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2010年10月

きょうのことば ー『聖書によるチェンジ』

 きょうは新しい方々のためにとてもわかりやすいお話がありました。その後では婦人の方々が腕を振るった美味しいお料理をいただきました。

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 さてきょうのインマヌエル盛岡キリスト教会國光勝美牧師のメッセージは

説教題 『聖書によるチェンジ』ー伝道礼拝ー

聖書朗読 ル伝19:1~10

1 それからイエスは、エリコに入って、町をお通りになった。
2 ここには、ザアカイという人がいたが、彼は取税人のかしらで、金持ちであった。
3 彼は、イエスがどんな方か見ようとしたが、背が低かったので、群集のために見ることができなかった。
4 それで、イエスを見るために、前方に走り出て、いちじく桑の木に登った。ちょうどイエスがそこを通り過ぎようとしておられたからである。
5 イエスは、ちょうどそこに来られて、上を見上げて彼に言われた。「ザアカイ。急いで降りてきなさい。きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから。」
6 ザアカイは、急いで降りて来て、そして大喜びでイエスを迎えた。
7 これを見て、みなは、「あの方は罪人のところに行って客となられた」と言ってつぶやいた。
8 ところがザアカイは立って、主に言った。「主よ。ご覧ください。私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します。」
9 イエスは、彼に言われた。「きょう、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。

10 人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」

  きのうの岩手日報朝刊でこの教会のチラシを配らせていただきました。多くの方々の手に渡ったことでしょう。これを機会に教会に通っていただければと願っています。

 きょうはルカという人が書いたルカ伝19章を足がかりとして、イエスさまの救いとは何かを知っていただきたいと思います。

 第44代大統領オバマ氏は予備選挙のときから大統領選挙に至るまで、「チェンジ」をキーワードとしました。「テェンジ・イズ・ゴナ・カム」(チェンジは必ずやってくる)。サム・クックの曲で公民権運動の賛歌の最後の一行が「チェンジ・ハズ・カム(変化がやってきた)」となり、「イエス・ウィ・キャン」(だからわたしたちはできるんだ)という希望、わたしたちは変われるんだという希望がうたわれていたのかもしれません。イエスさまによってもチェンジは来ます。ルカ伝19章に登場するザアカイもそうでした。「チェンジ・ハズ・カム・ザアカイ」。変わりたくても変われなかったザアカイに「チェンジ」がきたのです。

2節に「ザアカイという人がいたが、彼は取税人のかしらで、金持ちであった。」とあります。ここでザーカイの人となりがわかります。彼は世間から嫌われていた取税人だったのです。私服を肥していたでしょう。3節には「背が低かったので、群集のために見ることができなかった。」とあり、彼は4節「イエスを見るために、前方に走り出て、いちじく桑の木に登った」のでした。「聖書の植物」によると、いちじく桑は高さ15メートル、葉冠は20メートル、幹の太さが1~2メートル。枝が多く出るので登りやすいようです。しかも葉が繁っているので隠れるには絶好の木なわけです。イエスさまをこっそり見ようとしたところが、イエスさまの方がすでにザアカイを見出していました。5節、イエスは、ちょうどそこに来られて、上を見上げて彼に言われた。「ザアカイ。急いで降りてきなさい。きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから。」 。こうおっしゃったのでした。ザアカイはみんなが注目しているのも忘れ、6節、急いで降りて来て、そして大喜びでイエスさまを迎えた のです。群衆はイエスは罪人の客になったと文句を言いました。ユダヤはローマの植民地でした。そこで、神に選ばれた民族であるのに心ならずもローマに税金を払わなければなりません。ザアカイはその取り立てをしていたのです。人々ににくまれていました。彼の人生観、価値観は「金」でした。ある校長先生が、卒業のときに生徒全員に、好きな言葉を色紙に書きいてプレゼントしようと、書いて貰いたい言葉を一人一人に聞きました。「努力」 「初志貫徹」 「切磋琢磨」など色々あったようです。ある生徒が困った浮かばないな~と迷っていたので、「君はなにがいいかな?」ときいたところ「一石二鳥」と返ってきたといいます。それはそれとして、ザアカイさんは「金」でした。彼は自分の民族から嫌われていた仕事を自ら選び、その頭となるまで励んだのです。

 私なりにザアカイがどうしてこういう人物になったのか思い巡らしてみました。おそらく彼は劣等感のかたまりではなかったのか。彼は背が低かった。彼の背が低いのは彼の責任ではない。しかし自分の責任ではないのに、そのような体格で生まれて来ることがある。彼は職業からみても立場から来る劣等感が多くあった。その裏返しです。よーし、それならばこれで見返してやろうじゃないか。人が何と言おうとかまうもんか。俺はこれで全うしてやる。徹底的にそんな生き方を貫いている彼に友人などいるはずがありません。そんな価値観で成功していながら、彼は決して満たされてはいなかった。何かありそうなイエスを一目見たい、そんな切なる願いを持っていた。もしイエスに、自分にはない何かがあると気づかなければ、彼は終生自分の思い通りに生きたでしょう。彼は空虚さ打ち消せない虚しさを感じていたからこそ、人気を得ているイエスがどんな人物かを知りたくていちじく桑の木に登りました。彼は木の繁みに隠れて、できるなら誰にも見つからないようにイエスさまを見たかった。そこに5節のようにイエスさまが語りかけました。どうしてザアカイの名を知っていたのか不思議です。

 神は私たち一人一人をよくご存じです。イエスさまは今このとき、私たちをご存じです。それぞれがどんな悲しみにあるのか、人にも、それこそ牧師にもわからない。しかしイエスさまは、いま私がどんな状況にあり、どんなコンプレックスを持っているのかすべてをご存じなのです。群衆の中にいれば群衆の中の一人として見るでしょう。しかしここにおられる一人一人をイエスさまは知っておられる。誰にもわからない? いいえイエスさまは知っておられる。ザアカイは見て見ぬふりをすることもできたでしょう。あっ、ザアカイがあんなところにいる、と言われたくない。けれども彼はみんなが注視している中で急いで木から下りてきたのでした。これは私たちが神の招きを受け入れるという大切な姿を教えています。そうです。みんなの前で下りてゆくんです。そらそらあいつは罪人だよ。そんな人の評価は関係ない。人がどういおうと関係ない。私はイエスさまの招きに応じます。私は生き方を変えます。そしてザアカイは言うのです。「主よ。ご覧ください。私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します。」と。みんなの前で彼は今までの自分の生き方を変えます。この「チェンジ」はどこから来たのでしょうか。彼は心の虚しさを変えようと努力したことがあった。しかしできなかった。しかし大きなチェンジを経験できたのは、6節にあります。

ザアカイは、急いで降りて来て、そして大喜びでイエスを迎えた。

 イエスさまを迎えたときにイエスさまが自分を変えてくださるのです。自分ではできないことをイエスさまがしてくださる。この回心はイエスさまを迎えたときに初めて可能になる「チェンジ」なのです。

 賛美歌集にも何通りか版がありますが私たちが使っている「ひむなる」の90番にジョン・ニュートンの作詞で「いかなるめぐみぞ」があります。「アメージング・グレイス」です。歌詞は違いますが「インマヌエル讃美歌」257番もそうです。この賛美歌はアメリカの第二の国家といわれるほど親しまれています。賛美歌のジョン・ニュートンのところに1779と付されています。ジョン・ニュートンと私たちインマヌエル総合伝道団は、同じメソジスト教会の流れを引いています。メソジストの始まりはジョン・ウェスレーで1703年生まれ。ジョン・ニュートンは1725年、やはり英国に生まれています。ウェスレーとは20歳ぐらいしか違いません。ほぼ同じ時代に英国に生きました。ジョン・ニュートンの母親は熱心なクリスチャンでしたが幼いうちに死にました。父親は舟の交易に携わっていたようです。

 当時の社会には奴隷制度が当然のようにありました。西アフリカで奴隷を積み、英国に連行し、米国に売るという図式でした。奴隷売買で巨万の富を手にしていたのです。ジョン・ニュートンもこれに手を染め抜け出せませんでした。奴隷は動物以下の扱いを受け、米国に着くときに売られるのは病気や怪我で命を落とさなかった人々だったのです。彼が大嵐にあったのは米国から英国に帰る途中でした。もう最期と必死に神に祈り、悔い改めたのです。浸水が止まりました。しかし食料が尽きます。最後の食料を調理してついに終わりだと悔い改めの祈りのうちに嵐が止み、穏やかな風が舟を陸の方へと押し流しました。一ヶ月後に陸に着いてまもなくまた大嵐にあいました。このとき、彼は、神は祈りを聞いてくださる。神はこんなものの祈りを聞いてくださると感謝を献げたその日が1748年5月10日。これが彼の第二の誕生日となりました。それからも彼は6年間奴隷交易を続けていました。それほど奴隷売買がふつうのことだったのです。しかし新しく生まれてからの彼の奴隷への待遇は違いました。そして新生してから6年後に病で舟を下り牧師になりました。そのとき彼が師と仰いだのがホイット・フィールドです。ジョン・ウェスレーとともに大リバイバリストとして働きをしました。ホイット・フィールドは主にアメリカで活躍したリバイバリストです。ホイット・フィールドは英国の奴隷解放の魁けとなったビルバー・ホースにも大きな影響を与えました。

 ザアカイは変わりました。そしてこのジョン・ニュートンもイエス・キリストを迎えたときに変わったのです。ジョン・ニュートンがのこした言葉があります。

「うすれかけた私の記憶の中で確かに覚えていることがあります。一つは私が愚かな罪人であるということ。そしてもう一つはキリストが偉大な救い主であること。」

 そうです。福音が私たちを変えます。聖書が私たちを変えます。

「イエス・ウィ・キャン」

聖書は私たちにそれを可能とします。

※文責:中ぶんな 

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インマヌエル盛岡キリスト教会「聖書と讃美の集い」ー2010/10/31(日)AM10:30~12:00

                 気軽にお出かけください。
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                造られたもので
              目的のないものはないという
              価値のないものもないという
              動かない指を見ながら
              今日はそのことを
              思っていた。 ー富弘ー

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松見ヴァイオリン教室40周年記念演奏会ー 2010/10/31(日) 開演1:30PM盛岡市民文化ホール大ホールー

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ほんとうによいお天気でした

 これはまちがいなくきょうの空です。真っ青です。錦に染まりはじめた紅葉が、それでも伸びよう伸びようとしています。

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 柊(ヒイラギ)の花が咲きつづけています。モクセイ科モクセイ属と知り花の付き方に納得。よい香りです。季語は冬。老樹になると葉の棘が少なくなり、しだいにまるくなってしまうそう。なんだかヒトみたい。花期は10~11月。実は翌年の5~6月に熟す。花言葉は「先見の明」「機智」「剛直」。

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次はちょっと見にくいのですが、後方の黄色い草花が母子草。雑草扱いしていたところほんとうにこの庭から絶滅しかけ、再び保護政策をとって見事復活。手前は右が水引。左の花の名前は記憶の底に眠ったままノックしても目を覚ましません。というまに私まで眠くなってきました。しかししかし、きょうはまだもう一仕事が。

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見えないけれどもそこにある

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 きょうはくもりだったかな? と思うほど家に籠もってしまった。
 たとえ出かけなくとも、見上げればこんない広い空、もっともきょうは青空ではなかった。終日くもり。これは9月に撮った写真。そうどこに出かけなくとも、こんなでっかい青空を誰もが持っている。

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 そして遠くの林や森に行かなくとも、身近にはこんな樹木も繁っていてくれる。緑の命、たくさんの命に囲まれている。

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 そして夜になると、誰でもがこんな大宇宙を所有している。星もわがもの、月もわがものだ。

 そして誰もが、こんな曇った日にも晴れた日の写真の一枚ぐらいは持ち出すことができる。
ぶ厚い雲の上にはこんな青空があり、こんな月星がいまこのときにも輝いているのだ。見えなくともちゃんと確かにそこにある。

 

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いやしのことば

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 月下美人を見ているこの人形。おしゃべり人形なのだが。おもちゃ売り場で見かけた方もいらっしゃるはず。身元引受人である亡き母が入院したときから、わたしのところにやってきた。
 この人形にインプットされていることばの温かさ、癒しには人形と分かっていてもつい返事をしたくなる。

 おはよう!きょも元気いっぱい!
 だいじょうぶ?
 行ってらっしゃ~い。おみやげね。
 お帰りお帰り待ってたよ~
 ちょっとさびしい。
 いないの?
 も~みもみもみ、肩もみましょっか~
 疲れてな~い?
 ドン・マ~イ
 疲れたな~
 マフラーちょうだい。
 こどもの日、楽しかったな。
 きょうお誕生日のひと? は~い!
 ぷっ(おならの音)。出た!
 ゆめみたい。
 ゆかた、素敵!
 おやすみ! 寝っちゃお!
 むにゃむにゃ。(ねてるぞ~の声)
 その他、季節ごとに、月ごとに色々な言葉を発してくれる。


 人形ではあるけれど、言葉の効用というものを教えてくれる。
 



 

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雑感ー眠い眠いー

 ねむい、ねむい、ねむい…
きょうは一日中くもっていた。午後になって小雨がぱらつく。
洗濯物を最初から家の中に干す。
朝に地震があったのは昨日だったろうか。そういえば震度がどれぐらいだったかも確かめてはいない。
ずいぶん寒くなった。出窓に置いた寒暖計が9度。11月になるまでストーブを焚かずに過ごしてみよう。
シュウメイギクが2か所で白い花をたくさん咲かせている。
夕方テレビで川柳をやっていた。題は笑い。あっ、おもしろい。で、さっそく一句
「笑ったらゲンコツ二つとんできた」
笑う門福がいくつもやってくる、なぞと詠んではすこしもおもしろくない。この家にいてゲンコツがとんできたことは一度もない。これはホント。ただおもしろくするために、げんこつが2つとんできたことにしてみた。さてオモシロイか、オモシロクナイか、はたまたバカバカしいか、できたてホヤホヤでは大いに笑ったものの、ひとがおもしろいかどうかは分からない。ただ雨の日、曇りの日には、こんな一つの言葉をさまざまにひねくり回して愉快さを作り出す策もある。
 うっかり笑えない世の中。うっかり笑うとどうなるか。自分が可笑しくて自嘲的に大笑いしたところが勘違いされたことがある。笑うにもよく考えてから笑わなくちゃいけないのかな…。さて笑われるときの基本姿勢は…、心ゆくまで笑っていただく? そんなことを考える必要はない。それこそばかばかしい。考えるひつようがないことを考えるのは時間の無駄…かな。あまり考えずに書いたこの一文、大丈夫かな…ちょと心配。

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 きょうはリムスキー=コルサコフの「シェーラザード」を聴いた。朝比奈版があればよかったのだが、ズデネク・マーツァル&チェコフィル版。
 1945年、3月10日には東京大空襲、その3日後には立て続けに2日間大阪大空襲があった。満州の甘粕が、こんなときこそ、と大イベントを構想。哈爾浜交響楽団と新京交響楽団、他に2つの放送管弦楽団を合わせた150人で満州合同管弦楽団とし、各地での演奏を企てた。これに応えて朝比奈が選曲したのが、大木正夫の「蒙古」とベートーヴェンのピアノ協奏曲とリムスキー=コルサコフの「シェーラザード」だった。朝比奈が、当時、シェーラザードを演奏することは、はいまにマーラーを演奏するほどに難しいことだった、という後日談をのこしているらしい。
 シェーラザード、哈爾浜交響楽団のコンサート・マスター、アレクサンダー・ジーガルがヴァイオリンソロだったらしい。この演奏会は全満に強烈な印象をのこしたという。ー「王道楽土の交響楽」(岩野裕一)より
 

 

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造られたもので

            

      造られたもので
      目的のないものはないという
      価値のないものもないという
      動かない指を見ながら
      今日はそのことを
      思っていた。(指 みぞそば)ー富弘

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きょうのことば ー『聖書による健康診断』ー伝道礼拝ー

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 さてきょうの國光勝美牧師のメッセージ
説教題 『聖書による健康診断』
聖書朗読 第三ヨハネ1:2
(青い字は聖書からの引用です)
2 愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。

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 きょうは先ず、昨日のバザーの報告をいたします。
秋晴れのよい天気に恵まれました。一般の方々が、教会のバザーというものにどれだけ違和感なく入ってくださるか、初めての開催なのでそれが気掛かりでした。この地域に教会の存在を知っていただきたい、またアフリカのテヌウェック病院の支援の一翼を担わせていただきたい目的がありました。
 年度初めから企画準備が為されました。「水を汲みし僕」らが舞台裏で一生懸命水を汲む大切さ。大きな喜びはそこからにありました。
 農家の野菜の提供、ご近所の方々からの供出、教会の方々の手作り品、供出品、仕入れ品等々。イベントの垂れ幕。テヌウェック病院の紹介、テントの設営、販売台やハンガーラック、本棚の設置、玄関先に子どもコーナーを作り動物に形作った風船を並べて吊したり、玄関もイベントに相応しく飾られ、木の苗、花の種、古書、衣類、日用品、台所用品、食器。パン、プリン、餅米なども販売されました。
 一円違わずに会計報告を地域、関係者の方々にしていくつもりです。
 多くの方々に来ていただき、また、アフリカの病院の支援に参画できたという、大きな喜びに満ちあふれたバザーとなりました。

 さてきょうは第三ヨハネの2節です。第三ヨハネの手紙は1章しかありません。
聖書の手紙を書いたのは、主と3年半寝食を共にし働きを共にした使徒達でした。中でもペテロ、ヤコブ、ヨハネは三大使徒と呼ばれています。中でもヨハネは、いちばん最後まで長生きしました。およそ100歳。この使命をよく自覚し、きちんとイエスさまの生涯が伝わるように補筆、加筆の意味合いのある手紙をのこしました。それより先にマタイ、マルコ、ルカがイエス伝を書きのこし、それが既に流布されていました。ヨハネが自分でなければ書けない部分、また違った角度からまとめたのがヨハネの福音書であり、また伝記のほかに何通か必要に迫られて書いた手紙がありますが、第三ヨハネは、その中の1通でガイオという人物に対して書かれています。

 きょうは聖書による健康診断という角度からお話します。
クリスチャンであっても健康的な課題、病気を抱えてdえあるといる方々がいらっしゃいます。星野のさんのように障害を持った方もいらっしゃるでしょう。聖書は基本的に心が健康であると同時に体も健康であることを願っています。ヨハネも健康を願って第三ヨハネを書きました。
 会社の書面に、或いは個人的な手紙でも、「健康でありますように」とごく一般的に締めとして末尾に用いられています。

 勤め人であれば会社などで健康診断があるのでしょうが、私は違いますので、市で行う健康診断を積極的に利用しています。私は酒は飲まないのですが、毎年掛かり付けの医師から必ず「お酒は控えましょうね」と言われます。「私は酒は飲みません」というと、「嘘言っちゃいけません。数字は正直ですからね」、そう言われました。なぜだろう。別な方からの検査で原因は花粉症の薬であるとわかりました。
 花粉症の薬をやめてから医師がいうに「國光さんの場合まだ一つだけありますね。悪玉コルステロールが多い。痩せなさい。週2回はちゃんと歩きなさい」ということです。私は週1度は鞍掛山に登っているのですが、どうも1度では足りないようです。

 さて、聖書でいう健康診断とは何でしょう。
先ず、口、舌。これは診療科目でいうなら耳鼻咽喉科でしょうか。
ヤコブ3:2~5には

2 私たちはみな、多くの点で失敗をするものです。もし、ことばで失敗をしない人がいたら、その人は、からだ全体もりっぱに制御できる完全な人です。
3 馬を御するために、くつわをその口にかけると、馬のからだ全体を引き回すことができます。
4 また、船をみなさい。あのように大きな物が、強い風に押されているときでも、ごく小さなかじによって、かじを取る人の思いどおりの所へ持って行かれるのです。
5 同様に、舌も小さな器官ですが、大きなことを言って誇るのです。ご覧なさい。あのように小さい火があのような大きな森を燃やします。

 ヤコブとはイエスさまの兄弟のヤコブのことです。
皆さんと一緒に聖書の健康診断を受けてみましょうか。ここは差し詰めヤコブ病院3号の外来といったところでしょうか。
 心臓などに比べたなら舌がそれほど重要だとは思われないでしょう。しかし聖書による診断では、もの凄い影響力のあるもののようです。舌は人生の岐路、右左を決定するほどの力を持ちます。1週間を振返ってみましょう。私たちはこの小さな舌から出す言葉によって自分と人とにどういった影響を与えてきたでしょう。「心にも無い」というのは嘘です。心に無いものは出てはきません。心にあるものを出してどれほど人を傷つけたことがあるでしょうか。ナイフで人を傷つけることはありませんが、言葉で人を傷つけることがあります。そして言葉で人を傷つけたという良心の呵責に自分が傷つくのです。
 さてヤコブ病院3号の耳鼻咽喉科の先生の診断は終わりました。

 次は眼科です。
マタイ7:3
~5の診断を受けましょう。
3 また、なぜあなたは、兄弟の目の中のちりに目をつけるが、自分の目の中の梁には気がつかないのですか。
4 兄弟に向かって、『あなたの目のちりを取らせてください』などとどうして言うのですか。見なさい。自分の目には梁があるではありませんか。
5 偽善者よ。まず自分の目から梁を取りのけなさい。そうすれば、はっきり見えて、兄弟の目からも、ちりを取り除くことができます。

 眼科の先生が言います「ちょっと目を見せてください」と。そして「あ~、いけませんね~」というでしょう。
 人の目の中にあるチリを取らせてください、とはすごいことです。人の目の中に入ったチリがそう容易く見えるものではないのです。もし見えたとしたら、すごい視力です。しかし自分の事となると、そう自分にある欠点にはまったく気づかない。自分に接する人の欠点にはよく気がつく。ほんとうにそうだなと自分自身思います。
 さて、人が持っている欠点、即ちチリのことですが、これに気づくというのは、自分自身がそれを持っているから、ピピッと反応してしまうのです。
 愛煙家が最近タバコをやめたとしましょう。もはやタバコは自分には何の誘惑にもならないと自信を持っています。近くにタバコを吸う人がいます。やたら気になる。ここは禁煙だ!と怒ってしまう。あの人のこの点さえ変わってくれたなら、といった思いは、実は自分が持っている弱さの投影なのです。主はそのことを言っておられるのでしょう。なぜ人の目のチリに気付き、自分の目の梁に気づかないのか。よく見えていると思っているが、ほんとうは見えていないのです。

 マタイ7:3~を第一眼科とするなら、次は第二眼科に行ってみましょう。
コリント第二の手紙4:3

3 それでもなお私たちの福音におおいが掛かっているとしたら、それは、滅びる人々の場合に、おおいが掛かっているのです。
4 その場合、この世の神が不信者の思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光にかかわる福音の光を輝かせないようにしているのです。
 「
かかっているおおい」とは、不信仰のことです。このためにキリストの栄光に関わることが見えなくなってしまっている。悪魔が私たちの目におおいをかけて、あたかもこの世がより一層見えるかにするのですが、実は見えているようでキリストの栄光が見えなくしているということがあります。不信仰のレンズがかかっていますね、と言われても仕方ないでしょう。

 こんどは聴力検査に行ってみましょう。
 若者だけに聞こえるモスキートという高周波数のブザー音がありますが、これは20代後半からは加齢とともに聞こえなくなるそうです。
 十数年前、人に勧められて人間ドックに入ったことがあります。聴力には自信がありましたので、「難聴ですね」と言われたときはショックでした。「気にすることはありません。この年代の人が聞こえにくい音が聞こえなくなっただけですから」と聞き、これもまたちょっとショックでした。
 ヨハネ10:2~にはこうあります。

2 しかし、門から入る者は、その羊の牧者です。
3 門番は彼のために開き、羊はその声を聞き分けます。彼は自分の羊をその名で呼んで連れ出します。
4 彼は、自分の羊をみな引き出すと、その先頭に立って行きます。すると羊は、彼の声を知っているので、彼について行きます。
 
世の中には色々な声が溢れています。絶えず呼びかけています。ここに「すべて労する者、重荷を負う者、われにきたれ、われ汝らを休ませんとの神の招きの声があるのに、どこのスーパーでは何が何割引で、どこはどこよりも何が安いといった声のほうにピッと反応するのに、ここに神の招きがあるのに聞分けられない。
 私たちの聴力は、果たして神の言葉を聞分けられる耳でしょうか。

 最後に足のほうの診断に行ってみましょう。
イザヤ40:28
をご覧ください。
28 あなたは知らないのか。聞いていないのか。は永遠の神、地の果てまで創造された方。疲れることなく、たゆむことなく、その英知は測り知れない。
29 疲れた者には力を与え、精力のない者には活気をつける。
30 若者も疲れ、たゆみ、若い男もつまずき倒れる。
31 しかし、を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。

 すばらしいことです。
 どうも近頃疲れやすい、気力が失せている、倦怠感があると感じている方、聖書はいっています。「
主を待ち望むものは新しく力を得」ると。

 ヤコブ書からは口、舌。マタイ伝、第二コリントからは目。ヨハネ伝からは声。イザヤ書からは足をいいました。その表れはさまざまですが、原因は一つです。
 「主を待ち望む者」は「信じる」と同意語です。主を待ち望むならば、「新しく力を得、鷲のように翼を駆って上り、走ってもたゆまず、歩いても疲れない」。手も足もほんとうの意味で健康になることができるのです。
 第三ヨハネには「
すべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります」とあります。
三角形をイメージしてください。頂点を「魂」、左下の角を「心」、右下の角を「体」としましょう。魂は神と交わることのできる霊です。心は感情、喜怒哀楽。体は神に備えられたものでやはり大切です。ヨハネはこれがすこやかであることを祈ると言っています。この三角形の真ん中に神がピタリとおさまるときに、この「魂」「心」「体」の三つがうまく調和していきます。三角形の真中心に神が納まっているなら、私たちの健康はOKなのです。

 ヨハネ第三の手紙2節

 愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。

※聞き落とした部分もあります。文責中ぶんな

 

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松見ヴァイオリン教室40周年記念演奏会ー 2010/10/31(日) 開演1:30PM盛岡市民文化ホール大ホールー

  松見ヴァイオリン教室ではお二人の先生方が教えていらっしゃいます。もうご存じとは思いますが、先生方は双子でらっしゃいます。こちらの先生方に実はわたしの姪の双子がヴァイオリンを習っているのです。

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 実は当方も何かとお世話になっている次第です。

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チャリティーバザー ーインマヌエル盛岡キリスト教会 2010/10/23(土)13:00~15:00

 インマヌエル盛岡キリスト教会のチャリティーバザーはいよいよ 10/23(土)午後1~3時!!
地図はこちら

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   ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆

 教会の姉妹方の手作り品もたくさんありま~す。

わたしもポシェットを5個作ってみました。この一つでも、ケニヤの病院の役に立つといいな。

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ハルビン交響楽団をプチっと

 きのう保留に変更した9日の記事を書いて0時前にアップ。やれやれとまたログインしたところが、修正前の記事がまだ下書きとして残っていました。あららら、これは必要ないと、削除してまたブログ表示してみたところ、ジャーン、下書き版と一緒に修正版も消えてしまったのでした。どうしてこうなっちゃうの。「オバカさん」という正にその通りでした。寝ぼけてキーを押し違えたか、読み違えたか、いまだ原因究明にはいたっておりません。
 きょうもまた写真じゃないでしょう、そうはいうものの、きょうという日もあと30分しか残っていないという顛末。言い訳ばかりだな~とも思いつつ…。

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   今月設置されたばかりのベンチが置かれた小さな公園の写真をアップ。

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         木漏れ日もアップ。

   ◆  ◆  ◆  ◆  ◆

 残る時間でハルビン交響楽団をすこし。
ご存じの方もたくさんいらっしゃるでしょうけれど。
満州国が32年に建国された時には、もう白系ロシア人、ユダヤ人たちがハルビンでオーケストラを作り音楽活動をしていた。帝政ロシアが17年の革命でひっくり返り逃れてきた人々だった。演奏レベルは大変高かったらしい。32年時点で、このオケは満鉄の所属となる。満鉄厚生会館にある白系露人倶楽部が練習会場となっていたようだ。その後運営難となり、日本人音楽愛好家が中心となって支持会員を募り組織化する。これが哈爾浜交響管弦楽協会だ。それでも運営が厳しかったものかその経緯は分からないが、ハルビン響はその後、ハルビン特務機関の所属となる。そして様々な恩恵を蒙ることになる。

 満州国協和会(満州で許可されている唯一の政治団体)の中央本部総務部長であり、満州映画協会の理事長であった甘粕は、甘粕機関という民間の特務機関を設立していたが、資金は阿片売買であったとも言われている。内地では大杉栄殺害の当事者でもあった甘粕が、満州国の文化政策を推し進め、朝比奈が44年、常任指揮者と就任した新京交響楽団とハルビン交響楽団の充実に多大な尽力をした。またこの二つの楽団は合同演奏、演奏旅行しているが、満鉄の便宜を図ったりしている。

 プチッと、ですのできょうはこれで終わります。また書きますと言ったとしても、書けない場合もあり得るので、これで終わりであるかも知れず、また書くかも知れませんし、書かないかも知れません。

  
 

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居住地点より半径500メートル

きのう撮った半径500㍍。居住区です。

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町並みは小高い地点から。自宅から撮ったのではありません。

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きょうのことばー『インマヌエル』その2ー

(前ページの続きですので、前のもご覧ください)

 ホーリネスの歩みにも色々な過程がありました。
1930年にはリバイバルが起こり、教会は隆盛にありました。ちょうどそのようなときに、ホーリネスに内部分裂が起きました。発端は、日本ホーリネス教会初代監督中田重治(1870~1939)師の聖書解釈が独特となり、それまでの解釈と食い違ったことでした。
 中田監督は日本民族の使命はイスラエル建国を支援することである、またキリストの再臨とユダヤ民族の回復のための祈りに専念すべきと説きました。そしてこれに従うように書簡を送った聖書学院の五教授(車田秋治次、米田豊、小原十三司、一宮政吉、土屋顕一)と対立してしまったのです。中田監督は車田、小原、一宮、土屋の4師を解任。ついに中田監督解職案が出され、全会一致で解職となったのでした。その後、車田秋次、米田豊、小原十三司、一宮政吉、管野鋭の5人の委員が運営体制を執りました。一方中田師の支持者も半数あったので、日本ホーリネス教会は中田側と委員側とに分裂してしまいました。 
 教会本来の使命はやはり人々に福音をのべ伝える宣教であり、聖潔を説き勧めることにあるのですが、中田師は解釈に大きな偏りを生じてしまったのです。中田の神田キリスト教会の所属をめぐっては教会内の内紛に発展しました。バリケードまで築き、反対派は入れない、出てゆかないと揉める…。これは新聞だねにまでなり、争いは1936年まで続きます。

 いったいこれはどういうことなのか。如何に主義主張があるとはいえ、神の僕がこのようなことはあってはならない。神の名を汚したことを深く悔い改め、私の告げた福音、キリスト教信仰とは何なのだろうと思い巡らしたときに、心の底深くに、「
神われらとともに在す」という御言が落ちました。これだ! と御言が自分のうちに納まったのです。
 御言が納まるときに、インマヌエルと同じでなくともよい、神は同じく実を実らせる木をお育てになる。そのような中で、嗣業としていまこの地に種が落ちたことに感謝し、祈りあい助け合いながら行くべきであろう。

 昨年、札幌で日本伝道会議がありました。基調講演はインマヌエルの竿代照夫先生でした。
 「戦後の福音派のなかで、いまこのような福音同盟がありますが、一つだけ言葉の誤訳のために働きのつまづきとなっている言葉があります。『超教派』、これは『協教派』と訳すべき言葉です。」と語られました。
 
 インマヌエルは創設当時から蔦田二雄師のリーダーシップが強固でした。信徒もそのもとでそのように育ちました。ですから外に向かってしっかりと手をのばす事もできました。しかしこれができないうちにそちこちの教団を歩くと信仰が伸びません。
 蔦田師は、「先ずウェスレアンアルミニアンの信仰に立つことです。あなたは何人ですか?と訊かれて、『国際人です』と答えるようなひとには、私は協力したくない。きちんと『日本人です』と答えられるはっきりとした見識を持った方に私は協力する」と言ったものです。
 自分がいま置かれているところに、はっきりしっかり根を下ろし、その上で、ギデオンに協力するも良し、好ましいことには大いに協力すればよいのです。

 今月の23日(土)には、この教会でも初めてのバザーをします。根を確認しながら、神さまがこれを用いてくださるように祈りつつ取り組みましょう。

※若干聞き落とした部分があります。ご容赦ください。文責中ぶんな

   ◆   ◆  ◆  ◆  ◆

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きょうのことば ー『インマヌエル』その1ー

  きょうはイムマヌエル綜合伝道団の教団創立記念礼拝でした。蔦田二雄牧師が1945年10月20日、教友との祈りの中に教団の形成を決断したというくだりに、心が揺れ感動しました。そこできょうは、蔦田二雄牧師の写真を掲げることにいたしました。

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 きょうのインマヌエル盛岡キリスト教会國光勝美牧師のメッセージは
 
説教題  『インマヌエル』 教団創立記念礼拝ー
聖書箇所 マタイ1:18~25

18 イエス・キリストの誕生は次のようであった。その母マリアはヨセフの妻と決まっていたが、ふたりがまだいっしょにならないうちに、聖霊によって身重になったことがわかった。
19 夫のヨセフは正しい人であって、彼女をさらし者にはしたくなかったので、内密に去らせようと決めた。
20 彼がこのことを思い巡らしていたとき、主の使いが夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。
21 マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」
22 このすべての出来事は、主の預言者を通して言われた事が成就するためであった。
23 「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を生む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)
24 ヨセフは眠りからさめ、主の使いに命じられたとおりにして、その妻を迎え入れ、
25 そして、子どもが生まれるまで彼女を知ることがなく、その子どもの名をイエスとつけた。

 きょうの聖日は教団創立記念礼拝とさせていただきます。
教団の名「インマヌエル」はよくクリスマスのときに聞きます。23節にあるように、「
神は私たちとともにおられる」という意味です。宗教法人としての正式名はイムマヌエル綜合伝道団ですが、通称インマヌエル。この教会もインマヌエル盛岡キリスト教会と呼んでいます。

教団の歴史・沿革は教団のHPからの転載ですが以下の通りです。
 1942年6月26日、政府の宗教弾圧により治安維持法違反の嫌疑で一斉検挙されたホーリネス系諸教会の教職者の中に、日本橋聖教会牧師、聖教会聖書学校塾舎監、またホーリネス信仰に立つ若手有志が結成し各地で積極的な伝道活動を展開していた「リバイバル・リーグ」の指導者でもある蔦田二雄がいた。やがて事件は裁判となり、判決、控訴、保釈と進んだが、教会は解散、教籍は剥奪、そして敗戦を迎えた。
 1945年9月、日本基督教団に復籍したが、そこに留まる意志はなかった。検挙、収監中の留置場、拘置所の房内で、やがて自由が与えられたなら、従来の関係なしに独自の福音奉仕を展開するよう導かれていた蔦田は、10月20日、教友との祈りの中に具体的な教団形成を決断した。獄中での「主が共にいます」との霊的体験から、新教団は「イムマヌエル」と名づけられた。また外部からも国外からも援助を受けず自給自立の方針で発足するため、また戦後の社会的必要も考慮して、伝道部(教会)を中心に医務部(病院)、保育部(幼稚園)、農耕部(農場)を含む「綜合伝道団」とした。自給自立に加え自育自展をスローガンとし、49年には伝道者養成を目指す「聖宣神学院」を創立、一方、日本各県に少なくとも一教会設立を目標に開拓伝道を進めた。
    聖書信仰・聖書的ホーリネス・世界宣教の3つを、教団創設当初からのテーマとした蔦田は、福音主義聖書信仰に立つ内外の教会や指導者と連係し、48年に日本新教連盟、59年には日本宣教百年記念聖書信仰運動、その結果生まれた日本プロテスタント聖書信仰同盟(JPC)、さらに日本福音同盟(JEA)結成に貢献した。ホーリネス信仰については福音文書刊行会(EPA)、日本聖化交友会の創設を助けるほか、ウェスレアン神学に立つ多くの書籍を出版してきた。世界宣教は、61年以降、インドはじめ世界7か国に宣教師を派遣した。


 蔦田師が検挙されたのは大雨の降った日だったと聞いています。特高が、室内に置いてあるタイプライターを指さして「これは何だ」と訊いたらしい。国外に情報を流しているのではないかという嫌疑からだったようですが。特高は生まれて数ヶ月の双子の赤ん坊を跨いで歩いたといいます。このとき各地でも一斉検挙がありました。

 1930年代
、リバイバル・リーグという若い伝道者達の「聖潔と宣教」の活発な運動が生まれました。 中国に福音が広まっていったとき、欧米の宣教師たちが退去させられたことがありましたが、この後をリバイバル・リーグの先生方が引き継いだのでした。中国伝道にも貢献したわけです。岩手県奥州市水沢区出身の岩城先生は満州の新京、松村先生は南京だったでしょうか、中国に深く関わったと聞いています。

 
1945年3月の東京大空襲のとき、蔦田二雄先生の長男真実(まこと)先生はリュックに聖書1冊だけを背負って逃げ延びました。二雄先生は、東京大空襲のときには保釈されていたそうです。この空襲で裁判に関する書類はすべて焼失し、終戦のときには何も残されていませんでした。
 終戦後蔦田師は、岡山県にある親戚で療養しました。喋ることを許されない2年間の獄中生活で声帯の筋肉が衰えてしまい喋ることができませんでした。またいつ抹殺されるか、食事を摂ることの不安もあり、さまざまなプレッシャーのために、釈放されたときには、以前の蔦田師ではないと、周囲の者たちも療養を勧めたのでした。
 蔦田師の教会創立のビジョンに、双子の姉妹の姉である医師長谷川正子先生、妹の伝道師元子先生がともに祈り協力者となりました。
 
 戦後、普通では手に入らない物資も、教会にはアメリカからもたらされていた。この窓口になったのが日本キリスト教団でした。ですからこの教団に留まったほうが経済的には良かったでしょう。しかし蔦田師は、ほんとうに神だけを当てにして信仰でこの働きを進めようと、日本キリスト教団を離脱。海外からも一切援助を受けない自立した教団、「聖と宣」をめざす教団を創設しました。

 蔦田師だけではなく、その時代は多くの器が神に用いられ、よい働きをしました。蔦田師がインマヌエルの創設者だとしても、蔦田師のみを特別視することからは守られるべきです。


本田弘慈(1912~2002) 
☆羽鳥明(1920~ ) 
☆安藤仲市(あんどう・なかいち 1900~1987) 
☆小原十三司(おばら・とさじ 1890~1972) 岩手県花巻市東和町に生まれる。

車田 秋次(くるまだ・あきじ 1887年~1987) 

 私が信仰を持った時期とも重なりますが、1968年に創設された日本福音同盟(JEA)の旗の下にあって、当時このような先生方がほんとうにお元気で活躍されていました。よくこの先生方が務めるお茶の水学生キリスト教会館(現お茶の水クリスチャンセンター)での早天祈祷会に出席してから、会社に出勤したものです。

 日本福音同盟創設の雰囲気を知っている者として、私は、インマヌエル綜合伝道団創設のときの雰囲気がわかるのです。
                    ーつづく(
後は明日書き足します)ー

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  日本福音同盟創設の当時の厚い、熱い信仰に裏打ちされたお茶の水学生キリスト教会館では、よく学生向けの伝道集会が持たれていました。隣に座った年配の方が大声で祈っており、はじめは日本語で祈っていたのが、しだいに英語で祈っているのでした。この方が安藤仲市先生でした。また穐近 祐(あきちか・ゆたか 1904~ 2000)先生が林間聖会で、「イエスさまに命をささげ、献身したいものは前へ出なさい」との招きをし、応じて前に進み出たひとたちに、「ほんとうにあなたはキリストのために死ねるのか」ときつく質したというエピソードを聞いております。インマヌエルの創設のときにもこのような雰囲気であったろうと振返りながら、礼拝で御言の種を語らせていただきました。

「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を生む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)

 この御言が巣鴨プリズンにある蔦田二雄師に落ちたのです。

                          ー次ページに続くー

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「盛岡新小唄」鈴木彦次郎作詞/塩尻精八作曲

「盛岡新小唄」
鈴木彦次郎 作詞
塩尻精八  作曲

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鈴木彦次郎(1898~1975)
東京・深川生まれ。6歳で盛岡に移り住む。一高(旧制)から東大。1924年、川端康成、今東光らと雑誌『文芸時代』を創刊、新感覚派運動を起こす。1944年盛岡に疎開。 1963年市勢功労者表彰。1970年勲四等瑞宝章受賞。 主な著書は『7月の健康美』『一騎打物語』『大関大の里』『常盤津林中』。
  菊池寛らの創刊した『文芸春秋』の編集同人となっています。 のちに盛岡で発起人となって上演する文士劇には、このころ触れたようです。 戦前は、小説、戯曲、随筆と『文芸春秋』『文芸時代』を主な発表の場として活躍。 また、前衛的な劇団である「心座」の結成に参加、演出も担当しています。 相撲小説、時代小説など“大衆文学”に新分野を開くのは昭和7年ごろからで、 戦中にかけ10年ほどこの分野で活躍、特に相撲小説では一家をなし、多くの作品を残す。
 戦時中、疎開で盛岡に疎開、その後盛岡を拠点に執筆活動。 県立図書館長、県教育委員副委員長等を歴任。 鈴木が文学活動へ入るきっかけは盛岡劇場にあったといいます。 盛岡の文士劇が10年以上にわたって継続上演されたのは、 鈴木の人徳に負うところが大きかったとか。 愛する岩手の文化の向上と後進の育成につとめるとともに、 多彩な文化活動を展開し、盛岡が終焉の地となりました。

塩尻精八
「道頓堀行進曲」作詞:日比繁治郎、作曲:塩尻精八  昭和3年(1928)レコード発売。
「女給の唄(二三吉)/女給の唄(羽衣歌子)」 作詞:西條八十、作曲:塩尻精八 昭和6年(1931年)1月、羽衣歌子、藤本二三吉の歌でレコード発売された。


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月下美人

ことし2度目の開花です。

PM7:20
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20101015_015 PM905 見事なコラボです。

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花部分径15㌢顎を入れての径24㌢。
短時間に開くわけですが、動きが目に捕えられないほどに実に静かに開花していきます。
これが明日の朝には萎むのです。
この写真をアップするあいだにも2度ばかりコックリしてしまいました。一晩中観察するのは無理でしょう。

それにしてもよく咲いてくれたものです。

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33人

   チリの落盤事故、33人の方々全員が救出されたニュースには感動した。アポロ13号のとき、これは映画で見たので、史実とはすこし違っているとはいえ、みな一丸となって全員を生還させたのだった。
 助かった方々の歓喜、助かった!!という喜びを画面を通してではあるが、その場で目の当たりにする思いで拝見した。
 いつも思うのだが、命を救おうとする行為、ほんとうに救われたという喜びが、なぜ人をしてこうも感動させるのか、それが不思議でならない。

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  この事故に於いては、肉体的に最もきつい仕事についておられる、また歴史的にも苛酷な条件を余儀なくされてきた職業に敢て従事されていた方々の命が全員救出されたことに、わたしは人命救助という範疇を超えた深い感動を覚えた。

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初めに、ことばがあった

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初めに、ことばがあった。
ことばは神とともにあった。
ことばは神であった。


  ヨハネの福音書1:1


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松見ヴァイオリン教室40周年記念演奏会ー 2010/10/31(日) 開演1:30PM盛岡市民文化ホール大ホールー

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     ◆  ◆  ◆  ◆  ◆

お知らせ

10月9日(土)付けのブログで、(株)リンク 様 について妥当を欠く表記がございました。お詫びいたします。このページを一旦保留とし、改めて書かせていただきます。

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フォト日記

  「さて、きょうはいい天気」とコーヒーは外のテーブルでいただくことに。
テーブルにマダガスカルジャスミンを置いていたのですが、
これは、もう死んだと思っていたのが、
母の日にプチッと芽をだして復活し立派な鉢植とおさまったもの。
この支柱の先に蜻蛉がとまってくれたのでした。
写真を撮るあいだはじっとしていてくれました。

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 次は月下美人。
10月4日にこのブログに紹介した蕾は、翌朝落ちていました。ひとりでに落ちたものか、誰かがぶつかったものかは詮議しないことに。
もう一つ1㎜ほどだった蕾は、咲く気がなかったらしく早々と萎れてしまいました。
これは残った貴重な二つ。8月5日に、このときもやはり7つ咲く予定が実際は4つとなったのでした。
8月5日に咲いてからまたこの10月に咲こうとしているのです。
事故、過ち、気温の激変がありませんように!!

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半信半疑で見守ってきましたが、
蕾のこの大きさ、状態を見ると、咲く気満々なのがわかります。
顎が湾曲してゆくさまが実にすばらしい。
これは今朝8時10分撮影。

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 それからまた庭に出てみると、きのこが2種類も。ほんとうに嬉しくなりました。きょうはいい日です。なまえはたぶん、……だとおもうのですが、検索していると時間を喰ってしまうので、どこの何科何属の何様かは知らないままに。
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 文芸誌天気図の立川編集長宛に送った童話原稿の修正依頼が頭を過ぎるも、昼過ぎに、バザーのために準備しなければならないものをわが実家、いまは空き家となっている家へと向かう。きょうしなければならない。
うーむ、この渋滞。なぜこの車中でこんなに長い時間じっとしていなければならないのか。そこでカメラを取り出し、カーブにさしかかったところで渋滞を撮ろうとカシャ、カシャ。延々、延々、…、…、ふー、長かった。

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 やっと実家に着いて本の整理をする。ろくな読書をした記憶はないはずが、あるあるある。ただし文学書は1割もなかった。そうか昔はこんなのを読んでたのか、 とまるで他人事のように思いながら20冊ずつ紐で括り、バザーに出せないものはブックオフへ。な、な、なんと車のトランクぎっしりの本がぜんぶで250 円。この店で待っているうちに目に留った一冊。ぱらぱらと捲るうちに買う羽目となり、利益は-750円となったのでした。

 バザーに出せそうな本と書棚に使えるアクリルボックスを教会に持参。
バザーのために随分とやっているかに見えるでしょう。しかし、しかし、他の姉妹方の活躍はこんなものではないのです。わたしは姉妹方の10分の1くらい。これはほんとうです。

 久方ぶりに実家の階段を上ったり下りたり、かつての自分の部屋に座り込み昔を懐かしんだりしました。

 それにしても文芸誌天気図の原稿、どうしたらよいか。童話はやはりわたしには厳しかったかも。これが問題、それが問題。

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きょうのことば 『いのちのみことば』

201010
              ノーマン・ロックウェルのポストカードブックより

きょうのインマヌエル盛岡キリスト教会の國光勝美牧師のメッセージは
説教題  『いのちのみことば』
聖書朗読  第一ペテロ1:18~25 ー伝道礼拝ー

18 ご承知のように、あなたがたが父祖伝来のむなしい生き方から贖い出されたのは、銀や金のような朽ちる物にはよらず、 19 傷もなく汚れもない小羊のようなキリストの、尊い血によったのです。 20 キリストは、世の始まる前から知られていましたが、この終わりの時に、あなたがたのために、現れてくださいました。 21 あなたがたは、死者の中からこのキリストをよみがえらせて彼に栄光を与えられた神を、キリストによって信じる人々です。このようにして、あなたがたの信仰と希望は神にかかっているのです。 22 あなたがたは、真理に従うことによって、たましいを清め、偽りのない兄弟愛を抱くようになったのですから、互いに心から熱く愛し合いなさい。 23 あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種からであり、生ける、いつまでも変わることのない、神のことばによるのです。 24 「人はみな草のようで、その栄えは、みな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る。 25 しかし、主のことばは、とこしえに変わることがない。」とあるからです。あなたがたに宣べ伝えられた福音のことばがこれです。

 先週は教会をわかりやすくお伝えしたく思い、教会学校の讃美歌を歌い、「種まきのたとえ」をお話しました。道ばたに、石地に、茨のなかに落ちた種があり、そしてよい地に落ちた種がありました。
 この10月、神の命の種をまくもの、種入れをかかえて出ていくものであらせていただきたいというお話をしました。


 今週はわたしたちの心の中にまかれた命の御言の種が、いまどのようになっているのかに目を向けてみましょう。かつてはよく耕されていたところであったのが、いつの間にか道ばたに、石地に、茨の地のようになってはいないでしょうか。
 よく耕された地に落ちたはずの種。畑を放っておくと、雑草が生えてきます。よく管理をしなければすぐに荒れてくるのです。
 いま種がどのようになっているかを考えてみましょう。

23~25節に
あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種からであり、生ける、いつまでも変わる ことのない、神のことばによるのです。「人はみな草のようで、その栄えは、みな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る。 しかし、主のことばは、とこしえに変わることがない。」とあるからです。あなたがたに宣べ伝えられた福音のことばがこれです。
 とあります。このペテロ第一の手紙は、イエスさまの弟子の筆頭格であるペテロによって書かれています。ご存じのとおり、ペテロは弱さを露呈してしまった人物です。聖書にはそれを隠すことなく、そのまま書かれています。イエスさまが十字架につけられるとき、ペテロは遠くから裁きの座を見ていたのです。しかし仲間であることが露見したとき、逃げ帰ってしまいました。彼がほんとうに変わったのは、イエスさまの復活に出会い、触れたときでした。
 わたしたちはイエスさまを信じクリスチャンとして信仰生活を送っていますが、イエスさまがほんとうに死からよみがえられたことをしっかりと捕えたなら、日々の営みがずいぶん違ってくるでしょう。復活の意味がほんとうにわかったなら、信仰生活の質が変わるはずです。ペテロが徹底的に変わったのは、イエスさまの復活に向き合い触れるという体験をしたからです。
 
ペテロ第一の手紙1:3~4節 私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせて、生ける望みを持つようにしてくださいました。 また、朽ちることも汚れることも、消えて行くこともない資産を受け継ぐようにしてくださいました。これはあなたがたのために、天にたくわえられているのです。とあります。
 経済のことは門外ですが、リーマンショックの波及により、世界経済が破綻を来たし、そのさまざまな影響を見聞きしましたが、世の中ではこれがあれば大丈夫としているものが、いかに儚いものであるかを思い知らされたのでした。しかし主は、消えることも朽ちることもない資産を受け継ぐようにしてくださいます。よく老後の資産、老後の備えはどうなっているかと取り上げられています。それはそれでいいのですが、世の中の語ることは、そこから越えてはいません。死んだあとの備えは考えない。
 ペテロはキリストの復活によって変わったのです。復活にはまことの死への備えがある。このお方についているなら、わたしの朽ちない永遠の宝は天国にしっかり保証されているのです。ペテロは復活したイエスさまと語り、食したのです。
 三度イエスさまを否定したペテロが、復活に接して変貌を遂げました。
 ルカ22:31~32にはこうあります。 

  シモン、シモン。見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。 しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。
 シモンとはペテロのことですが、主は、あなたが立ち直ったら、兄弟たちをちからづけてやりなさいとペテロに言いました。このペテロ第一の手紙は、ペテロがこの主の仰せの通りに、死後の永遠の命を知っていることを仲間や後を継ぐものたちに告げ、励ましを与えているところなのです。

 第一ペテロ1:8
あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけれども信じており、ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどっています。

23節にあるように、 あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種からであり、生ける、いつまでも変わることのない、神のことばによるのです。と、ペテロはこのように言っています。

 さてそれでは、永遠の命の保障である神の言葉、永遠の命の言葉に心を向けていきましょう。
 先週も石割桜の話をしました。盛岡地方裁判所構内にある樹齢360年のエドヒガンザクラ、天然記念物です。
南部藩の家老の庭にあった巨石に落雷があり、そのときの割れ目にエドヒガンザクラの種が入り込み成長したという伝承もあるようです。火災にも遭いましたが生き残り、いまも花を咲かせています。この石の割れ目が、いまでも1年で1㎜ずつ押し広げられているようですが、凄いものだなと思います。わたしが盛岡に赴任して37年になりますから、来てから現在までに、37㎜広がったわけです。
 このように、命の種がしっかり根をおろすなら、石も広げてゆく、花を咲かせもするのです。

 種が発芽し、根の成長を阻むものが何かを考えてみれば、たとえるなら、あの大きな岩が罪です。これがしっかり阻んで神の言葉を受け入れようとしない。この罪は非常に硬い。すべてのものを弾いてしまう頑ななものです。また、石が象徴するのは死です。あそこに命の種があったときに罪も打ち砕かれ、死も打ち砕かれます。

寓話的な話になりますが、
 世界で一番硬いセメントを作ることを、できるだけおもしろく考えてみました。
 主要原材料は罪。そこにブレンドする死という要素を加えてセメントにする。そこに水を流し込むが、これは不信仰という水を流し込み、ミキサーで回して固めたなら、世界で一番硬いセメントができるのでしょうか。
 わたしたちは生まれながらに一人一人そういうものを持っています。神に従おうとするのではなく、生まれながら悪魔の支配下にある。神にそむく状態であるのです。ペテロやパウロもそうでした。
 石割桜に雷が落ちて…とすれば、雷に相当するものは何か。世界一硬いコンクリートを割る大きな力とは…
その方とは、聖霊という神さまです。硬い罪、不信仰で固まった心に隙間を与える働きをするのは聖霊です。
 ヨハネ16:8をご覧下さい。
その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせます。

 どういう形態で聖霊が臨まれるかは人それぞれです。ある人には、どうにも為しがたい人生の課題に直面したときに、神は雷を落として命の種を与えてくれるときがあります。しかしいつの場合もそうとは限りません。しずかに覆ってくださり、何かささやかなことをきっかけに命の種を与えてくださる場合もあります。

 インマヌエルに昔からいらっしゃる方々は、渡辺倉造勧士をご存じでしょう。酒と博打の人でした。日本橋で職人をしていた方です。家には小さな子どももいる、家にいてもろくなことをしないからと酔っぱらってまちを歩いているうちに、一枚の教会のトラクトに出会いました。入場無料、出入りご自由と書いてあります。ちょうどいいと集会に入ってみました。ちょうど聖書からナアマン将軍のことが語られていました。
「罪はあなたのからだを蝕み、あなたの人生を台無しにしてしまう」
 それを聞き、渡辺さんは「わたしはその病と同じだ」と、酔っぱらっていましたが、即座にイエスさまを信じる決心をしました。その後、渡辺さんは模範的なクリスチャンとして生涯を送ります。まことに劇的な回心でした。

 もうひとり、サムエル・チャドウィックという人がいます。お父さんから靴を磨いておくように言われました。早く遊びに行きたい彼は、そそくさと磨いてでかけようとしたのですが、待てよもしこの靴をイエスさまが履くとしたら…彼は即座に引き返して、靴をていねいに磨き直したのでした。チャドウィックは、それがわたしの救いの日であったと証ししています。

 救いのときが、渡辺さんのように劇的なケースもあれば、チャドウィックのようなケースもあります。いずれにせよその人に相応しい聖霊の働きであり、神の言葉が入ってくるときなのです。

 23節を繰り返しますが、私たちが生まれたのは朽ちない、生ける、変わらない神の言葉によるのです。
 わたしたちの心にどれだけ神の言葉が留まっているでしょうか。日々御言と接するときに、聖霊さまが神の言葉を用いてわたしたちに語りかけることがあります。
 
 詩篇18:1~6

1 彼はこう言った。、わが力。私は、あなたを慕います。
2 はわが巌、わがとりで、わが救い主、身を避けるわが岩、わが神。わが盾、わが救いの角、わがやぐら。
3 ほめたたえられる方、このを呼び求めると、私は、敵から救われる。
4 死の綱は私を取り巻き、滅びの川は、私を恐れさせた。
5 よみの綱は私を取り囲み、死のわなは私に立ち向かった。
6 私は苦しみの中にを呼び求め、助けを求めてわが神に叫んだ。主はその宮で私の声を聞かれ、御前に助けを求めた私の叫びは、御耳に届いた。


 これはダビデがサウルから逃れているときの詩です。
このような御言葉をいまの自分にあてはめて、主はわが巌だ、そうだ主はわが砦だといったように、聖書の言葉を自分にあてはめてくれる、これが聖霊なる神さまの働きです。この聖霊によって御言葉が生かされることによって生ける希望が湧いてくるのです。

19節には 主は私を広い所に連れ出し、私を助け出された。主が私を喜びとされたから。

とありますが、これはすごいことです。主がわたしのようなものをも喜びの対象とされたということなのですから。大きな励ましを受けます。命ある神の言葉だからです。

 世の中にも良書、よい言葉はたくさんあります。良い励ましともなるでしょう。しかし聖書の言葉は朽ちることがない神の言葉ですから、それがぽんと心に投げられるとき、そこで慰めをいただくことがあります。
 さまざまな人間関係の中で人から誤解されたり、辛いことがあったりします。しかし主がわたしを喜びとしてくださった、人がいかに誤解しようとも、それでいいのだと聖霊によって神の言葉がぴたりとあてはまってくる。ある人には稲妻のように、ある場合にはチャドウィックのようにしずかに語りかけてくる。いずれにせよ聖霊によって、神によって与えられるところの変革なのです。

第一ペテロ1:23~25を読んで締め括りましょう。

23 あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種からであり、生ける、いつまでも変わることのない、神のことばによるのです。
24 「人はみな草のようで、その栄えは、みな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る。
25 しかし、主のことばは、とこしえに変わることがない。」とあるからです。あなたがたに宣べ伝えられた福音のことばがこれです。


※例話を若干割愛してあります。文責:中ぶんな 

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チャリティーバザー ーインマヌエル盛岡キリスト教会 2010/10/23(土)13:00~15:00

チャリティーバザーです!! 
 
収益金はどうするの
ぜ~んぶ、アフリカのテヌウェック病院のためにつかわれま~す。
 気軽に気軽なお買い物を!! 

教会のデカデカ地図はこちら

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 インマヌエル綜合伝道団からも医療宣教師が派遣されています。患者の殆どはエイズです。そして火傷を負った方々。これぐらいで病院に行くのはぜいたくと日が経ち、ほんとうにひどくなってから来るために包帯がいくらあっても足りないのです。新しい包帯は関税が高かったり抜き取られたりすることがあり、シーツや手ぬぐい、ワイシャツなどを裂いて包帯にして送っていますが、運賃が非常に高いのです。

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このバザーの企画、ポスターづくりには、インマヌエル盛岡教会のひろ子牧師&姉妹方が取り組んでいます。

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天沼三津子 七宝ジュエリー展 ー2010/11/2(火)~7(日)盛久ギャラリーー

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ぎょっ! ー虫とコスモスー

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 いつもはできるだけ完璧な花を選んで撮っています。花びらは完全に形を保っているか、萎れてはいないか、ゴミがくっついてはいないか、背景に画像の雰囲気を壊すものが入ってはいないか、静止の状態であるかどうか、別なものの影が映ってはいないか、開花の始まりか終わりか…。

 しかしきょう目に留ったこの白いコスモスの美しさ。虫にぎょっとする方があるかも知れない。この虫の存在だけで正視できない方もあるかもしれない。けれども、このコスモスの完璧さ、自然の中に於ける完璧な美しさ。食い破られ抜けている部分の形の面白さ。このコスモスはこれで完全なのだ、そう思わせられた一輪でした。

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まちのラーメン屋さん

   山賀屋食堂。きょうの昼頃に行ってきました。ネットには、昔ながらの外観。味噌ラーメンと半チャーハンは世界一おいしい、と出ていました。これはいまブログを書くにあたって検索してわかったことです。

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 前を通るたびに、いつか入ってみたいと思っていました。わたしの父が、昔この界隈に住んでいたことから、もしや入って食べたことがあるかもしれない、また出前を取ったことがあるのでは…という思いと、古びた外観に引かれたのでした。
 中もかなり昔風で、大正生まれの堅物で頑固なおじさんが厨房にいて、などと想像しながらのれんを潜りました。ところが店内は、改装されており往時を偲ばせるものはありません。お店には、恐らくは昭和生まれと見えるおばちゃんと、もしか平成生まれと見える、清楚な素敵なお嬢さんが立ち働いていました。
 主人はもやしラーメン。わたしは五目ラーメン。厚くて歯ごたえのあるチャーシューと豚肉、お野菜がたっぷりと入っていました。おいしかったです。
 写真に店舗の古さがよく捕えられておらず、この店舗の懐かしさを若干損ねていますが、掲載しておきます。

 最寄りのたった一軒のラーメン屋さん「くいしんぼ」さんが閉店したときは、近所に活気が一つ失せたと思いました。わたしは滅多に出前は取りませんでしたが、ここでのお昼を楽しみにしていたご高齢の方々もあったのです。
 山賀屋食堂さんがいつまでもこのような姿でこの地域にあって欲しいと願ったことでした。
ファミレスなど、大駐車場を備えて郊外に出店していますが、高齢になったときには、近くにこのような飲食店があったなら助かることもあるのでは。
 
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 帰る途中も、キンモクセイの良い香りがするたびに、どこかなと振返り見回ししながら歩いてきました。そちこちにシュウメイギクが咲いています。

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サフィニア4代目

  月下美人にこのような蕾が5つ付いた。果たして咲けるだろうか。ことしの8月5日に花が咲いた。花芽が付いたのはことし二回目。ただようすがすこし違っている。いま9㌢。8月5日のは開花当日で15㌢だった。小さめのままで咲くものか、或いは咲けないでしまうのか。
 日中、天気の良い日は外に出して陽に当て、夕方、屋内に入れている。果たしてどういうことになるか。前回のような花が見られたなら、これは大変な幸運とも思われる。

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              ◆  ◆  ◆  ◆  ◆

 月下美人は一応措いて、こんどはサフィニアのラベンダーレース。
以下の写真は、去年鉢に咲いた花からのこぼれ種で咲いたもの。いわばここに来た花の2代目。

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 次は2代目のこぼれ種が咲いたもので、3代目。まさか次の代も咲くとは思わなかったので、写真を撮らずにいたところが、4代目が咲いたのを見て慌てて、しおれていたけれども撮った写真です。

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 次が、その4代目の写真。

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以下はWikiからですが、
「サフィニア
(Surfinia) は、ナス科ペチュニア属の植物。サントリー京成バラ園芸が共同で1989年に開発したペチュニアの品種。なお、「サフィニア」はサントリーフラワーズ(株)の登録商標(日本第2395224号)である。不稔性が高く、草姿が乱れず花期が長いのが特徴で、近年急速に普及している。欧州などの諸外国でも評価が高い。ペチュニアでは初めての本格的な栄養繁殖系。開花時期は4月から10月、大きいものは10cm程度、小さいものは3cm程度と大小さまざまな花を咲かせる。
原産地はブラジルパンパ。サントリーの駐在員が原種を持ち帰ったのが品種改良の契機とされる。」

 と、こういう経歴をもった花のようです。代を重ねるごとに、これほどに違った花が咲くと知っていたなら、もっとしっかりと写真を撮っておいたのですが、残念です。
 ただ、どの種も一様にこのような花となるかどうかは、多くの種で確かめてはいません。またそこまではできませんが、あっ、これはおもしろい!!と思ったので、アップしてみました。
 1代目の写真は、毎年手に入れることができる花ということで、写真を消してしまった、これも残念。というわけで、1代目の写真はないのですが、典型的ラベンダーレースの色、形、模様でした。2代目はその色合いが薄まり、3代目は、白地に狭い一部分が青紫。そして4代目は底部分が薄青いだけで、全体真っ白です。

 企業の宣伝のつもりはないのですが、サントリーでは、バイオテクノロジーで、世界初の「青い薔薇」の開発にも成功していると知ったのは今年の母の日のための売り出しのときでした。

以下はサントリーの「青いバラ開発の概要」からです。
バラは古くから世界で最も愛されてきた植物です。現在栽培されているバラのほとんどは、世界各地の野生種のバラ8種程度を人為的に掛け合わせることにより生み出されました。四季咲きのバラ、黄色やオレンジのバラも、長年の品種改良の結果、誕生したものです。
青いバラを作ろうという努力もされてきましたが、バラには多くの青い花に含まれる青色色素(デルフィニジン)を作る能力がないため、実現には至りませんでした。このため、Blue roseは、「不可能」の意味も持つほどです。「幸せを象徴する青い花を作って世の中を明るくしたい」、「バイオテクノロジーを用いればバラで青色色素を合成させることができ、青いバラができるはず」、「サントリーのDNAであるやってみなはれにふさわしい」。これが夢への挑戦の始まりでした。以来、14年の年月を経て、2004年にようやく開発の成功を発表し、「青色色素が花びらに存在する、世界初の青いバラの誕生」と大きな反響を呼びました。その後、2008年に生産販売に必要な認可を取得、2009年から「サントリーブルーローズ アプローズ」(花言葉「夢 かなう」)として好評発売中です。

 不可能を可能にしてゆくバイオの力。しかしその先、成功した1代目の次 からがどうなのかは、?

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きょうのことば ー『御言の種』ー

 けさは出がけに大変な忙しさでした。天気が持つのは午前だけかなと、朝のうちにしなければならないことどもに気圧され、すこし気持にゆとりのないままに7分遅れで教会に到着。しかし、しかしメッセージの終わりのペテロ第一の手紙の1章23節の御言葉に感動し、疲れが吹っ飛び、甦生させられ、頑張ろうという思いを新たにしたのです。きょうはそれをお分かちすることができます。

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 さて、インマヌエル盛岡キリスト教会國光勝美牧師のきょうのメッセージは、
説教  『御言の種』ー伝道礼拝ー
聖書朗読  マタイ伝13:1~23(
青い字は聖書の引用です)

 1 その日、イエスは家を出て、湖のほとりにすわっておられた。 2 すると、大ぜいの群衆がみもとに集まったので、イエスは舟に移って腰をおろされた。それで群衆はみな浜に立っていた。 3 イエスは多くのことを、彼らにたとえで話して聞かされた。 「種を蒔く人が種蒔きに出かけた。 4 蒔いているとき、道ばたに落ちた種があった。すると鳥が来て食べてしまった。 5 また、別の種が土の薄い岩地に落ちた。土が深くなかったので、すぐに芽を出した。
6 しかし、日が上ると、焼けて、根がないために枯れてしまった。 7 また、別の種はいばらの中に落ちたが、いばらが伸びて、ふさいでしまった。 8 別の種は良い地に落ちて、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結んだ。 9 耳のある者は聞きなさい。」  10 すると、弟子たちが近寄って来て、イエスに言った。「なぜ、彼らにたとえでお話しになったのですか。」 11 イエスは答えて言われた。「あなたがたには、天の御国の奥義を知ることが許されているが、彼らには許されていません。 12 というのは、持っている者はさらに与えられて豊かになり、持たない者は持っているものまでも取り上げられてしまうからです。 13 わたしが彼らにたとえで話すのは、彼らは見てはいるが見ず、聞いてはいるが聞かず、また、悟ることもしないからです。 14 こうしてイザヤの告げた預言が彼らの上に実現したのです。
  『あなたがたは確かに聞きはするが、
  決して悟らない。
  確かに見てはいるが、決してわからない。
15 この民の心は鈍くなり、
  その耳は遠く、
  目はつぶっているからである。
  それは、彼らがその目で見、その耳で聞き、
  その心で悟って立ち返り、
  わたしにいやされることのないためである。』
16 しかし、あなたがたの目は見ているから幸いです。また、あなたがたの耳は聞いているから幸いです。 17 まことに、あなたがたに告げます。多くの預言者や義人たちが、あなたがたの見ているものを見たいと、切に願ったのに見られず、あなたがたの聞いていることを聞きたいと、切に願ったのに聞けなかったのです。 18 ですから、種蒔きのたとえを聞きなさい。
19 御国のことばを聞いても悟らないと、悪い者が来て、その人の心に蒔かれたものを奪って行きます。道ばたに蒔かれるとは、このような人のことです。 20 また岩地に蒔かれるとは、みことばを聞くと、すぐに喜んで受け入れる人のことです。 21 しかし、自分のうちに根がないため、しばらくの間そうするだけで、みことばのために困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまいます。 22 また、いばらの中に蒔かれるとは、みことばを聞くが、この世の心づかいと富の惑わしとがみことばをふさぐため、実を結ばない人のことです。
23 ところが、良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いてそれを悟る人のことで、その人はほんとうに実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結びます。」


 いよいよ10月に入りました。この月は毎年伝道月間ということで、祈りを集中し御言を語り奉仕させていただいてきました。今年はバザーが予定されています。これが用いられ、今年もこの10月が御言の種まきが為されますようにと願っております。
 今日の聖書のこの箇所は、「種まきのたとえ」と呼ばれています。
 イエスさまは、福音の真理を分かりやすく話すために、よくたとえ話を用います。一度読んだだけで、なるほどと理解できます。
☆ 13:4で「
道ばたに落ちた種…鳥が来て食べてしまった」ことを13:18で、聞いて悟らないと「悪い者が来て、その人の心に蒔かれたものを奪って行」くのであると説いています。
☆ また、5節
「土の薄い岩地に落ちた」種は、芽は出したが、根がないのですぐに枯れましたが、これを20、21節で、「みことばを聞くと、すぐに喜んで受け入れる」しかしみことばのために困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまいます。」と説き
☆ また7節
別の種はいばらの中に落ちたが、いばらが伸びて、ふさいでしまった。ことを22節で、これは「この世の心づかいと富の惑わしとがみことばをふさぐため、実を結ばない人のこと」であると説き、
☆ 次には8節に良い地に播かれた種がどうなるか、「
あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結んだ。」とあり、さらに23節に「良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いてそれを悟る人のことで、その人はほんとうに実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結びます。」説かれています。

 このことから幾つかの恵を抽出すれば、わたしたちも、どなたか種を播いてくださった人がいたお陰で、その種が発芽し、根を下ろして百倍、六十倍、三十倍。三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶことができる。誰かが種を播いてくれたから、その誰かとはイエスさまご自身のことをいっています。それまでは、預言者たちが真理を悟ったが、いまは御言を播いてくれるのは主ご自身です。

 さまざまな見方ができますが、このたとえ話を、種まきをする人のたとえと見たらいいか、種を受ける人たちが主眼であるか、またどちらにも取れるように思います。
 イエスさまが種まきをしたように、わたしたちも種まきをさせていただきたい。いったいわたしたちは、どれだけ種を播いているでしょうか。
 詩篇126:5、6には
5 涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう。 6 種入れをかかえ、泣きながら出て行く者は、束をかかえ、喜び叫びながら帰って来る。」とあります。
 ここに播く人たちの姿が記されています。涙と共に種を播くとは、どうか神さまの御言がよい地に落ちて命を得、よい結実となりますように。そのような者とさせていただきたいと心から願うことです。

 わたしと一枚のチラシとの出会いを思います。多くのチラシがくちゃくちゃに丸められ捨てられる中で、わたしに渡された一枚が心に留まったのです。一枚がきっかけで、「主よ信じます」と決断したのでした。後になって、このチラシを駅で配っていた人たちは、これを持って出てゆくときに、数名の人たちで車座になって祈ってから出ていったことを聞きました。そのようにしてまかれたチラシを私は手にしたのだと知り驚きをもちました。導かれた集会で、深刻な心臓の病にあったダビッド・マーチン先生は、「みなさん、いまこの福音を受けなかったなら、永遠の滅びに行ってしまうんですよ」と血を吐くような説教を投げかけました。あれこそが涙と共に播く者、種入れをかかえ、泣きながら出て行く者の姿でした。わたしはそこで信仰の決心をしたのです。

 10月は伝道月間とさせていただきました。23日の初めての教会バザーを主が尊く用いてくださるよう祈り、10月最後の日曜日は伝道特集聖日として祈り守らせていただきましょう。

 御言の種まきにはさまざまな反応があるでしょう。「わたしといったい何の関わりあらん」と、鳥、これは「悪い者」即ち「サタン」のことですが、その鳥がその人に播かれた種をパクリと食べてしまったり、岩地に落ちてすぐに枯れてしまったり。
 しかし、よい地に播くとは…。播く人はすべての人に播きます。あの人に播いても無駄だ、この人には何回も播いているが読んでいる様子もないしやめておこう、などとは思いません。選りすぐりはしないのです。種播く者はそのすべてに種を播いています。新聞にチラシを折り込みするのも、これがどんな人の心に落ちるかわからないが、やり続けている。
 もしこの人はいばら、この人は岩地だというなら、あなた、自分はどうでしたか。どういう状態でしたか。自分を見てください。
 種を播きに出ていった。出かけた。それでいいのです。色々な人がいるでしょう。しかしそれは主に委ねましょう。どうか種を播いていただきたいのです。

 わたしの心の状態はどんなふうかな? クリスチャンはどれだけの結実を見ているでしょう。かつては御言にとても恵まれたもの。けれども、みちばたに落ちた種のように、最近は心に留まらなくなったということはありませんか? この1週間、どれだけ心に留まり、力となり、恵となったか考えてみる必要があります。
 根がないために、困難、迫害に負けてしまい、5日間は、世の中に翻弄され、それを仕方が無いじゃないか、こういう時世なのだからというのでは結実とはいえません。
 わたしの心にいばらは生えていないでしょうか。富と惑わし、世の心遣いで、せっかく与えられた神の言葉が伸びきる前に枯れてしまってはいないでしょうか。

 このマタイ伝を解き明かすのに、幾つかの注解書に当たりました。その中の一冊が小出忍先生の著書でした。小出忍先生は、ホーリネス弾圧で獄死した小出朋治の息子です。父の遺体を引き取りに行き、その意志を継いで牧師になりました。蔦田二雄先生と同じ世代、ホーリネスで活躍されたこの先生のメッセージを思い出します。
 「種が落ちて岩が大きく二つに割れてしまっているところがあるそうだが」
これは盛岡の石割桜のことを言っていたのです。樹齢360年をこえるエドヒガンザクラです。巨大な花崗岩の割れ目から育ちました。
 根がしっかりと生えるならば、どんなに困難なことがあったとしても、そう、御言がしっかりと根を張ったなら、この日本の風俗習慣のなかで教会に導くことがどのような戦いであったとしても、この神の言葉がしっかりと根を生やしているなら、大きな結実を見ることは確かです。


第一ペテロ1:23
「あなた方が新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種からであり、生ける、いつまでも変わることのない、神のことばによるのです。」

 種の中にも命の無い種と、命のある種があります。神の言葉には永遠の命があります。

第一ペテロ1:24、25

 
「人はみな草のようで、
 その栄は、みな草の花のようだ。
 草はしおれ、
 花は散る。
 しかし、主のことばは、
 とこしえに変わることはない。」
とあるからです。あなたがたに宣べつたえられた福音のことばがこれです。


聖書の言葉を、この1週間しっかりと心に留めて根を張って豊かな結実を見るように歩ませていただきたく思います。

※聞き間違いのある場合もあるかとおもいますが、ご容赦ください。文責はこのブログの筆者にあります。  

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雑感

  いつの間にか庭に生えていたキノコ。長芋の箱に入っていた大鋸屑を撒いた場所から出現。きれいな状態で写そうとゴミを取ったところが表面が剥けてしまったので、ゴミがついたままアップ。ネットの図鑑では特定しにくい。

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    ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  

 昨日のロシアフォークのコンサートはチケットを主人に譲って行ってもらった。とても楽しかったようだ。知っている方が15人いらしていたという。これらの方々にお会いしたくて行ったのではなく、たまたま聴こうとでかけてみたら、そこにいらしたということだった。
 わたしも、音楽会に行くときに、誰かに会えるかなという目的で行ったことはない。ほんとうに音楽が聴きたくて行くのだ。その結果知った方がいらしたりすることがある。ただ近頃は一旦座った席はできるだけ立たないようにしている。休憩の時もそこの席にいて休むようにする。その方が、次も静かに耳を傾けられるようだ。
 近頃は出不精となり、音楽会にも遠のいている。

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『上を向いて歩こう』コンサートー盛岡バッハ・カンタータ・フェライン&岩手大学合唱団ー2010/10/11(月)14:30~15:30花巻市のホテル千秋閣3階「チャペル花巻」

  ことし1月にリリング先生指揮のバッハ『ミサ曲ロ短調』で感動をくれた盛岡バッハ・カンタータ・フェラインと岩手大学合唱団のコンサートがあります。花巻温泉の『秋のバラまつり』のイベントでの出演です。

       2010/10/11(

   ホテル千秋閣3階「チャペル花巻」

        (花巻温泉)
      

     『上を向いて歩こう』
         指揮 佐々木正利

   出演  盛岡バッハ・カンタータ・フェライン
            & 岩手大学合唱団

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