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きょうのことば ー『聖書による健康診断』ー伝道礼拝ー

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 さてきょうの國光勝美牧師のメッセージ
説教題 『聖書による健康診断』
聖書朗読 第三ヨハネ1:2
(青い字は聖書からの引用です)
2 愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。

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 きょうは先ず、昨日のバザーの報告をいたします。
秋晴れのよい天気に恵まれました。一般の方々が、教会のバザーというものにどれだけ違和感なく入ってくださるか、初めての開催なのでそれが気掛かりでした。この地域に教会の存在を知っていただきたい、またアフリカのテヌウェック病院の支援の一翼を担わせていただきたい目的がありました。
 年度初めから企画準備が為されました。「水を汲みし僕」らが舞台裏で一生懸命水を汲む大切さ。大きな喜びはそこからにありました。
 農家の野菜の提供、ご近所の方々からの供出、教会の方々の手作り品、供出品、仕入れ品等々。イベントの垂れ幕。テヌウェック病院の紹介、テントの設営、販売台やハンガーラック、本棚の設置、玄関先に子どもコーナーを作り動物に形作った風船を並べて吊したり、玄関もイベントに相応しく飾られ、木の苗、花の種、古書、衣類、日用品、台所用品、食器。パン、プリン、餅米なども販売されました。
 一円違わずに会計報告を地域、関係者の方々にしていくつもりです。
 多くの方々に来ていただき、また、アフリカの病院の支援に参画できたという、大きな喜びに満ちあふれたバザーとなりました。

 さてきょうは第三ヨハネの2節です。第三ヨハネの手紙は1章しかありません。
聖書の手紙を書いたのは、主と3年半寝食を共にし働きを共にした使徒達でした。中でもペテロ、ヤコブ、ヨハネは三大使徒と呼ばれています。中でもヨハネは、いちばん最後まで長生きしました。およそ100歳。この使命をよく自覚し、きちんとイエスさまの生涯が伝わるように補筆、加筆の意味合いのある手紙をのこしました。それより先にマタイ、マルコ、ルカがイエス伝を書きのこし、それが既に流布されていました。ヨハネが自分でなければ書けない部分、また違った角度からまとめたのがヨハネの福音書であり、また伝記のほかに何通か必要に迫られて書いた手紙がありますが、第三ヨハネは、その中の1通でガイオという人物に対して書かれています。

 きょうは聖書による健康診断という角度からお話します。
クリスチャンであっても健康的な課題、病気を抱えてdえあるといる方々がいらっしゃいます。星野のさんのように障害を持った方もいらっしゃるでしょう。聖書は基本的に心が健康であると同時に体も健康であることを願っています。ヨハネも健康を願って第三ヨハネを書きました。
 会社の書面に、或いは個人的な手紙でも、「健康でありますように」とごく一般的に締めとして末尾に用いられています。

 勤め人であれば会社などで健康診断があるのでしょうが、私は違いますので、市で行う健康診断を積極的に利用しています。私は酒は飲まないのですが、毎年掛かり付けの医師から必ず「お酒は控えましょうね」と言われます。「私は酒は飲みません」というと、「嘘言っちゃいけません。数字は正直ですからね」、そう言われました。なぜだろう。別な方からの検査で原因は花粉症の薬であるとわかりました。
 花粉症の薬をやめてから医師がいうに「國光さんの場合まだ一つだけありますね。悪玉コルステロールが多い。痩せなさい。週2回はちゃんと歩きなさい」ということです。私は週1度は鞍掛山に登っているのですが、どうも1度では足りないようです。

 さて、聖書でいう健康診断とは何でしょう。
先ず、口、舌。これは診療科目でいうなら耳鼻咽喉科でしょうか。
ヤコブ3:2~5には

2 私たちはみな、多くの点で失敗をするものです。もし、ことばで失敗をしない人がいたら、その人は、からだ全体もりっぱに制御できる完全な人です。
3 馬を御するために、くつわをその口にかけると、馬のからだ全体を引き回すことができます。
4 また、船をみなさい。あのように大きな物が、強い風に押されているときでも、ごく小さなかじによって、かじを取る人の思いどおりの所へ持って行かれるのです。
5 同様に、舌も小さな器官ですが、大きなことを言って誇るのです。ご覧なさい。あのように小さい火があのような大きな森を燃やします。

 ヤコブとはイエスさまの兄弟のヤコブのことです。
皆さんと一緒に聖書の健康診断を受けてみましょうか。ここは差し詰めヤコブ病院3号の外来といったところでしょうか。
 心臓などに比べたなら舌がそれほど重要だとは思われないでしょう。しかし聖書による診断では、もの凄い影響力のあるもののようです。舌は人生の岐路、右左を決定するほどの力を持ちます。1週間を振返ってみましょう。私たちはこの小さな舌から出す言葉によって自分と人とにどういった影響を与えてきたでしょう。「心にも無い」というのは嘘です。心に無いものは出てはきません。心にあるものを出してどれほど人を傷つけたことがあるでしょうか。ナイフで人を傷つけることはありませんが、言葉で人を傷つけることがあります。そして言葉で人を傷つけたという良心の呵責に自分が傷つくのです。
 さてヤコブ病院3号の耳鼻咽喉科の先生の診断は終わりました。

 次は眼科です。
マタイ7:3
~5の診断を受けましょう。
3 また、なぜあなたは、兄弟の目の中のちりに目をつけるが、自分の目の中の梁には気がつかないのですか。
4 兄弟に向かって、『あなたの目のちりを取らせてください』などとどうして言うのですか。見なさい。自分の目には梁があるではありませんか。
5 偽善者よ。まず自分の目から梁を取りのけなさい。そうすれば、はっきり見えて、兄弟の目からも、ちりを取り除くことができます。

 眼科の先生が言います「ちょっと目を見せてください」と。そして「あ~、いけませんね~」というでしょう。
 人の目の中にあるチリを取らせてください、とはすごいことです。人の目の中に入ったチリがそう容易く見えるものではないのです。もし見えたとしたら、すごい視力です。しかし自分の事となると、そう自分にある欠点にはまったく気づかない。自分に接する人の欠点にはよく気がつく。ほんとうにそうだなと自分自身思います。
 さて、人が持っている欠点、即ちチリのことですが、これに気づくというのは、自分自身がそれを持っているから、ピピッと反応してしまうのです。
 愛煙家が最近タバコをやめたとしましょう。もはやタバコは自分には何の誘惑にもならないと自信を持っています。近くにタバコを吸う人がいます。やたら気になる。ここは禁煙だ!と怒ってしまう。あの人のこの点さえ変わってくれたなら、といった思いは、実は自分が持っている弱さの投影なのです。主はそのことを言っておられるのでしょう。なぜ人の目のチリに気付き、自分の目の梁に気づかないのか。よく見えていると思っているが、ほんとうは見えていないのです。

 マタイ7:3~を第一眼科とするなら、次は第二眼科に行ってみましょう。
コリント第二の手紙4:3

3 それでもなお私たちの福音におおいが掛かっているとしたら、それは、滅びる人々の場合に、おおいが掛かっているのです。
4 その場合、この世の神が不信者の思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光にかかわる福音の光を輝かせないようにしているのです。
 「
かかっているおおい」とは、不信仰のことです。このためにキリストの栄光に関わることが見えなくなってしまっている。悪魔が私たちの目におおいをかけて、あたかもこの世がより一層見えるかにするのですが、実は見えているようでキリストの栄光が見えなくしているということがあります。不信仰のレンズがかかっていますね、と言われても仕方ないでしょう。

 こんどは聴力検査に行ってみましょう。
 若者だけに聞こえるモスキートという高周波数のブザー音がありますが、これは20代後半からは加齢とともに聞こえなくなるそうです。
 十数年前、人に勧められて人間ドックに入ったことがあります。聴力には自信がありましたので、「難聴ですね」と言われたときはショックでした。「気にすることはありません。この年代の人が聞こえにくい音が聞こえなくなっただけですから」と聞き、これもまたちょっとショックでした。
 ヨハネ10:2~にはこうあります。

2 しかし、門から入る者は、その羊の牧者です。
3 門番は彼のために開き、羊はその声を聞き分けます。彼は自分の羊をその名で呼んで連れ出します。
4 彼は、自分の羊をみな引き出すと、その先頭に立って行きます。すると羊は、彼の声を知っているので、彼について行きます。
 
世の中には色々な声が溢れています。絶えず呼びかけています。ここに「すべて労する者、重荷を負う者、われにきたれ、われ汝らを休ませんとの神の招きの声があるのに、どこのスーパーでは何が何割引で、どこはどこよりも何が安いといった声のほうにピッと反応するのに、ここに神の招きがあるのに聞分けられない。
 私たちの聴力は、果たして神の言葉を聞分けられる耳でしょうか。

 最後に足のほうの診断に行ってみましょう。
イザヤ40:28
をご覧ください。
28 あなたは知らないのか。聞いていないのか。は永遠の神、地の果てまで創造された方。疲れることなく、たゆむことなく、その英知は測り知れない。
29 疲れた者には力を与え、精力のない者には活気をつける。
30 若者も疲れ、たゆみ、若い男もつまずき倒れる。
31 しかし、を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。

 すばらしいことです。
 どうも近頃疲れやすい、気力が失せている、倦怠感があると感じている方、聖書はいっています。「
主を待ち望むものは新しく力を得」ると。

 ヤコブ書からは口、舌。マタイ伝、第二コリントからは目。ヨハネ伝からは声。イザヤ書からは足をいいました。その表れはさまざまですが、原因は一つです。
 「主を待ち望む者」は「信じる」と同意語です。主を待ち望むならば、「新しく力を得、鷲のように翼を駆って上り、走ってもたゆまず、歩いても疲れない」。手も足もほんとうの意味で健康になることができるのです。
 第三ヨハネには「
すべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります」とあります。
三角形をイメージしてください。頂点を「魂」、左下の角を「心」、右下の角を「体」としましょう。魂は神と交わることのできる霊です。心は感情、喜怒哀楽。体は神に備えられたものでやはり大切です。ヨハネはこれがすこやかであることを祈ると言っています。この三角形の真ん中に神がピタリとおさまるときに、この「魂」「心」「体」の三つがうまく調和していきます。三角形の真中心に神が納まっているなら、私たちの健康はOKなのです。

 ヨハネ第三の手紙2節

 愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。

※聞き落とした部分もあります。文責中ぶんな

 

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