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2010年7月

「音楽の夕べ」&さんさ

http://www.city.miyako.iwate.jp/
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 いよいよあす、宮古市で「音楽の夕べ」があります。
宮古ジュニア弦楽合奏団は2回IBC制作のTV番組にもなっています。
 
 合併前のわたしが住んでいたころの宮古市の人口は約6万1千人。平成12年で5万5千。平成17年には旧宮古市、旧田老町、旧新里村が合併し合併後の人口は約6万人。平成22年元旦宮古市、旧川井村合併により現在の宮古市が誕生し人口は約6万人です。

 基幹産業は水産。お土産としては「すじめ」「区界冷燻」がおすすめです。季節にもよりますが、ウニ、ホタテ、昆布、ワカメ、アワビ、鮭、サンマなど市場にはピッカピカの生鮮がいっぱい!!

  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆

 

盛岡市ではきょうが盛岡さんさ踊りの前夜祭。あす1日~4日までを踊りまくる。

 7月も今日で終わり。庭の草取りなどなどで一月がまたたくまに。速い速い!
 月下美人の蕾が大きくなっている。毎日観察しているけれど、これもなかなか面白い。見逃さないようにしなくちゃ。アザミの種がふわふわと家の中にも。人形のあたまのてっぺんに、畳の隅っこに、書物のあいだから芽吹きアザミがどんどん育ったらなどと童話のような空想に笑う。8月よ来たれ(これはほんとうに8月という月のことを言っているのですが)、炎天下また愉快にやろうじゃないか。こんどはテラスのペンキ塗りはどうだろ。調子に乗って屋根も塗りたくなるけれど、これはストップがかかるでしょう、と思っていたら、GOサインが出たりして。…でもそれはないでしょう。
 

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増水

  朝から雷鳴が。断続的に滝のような雨が地をたたいた。午後の晴れ間に南大橋にスクーターを駆ってみる。底を抉る河川増水の威容が。

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 激流に抗わぬ流木。波にもまれ浮き沈みしながら川下に。

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 ふたたび国道4号線北上。後ろから接近する車を幾たびもバックミラーに見出し、追い越され、見送り、追い越されながら、心に通ったのは讃美歌。もう3時も近いだろう。大型トラックがもの凄いスピードで接近。瞬時に遠ざかっていった。荒くれた河が遠ざかり、賛美歌に穏やかさを取りもどす。いま誰かが祈っているのかもしれない。教会だろうか、友人だろうか。帰宅してちょうど3時だった。

 音楽の癒し。川南町のムッチーさん、口蹄疫発生以来、後でその音楽を聴いたとき様々思い出すといけないと音楽をかけるのを止めていたようだ。それが28日に初めてCDをかけたらしい。ムッチーさんが絶句、慟哭、感動した曲「太陽のメロディー」とは。どうぞムッチーさん、太陽のメロディーをクリックしてご覧ください。CDの収益金はすべて宮崎に送られます。今井美樹、小渕地健太郎、カッコイイ!!!


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早朝サイクリングー盛岡市下米内方面ー

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朝6時。運動不足に鞭打って主人の後続と自転車を駆る。
(写真は27日撮影。27日の早朝サイクリングです。)

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盛岡市下米内にある伊勢清水。

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午後からぱらついていた雨も止んだようだ。網戸からは涼しい風が。
きょう一日が平穏無事であったことに感謝する。

天にまします我らの父よ。
願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、
地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、
我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みに会わせず、
悪より救いいだしたまえ。
国と力と栄えとは、
限りなく汝のものなればなり。

アーメン。


    

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「北の文学」第60号合評会

 きょう盛岡市のエスポワールで18時から「北の文学」第60号合評会があった。清水渡さんが「三人童子」で北の文学賞を受賞された。4 人の作家と岩手日報社学芸部長、他小説入選、随筆掲載の方々と合わせて21人の会合となった。
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 わたしが初めて「北の文学」の合評会に参加したのは、第35号、高野京子さんが「まりあ人形」で受賞されたときだった。ほんとうに嬉しく緊張して出席。受付におられたのがすでに受賞された工藤なほみさんと立川ゆかりさん。小説を書く女性たちだ! と対面。このお二人が祝宴で「尊敬する高野さんに」と花束を贈ったのでした。
 高野さんは教員をなさった意志の強い気骨ある方でした。北の文学の作品すべてを精読し細大漏らさずに批評しました。小説を書くにも綿密に資料を調べ、自宅では資料を書いたカードを天井から吊していつでも目に触れるようにしていたようです。人工透析を30年間、週に3回受けており、そのような中で創作していたこと自体驚きです。北の文学にはいつも杖をついて現れました。文学への愛と執念です。「北の文学」「天気図」、詩の同人誌発行は高野さんの生き甲斐でした。晩年病院が私の母と同じだったため、話をお聞きする機会に多く恵まれました。高野さんの次の北の文学受賞が菊池尋子さん、そして第38号はわたしでした。拙書「光炎に響く」を出版したときは手放しで喜んでくださいました。お会いするたびに励ましてくださいました。

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 この高野京子さんが平成22日7月22日に亡くなられました。弔辞は立川ゆかりさんでした。高野さんの文学に懸ける想いは真摯でした。いまも杖をついて現れ、細かに批評を述べられる姿が彷彿とします。高野さんの大切だった北の文学、どれほどに多くの書き手、文学を志す方々の励みとなってきたことか。
 第60号の清水さんは、死後霊となって生まれ出ようとする存在を説得力をもって面白く書いてくださいましたが、高野さん、霊となってまた北の文学の合評会に現れてはくれないものかと思いました。

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キラキラ星よ永遠に

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                 「我は葡萄の樹、汝等は枝なり」

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 昨日塗装したテーブルを樹木の中に置いてみました。両側に葡萄の樹があります。室内が32~34度だったきょうは、ほとんどここで過ごしました。地面をどうするかまだ課題は残っています。ここでコーヒーを飲んだり雑誌を読んだり。木々や花や虫のなかに自分も仲間入り。たったこれだけのことですが、ひどく新鮮に感じられた一日となりました。

 午後から姪が3人の幼い子たちを連れてやってきました。10分の1のヴァイオリンが一台眠っていたのですが、貸し出すことに。子どもたちといっしょにキラキラ星を歌いました。2人がそちこちにとぶアザミの種を追いかけては捕まえてポケットにしまっていました。

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雑感

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 アジサイのシーズンも終わろうとしている。このアジサイを見たとき、花の色がくすんでいて、カメラを向けようという気にはならなかった。が、待てよ、と。美しい色彩だからと撮ったところが実際の色とは若干違っており、がっかりしたことがある。してみればこのアジサイ、案外味わいのある姿に映るやも、それを期待しシャッターを切ると、この通りでした。見た目そのままが、その存在そのものであるかどうか。目に届くまでには意識するしないに関わらず、さまざまなフィルターを潜っていそうです。

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  夏のまつりがそこかしこで。
 これは25日の写真。御輿の準備は午前中に大人達で完了。もうすぐこども御輿の行進が。おやつの時間の出発で、帰るとおやつが待っている。元気元気な子どもたち。この歳ともなると、担ぐのはゆるくない(担ぎはしませんでしたが)。担がれるのはもっと辛い(笑)。けれどもそれでも大丈夫、子どもの元気は無尽蔵。

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  理屈ぬきに優しい気持になれるこの一枚。正面から撮った何とも可愛い仏頂面の写真もあるのですが、きょうのところはこのバックシャンで。

 汗、汗、汗の子ども行事の一日。解散後友人宅にちょっとお邪魔。カモミール入りの冷茶をごくりと。写真はありませんが。
 見せて頂いたのが東儀秀樹氏の録画。見ながら分かった。雅楽器がかくも新しく現代と融合をし得た理由が。東儀氏の頭脳に構築されてある宇宙的なイマジネーションの確かさ。よくイメージをしっかりと持つことといわれるが、音からは魂の奧から引き出され無限世界をも包含する悠久な流れが聞える。
 たしかサルガドを見せて頂いたのもこのお宅だった。セバスチャン・サルガド。あのときも、帰る道々どうも名前を落としそうで、サルガド、サルガドと名前を繰り返しながら帰りましたっけ。

 きょう26日はじわりと汗が滲んできた昼時近くに、暑さに呑まれまいと麦藁帽子をかぶり、誰に命じられたわけでもなく、ただ自分の手柄にするために庭用のテーブルの2回目の塗料に挑戦。初めてとしては上出来と自己評価しました。

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きょうのことばー朝比奈寛説教選集より

 きょうは地域行事があり、教会をお休みしました。インマヌエル盛岡キリスト教会のようすはどうだったでしょう。いつものようにオルガンを弾く○○姉妹、あの席には○○姉妹が、あの席には○○兄弟がいつものように座ったでしょう。霊聖に恵まれた讃美、これが盛岡教会の自慢です。あきらかに内にいますキリストが生き働いておられる讃美です。みながいつものように説教に耳を傾けている。お一人お一人が浮かびます。

イスラエル遺跡写真集2

 きょうはインマヌエル綜合伝道団から出されている「朝比奈寛説教選集」からの抜粋を書かせていただきます。

 聖会が終わって皆様方はこの山を下りていきますが、悪魔が来ます。そのときに、どうぞ神様の御言葉に堅く立ち続けてください。イエス様は「ご自分が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおできになるのです。」と聖書に書いてあります。ですから誘惑に直面したとき、「イエス様。」といって、主のお名前を呼びなさい。「御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。」と、御言葉を心の中で繰り返しなさい。そのとき悪魔の誘惑はサーっと去って、霧が晴れるようになります。イエス様の名を呼びなさい。そして約束の御言葉に立ちなさい。そのとき誘惑に会ったことが、あなたのホーリネスの成長に非常に大きなプラスとなり、よい結果をもたらします。こうして「聖きを全うする」ことができるようになります。

 皆様方、これからお祈りしますが、どうぞきよめの信仰に堅く立ってください。それと同時に、神様の御言葉に堅く立ってください。主の名を呼んでサタンの誘惑を退け神の宮である肉体を養う上において、正当に行使すれば少しも罪ではない食欲の充足を、聖霊のコントロールのもとに行ってください。あなたがそれを正しく行使するならば、誘惑に破れるということはありません。食欲に溺れてはいけません。悪魔は欲に溺れさせようとするのです。欲に溺れた人間は目隠しをされた人と同じなのですから、引きずり回すことは簡単です。

 イエス様は神の御言葉によって勝利しました。私どもも悪魔の誘惑に必ず勝てるのです。悪魔はあなたの一番弱いところに攻撃をしかけてきます。けれど血潮を仰ぐとき、勝つことができます。勝ち癖がつくと、いくらでも勝てます。負け癖がつくと、どんどん、どんどんと負けて、同じ罪を何回も繰り返すようになります。その勝つか負けるかの境目にあって私どもを勝たせるものが、神様の御言葉です。きよめの信仰に堅く立ち、神様の御言葉をしっかり握って「聖きを全う」させていただきましょう。

 聖なる神様。この夜私どもは「きよきを全うしようではありませんか」という御言葉を学びました。それに合わせて私どもは、きよきを全うする過程において、必ず悪魔の誘惑に直面することも学びました。悪魔の誘惑に勝ちなさったイエス様の模範例に従って、御言葉に堅く立ち、御言葉によって悪魔の誘惑に勝ち続け、きよきを全うさせていただくことができるように助けを与えてください。そしてホーリネスの世界において、キリスト様の姿が私どものうちに造られてゆきますように、どうぞ憐れみを加え給わんことを請い願いたてまつる。肉の欲、目の欲、暮らしむきの自慢のこの三つの原理によって代表される世、そしてこれを用いて誘惑してくる悪魔、これをどうぞ、御言葉をもって勝ち続ける勝利の生涯を送らせてくださるようお祈りをいたします。イエスさまの御名によって感謝をしてお祈りをいたします。  アーメン。

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ヤコブの手紙

 いま雷鳴がしている。
 今晩書きたいことは2つあったが、どちらも簡単に書いてしまっては申し訳ない、さてそれではどうしようかと思っていたところ、一昨日の朝に聖書を、きょうは最初に開いたページを読んでみようと開いたところが、こんな箇所があった。いままた思い出したので写してみる。

am1:13 だれでも誘惑に会ったとき、神によって誘惑された、と言ってはいけません。神は悪に誘惑されることのない方であり、ご自分でだれを誘惑なさることもありません

jam1:14 人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。

jam1:15 欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。

jam1:16 愛する兄弟たち。だまされないようにしなさい。

jam1:17 すべての良い贈り物、また、すべての完全な賜物は上から来るのであって、光を造られた父から下るのです。父には移り変わりや、移り行く影はありません。

 これは自分をカモフラージュしようなどという動機から書いているのではありません。まただれそれを非難しようと目論んでいるのでもありません。わたしがこの箇所を開き、書いてあるのでそこを読み、真理だと納得したのでそのままここに書き留めています。意図的にこの箇所をえらんだのでもありません。

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「編物する女」ー黒田清輝ー

Photo                                「編物する女」(明治23年黒田清輝美術館蔵)

 編物? 平凡だ。時間の浪費でしかない。そんなふうに思っていた時期がありました。齢を重ねるにつれ、手仕事の良さが分かるようになりました。時間を無為に過ごさない、あるものを無駄にしない、家族、友人、知人に喜んで貰える等など。ただ、私の場合は、人様に喜んでいただけるほどのものを仕上げたためしがありません。そんなことはともかく、このデッサンには一極集中している美しさが感じられます。細かな一目一目をはずさないように意識を集中させている。編物をする姿を捕える視線に愛情が感じられます。

 実家の母はよく自分のセーターをほどいては子どもたちに編んでいました。手仕事が好きで、習ったことがなくとも何でも見よう見まねで作っていました。母の作った洋服、セーター、バック、壁掛け、靴下、手袋を思い出します。布製の手提げ、小物入れは今でも重宝しています。

 手仕事は手仕事でも、きょうの午後私は庭に置くテーブルの塗り替えに挑戦しました。色を塗るのは比較的簡単ですが、古い塗りを鑢で取ったりするのにはけっこう時間がかかります。
 丸太でふくろうを刻んだり、テーブルや椅子を作ったりできたならどんなに楽しかろうなどと考えて、はたと気づいたのは、どうやらわたしは女性の手仕事よりも男性の手仕事の方に面白さを覚えているようです。植木を剪定するのもそうです。強制されてやったことはありません。面白いのでやっています。トラ刈りにしてしまった木もあります。森林で木材を切り倒したら面白かろうとも思っています。森林は間伐などの担い手がなく、もはや壊滅状態、針葉樹林は近々ゴミの山となるのだそうです。森林ボランティアはいつでも必要とされています。このようなサークルにさえ入れば、山仕事のチャンスはいくらでもあるでしょう。ただこれは手仕事とは言えないかもしれません。

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猛暑

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 日本列島は22日も北海道を除き高気圧に覆われて気温が上昇し、最高気温35度以上の猛暑日となる所が続出した。気象庁によると、同日午後2時26分に岐阜県多治見市で全国最高の39.4度を観測し、今夏最高を更新。熱中症で倒れる人が相次ぎ、関東、東海で計5人が死亡した。猛暑は週末まで続く見通し。気象庁は特に子どもや高齢者に対し、水分をこまめに取るなどの熱中症対策を呼び掛けている。ー 2010年7月22日(木)18:03 共同通信ー

 とにかく暑い!!クーラー無しで頑張って(?)いる。垣根の境目にはお隣のクーラーの稼働音が。こんな音の面白さはまた格別である。こちら汗ふきふき。お隣涼しげに読書、などと想像したら失礼になるかならないか。木陰に入ると若干涼しいと分かっていても、家の中に。32、3度と感じていたが、実際は何度であったか…しかし僥倖はあるもの。暑い暑いと言いながら涼しげな家で涼しげなT子さんからの℡。午前は1時間ばかりこちらのお宅で涼しく過ごし、午後は遠戚ともいうべき家人がお世話になった方の火葬に代理出席。暑さもどこへやら。

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人の業の焼き尽くされて炎天に
  白き煙とうすれ消えゆく   ぶんな


  満たさるる水の面にすっきりと
  洗われてありきょうの青空   ぶんな

 

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どんなに小さくとも

わが家には7月に誕生日を迎える者が一人いる。ささやかながら誕生セレモニーははやい目に終えている。

 今朝の小さな奇蹟は、40個だと思っていたアザミの蕾を丹念にかぞえてみたところ、何と、一株に100個もついていました。これは、咲けないかもしれないちっちゃな蕾も含めてのことです。こんな株は初めてです。ほかに4株ありますが蕾の付き具合は多くて十数個といったところです。

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 数多く咲けばよいというものではありませんが、この一株には日々驚きの連続です。アザミの種はほんとうによく出来ています。ようく見ると綿毛の一本にさらに無数のごく細い毛が出ています。恐らくはこれでそう簡単には地上に落ちないでしょう。仮に落ちたとしても、ほんの僅かな空気の動きさえあれば転がり浮上して遠くまでも飛ばされることができるでしょう。これは、可能な限り広範囲に種が広がるような作りなのでしょう。風が体感されない大気の状態でもふわふわと飛んで一度も落下せずに後ろの高い木のあいだに消えました。大変なすぐれもの、実にすばらしいものです。 

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    ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 これは月下美人の花芽です。7つ付いていました。もう諦めていたのですが、何とか咲いてくれる気配です。まだまだ小さいので油断はできません。一応花期は7月までとなっていますから、かなりの遅咲き。遅くてもいい、近所の方の月下美人ほどに立派じゃなくてもいい、目立たなくたって構わない、どんなに小さくともどんなに遅くとも一生懸命に咲いて欲しい。この目立たない軒下でも、世間の目に触れることがないとしても、ただひたすらに咲いて欲しい。わたしはそれを見守りたい。

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      しかしついには上から霊がわたしたちの上に注がれ

 荒野が果樹園となり果樹園が森と見なされるようになる。

                イザヤ32:15

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宮古ジュニア弦楽合奏団第45回「音楽の夕べ」2010/8/1(日)宮古市民文化会館15:30開演

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              出演団体note

弦楽:宮古ジュニア弦楽合奏団/梅村ヴァイオリン音楽教室/カワン・バグスストリングオーケストラ/Stern String Ensemble

ピアノ:加藤芙美子ピアノ教室松原佳代子音楽教室

合唱:幼・小・中学生/高校生/一般/宮古木曜会合唱団/宮古女性コーラス/女性合唱団コールふじ/コーラス「ブリランテ」/新里コーラス/ひばり/ひまわり

合唱指導:金沢正明/小松智佳子

主催:宮古市で交響曲を演奏する会

主管:宮古ジュニア弦楽合奏団  

cancerその昔、梅村圭一氏の父梅村功二氏は、磯鶏海岸の砂に一升瓶を立て、村井正一氏(岩手県民オーケストラ創設に尽力。チェロ教室主宰)や板谷栄紀氏(宮澤賢治研家。優れたヴァイオリン指導者)とともに、音楽の抱負を語りながら夜を徹して痛飲したと聞いています。このような音楽の和と輪をご覧になったならどのようにかお喜びになるでしょうか。

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アザミ

一株のアザミに花が40個もついています。脇芽を摘むべきだったかもしれません。毎日次つぎに咲いています。

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きょうは新たな訪問客がありました。この虫は名刺を持っていなかったために、何者かは分かりません。どうやら花のミツを吸いに来たようなのですが。

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アザミの花の中にタンポポの種が投げ込まれたかな? まさか、これはやはりアザミの種です。

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ほんとうにきれいです。
風を待っているのです。

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40個あまりの花が、うまくいけばぜんぶ咲いて、このような落下傘付きの立派な種に。この種には命があります。命そのものが風に運ばれていたるところに着地し、そこにも、ここにも、あそこにも、見えない至るところにも命を芽吹かせる。生命とはすごいものです。

このあたりまえのことを、すっかり忘れていました。あたりまえであることこそ、それはすごいものなのだ、そういう気がします。

   ◆  ◆  ◆  ◆  ◆

はなしは変りますが、風は風でも、障害者自立支援法という分かったような分からないような風がおこされたために、カナンの園の障害者の方々が、これまでの古巣を出なければならなくなりました。予め直ぐにでも移り住める家を準備してから、さあ移りなさい、というなら分かります。移り住む家がまだ出来ていないのに、それを造る資金も無いのに引っ越しなさいという支援というのは、これは支援とはいえない。何だか変。

 緊急に今年中に移り住むためのケアホームが要ります。募金を募っています。カナンの園で作られたグッズ、絵はがき、パン、クッキー、せんべいなど、購入していただければ幸いです。

カナンの園後援会

 〒020-0147
 盛岡市大館町28番53号
 ヒソプ工房内
【郵便振込口座】02330-6-6631 カナンの園

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きょうのことば ーゲッセマネの園にてー ヨハネ伝連講(100)

Scan10006                                             黒田清輝  「祈祷」

 あわや遅刻かと思いました。車の渋滞です。考えてみれば、3連休の中日でした。きょうこそ花の係です。庭に咲いているグリーンのスモークツリー、ヒガンバナ科の青いアガバンサス、オリエンタル系の赤紫のユリ、斑入りのアオキ、白いフロックスを花瓶に生けました。

 さてきょうのインマヌエル盛岡キリスト教会の国光勝美牧師のお話は
説教題 『ゲッセマネの園にて』
聖書朗読 ヨハネ伝18:1~11

1
 イエスはこれらのことを話し終えられると、弟子たちとともに、ケデロンの川筋の向こう側に出て行かれた。そこに園があって、イエスは弟子たちといっしょに、そこにはいられた。
2
 ところで、イエスを裏切ろうとしていたユダもその場所を知っていた。イエスがたびたび弟子たちとそこで会合されたからである。
3
 そこで、ユダは一隊の兵士と、祭司長、パリサイ人たちから送られた役人たちを引き連れて、ともしびとたいまつと武器を持って、そこに来た。
4
 イエスは自分の身に起ころうとするすべてのことを知っておられたので、出て来て、「だれを捜すのか。」と彼らに言われた。
5
 彼らは、「ナザレ人イエスを。」と答えた。イエスは彼らに「それはわたしです。」と言われた。イエスを裏切ろうとしていたユダも彼らといっしょに立っていた。
6
 イエスが彼らに、「それはわたしです。」と言われたとき、彼らはあとずさりし、そして地に倒れた。
7
 そこで、イエスがもう一度、「だれを捜すのか。」と問われると、彼らは「ナザレ人イエスを。」と言った。
8
 イエスは答えられた。「それはわたしだと、あなたがたに言ったでしょう。もしわたしを捜しているのなら、この人たちはこのままで去らせなさい。」
9
 それは、「あなたがわたしに下さった者のうち、ただのひとりをも失いませんでした。」とイエスが言われたことばが実現するためであった。
10 シモン・ペテロは、剣を持っていたが、それを抜き、大祭司のしもべを撃ち、右の耳を切り落とした。そのしもべの名はマルコスであった。
11そこで、イエスはペテロに言われた。「剣をさやに収めなさい。父がわたしに下さった杯を、どうして飲まずにいられよう。」


イエスさまは、これからいよいよ十字架に架けられる場面に臨むことになるのです。ゲッセマネの園では血の汗を流して祈っておられます。最後の晩餐で、イエスさまが弟子たちにイエスさまが取り去られることなどを話しているそこに、もうユダはいません。「汝のなすべきことをなせ」。ユダが悪魔に心を占領され出て行ったとき、外は暗闇でした。イエスに背を向けて去るときに、そこに光があろうはずがないのです。
 ユダはイエスさまを捕えようとしている祭司長、学者、パリサイ人といった既成勢力のところに行き、銀30枚で売る約束を交します。決して人違いだとか何らかの理由で取り逃すことはあるまいな、と念を押す反キリストらに、ユダは、私がイエスの顔を知ってるから暗くても間違えることはありませんよ、とでも言ったでしょうか。ある資料によれば200人、しかし一般的には600人もの兵士らがユダの誘導でイエスを捕えようと明かりや松明を燃やしてやってきたのです。捕え損ねることなど許されなかったでしょう。
 聖書からそれを補強してみましょう。

ルカ21:37
さてイエスは、昼は宮で教え、夜はいつも外に出てオリーブという山で過ごされた。
 ユダはこういったイエスさまの行動パターンを熟知していました。一方反キリストらは
ルカ22:1 さて、過越の祭りといわれる種なしパンの祝いが近づいていた。2 祭司長、律法学者たちは、イエスを殺すための良い方法を捜していた。というのは、彼らは民衆を恐れていたからである。
 このように民の暴動を恐れていたので、民衆に気づかれないようにイエスを捕えようと躍起になっていたのです。イエスの側近ユダの裏切りは彼らにとって非常に好都合でした。
 イエスさまはこれらすべてをご存じでした。知っていながら木曜の夜も祈るためにゲッセマネに行きました。この日は多くの弟子たちはすこし離れたところに居らせ、ペテロ、ヤコブ、ヨハネだけをそば近くに居らせていつものように祈りました。間もなくローマ兵が来ることも分かっています。いよいよ「その時が来た」ことで、血の汗を流し祈ったのです。
 ルカ22:39
39 それからイエスは出て、いつものようにオリーブ山に行かれ、弟子たちも従った。40 いつもの場所に着いたとき、イエスは彼らに、「誘惑に陥らないように祈っていなさい。」と言われた。41 そしてご自分は、弟子たちから石を投げて届くほどの所に離れて、ひざまずいて、こう祈られた。42 「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。」43 すると、御使いが天からイエスに現われて、イエスを力づけた。44 イエスは、苦しみ悶えて、いよいよ切に祈られた。汗が血のしずくのように地に落ちた。45 イエスは祈り終わって立ち上がり、弟子たちのところに来て見ると、彼らは悲しみの果てに、眠り込んでしまっていた。46 それで、彼らに言われた。「なぜ、眠っているのか。起きて、誘惑に陥らないように祈っていなさい。」
 イエスさまが、弟子たちにも祈っていなさい、祈って欲しいと言ったにも拘わらず、弟子たちは眠っていたのです。おそらくはいつものように寝ていたとも考えられます。ここでは悲しみの果てに眠り込んだとあります。

 さてヨハネ伝に帰ってみましょう。
イエスさまを捕えるために、200~600人もの人々が、灯火、松明、武器を手にやって来ました。

ヨハネ18:4
でイエスは「だれを捜すのか。」と訊いています。「わたしは逃げも隠れもしない。これは父がわたしに下さった杯なのだ。このためにわたしは来たのだ。他の弟子たちは関係がない。あなた方が捕えようとしているのはわたしなのだから他の者たちは関係がない」と言われるのです。このときペテロは、たとえ他の者がイエスさまを裏切ってもわたしは裏切りませんと言いました。ペテロは剣で大祭司のしもべの右耳を切り落としてしまいます。イエスさまは耳を元通りにしましたが、これがイエスさまの地上に於ける最後の癒しの奇蹟でした。

 イエスさまが18:6で「それはわたしです」と言われたとき、「彼らはあとずさりし、そして地に倒れた。」というここのところを皆さんはどのように受けとめますか? 何が彼らをそのようにさせたのでしょう。「それはわたしです」、これはたいへん意味のあることばです。

 ヨハネ6章には5000人の施食の奇蹟が書かれています。そのあと弟子たちが舟に乗ってカペナウムの方に渡ろうとしたが舟は強風に煽られ弟子たちは動揺しました。4、5㌔こぎ出したとき、イエスが湖上を歩いてこちらに来るのが見えたので弟子たちは恐れました。イエスは彼らにいいました。ヨハネ6:20「わたしだ。恐れることはない。」。これをギリシャ語で「エゴ・エイミー」(わたしはある)といいます。このことばこそ、出エジプト記の3章、モーセが上ったホレブ山で柴の中の炎の中に現れ、モーセに「あなたの足のくつを脱げ」と仰せられ、14節にある通り「わたしは『わたしはある』I Am that I Am)というものである。と仰せられた神ご自身なのです。

 この地上の勢力が灯火、松明、600人の大軍隊を差し向けていったい誰をさがしたのか。「それはわたしです」。このおこたえを聞いたとき、彼らはひっくり返ってしまった。後ずさりし地に倒れてしまいました。

 わたしたちが信仰生活をするとき、押し迫る妨害、反対、課題が今にも押し寄せてこようとするとき、「それはわたしだ、恐れることはない」といってくださる主がともにいてくださる。「それはわたしだ、エコ・エイミーである」というときに嵐は静まります。このお方が守ってくださいます。

 イエスさまは最後のお別れのとき、父よ御名の中に彼らを守ってください、と祈られました。このお方こそ私たちが信じ従っていくお方であること、この世のどんな勢力もこのお方の前には崩れ去ります。このお方の御名をしっかりと胸に留めて信仰生活を歩んで行きましょう。一歩のりだしてご自身を現してくださる主を信じましょう。

※この説教は聞き書きですが、聞き落としなども若干あります。文責は当ブログ筆者にあります。


 

 

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黒田清輝展 & 口蹄疫

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 近所の方から菊の苗を20本頂いた。この時代、恐らくは菊用の鉢、土、肥料と売っているだろうと思い、園芸用品を扱っている店へと向かった。途上、岩手県立美術館で「黒田清輝展」が開かれているのが見えた。今日からだ。昼までには1時間半ある。左にハンドルを切る予定を覆しすこし直進して左に切る。
 いまは一枚一枚を丁寧に見ることはしない。画廊をとにかく足早に歩いて目に留ったものに立ち止まってじっくりと見る。147作品のうち下記の作品に足を停めた。

 裸婦習作(1888)、裸体・男(半身)(1889年)、祈祷(1889)、少女の顔(1890)、編物(1890)、繍物する女(1890頃)、編物する女(1890頃)、赤髪の少女(1892)、昔語り図画稿(舞妓半身像)(1896)、昔語り図画稿(舞妓半身像)(1896)、湖畔(1897)、智・感・情の3大作(1899)、花野図画稿(Ⅰ)(1907)、森の中(1910)、婦人肖像(1911ー2)、木村翁肖像(1919)

 黒田清輝といえば「湖畔」のイメージで、写真でしか観たことがなく、実はそれほど良いとも思ってはいなかった。しかし今回の企画展で、寛いでいる女性像は僅かで、むしろ手仕事をする女性、困難、憂鬱を背負った女性の方にじっくりとした視線が注がれていた。
 写生帳17点が展示されていたが、寸暇を惜しんで書き留める芸術家の姿勢には照らされた。何に於いて真面目といい、何に於いて不真面目というのか…
 
 掲載は絵はがきのスキャン。少女趣味といわれそうだが、愛おしく感じられた一枚だ。「智・感・情」の大作を写真で観たときは作り物といった感じがしたが、実物は大違いだった。近くにあるソファに座り込んで観たのはこの大作だけである。特に「感」の上半身には惹きつけられる高い精神性があり、強烈なエネルギーに射られた。それはそれで凄い!のだが、やはり個人的に好きなのは、この後ろ姿「赤髪の少女」だった。正面から捉えた人物画よりも、背中から捉えたものに惹かれる。

 当然写真撮影は許されないだろうと思ったが、訊くと企画展は禁止、しかし常設展のほうはフラッシュさえ焚かなければ可、と初めて知った。さっそく舟越保武氏の「聖ヴェロニカ」など女性像を撮らせてもらったが、「ゴルゴダ」は残念ながらきれいには映らなかった。

 1時間で一通り観たつもりで美術館を出て、次なる買い物に。ほんとうに入り用なものだけを見て購入し12時ちょっと過ぎには帰宅。用足しのついでの美術鑑賞。きょう思ったことは、生活の合間の美術鑑賞で丁度良いということ。浸りきっていた頃がちょっぴり可笑しく懐かしく思い出された。

   ◆  ◆  ◆  ◆  ◆

 こんどは口蹄疫のことですが、宮崎県で4月20日に口蹄疫が見つかってから3ヶ月。これまでにおよそ28万9千頭が殺処分となった。最期に宮崎県高鍋町の農場経営者が飼育する種牛6頭のワクチン接種と殺処分を拒否していたが、国に押し切られ、殺処分が開始となった。

 問題は冷静で具体的な検討が行われたかどうかだ。種牛6頭を処分しなければ本当に清浄国になれないのか。農場経営者の提案に対し専門家による科学的で客観的な評価などは行われたか。そこは見えてこない。みんなやっているのに1人のわがままは許さない。そんな大味な議論に終わった感じがする。=参考 2010/07/16付 西日本新聞朝刊=

 3ヶ月の凄絶な戦い。消毒、殺処分、運搬、埋却。家畜の死体、死体、死体…の地獄絵だった。清浄化宣言がいつ出るものか、畜産農家の方々の保証がどうなるのか、保証だけでは到底償いきれない心の痛手を思うと、素直には喜べそうもない。

                                   

 

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晴れ間

 土砂崩れ、増水と雨の悪戯。それでも現れたゴルドベルクの空。雲が千切れるたびにハーブシコードがさざ波のような白金の音をたてる。

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ゴルドベルクの空。音のしずくに聞き耳をたてるアザミの無数の棘たち。花に薫るエッセンス。
高くに金属のはじける音が微かにふってはいるのだけれども
虫は無心。

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青空のさざめき。ぴりぴりと送電線に光芒を放つ。

 

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いくつにも鋭く折れてはまた折れる幻のゴルドベルク。



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河川増水ー盛岡市の明治橋からー

 昨夜も降った。花びらの滴がおだやかに光っていた。気まぐれにぱらつく一日だった。

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午後、晴れ間を見計らい、自転車で川向こうの大型スーパーに。途中、明治橋で自転車を停める。増水した川が両岸のことごとくを浚いたげにのんのんと流れ下って行く。

 
明治橋は案内板によると「藩政時代、ここは盛岡城下の入口に位置し、北上川舟運の起点であったことから、人が集まり物資の流通も多く、奥州道中筋の要所で した。北上川は、この盛岡で雫石川、中津川、簗川と合流し、大河の様相を呈し、架橋が難しく当初は舟渡しでしたが、延宝8年(1680)頃にこの場所に舟 橋が架設されました。舟橋は両岸に巨大な親柱と中島の大黒柱を立て、20艘ほどの小舟を鉄鎖で係留し、その上に長さ2間半から3間(約5~6m)ほどの敷 板を並べて人馬が往来できるようにしたもので、増水時には敷板を撤収し、舟を両岸に引き揚げて、「川止め」にしました。舟橋は大河に架橋できない当時の知 恵であり、明治7年(1874)に木橋の明治橋が出来るまで存続しました。 盛岡市教育委員会 」。

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 架橋の下には強靱なエネルギーが、有無を言わさずに川底を削ぎ溢れ沸きたち下へと進路をさだめる。

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 右は上流から流されてきた大木の根です。左に細くみえるのは枝ではなくこれも一本の樹木です。

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 大木の根です。濁流はこの根を川底に引きずり、転がし、架橋に打ち付け、球のように削りたがっているのか、へし折り、引き裂いて存在を粉々にしてしまおうとの算段でしょう。しかしこの根は雄弁です。最期まで語りつづけるでしょう。


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バッハはお高くとまってはいないーマタイ受難曲第Ⅱ部第78曲までを聴くー

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 梅雨前線が日本海に停滞している。14日、九州北部、中国地方では記録的な大雨だったようだ。気象庁によると、高知県馬路村では14日午後までに24時間の雨量が360.5ミリ。福岡県北九州市では同日午後までの3日間の総雨量が 505.5ミリに達し、観測史上1位を更新した。西日本では徳島市や神戸市、広島県呉市など広い範囲で1時間の雨量が40ミリを超えた。梅雨前線上にある低気圧が15日朝にかけて三陸沖に進むため、大雨の範囲は同日夕方にかけて西日本から東北まで広がると予想される。同日午後6時までの24時間に予想される雨量は、九州北部、近畿、東海、東北で120ミリ、九州南部、中国、北陸、甲信で100ミリ、四国で80ミリとなっていると。(アサヒ・コム)

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 以前にもこのブログに、3万人が生きることよりも死ぬことを選ぶ国だと書いたことがあるが、今夜クローズアップ現代でやはり自殺者3万と。
 きょう教会の姉妹を自宅にお送りしたが、といってもこれは景色がいいのですこし足を伸ばしたいわたしが強いて自宅にお送りしたのだが。低気圧は気分に差し障るところがある。わたしはハンドルを握りながら誰はばかることなく大声で讃美歌を歌って、心に停滞する低気圧をば~んと吹っ飛ばした。はるか道の向こうに十字架をしっかりと見定めること。秘訣はこれである。雲霧が晴れた瞬間だった。しかしこのように天気が崩れる日には、心を病む方々はいかに重たさを抱えておられるだろう。失業、借金、病気、欝といった過程を踏む方の割合が決まっていることには複雑な思いがした。

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夕食と後片付けが一段落して、バッハのマタイ受難曲第Ⅱ部、第53曲までを聴いた。ブログを書き始めて“ながら”で聴くうちに、いまは第73曲の傍を通りかかっている。
 第53曲のあの「血潮したたる主の御頭」で有名なコラールの部分に歌われたのは

     
  あなたの行くべき道と
     あなたの心の患いを委ねなさい
      天を統治される大いなる者の
       変わりなき守りの御手に
         雲に大気に風に
     道を備えてめぐり行かせるものは
         必ず道を開いて
        あなたの足を確かに
       導いてくださるでしょう


 バッハには大いなる癒しと安らぎがある。バッハは労働から、家事から遠く離れてお高くとまってはいない。とても身近だ。親身になって話を聞くカウンセラーのようでさえある。心に寄り添い、心のうちにあるさまざまに共感してくれる。バッハは心に入ってくれる。そして夾雑物を洗い流してもくれる。

 第77曲のアリアが終わり、いま第78曲に入る。「わたしたちは涙を流しながらひざまずき」。この最期の合唱を聴きながらきょうを締め括ろう。

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「ヘルベルト・フォン・カラヤン~その目指した美の世界~」 BSハイビジョン

 参院選は民主が後退。投票はしたが、選挙カーが近づいても話を聞こうという気にもなれない選挙だった。政治への期待感が削がれてしまっている。
 昨日につづききょうもそう暑くはならず、家の中の片付けや繕い物で過ごした。
 北上山地も牛も気になり、畜産関係者のブログも気になりつつも、マタイ受難曲の第Ⅱ部を聴き、それを中断し夕食準備を終えてからまた聴いていたところが、主人が、「きょうハイビジョンでカラヤンがあるよ」。急遽8時からテレビのまえに。再放送らしい。
 製作Unitel/ MRFilm (ドイツ/オーストリア2007年)
 常々見たいと思っていたゲネプロの断片も多く、予測したよりは多面的にカラヤンならではの場面が捉えられていた。3分の1過ぎたあたりで、録画すれば良かったと悔やんだ。

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 ナチ党員であった、独裁的であった、メカに強く飛行機、ヨット、車を乗り回した、バーンスタインとは対称的なタイプだったなどは有名なことだ。車のナンバーは151だったという。フルトヴェングラーとの確執には触れられていなかった。ただカメラを取りに席を立ったのでそのあいだに入ったかどうか。

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 音楽的には保守的で楽譜に忠実。音楽に揺るぎない脈動する感覚がある。「この4つの音符に命を満たして」といった要求、さてこれが文章の世界なら…。美しさを強調し過ぎるとの非難を浴びたことも。従わせようとするときには独裁者となり、氷のような冷たい目に。「手綱を引き締めてでも従わせる」と言ったという点は、岩城宏之がカラヤンから学んだこととはすこし違っている。何れ望むところの音を出してくるまで、決して妥協はしなかったのだろう。生真面目で信念を持っていたという。カラヤンを銃で撃ちたいとまで言った楽団員もあったようだ。カラヤンがそこにいるだけで人を恐れさせ、誰も聞き返したりする勇気はなかったと。

 番組とは関係ないが、はっと気づけば0時5分。もう14日になってしまった。カレンダーに穴が開くのが残念。つい夢中になって時刻を確かめるのを忘れていた。

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 カラヤンからもの凄いエネルギーが発散され、それから逃れられないと語った人も。彼は美しさに拘り、舞台の監督もやってのける。監督と喧嘩になるよりは、自分でやった方が良かったのだろう。カラヤンのDVDはベートーヴェンでいうなら「田園」のように芸術的な美しさに満ち、「7番」ではオケの階段式の配置といった新しい試みがある。

 毎日の散歩はパンのように欠かせない、秩序ある生活が重要といい、うんざりするほど規律ある生活を守っていたようだ。

 私の好きなヤノヴィッツはコンサート終了後、カラヤンに「お元気で」と言われて、これで終わりだと分かったと言っている。ヤノヴィッツのあの清らかな声がおさらばを言われるとは。心が揺れる。

 最期のニューイヤーコンサートでは「何よりも大切なのは平和です」と明言する。娘のイザベルによれば、カラヤンは最晩年「火刑のジャンヌダルク」を演奏したがっていたという。

 エリエッテ夫人がカラヤンの最期を語った。「夫は私の目を深く見つめて、水を持っていたわたしの腕で亡くなりました」。

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 カラヤンはソリストを非常に吟味した。番組に登場したルチアーノ・パヴァロッティ の声にも驚愕した。ここからは声の話になるが、バッハの受難曲を聴いていても人の声の不思議さを思う。殊にもバスからソプラノ、女声と男声で見事に音域をカバーしている。カラヤンに認められたソリストたちは、“ストラディバリウス”なのだ。しかも生ある最も盛んなときに、最上の“音を奏でる”。楽器ならば数億ともいうのだろうが、そんな取引は声の“ストラッド”にはない。それは24時間生きた血の通った“ストラッド”なのだ。生きているから、ある日突然何らかの事情で声が出なくなることも。声が裏返ったり途切れたり擦れたり外れたりすることもあり得る。そうならぬよう細心の注意と共に守られている“楽器”なのだ。これを一つとっても人間というのは不思議だ。鳥も歌う。しかし人間はこれを技術で磨きあげ心で、魂で歌うことができる。宇宙観、人生観をも備えて歌うことができる。やはり他の動物とは異なる生き物であると思う。

 

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バッハの「マタイ受難曲ー第Ⅰ部(第1曲~第35曲)」を聴く

庭仕事のあいまに聴いたマタイ受難曲。きょうはパソコンの不具合で多くを書き込むことはできないが、

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カール・リヒター指揮。 ヒューマンな味わいといわれるまさにその通りの演奏でありすばらしかった。
1971年ミュンヘンで録音。 ミュンヘン・バッハ管弦楽団

ペー ターシュライアー(テノール)〔福音史家〕 エルンスト・ゲロルド・シュラム(バス)〔イエス〕 ジークムント・ニムスゲルン(バス)〔ユダ・ペテロ・大 祭司・ピラト〕 ヘレン・ドナート(ソプラノ) ユリア・ハマリ(アルト) ホルスト・R・ラウベンタール(テノール) ヴァルター・ベリー(バス)

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いま、第 Ⅰ部だけの3回目を聴きながら書いている。植木を刈り込み、草をとり、小屋を片付け、玉山区にあるゴミ処分場にも行き、労働らしい労働をしたと誇って もよいかと思うこの日、大いに汗を流したきょう一日を、心休まるこの大曲で締めくくる感謝は尽きない。「血潮したたる主の御頭」で有名な第23曲にさしか かっている。

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「あなたの胸がとどめの一突きに青ざめて果てるときも、私はこの胸を広げて御体をわが懐に抱きましょう」のコラールが覚悟も響きくるひたすらな信仰告白をあらわして心に澄明に染みこんできます。

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きょうのことば ーみな一つとなるためー

 きょうの花の係はわたしの番と張り切り、花束抱えて教会に着いてみると、あららら、講壇の横にはもう真新しい花が生けられていた。週報を目に近づけてよくよく見ると、きょうの係は…ジャン! Y姉妹でした。と、こういう失敗も。
 せっかくだということで、花束のうち3本を、Y姉妹が自分の生けた花に仲間入りさせてくれました。


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さてきょうのインマヌエル盛岡キリスト教会の国光勝美牧師の説教は

説教題 『みな一つとなるため』 ーヨハネ伝連講(99)ー
聖書朗読 ヨハネ伝17:20~26
(青い字は聖書の引用です)

20 わたしは、ただこの人々のためだけでなく、彼らのことばによってわたしを信じる人々のためにもお願いします。
21 それは、父よ、あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいるように、彼らがみな一つとなるためです。また、彼らもわたしたちにおるようになるためです。そのことによって、あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるためなのです。
22 またわたしは、あなたがわたしに下さった栄光を、彼らに与えました。それは、わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるためです。
23 わたしは彼らにおり、あなたはわたしにおられます。それは、彼らが全うされて一つとなるためです。それは、あなたがわたしを遣わされたことと、あなたがわたしを愛されたように彼らをも愛されたこととを、この世が知るためです。
24 父よ。お願いします。あなたがわたしに下さったものをわたしのいる所にわたしといっしょにおらせてください。あなたがわたしを世の始まる前から愛しておられたためにわたしに下さったわたしの栄光を、彼らが見るようになるためです。
25 正しい父よ。この世はあなたを知りません。しかし、わたしはあなたを知っています。また、この人々は、あなたがわたしを遣わされたことを知りました。
26 そして、わたしは彼らにあなたの御名を知らせました。また、これからも知らせます。それは、あなたがわたしを愛してくださったその愛が彼らの中にあり、またわたしが彼らの中にいるためです。」

ヨハネ伝17章はイエスさまのお祈りの章でした。イエスさまはご自分のため、弟子たちのため、そしてどの時代にあってもイエスさまを信じる人々のためにも祈られました。イエスさまが祈られた主題は「みな一つとなるため」でした。
 「みな一つとなるため」という言葉は、ヨハネ伝17:11「
聖なる父。あなたがわたしに下さっているあなたの御名の中に、彼らを保ってください。それはわたしたちと同様に、彼らが一つとなるためです。」
に、上記の聖書の引用にあるとおり、17:21に、17:22に、17:23にと4箇所に記されています。
 ご自身を信じる人々のみならず、すべての主を信じるものたちが一つとなるように祈っていることは疑うべくもありません。このイエスさまの祈りをどのように捉えるべきでしょうか。

 「一つとなるように」にとらえ方によっては、二つの立場での解釈がなされます。
一つは、エキュメニカル運動の立場でのとらえ方があります。教会合一、教会を一つに纏めようとするムーブメントがあります。プロテスタントの教会がそもそもの始まりとなったのですが、これが大きく広まりカトリックにも大きく影響し、信じるものが一つとなろうとする潮流が今もあります。
 善隣館などで聖書を求めようとするとき、先ず提供されるのは新共同訳聖書でしょう。多くのミッションスクール或いは他の立場の方々に用いられています。信仰を一つに纏めようとするとき、信仰の土台である聖書を一つに纏めようという意図のもとに翻訳されています。これがいまの大きな潮流です。
 わたしたちはエキュメニカルの立場ではありません。
わたしたちが使っている新改訳聖書は目立たない書架に置かれています。新改訳は福音派の人々に用いられています。教会と無関係の人が聖書を求めようとするとき、いったいどれを選ぶべきか分からなくなってしまうでしょう。
 つまりは、「一つになる」をどのように理解するかによって異なってしまうということなのです。

 なぜ教会がさまざまな教派に分れているのか? こんな疑問を持たれる方があるでしょう。そもそもイエスさまが「一つとなるように」祈られたときに、教会が分れている筈はなかったのです。ペンテコステの大きな恵によって教会が誕生するのですが、初期のカトリック教会を古カトリックという場合には、プロテスタントとの区別としていうのではなく、使徒の時代そのままの教会をいうのです。イエスの祈りは、古カトリックの不遍を祈ったのです。
 しかしカトリックはその後に、政治、民族、文化、或いはイスラムの刺激などの事情から西と東に分れました。(諸教派の系統図がWikiに載っています)西を見るとカトリックとプロテスタントに分かれ、プロテスタントが政治体制、神学などの違いからまた分派を生じ、プロテスタントも政治体制から会衆政治、監督制(ローマ教会の型)に分かれます。

 このように教会が分れたのでは、イエスさまが「一つとなるように」と祈ったにもかかわらず、イエスさまの祈りは成就していないではないかとさえ思われてくるのですが、ここで「一つとなるように」という意味を考えてみましょう。

 ヨハネ伝17:21と22にあるように、イエスさまが「一つ」と祈るのは、目に見える教会
が合同して一つになることではなく、それは、
わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるためです。即ち御父なるお方と御子イエスが一つであるように、彼らもまた一つであるように、ということを祈っているのです。

 ヨハネ17:22、23は非常に観念的ですが、これがはっきり分かるエピソードが使徒の働き9章にあります。使徒のなかでもペテロとともに数えられる偉大なパウロ。パウロはこのとき、まだサウロと呼ばれていました。イエスさまに出会う以前のパウロは、徹底した反キリスト者でした。クリスチャン迫害は天命と信じていたのです。当時クリスチャンは「この道」と呼ばれていました。パウロはダマスコにいる「この道」の者たちを壊滅するために大祭司に殺害の許可書を申請していました。ところが

3道を進んで行って、ダマスコの近くまで来たとき、突然、天からの光が彼を巡り照らした。4彼は地に倒れて、「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。」という声を聞いた。5彼が、「主よ。あなたはどなたですか。」と言うと、お答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。

 

パウロは「なぜわたしを迫害するのか」というイエスさまの声を聞いたのでした。何とパウロは、クリスチャンを迫害することはイエスさまを迫害することであると知らされるのです。ここでもクリスチャンとイエスさまは一つであることが分かるのです。イエスさまは教会の柱であり、クリスチャンはそれと一体なのです。イエスさまはこのことを祈っていたのです。民族、歴史、時代が違うとき、そこに画一的なものを当て嵌めようとすれば無理が生じます。イエスさまの祈りは、どこの教会であれ、どんな者であれイエスさまを罪の贖い主と信じ罪の赦しをいただいているものが一つとなっているとき、文化、時代、教派を超えて、それは一つとなっていることなのです。エキュメニカルの教会が多くあるから一つになろうともっていくのではなく、イエスさまの「一つになる」とは罪の赦し、罪の潔め、愛に於いて一つになること。これをこそイエスさまdえきるものであることをは願っています。わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるためです。もし罪がクリスチャンのなかで解決されていなかったなら決して一つにはなれません。この箇所で、イエスさまは、罪が解決できるものであることを証明しているのではないでしょうか。

 23節、「彼らが全うされて一つとなる」とは、愛において全うされることです。26節には「あなたがわたしを愛してくださったその愛が彼らの中にあり、またわたしが彼らの中にいるためです。」とあります。

 22節の栄光と24節の栄光は似ているようですが、しかし、しっかりと区別して捉えておくことは必要です。22節は、イエスさまは謙り、最期は十字架の死にまで謙った謙遜に見られる神の栄光です。シメオンがイエスさまの初めての宮参りで見た栄光、東方の博士らと羊飼いたちが拝した栄光のことなのです。わたしたちはこの神の栄光をいただいているでしょうか。わたしたちはいつでも、主よ有難うございます、こんな者のためにと感謝して主の栄光を拝することができるのです。

 いいんですかほんとうに、と言葉を失ってしまうのが24章でしょう。神の栄光を見る。「汝きょうわれとともにパラダイスにあるべし」との聖句もあります。24節の栄光は、カルバリの丘にベツレヘムに現してくださった栄光、「世の始まる前から愛しておられたためにわたしに下さったわたしの栄光を、彼らが見るようになる。ほんとうにそんなことができるんでしょうか。御父の横に第二位としての栄光であられるイエスさまを。イエスさまは、その栄光を「救われているあなたたちも私の栄光を見ることができると言うのです。

 イザヤは神の栄光を見ました。

1 ウジヤ王が死んだ年に、私は、高くあげられた王座に座しておられる主を見た。そのすそは神殿に満ち、
2 セラフィムがその上に立っていた。彼らはそれぞれ六つの翼があり、おのおのその二つで顔をおおい、二つで両足をおおい、二つで飛んでおり、
3 互いに呼びかわして言っていた。
  「聖なる、聖なる、聖なる、万軍の主。
  その栄光は全地に満つ。」
4 その叫ぶ者の声のために、敷居の基はゆるぎ、宮は煙で満たされた。
5 そこで、私は言った。
  「ああ。私は、もうだめだ。
  私はくちびるの汚れた者で、
  くちびるの汚れた民の間に住んでいる。
  しかも万軍の主である王を、
  この目で見たのだから。」
 6 すると、私のもとに、セラフィムのひとりが飛んで来たが、その手には、祭壇の上から火ばさみで取った燃えさかる炭があった。
7 彼は、私の口に触れて言った。
  「見よ。これがあなたのくちびるに触れたので、
  あなたの不義は取り去られ、
  あなたの罪も贖われた。」

イザヤがこんなくちびるの汚れたものが神を見るとは、と嘆いたときに、セラフィムの一人が祭壇の火でイザヤのくちびるをきよめました。こんなわたしが神の栄光を拝することができるんだろうか。しかし24節ではイエスさまが祈っておられます。

 ヘブル人への手紙1:3 
 「御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現れであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。また、罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれました。

 罪あるものが、神の栄光を拝することはできないが、カルバリの十字架を仰ぎ信じるとき、罪がきよめられ愛に全うされることができる。我々は少なくとも神に背いて当たりまえという意識は持ち得ないのです。世のはじめからの栄光を拝することができるようにイエスさまを信じましょう。

 第一ペテロ1章13節「ですから、あなたがたは、心を引き締め、身を慎み、イエス・キリストの現れのときあなたがたにもたらされる恵みを、ひたすら待ち望みなさい。」16節「それは、「わたしが聖であるから、あなたがたも、聖でなければならない。」と書いてあるからです。」20節「 キリストは、世の始まる前から知られていましたが、この終わりの時に、あなたがたのために、現れてくださいました。

 ヨハネ17:24 「父よ。お願いします。あなたがわたしに下さったものをわたしのいる所にわたしといっしょにおらせてください。あなたがわたしを世の始まる前から愛しておられたためにわたしに下さったわたしの栄光を、彼らが見るようになるためです。」

 イエスさまは祈っておられます。

※この説教は礼拝のときに取ったメモをもとに興しています。若干聞き違い、聞き落としなどがある場合もありますので、その点はご容赦ください。文責はこのブログ管理人となります。

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雹の被害&羽化

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 岩手県では、8日午後、各地でひょうが降り、農作物などに被害が出た。9日現在で農業関連の被害額は4356万円に上る。
 県内で最も大きな被害を受けた岩手町では、葉タバコの30ヘクタール(1563万円)、キャベツ15ヘクタール(1241万円)など被害面積は計67・5ヘクタールに及んだ。町によると、被害総額は約3300万円に膨らむという。
 岩泉町の大牛内地区では子豚10頭が水死した。町によると、ひょうの直撃を受けて落ちた小枝や葉で豚舎の排水溝が詰まり、雨水が豚舎内に入り込んだという。
 葛巻町では葉タバコ2・4ヘクタール、田野畑村ではビニールハウス2棟の被害が確認された。一関市花泉町では、強風やひょうの影響で収穫期を迎えたナス0・9ヘクタールが被害を受けた。 【毎日】

 ここのところ大気の状態が不安定で、盛岡市でも雷が多発。単に蒸し暑いばかりではない奇妙な梅雨の日々を過ごしている。

 このようなときにも、新しい命の営みが。
毎年蝶を家族同様に手厚く遇している“蝶々夫人”からの「羽化しました」との知らせに、取るものも取りあえずカメラ片手に“アゲハ特別貴賓居住区”に駆け付けた。巣箱をみると、写真のような蛹から抜け出した立派なキアゲハが悠々とこの世の一角を領有していた。「蝶たちは私をちゃんと分かっている」とおっしゃっる。事実、旅だっていったキアゲハの中には、夫人の回りをお別れの旋回をしてから外に旅立っていった“子”もあったとの証言が。キアゲハには心があると夫人はきっぱりと仰った。

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 巣箱の中のサンショウの葉っぱには、透明な卵が付いていました。これがしだいに黒い小さな毛虫のようになり、青い幼虫に育っていく。この体の形を変えてゆく有様は、ほんとうに不思議です。

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映画 「少年の町」

映画「少年の町」をビデオで観た。これはアメリカで実際に存在した一神父の伝記的映画である。

監督 ノーマン・タウロ

製作  ジョン・W・コンシダイン・ジュニア
        1938 年
原作 ドア・シャーリー/エリノア・グリフィン
脚色 ジョン・ミーハン/ドア・シャーリー
撮影 シドニー・ワグナー

キャスト  スペンサー・トレイシー (Father Flanagan)
             ミッキー・ルーニー (Whitey Marsh)
             ヘンリー・ハル (Dave Morris)
             レスリー・フェントン (Dan Farrow)
              ジーン・レイノルズ (Tony Ponessa)


 フラナガン神父はよく刑務所に出向き、刑の確定した囚人の教誨師の務めをも果たしていた。貧しさ故に環境も悪く教育も受けられず食べることもできない少年達に愛と悲しみを持っている。そんななかで、死刑執行直前の殺人犯ダン・ファローに会う。子どものときに両親もなく劣悪な環境に置かれたダン・ファロー。彼は言う。「もし12才の時にひとりでも友人がいたらと思う」と。「もし子どものときに人の愛を知っていたならば正道を歩いたであろ う」と。最期のこの訴えを聞いて、フラナガン神父は孤児の救済を決意し、問題を起こした孤児たちを家に連れ帰る。

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 神父は質屋を営む親友に経済援助を頼み、孤児院の先々を悲観的に予測するこの友だちをついに説き伏せて小さな少年たちの収容施設 を作る。「悪い子はいない」という先ずは子どもを全的に信頼し、規律をもうけ、食事、仕事、学習、祈り、そして何よりも慈愛を注ぐ。しだいに収容人員が増し、建物が手狭になる。神父は郊外に土地を買う資金を実業家デイヴに依頼する。

 かくして神父のビジョンは現実となる。子ども達が総掛かりで穴を掘り、土台のセメントを流し込むところからの大工事に挑戦。一丸となってついに宿舎が完成する。

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 この家を中心に小さな町が作られる。ここは治外法権。そして子供たちの中から選挙で町長を選ぶ。フラナガン神父はこのときは中立の立場を取る。神父はキリスト教だが、単一の宗教を押しつけることはない。かつて町で盗み喧嘩が絶えなかったかつての不良少年たちは互いを尊重し、弱いもの小さなものをいたわり合う思いやりのある人間と成長してゆく。しかしこの町の自治、運営、維持にはやはり多額の経費が要るのだった。デイヴの発案で寄付金を募るが、なかなか思う ようには集まらない。
 その頃、獄中にいた有名なギャングのボス、ジョウ・マーシュが、フラナガン神父に会見を申し込む。用向きは懺悔ではなく、弟ホワイティを預かって欲しいと頼み込む。ホワィティはどうしようもないチンピラだ。映画を見ているこちら側が、こんなのを引き受けたら、せっかくの孤児達の家がメチャメチャになると思わせられる。実際回りの子供たちを事ごとに不快な思いに陥れていく。まっとうな生活に耐えられず、ついにトランクを持ち出し逃げ出そうとする。ホワィティを慕う6歳のビイ・ウイが、行かないでくれと、泣きながらどこまでも彼を追いかけ行かせまいとする。ところが、後を追ってビィ・ウイが道路へ出た とき、自動車に当て逃げされ、路上に転がり意識を失う。ホワイティは初めて神に赦しを請う。あてどもなくか
つての都会をさまよい歩くうちに、銀行襲撃事件に巻き込まれてしまう。通りかかった犯行現場には、監獄を脱獄したジョウが居たのだ。ホワイティは「ジョウ」と呼びかけたとき、仲間の拳銃に足を打たれてしまう。ジョウはホワイティを教会に運びこみ、フラナガン神父に電話で報せる。神父がホワイティを保護したものの、ホワィティも強盗の一味であると誤解される。もし孤児達の家から犯罪者を出した場合には、家は取りつぶされ、200人の孤児達が路頭に迷うことになるのだ。ホワイ ティは誰が盗みを働いたか口を割らなかったが、「少年の町」がとんだことになるのを恐れて、ジョウの隠れ家に出向き、一刻も早くここを立ち退いてくれと頼む。ホワィティが少年の家を秘かに抜け出すのに気づいた少年たちは、彼の後をつけ、大挙して隠れ家を突き止め、ついにギャングを捕えたのである。この話はたちまち全国に広まり、寄付金はだんだんと集まった。そしてもはや500人収容も夢ではなくなったのである。

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 今はすっかり真面目な少年になったホワイティ。もうチンピラの面影はない。かつてはこの町の町長になりたさに、不正まで働いて票を集めようとしたホワィティ。しかし、いま、「少年の町」のすべての少年たちが、この町の町長たり得るのは、最早ホワィティ以外には居ないことに全員が賛成したのだった。

 おまえはワルだ。おまえは悪いことをする。危ないやつなんだ。どうしようもないやつなんだ。どんな子どもでも、相手が自分をこのように思っていると知ったならどうだろう。おまえは存在価値がない。いたって仕方ないやつなんだと言われているのと同じだろう。いまの時代にゃあてはまらない、理想だ、そういわれるかもしれない。しかし、この神父の子どもたちへの「悪い子などいない」という一言が、どれほどに一人の存在を生かし、人をあるべきところに立ち返らせるかを思わせられた。

                 (県立図書館 蔵)

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強くあれ、恐れるな

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            心騒ぐ者たちに言え。「強くあれ、恐れるな。

             見よ、あなたがたの神を。

            復讐が、神の報いが来る。

          神は来て、あなたがたを救われる。」

            そのとき、盲人の目は開かれ、

           耳しいた者の耳はあけられる。

        そのとき、足なえは鹿のようにとびはね、

               おしの舌は喜び歌う。

      荒野に水がわき出し、荒地に川が流れるからだ。

                イザヤ35:4~6

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第191回フコク生命チャリティーコンサートを聴く

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画像をクリックしてご覧になってください。素敵な3人が大きくなります。

 フコク生命のチャリティーコンサートを聴いた。このチャリティー募金は、「(社福)岩手県社会福祉協議会に寄附される。
 世知辛い経済情勢下、寄附を募ってもなかなかに厳しい。企業などが率先してこういったチャリティーを企画くださることは、何と言っても有り難い。感謝しながらコンサートを楽しませていただいた。
 田中梢さんのピアノ、私はショパンの「革命」が気に入った。ガーシュインのラプソディインブルー。こんな曲にも才のある方なのだろう。
 益田真理さんのフルート。「浜辺の歌」。身近な曲だからだろう、情趣深く響いた。益田さんが解説くださるに、どうもフルートにもアルトフルート、バスフルート、コントラバスフルートといった低音を支えてくれるフルートがあるようだ。またこういった低音の楽器が次つぎに開発されているらしい。
 土田聡子さんのソプラノ。国際舞台のキャリア、いかにもと得心。素晴らしかった。わたしが小田島孤舟の句とともに心にある「からたちの花」、そしてかつて太田村にも遊びに来ていた多忠亮作曲の「宵待ち草」、当時の様子を想像しながら興味深く聴いた。「きらきらぼしの主題によるブラブーラ」、最後のラデッキー行進曲ととても楽しかった。女性だけで、これだけの楽しいステージを演ってくれた3人。惜しみない拍手を送った。
 

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雑感 ーきょうという一日ー

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 きょうはどんな一日になるだろうかと期待してスタートした。早朝に外回りの咲き終えた薔薇を剪定。ほぼ終わり葉っぱが茶色になっているタチアオイをすべて刈り込む。道路にはみ出したタイムを縁石にかかった部分だけ短く切る。そしてゴミを出す。朝食を終え、ディーサービスに舅を送り出し、さて塀の蔦をどうしたらよいかと考えていると、以前ここを通りかかり話しかけてくれた婦人がまた近づいてきたので、立ち話をした。カナンの園の話になったときに、その方がクリスチャンで、父親が牧師であることを知った。ここ数年のうちにこの辺りに引っ越して来られた方だ。妙に嬉しかった。いつか音楽会に行きましょうよ、ということでお別れした。その後で、「あっ、まずい、名前を聞くの忘れちゃった」。

 牧師には何かして貰ってあたりまえ、と錯覚していたときがあった。自分が不信仰に陥ってしまうとそれがエスカレートし、不満をさえつぶやいてしまったことがある。しかし今になって、自分がとんでもない「バカタレ」であったことがよく分かる。それ以外の項目でも相当な「バカタレ」ではあるのだが、今は天の赦しの範囲にある。

 午前中は簡単に居間の模様替え。午後は昨日電話をくれた友だちが遊びにきてくれた。ここのところ外出が億劫であり自宅に来て貰うことにしたのだ。二男が小学校のときにPTAで知り合って以来の付き合いだ。度々世話になっている。

 庭の花々が勢いよくまたたくまに咲き継ぎ散ってゆく。いまはアジサイだ。西洋すぐりも真っ赤な実をつけている。外回りがすこし寂しい。ホタルブクロが辛うじてのこっている。しかし葡萄の実は日ごとに大きく重みを増し加えている。

 宮崎県で口蹄疫と戦った畜産農家のお一人、ムッチーさんのブログを拝見してきょうはおしまいです。

 一日を感謝感謝で締めくくる  ぶんな

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第45回宮古ジュニア弦楽合奏団「音楽の夕べ」ー2010/8/1(日)開演15:30宮古市民文化会館大ホール

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 梅村家の音楽活動は大正に遡ります。岩手に多大な音楽貢献を果たした太田カルテットの主宰者梅村保氏がその祖です。

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右から2番目が梅村保氏です。

 大正11年に梅村氏は盛岡市平山小路に音楽堂を新築し、太田村から転居します。ここでは数々の音楽会やレコードコンサート、活動写真を企画。また子どもたちのためには平山童話研究会が開かれていました。

 梅村氏宅での画期的な演奏会としては、大正12年8月29日午後6時から開かれた「家庭音楽會」でした。出演者は、窪兼雅:ヴァイオリン。雅楽の名家である東儀家出身。宮内省式部職楽部オーケストラ第一ヴァイオリン主席奏者。多忠亮:ヴァイオリン。宮内省楽部所属の雅楽の家柄だが洋楽に専念。東京音楽学校卒。東洋音楽学校教授。「宵待草」の作曲者。竹岡鶴代:ソプラノ。東京音楽学校卒。現在も竹岡鶴代賞がある。瀬川良隆:ピアノ。ベルリン音楽大学指揮科卒。作曲家。

 梅村氏(セロ)を中心とする太田カルテットの活動は今に照らしても岩手に輝かしい音楽の一時代をのこしました。宮古ジュニア弦楽合奏団はこのような流れを汲む音楽団体です。

 

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きょうのことばー御名と御言と真理ー



 蒸し暑いときに、つかの間バイクで風にあたりながら教会へ。どの花も梅雨に潤っています。会堂の扉の向こうに鳴っているのは、インマヌエル讃美歌593番「主よ御手もて」の自動演奏。慰めの響きです。礼拝の開始時間のすこし前にひろこ子牧師と若い姉妹がオルガンに着席。お二人の姿に、わたしは、花巻市の教会で、90歳になるまで50年間奏楽の奉仕をし、このほど若い方と交替した友人を思い出していました。「主よ御手もてひかせたまえ、ただわが主の道をあゆまん/いかに暗くけわしくとも/みむねならばわれいとわじnote

 きょうのインマヌエル盛岡キリスト教会國光勝美牧師のお話は

説教題 『御名と御言と真理』
聖書朗読  ヨハネ伝17:9~19

:9
 わたしは彼らのためにお願いします。世のためにではなく、あなたがわたしに下さった者たちのためにです。なぜなら彼らはあなたのものだからです。:10 わたしのものはみなあなたのもの、あなたのものはわたしのものです。そして、わたしは彼らによって栄光を受けました。11 わたしはもう世にいなくなります。彼らは世におりますが、わたしはあなたのみもとにまいります。聖なる父。あなたがわたしに下さっているあなたの御名の中に、彼らを保ってください。それはわたしたちと同様に、彼らが一つとなるためです。12 わたしは彼らといっしょにいたとき、あなたがわたしに下さっている御名の中に彼らを保ち、また守りました。彼らのうちだれも滅びた者はなく、ただ滅びの子が滅びました。それは、聖書が成就するためです。13 わたしは今みもとにまいります。わたしは彼らの中でわたしの喜びが全うされるために、世にあってこれらのことを話しているのです。14 わたしは彼らにあなたのみことばを与えました。しかし、世は彼らを憎みました。わたしがこの世のものでないように、彼らもこの世のものでないからです。15 彼らをこの世から取り去ってくださるようにというのではなく、悪い者から守ってくださるようにお願いします。16 わたしがこの世のものでないように、彼らもこの世のものではありません。17 真理によって彼らを聖め別ってください。あなたのみことばは真理です。18 あなたがわたしを世に遣わされたように、わたしも彼らを世に遣わしました。19 わたしは、彼らのため、わたし自身を聖め別ちます。彼ら自身も真理によって聖め別たれるためです。

 この
17章はイエスさまの大祭司的祈りであること、そしてこの祈りは大きく三つに分けられること。(この詳しくは復習になりますので割愛いたします。

 11~14節は2つ目の祈りです。「彼ら」のためは、弟子たちに限定するのではなく、私たち救いに与ったものも含まれています。「
あなたの御名の中に、彼らを保ってください。」とありますが、これは私を信じる人々、その時代だけではなくイエスを信じるすべての世代のものを指しています。

 

「御名の中に彼らを保ち、また守った」というこの「保った」という言葉は、「守り続けている」という言葉が使われ、「私が」が強調された言葉遣いになっています。また「守る」は、城壁を回して守るという言葉が使われています。
 ノアの箱舟を思い起こします。世界が大水で滅ぼされるときにもノアの箱舟は「御名の中に彼らを保ち、また守った」のです。わたしたちは、主の御名によって滅びから守られ保たれる、御名の中にかくまわれているのです。イエスは自分が去った後、どうぞ御名の中に彼らを保ちまた守ってくださいと祈られました。

 17節は聖別のことです。これを個人的に思い巡らしてみました。もしこの箱舟に入る者たちがいがみ合っていたらどうでしょうか。11節に「一つになるために」とあります。もし聖別された者の中に罪の性質を持ったものがあり、妬み、競争心をもって、箱舟の中で一致出来なかったら、罪が残っていたら悲惨な状態になります。愛の心に満たされたときに、箱舟には一致が生まれるでしょう。

わたしたちと同様に、彼らが一つとなるとありますが、これは父なる神と子なるキリストは本来一つであり、一つとなるという意味です。御父と御子がつとなっている、どうかそのように彼らが一つとなりますようにとは主の祈り願いです。

 罪の性質は神に従いません。イエスさまは、父と子が何の隔たりもなく一つとなっているように一つにしてください、と祈られています。イエスさまは、どうかきよめの恵に与るようにと祈っているのです。ただ一つ、父なる神を真心こめて愛すること、イエスさまによって、このことが祈られているのです。

 17節を見るとき、罪の解決はできないと放っておくべきでしょうか。我々は主の前にきよめられているでしょうか。赦してください、清め分かってくださいと祈るべきでしょう。
 18節「
あなたがわたしを世に遣わされたように、わたしも彼らを世に遣わしました。」
 きよめとは全き愛であり、われわれはそれを受けて、父なる神の御心をこの世にもたらすために派遣されている者なのである。イエスがこの世に遣わされているように、われわれもこの世に遣わされているものなのです。(使徒:8)
 

 まったき愛とは、潔めと宣教なのです。
インマヌエル綜合伝道団の初代総理蔦田二雄先生は、インマヌエルを「聖と宣」とされました。これまで「聖」と「宣」を同等に捉えることに不十分であったことをここで反省し、確認しなければならないでしょう。

 

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リコーダーのバッハ演奏を聴く

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 いまリコーダーのバッハを聴きながら書いている。リコーダーって、小学校で使うあれ?
 わたしもそれしか知らなかった。ところが、さまざまな音域のリコーダーを何本も使って交響曲までを演奏しまくっている。リコーダーにも名器があるようだ。
幻の庭 と Papalinの音楽。一人ですべてのパートをやってのけている。いったいどうやって?と思う方はクリックを。バッハづくしはこちら。もうそれは大変なレパートリーの数。賛美歌のページもあります。すでにご存じの方もいらっしゃるでしょう。異色ですので是非お聞き下さい。奥様のaostaさんも「消えがてのうた」という素敵なブログを開いています。

 バッハは凄いです。あら、今頃気づいたの? はいやっと。

   ◆  ◆  ◆  ◆  ◆

 きょうは8時から9時まで町内会の草刈り。といっても数日前、前日と有志が先に草刈りをしたために、きょうは草の取り片付け方。町内会の女性部で出してくれた飲み物は、麦茶、紅茶、カルピスの3種類。そしてパン。
 こうした奉仕は敬遠してきた時代があった。しかし、そのときにも誰かが私の担うべき分をやってくれていたのだろう。

 昨夜も激しい雷雨だった。頻繁に夜空が明るくなり、建物や樹木の青いシルエットが浮かび上がっては、鋭い雷鳴とともに闇に沈んだ。滝のような雨。数時間パソコンの電源を切っておいた。きょうも雷鳴がしたが、すぐに静かになった。雨もやんだようだ。

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アザミ

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 日中は31度あったらしい。きょうは庭のドクダミとの格闘。深く土を掘り下げ、引き抜いている途中で根っこがきれないように抜いた。東側の一群を駆逐。ちょうどよい汗が流れた。

 アザミが威風堂々と咲いた。写真は、これで一本のアザミである。ちょうどいつもコーヒーを飲む椅子から間近に見える。ノアザミかとおもうが図鑑に詳しく照らしてはいない。花が一つ咲いたら写真を撮ろうと待ちかまえていた。花も面白いが、この棘の見事さ。カラタチやベルケアも鋭い棘がある。棘が美しいといえば残酷めいているが、わたしはすばらしいと思って見ている。
 ビッと棘を突き出し立っている。自らの力で自らを守ろうと凜と身構えている。主観だろうが、独立している。依存がない。無数の棘の中に花が安住を得ている。

 この蕾が全部咲いたなら見事だろう。しかし雨の日がけっこう多く、葉っぱがいくぶん黒ずんでもくるかもしれない。清新な今のうちにとシャッターを切った。

 ◆  ◆  ◆  ◆  ◆

はなしはがらりと変りますが、いまカナンの園の方々が、障害者自立支援法によって従来の居場所から次の所へと移らなければならない、緊急に今年冬がくるまえに、二つのケアホームの建設が必要です。支援が求められています。

 カナンの園で作られたグッズ、絵はがき、パン、クッキー、せんべいなど、購入していただければ幸いです。

カナンの園後援会

 〒020-0147
 盛岡市大館町28番53号
 ヒソプ工房内
【郵便振込口座】02330-6-6631 カナンの園

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雑感ーバッハをちょこっとー

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 ついさっきまでバッハの検索でネットを歩き回り、目が少々疲れ気味。2000もの作品の代表作にはヨハネ受難曲を入れない方もあるようだが、わたしには意外だった。
 誰でもが、これほどの作曲をしたバッハって、いったいどんな人物? とおもうだろう。天賦の才はどうだったか、学業は、性格は、家族は何人? 争いはなかったか、旅行はしていたか、病気はしたか、貧しかったか富んでいたか。

 ただバッハの場合は、さまざまな人生を経るなかで、神との関係がどうであったかが、もっとも重要な部分ではないかとおもわれた。 

 10歳で父親に死なれ、最初の妻に死なれ、再婚。人生で20人の子どもに恵まれるも、11人が亡くなる。この棺を想像しただけでも気が遠くなりそうだ。もうこれだけでも天上から地獄までを駆けねばならない。

 20歳で暴力事件を起こしている。21歳のとき、聖職会議で無断の休暇延長等について喚間され、 また数ヶ月後には 「見知らぬ女性」を教会内で歌わせたことで、聖職会議で喚間される。彼にいわせれば、曲中のパートを歌わせるに相応しい声は彼女以外にはなかったものかどうか…32歳のとき、領主に対する、「頑迷な辞任要求」の罪で拘禁されている。ここでこれまで抱いていた聖職者のようなバッハのイメージが入れ代わる。雇用主にとってはなかなかに御し難かったのではないか。ヨハネ受難曲作曲のときにも、市の惨事会との間には摩擦が生じている。こと芸術に関しては大胆で勇気があり、常にわが道を行く人であったようだ。「そんな指示に細部まで従わねばならないなら、作品をまるごと抹殺したほうがましだ」と考えていたという。

 バッハの指揮のもとにあったトランペット奏者が翌日急死したこともある。妥協できない故に酷使したものか、ただ明記されてあるところを見ると、やはりバッハの側にも問題とされる点があったのか、それは分からない。

 作曲とはこのような眼に見える要素だけでできるものとも思わない。専門的な見解は山とあるわけで、いま言えるのはたったこれだけである。

 とにかく凄い! 到底自分の語れるところではない。それでも言ってしまうこの向こう見ずな性格は!

   ◆  ◆  ◆  ◆  ◆

はなしはがらりと変りますが、いまカナンの園の方々が、障害者自立支援法によって従来の居場所から次の所へと移らなければならない、緊急に今年冬がくるまえに、二つのケアホームの建設が必要です。支援が求められています。

 カナンの園で作られたグッズ、絵はがき、パン、クッキー、せんべいなど、購入していただければ幸いです。

カナンの園後援会

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