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映画 「少年の町」

映画「少年の町」をビデオで観た。これはアメリカで実際に存在した一神父の伝記的映画である。

監督 ノーマン・タウロ

製作  ジョン・W・コンシダイン・ジュニア
        1938 年
原作 ドア・シャーリー/エリノア・グリフィン
脚色 ジョン・ミーハン/ドア・シャーリー
撮影 シドニー・ワグナー

キャスト  スペンサー・トレイシー (Father Flanagan)
             ミッキー・ルーニー (Whitey Marsh)
             ヘンリー・ハル (Dave Morris)
             レスリー・フェントン (Dan Farrow)
              ジーン・レイノルズ (Tony Ponessa)


 フラナガン神父はよく刑務所に出向き、刑の確定した囚人の教誨師の務めをも果たしていた。貧しさ故に環境も悪く教育も受けられず食べることもできない少年達に愛と悲しみを持っている。そんななかで、死刑執行直前の殺人犯ダン・ファローに会う。子どものときに両親もなく劣悪な環境に置かれたダン・ファロー。彼は言う。「もし12才の時にひとりでも友人がいたらと思う」と。「もし子どものときに人の愛を知っていたならば正道を歩いたであろ う」と。最期のこの訴えを聞いて、フラナガン神父は孤児の救済を決意し、問題を起こした孤児たちを家に連れ帰る。

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 神父は質屋を営む親友に経済援助を頼み、孤児院の先々を悲観的に予測するこの友だちをついに説き伏せて小さな少年たちの収容施設 を作る。「悪い子はいない」という先ずは子どもを全的に信頼し、規律をもうけ、食事、仕事、学習、祈り、そして何よりも慈愛を注ぐ。しだいに収容人員が増し、建物が手狭になる。神父は郊外に土地を買う資金を実業家デイヴに依頼する。

 かくして神父のビジョンは現実となる。子ども達が総掛かりで穴を掘り、土台のセメントを流し込むところからの大工事に挑戦。一丸となってついに宿舎が完成する。

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 この家を中心に小さな町が作られる。ここは治外法権。そして子供たちの中から選挙で町長を選ぶ。フラナガン神父はこのときは中立の立場を取る。神父はキリスト教だが、単一の宗教を押しつけることはない。かつて町で盗み喧嘩が絶えなかったかつての不良少年たちは互いを尊重し、弱いもの小さなものをいたわり合う思いやりのある人間と成長してゆく。しかしこの町の自治、運営、維持にはやはり多額の経費が要るのだった。デイヴの発案で寄付金を募るが、なかなか思う ようには集まらない。
 その頃、獄中にいた有名なギャングのボス、ジョウ・マーシュが、フラナガン神父に会見を申し込む。用向きは懺悔ではなく、弟ホワイティを預かって欲しいと頼み込む。ホワィティはどうしようもないチンピラだ。映画を見ているこちら側が、こんなのを引き受けたら、せっかくの孤児達の家がメチャメチャになると思わせられる。実際回りの子供たちを事ごとに不快な思いに陥れていく。まっとうな生活に耐えられず、ついにトランクを持ち出し逃げ出そうとする。ホワィティを慕う6歳のビイ・ウイが、行かないでくれと、泣きながらどこまでも彼を追いかけ行かせまいとする。ところが、後を追ってビィ・ウイが道路へ出た とき、自動車に当て逃げされ、路上に転がり意識を失う。ホワイティは初めて神に赦しを請う。あてどもなくか
つての都会をさまよい歩くうちに、銀行襲撃事件に巻き込まれてしまう。通りかかった犯行現場には、監獄を脱獄したジョウが居たのだ。ホワイティは「ジョウ」と呼びかけたとき、仲間の拳銃に足を打たれてしまう。ジョウはホワイティを教会に運びこみ、フラナガン神父に電話で報せる。神父がホワイティを保護したものの、ホワィティも強盗の一味であると誤解される。もし孤児達の家から犯罪者を出した場合には、家は取りつぶされ、200人の孤児達が路頭に迷うことになるのだ。ホワイ ティは誰が盗みを働いたか口を割らなかったが、「少年の町」がとんだことになるのを恐れて、ジョウの隠れ家に出向き、一刻も早くここを立ち退いてくれと頼む。ホワィティが少年の家を秘かに抜け出すのに気づいた少年たちは、彼の後をつけ、大挙して隠れ家を突き止め、ついにギャングを捕えたのである。この話はたちまち全国に広まり、寄付金はだんだんと集まった。そしてもはや500人収容も夢ではなくなったのである。

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 今はすっかり真面目な少年になったホワイティ。もうチンピラの面影はない。かつてはこの町の町長になりたさに、不正まで働いて票を集めようとしたホワィティ。しかし、いま、「少年の町」のすべての少年たちが、この町の町長たり得るのは、最早ホワィティ以外には居ないことに全員が賛成したのだった。

 おまえはワルだ。おまえは悪いことをする。危ないやつなんだ。どうしようもないやつなんだ。どんな子どもでも、相手が自分をこのように思っていると知ったならどうだろう。おまえは存在価値がない。いたって仕方ないやつなんだと言われているのと同じだろう。いまの時代にゃあてはまらない、理想だ、そういわれるかもしれない。しかし、この神父の子どもたちへの「悪い子などいない」という一言が、どれほどに一人の存在を生かし、人をあるべきところに立ち返らせるかを思わせられた。

                 (県立図書館 蔵)

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