「ブランデンブルグ」の予感

きょうもブランデンブルクだ。平成22年2月22日の魂が語りかけてくるかに思われたが、その姿は彼方に黙している。と、その家族からの電話が入った。「イースターには教会に行きたいと思っています」。復活した主イエスは、いっぺんに500人の人々にご自分を現わされた。主よ、このご家族に御身を現わしてください。わたしの行きつけの教会にではないけれど、どうかこのご家族に、エマオの道に現れた主が、ともに傍らを歩いてくださいますように、お願いいたします。
きのう4月1日、午前は、念のための定期検診。午後は用事があり教会へ。これが素晴らしい年度初めのサプライズとなった。神は実に不思議なことをなさる。この日は教会にとっても、新しい事項が一つ加えられスタートした。結果的に自分が何を手伝ったわけではない。牧師夫人がご自分のパソコンにストックしておいたアメージンググレイスの数々のバリエーション。なんという楽しく素晴らしいひとときだったろう。「楽しい!!」 と心からいえる楽しさ、これを楽しんでいるまに、神は御わざを一つ進めてくださったのだ。2010年4月1日、エイプリルフールのこの日、神は、ただ楽しんで事の成るのを待っていたこのお気楽な信徒に、真新しい、ぴっかぴかの出来事を見せてくださった。それが何かは、ここには書かない。勿論金品ではない事は言うまでもない。牧師夫人考案のしょうが他6種類の香り入りの紅茶とフルーツケーキは温かく美味しく、そしてアメージンググレイスの天のバリエーション。
今宵のブランデンブルグは、墓の中にいます主の復活を預言するかに、溌剌と切れよく明るく、屈託なく、涼しげに響いている。
イエスがローマ兵に捕えられたとき、弟子達は自分に類が及ぶことを恐れ、心ならずも、自分がイエスとは無関係であると言ってしまう。自分もかつてはこのような者と大差なかった。この不甲斐ない腰抜けども、勇気のかけらもない弟子達が、後になって、死をも厭わず果敢に伝道をし次つぎに殉教していったのはなぜか。それはイエスがほんとうに蘇ったことを彼らが目の当たりにしたからであり、これ以外にどんな理由があろうか。
イエスの帰天ののち50日経って、彼らには聖霊が下った。この聖霊こそが彼らの推進力の秘訣となった。
「聖霊汝等のうえに注がれるとき汝等力を受けん」
私ははばかることなく言う。主の御愛の素晴らしさを。ブランデンブルグの明るさ、のびやかさ。このブランデンブルグが今日ののこる時間を飾り、今宵を締め括るだろう。
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