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きょうのことば ーピラトの前にて 1ー

 8月がスタートしました。きょうは晴れ。はやいめに教会に着くと、きょうの説教題がきょうも聖画入りで玄関まえに掲げられていました。教会の隣の公園には合歓木がピンクの花を楽しげに咲かせています。

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 きょうのインマヌエル盛岡キリスト教会國光勝美牧師のお話は

説教題 『ピラトの前にて』ーヨハネ伝連講(102)ー
聖書朗読 ヨハネ伝18:28~40

28
 さて、彼らはイエスを、カヤパのところから総督官邸に連れて行った。時は明け方であった。彼らは、過越の食事が食べられなくなることのないように、汚れを受けまいとして、官邸にはいらなかった。
29
 そこで、ピラトは彼らのところに出て来て言った。「あなたがたは、この人に対して何を告発するのですか。」
30
 彼らはピラトに答えた。「もしこの人が悪いことをしていなかったら、私たちはこの人をあなたに引き渡しはしなかったでしょう。」
31
 そこでピラトは彼らに言った。「あなたがたがこの人を引き取り、自分たちの律法に従ってさばきなさい。」ユダヤ人たちは彼に言った。「私たちには、だれを死刑にすることも許されてはいません。」
32
 これは、ご自分がどのような死に方をされるのかを示して話されたイエスのことばが成就するためであった。
33
 そこで、ピラトはもう一度官邸にはいって、イエスを呼んで言った。「あなたは、ユダヤ人の王ですか。」
34
 イエスは答えられた。「あなたは、自分でそのことを言っているのですか。それともほかの人が、あなたにわたしのことを話したのですか。」
35
 ピラトは答えた。「私はユダヤ人ではないでしょう。あなたの同国人と祭司長たちが、あなたを私に引き渡したのです。あなたは何をしたのですか。」
36
 イエスは答えられた。「わたしの国はこの世のものではありません。もしこの世のものであったなら、わたしのしもべたちが、わたしをユダヤ人に渡さないように、戦ったことでしょう。しかし、事実、わたしの国はこの世のものではありません。」
37
 そこでピラトはイエスに言った。「それでは、あなたは王なのですか。」イエスは答えられた。「わた しが王であることは、あなたが言うとおりです。わたしは、真理のあかしをするために生まれ、このことのために世に来たのです。真理に属する者はみな、わた しの声に聞き従います。」
38
 ピラトはイエスに言った。「真理とは何ですか。」彼はこう言ってから、またユダヤ人たちのところに出て行って、彼らに言った。「私は、あの人には罪を認めません。
39
 しかし、過越の祭りに、私があなたがたのためにひとりの者を釈放するのがならわしになっています。それで、あなたがたのために、ユダヤ人の王を釈放することにしましょうか。」
40 すると彼らはみな、また大声をあげて、「この人ではない。バラバだ。」と言った。このバラバは強盗であった。


 先週は、十字架を目前にしたゲッセマネの祈り、ユダの裏切り、ローマ兵の捕縛と十字架を目前にした取り扱いを学びました。
 創世記にある「エデンの園」は、人組アダムとエバがサタンの誘惑に陥り罪を犯し追放された悲しい場所です。それに比して、「ゲッセマネの園」は新しい人類の始まり、神に従おうとするものの始まりです。イエスさまが「第二のアダム」として悪魔と戦い勝利するのです。サタンは十字架をなきものにしようと策略します。十字架をキリストから外したらこれ以上のことはない。十字架こそサタンの致命傷となるのです。イエスさまは人間としてたとえ苦いものでも受けるために来たといってサタンの誘惑を退けました。サタンはきわどいその時までイエスを十字架から外そうと、イエスさまが十字架に架けられてからさえも「おまえがもし神の子なら十字架から下りてみよ」と誘惑しつづけました。苦しみの極致にあるこの誘惑には大きな意味があります。誘惑を考えるとき勝利の意味の大きさがわかります。イエスさまは誘惑を退けました。

 イエスさまは捕縛されたあと城門の外に連れられてきて、2通りの裁きを受けます。一つは宗教的な裁判。一つは行政的な裁判です。
 宗教的な裁判とは、アンナス(実質的に大祭司としての権威を持つ)の前で予審を受けます。「いったいあなたは何をしたのか?」と訊かれたのに対し、イエスさまははっきりと「
わたしは世に向かって公然と話しました。わたしはユダヤ人がみな集まって来る会堂や宮で、いつも教えたのです。隠れて話したことは何もありません。なぜ、あなたはわたしに尋ねるのですか。わたしが人々に何を話したかは、わたしから聞いた人たちに尋ねなさい。彼らならわたしが話した事がらを知っています。」と答えご自分がメシアであることもはっきりと告白しています。「I am that I am(わたしはそれです)」と。
 
 一方、それとは劇的な対照をもたらしたのがペテロです。イエスが心配でたまらず、しかしイエスにしっかりとついて行くこともできないでいたところ、もう一人の弟子の計らいでペテロはようやく大祭司の中庭まで入ってゆき成り行きを見ていました。焚き火に照らされたペテロを見て「あなたもイエスの仲間だろう」と言われたとき、ペテロは「いや違う」と拒絶してしまったのです。「知らない」というペテロ。そのペテロにイエスは「主の眼差し」を送ったのです。賛美歌にありますが
「ああ主のひとみ眼差しよ…三度わが主を否みたる弱きペテロを顧みて…」
 主の愛の眼差し、あなたが私を愛していることはよく知っているよ。しかしあなたはとても弱いものなのだ。主イエスはそのペテロを包み赦し立ち上がらせてくださる。その主の眼差し。しかしヨハネ伝にはこのことは一言も書かれてはいない、けれども主はちゃんと足り無さ弱さを顧みておられる。主はよくご存じであられるのです。

 イエスのもう一つの裁判、それはローマ総督ピラトの前での行政的裁きのことです。きょうはこの28節からのことになります。
 24節のアンナスの予審、そして夜明前にはカヤパに有罪とされました。しかし彼らユダヤ人の宗教裁判で有罪にしても、ローマ総督に許可を得なければ刑の執行はできません。それでカヤパのところから、こんどはローマ総督官邸にイエスを連れて行きます。ユダヤ人である彼らは過ぎこしの食事を守りたいと思っています。みだりに異邦人の家に入って身を汚したくないのです。神なる方を邸に連れて行ったもののローマ人の官邸には入りたくありません。ピラトは出てきて言いました。
「あなたがたは、この人に対して何を告発するのですか。」。明け方こんなに早くから自分が関わりたくない案件を持ち出されて、ピラトは気分がいいはずはありません。この有様は何事だ、まったく御しがたいユダヤ人たちだ、一騒動持ち上がるなぞはご免だ、そう思いつつしぶしぶピラトはユダヤ人たちの前に出ていったでしょう。
                ーつづくー
 






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