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きょうのことばー主イエスの栄光 その2ー

  きょうもよい天気でした。滞りなく礼拝は祝福のうちにおわり、婦人会で学びをしているときに地震がありました。盛岡は震度3? と顔を見合わせるうちに収まりました。帰宅してPCで見ると、0時33分、福島県沖で震度5弱と出ていました。被害はどうだったのでしょうか。

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 さてきょうのインマヌエル盛岡キリスト教会の国光勝美牧師の説教は

説教題  『主イエスの栄光 その2』
聖書箇所 ヨハネ伝17:1~8

1 イエスはこれらのことを話してから、目を天に向けて、言われた。「父よ。時が来ました。あなたの子があなたの栄光を現わすために、子の栄光を現わしてください。
2 それは子が、あなたからいただいたすべての者に、永遠のいのちを与えるため、あなたは、すべての人を支配する権威を子にお与えになったからです。
3 その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。
4 あなたがわたしに行なわせるためにお与えになったわざを、わたしは成し遂げて、地上であなたの栄光を現わしました。
5 今は、父よ、みそばで、わたしを栄光で輝かせてください。世界が存在する前に、ごいっしょにいて持っていましたあの栄光で輝かせてください。
6 わたしは、あなたが世から取り出してわたしに下さった人々に、あなたの御名を明らかにしました。彼らはあなたのものであって、あなたは彼らをわたしに下さいました。彼らはあなたのみことばを守りました。
7 いま彼らは、あなたがわたしに下さったものはみな、あなたから出ていることを知っています。
8 それは、あなたがわたしに下さったみことばを、わたしが彼らに与えたからです。彼らはそれを受け入れ、わたしがあなたから出て来たことを確かに知り、また、あなたがわたしを遣わされたことを信じました。

 17章がイエスさまのお祈りの章であることは既に学びました。私たちは困難に直面するとき、自分自身に目を向け自分を責めてしまったり、或いは、相手に目を向けて相手を非難してしまうことがあります。しかしイエスさまが、大きな出来事を目前にしたときに、先ず「目を天に向けて」祈られたことを今一度心に留めましょう。

 「時がきました」。これは十字架で贖いを成し遂げる時ということでした。カナの婚礼で葡萄酒がなくなったとき、母マリヤが、イエスなら何とかできるはずと告げると、イエスさまは「わたしの時はまだ来ていません」と冷ややかであるとも受け取れる答えをしています。これは、私は十字架で罪の贖いを成し遂げるという大切な使命のためにこの世に来ているのであり、今はまだその時ではない、と言う意味で仰ったのです。果たすべき使命をいつも意識しておられたイエスさまでした。
 ヨハネ伝の連講でおわかりのように、イエスさまが弟子たちとのお別れの話を締め括るところで、イエスさまのお祈りとなります。イエスさまはこれから弟子たちの足を洗い、最後の晩餐を持ち、捕われとなる、いよいよその時が来たのです。祈られた「子の栄光を現わしてください」というこの栄光とは、この世でいう煌びやかさ華やかさ、成功、名誉ではなく、この世から見れば、到底栄光とは見ることができない姿を指して言ったのでした。
 イエスさまを見ることを待ち望んでいたシメオンという人物がいました。ルカ2章には
25 そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい、敬虔な人で、イスラエルの慰められることを待ち望んでいた。聖霊が彼の上にとどまっておられた。26 また、主のキリストを見るまでは、決して死なないと、聖霊のお告げを受けていた。27 彼が御霊に感じて宮にはいると、幼子イエスを連れた両親が、その子のために律法の慣習を守るために、はいって来た。28 すると、シメオンは幼子を腕に抱き、神をほめたたえて言った。29 「主よ。今こそあなたは、あなたのしもべを、みことばどおり、安らかに去らせてくださいます。30 私の目があなたの御救いを見たからです。31 御救いはあなたが万民の前に備えられたもので、32 異邦人を照らす啓示の光、御民イスラエルの光栄です。
 
とあります。宮には多くの人々が詰めかけていたのです。御霊に感じていたシメオンは、雑多な人々に混じっていた貧しい夫婦の腕に抱かれたイエスさまを見いだして「
異邦人を照らす啓示の光、御民イスラエルの光栄」を見たと言いました。

 ヨハネ伝17:4
に、あなたがわたしに行なわせるためにお与えになったわざを、わたしは成し遂げて、地上であなたの栄光を現わしました。とあります。これを見て、おや、おかしいぞ、とは思いませんか。イエスさまは、この時点ではまだ十字架にはついていないのです。このお祈りのあと、ゲッセマネに出て行き、ローマ兵に捕えられ、裁きにつくのです。正確にいえば、十字架のわざはまだ成し遂げられていないのです。にもかかわらず、「し遂げて、地上であなたの栄光を現わしました」と書いてあります。他の訳にも当たってみました。やはりすべて現在完了形で書かれていました。これは驚くべきことです。私たちの目から見たら、ゲッセマネ、捕縛、十字架といった一連がこれから成されるはずが、イエスさまは、「成し遂げた」と祈っておられる。イエスさまは何という恵を与えて下さったことでしょう。イエスさまの救いに与り、この地上生涯を締めくくって神の御前に行くまで、時間的にはその間の歩みがあるわけですが、イエスさまのこの祈りを深く考えるときに、今、明日、明後日のすべてが、既に成し遂げられた御業の中にあるのですよ、と言ってくださっている。コロサイ3:3あなたがたのいのちは、キリストとともに、神のうちに隠されてあるからです。私たちは、救いが明日、明後日どうなるのか分からないというのではなく、わざを、わたしは成し遂げて、地上であなたの栄光を現わしました。と語っておられるのです。もうすでに神の前に、私の救いは成し遂げられている。私の救いの保証は、すでに成し遂げられた神のうちに隠されているのです。心のうちに湧き上がる喜びを覚えました。

 ヨハネ17:5
今は、父よ、みそばで、わたしを栄光で輝かせてください。世界が存在する前に、ごいっしょにいて持っていましたあの栄光で輝かせてください。
 このお言葉から、栄光には、二つの大きな要素があると分かります。キリストの栄光というときには、いつでも十字架が浮かび上がります。それと何の矛盾もせずに、イエスが生まれる前から持っていた栄光で輝かせてくださいとイエスさまには言うことができますし、その資格もあるのです。
 旧約聖書で、イザヤはウジヤ王が死んだときに、玉座に座す主の幻を見ています。イエスさまが人としてこの地上に来たときに、天の栄光を捨てましたが、それ以前のイエスさまの栄光のことを言っています。イザヤ書6章「
聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、万軍の主、その栄光は全地に満つ」とありますが、このときに御使いたちもあまりのまばゆさに見ることが出来ず、足(奉仕の象徴)を翼で隠して、残る二つの翼で栄光の主をほめ讃えているほどでした。人となられる以前に持っていたイエスさまの栄光がこれなのです。ヨハネ12:41にもイザヤがイエスの栄光を見たことが書かれています。
 
わたしは成し遂げて、地上であなたの栄光を現わしました。とイエスさまは仰いました。十字架の御業は実際には数時間後に成されるのですが、すでに成し終えたと、主は言われるのです。主はあの栄光で満たし輝かせてくださいとはばからずに言うことができました、世界が存在する前に輝かせていた栄光をすでに十字架で現わしましたという納得をして父なる神に祈ることができたのです。

ヘブル1:3
御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現れであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。また、罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれました。

 御子は神の栄光の輝き、神の本質の完全な現れです。

 ヨハネ17章に帰りましょう。17:1からに
1イエスはこれらのことを話してから、目を天に向けて、言われた。「父よ。時が来ました。あなたの子があなたの栄光を現わすために、子の栄光を現わしてください。2それは子が、あなたからいただいたすべての者に、永遠のいのちを与えるため、あなたは、すべての人を支配する権威を子にお与えになったからです。
「それは子が、あなたからいただいたすべての者に、永遠のいのちを与えるため」であるとあります。
3節を見るとその永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。とあり、正しくこのとおりです。
 2節の「あなたからいただいたすべての者」とありますが、これは単数形が使われています。このすべて者、という表現は、一つの纏まった単数形の言葉を使ってあります。それは私たち一人一人イエスを信じ救いに与っている人たちが集まって一つの纏まりになったことを言います。実はこれが教会なのです。信じている一人一人が一つの纏まりのある教会となるのです。〝あなたからいただいたすべての者〟つまり、教会に権威をお与えになったからです。
私たちはキリストの栄光に招かれて、栄光に与っていることを知らされるのです。


※文責はすべてブログ筆者にあります。

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