クレネ人シモン
いつの間にか裏庭にこんな花が。はしゃいでいるような、すましているような。明け方の冷え込みにじっと堪えて、久しぶりに迎えた明るいひざしに笑みがこぼれています。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
月報「あしょろ」(2009年11月号)に「クレネ人シモン」(マタイ27:32から)のことが書かれています。平井実先生のエッセイです。抜粋します。
イエスの生涯、たとえいっしょに死ぬようなことがあっても主に従います、と断言したペテロたちが、イエスの処刑の日、だれ一人イエスの十字架を負
うどころか、イエスを見捨てて逃げ去りました。それからわかるように、人間の決心とか、喜びの感情とか、恵みによる自発性などは、いかにもろいものである
かを知ることができます。
これに反して、無理やりに負わせられたクレネ人シモンは、キリストの十字架を最期まで負っ
て、彼の後についていきました。後日、……この十字架がきっかけとなって、シモンも妻も、息子たち二人もクリス
チャンになり、教会の中で重要な働きをするようになりました。
(ここからはブログ筆者です) 十字架の意味も知らずに十字架を負う、それはたしかにあることです。しかしそれを最期まで担いきるなら、神の祝福は必ずある、そう教えられました。
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