何を見てるの?どこを見てるの?
ある方が仰った。「ブログはとにかく毎日更新したほうがいい。何もなかったら『きょうは疲れました』の一言でもいい」と。
さて〝今日よ、さようなら〟の時刻が近づいて、そうだ、更新しなくちゃ。じゃ、今まで何してたの? と心のどこかで声がする。そう、問題はそこでした。
とはいうものの、午前中は家人の用事に付き合い、午後は今年初めての本格的な庭仕事。たいそうな花ではないけれど、花の芽が出ている周りを注意深く草むしり。抜きながら「農用地整備公団は…財政投融資で…、全国予算はいくらだったか(翌朝ブックマークをクリックすると国庫補助金5196億)?…ああ、牧場に行きたいな…」などといったことが頭をかすめる。まともなふうだけれども、酪農からまたすこし遠のいてしまった焦りなのだ。それでも庭仕事はけっこう楽しい。ずぼらな秋じまいのせいで、枯葉なども堆積している。草花の芽が出やすいように除けてあげる。草を生やしておくよりは花を生やそうという目論み。ところが、草取りをしなければ、花は淘汰されてしまう。
5時半には食事準備に取りかかり、8時から9時までは自分の雑用。9時からが問題だった。自分が気にしてもどうにもならない、つまり自分が悩むべき範疇を超えたあれこれを思い巡らすことで時間を費やしてしまった。自分に問いかけた。「何を見ているの?」「どこを見ているの?」 そう、あらぬ方向に気をとられていると、大袈裟ではなく、メフィストフェレスはいつでも自分を待ちかまえている。それに気づいて、はっと我にかえると、自分の見るべきもの、考えるべき事の方に、自然に思考が向き、目の前が明るくなり、視野が開けるのを覚えた。そして書いたのがこの記事だ。
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