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2010年4月

国民休暇村岩手網張温泉

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 わが家にも、ひさしぶりに帰省した者がいるわけで、
「どこか行く?」
「天気よくないね」
「じゃ温泉にでも」
というわけで国民休暇村岩手網張温泉に行くことに。

 出発するときには小雨がぱらついていました。盛岡市から国道46号線をまっしぐら。七つ森を過ぎさらに直進。「網張はこちら」の親切な標識を素直に右へ。次なるネックも右でした。もうそれからはひたすら上へ上へと上昇あるのみ。やがてT字路に。左に折れたころには雨が車窓をぴしぴしと。う~ん、ティンパニーよりちと淡泊。抜けた明るさはないけれど、林の中にも路肩にもすこし汚れた雪がまだ居直ってもいるけれど、しかししかし、あと半月もすれば、山全体が行くが行くが透過しそうな輝くイエローグリーン、モスグリーン、ビリジャンの海となるのだ。

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 わが家の手狭な庭に明るく咲いたこんな花の一つや二つどころか、山桜やこぶしだって林のいたるところに、くつくつ笑って咲くだろう。


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 選んだ湯船は「見晴らしの湯」。近頃とみに中性化している身とはいえ、取りあえずは女湯の戸をあけるとふんわかと硫黄のにおい。これぞ温泉。牛乳よりは薄明かりのする、湯気が暢気そうにたゆたう溢れる湯船にどっぷりと浸かるは4人。話しかけたり話しかけられたり。
「どちらから?」
「青森」
見晴らしの良い窓からはまだ雪を留めたゲレンデが緩やかな傾斜を見せている。
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「青森の温泉といったらどこが一番ですか?」
「酸ヶ湯かな。だけど混浴だったりして」
わたしの女友だちには混浴に入る剛の者もいて…と思い出しているうちに青森婦人は言ってくださった。
「なんてったって、ここが一番。近いしね」
ここが一番とは! 地元民としてはもうほくほく。
仙女の湯、どうです?」と青森婦人。
「さあ、入ったことなくて」、スミマセン。

 右隣に浸かっている婦人は南からの北上らしい。
「(今年は4月28、29日の)日高火防祭も雨で駄目だったの。北上の展勝地も桜がまだ早くて。あしたの八幡平もどうなるか…」。この天候不順でさまざまに影響を被っている気配。天候不順、それさえなければ、北上(ほくじょう)婦人の仰る3箇所は、クリックしていただければ、訪れる価値のあるところと分るのです。

 もうお一方は農業経営の地元婦人。「平成5年に似てるね。あのとき、タイ米食べたけど、うちで作ったコメの屑米でもあれよりはよほど美味しかった」。私の父が亡くなったのも平成5年の冷夏。即〝米騒動〟が蘇る。さて今年の作況指数はどうなるか。植物を起こして土を入れ替えるのは11月がいいとか、籾殻は農家にお願いすれば簡単に手に入るとか御指南をいただく。

 とっくに風呂からあがって、これもまた見晴らしの良いきれいな無料休憩室で寛いでいた家族たち。帰るときには雲がどんどん動きだし、ゲレンデにはその影が流れていましたっけ。写真を撮るわたしに若干しびれぎみの家族たち。力を帯びて流れる雲の影。見ているうちに自分も影と一緒に流れていましたっけ。ようよう日の光が照り、それぞれの脳裡には残雪の山並みが焼き付けられて車は発進。

 帰りは春子谷地をまわり、ちょろちょろと流れる青い水にあたかも白い炎のように眩しく尖る水芭蕉を、湿地にでんと根を張り突っ立つ樹木の前に後ろに、右に左に見ながら、つかの間の行楽はデミヌエンドとなったのでした。

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露の衣

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               あなたの道を主にゆだねよ

              主に信頼せよ

              主が成し遂げてくださる。    聖書

       

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雑感ーまた雨/花もさびしげー

 また雨がふっている。もう23時近い。いましがた塀の向こうに、ハイヒールの音がコツコツと隙のない音を響かせ遠ざかっていった。そして雨音。
 午後には晴れ間があった。盛岡城跡公園で花のイベントがあったはずと、運動不足にムチを入れ、主人と散歩と称し向かう。やたらに食べ物屋台が目立ち、植木や花はむしろ遠慮がち。
 エリカを2鉢購入。排水のいい酸性土壌を好むようだ。風通しがいいことと、一日4、5時間は日照が必要。肥料はやらなくともよい。大きくなってね。

 盛岡地方裁判所の桜が開花。観光バスが2台駐車。カメラの放列にやっと咲いた桜もたじたじ。この桜も腕には包帯が巻かれ、幾本もの杖に支えられている。このシーズンには決まって平穏な余生が破られる。
 どの花も控えめに寂しげに見えてしまうのは、この不順な天候のせいかもしれない。むしろじきに咲きそうな桜の蕾の密なピンクの点描が活力に漲って見える。桜というのはほんとうは凄まじい花だという感じもする。静かなようで柔らかなようで風雅に華やいでいるようで、人を煽り踊らせ泳がせもする。
 開花はゴールデンウィーク後半となるのかも。もし鳥ならば、わくわくと湧き咲いた雲のような花びらの最中を自在に転げ回り、花びらと戯れることもできように。
 カメラの携帯を忘れてしまい写真もない。先日富士見橋から犬の訓練のもようを撮ったのがある。アップしておこう。

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犬2匹調教を余所に春を嗅ぐ

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潤いの岸べ岸べに中津川

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グルッペ・ベッヒライン第23回演奏会ー`10/5/3(月・祝)盛岡市民文化ホール(マリオス小ホール)

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    グルッペ・ベッヒラインより花見?花見よりグルッペ・ベッヒライン? 行楽シーズンのまっただ中!!

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口蹄疫  など

 きょう、またまた昨日ブログに載せたキノコ、アミガサタケをさらに二本発見。それぞれ1㍍離れて凜と立っていました。いったい菌はどこから? ……もしかすれば、このところ買い込んだ腐葉土やら堆肥に便乗してきたかも。

 2010.4.22 01:12産経ニュースでは中国甘粛省で豚の口蹄疫 が発生と伝えている。
中国農業省は21日、甘粛省天水市武山県で豚の口蹄疫が発生したと発表した。17日に同県の養豚場で飼育している豚に口蹄疫と疑われる症状が出て、47頭が発病。専門機関で検査したところ20日、口蹄疫と確定した。地元当局は、感染した恐れのある約400頭の豚を処分し、消毒作業などを実施した。(共同)

 アミガサタケの菌の侵入ルートを考えるのは漫然とでゆるされるが、口蹄疫のようにウィルス系の病気の発生は、深刻に総力をあげている。罹患した家畜が、何十、何百と殺処分となる。05年の中国では牛2000頭が殺処分となった例もあったようだ。中国が韓国からの乳製品輸入を全面ストップしたとか、思えばもの凄いことだ。畜産関係も3ヶ月、或いは清浄化が確認されるまで、出荷もストップされる。暮しがかかっているのだ。宮崎県、7例目が確認されたとか。ウィルスは怖い。もろに被害をかぶる多くの方々がいる。

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摩訶不思議ーアミガサタケー

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きょうは真っ青なドームのてっぺんがすっぽりと抜けて、宇宙からこんなしだれ桜の枝が垂れさがってきました。咲くにはまだちょっと地上の温みがたりないようなのです。椿がびっくりして眼を白黒させましたっけ。

 驚きはもう一つ。どうしてもアップして自慢したいのがこれ。

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             アミガサタケです。

スクーター専用〝車庫〟から、二輪車をバックさせながらふと視線を落とすと、たった一本だけ、細かな砂利の隙間からいつのまにか出現していたのです。摩訶不思議な生命体。お初にお目に掛かります。
 写真で見ると可愛いのですが、実物はこれより若干グロテスク。「失礼なこと言わないでよ。あなたの方がずっとグロテスクよ」。そうでした。アミガサタケ氏から見ればグロテスクなのはこちらでした。面白いキノコです。ほんとうにラッキーです。

以下はWikipediaからですが。
子嚢菌門チャワンタケ綱チャワンタケ目チャワンタケ亜目アミガサタケ科アミガサタケ属に属するキノコ。類似名のキノコでシャグマアミガサタケがあり、同じ子嚢菌であるが、科が異なる。マルミアミガサタケ(Var. rotunda Pers.:Fr.)、チャアミガサタケ(Var. umbrina(Boud.)Imai)の変種がある。

子実体の 高さ5~12cm、頭部は卵形~卵状円錐形、柄に直生する。脈は縦、横ともによく発達していて、これに囲まれた網目は類多角形か不正形、子実層は灰褐色。 柄は円筒形、表面に凸凹がある。白~帯黄色。断面は頭部から柄まですべて空洞となっている。一見そうは見えにくいもののチャワンタケの仲間であり、頭部の網目状の部分の一つ一つのくぼみが、通常のチャワンタケ類の子実体に相当する。つまり、このくぼみの内側に子実層が発達し、子嚢が林立している。

このキノコは春先に人家の庭や芝生などによく生えることもある。日本ではほとんど見向きもされないがフランスでは一流の食用キノコであり、乾燥品も売られている。

食用で、肉質はもろいが、ゆでると弾力が出てしこしことした歯触りがある。バターを使ってじっくり煮込む料理に合う。日本産のものはフランス産のものと比べると香りが弱いと云われている。菌糸体の生態や栄養源については未解明の部分が大きく、まだ栽培には成功していない。

条件によっては、非加熱で生食すると中毒する場合があることが知られるが、通常の調理では炒めたり煮たりするため毒性が問題になることは少ない。なお、形態が類似したシャグマアミガサタケの毒性ははるかに強く、揮発性の毒成分を煮沸して除去するときの蒸気を吸って中毒となることすらある。」

最初は毒キノコに違いないと、ひたすら毒キノコ検索。はたと、もしや食用? さっそくスイッチを切り替え、図鑑をまともにあたったところ、何と、食用であることが判明。フランスでは一流の食用キノコさまとは、お見逸れいたしました。

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きょうのことば ーもう一人の助け主ー

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池の面に、空や樹木がすっきりと映し出されています。日曜日は神さまを鏡とし、ありのままの自分を映し出し、もし染みが見えたなら、十字架のイエスさまを見上げて祈り、洗いきよめていただくのです。

しみもとがも  けがれもなき
こひつじわが主は  ほふられしや

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さて、きょうのインマヌエル盛岡キリスト教会のメッセージは?

聖書箇所  ヨハネ伝16:7~8
しかし、わたしは真実を言います。わたしが去って行くことは、あなたがたにとって益なのです。それは、もしわたしが去って行かなければ、助け主があなたがたのところに来ないからです。しかし、もし行けば、わたしは助け主をあなたがたのところに遣わします。その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせます。
説教題   『もう一人の助け主』

 キリスト教について知っているという方はいらっしゃいます。幼稚園が、或いは高校、大学がミッションスクールだった方もそうです。それは確かに恵まれた機会であると言えます。ただ、その方々がクリスチャンであるかというと、必ずしもそうではない。
 私が1968年に信仰に導かれたときは、大学紛争の真っ最中でした。妻のひろ子も、そのような背景の中、インマヌエル丸の内教会(当時)に通っていました。通称246を通っていましたが、車窓から青山学院大学が見えたそうです。ジョン・ウェスレーの銅像の傍にバリケードが築かれ「神は死んだ」と書かれてあったといいます。ニーチェの影響なのでしょう。このように、いかにミッションでキリスト教を学んでいても、キリスト教を知識として知っていることとクリスチャン信仰を持っていることとは本質的にまったく違うのです。
 クリスチャン信仰を持っているとは、この助け主とも聖霊とも御霊ともいわれるこの「もう一人の助け主」を頂いているかどうかがその分かれ目なのです。そして私たちクリスチャンが、三位一体の神である父、御子(イエス・キリスト)、御霊とどういう関わりを持っているかが重要なのです。
ヨハネ1:9~12には「
すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。
この一連に何度も出てくる〝この方〟とは、イエス・キリストのことです。〝この方〟であるイエス・キリストをほんとうに理解させ、納得させてくれるのが聖霊です。聖霊が、イエスの十字架が自分の罪のためであったと得心させてくれます。私たちは、聖霊によって、イエスをほんとうに知り、ほんとうに受け入れることができるのです。そして、〝この方〟との関わりがどういうものであるかがクリスチャン信仰の中核を成しているのです。

 イエスさまは、上記のヨハネ16:7~8を語ったあとはゲッセマネで祈りました。数時間後に控えている出来事、自分が捉えられ弟子たちから去らなければならない事に備えるのです。ここでのイエスさまの弟子の取り扱いはどうだったでしょうか。イエスさまは、さあわたしはもういなくなるんだ。わたしを信じるんだよ。そうすればもう一つの助け主があるんだ、ということを親が子に親離れを諭すごとくに言い聞かせているのです。イエスさまは、わたしは取り去られるがわたしのようなもう一人の助け主(パラクレトス)をあなたがたに与えるんだよ、と弟子たちに保障し励ましました。

パラクレトスは共に重荷を担ってくださる聖霊という神様です。助け主が与えられているのに、一人で重荷を背負っている人がいます。祈りによって助け主をいよいよ肌で感じることができるのです。第一ペテロ5:7 「あなたがたの思い煩いを、いっさい神に委ねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」 詩篇55:22 「あなたの重荷を主に委ねよ。主は、あなたのことを心配してくださる。」とある通りです。

 パラクレトスはまたとりなし手です。仲違いしている者を和解させる。仲立ちとなってくれる。また弁護人でもあります。サタンの罪状告発の前に被告の側に立ち、有利になるように弁護してくれます。

 私たちの最大の罪は何でしょう。罪には、殺人、姦淫……数限りなくありますが、最大の罪は、神がこれほどまでに世を愛し、イエスを下し、聖霊なる神を与えようとしているにも拘わらず、これを知ろうともせず無視することなのです。これほど神を悲しませ、神に対して失礼なことはないでしょう。

ヨハネ16:8にあるように、罪について、義について、裁きについて、世にその誤りを認めさせるその方が、この一週間も私たちと一緒にいてくださる事を認めようではありませんか。そしてこの方に真剣に信頼し委ねてゆきましょう。

※当ブログ筆者の若干の聞き違い、また誤りがあるかもしれませんがご容赦ください。割愛した部分もありますのでご了解ください。  

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廃屋に咲く

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 この庭の主がどこに引っ越していったのかはわかりません。もう7、8年にもなるでしょう。朽ちかけた家の影が、そうとは知らずに咲き出でようとするチューリップに倒れかかっています。落ちた樹木の枝も互い違いに重なっています。

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 折り重なる枝のあいだから、ヒヤシンスや水仙が咲いていました。

廃屋に咲きいでし花ひそやかに小頚かしげて主をおもう

姿なき主呼ぶかに鮮やかに花は咲きたり荒れたる庭に

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口蹄疫 考

平成9年2月に台湾で口蹄疫が発生したときには、.我が国は、平成9年3月、同地域からの生きた偶蹄類の動物(牛、豚等)及びそれらの肉等の輸入を禁止しており、引き続き、輸入禁止措置を継続した。また、同病の我が国への侵入防止に万全を期すため、台湾からの旅客に対する靴底消毒等適切な検疫措置を徹底した。

韓国に於ける口蹄疫発生に関する情報2010年1月7日~30日(左をクリック願います)

Yahoo!JAPANより

 韓国の農林水産食品部は22日、忠清北道忠州市(チュンチョンボクド・チュンジュシ)の養豚場で、口蹄疫(こうていえき)に感染した疑いのある豚10頭 について、ウイルス検査の結果、陽性であることを確認した。韓国では4月に入り、口蹄疫の感染報告数が12件と相次ぎ、この内6件が確定している。

 韓国メディアによると、忠州市は口蹄疫が見つかった農場から半径500メートル内で飼育している家畜2997頭をすべて殺処分にすると発表。さらに、周辺住民の移動を制限するなど、感染拡大を阻止するための防疫対策が実施されている。

 しかし、今回問題となっている農場は、4月始めに口蹄疫が確認され家畜3万頭あまりが殺処分された仁川市や金浦市からは離れた地域にある。そのため、口蹄疫がすでに全国的に広がっている恐れがあるとして懸念が強まっている。

 また、一部のメディアは、防疫当局による対策には不備が多いと指摘。消毒作業が均一に実施されていないことや、畜産農家の防疫意識が低いことなどから、感染拡大を食い止めるのは難しいとの見方を示している。(編集担当:新川悠)

宮崎県に於いて10年4月23日、5例目及び6例目の口蹄疫の疑似患畜が確認された。

5例目は児湯郡川南町大字川南に所在する肉用牛一貫経営体(黒毛和種:繁殖牛44頭、育成牛1頭、仔牛24頭、肥育牛6頭の合計75頭)からで、当該農場は、直線距離にして1例目の農場から南東約3.4km、4例目の農場から西約100mに位置。確認の経過は、平成22年4月22日、農家から川南町役場を通じて宮崎家畜保健衛生所に、口蹄疫様症状を示す牛がいるとの通報があった。同日午前11時30分、宮崎家畜保健衛生所の家畜防疫員が当該農場の立入検査を実施したところ、3頭が流涎、口腔の発赤、発熱等を呈していたため、検査材料3検体(1頭1検体)を動物衛生研究所 海外病研究施設(東京都小平市)に送付した。4月23日夕刻、農林水産省からPCR検査(遺伝子検査)で3検体中1検体(1頭分)で陽性との連絡を受け、疑似患畜と決定した。

6例目の疑似患畜について、確認場所は児湯郡都農町大字水洗に所在する水牛・豚飼養農家(水牛42頭、豚2頭)。当該農場は、直線距離にして1例目の農場から北西約600mに位置。確認の経過は、平成22年4月22日、1例目の飼料関係の疫学関連農場として、立入調査を実施。調査の過程で、農場主からこれまでの臨床症状の聞き取りをもとに血液5検体を採取すると共に、別の検査で3月31日に採取していた検体、スワブ3検体と併せて計8検体を動物衛生研究所 海外病研究施設(東京都小平市)に送付した。4月23日夕刻、農林水産省からPCR検査(遺伝子検査)でスワブ3検体中1検体(1頭分)で陽性との連絡を受け、疑似患畜と決定した。

当面の措置
確認農場において、飼養牛全頭の殺処分、汚染物品の埋却、畜舎の消毒等を実施予定。

さて、数少ない情報をもとにではあるが、以上から学ぶことは、台湾で発生したときには、台湾からの旅客の靴底消毒、或いは適切な検疫処置の徹底が図られている。また今回の宮崎に於いても報道関係者の現地入りなども、蔓延を阻止するために自粛が求められている。
 発生の1例目から100㌔或いは600㌔、3、4㌔或いは韓国に於ける600㌔或いは3、8㌔といった蔓延の状況からみても、沈静化、清浄化が確認されるまでは、観光などの立ち入りも自粛が求められるだろう。口蹄疫の肉は市場に出回ることはないとはいうものの、たしかに何がキャリアとなって、発生の距離を伸ばしていくかは予測の付きかねる側面があり、また口蹄疫にたいする心理的な障壁も考慮すると、たとえ発生県から遠隔の県にあるとしても、牛肉はもとより、生乳、加工品に対する消費への影響も避けられないものと思われる。

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花粉症&カゼ

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小岩井牧場では羊の放牧が始まったようだ。テレビに映し出された子羊たち。広々とした世界に解き放たれ、とてもうれしそうだった。
 花粉症とカゼ薬の服用でつい居眠りしてしまう。早目にやすむとしよう。

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苦しみにあいたりしは

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 今朝さまざまに思いめぐらせていたとき、「苦しみにあいたりしはわれに良き事なり。それによりて我汝の掟を学び得たり」という言葉が浮かんだ。なるほどと納得。


 
 風は強いが青い空の美しさは!

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口蹄疫

4月21日の日本経済新聞によれば
 ー農 林水産省は20日、
宮崎県で口蹄疫(こうていえき)に感染した疑いのある牛が見つかったのを受け、牛肉の輸出を全面停止した。今後は県が実施する対応策の 効果をみたうえで、3カ月間新たに発生しなければ、今夏にも輸出を再開する見通しだ。日本の牛肉輸出量は国内生産量の1%未満にとどまり、畜産業者への直 接的な影響は限定的とみられている。

 農水省は「万が一食べたとしても人体には全く影響はない」(赤松広隆農相)と説明している。専門家らによる緊急会合は半径1キロメートル圏内に感染した牛や豚がいないかを検査する方針を示した。

 輸出を全面停止するのは2000年に北海道と宮崎県で口蹄疫に感染した牛が見つかって以来。同省によると、08年度の牛肉輸出量は551トンで、ベトナムや香港、米国などに出荷している。年間36万トンを超える国内生産量に占める輸出の割合は0.15%台だった。

 ただ風評被害による牛肉消費の減少なども懸念され、農水省は「万が一食べたとしても人体には全く影響はない」(赤松広隆農相)などと安全性を訴えていく方針だ。ー


4月20日asahi.comによれば、
 ー宮崎県は20日、同県都農(つの)町の農場で飼育している繁殖牛など計16頭のうち、した黒毛和牛3頭が口蹄疫(こうていえき)に感染疑いがある、と発 表した。同県によると、国内では1908年と2000年に発生が確認されている。家畜伝染病予防法に基づき、農場の牛は殺処分され、周辺の農場の牛なども 移動が制限されることになるが、口蹄疫は人には感染せず(※この時点ではこのように発表されましたが、後日当ブログにコメントが入り、人への感染例もあるとのご指摘を頂いております。この部分は、当ブログ筆者の5月8日の加筆です)、感染肉を食べても人体への影響はない。赤松広隆農林水産相は記者会見し、国内の牛や豚などは3カ 月間は輸出停止し、農水省に対策本部を設置すると発表した。

 県畜産課によると、今月9日、農場から往診を頼まれた獣医師から宮崎家畜保健衛生所(宮崎市)に「口の中に軽い潰瘍(かいよう)がある牛がいる」との病性鑑定依頼があり、同衛生所がこの農場を立ち入り検査したところ、計3頭に同様の症状があることが判明した。

 このため、19日に、口の中をぬぐった液などを、動物衛生研究所海外病研究施設(東京都小平市)に送り、PCR検査(遺伝子検査)を実施したところ、20日午前4時50分に農林水産省から「陽性」との連絡があったという。

 これを受け、県は発生場所となる都農町のほか、周辺の同県日向市と川南町に対し、感染する恐れのある牛や豚などの偶蹄(ぐうてい)類の移動の自粛を要請。発生原因や、ほかの農場でも感染していないかなどを調べ始めた。

 同県内の肉用牛の飼養頭数は09年2月1日現在、29万7900頭で全国3位。

 記者会見した東国原英夫知事は「万全の防疫態勢をしかなければならない。口蹄疫は人には感染しないし、感染した牛の肉が市場に出回ることもない」と強調した。ー

口蹄疫とは?goo,Wikiによれば

ー口蹄疫(こうていえき、Foot-and-mouth disease)は、家畜伝染病のひとつ。偶蹄類水牛山羊鹿など)が感染するウイルス性の急性伝染病。日本では家畜伝染病予防法において法定伝染病に指定されており、対象動物は牛、水牛、鹿、羊、山羊、豚、猪。OIEリストA疾病。

1898年ドイツの医学者フリードリヒ・レフラーとポール・フロッシュにより病原体が突き止められ、細菌より小さいことが確かめられた。これが、初めて確認された濾過性病原体=ウイルスの一つである[要出典]。ー

※経済、asahiの青文字は当ブログ筆者が付けたものです。

農林水産省(URL)

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大信田時子 人物画展4

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 ご多忙な中、弛まずに制作に励んでおられる時子さんです。どうぞ時を取ってお出かけ下さい。

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きょうのことば ーその方が来られるとー

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 これはゴッホが持っていた賛美歌集です。賛美歌、いまさっきも「主よみもとに近づかん」を口ずさんでいました。日曜日の礼拝では6曲歌います。短い曲も長い曲もあります。讃美の癒し、それは神を心から讃えるときに、神からご褒美として与えられると私には思われます。


 日曜日の説教を忠実にお伝えしたいと聞き書きをしてきましたが、今週からは、その日によって自分が力を得た点をお伝えしたり、また大切な日には全部をお伝えしたりと、あるときは短く、あるときは長く、あるときは出来る限りしっかり全部をといった具合に致します。
(ちょっとここで一服)

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 きょうもインマヌエル盛岡キリスト教会の牧師先生のお話です。迂闊にも若干説教と相違することがあるかもしれませんが、これはわたしの聞き違いによる場合ですので予めお許し願いたく思います。

聖書箇所 ヨハネ伝16:1~24
説教題  「その方が来られると」 

 ペンテコステの節季、聖霊に心を留めて歩むべきとき、ヨハネ16章を扱うことはそれに適っています。この16章にはイエスさまが十字架に架けられる直前の出来事が書かれています。
 どうもイエスさまに何かが起りそうだ、いつもとどこか状況が違っているとすっかり不安になっている弟子たちに、

「わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」ヨハネ16:33
 と言い聞かせ励ましてから、イエスさまは、「父よ。時が来ました。」(ヨハネ17:1)とこれからの事にきっぱりと顔を向けます。そして17章のその後は、イエスさまの祈り、弟子の前での締めくくりの祈りとなります。そして18章ではゲッセマネの祈りがあり、そこにユダがローマ兵らを引き連れて現れるのです。

 ヨハネ16章には十字架を目前にしたイエスさまが、弟子達にしっかり伝えておきたい内容が書かれています。
 イエスさまは、「わたしはいよいよあなた方と離れなければならない時がきていますが、あなた方は(ヨハネ15:18、19にあるように、)人々から憎まれ恨まれます。しかしそれを憎んではいけません。世がわたしを十字架に追いやるのだから、その世からあなた方が憎まれるのは当然なのです。だから憎んではいけない。あなたがたは、世間から後ろ指をさされないように、良き市民として証を立てようとしているでしょう。それは当然なのですが、やはりこの世はキリストを排除しようとする価値観が大方です。そのキリストに選ばれた我々の生き方を世の中はおいそれと受け入れようとはしない。それを覚えておきなさい。」と弟子達に言いきかせたのです。弟子達はイエスが取り去られることを知り、もう不安が極致に達するのですが、そこにイエスさまは言ったのです。イエスさまと交換に助け主が遣わされることを。

 この「助け主」という言葉には人称代名詞が使われています。この助け主が聖霊という神様であることを私たちは知っています。聖霊は人格をお持ちの方なのです。「神の力」を it であるとするのは間違っています。聖書はこのお方を助け主、即ち人格を持つ存在として語っています。人格があるからこそ、弟子達はこの方に頼り御力を頂いているのです。人格というものを離れては何の力もない、神の力は人格と一体となっているのです。

 一人の人物(イエス・キリスト)が、あのゴルゴダの丘で処罰され「事終わりぬ」と十字架を成就したという現象面、そして時の権力ローマ皇帝の封印のある墓の中から復活したことにより、十字架の贖いが真であったことを証明した50日後に、イエスさまが、「わたしは悉く成し遂げて帰ってまいりました」と天に帰ったところで、父なる神は、それでは、といって下されたのが聖霊なる神様なのです。


 聖霊はもう一人のイエスさまと言っても差し支えありません。肉体的な制約を解かれたもう一つの助け主は、わたしの心にも、あなたの心にも、信じるすべての人々の心にもいてくださるイエスさまと同じ神様なのです。
 「助け主」=パラクレトスとは、援助のために傍に呼ばれた者。とりなしてくれる人。慰め主。
 また上のものが、下にあるものに遣わす。御子イエスが父なる神にお願いして遣わされる存在であるのが聖霊なのです。聖霊の働きは4つあります。1,御子なるイエスの栄光を現わす。 2,聖霊ご自身が大きく崇められることはしない。 3,御自分を通して御子なるイエスが崇められる働きをする。 4,真理を解き明かし教えて下さる。

 この聖霊の働きがなければ、十字架を理解する事はできない。聖霊は一人子を十字架につけてまで罪の贖いをして下さった神の愛を納得させて下さる。この神の愛が届くようにして下さる。聖霊はイエスの贖いの業を有効ならしめてくださるのです。また聖霊は弁護して下さる方です。パラクレトスは、聖なるイエスご自身なのです。



 

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主よみもとに近づかん

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なぜか今生かされていることに感謝し、もし災いに遭うことがあるならば、そのさ中にも神を信じる己であれと祈る。

   
主よみもとにちかづかん
   のぼる道は十字架に
   ありともなど悲しむべき
   主よみもとにちかづかん

けさはニュースでアイスランドの噴火、中国青海地震を見る。日々に増大する犠牲者の数や損害額などをもはや追おうという気にはならない。ただ救おうと現地に向かう人の姿には心を打たれた。なぜだろう。

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小岩井農場/木材自給率

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 きょうは空も晴れあがり、午後からは、らら倶楽部に花を買いに出かけました。帰り、小岩井農場に立ち寄り羊と面会。この春に生まれた子どもたちは、もうこんなに大きくなっていました。

   ◆  ◆  ◆  ◆  ◆

  今日の夕刊の日報論壇「農・畜・林の国土利用図れ」(中洞正氏)は悉く同感する内容だった。その中で森林に関して、「ニュージーランドでは木材自給率が100㌫」であるそうだ。国によって用途の違いがあるかもしれない。家屋が、家具がどんな造りかによっても国産で間に合う間に合わないもあるだろう。しかし100㌫とは!

 さて日本ではどうだろう。検索した。
 最近の木材需要量は、8千万~9千万m3 程度。
外材の占有率が8割と高く、国産材の自給率は2割程度という。
(平成20年まで) 

平成16年度の内訳は次の通り。我が国の木材需給状況(平成16年) 木材はどこからくるのか 木材の輸入

※北洋材9.5㌫(丸太)  南洋材12.8㌫(合板)

〔参考文献・出典〕

林野庁「森林林業白書 平成16年度版」をもとに作成

日本の山林の疲弊度、またこれを維持管理する費用、可能な生産量までを更に検索してみる元気はもうきょうはない。ただ、農産物と同じように、出来るだけ自給を図る方向へとはならないものなのか。ある資源を、技術の力を駆使して、或いはそれには、輸入するよりも当面は、コストがかかるのだろうが、国内にある樹木を守り育て、加工し用いる、そういった有り様はどの程度模索されているのだろうか。今夕、中洞氏の論壇を読み、酪農に加え、こんな事を考えさせられた。主婦感覚思考ではありますが、これもアリ、ということで、物足りない分はお許しいただきたい。

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わが恵汝に足れり

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 きのうは一日かろやかな雪が舞い、風もつよく、とても寒かった。きょうは降雪はなかったが、やはり寒さはゆるまない。もうすこしフラワーポットを増やそうと思いつつこの天気で足踏み状態である。
 今朝のニュースだったが、家畜の糞で作った肥料が紹介されていた。台所から居間のTVを一瞬見ただけで、あとでPCで検索すればよいと思ったところが、これが直ぐにはうまく掛からない。中国青海省玉樹県の地震被害が目に留った。巨大地震が頻発している。

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 災害に以前ほど驚かなくなっているこの感覚。鈍感になったときこそ何らかの意味で危機であるといえるのかもしれない。

 どういうわけかは分らないが、今日の一日を無事に生かされた。きょうの神様からの恵は、たまたま盛岡に出てきた弟の誘いで、私と私の二男の三人で食事をともにしたこと。久しぶりに中華料理だった。二男と一緒に行けたことが嬉しかった。食事を終えて、私は帰ろうと駐車場方向に。弟と二男はまた何処かへ行くのだが、私は、しばし立ち止まって振返り、二人の後ろ姿をしばらく感慨深く見つめた。親族の冠婚葬祭には顔を出していたが、いつも友だち優先だった息子。それが今日初めて叔父にあたる弟の誘いをいとも自然に受け入れ楽しそうに談笑していた。ほんとうによい一時だった。

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雑感 ーリニアコライダーなどなどー

 今朝の岩手日報に「北上山地に優位性」と題し、国際リニアコライダー(ILC)の誘致の可能性が載っていた。何しろ北上山地を翔るイヌワシさんが環境問題にすぐさま反応するために、成り行きでイヌワシさんの僕となった当ブログ筆者は、リニアコライダーとは如何なるものかを知っていようがいまいが、このトンネル計画の動向をすこしでもキャッチしなければならない羽目となっている。
 13日仙台で東北加速器基礎科学研究会では、国内候補地のなかでは、振動に強い地盤がある岩手県の北上山地の優位性が強調されたようだ。国内候補地の地盤振動データを示し「(北上山地の)江刺が一番安定しており、いい環境にある」という。受け入れの具体的検討はこれかららしい。ILCの着工は2020年ごろになる見通し。達増知事は協力には積極的な構えだ。

 物理関連を書くのは役目ではないわけで、関心は専ら、地下100㍍に全長約40㌔というこんな凄いトンネルがほんとうにできるんだろうか。原子炉の中並みというけれど、安全性はどうなのか。環境にはどうなのか……? という側面なのです。ところがこの側面を書いてくれている記事にはなかなか出くわしません。
 

 ところで、江刺を大正6(1917)年に地質調査をした人がいる。宮澤賢治と佐々木又治、高橋秀松だ。当時の江刺郡役所が盛岡高等農林学校に依頼した調査だった。関豊太郎教授は土壌・地質学の権威であり、成績が優れ人望のある賢治に目をかけていたという。
 
種山ヶ原は北上山地の南西。奥州市江刺区・遠野市・気仙郡・東磐井郡(現・一関市)・上閉伊郡にまたがって高原状をなす。物見山(約870㍍)を頂点にに600~870㍍の丘陵地を形成している。種山ヶ原は隆起準平原。老年期の山地が浸食作用を受け平原になったもの。
  また、岩石などの固い部分が浸食から取り残されて孤立した丘を残丘=モナドノックと呼ぶ。後者は、アメリカのニューハンプシャー州にあるモナドノック山 にちなんだものである。県内では物見山をはじめ、貞任山・早池峰山・薬師岳・兜明神岳・姫神山・平庭岳などが残丘である。これら、準平原やモナドノックの 語は賢治が好んで使った語だという。(URL

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「世界・美の旅・ミレー~種播く人は~」より

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 ジャン=フランソワ・ミレー。彼は敬虔なキリスト教徒だった。彼の自画像を観る限り、風貌は農耕で日照や風雨にさらされた人のそれではない。彼は貧しさという現実を受け入れ自ら農に取り組む傍ら絵を描き続けた。30歳で結婚した妻は3年後天に召された。再婚しバルビゾンに移住。ここで『晩鐘』『落ち穂拾い』などを描く。9人の子どもの父親として農民として画家として生き、1875年死去。

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 彼が1814年に生まれ、育ったノルマンディーのグリュシーは住民が12家族にすぎない殺風景な小さな村だった。ただ父親は村の教会で合唱の指揮者だった。そんな中で彼の情操が育まれたのだろう。22歳でパリに出る。26歳で肖像画が初入選。
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  貧しいけれども、これが人間の、芸術家の一つの足跡だ。バルビゾンの風景、何枚かの絵、彼の使ったパレット、椅子にも理屈抜きに静かに語りかけてくるものがある。

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井上ひさし氏逝く

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 井上ひさし氏が9日肺ガンで亡くなられた。75歳。

 ひょっこりひょうたん島はよく見たものだ。「悲しいことや苦しいことはそれほど考えなくても出てくるが、楽しいことや面白い事は考えないと出てこない」と仰ったことがいつも思い出される。
 また、「農業軽視のでたらめさ、憲法軽視に怒った農民が、食糧自給率100㌫、最先端の医療技術、莫大な埋蔵金、地熱発電所をもとに独立した吉里吉里国」建国の父だ。

 井上ひさし氏とたった一度だけ肩を並べたことがある。といっても単なる通行人の一人としてであるが。その日、盛岡市のプラザおでってで氏の講演があった。いつもは自転車なのだが、この日は歩いていった。写真にある岩手銀行中の橋支店に向かって右側にある交差点を渡っていたとき、タクシーが目の前で停まり、何と、連れとともに降りてきたのだった。向かいのプラザおでってに行くために、岩手銀行中の橋店の入り口前で信号待ちとなった。自然に並んで待つことになったのだ。そこで思い切って「井上先生ですね、お目にかかれて光栄です。いまから先生の講演を聴きにいくところです」と申し上げると、「そのボタンは自分で選んだのですか」と仰る。白いブラウスに木製のさまざまな形の小さなボタンがついていたのだ。わたしはどうしてそんなことを訊くのかわからなかったが、「はい」と返事をしたところで信号が青に変った。氏は連れの方と歩きだされた。ボタンのことは、おそらく個性と思われる点を取り上げてくださったと思われる。そのあとは、すこし身近な存在として壇上に見ながら園井恵子のお話しを聴いたのだった。単なる通行人の一人としての出会いではあったが、訃報に接し思い出された。ご冥福をお祈りいたします。

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きょうのことば

 教会途上のマイカーは、ただいま館坂橋通過中。赤信号停車にカシャ。

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 ごく日常のありふれた景色。たとえばくっきりと聳える岩手山を向こうに見慣れた家並み。

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 そんな日常の街をかいくぐり日曜日は先ず教会へ。
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説教題 「復活の福音ー2」
聖書朗読 「第一コリント15:50~58」

以下は牧師先生(インマヌエル盛岡キリスト教会)のメッセージです。

 教会は、これからはペンテコステ(五旬節)に向かって歩みを進めるわけですが、きょうは、イースターの恵をさらに確かにするために聖書のこの箇所を開きました。
 第一コリント15:20には
「しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。」とあります。死んだ者と言わずに「眠った者」という表現には」意味があります。死によってその人の人格がなくなるのではありません。死ねばすべての存在がなくなるというのは誤りです。

 ルカ伝の16章に金持ちの死とラザロの死の話しがあります。この死という一つの現象を取上げるときに、人の側からみたときと神の側から見たときの違いが語られています。人の目から見た金持ちの死は大々的な葬儀であり、ラザロはただ土に帰るだけの死です。しかし神の見る金持ちの死は地獄の炎。そしてラザロはゆたかな神のふところにあるのです。
 ラザロの死は眠りです。土に帰るけれども存在しつづけるのです。

 第一コリント15:21~22には 
「死がひとりの人を通してきたように、死者の復活もひとりの人を通して来たからです。すなわち、アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストによってすべての人が生かされるからです。」とあります。第二のアダムといわれるイエスさま。この第二のアダムによってすべての人が生かされるのです。第一コリント15:50に「血肉のからだは神の国を相続できません。朽ちるものは、朽ちないものを相続できません。」とあるように、神の国の命に生きるには、神の国にふさわしいからだを持たなければなりません。 神の国に相応しいからだとは?   イエスさまが 「眠った者の初穂として死者の中からよみがえられた」とあるとおり、イエスさまの復活のからだが私たちの復活のからだです。復活のからだは食べ物を食べることもできます。しかし、娶ったり嫁いだりして子孫を増やすというようなことはありません。ただ天国に行ったときに現在のようなからだではありません。十字架につけられ一週間後には天に帰られたイエスさま。一瞬のうちによみがえりの不死のからだを着るイエスさまのようになるのだと思えばいいのです。
 53節 
「朽ちるものは、必ず朽ちないものを着なければならず、死ぬものは、必ず不死を着なければならないからです。」
 キリストの来臨のときキリスト者は、終わりのラッパとともに一瞬にして栄光の朽ちない霊のからだに変えられます。イエスさまは、十字架の贖いをなされたイエスさまは、こんどは主の主、王の王としてこの世に来られます。
 第一テサロニケ4章にあるとおりです。

「主は号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に生き残っている私たちがたちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。」

 天国はわたしたちの想像をはるかに超えたものです。「まあ、まあ」とただただ驚きの声をあげるばかりでしょう。
 主が再び来られるという復活の福音があります。私たちには問題課題が無いわけではありませんが、この復活の福音をしっかりと捉えるならば、必ずや勝利があるのです。

※以上、聞き書きですが、メッセージ途中考えこんだりしているうちに聞き逃した部分があります。これは概要とご了解ください。

 午後は婦人会の食事会。トーンチャイムを楽しむひとときがありました。婦人会は第二日曜日の礼拝後です。和気藹々と楽しい集いです。どなたでも参加できます。

 

 






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孤高の白鳥

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 もう白鳥はみな帰ってしまったと思っていたところ、鳴き声がしたので見ると、ウォーミングアップなのか不揃いな一隊が頭上を過ぎてゆきました。
それにしても、真冬に切れるように冷たい水の面をすすむ白鳥は美しかった。写真はそのときの一枚、孤高の白鳥です。

 「白いものがどうなるか分るね」という見方もあるだろう。しかし、たとえ不遇の扱いを受けても、真っ直ぐに進んでいくものの姿をわたしは見知っている。これは大変幸せなことである。

 明日は日曜日だ。

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きょうは何の日?

 きょうはインマヌエル盛岡キリスト教会の國光ひろ子先生のお誕生日です。岡山生まれの東京育ち。長野県のインマヌエル上田教会を経て、1974年、國光勝美牧師とともに盛岡に着任しました。37年目の奉仕に入っています。是非お会いしたい方はこちら。そうです。この4月に、國光夫妻が立ち上げた教会のHPです。ひろ子牧師も音楽が好きです。4月4日には皆さんでハッピィバースディーを歌いましたが、きょうのこの日を祝い、いま一度

       ハッピィバースデートゥユー
       ハッピィバースデートゥユー
        ハッピィバースデー・ディア・ひろ子先生
        ハッピィバースデートゥユー        

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牛のきもち

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きょうもブランデンブルグ。春の花が咲きつぐ。ごめんなさい。いったい誰に? 風がつめたい。けれど街路樹を満たす空は青く明るい。

人ならばこんな陽気に誘われもしようが、そう、書こうとしているのは牛舎に繋がれた牛たち。こんなうららかな春がきても、外を眺めることはできても、一生自由に歩き回ることのない産業の一部と作られた牛たち。運動もせずに食べる穀物はおいしいかい? 牛舎から見える世界がたった一つの世界。

600㌔もの体重を支えるには、まず脚力を付けなくちゃならないのに、立っているばかりじゃ、相当筋力も衰えるだろうさ。代謝だって悪くなる。骨折したらどうするのさ。ギプス不要、手当無用と診断された日にはどうなるの? まさかまさか処分じゃないよね。あれやこれやのストレスに、草が足りなきゃ胃だって膨らむ。獣医を呼んで手当かい? コンクリートじゃ蹄も腐る。だけど腐ってるのはそれだけじゃない。気分が腐ってしかたがない。(URL

だけど土地が狭いんだって? 山地だと1㌶ に一頭が理想だとも聞いたけど。広い世界を知らなきゃしらないでこんなもんかと思うけど。だけどね、この目を見てよ、心だってあるんだよ。

ブランデンブルグも聞かせたい。広い草地を歩かせたい。青い草も食べさせたい。

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牛飼いの人たちのせいじゃないさ。文明ってやつの罪深さ。苦労を知らない人達ほどさまざまうるさく要求するのさ。人の必要という身勝手さ。
「ほう、この牛舎の平均乳量は11,000(普通は一年で約8000㍑)!! そいつぁすごい」
乳牛の評価は乳量だけで決まるらしい。そんな価値基準に沿った牛を作るらしい。

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何を見てるの?どこを見てるの?

 ある方が仰った。「ブログはとにかく毎日更新したほうがいい。何もなかったら『きょうは疲れました』の一言でもいい」と。
 さて〝今日よ、さようなら〟の時刻が近づいて、そうだ、更新しなくちゃ。じゃ、今まで何してたの? と心のどこかで声がする。そう、問題はそこでした。


 とはいうものの、午前中は家人の用事に付き合い、午後は今年初めての本格的な庭仕事。たいそうな花ではないけれど、花の芽が出ている周りを注意深く草むしり。抜きながら「農用地整備公団は…財政投融資で…、全国予算はいくらだったか(翌朝ブックマークをクリックすると国庫補助金5196億)?…ああ、牧場に行きたいな…」などといったことが頭をかすめる。まともなふうだけれども、酪農からまたすこし遠のいてしまった焦りなのだ。それでも庭仕事はけっこう楽しい。ずぼらな秋じまいのせいで、枯葉なども堆積している。草花の芽が出やすいように除けてあげる。草を生やしておくよりは花を生やそうという目論み。ところが、草取りをしなければ、花は淘汰されてしまう。


 5時半には食事準備に取りかかり、8時から9時までは自分の雑用。9時からが問題だった。自分が気にしてもどうにもならない、つまり自分が悩むべき範疇を超えたあれこれを思い巡らすことで時間を費やしてしまった。自分に問いかけた。「何を見ているの?」「どこを見ているの?」 そう、あらぬ方向に気をとられていると、大袈裟ではなく、メフィストフェレスはいつでも自分を待ちかまえている。それに気づいて、はっと我にかえると、自分の見るべきもの、考えるべき事の方に、自然に思考が向き、目の前が明るくなり、視野が開けるのを覚えた。そして書いたのがこの記事だ。

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風景

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 これは新庄墓園に立つ白樺。枝ではカラスがひとり言。都会のゴミを漁ろうにも、近頃はタウンネットがゴミをしっかりガード。ここに飛んで来たもののお供え物も見あたらない。それにしてもこの日和。ちょっとここで一休み。… んっ、誰かやってくる。あっ、カメラだ。ポーズ、ポーズ。なにかこう、遠くを見ているような、哲学しているような、そんな感じに映るといいな。

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水辺に降りてみたくとも、ガードレールが高すぎる。それに傾斜もきつすぎる。だからこうして遠くから、木々の間に輝いた波間を見ている、心しずかに。。ガードレールを越えるには、ちょっと歳をとりすぎて、急勾配をざざっざざっと降りてささえる健脚もない。これが守りであるのかも。

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天沼三津子the9th七宝に遊ぶ展

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 七宝作家天沼三津子さんの展示会です。盛岡市加賀野に新たにアトリエを構えてから初の展示会。回を重ねるごとに新たな境地を開く天沼さんです。

            「喫茶ママ」(盛岡市本町通)
                    2010/4/16(金)~4/30(金)

      ◆  ◆  ◆  ◆  ◆

余白で、イースターの日に、わたしが受けた自然からの祝福を再び。

はるか上空に悠然と飛ぶ二羽のワシを見たことを既に書きましたが、一羽がわたしに接近したので思わずカメラを構えたのですが、光りがあまりに強烈で捕えかねました。それでも上空に曲線を描く一羽に向かって、よく見えないままシャッターを押すと…

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えっ、これ、なあに? と思われるかもしれませんが、中央のすこし右寄りにプチッと見える黒い点。実はこれがワシか、或いはタカなのです。大きさにおいてはワシと思われますが、何しろ近づいた時点でも2、3百㍍はありました。これを二羽見ました。

 そしてカモシカ

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これが、わたしにとっては意味のあるどれほどに幸運なことであったか、
イースターのお墓参りがくれた、まことに豪華なプレゼントでありました。

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シンフォニエッタ春のコンサートー2010/5/22(土)19:00 マリオスー

 イースターを迎え、気分的にほっと一息つき、さて、親しみのあるアンサンブルの動きはどうかなと音楽団体のブログを訪問してみると…

第4回 春のコンサートのお知らせ! 、実はこれはもう 2010年01月07日 に発表となっていたのでした。

『第四回 春のコンサート』(定期演奏会)

開催日時:平成22年5月22日(土)19時開演予定 
会  場:盛岡市民文化ホール(マリオス) 小ホール

♪プログラム♪
第一部:モーツァルト「交響曲第29番」
         同「ピアノ協奏曲第23番」
         ソリスト 水原良子(P)
第二部:お楽しみメドレー集 

(以上、太文字が、シンフォニエッタ盛岡のブログからコピーさせていただいた部分です)

4月4日発表では、本番までは一ヶ月を切ったということで、練習はあと6回。白熱している。盛岡バッハ・カンタータ・フェラインのときもそうだったけれども、本番が近づいたときの練習は、もしかすれば本番よりも観る、聴くに値するのではないか。一丸となって音楽を奏する意気込みが、ブログに広告された練習日程や声がけからも伝わってくる。年齢を問わずに楽しめる選曲となっている。

 ピアノ協奏曲のソリストは水原良子先生。2006年2月に亡くなられたクラッシクギター製作者水原洋氏の妻。水原洋氏の工房には、主人とともに訪れたことがあります。今回の登板は嬉しい限り。ステージ上のお姿にお目にかかれることも楽しみです。

 

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きょうのことば ーイースター&正餐式&墓参ー

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                   イースターエッグと栞です

 きょうは主の御愛のうちにメッセージに耳を傾け、正餐式に与り、例会ではお一人お一人の忌憚のない近況や心境を聴かせていただき、イースターの祝福に浴しました。説教はポイントを記すこととし、兄弟姉妹たちとの墓参の写真などをアップしてみます。

 説教 題 『復活の福音』
 聖書引用 第一コリント15:12~19
12.ところで、キリストは死者の中から復活された、と宣べ伝えられているのなら、どうして、あなたがたの中に、死者の復活はない、と言っている人がいるのですか。
13.もし、死者の復活がないのなら、キリストも復活されなかったでしょう。

14.そして、キリストが復活されなかったのなら、私たちの宣教は実質のないものになり、あなたがたの信仰も実質のないものになるのです。
15.それどころか、私たちは神について偽証をした者ということになります。なぜなら、もしもかりに、死者の復活はないとしたら、神はキリストをよみがえらせなかったはずですが、私たちは神がキリストをよみがえらせた、と言って神に逆らう証言をしたからです。

16.もし、死者がよみがえらないのなら、キリストもよみがえらなかったでしょう。
17.そして、もしキリストがよみがえらなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです。
18.そうだったら、キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったのです。

19.もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です。


 もし復活が嘘だとしたら、我々クリスチャンほど惨めなものはないでしょう。信仰のすべてはこのキリストに依っています。もし復活がないなら、宣教も実質のないものとなります。
 キリストの十字架は私たちを四つの鎖から解放しました。
1,罪の鎖
2、律法からの救い
  旧約では細かな律法を守ることで救われるとされていたが、イエス・キリストの十字架により、ただ信仰のみで救われるようになった。
3、サタンからの勝利
4、死からの勝利

 わたしたちが直面し絶望に追いやられるような大きな出来事があるかもしれない。しかし、主の復活という驚くべき事実。イエスが葬られた墓穴は大きな石で塞がれ、時の権力ローマ皇帝によって封印され、絶えず番兵が見張っていたのです。ところが大能の神は、この石をまろばしイエスは復活したのでした。この復活の福音を、アーメン、ハレルヤと受け取るだけで、すでに私たちの内に救いは成就され勝利の道が開かれているのです。

  ◆  ◆  ◆  ◆

 
教会の墓地は松園墓園にあります。途中、岩手山が碧く輝く北上川の向こうに一際美しく端座。そればかりではなく、大きな二羽のワシと思われる鳥がはるか上空に悠然とおおきな孤を描いていました。写真は、米粒よりもまだ小さく、掲載は割愛しました。

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 教会員の方のお墓は新庄墓園にもあります。途中土手にカモシカが現れました。瞬時こちらを見ていましたが、すこしの間立ち止まるとゆっくりと林の向こうに消えてゆきました。

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 前方に歩いている方々は愛する兄弟姉妹たちです。みなさまとともに墓前で讃美し祈りを捧げることができました。みな真実に励んでおられます。わたしなどは、言動に於いてもまだまだですが、ここに歩いておられる方々は、ほんとうに世の光です。 

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イースターおめでとう!!

   『キリストの復活』 レンブラント・ファン・レイン

 

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野菜の花

 

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 これはサヤエンドウの花の蕾です。葉は露を帯びて活き活きと輝いています。去年の秋に撮りました。野菜の花は、たいてい慎ましい。実をならせるために、自己主張を控えてでもいるようです。


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「ブランデンブルグ」の予感

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 きょうもブランデンブルクだ。平成22年2月22日の魂が語りかけてくるかに思われたが、その姿は彼方に黙している。と、その家族からの電話が入った。「イースターには教会に行きたいと思っています」。復活した主イエスは、いっぺんに500人の人々にご自分を現わされた。主よ、このご家族に御身を現わしてください。わたしの行きつけの教会にではないけれど、どうかこのご家族に、エマオの道に現れた主が、ともに傍らを歩いてくださいますように、お願いいたします。

 きのう4月1日、午前は、念のための定期検診。午後は用事があり教会へ。これが素晴らしい年度初めのサプライズとなった。神は実に不思議なことをなさる。この日は教会にとっても、新しい事項が一つ加えられスタートした。結果的に自分が何を手伝ったわけではない。牧師夫人がご自分のパソコンにストックしておいたアメージンググレイスの数々のバリエーション。なんという楽しく素晴らしいひとときだったろう。「楽しい!!」 と心からいえる楽しさ、これを楽しんでいるまに、神は御わざを一つ進めてくださったのだ。2010年4月1日、エイプリルフールのこの日、神は、ただ楽しんで事の成るのを待っていたこのお気楽な信徒に、真新しい、ぴっかぴかの出来事を見せてくださった。それが何かは、ここには書かない。勿論金品ではない事は言うまでもない。牧師夫人考案のしょうが他6種類の香り入りの紅茶とフルーツケーキは温かく美味しく、そしてアメージンググレイスの天のバリエーション。

 今宵のブランデンブルグは、墓の中にいます主の復活を預言するかに、溌剌と切れよく明るく、屈託なく、涼しげに響いている。
 イエスがローマ兵に捕えられたとき、弟子達は自分に類が及ぶことを恐れ、心ならずも、自分がイエスとは無関係であると言ってしまう。自分もかつてはこのような者と大差なかった。この不甲斐ない腰抜けども、勇気のかけらもない弟子達が、後になって、死をも厭わず果敢に伝道をし次つぎに殉教していったのはなぜか。それはイエスがほんとうに蘇ったことを彼らが目の当たりにしたからであり、これ以外にどんな理由があろうか。
 イエスの帰天ののち50日経って、彼らには聖霊が下った。この聖霊こそが彼らの推進力の秘訣となった。

「聖霊汝等のうえに注がれるとき汝等力を受けん」

 私ははばかることなく言う。主の御愛の素晴らしさを。ブランデンブルグの明るさ、のびやかさ。このブランデンブルグが今日ののこる時間を飾り、今宵を締め括るだろう。

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この人を見よ

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 その祭りには慣例として望みの囚人ひとりだけを釈放してやっていた。イエスのほかにバラバという極悪人も捕えられていた。ピラトが「誰を釈放してほしいのか。バラバか、それともキリストと呼ばれているイエスか。」と民衆に問うと、民衆はバラバの釈放を選んだ。そして罪のないキリストが十字架に架けられる。
 事実関係をよく確かめもせずに罪なきものをつるし上げる。いまでもよくあることだ。しかし神はキリストをねたむ者、憎むものたち、また群集心理をさえも総動員させて、十字架の贖いを成し遂げられたのだ。

「父よ彼らを赦したまえ、彼らは何をしているのかわからないのですから」

 これは、自分をだまし、裏切り、陥れ、捕縛し、つるしあげ、虐待し、あらゆる手段を尽くして、のたうち回らせようとする者たちのために祈ったイエスさまの言葉です。

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最後の晩餐

2010317_064
                 あなたはキリストです
              いまも生きておられる
              わたしの神キリストです
              この心のうちにあり
              この心のうちを照らし
              暗い夜にも明かりを灯し
              わたしのありかを教え
              わたしの行く手を指し示す
              あなたはたしかに

              生ける神の御子キリストです

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