穴あきキャベツ、曲がった胡瓜も
花巻では借家に住んでいた。家の周りは畑だった。毎朝、窓から朝日に輝く竹林や草をむしる人が動く姿を眺めながら食事をしたものだった。この畑の野菜は、殆ど無農薬で作られていた。タバコの吸い殻を水で溶かしたものを根元に撒いたり、木酢液を薄めて散布していた。それで十分虫の駆除もできるのだろうと思いこんでいた。
ある日この畑の方から、立派なブロッコリーを頂いた。茹でようとしたところ、キアゲハの幼虫ほどの大きさの青虫が5、6匹ついているのにぎょっとし、食べる気が失せたのだった。1、2匹ならこわごわ取りのぞいて茹でたと思う。5、6匹に度肝を抜かれてしまったのだ。キアゲハやアゲハの幼虫には嫌悪感を持たないのに、見慣れぬ青虫にはそんな反応だった。いま検索してみたが形状からしてヨトウムシだ。芋虫というべきだろうか。呉れた方がほどなく戸口に現れ仰るには、「虫ついでだの、あげだったがもしれない、こっち、どうぞ」と虫のついていないブロッコリーを差し出される。恐縮してしまった。
ならばスーパーで売っているまったく虫もついておらず、形も良く、色もきれいな野菜はどうすればできるのか。いまのところ農薬とそれなりの手作業の投入だろう。
しかし、遅ればせながら 「日本農薬事情」を読むうちに、なぜ誰もが農薬の害を知りながら、きれいな野菜、虫のつかない野菜を、生産者に薬害という犠牲を強い、過剰な労働を投下させてまで食べなければならないのだろうと疑問が湧いてきた。わたしなどは遅きに過ぎるのであって、すでにそういった意識をもって生産している方、消費者としての自覚を持った方々、健康を守ろうとする方々がいらっしゃるが、これがもっと多くの消費者に浸透していかないのは何故だろう。1990年の本で言うのも何だが、公開ヒアリングなどで、農薬会社は、「指摘された危険性は予想以上に少ないとか、ラベルの変更や使用規制で少なくできるとか、この農薬を使用することによる利益の方が危険性を上回る」などと反証しているらしいが、いまでもそうなのだろうか。
新薬の開発は、「一般に実験室で化学合成された化学物質が農薬登録を修得して売りにだされるまで、最低10年の年月と、直接経費だけで20億円を超す費用が必要」らしい。「実験室で合成した約一万個の化学物質をスクリーニング(効力選抜試験)して、10年後に一個がモノになっていたら成功」だという。時間、経費がこれだけかかるというわけだ。しかしどんなに時間、経費をかけて開発されるものだとしても、人に、自然に害を為すとなればどうだろう。ただ農薬には〝必要悪〟という側面がないではない。
農薬を使わない野菜は高くつくという側面もある。こうなると我が家などもエンゲル係数に頭を痛めることにはなる。すでに痛めてもいる。
各家庭の家計のそれはそれとして、もっと農薬の害について、各省庁や、販売する以上責任のある製薬会社が資金を注ぎ込ぎこんで、わたしのような一主婦に、子どもにも、目に留り、耳に残るようにキャンペーンを張ったらどうか。たとえば残留農薬をシンプルな図式にして映し出すとか、曲がった胡瓜や虫で穴の開いたキャベツを美味しそうに食べている光景を楽しい音楽と共に流してみたらどうだろう。たまにテレビを点けたとき、グルメかなにかをいかにも旨そうに食べて見せている番組に出くわすことがある。同じ食べ物の番組を制作するなら、むしろ、食を問い直すようなものを制作してみてはどうか。
やはり主婦が、ヨトウムシの5、6匹に脅えるようではならないだろう。こんな有様も含めて、見目の良い味のよい形の良い野菜果物を求め食べることに、不自然さと違和感を覚えるこの頃である。
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