« 盛岡バッハ・カンタータ、岩手大学合唱団、岩手大附属小・中学校&エッティンガー&東京フィル2010/12/25(土)マリオス | トップページ | きょうのことば ー『御使いとクリスマス』ー2ー教会のクリスマス礼拝は12/19(日)AM10:30 »

きょうのことば ー『御使いとクリスマス』ー1ー

20101210_002_3

            義妹製作リース

 第三アドベントのきょう、インマヌエル盛岡キリスト教会の國光勝美牧師のメッセージをお届けします。
説教 『御使いとくりすます』
聖書引用箇所 マタイ伝1:18~25
18 イエス・キリストの誕生は次のようであった。その母マリアはヨセフの妻と決まっていたが、ふたりがまだいっしょにならないうちに、聖霊によって身重になったことがわかった。
19 夫のヨセフは正しい人であって、彼女をさらし者にはしたくなかったので、内密に去らせようと決めた。
20 彼がこのことを思い巡らしていたとき、主の使いが夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。
21 マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」
22 このすべての出来事は、主の預言者を通して言われた事が成就するためであった。
23 「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を生む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)
24 ヨセフは眠りからさめ、主の使いに命じられたとおりにして、その妻を迎え入れ、
25 そして、子どもが生まれるまで彼女を知ることがなく、その子どもの名をイエスとつけた。
 

 さて来週は世界中のクリスマスですが、きょうはそれを待ち望む第三アドベントの日です。アドベントを迎えてから、イエスさまを囲む人々に思いを巡らせていますが、この朝は、待ち望む人々の範囲を広げて考えてみましょう。
 クリスマスの多くの飾りの中に天使があります。実はこの天使もまた御子を囲むひとつの存在です。いったい天使がどの程度、どんな関わりをもって登場しているか、クリスチャンは知っているようで、既成の概念から抜けだせないところがあるでしょう。この機会にきちんと御使いについて学んでおくのも意味のあることです。

 いま読んだ聖書の箇所で、夢の中で御使いがヨセフに現れています。きわどい決断のときでした。マリアの出産の意味を伝えたのです。大切なメッセージを伝えるメッセンジャーの役目でした。24節では主からの伝言通りにヨセフはマリヤを迎え入れます。
 聖書の中で御使いが登場してくるとき、たとえばアダムとイブがエデンの園で罪をおかし放たれたときに、剣をもってそこを統治する御使いが登場しました。
 また創世記16:7~11にも登場します。

7 の使いは、…彼女を見つけ、8 「サライの女奴隷ハガル。あなたはどこから来て、どこへ行くのか」と尋ねた。…9…の使いは彼女に言った。「あなたの女主人のもとに帰りなさい。そして、彼女のもとで身を低くしなさい。」10 また、の使いは彼女に言った。「あなたの子孫は、わたしが大いにふやすので、数えきれないほどになる。」11 さらに、の使いは彼女に言った。「見よ。あなたはみごもっている。男の子を産もうとしている。その子をイシュマエルと名づけなさい。があなたの苦しみを聞き入れられたから。
 とあるように、女奴隷ハガルがアブラハムの子を身籠もり妻ハガルのいじめにあい逃れたときにも、主の使いがハガルの子イシマエルの誕生に関わって現れています。天の使いは旧約の時代にもしばしば必要に応じてメッセンジャーとして登場しています。
 また創世記22章にも、神がアブラハムの信仰をテストし、一人息子のイサクを献げよと命じられ、アブラハムが正にそれに従わんとしたときにも御使いが現れる。

9 ふたりは神がアブラハムに告げられた場所に着き、アブラハムはその所に祭壇を築いた。そうしてたきぎを並べ、自分の子イサクを縛り、祭壇の上のたきぎの上に置いた。10 アブラハムは手を伸ばし、刀を取って自分の子をほふろうとした。11 そのとき、の使いが天から彼を呼び、「アブラハム。アブラハム」と仰せられた。彼は答えた。「はい。ここにおります。」12 御使いは仰せられた。「あなたの手を、その子に下してはならない。…あなたが神を恐れることがよくわかった。…」13 アブラハムが目を上げて見ると、見よ、角をやぶにひっかけている一頭の雄羊がいた。アブラハムは行って、その雄羊を取り、それを自分の子の代わりに、全焼のいけにえとしてささげた。
 この場面はイエスの十字架の場面と二重に理解を深めることができるでしょう。最愛の神の一人子のイエスさま、一方最愛のモーセの一人子のイサク。イサクのときには、待った! がかかりました。しかしイエスさまのときには手が下されたのです。イエスさまが捕縛されたとき、天の父はすぐにでも12軍団を送って助けることもできたでしょう。しかしイエスさまは、すすんで十字架に架かって死ぬことを貫徹なさいました。この雛形としてもこのようなイサクの場面があります。

 旧約聖書はヘブル語で書かれていますが、ローマが覇権を握ったころに、ギリシャ語に翻訳され紹介されました。これが70人訳聖書です。紀元前3世紀中葉から前1世紀のあいだに翻訳、改訂されました。ラテン語でセプトゥアギンタとも呼ばれます。
 「天使」はギリシャ語のアンゲロス(Ἄγγελος)が語源となり英語でエンジェル(Angel )と訳されるようになりました。旧約聖書の天使はアンゲロスと訳され、新約聖書もアンゲロスが使われています。本来「伝令」「使いの者」という意味で、大切なメッセージを相手に届けるという意味あいです。

 御使いについてさらに広げますと、
聖書によると、神による被造物で自由意志をもって行動できる霊的な存在は、この宇宙には二つあります。霊的といってもオカルトとはまったく質を異にするものです。「神は霊なる方」ですが、この霊と交わり、共鳴することができる存在はこの宇宙には2つある。その一つは人間です。人間は霊的な存在であるからこそ神抜きには存在し得ません。そしてもう一つは御使い、天使と呼ばれる存在です。天使は神によって造られた被造物であり神ではありません。天使を礼拝することは偶像礼拝です。このことをしっかり心に留めるべきです。
 聖書の中には、アブラハムに現れた神と同じ扱いを受け、礼拝を受けている御使いの存在があります。この御使いはソドムとゴモラが滅ぼされるときにも現れていますが、これは誕生前のイエスさまです。うっかりすると、イエスさまは2000年前に厩にお生まれになったときに初めて現れたとの理解を持ちやすいのですが、正確にはイエスさまは神ご自身なので世の始めから存在していました。地上に生まれる遙か昔に、燃える柴の中からモーセに「わたしはある」と語ってくださった第二位格であるイエスさま、このイエスさまが、アブラハムがイサクに刀を振り下ろそうとしたときに待ったをかけてくださった。人間が必要としているときに御使いとしてイエスさまが登場してくださっていたのです。
 ギデオンにも現れ励まし勝利を与え、サムエルが生まれるときにも現れている。このように、神ご自身が御使いとして現れてくださることがあります。

 神の第二位格のイエスさまが人としておいでくださった出来事、これがクリスマスの大切な意味です。第二位格の方イエスさまがコンタクトを取ることもありますし、またクリスマスに現れた被造物なる天使がメッセンジャーとしてコンタクトを取ることもあります。

 それでは、被造物としての天使、メッセンジャーなる御使いは、いつから存在したのか。神が人間を造られたときよりも前か後か
 創世記1章をみると、神は森羅万象を造られたあと自分のかたちに似せて人を造られました。天使を造られたとは書いてはいません。実は神が人間を造られた以前に既に存在しました。アダムとエバがエデンで蛇に欺かれました。蛇という存在を通して語りかけ人間を欺こうとする霊的な存在が既にそこには存在していた。天使は人間が造られる以前に存在していたのです。

 本来御使いの最大の使命は神をほめたたえることです。被造物としての最大のわざが、専ら神をほめたたえることでなくて何でしょう。
 礼拝のプログラムには頌栄があります。神をほめたたえるための賛美歌です。被造物が被造物なるがゆえに神をほめたたえるのが頌栄です。礼拝は頌栄で始まり頌栄で締め括られます。
 神をほめたたえるべき御使いが、自分がその讃美を受ける側に立ちたいと思い、自由意志をもってスイッチを切り替えたときに、御使いは堕落したのです。ここに悪の起源を見ます。神の側に被造物が立つ、立ちたいと思うとき、傲慢や高慢となってしまいます。それが天使の堕落であり、天使が堕落したのがサタンです。その頭にあたるものがサタンの配下にあるものとして悪霊や悪鬼があります。たとえば旧約聖書のイザヤ書14:12以下にこうあります。

12 暁の子、明けの明星よ。どうしてあなたは天から落ちたのか。国々を打ち破った者よ。どうしてあなたは地に切り倒されたのか。13 あなたは心の中で言った。『私は天に上ろう。神の星々のはるか上に私の王座を上げ、北の果てにある会合の山にすわろう。14 密雲の頂に上り、いと高き方のようになろう。』15 しかし、あなたはよみに落とされ、穴の底に落とされる。
 ここに悪の起源があります。この13、14節にある高慢、傲慢さ。神の位置に自らを置こうとする有り様は、十字架の姿とは対極にあります。イエスさまは神と等しくあることをかたく保たんとは思わず、これを虚しくして人と同じくなり、十字架の死に至るまでもご自分を卑しくしてくださった。私たちが救われるのは、このイエスさまのお陰なのです。これは天使が堕落した悪の始まりの裏返しであるといえましょう。
 イエスさまが如何に自分を空しくして飼い葉桶に生まれてくださったか。イザヤ書にあるこの堕落を無にしてくださろうと神が十字架につくために地上に来てくださった、これがクリスマスの出来事です。
 御使いはルカ伝1、2章のイエスさまの御降誕に現れ、クリスマスに限らずイエスさまが荒野の試練でサタンに悉く勝利したときにもやってきて主に仕えました。あのとき御使いたちはどんなに固唾を呑んでこの白兵戦を見ていたか。主がどのようにサタンに答えるか、御使いの最大の関心はここにあった。
 イエスさまは十字架につけられたときも、悪者のためにどうしてイエスさまがそこまでしなければならないのかと思うほどに、お前たちはこれほどまでしてもまだ解らないのかと十字架の苦しみを受け入れられた。御使いたちは、ゲッセマネ、十字架、復活と大きな関心を持っていた。自分たちの仲間が堕落して、その多くの者たちがその支配下になった。神の喜びの対象であったはずのものを上手く騙して罪の世界に連れ込んだ。三位一体のお方の思いとして、これを何とかしなければならないと御子をお下しになったのです。
 御使いが堕落したときには、なぜ神はそこまでなさらなかったか。ある意味で御使いたちには聖なる羨みや妬みがあったでしょう。最愛の一人子の代償は罪にある人間の救いだからこそ御使いは最大の救いの御業のときに多くの現れを私たちにしているのではないか、しかも喜びに溢れて。
 ガブリエルと多くの御使いたちが

9 すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。10 御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。11 きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。12 あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。
 と大々的に告知する意味がわかるように思います。

                           明日に続く

 

|

« 盛岡バッハ・カンタータ、岩手大学合唱団、岩手大附属小・中学校&エッティンガー&東京フィル2010/12/25(土)マリオス | トップページ | きょうのことば ー『御使いとクリスマス』ー2ー教会のクリスマス礼拝は12/19(日)AM10:30 »

教会」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: きょうのことば ー『御使いとクリスマス』ー1ー:

« 盛岡バッハ・カンタータ、岩手大学合唱団、岩手大附属小・中学校&エッティンガー&東京フィル2010/12/25(土)マリオス | トップページ | きょうのことば ー『御使いとクリスマス』ー2ー教会のクリスマス礼拝は12/19(日)AM10:30 »