得で帰国したようです。
 この他にも、考えるうえで理解の助けとなるお話をたくさんお聴きすることができました。T子さんには1時間半もお付き合いいただき感謝いたします。

 舅が帰宅する3時半に間に合って帰宅することができました。久しぶりにすっきりとした気分をも味わったことでした。

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農林中金盛岡支店営業終了

 このビル、看板が外されている。平成23年2月10日までは農林中央金庫盛岡支店の社屋だった。
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 業務は仙台支店に統合になると聞いていたが、看板がはずされているのはきょう午後に通りかかって初めて見た。


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 店舗の前に設けられた花壇にはいつもきれいな花々が植え込まれていたものだ。母が生前、農林中央金庫から花をいただいてきたことがある。ここに口座をもっていたとは聞いていないけれども…。それはともかく。

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 統廃合は全国で17支店。店舗移転は7支店となっている。

 HPには「人々の確かな暮しと食のためにとあり

豊かな自然と、豊かな暮らし。それは農林中央金庫の願いです。
JAバンク・JFマリンバンクの全国機関として
農林水産業をしっかりと支えていくこと。
ひいては日本に暮らすすべてのみなさまに貢献すること。
それが農林中央金庫の使命にほかなりません。
明日の農業を支える担い手の育成や、
自然環境や資源を守るための森林再生事業。
さらには、国内有数の機関投資家として
グローバルな投資活動による安定収益の確保も、
私たちの使命を果たすための重要な活動です。
次の時代の豊かさのために。
農林中央金庫は活動を続けてまいります。

と謳われている。だがいまはなぜか、「国内有数の機関投資家としてグローバルな投資活動による安定収益の確保」という文字ばかりが浮き上がって見える。農業県岩手から、全国の農業の膝元から農林中金が撤退した。


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内田光子さん最優秀インストゥルメンタル・ソリスト演奏賞

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 きょうブログのカウント数がいつもの3倍となり夜中の零時まではまだ若干入るかもしれない。検索ワードのほとんどが「内田光子」。数年前にこのブログに内田さんのDVD「カメラータ・ザルツブルク」の付録のインタヴューを書いたことがあるが、これがクリックされている。はは~ん、内田光子さんに何かが起きている。この波に迎合となるか悪のりとなるか判断がつきかねたが、さっそく検索してみると、
 「音楽界最高峰の授賞式「第53回グラミー賞」の発表が14日(現地時間13日)、ロサンゼルス「ステープルズ・センター」で開催され、クラシックのピアニスト内田光子さん(62)が、アルバム「内田光子/モーツァルト:ピアノ協奏曲第23番・第24番」で最優秀インストゥルメンタル・ソリスト演奏賞を受賞した。」(毎日新聞デジタル)
 これだったのだ。内田さんから発散される芸術的なオーラは実に魅力的だ。それに惹かれて一時期は毎晩彼女のすがたを見ながらその演奏に浸ったものだ。彼女が打ち出してくれる響きにはニンフたちがはたらいている。

 最近になってからベルリン・フィルの台所事情を探るべく、 「ベルフィル・ラウンジ」第26号に訪問したのだが、そのときにベルリン・フィル演奏会批評で内田さんが取上げられているのを知り、ほんとうにここまでと尊敬の念を持ちつつ読んだのだが、
 2010年2月にはラトルの指揮でベートーヴェンのピアノ協奏曲全曲を演奏し、極めて高い評価を得たという。2008/09年シーズンにはベルリン・フィルのピアニスト・イン・レジデンスに就任。各紙は絶賛。手厳しいといわれる『ターゲスシュピーゲル』紙のハンセン氏も手放しで絶賛している。

 「ベートーヴェン&シベリウス・ツィクルスの2日目、観客は3つの偉大な作品を体験した幸福感に満たされながら家路についた。内田光子は、音楽が一瞬の芸 術であることを伝えるたぐい稀な芸術家である。彼女がベートーヴェンの第2&3コンチェルトを弾くと、そこでは指揮者、オーケストラとの霊感に満ちた対話 が聴かれるだけではない。聴衆のひとりひとりが、自分のためだけに弾いてもらったかのような気持ちになるのである。彼女のスタンウェイは、メタリックな華 やかさに陥ることは決してなく、力強く、人間的に、親しみやすく響いた。彼女にとっては、技巧性はまったく重要でなく、むしろ生き生きとした感覚の方が重 要なのである。彼女は音楽を言葉として理解しているが、それは独白ではなく、常に聴き手に向けられている。彼女は語りの名人であり、その調子は決して退屈 になることはない。彼女のフレージングは最後の一音に至るまで活力でみなぎり、音楽は雄弁でありながら、誰にでも分かる明快さを失わない。そしてベルリ ン・フィルは、彼女のウィットに溢れた語りかけに、喜んで応えたのである(2010年2月11日付け『ターゲスシュピーゲル』フレデリク・ハンセン)

 わたしの中では内田さんといえばモーツァルトのピアノ協奏曲という概念が出来上がっている。殊にも私にとっての20番は演奏に取り込まれてしまうほどの説得力である。ところがというか、やはりというべきか、内田さんはベートーヴェン、シベリウスでもこのような評価を受けていたのだ。

 しかしやはり
最優秀インストゥルメンタル・ソリスト演奏賞はモーツァルト:ピアノ協奏曲第23番・第24番だった。あの一見コケティッシュな側面をも持ち、しかしその裏に深い悲しみをやどすモーツァルトも彼処で大いに頷いているのではなかろうか。
 62歳での受賞は後進の励ましともなるものだ。内田さんは「カメラータ・ザルツブルク」の付録のインタヴューの中で、「70歳でバッハを」と語られている。内田さんが10年後、こんどは何を“しでかす”かが楽しみだ。
  

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きょうのことばー『回復の福音』ー

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きょうのインマヌエル盛岡キリスト教会(電話019-646-2924)國光勝美牧師の説教をお届けします。

説教題 『回復の福音』
聖書引証箇所 コロサイ書4:10

10 私といっしょに囚人となっているアリスタルコが、あなたがたによろしくと言っています。バルナバのいとこであるマルコも同じです―この人については、もし彼があなたがたのところに行ったなら、歓迎するようにという指示をあなたがたは受けています。―

 3月の半ばのイムマヌエル第66次年会・聖会を迎えようとしておりますこのときに今に必要な恵をいただきたく、聖書の連続公開からすこし外れまして、唐突なようですがきょうはコロサイ書4章10節をお開き致し、これを足がかりとして、マルコという人物に心を向けてみましょう。
 コロサイ4:10では、
マルコという人物がバルナバのいとこであると言っています。このマルコは、聖書の「マルコの福音書」を書きました。なぜマルコを取上げるのか。それは説教題にあるとおり、マルコは見事に回復した人物だったからです。福音とはまさしくキリストの十字架の贖いによる救いであります。それをもう一歩深く別の表現をするならば、聖書の福音は、回復のメッセージであると言える。なぜなら、アダムとエバは罪を犯したが故に神との関係が絶たれてしまった。その神との関係の回復のためにもイエス・キリストに集約される神の救いが約束され、そして成就していると考えますと、福音とは回復とも同義である。その例証として、マルコという人物を聖書から開いてみましょう。

 使徒の働きの12:12

12 こうとわかったので、ペテロは、マルコと呼ばれているヨハネの母マリヤの家へ行った。そこには大ぜいの人が集まって、祈っていた。
 ここでマルコという人物がヨハネとも呼ばれている。聖書の中にはヨハネ伝を書いたヨハネとかバプテスマのヨハネといった、ヨハネという名前が多く登場しますが、マルコという人物もヨハネ・マルコと呼ぶ場合がございます。マルコがヨハネと呼ばれている。勿論このヨハネは「ヨハネの福音書」の記者であるヨハネとは別人です。バプテスマのヨハネもまったく別人です。ただマルコという人物が、ヨハネとも呼ばれていることを知っておくのはいいでしょう。

 さてマルコの家で大勢の人が集まって祈っていた。ペテロは基督教会における重要な人物ですが、ヘロデ王によって牢屋に入れられ、翌日は処刑されることになっていた。使徒12章6節にあります。

6 ところでヘロデが彼を引き出そうとしていた日の前夜、ペテロは二本の鎖につながれてふたりの兵士の間で寝ており、戸口には番兵たちが牢を監視していた。
 
このペテロのために祈っているのが12章5節
5 こうしてペテロは牢に閉じ込められていた。教会は彼のために熱心に祈り続けていた。」 
 この祈りの場所が実はこのマルコと呼ばれて居る人の家であった、という繋がりがおわかりいただけるとおもいます。ペテロは助かり御使いの導きによって、このマルコの家にやってきました。このことは青年マルコにとって、祈りがこたえられた!! という生涯的な経験だったでしょう。また言い伝えによりますと、イエスさまが最後の晩餐を召し上がった場所もマルコの家でありました。そればかりか、五旬節に120人近くの弟子達が祈っていたとき突然天から舌のごときものが現れてそれぞれの弟子達のうえに止まったというペンテコステののできごとがあったのも、これもまたマルコの家であったと言われています。いかにマルコがイエスさまの御生涯に深く関わっていたかがわかります。

 またいま一つ、こんどはマルコの不名誉と思われるエピソードを「マルコの福音書」から見ていきたいと思います。マルコの福音書14章51、52節です。

51 ある青年が、素はだに亜麻布を一枚まとったままで、イエスについて行ったところ、人々は彼を捕らえようとした。52 すると、彼は亜麻布を脱ぎ捨てて、はだかで逃げた。
 この場面は、イエスさまが、ゲッセマネで祈られた後、ローマの兵隊たちに捕縛され大祭司のもとに連行されるときのできごとです。このようなエピソードがなぜここに記されているのか。このある青年というのは勿論マルコ自身です。マルコ自身のちょっとしただらしなさを、あのとき亜麻布を脱ぎ捨てて逃げたのはわたしなのだとマルコは書いておきたかったのでしょう。これは面白いというか微笑ましいエピソードともいえるかもしれません。

 いよいよこれから回復の福音という謂わば本題に入るのですが、こんどは由々しい出来事をマルコは私たちに残しております。
 バルナバとあのパウロとのあいだに決定的な反目と離別が起きました。原因を作ったのは実はマルコでした。あのすばらしい福音書簡を書いたパウロが? と思われるでしょう。またバルナバは、当時のキリスト教社会からは疎まれていたパウロを認めた人物だったのです。パウロはクリスチャンになる前はクリスチャンを迫害の急先鋒でした。ですから劇的な回心をした後もクリスチャンの仲間には容易には受け入れて貰えなかった。バルナバは非常に心の広い人物であり、このパウロこそキリスト伝道の大器であると、タルソに一時引退を余儀なくされていたパウロを引っ張り出してきて、共に福音のために働こうとした。そんなときマルコの家に行き、とんでもない出来事を生じてしまった。それはどういうことかが使徒の働き15章にあります。先ずその前に理解していただくために使徒の働きの12章の25節を開きます。

25 任務を果たしたバルナバとサウロは、マルコと呼ばれるヨハネを連れて、エルサレムから帰って来た。
 
サウロとはパウロのことです。どこに帰ってきたかというと13章にアンテオケに帰ってきたとあります。アンテオケはパウロにとっては母教会のようになっていてそこを拠点として伝道旅行に出ていく。そのときにバルナバとパウロはマルコを連れて一緒に伝道旅行を始めたわけなんです。13章の2節をご覧ください。
2 彼らが主を礼拝し、断食をしていると、聖霊が、『バルナバとサウロをわたしのために聖別して、わたしが召した任務につかせなさい』と言われた。
 そこでバルナバとパウロは伝道のためにアンテオケから第一次伝道旅行に遣わされていくわけです。13章の13節
13 パウロの一行は、パポスから船出して、パンフリヤのベルガに渡った。ここでヨハネは一行から離れて、エルサレムに帰った。
 伝道旅行の途中でヨハネ、これはマルコのことですが、マルコは一行から離れてエルサレムに帰ってしまった。マルコがここでドロップアウトしてしまった理由ですが、初めは謂わばバルナバがキャプテンでした。サウロはバイスキャプテン。これは納得です。パウロをスカウトして表舞台にひっぱり出したのはバルナバでした。しかし所謂神様が用いてくださる働きにおいては明らかにバルナバよりもパウロの方が、全面に出て色々と働きを進めていった。バルナバの素晴らしいことは、パウロがすばらしい神様の器であることを誰よりも理解していた。神様がパウロを用いるのを心から喜んでいる。ところが、マルコはそうではなjかった。わたしのいとこのバルナバこそ主導権を握って然るべきだ。ところがいつの間にか13章13節を見ると明らかにスタンスがパウロの方に移行してしまっている。マルコは、パウロが主導権を握る旅を拒否して、一人エルサレムに帰ってしまったようです。勿論青年であったマルコには、その他にもこの伝道旅行が辛く厳しい旅であり、いよいよこれから奥地に向かって行くときに怖じけづいて逃げ帰ったのだという見方もできます。ですから先に語ったことだけが原因だったとは言えないでしょう。何れにせよマルコは伝道旅行を離脱してしまった。やがてこの第一次伝道旅行が終わり、14章の26節
26 そこから船でアンテオケに帰った。そこには彼らがいま成し遂げた働きのために、以前神の恵みにゆだねられて送り出された所であった。
 送り出された所、とはアンテオケのことです。

 使徒の働きの15章には、エルサレム会議と呼ばれるキリスト教会の初期に於いては、人はどうすれば救われるか、モーセの掟を守ることなのか、それとも信仰によってなのかという一大教義問題が起りました。これに確たる決着をつけなければ一大事になるということで、これアンテオケではなく、やはり当時は教会の中心はエルサレムでしたので、アンテオケからバルナバとパウロがエルサレムに上って行き会議に参加。そしてパウロたちが主張する、人が掟によって救われるのではなく信仰によって救われるのだというところに衆議一決し危ういところを守られて15章の30節

30 さて、一行は送り出されて、アンテオケに下り、教会の人々を集めて、手紙を手渡した。
 無事にエルサレム会議は終わりました。間違った教えに傾くことなく信仰によって救われるという基本線はしっかりと守ることができました。喜んでくださいといって彼らはアンテオケに帰っていったわけです。そして14章の35節
35 パウロとバルナバはアンテオケにとどまって、ほかの多くの人々とともに、主のみことばを教え、宣べ伝えた。
 そして36節
36 幾日かたって後、パウロはバルナバにこう言った。『先に主のことばを伝えたすべての町々の兄弟たちのところに、またたずねて行って、どうしているか見て来ようではありませんか。』
 第一次伝道旅行で福音を伝えた町の人たちがいったいどうなっているのか、もう一度訪ねようとしたのです。で、37節
37 ところが、バルナバは、マルコとも呼ばれるヨハネもいっしょに連れて行くつもりであった。
 第一次伝道旅行でドロップしたマルコはエルサレムに帰っていきました。エルサレム会議に参加するため、アンテオケからいとこのバルナバとパウロがやってきました。そのときに関係を修復したのでしょう。そしてバルナバとパウロがエルサレム会議を終え、アンテオケに再び帰っていくときに、マルコを連れていった。バルナバには見る目があります。マルコは若気の至りで失敗した、けれども彼にもすばらしいところがある。彼のその素晴らしい恵みを引き出さなければと、ちょうどパウロを引っ張り出したように連れていったのでしょう。
 バルナバはマルコと呼ばれるヨハネも一緒に連れて行きたい、そう提案したのですが、38節にありますが、パウロはがんとして承知しなかった。ダメだ、あんなヤツは絶対連れていけない。パンフリヤで一行から離れしまい仕事のために同行しなかったものは、一緒に連れていくことはできない。そして39節を見ると激しい反目となった。お互い最善を取ろうとした。バルナバの善意は痛いほどよくわかります。パウロの善意というのは人情には流されません。福音というものはほんとうに命を賭けて伝えていくそういう使命を持ったものが果たすべきものであって、誰が誰よりも尊く用いられているなどと妬み心を起こしたり、些細なことで尻尾を巻いて逃げるような者が仕えるものではない、絶対連れていかないとパウロは言ったでしょう。40節を見るとパウロはシラスという若者を選んで第一次伝道旅行のときも行ったわけです。そして方や39節、バルナバはマルコを連れて舟で地中海にあるキプロスに渡って伝道をする。
 この深刻なマルコのエピソードは、先ほどは亜麻布を置いて裸でにげてしまったこととは違います。しかもこのエピソードは大きな大きな意味を持つ。これ以後10年間、マルコは表舞台には登場しません。

 しかし新たに登場してきたときのマルコを見ようじゃありませんか。それは何を隠しましょうコロサイ書4章のところであります。これはパウロがローマの獄中にあったときに獄中書簡としてコロサイの教会にパウロが書き送った手紙です。囚人となっているパウロですから、40章の10節に
10 私といっしょに囚人となっているアリスタルコが、あなたがたによろしくと言っています。バルナバのいとこであるマルコも同じです―この人については、もし彼があなたがたのところに行ったなら、歓迎するようにという指示をあなたがたは受けています。―
 コロサイの人たち、もしマルコがそちらに行ったら宜しくね、とパウロはこう念を押すように言っています。このときのマルコは囚人となっているパウロの近くにあってパウロに仕えているのです。それからみなさん、パウロがこの世を去る、つまり殉教する最期に書いた手紙が「テモテの第二の手紙」であることをご存じでしょう。パウロの遺書でもあるこの4章9節から。
9 あなたは、何とかして、早く私のところに来てください。10 デマスは今の世を愛し、私を捨ててテサロニケに行ってしまい、また、クレスケンスはガラテヤに、テトスはダルマテヤに行ったからです。11 ルカだけは私とともにおります。マルコを伴って、いっしょに来てください。彼は私の務めのために役に立つからです。
 パウロの気持の中にマルコがどのように位置づけられていたかが分かりますでしょう。どうかマルコを伴ってテモテに一緒に来てくれ。彼はわたしの務めのために役立つから。
 このマルコの変貌がどの辺りにあったのか、非常に心引かれるところです。そして励まされるところです。なぜなら、変貌を遂げたマルコが登場してくるまでの10年間は、彼は自分の失敗、バルナバとパウロがあのような関係になってしまったことを思い巡らし、なぜわたしはあのときに帰ってしまったのだろうか。恐らく彼は徹底的に砕かれたでしょう。バルナバよりパウロのほうが神様に用いられているのを見てわたしはバルナバが軽んじられるように思われ面白くなかった。神様の前に何と人間的な思いを持ってしまったのだろうか。
 このとき失敗して彼が信仰からドロップアウとしようと思えばその危険性というのはいくらでもあったと思います。失敗というのはそういうものです。失敗したときに、ああ、自分のようなものはもうダメだ、といって離れてしまうという危険性はいくらでもあります。しかし、マルコのすばらしいところは、自分の大きな失敗をしっかりと受けとめて、彼は神様の前に真実に扱われたのです。徹底的に扱われたからこそ10年経ったとき、パウロはマルコを彼はわたしのために有益だと言い、どうかマルコを連れて一緒に来てくれと言ったのです。

 マルコの最大の貢献は、「マルコの福音書」を私たちに残してくれたことです。もしマルコがあの失敗のために、ああ、もう自分のようなものは神様の前に何の役にも立たない者だと自暴自棄になり信仰から外れてしまったならば、私たちが手にしているマルコの福音書はなかった。しかしマルコは回復してこの福音書を書いたのでした。

 マルコはイエスさまの筆頭弟子であるペテロによって信仰に導かれたと言われています。第一ペテロの5章13節でペテロがこう言っています。
13 バビロンにいる、あなたがたとともに選ばれた婦人がよろしくと言っています。また私の子マルコもよろしくと言っています。
 このペテロの表現から学者達は、マルコがペテロによって信仰に導かれたと説いています。これは容易に想像できます。

 最期の晩餐の時の場所がマルコの家であったこと、ペテロがイエスさまを裏切ったときに鶏が鳴き、そのときに裸のせいで…などと、さまざまマルコの実体験を思いますが、何よりもマルコはイエスさまの近くいたペテロからイエス様の一生というものをようく聞いていた。そしてマルコは自分自身の使命としてペテロから聞いたイエスさまの伝記をいちばん初めにまとめた。おそらくマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネとありますけれども、この「マルコの福音書」が一番早くまとめられたといわれている。それにはこういう背景があったのです。あのマルコがまとめてくれたのです。

 なぜきょうわたしがこのようなことを言うのか、それは私たちと同じような弱さを持った、失敗もある、その者がほんとうに神様の前に悔い改めて、そして扱われていくのならば、その人でなければならない素晴らしい神様の働きを担うことができるということです。それが福音なのです。回復の福音なのです。

※若干割愛編集してございます。文責:中ぶんな

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映画「酔っぱらった馬の時間」 

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 岩手県立図書館から借りたDVDだが、「酔っぱらった馬の時間」を視聴した。
監督はバフマン=ゴバディ。2000年イラン製作。

 国を持たないクルド人が生きていくことの苛酷さが描かれている。クルド人は中東の先住民族。クルディスタンが舞台だ。常に時の勢力に虐げられ利用されては裏切られてきた民族だ。

  地雷で父親を亡くした5人の子ども達が主人公。12歳のアヨブが自分が家長である自覚と兄弟愛から皆を養い、いかに辛くとも、すでに15歳でありながら四肢 が伸びないという難病を背負ったマディをも決して見捨てることをしない。マディの僅かな寿命をのばすためには手術費が必要だった。マディの叔父はマディが 知らないうちに姉のロジーンを嫁がせることを決める。それには嫁ぎ先が病気のマディを引き受け手術を受けさせるという条件も入っていた。アヨブの涙の慟哭 の反対は叔父に退けられる。山岳地帯、深い雪の中をマディとともにラバに揺られ嫁ぎ行くロージン。しかし迎えに来た嫁ぎ先の者達は、マディを余計者とし引 き受けを拒否。ラバを一頭くれてやるからマディは連れて帰れと迫る。それを寒さに震えながら聴いているマディ。アヨブはラバを引きマディを連れて家に引き 返す。何としてでもマディに手術を受けさせたい。その費用を稼ぎたい一心で、アヨブはイラクへの密輸業者のキャラバンにイラクに連れていってくれるよう頼み込 む。ラバをイラクで売り、手術費を捻出するためだ。アヨブはラバに酒を飲ませ酔わせ大型車輌用のタイヤを左右に背負わせて苛酷な山岳地帯を追い立てるキャ ラバンに加わる。だがついに国境警備隊の銃砲に負われ、キャラバンはラバを引きずり打ち叩き歩かせようとするが酔っぱらったラバたちに急転直下の危機は いっこうに通じない。括った荷を外して谷へとタイヤを転がしラバを転がし進ませる。アヨブは、マディを背負い限りに助けを求め泣きさけぶが、ばらばらに逃 げ去り遠ざかっていくキャラバン。しだいに弱っていくマディを背中に感じながらアヨブはただひたすら深い雪をこぎながら国境を目指す。
 アヨブはマディに語りかける。「大好きだよマディ、国境はもうすぐだよ」

  「人生は苦労ばかり/子供ですら老いてゆく/険しい山を越え/深い谷を巡る/つらい仕事が僕らを死へ導くよ/人生は苦労ばかり/子供ですら老いてゆく/厳しい毎日が僕らの若さを奪う」(子供達が合唱する現地の唄)

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アイーナ

 身近な景色や建物が写っていると、つい視線が行ってしまう。無意識のうちに生活圏の確認、認証をしている。きのう数ヶ月ぶりに岩手県立図書館のあるアイーナに行ってきた。

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 いつか終日図書館で雑誌や新聞、書籍をきままにめくり、CDを聴きDVD用ボックスにどっかりと居座って映画なぞを見たいと思うのだが。

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弦楽の事始め

 楽器を演奏し楽しんでいる方々がいったいどれぐらいいるのだろうかと、簡単に検索してみたところが、「善福寺手帳」に出ていた。ただし2008年の数字であるようだ。ヴァイオリン人口は10万。チェロは2~5万人、ピアノとギターは数百万人だろうか、と書いておられた。ほんとうに驚く。

 ヴァイオリンを国内で最初に習ったのはどこの誰か。わたしは安藤幸かなと思っていた。しかし塚原康子氏の「宮内省式部職雅楽部」によれば、安藤よりも早く、日本で初めに習ったのは宮内省式部職雅楽部の音楽家たちであった。明治維新の西欧化政策の下、明治12年に海軍軍楽隊雇教師Fエッケルトとバイオリンを使った唱歌教育に定評のあった音楽取調掛雇教師LWメイソンに師事し、日本で最初に弦楽器に取り組んだとある。明治14年に宮中で小編成のアンサンブルを披露したのが演奏活動の一歩となったようだ。その一門である弦楽四重奏団ハイドン・カルテットは大正に2回、昭和に一回盛岡でコンサートをしている。

 日本の弦楽は、1400年(明治の時点では1300)の雅楽の歴史を持つ楽家の血筋によって産声をあげたのだった。 

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くしゃみ

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  どうもそちこちで“桜”開花の報が飛び交っているようなのですが、故郷いわてはきょうもまた雪。せっかく解けた道路が夕方にはまたタイヤ痕を残して白くなっていましたが。もうじき杉花粉が例年より2~6倍飛散するらしい。鼻水、くしゃみで悲惨な春となるのかも。花粉にノックアウトされないように過ごしたいものだ。

 午後からはマタイ受難曲を聴く。この大曲、ほんとうに歌う合唱団がいることに今更驚いている。立っているばかりも体力が要るだろう。座って聴くのが申し訳ないとふと思った。

 


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春よ、こい!

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 午前中の空は明るく真っ青だった。しかし道の両側には、底を分厚く凍らせて雪が壁を成している。春はまだどこかで道草しているらしい。二階の屋根から残っていた雪が緩み勢いよく一階の屋根に恐ろしげな音をたてて落下し、それがそのまま雪に埋もれる皐月を直撃
 そばに大きくふくらんだ木蓮の花芽が、何もなかったかのようにすっくと空を仰いでいる。
 春よこい! 早くこい! やわらかくあたたかな光と風とをつれて、まだ眠たげなこの大地を目ざめさせてくれ。

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「わが恵汝に足れり」

 パソコンのまえでつい居眠りし、はっと目を開けると「わが恵汝に足れり」という言葉が浮かんだ。そしてこの眠さ。けさは4時半に起きてそのままPCに向かっていた。どうも今晩はここでお開きにしたほうが良さそう。

「わが恵汝に足れり」、この聖書の御言葉を繰り返しつつ。

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きょうのことばー『十字架を負うこと』

 きょうは良いお天気でした。きのう花屋さんでは、桃、雪やなぎ、菜の花が春を告げていました。しかし講壇にはきょう献げられたすばらしい薔薇の花束が飾られました。ひろ子牧師のフラワーアレンジメントの素敵な花、玄関にも、母子室にもきれいな花が置かれています。 きょうは楽しい例会で屈託のないみなさんの日常を伺いました。ほんとうにあたたかく和やかです。午後はコイノニヤ。こどもたちは小岩井の雪祭りへ。子ども達の写真を撮りたかったのですが、エネルギー温存のためもうこれだけでも十分とも思われ帰宅しました。

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 さて、きょうのインマヌエル盛岡キリスト教会(國光勝美・ひろ子牧師)で語られたメッセージは。きょうは國光勝美先生のお話です。

説教題 『十字架を負うこと』
聖書引用箇所 マルコ伝15:21

 そこへ、アレキサンデルとルポスとの父で、シモンというクレネ人が、いなかから出て来て通りかかったので、彼らはイエスの十字架を、むりやりに彼に背負わせた。
 先週は十和田教会の方に行っておりましたので、ひろ子先生が講壇を務めました。この年に一度のご奉仕に主の豊かな見護りを覚えました。ここのところ私も慌ただしい中におりましたが、このメッセージ「求めなさい、捜しなさい、たたきなさい」から恵みをいただきましたのは感謝でした。
 教会総会を終えますと、こんどはすぐに教団の年会が控えています。その準備のために上京してきました。年会は3月15日(火)~17日(木)で全体のテーマは「ホーリネスの実践」です。任命式は17日です。お祈りください。

 きょうの聖日は、私としては、総会を超え、盛岡で初めての講壇のご用ということになります。そのときにもう一度主が語りかけてくださったこの詩篇40篇の8節の御言葉に心を向け、「わか神。私はみこころを行うことを喜びとします。あなたのおしえは私の心のうちにあります。」。「我はみこころに従うことを楽しむ。汝の法はわがこころのうちにあり」から神様はクレネのシモンという人物に心を向けさせてくださいました。きょうは引用しましたマルコ15:21をもって「みこころに従うことを楽しむ」に心に留めさせていただきましょう。

 この15章21節を見ますと、イエスさまを罪人とし、イエスさまに無理矢理十字架を背負わせてゴルゴダ(訳してどくろ)の丘への道を歩かせるのですが、その途中におこった出来事が書かれています。当時のしきたりとして、死刑囚は自分が架けられる十字架を自分が背負わされました。辱めを増幅させるために横木を背負わせたのです。このときすでにピラトから有罪判決を受けたイエス様が、ゴルゴダの十字架刑の場所へと引かれていくわけでございます。この十字架の場所が間違いなくこの地点であるというように判っているわけではありません。プロテスタント側、カトリック側とそれぞれの解釈があるようですが、いずれこの辺であるとされ、それほどに距離が違っているわけでもありません。

 イエス様が十字架を背負って歩いた距離を縮小地図で見ますと、およそこの教会がある大館町12ー26の地点から国道46号線の天昌寺交差点までの距離といえます。これで実感を持っていただけたでしょうか。そしてあの過越しの祭に、「十字架につけろ! 十字架につけろ!」と叫んだ人々がぎっしりとこの道を取り囲んでいる様子が想像されます。

 クレネ人シモンのことですが、「シモンというクレネ人が、いなかから出て来て」とあります。いまエジプトやチュニジアで反政府行動が起きていますが、実はこの辺りにクレネがあります。そこが彼の出身地です。この場所がローマであれば別ですが、エルサレムのほうなので、エジプトを地図を想起していただいて、その沿岸のところから彼がどんなコースを利用したのか、たぶん陸沿いにエルサレムの街にやってきたのだろうと思います。そして、このイエスさまの十字架の出来事が、過越しの祭りというユダヤ人にとっては、七週の祭り、仮庵の祭りとともに三大祭りの一つであり、それもその中でメインの過越しの祭りがあり、ここではエルサレムに巡礼しようとする人々で溢れかえっていた。この時代でいう世界とは地中海世界のことをいいますが。たとえユダヤ人たちがさまざまなところに散っていたとしても、過越しの祭にはエルサレムに巡礼する。ですからクレネ人シモンも巡礼者の一人であることはまず間違いないでしょう。

 そこでさらに心に留めたいことは、マルコという人物がこれを記すときにわざわざ個人名でアレキサンデルとルポスとの父で、シモンというクレネ人」という書き方をしている。ということは、読者たちに、あのアレキサンデル、あのルポスの、実は、お父さんはこういうことを経験したんだよ、と話すような響きがありますね。当時、マルコの福音書を読むクリスチャンたちには、良い意味で名が知れ渡っていて、ああ、あの方のお父さん、そうだったんですかと頷いたことでしょう。クレネのシモンがイエスさまの十字架を背負ったことは、その子どもであるアレキサンデル、ルポスさんにとって誇りであり、わたしの実のお父さんは、あのイエスさまの十字架を背負ったんだよ、ときっと感動に胸を震わせながら行く先々で語らずにはおられない。死んで甦ってくださったあのイエスさま、その福音を伝えている私たちだけれども、イエスさまの十字架をわたしの父親は、と繰り返し繰り返し証しをしただろう、こう思うのであります。

 もうすこしここのところを注目していきましょう。僅かこの教会から天昌寺交差点までの距離を、ふつうの男の人ならどんなに重たくとも、十字架の横木を背負って歩けないはずがない。しかしそれが出来ないほどにイエスさまは憔悴しておられた。ゲッセマネの園、不当な裁き等々思いますと、イエスさまこの距離さえも十字架を背負って歩くことが限界だったと理解できます。ローマの兵隊は強制的に使役を提供させる権力を持っていました。代わりに刑場まで十字架を背負う者はいないか沿道の人々を見たときに、これは違っている可能性もあるかもしれませんが、アフリカの、もしかすると黒人の方だったかもしれませんが屈強そうな男が目に入った。それがクレネ人シモンだった。人種に関わらず、まことの神様を礼拝する人々は地中海世界には大勢いたわけですから、クレネ人シモンがエルサレム巡礼に来ていたと考えるのは決して的外れな創造ではないでしょう。きっと目立つ人物だったでしょう。槍なり剣なりローマの兵隊が差し向け命じられたならば、それを拒むことはできなかった。強制力、権威があった。クレネ人シモンはまさかと思いつつ駆りだされることになってしまった。
 人々の好奇の眼差しは十字架を担がせられている姿に注がれる。馬鹿なヤツだといった人々の嘲りもあったに違いないと思います。 

 それとともに皆さん方ヨハネの19章をご覧下さい。同じ場面です。
ヨハネ19:17「
彼らはイエスを受け取った。そして、イエスはご自分で十字架を負って、「どくろの地」という場所(ヘブル語でゴルゴタと言われる)に出て行かれた。」
 ここに「ご自分で十字架を負って」とございます。
マルコ15:21を見ますと、クレネのシモンが無理矢理に背負わせられたと、これははっきりしておりますが、ヨハネの方は、イエスが自分で十字架を運んだと記してございます。興味深いことは、ルカ:23:26にも同じ場面があります。

 
彼らは、イエスを引いて行く途中、いなかから出て来たシモンというクレネ人をつかまえ、この人に十字架を負わせてイエスのうしろから運ばせた。
 わたしはこのところの注解書を読み、今回新たに、ああそうか、と得心したことがありました。イエスさまは十字架を背負って前を行かれた。クレネのシモンはその十字架の一部を一緒に担い、先頭はイエスさまが歩かれた。だからケレネ人シモンはイエスさまと一緒に担いだと注解しております。そうするとたしかに、イエス自身が十字架を背負っていく。また死刑囚はそうしなければならないというそれにも合致するでしょう。しかしもう歩けなくなったときに、クレネ人シモンがその十字架の大部分を背負ったでしょう。体格のいいクレネ人シモンが後ろの方をぐっと持ち上げると前の方は大変になるのではないかと余計な心配をしました。それをどうすれば一番軽減できるだろうか。イエス様が先頭に歩いたと前提して横木を担いだときに、イエスさまにいちばん近い、イエスさまのすぐ後ろにシモンが担ぎ、形だけイエスさまが担ぐということであったのか、何れにせよ、多くの部分は彼が背負ったように思いました。してみると、彼ほどイエス様の心臓の鼓動、呼吸を間近に感じた人はいなかった。また十字架の横木が刑の執行があるたびに新しく準備されるとは限らない。創造ではあるけれども、これまでの何人もの罪人に使われたものでしょう。それを引っ張り出して使われたとすれば、それには死刑囚の血糊がべっとりついている。血糊で汚れた横木をクレネ人シモンは背負った。こんな場面を描くことができたのです。

 この場面から私は短く3つのポイントをお話して締め括りたいと思います。一つは、彼は傍観者から当事者に変ったということです。「誰でもわたしに従いたいと思うなら己を捨て十字架を背負って私に従ってきなさい」と主イエスさまは語られましたが、私たちがイエスさまを信じクリスチャンとして信仰生活を歩むとき、決して傍観者であってはいけない。クレネのシモンの場合にはローマの兵隊が槍を置きましたけれども、神様はわたしたちに、聖霊の促しを与えてくださる。あなたは一緒にイエスさまの十字架を負ってくれないか。聖霊様は私と一緒にこの十字架を担ってくださる。十字架というのはまさに十字架なのです。誰も負いたくない、頼むからこれだけはやめて、止めさせて貰いたい。前の者の血糊がこびりついている、釘の跡が生々しく残っている、それよりも何よりもこれは死刑執行の道具、それを背負っていかねばならない。何でわたしが? どうしてわたしなんですか? しかし逃げられない、逃げてはいけない。十字架というのはそういうものです。ただ頭の中に描かれている十字架ならば、「そうだなあ、負わなくちゃならないなあ」、「どうして負わないんだろうね」などと言える。しかし、あなたが当事者として、といったとき、もの凄く大きな犠牲を或いは恥辱、誤解をもともに私たちは背負わされることがある。

 逃げちゃいけない。クレネ人シモンはどうであったか。イエスさまのいちばん間近に十字架を担いだ。そのときにイエスさまの喘ぐ息づかい、激しく打つ心臓の音も直に聞いたのです。十字架がわかるのはそのときです。頭の中で十字架がわかるんじゃない。ああイエスさまの十字架ってこういうことなのかということを、ほんのすこしかもしれませんけれども、知ることができるのはそういうときなんです。どうしてわたしが背負わなくちゃいけないの? 負わねばならない理由がない。けれどもイエスさまはなぜ十字架を負われたのか。なぜわたしのために負われたのだろう。イエスさまには負わなければならない義務も理由も無かった。ところがそのお方がわたしのために背負ってくださった十字架。それをどうしてわたしは「いいえできません」と言えるのだろう。

 わたしは3つのことと言いましたが、どうやら一つに纏めてしまったようです。それは当事者になるということ、そして二つめは、ほんとうに担うべき十字架というものはまことに辛いものである、避けたいものであること。それが十字架だということです。イエスさまさえ「この杯をわたしから取りのけてください」と仰った十字架です。しかしイエスさまはこうも仰いました。「しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください」。イエス様は喜んで十字架を背負ってくださったのです。

 「わが神。私はみこころを行うことを喜びとします」

 これは十字架を背負った者のみが知ることができる、イエスさまとともに歩く恵み歩む祝福です。十字架を経てでなければ決して味わうことのできないイースターの勝利、それを思うのでございます。どうでしょうか。わたしたち一人一人がクレネのシモンのように、イエスさまのいちばん近くで、イエスさまのすぐ後から、イエスさまと一緒に十字架を背負わせていただこうではありませんか。そのとき、祝福が、アレキサンデル、ルポス家族に及んだのです。もしこのときクレネ人シモンがそれをしなかったのならば彼の家族に祝福は及ばなかったでしょう。しかしシモンが斯く十字架を背負ったが故に、アレキサンデルとルポスとの父という祝福が及んだことを覚えたいと思います。

※若干割愛してあります。文責:中ぶんな

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盛岡幼稚園新築後援音樂演奏會曲目ー期日大正十一年七月十八日(火)ー

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 コピーを取るときに角に綴じ付けられてある紙片を取ることができなかったので、表紙は左隅、見開き面は右隅が欠けています。

 曲目が見えにくいのですが、

           第一部
番外表情遊戯  雛菊、手を打てよ、    幼稚園園児
番外 同     ほたる、アイ・セイ・ユー、 卒業生有志

一、ピアノ獨奏
 (イ)前奏樂 (マグダエル)         ミス・ウォード
 (ロ)螢    (リスト)
二、獨唱                     西淵 嬢
  未定
三、ヴァイオリン獨奏              原 彬 氏
 バレット、シーン(ベリオ作品百番)
四、合唱                     盛岡音楽普及會
 (イ)ひのかはかみ(バーゲン)
 (ロ)郊宴の歌(ズーデルマン)
五、ピアノ獨奏                  長野ちよせ嬢
 組曲(グリーグ)
   プレリード
   サラバンテ
   ガボリト
   エイア
六、獨唱                     西淵 嬢
七、ピアノ獨奏                  ミス・ウォード
 (イ)アメリカ土人哀悼歌(ドボルシャック)
 (ロ)謝肉祭(グリーグ)

          第二部

三曲合奏             有志
 (イ)松竹梅
 (ロ)千鳥

三曲合奏
 (イ)菊水
 (ロ)千鳥

盛岡幼稚園の基を据えたのは長岡輝子さんのお母さんの長岡栄子さんです。原彬は原敬の甥。大正時代の主に教員が中心となって結成された盛岡音楽普及会の会員。大正の弦楽四重奏団太田カルテットの主宰者梅村保(セロ)・下総覚三(後の皖一)(ピアノ)とともに仁王トリオを結成。県庁の学務課に勤務。小学校教員だった藤原嘉藤治を花巻高等女学校に抜擢した。藤原は賢治の音楽の友。

    ◆  ◆  ◆  ◆  ◆

 このページ、更新して気づけば0時30分。ナンタルチア。やはり、やはり、きょうは「お休みです」と書いて早くやすむべきだった。つい時間を忘れていました。世の中にはこれからがわたしたちの時間よ、という方々も多いなかですけれども、何分にも明日、ではなかった、きょうが日曜日であることを思いますと、真っ青なのであります。

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「いわての文芸誌天気図 VOL9」 好評発売中!

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 岩手の各書店でお求めいただけます。売り切れの際には書店にご注文ください。出版社はツーワンライフ(電話019ー698ー2333)です。

  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆

 立春ともなるとさすがに寒さも手加減してくれるようだ。きょうは水道の元栓を止めなくとも済みそう。この冬は「水道は事なきを得た」と書いたこともあったが、その後凍らせてしまい水道屋さんをお願いすることになった。その日の依頼は5、60件に達したらしい。盛岡市全体で、或いは県下で、果たしてこの冬、何件の解凍依頼があったのだろうか。

 敷地内は自家用車の駐車スペース、塀の外に出入りする歩き道以外は雪がまだ堆く積ったままだ。道路から敷地内に投げ込んだ雪もある。除雪は専ら主人だった。春一番とともにどっと疲れがでなければいいが。

 

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月並みなブログなれども更新す-オーケストラの“台所”事情ー

 先ずは載せられる写真は残っていたかなとファイルを開ければ

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 なぜいまごろキノコ? 編集上の意図はなにもありません。手頃な写真をさがしているうちにまだアップしていないことに気づいただけなのです。キノコが盛んに採れるシーズンにはあまり見栄えがしなかったのですが、外が雪や氷柱のいま、ほんとうに面白くみえるところがふしぎです。

   ◆  ◆  ◆  ◆  ◆

 わが家の台所事情をつらつらと考えているうちに、ん? 楽団の台所事情はどうなってるかなと興味の方向が激変。ベルリンフィルを見てみたところ、

ドイツ銀行がパートナー契約を延長(URL
 2002年よりベルリン・フィルのエクスクルシヴ・パートナーを務めるドイツ銀行が、援助契約を2015年まで延長しました。これにより、同社のサポートにより実現したデジタル・コンサートホール、および青少年活動「未来@ベルリン・フィル」の経済的基盤が確保されました。ドイツ銀行総裁のヨーゼフ・アッカーマン氏は、「ドイツ銀行とベルリン・フィルは、“情熱”と“ベスト・パフォーマンス”を目指すという点で、共に一致しています。それゆえパートナーとして、お互いにフィットする間柄なのです」と談話しています。


 これを読んだときの素人である私の勝手な憶測は、銀行がサポートするということは、楽団側にも企業戦略的な企画の要請というのがあるのではないか。そう思ったときに、コンサートマスターに日本人のヴァイオリニスト樫本大進氏の就任や、客演指揮者の一人として佐渡裕氏も決まっていることが過ぎりました。あ、そうか、戦略はアジア。視野にはしっかりと中国が入っている。そう思いました。ベルリンフィルに招かれたことを手放しで喜んでいたのですが、それも戦略の一環という側面がありそうな気が。

 身近なプロオーケストラとして山形交響楽団が気になるところ。山響のサポート陣には、「山形交響楽団友の会」というものがあるらしい。ベルリンフィルにはドイツ銀行。それでは山響にはと検索すると、(株)山形銀行のHPに、「やまぎん」の地域貢献として
山形県の文化活動支援として「山形交響楽団友の会」に参加し、山形交響楽団の育成・支援を行っております。
 と出ていた。
 尤も山響の主なスポンサーは、洋菓子製造のシベールであり、銀行ばかりが力であるとは思っていませんけれども。

 岩手にはプロのオケはないが、一応岩手の名だたる銀行のHPを検索し地域貢献、文化貢献を見てみましたが、…きょうはちょっと疲れたのでもう書きません。

 何と言っても地元のアマチュアの運営に活力があって欲しい。そちこちに生の音楽が流れていて欲しい。そう願っている一人です。

 

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雪だるまつくってるの

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           すずめさんたち

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         雪だるまつくってるの

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        ちょっとひとやすみ

「ブログに載せてもいい?」
「いいわよ」
ひさかたぶりに子どもたちをアップ。
雪だるま、一生懸命つくってね。
大きく大きくつくってね。

たまたまここを通りかかったら
いましたいました
ふしぎなふしぎな時の接点

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人の心はなぜ見えない?

 ときどき脈絡なく浮かんだことばを書いている。「きのうも来るから言った」。たったいま何の脈絡もなく頭を過ぎった。もしかすれば誰かの頭の中の言葉、というよりも心の中の言葉が聞こえているのかもしれないなどと面白く考えてみる。
 「きのうも来る」。そうか、おそらく誰かが昨日来たのだろう、などともしこの言葉をまともに請け合うなら、これはそれこそサタンの思うつぼなのだろう。
 しかしそこで思った。「人の心はなぜ見えない?」それはわからない。ならばもし人の心がすべて見えるとしたならどうだろう。言い繕い、虚偽、偽証はもはや通用しない。仮にそういったことがなかった場合でも、口に出さなければ争いを避けられる程度の怒り、妬み、恨みがあからさまとなったとしたら…
 あたたかい心は見えてもあたたまるだろうが、逆が見えたときには…

 きょうも冷え込んでいる。あたたかいものを飲んでそろそろやすむとしよう。道の氷くだきをしていた方。歯をみてくれた方。スタッフの方。近くのお店の方。そして家族たち、友人知人の方々、殊にもこの者のために祈ってくださっている方々に感謝しつつ2月のスタートです。

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