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きょうのことば ー『時を支配される神』

 きょうは召天者記念礼拝でした。亡くなられた方々を偲ぶ日です。講壇の横には遺影が掲げられました。お一人お一人について、信仰を持たれた経緯、どのような人生の戦いを潜られたか、社会的なご活躍などの紹介がありました。
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 つづくきょうの牧者のメッセージ、このブログではインマヌエル盛岡キリスト教会国光勝美先生の説教をできるだけそのまま掲載しています。或いは聞き落としがあるかもしれませんがご容赦ください。

説教題 『時を支配される神』ー召天者記念礼拝ー
聖書朗読 伝道者の書3:11

11 神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。

 この伝道の書3:11の「人の心に永遠を与えられた」は、「人の心に永遠をおもうおもいを与えられた」とも訳されています。
 愛するものを天に送る、これは別れ別れになることです。喪失の悲しみやつらさはそれを経験したものにでなければわかりません。誰もこの気持をわかってはくれない、わかろう筈がないというほどのものです。よく私たちは善意で「天国に入ったんだから」と気安くいうことがあります。しかし喪った本人にしてみると、それではとても喪失感を埋められないでしょう。
 「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」とありますが、たしかに自分の心の落ち着き先、落としどころとしてこの御言葉をとらえるのですが、ほんとうにこれが時にかなって美しいと思えるかというと払拭しきれない思いがある。この御言葉を納得はします。しかしぴたりと当てはまってはこない。ならばアーメン、その通りですと頷くにはどういったプロセスを必要とするのでしょう。
 これには二つのプロセスがあります。
一つは、
 私の喪失感、私の悲しみをほんとうに理解して下さるのはイエスさまだということ。誰にも分かる筈のない喪失感、苦しみをほんとうに理解してくださる方が居られるということです。そのお方が、私たちと同じ人となられて、私たちの人生の悲哀をつぶさに味わってくださったのです。
 ラザロ、マリヤ、マルタは3人兄妹でした。幼い頃に親を亡くしていますから3人はふつうの兄弟姉妹よりも緊密に結びついていたでしょう。それが突然、ラザロが亡くなりました。残された2人の悲しみはどれほどだったでしょう。そこにイエスがやってこられる。そして「イエスは涙を流された」のです。これは聖書中で一番短い言葉です。これがどれほどに私たちの慰めであることか! 誰もが分かってくれない喪失感を一緒に泣いてくださるお方、これがイエスさまです。兄弟のようになって下さった方、そう、イエスさまは人の悲しみをすべて知っておられるのです。
もう一つは
 ヨハネ11:25にある「私はよみがえりです。命です。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです」とある通り、イエスさまご自身がローマの封印をいとも簡単に破り墓から甦ったことです。そして最も悲しみ、喪失感を味わわれたのは天のお父様でした。天の父なる神こそ最愛の一人子を十字架につけて死なせるために地上にお送り下さったのでした。イエスが十字架上で息絶えたとき、天が闇となりました。人類の救いのために十字架につけられたイエスさまを天の父は見るに堪えなかった。それらのことを思うとき、私たちの悲しみ辛さが、なぜこのときに、なぜこのようなあり方でと思うでしょう。
 なぜこうだったのかわからない。わからないけれども、私たちの神さまは私たちの悲しみに涙を流して十字架の勝利を示してくださる。それを知るときに、そうだ、神のなさることはすべてに適って麗しいのだと落ち着くのは、十字架の命、復活を知っているからではないのでしょうか。3:11の「人の心に永遠をおもうおもいを与えられた」といういま一つの訳、これもいったい人間とは何なのかを教えています。
 聖書の創世記には神は人をご自身の形に似せて造られ、それを男と女に造られたと書いてあります。ご自身の形、フォームに似せて人を造られたといういちばんの大きなエッセンスは、神は霊的な存在そのものであるが、それに似せたものとして人間を造られたところにあります。ですから神を意識して造られたのは人間だけなのです。神に似せて造られた神をおもうおもい、永遠のへの思いを与えられたというのはこのことです。ですから神を抜きにした人間はあり得ない。本当のふるさとは神のもとである。これが神が人に永遠の思いを与えられたということなのです。
 帰るところべきところはここ天なのだ、わたしたちには帰るべきところがある。人間はどの時代、どんな民族であろうと帰るところを求めている。心の深いところで神を求めている。それが人間なのです。そしてわたしたちは、永遠の命を与えるこの方を信じることにより、天に住まいが設けられているのです。


※文責:中ぶんな

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