« 草地 | トップページ | 「天使」 »

クレネ人シモン

2010317_054

2010317_052

2010317_046







2010317_048_2

 いつの間にか裏庭にこんな花が。はしゃいでいるような、すましているような。明け方の冷え込みにじっと堪えて、久しぶりに迎えた明るいひざしに笑みがこぼれています。

    ◆  ◆  ◆  ◆  ◆

月報「あしょろ」(2009年11月号)に「クレネ人シモン」(マタイ27:32から)のことが書かれています。平井実先生のエッセイです。抜粋します。


 イエスの生涯、たとえいっしょに死ぬようなことがあっても主に従います、と断言したペテロたちが、イエスの処刑の日、だれ一人イエスの十字架を負 うどころか、イエスを見捨てて逃げ去りました。それからわかるように、人間の決心とか、喜びの感情とか、恵みによる自発性などは、いかにもろいものである かを知ることができます。
 これに反して、無理やりに負わせられたクレネ人シモンは、キリストの十字架を最期まで負っ て、彼の後についていきました。後日、……この十字架がきっかけとなって、シモンも妻も、息子たち二人もクリス チャンになり、教会の中で重要な働きをするようになりました。

(ここからはブログ筆者です) 十字架の意味も知らずに十字架を負う、それはたしかにあることです。しかしそれを最期まで担いきるなら、神の祝福は必ずある、そう教えられました。


 

|

« 草地 | トップページ | 「天使」 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: クレネ人シモン:

« 草地 | トップページ | 「天使」 »