きょうのことば
教会途上のマイカーは、ただいま館坂橋通過中。赤信号停車にカシャ。
ごく日常のありふれた景色。たとえばくっきりと聳える岩手山を向こうに見慣れた家並み。
そんな日常の街をかいくぐり日曜日は先ず教会へ。
説教題 「復活の福音ー2」
聖書朗読 「第一コリント15:50~58」
以下は牧師先生(インマヌエル盛岡キリスト教会)のメッセージです。
教会は、これからはペンテコステ(五旬節)に向かって歩みを進めるわけですが、きょうは、イースターの恵をさらに確かにするために聖書のこの箇所を開きました。
第一コリント15:20には「しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。」とあります。死んだ者と言わずに「眠った者」という表現には」意味があります。死によってその人の人格がなくなるのではありません。死ねばすべての存在がなくなるというのは誤りです。
ルカ伝の16章に金持ちの死とラザロの死の話しがあります。この死という一つの現象を取上げるときに、人の側からみたときと神の側から見たときの違いが語られています。人の目から見た金持ちの死は大々的な葬儀であり、ラザロはただ土に帰るだけの死です。しかし神の見る金持ちの死は地獄の炎。そしてラザロはゆたかな神のふところにあるのです。
ラザロの死は眠りです。土に帰るけれども存在しつづけるのです。
第一コリント15:21~22には 「死がひとりの人を通してきたように、死者の復活もひとりの人を通して来たからです。すなわち、アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストによってすべての人が生かされるからです。」とあります。第二のアダムといわれるイエスさま。この第二のアダムによってすべての人が生かされるのです。第一コリント15:50に「血肉のからだは神の国を相続できません。朽ちるものは、朽ちないものを相続できません。」とあるように、神の国の命に生きるには、神の国にふさわしいからだを持たなければなりません。 神の国に相応しいからだとは? イエスさまが 「眠った者の初穂として死者の中からよみがえられた」とあるとおり、イエスさまの復活のからだが私たちの復活のからだです。復活のからだは食べ物を食べることもできます。しかし、娶ったり嫁いだりして子孫を増やすというようなことはありません。ただ天国に行ったときに現在のようなからだではありません。十字架につけられ一週間後には天に帰られたイエスさま。一瞬のうちによみがえりの不死のからだを着るイエスさまのようになるのだと思えばいいのです。
53節 「朽ちるものは、必ず朽ちないものを着なければならず、死ぬものは、必ず不死を着なければならないからです。」
キリストの来臨のときキリスト者は、終わりのラッパとともに一瞬にして栄光の朽ちない霊のからだに変えられます。イエスさまは、十字架の贖いをなされたイエスさまは、こんどは主の主、王の王としてこの世に来られます。
第一テサロニケ4章にあるとおりです。
「主は号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に生き残っている私たちがたちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。」
天国はわたしたちの想像をはるかに超えたものです。「まあ、まあ」とただただ驚きの声をあげるばかりでしょう。
主が再び来られるという復活の福音があります。私たちには問題課題が無いわけではありませんが、この復活の福音をしっかりと捉えるならば、必ずや勝利があるのです。
※以上、聞き書きですが、メッセージ途中考えこんだりしているうちに聞き逃した部分があります。これは概要とご了解ください。
午後は婦人会の食事会。トーンチャイムを楽しむひとときがありました。婦人会は第二日曜日の礼拝後です。和気藹々と楽しい集いです。どなたでも参加できます。
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