きょうのことば ー『主イエスの埋葬』 ヨハネ伝連講(108)ー
穏やかな一日でした。明日は敬老の日。教会ではきょう、婦人会の代表の姉妹からプレゼント が手渡されました。そして明日からは大正9年から5年ごとに行われている国勢調査が各戸に動きます。人口が減少してから初めての調査となるようです。
さてきょうのインマヌエル盛岡キリスト教会の國光勝美牧師のお話は、
説教題 『主イエスの埋葬』 ヨハネ伝連講(108)ー
聖書朗読 ヨハネ伝19:38~42 (青い字は聖書からの引用です)
38 そのあとで、イエスの弟子ではあったがユダヤ人を恐れてそのことを隠していたアリマタヤのヨセフが、イエスのからだを取りかたづけたいとピラトに願った。それで、ピラトは許可を与えた。そこで彼は来て、イエスのからだを取り降ろした。
39 前に、夜イエスのところに来たニコデモも、没薬とアロエを混ぜ合わせたものをおよそ三十キログラムばかり持って、やって来た。
40 そこえ、彼らはイエスのからだを取り、ユダヤ人の埋葬の習慣に従って、それを香料といっしょに亜麻布で巻いた。
41 イエスが十字架につけられた場所に園があって、そのこには、まだだれも葬られたことのない新しい墓があった。
42 その日がユダヤ人の備え日であったため、墓が近かったので、彼らはイエスをそこに納めた。
先週の礼拝では、十字架につけられてからのあまりにはやいイエスさまのご逝去を語りました。通常こんなにはやくは息絶えないのだがと訝った人々もあったでしょう。ユダヤ人たちは、神に呪われたものをそのまま木に吊しておくわけにはいかなかった。取り下ろす許可をもらい、2人の強盗はすねを折って、イエスさまはすねを折らないで取り下ろそうとした。ローマ兵がほんとうに死んでいるかどうかイエスさまの脇腹を槍で突き刺して確かにイエスさまが死んだことを確認する。十字架でなされた贖いによって流された血がまさしくそこから流れ出たのです。
「ベン・ハー」の映画の最後のシーンで、雨が降ってきますが、十字架から流れるイエスの血が大雨に流され広がっていく場面は印象的でした。ここから過越しの血、子羊の贖いの血が始まったのです。復讐に燃えていたベン・ハーは、このときに赦すことができるようになり新しい人生が始まりました。
いよいよきょうはイエスさまの体が埋葬されるところをお話します。
このときには、格別に2人の人物が、ヨハネ伝を書いたヨハネによって取り上げられています。
女たちがイエスの埋葬の場面を見ていました。イエスさまが墓に埋葬されたのを見てイースターを迎えることになるのですが、ここにはイエスさまの体に香油を塗ろうと日曜日の朝早くに墓に出向くという複線があります。3福音書が流布しているところに、ヨハネが、これはしっかり書き留めなければならない大切な部分としたところです。
38節にアリマタヤのヨセフが登場します。アリマタヤというのは地名で、エルサレムから地中海に向かう真ん中辺りに位置します。この地の出身であるヨセフという人物ですが、このアリマタヤのヨセフはどういった背景を持っていたでしょうか。
マタイ27:57には 夕方になって、アリマタヤの金持ちでヨセフという人が来た。彼もイエスの弟子になっていた。とあります。当時の金持ちのステータスの一つは、生きているうちに自分の墓を準備しておくことでした。
またマルコ15:43には アリマタヤのヨセフは、思い切ってピラトのところに行き、イエスのからだの下げ渡しを願った。ヨセフはサンヒドリン(ユダヤの最高法院)という議会の有力な議員であり、みずからも神の国を待ち望んでいた人であった。とあります。また彼は敬虔な人物でありました。
ルカ23:50にはさてここに、ヨセフという、議員のひとりで、りっぱな、正しい人がいた。とあります。イエスを拒絶しようとした議会の議決にはヨセフは賛成してはいなかった。
ヨハネ19:38にもどって、アリマタヤのヨセフはイエスの弟子ではあったが、ユダヤ人であることを恐れて、弟子であることを隠していたのです。真実で正しい人であったけれどもやはり人を恐れていた。けれどもついに堪えきれなくなって、ピラトのところに行き、イエスさまの体の下げ渡しを願い出たのでした。
この申し出は、ユダヤ人たちが十字架からイエスさまを取り下ろそうとした意識とはまったく違います。ユダヤ人たちは取り下ろした後、イエスさまがどう扱われようと構わなかった。しかしアリマタヤのヨセフは自分の墓に丁重に葬ることを許していただきたい、イエスさまの亡骸を引き取らせてくださいとピラトに願ったのです。
イエスさまを「十字架につけろ」と叫んだ人々は、イエスさまが取り外されたあとで、遺体が無造作に扱われようが、蹴飛ばされようが野ざらしにされようがそれでよかった。しかしアリマタヤのヨセフは、どうか埋葬させてくださいと願った人物でした。
それからヨハネがどうしても書いておきたかった人物はニコデモです。ヨハネ伝19:39に 没薬とアロエを混ぜ合わせたものをおよそ三十キログラムばかり持って、やって来た 人物とあります。
ヨハネ7:47~53にあるように、ニコデモはパリサイ派のラビ(教師)であり、またアリマタヤのヨセフと同じようにサンヒドリンの議員でもあった。イエス排斥の議論が高まったとき、51 「私たちの律法では、まずその人から直接聞き、その人が何をしているのか知ったうえでなければ、判決を下さないのではないか」と律法に基づいて答えている。
また夜にこっそりイエスさまを訪ねてきて、人はどうしたら神の国に入ることができるのかを問うた人物だった。ニコデモもユダヤ人の指導者の一人であり、普通であれば、当時無名だった若輩のイエスさまに教えを請うことは誇りがゆるさなかったでしょう。ニコデモは真実学びたかったのです。
そのときイエスさまとの問答がありました。イエスさまは、「誰でも新しく生まれなければ神の国を見ることはできない」 と語りました。
またヨハネ7:37には さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。」
またヨハネ7:38には、「わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」
人々の間には、あの男は何者かという論争がありましたが、イエスさまは、このニコデモとの問答で、わたしがメシヤである、と人々の前ではっきりさせたのでした。
ニコデモはこのときイエスさまを信じ謂わばイエスさまの新派となったのです。しかし、何事も先ず本人に聞いてみてからでなければ軽々しくは断定できない、と言っていたニコデモですが、イエスさまが真のメシヤであることを公にはしませんでした。
ニコデモとアリマタヤのヨセフとは相通じる同志でした。この二人のようにサンヒドリンの議員の中にも、イエスさまに従おうとした人物もいたのです。ただ彼らに共通していたのは、ユダヤ人を、人を恐れていたということです。
わたしたちは職場にあって、「クリスチャンです」「キリストを信じているものです」とどれだけ公にしているでしょうか。ニコデモやアリマタヤのヨセフのように、このお方に従って行くということははっきりしている。しかし公の前で「わたしはクリスチャンです」と証をすることができない。ニコデモ、アリマタヤのヨセフのこのことを、使徒ヨハネはなぜ、わざわざ書いているのか。それはこのことをわたしたちに問いかけるためではないでしょうか。
ヨハネ19:39を見てみましょう。
没薬とアロエを混ぜたものを30キロとあります。没薬(モツヤク)は非常に高価なものでした。バルサム樹の樹脂で葬りのときに用いる香料です。エジプトではミイラをつくるときに用いられました。
ニコデモはこの没薬をどんな気持で持ってきたでしょうか。恐らく泣きながら持ってきたとも想像できます。30キロですから自分で担いできたとも思われない、或いは人に運ばせたものか、それはともかく、イエスさまがこうならないように自分は手を尽くすべきだったのだ、せめて自分が持っているこの貴重なものをイエスさまの埋葬に使っていただきたい、どうかこれを受け入れてください、と心を痛めながら運んだでしょう。
ここで最後の晩餐のとき、マリアがイエスさまの御足にナルドの香油を注ぎかけた場面が想起されます。このときイエスさまは、彼女の為すがままにさせなさい、埋葬の準備をしているのだと仰いました。ニコデモが没薬を持参した行為には、あのマリアの油注ぎの響きを感じるのです。
300デナリの香油。当時職人の一日の賃金は1デナリでした。1年分の生活費、年収に相当します。今でいうなら車1台分とも言えるでしょうか。
ヨハネ12:3 マリヤは、非常に高価な、純粋なナルドの香油三百グラムを取って、イエスの足に塗り、彼女の髪の毛でイエスの足をぬぐった。家は香油のかおりでいっぱいになった。
もう一つ思い起こすのは、イエスさまの誕生のとき、博士たちが、黄金、乳香、没薬を、ユダヤ人の王として生まれた方にと捧げたことです。
ピラトは十字架に「ユダヤ人の王ナザレ人イエス」と罪状書きを記しました。アリマタヤのヨセフとニコデモは、正に王としてイエスさまを丁重に葬ったのでした。ここで考えさせられます。人を恐れて、こっそりとイエスさまに従っていた人物たちが、このときに及んで、もう黙ってはいられない、わたしのすべてを差しだして、わたしの名誉、立場が何であろうが、このすべてを献げてやってゆきたい。思い切ってアリマタヤのヨセフはピラトにイエスさまの埋葬の許可を願ったのです。
わたしたちをこの2人に照らしましょう。そういった質さえも神さまは用いてくださる。これは私たちにとって何ともいえぬ励ましであります。
38節にある通り、イエスの弟子ではあったがユダヤ人を恐れてそのことを隠していたアリマタヤのヨセフ 差し詰め、インマヌエル盛岡キリスト教会の会員であったが人を恐れてそのことを隠していた、といったようなものです。
ところで、この大切なときに、3度主を否定し涙したあのペテロはどうしていたのでしょう。ここには出てはきません。いつも傍近くイエスに従っている者さえも躓いてしまう。クリスチャン狩りのあの追手が今度は自分のところにやってくるのではないかと恐れていた人物が、ピラトの前に願い出、金持ちのステータスであった一番よいところに葬りが為された。主に愛のすべてをもって、憚らずして主の弟子であることを証することができる者であることを学ばせて頂こうではありませんか。
※聞き落とし、聞き間違いがあった場合にはおゆるし下さい。文責は当ブログ筆者にあります。
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