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きょうのことば ーもう一人の助け主ー

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池の面に、空や樹木がすっきりと映し出されています。日曜日は神さまを鏡とし、ありのままの自分を映し出し、もし染みが見えたなら、十字架のイエスさまを見上げて祈り、洗いきよめていただくのです。

しみもとがも  けがれもなき
こひつじわが主は  ほふられしや

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さて、きょうのインマヌエル盛岡キリスト教会のメッセージは?

聖書箇所  ヨハネ伝16:7~8
しかし、わたしは真実を言います。わたしが去って行くことは、あなたがたにとって益なのです。それは、もしわたしが去って行かなければ、助け主があなたがたのところに来ないからです。しかし、もし行けば、わたしは助け主をあなたがたのところに遣わします。その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせます。
説教題   『もう一人の助け主』

 キリスト教について知っているという方はいらっしゃいます。幼稚園が、或いは高校、大学がミッションスクールだった方もそうです。それは確かに恵まれた機会であると言えます。ただ、その方々がクリスチャンであるかというと、必ずしもそうではない。
 私が1968年に信仰に導かれたときは、大学紛争の真っ最中でした。妻のひろ子も、そのような背景の中、インマヌエル丸の内教会(当時)に通っていました。通称246を通っていましたが、車窓から青山学院大学が見えたそうです。ジョン・ウェスレーの銅像の傍にバリケードが築かれ「神は死んだ」と書かれてあったといいます。ニーチェの影響なのでしょう。このように、いかにミッションでキリスト教を学んでいても、キリスト教を知識として知っていることとクリスチャン信仰を持っていることとは本質的にまったく違うのです。
 クリスチャン信仰を持っているとは、この助け主とも聖霊とも御霊ともいわれるこの「もう一人の助け主」を頂いているかどうかがその分かれ目なのです。そして私たちクリスチャンが、三位一体の神である父、御子(イエス・キリスト)、御霊とどういう関わりを持っているかが重要なのです。
ヨハネ1:9~12には「
すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。
この一連に何度も出てくる〝この方〟とは、イエス・キリストのことです。〝この方〟であるイエス・キリストをほんとうに理解させ、納得させてくれるのが聖霊です。聖霊が、イエスの十字架が自分の罪のためであったと得心させてくれます。私たちは、聖霊によって、イエスをほんとうに知り、ほんとうに受け入れることができるのです。そして、〝この方〟との関わりがどういうものであるかがクリスチャン信仰の中核を成しているのです。

 イエスさまは、上記のヨハネ16:7~8を語ったあとはゲッセマネで祈りました。数時間後に控えている出来事、自分が捉えられ弟子たちから去らなければならない事に備えるのです。ここでのイエスさまの弟子の取り扱いはどうだったでしょうか。イエスさまは、さあわたしはもういなくなるんだ。わたしを信じるんだよ。そうすればもう一つの助け主があるんだ、ということを親が子に親離れを諭すごとくに言い聞かせているのです。イエスさまは、わたしは取り去られるがわたしのようなもう一人の助け主(パラクレトス)をあなたがたに与えるんだよ、と弟子たちに保障し励ましました。

パラクレトスは共に重荷を担ってくださる聖霊という神様です。助け主が与えられているのに、一人で重荷を背負っている人がいます。祈りによって助け主をいよいよ肌で感じることができるのです。第一ペテロ5:7 「あなたがたの思い煩いを、いっさい神に委ねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」 詩篇55:22 「あなたの重荷を主に委ねよ。主は、あなたのことを心配してくださる。」とある通りです。

 パラクレトスはまたとりなし手です。仲違いしている者を和解させる。仲立ちとなってくれる。また弁護人でもあります。サタンの罪状告発の前に被告の側に立ち、有利になるように弁護してくれます。

 私たちの最大の罪は何でしょう。罪には、殺人、姦淫……数限りなくありますが、最大の罪は、神がこれほどまでに世を愛し、イエスを下し、聖霊なる神を与えようとしているにも拘わらず、これを知ろうともせず無視することなのです。これほど神を悲しませ、神に対して失礼なことはないでしょう。

ヨハネ16:8にあるように、罪について、義について、裁きについて、世にその誤りを認めさせるその方が、この一週間も私たちと一緒にいてくださる事を認めようではありませんか。そしてこの方に真剣に信頼し委ねてゆきましょう。

※当ブログ筆者の若干の聞き違い、また誤りがあるかもしれませんがご容赦ください。割愛した部分もありますのでご了解ください。  

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