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きょうのことば ー『聖書によるチェンジ』

 きょうは新しい方々のためにとてもわかりやすいお話がありました。その後では婦人の方々が腕を振るった美味しいお料理をいただきました。

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 さてきょうのインマヌエル盛岡キリスト教会國光勝美牧師のメッセージは

説教題 『聖書によるチェンジ』ー伝道礼拝ー

聖書朗読 ル伝19:1~10

1 それからイエスは、エリコに入って、町をお通りになった。
2 ここには、ザアカイという人がいたが、彼は取税人のかしらで、金持ちであった。
3 彼は、イエスがどんな方か見ようとしたが、背が低かったので、群集のために見ることができなかった。
4 それで、イエスを見るために、前方に走り出て、いちじく桑の木に登った。ちょうどイエスがそこを通り過ぎようとしておられたからである。
5 イエスは、ちょうどそこに来られて、上を見上げて彼に言われた。「ザアカイ。急いで降りてきなさい。きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから。」
6 ザアカイは、急いで降りて来て、そして大喜びでイエスを迎えた。
7 これを見て、みなは、「あの方は罪人のところに行って客となられた」と言ってつぶやいた。
8 ところがザアカイは立って、主に言った。「主よ。ご覧ください。私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します。」
9 イエスは、彼に言われた。「きょう、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。

10 人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」

  きのうの岩手日報朝刊でこの教会のチラシを配らせていただきました。多くの方々の手に渡ったことでしょう。これを機会に教会に通っていただければと願っています。

 きょうはルカという人が書いたルカ伝19章を足がかりとして、イエスさまの救いとは何かを知っていただきたいと思います。

 第44代大統領オバマ氏は予備選挙のときから大統領選挙に至るまで、「チェンジ」をキーワードとしました。「テェンジ・イズ・ゴナ・カム」(チェンジは必ずやってくる)。サム・クックの曲で公民権運動の賛歌の最後の一行が「チェンジ・ハズ・カム(変化がやってきた)」となり、「イエス・ウィ・キャン」(だからわたしたちはできるんだ)という希望、わたしたちは変われるんだという希望がうたわれていたのかもしれません。イエスさまによってもチェンジは来ます。ルカ伝19章に登場するザアカイもそうでした。「チェンジ・ハズ・カム・ザアカイ」。変わりたくても変われなかったザアカイに「チェンジ」がきたのです。

2節に「ザアカイという人がいたが、彼は取税人のかしらで、金持ちであった。」とあります。ここでザーカイの人となりがわかります。彼は世間から嫌われていた取税人だったのです。私服を肥していたでしょう。3節には「背が低かったので、群集のために見ることができなかった。」とあり、彼は4節「イエスを見るために、前方に走り出て、いちじく桑の木に登った」のでした。「聖書の植物」によると、いちじく桑は高さ15メートル、葉冠は20メートル、幹の太さが1~2メートル。枝が多く出るので登りやすいようです。しかも葉が繁っているので隠れるには絶好の木なわけです。イエスさまをこっそり見ようとしたところが、イエスさまの方がすでにザアカイを見出していました。5節、イエスは、ちょうどそこに来られて、上を見上げて彼に言われた。「ザアカイ。急いで降りてきなさい。きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから。」 。こうおっしゃったのでした。ザアカイはみんなが注目しているのも忘れ、6節、急いで降りて来て、そして大喜びでイエスさまを迎えた のです。群衆はイエスは罪人の客になったと文句を言いました。ユダヤはローマの植民地でした。そこで、神に選ばれた民族であるのに心ならずもローマに税金を払わなければなりません。ザアカイはその取り立てをしていたのです。人々ににくまれていました。彼の人生観、価値観は「金」でした。ある校長先生が、卒業のときに生徒全員に、好きな言葉を色紙に書きいてプレゼントしようと、書いて貰いたい言葉を一人一人に聞きました。「努力」 「初志貫徹」 「切磋琢磨」など色々あったようです。ある生徒が困った浮かばないな~と迷っていたので、「君はなにがいいかな?」ときいたところ「一石二鳥」と返ってきたといいます。それはそれとして、ザアカイさんは「金」でした。彼は自分の民族から嫌われていた仕事を自ら選び、その頭となるまで励んだのです。

 私なりにザアカイがどうしてこういう人物になったのか思い巡らしてみました。おそらく彼は劣等感のかたまりではなかったのか。彼は背が低かった。彼の背が低いのは彼の責任ではない。しかし自分の責任ではないのに、そのような体格で生まれて来ることがある。彼は職業からみても立場から来る劣等感が多くあった。その裏返しです。よーし、それならばこれで見返してやろうじゃないか。人が何と言おうとかまうもんか。俺はこれで全うしてやる。徹底的にそんな生き方を貫いている彼に友人などいるはずがありません。そんな価値観で成功していながら、彼は決して満たされてはいなかった。何かありそうなイエスを一目見たい、そんな切なる願いを持っていた。もしイエスに、自分にはない何かがあると気づかなければ、彼は終生自分の思い通りに生きたでしょう。彼は空虚さ打ち消せない虚しさを感じていたからこそ、人気を得ているイエスがどんな人物かを知りたくていちじく桑の木に登りました。彼は木の繁みに隠れて、できるなら誰にも見つからないようにイエスさまを見たかった。そこに5節のようにイエスさまが語りかけました。どうしてザアカイの名を知っていたのか不思議です。

 神は私たち一人一人をよくご存じです。イエスさまは今このとき、私たちをご存じです。それぞれがどんな悲しみにあるのか、人にも、それこそ牧師にもわからない。しかしイエスさまは、いま私がどんな状況にあり、どんなコンプレックスを持っているのかすべてをご存じなのです。群衆の中にいれば群衆の中の一人として見るでしょう。しかしここにおられる一人一人をイエスさまは知っておられる。誰にもわからない? いいえイエスさまは知っておられる。ザアカイは見て見ぬふりをすることもできたでしょう。あっ、ザアカイがあんなところにいる、と言われたくない。けれども彼はみんなが注視している中で急いで木から下りてきたのでした。これは私たちが神の招きを受け入れるという大切な姿を教えています。そうです。みんなの前で下りてゆくんです。そらそらあいつは罪人だよ。そんな人の評価は関係ない。人がどういおうと関係ない。私はイエスさまの招きに応じます。私は生き方を変えます。そしてザアカイは言うのです。「主よ。ご覧ください。私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します。」と。みんなの前で彼は今までの自分の生き方を変えます。この「チェンジ」はどこから来たのでしょうか。彼は心の虚しさを変えようと努力したことがあった。しかしできなかった。しかし大きなチェンジを経験できたのは、6節にあります。

ザアカイは、急いで降りて来て、そして大喜びでイエスを迎えた。

 イエスさまを迎えたときにイエスさまが自分を変えてくださるのです。自分ではできないことをイエスさまがしてくださる。この回心はイエスさまを迎えたときに初めて可能になる「チェンジ」なのです。

 賛美歌集にも何通りか版がありますが私たちが使っている「ひむなる」の90番にジョン・ニュートンの作詞で「いかなるめぐみぞ」があります。「アメージング・グレイス」です。歌詞は違いますが「インマヌエル讃美歌」257番もそうです。この賛美歌はアメリカの第二の国家といわれるほど親しまれています。賛美歌のジョン・ニュートンのところに1779と付されています。ジョン・ニュートンと私たちインマヌエル総合伝道団は、同じメソジスト教会の流れを引いています。メソジストの始まりはジョン・ウェスレーで1703年生まれ。ジョン・ニュートンは1725年、やはり英国に生まれています。ウェスレーとは20歳ぐらいしか違いません。ほぼ同じ時代に英国に生きました。ジョン・ニュートンの母親は熱心なクリスチャンでしたが幼いうちに死にました。父親は舟の交易に携わっていたようです。

 当時の社会には奴隷制度が当然のようにありました。西アフリカで奴隷を積み、英国に連行し、米国に売るという図式でした。奴隷売買で巨万の富を手にしていたのです。ジョン・ニュートンもこれに手を染め抜け出せませんでした。奴隷は動物以下の扱いを受け、米国に着くときに売られるのは病気や怪我で命を落とさなかった人々だったのです。彼が大嵐にあったのは米国から英国に帰る途中でした。もう最期と必死に神に祈り、悔い改めたのです。浸水が止まりました。しかし食料が尽きます。最後の食料を調理してついに終わりだと悔い改めの祈りのうちに嵐が止み、穏やかな風が舟を陸の方へと押し流しました。一ヶ月後に陸に着いてまもなくまた大嵐にあいました。このとき、彼は、神は祈りを聞いてくださる。神はこんなものの祈りを聞いてくださると感謝を献げたその日が1748年5月10日。これが彼の第二の誕生日となりました。それからも彼は6年間奴隷交易を続けていました。それほど奴隷売買がふつうのことだったのです。しかし新しく生まれてからの彼の奴隷への待遇は違いました。そして新生してから6年後に病で舟を下り牧師になりました。そのとき彼が師と仰いだのがホイット・フィールドです。ジョン・ウェスレーとともに大リバイバリストとして働きをしました。ホイット・フィールドは主にアメリカで活躍したリバイバリストです。ホイット・フィールドは英国の奴隷解放の魁けとなったビルバー・ホースにも大きな影響を与えました。

 ザアカイは変わりました。そしてこのジョン・ニュートンもイエス・キリストを迎えたときに変わったのです。ジョン・ニュートンがのこした言葉があります。

「うすれかけた私の記憶の中で確かに覚えていることがあります。一つは私が愚かな罪人であるということ。そしてもう一つはキリストが偉大な救い主であること。」

 そうです。福音が私たちを変えます。聖書が私たちを変えます。

「イエス・ウィ・キャン」

聖書は私たちにそれを可能とします。

※文責:中ぶんな 

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