國光牧師夫妻 37年目
インマヌエル綜合伝道団の任命式で、盛岡教会には、再び國光牧師夫妻が就任。ほっとしました。かなり張り切って礼拝に参加。いつもより30分まえの到着です。何しろ年会後初の説教、居眠りしてはいられません。尤も昨年度通じて集中力が途切れたことはあっても、居眠りは皆無。日曜礼拝も、出版記念会のため一回欠けたけれども後は全出席。水曜の祈祷会もほぼ皆出席。ことしもイエスさまを見上げてドンマイ、ドンマイ、前進しま~す。
國光夫妻は1974年に盛岡に着任。大雪の年でした。開拓伝道です。盛岡市大館町6番の会堂で3年間、天昌寺町に移転して7年間、大館町12ー16(℡019-646-2924) に教会が新築(写真の会堂)されてより現在まで牧会してこられました。
きょうは出エジプト記17:15からの説教で、題は「アドナイ・ニシ」(主はわが旗)
約BC1400年にエジプトの奴隷だったイスラエル民族はモーセに率いられてエジプトを脱出。目的の地はカナン。それがおかしな事に、神は、カナンまでの最短コースを行かせなかった。むしろひどい荒野を選んで歩かせた。それも40年間も。しかしこれはイスラエルの民が自らをよく知り、神の戒めを肝に銘じるための旅となった。もう駄目だ! もう万策尽きた! そんなときに、神は紅海を分けるという奇跡を起こし、海のど真ん中に乾いた道をひらきこれを歩かせた。また民族が数世代にわたるも、その民族性を保つために、斯くあるべきと、十戒を与えた。また天のまことの礼拝のひな形としての幕屋を与えた。エジプトを出てからの40年間の放浪、荒野の試練の後についにカナンに至るのだが、このモーセとともなる旅路は、われわれのゴールである天国に至るまでの実物教訓なのだ。示唆がいっぱい詰まっている。
この旅の途中で、モーセ、ヨシュア率いるイスラエルに戦いを挑んできたのがアマレクだった。この「アマレ 対 イスラエル戦」が出エジプト記17:15に書かれているのだ。エジプトの奴隷に過ぎなかった無防備なイスラエルの大ピンチ。いったいどうやって戦ったのか。
さて、アマレクとはいったいどんな質の敵なのか。 聖書には申命記という書物がある。絶対にこれだけは忘れちゃならないよと、からくどいばかりに戒めや教訓が繰り返し語られている。その中に、「あなたがたがエジプトから出て、その道中で、アマレクがあなたにした事を忘れないこと。」とある。絶対に忘れてはならぬ!!というそれとは
「彼は、神を恐れることなく、道であなたを襲い、あなたが疲れて弱っているときに、あなたの後ろの落伍者をみな、切り倒したのである。」
アマレクはイスラエルの弱点に襲いかかってくる。悪魔は信仰者の欠点、弱点から襲いかかり、信仰から切りはなし、切り倒していく。
戦いのとき、モーセはアロンとフルとともに山の頂きにのぼった。そこでモーセが手を挙げているときにはヨシュアが陣頭指揮するイスラエルが優勢となった。けれどもモーセが疲れて手を下ろすと、アマレクが優勢になる。そこでモーセが疲れたとき、モーセを石に座らせ、アロンとフルがモーセの手を支えた。手をあげるとは、祈る事です。この戦いには二通りあり、一つはアマレクとイスラエルが戦っている戦場。そしてもう一つは、山の上で手をあげる、謂わば祈りの戦いです。教会の働きもこれと同じです。祈りなくして勝利はありません。先ず祈りで勝利しなければ、戦場での勝利はないのです。アマレク即ちサタンは、弱いところを狙って祈りの手を下げさせようとします。
教会にはアロンとフルのように祈りを手伝う存在が必要です。イエスでさえ、十字架を覚悟したとき、ゲッセマネで、ペテロやヤコブ、ヨハネに一緒に祈ってくれることを望みました。祈りの手が上がっているか下がっているかで戦いの勝敗は決まります。
イエスはいま神の右の座に着き、我々信仰者のために執り成しの祈りをしています。我らの大祭司は我らの弱さをよくご存じです。その祭壇こそアドナイ・ニシ(主はわが旗)であり、これは我らのために十字架につけられたイエス・キリストの印しです。コンスタンィヌスは戦いに臨むときに、十字架の印しを見、「汝これにて勝て!」 という言葉で、十字架の旗を心に翻しながらいで行きました。
「神がわたしたちの見方であるなら、誰がわたしたちに敵対できるでしょう。わたしたちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに恵んでくださらないことがありましょう。」ロマ8:31~32
ー以上、牧者の説教から自分が受けとめた感覚で書いてみました。ー
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