きょうのことば ー『御心を行うことを喜ぶ』ー 2
※昨日、日曜日の「きょうのことば」 を2回に分けて掲載しています。このページは昨日の続きです。
わたしは以前この詩篇40篇を開いたことがありますが、そのときに特に心に留まった聖書の箇所があります。それは旧約聖書の申命記15章。申命記にはモーセの時代にイスラエルの人々が神様から命じられた規則が書かれてあります。その15章の16、17節。
「16 その者が、あなたとあなたの家族を愛し、あなたのもとにいてしあわせなので、「あなたのところから出て行きたくありません」と言うなら、17 あなたは、きりを取って、彼の耳を戸に刺し通しなさい。彼はいつまでもあなたの奴隷となる。女奴隷にも同じようにしなければならない。」
家に仕えているしもべが、奴隷ではあるけれども心からその家族を愛し、この家の主人の権威の下に仕えることが幸せであり、主人がしもべに自由を与えようとしても、奴隷自らの自由意志でここから出て行きたくないといった場合には、きりを取って彼の耳を戸に刺し通すという行動をしました。それはそのしもべがあなたに従いたい、どうか生涯あなたの奴隷としてくださいという印しでもあったのです。
詩篇40篇に返っていただきたいのですが、この申命記を下敷きのようにして味わいますと、この詩篇がさらに生きてきます。
あなたはわたしの耳を開いてくださった、そうです。わたしはあなたに従いたいのです。あなたの奴隷となり続けたいのです。つまりあなたの権威のもとにわたしは在り続けたいのです。
そして7節
「7 そのとき私は申しました。「今、私はここに来ております。巻き物の書に私のことが書いてあります。」
そして8節
「8 わが神。私はみこころを行うことを喜びとします。あなたのおしえは私の心のうちにあります。」」
この「心のうち」を調べてみますと、内蔵を構成する臓器とも訳されています。ああ、あなたの教えは私の心のうち、わたしの内蔵をも構成している、私を私たらしめている、もうその中にあなたの御言葉が入っている。
権威に従うという言葉がこの年の教会の主題としてテーマとして掲げられるなら強制力のある権威ではない。嫌だけれどもいやいや従うというものでもさらさらない。それどころか私のためにすべてを献げてくださったこの神様のイエス様の贖いの愛というものが解れば解るほど私はあなたにお仕えすることが喜びなのです。生涯あなたのもとに奴隷として在らせてください、と権威に従うことを何よりも喜びとする。そしてあなたの教えは私の心のうちにある。この聖なる自由意志をもって喜びをもって神様に仕えるということが今年の信仰生活の在り方でありましょう。このことを2011年のはじめの聖日に皆様と共に確認させていただいたことです。
※新年よりICレコーダーを用いて説教を興しています。
文責:中ぶんな
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